2010年05月02日

名古屋を歩く 米野から太閤、名駅へ 3

 広小路通りの延長は、「太閤通り」というのかな?ということだと昔々、祖父は私に嘘をついたことになるのかも。
 わたった交差点は、笈瀬通りの一つ西らしい。(これをかきながら地図を眺めてわかった)
 笈瀬通りの名前の由来は、昔この通りは川で、それが南に流れて行き、今の中川運河を突っ切っておいたらしい、そうした川があったので、前に紹介した中川区月島にある運河神社が名古屋城の石垣の石切り場ということもうなづけるかもしれない。
 中川運河ができて、その笈瀬川は埋め立てられて道路になったと聞く。実家の近くの寺の住職も昔その寺の横を川が流れていたことを言っていた。(本人私より若いから先代もしくはその先代に聞いたことだろう)

 このあたりも迷路だ。何せ東海道線の西は、昔は閑散としていたけど、その昔はとにかく畑や田んぼが広がっていたから、その畔道がそのまま道になったということなのかな?
 小学校の南の公園にでくわした。この公園には石碑が建っている。出征兵士を送りだした記念のようだ。その送りだした兵士のどのくらいが帰還できたのだろう?私の肉親は、いまだに帰還していないのだが。。。。

 小学校の横を北に上がっていく。「椿神社」に行きついた。この道を右に曲がれば寝小屋駅の太閤口に行きつく。

 と、その前に、この椿神社に入り込んだ。

 この辺りは、昔は闇市でごった返していたところではないかと思う。今でこそ名駅・太閤口という名前で知られているが、新幹線ができるまでは、「駅西」と言って結構こわがられた土地と記憶している。その中心に「椿神社」があったというあいまいな記憶。ご近所方申し訳ないけど、そういったことを私は昔は吹きこまれていたのです。

 なんとなく昔はもっと大きく立派な神社だったと思っていたのだけど、今はだれも音連れる人もいないのか、荒れてるなぁ。。。。
 
 ここでも、狛犬の写真を載せておきます。

 

 

 さて、この椿神社の東の道が笈瀬通りのようだ。そちらに出ようと鳥居を見たら、なんとなんとまぁ今になってこんな言葉「皇紀」を見つけるとは。戦争のさなかのものらしい。

 この日の歩きは、戦争で焼けなかったらしい地区のいろんなものを見た気がした。古い家並み、そして、お寺、神社、祠。焼けていたら残っていなかったかもしれない。
 ただ、京都のような繁華街が焼けなかったのとは様子が違う。京都に言う町屋的な家がないのだ。
 この地区の少し西には昔、遊郭があったところだ。遊郭は繁華街から離れたところが多い。つまり、今回の歩いたとこは、江戸期の繁華街ではなく・・・・・ といったところかなぁ?
 郷土歴史家ではない私には、論評できるはずもなく。

 つが気神社を後に、名駅に向かって歩き、名鉄のホテルを過ぎて、左に入ってカメラを物色して、そして地下に降りて、地下鉄に。
 この日の歩きは終わった。1時間20分の歩きだった。

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