2012年07月09日

ナナちゃんかわいそう

昨日だったかな?新聞にも出てたナナちゃんのお着替え。
名鉄以外の宣伝用の第2弾だと思うけど、愛知トヨタの77周年記念セールの宣伝らしい。。


 しかし、この法被、ものすごくセンス悪い。法被の下に書かれている人間のかたちはナナちゃんらしいが、どう見ても裸だよ。最初見たとき『なんだこれ?』って思ったもん。

 まぁ、愛知トヨタってあんまりセンスのいい宣伝見たことないからなぁ。。。広告会社が悪いのか、愛知トヨタの企画がセンスないのか?
 もう少しましなもの着せてやってほしいなぁ。  
タグ :ナナちゃん

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2012年02月24日

柳原橋から尾頭橋そして金山

 今日は、熱かったなぁ。。。。昼飯に昨日作ったカレーライスをしこたま実家で食べたんで、腹ごなししないととんでもないことになりそうなので、暖かいことをいいことに実家から金山までを歩くことにした。

 生まれた広見学区、それも母校の広見小学校の横を通って柳原橋に。ここから南を見渡したら、おぉ。。なんやら道が広くなっている。かなり長い間この道をまっすぐ歩いていない。その間に変わったのだろうよ。興味をもったので五女子までまっすぐ歩いてみた。


 これは、五女子側から柳原橋を向いて(北向き)に撮ったもの。この通りは昔はこの何分の一の狭さだったろうか。そういえば、ここの辺りで自転車事故を起こしたことがあったなぁ。肉離れを起こして夜中大変だったんだ。小学校の3年生くらいだったかな?


 そんなこと思い出しながら南に歩いて行ったら、ん???この道に突然道幅が狭くなる表示が。写真の左にある黄色い看板がそれです。なんで?なんで狭くなるの?


 先に進んだら五女子の信号交差点の手前で道路の一部がまだ解放されていない。なんと工事もしていないのだ。その部分はこの前にある医院の駐車場になったまま。この医院何考えてんだ?そりゃぁ駐車場がなくなったら困るかもしれないが、自分とこだけそのまま残していたら多くの住民が困るだろ?医師としてあんまり受けはよくなくなると思うよ。車くらいなんとでもなるだろうに。

 信号交差点を左折して尾頭橋、金山に向かう。
 この通りは、昔は市電が通っていた。尾頭橋から下之一色まで行っていた。長良橋から先は、田園の中をとことこ走ったものだ。もう何十年の前の話ね。
 新幹線のガードの手前でへぇ?と思うものを見つけた。『津島街道一里塚』と書かれた石碑だ。ん?この通りは、昔の保健所のところ(長良橋の東)には「佐屋街道』という石碑があったように思うけど。津島も佐屋も同じ方向だけど、街道の名前が異なるとは。。。。。どこかで別れるんだろうけどねぇ。
 

 上が新幹線、向こうは東臨港線かな?このガードのおかげで道路が狭くなってんだよね。さっきの通せんぼとは意味が違うけど、何とか広がらないんだなろうか?

 ガードを通り越して少し行くと信号のところに交番がある。この交番から北(写真左側)が昔の八幡遊郭=八幡園。今はひっそりとしているけど、大昔は夜ともなると大変だったんだよねぇ。一度だけホタル狩りというイベントの時にこの近くの出身の親父に連れられて行ったことがあるけど、その時はまだ赤線がある時代で、客引きがうるさかったなぁ。。。


 交番の先をそのまま東にしばらく行くと尾頭橋の交差点になる。ここが昔の市電の始発および終点。下之一色に行くには、この尾頭橋で市電を乗り換えねばならなかった。電車の構造が違ったりしていたんだ。パンタブラフがね、市内の多くの市電と下之一色線の電車は違ってたんだよね。まぁ後には下之一色線のパンタ方式に統一されたけど。


 交差点のある江川線の上は都市高速が走ってしまって何やら重苦しい街になったなぁと思ったものです。

 交差点を渡ってさらに東進。だんだん登りになる。江川線は元は川だったらしくて低いところだけど、堀川までも上るけど、それよりも東はさらに上り、名古屋の中心部の一番高い台地の部分だ。江川線は津波が来たら水につかると思うけど、そんな津波が来たら東に逃げることだなって、実家に来る時は思っているけど、いざとなるとどうなることやら。


 堀川は何やら工事をしている。堀川の半分に道のようなものを作って、なにしてんだろ?中川運河でも小栗橋と猿子橋の間に道ができている。これは下水処理場の作業用車両を通すためのものだけど、この堀川は何のためいしているんだろ?

 堀川を超えて上りがきつくなる。それを登りきったかなと思ったところに何やら不思議なものが、門扉があるからふつうの家に見えるけど、どうも奥の方には小さいけれど祠がある。中に入れそうだけど遠慮した。それにしても何?(興味があるなら見て来いってかなぁ?)

 もうこの先は19号線だ。信号待ちして、青で渡る。もう金山ね。実家を出たのが2時ジャスト、金山駅に着いたのが2時40分。ざっと歩いてきたけど、今日はほとんど直線コースだったなぁ。
 柳原橋からまっすぐ南に『津島街道』まで来て、それを左折して金山駅までまっすぐ。近道もあるけど、たまにはこうして昔馴染みの道を歩くのいいもの。いくつかの思い出を引きずりなら。  

Posted by 生田 at 18:15Comments(0)TrackBack(0)名古屋を歩く

2012年02月18日

納屋橋

 確定申告をしに行くために実家から電気文化会館までを歩いた。どこを歩こうか迷ったが、気になるものを確認したいと広小路通りを通るように向かった。そして目指すは堀川の『広小路通り』にかかる『納屋橋だ。


これは堀川の西岸、鳥久のあたり。


 なぜこれが気になるか?
 日曜日の夜のドラマ『運命の人』で、弓成亮太(本木雅弘)と三木昭子(真木よう子)が雨の中で橋の上を歩いているシーンが2回ほど出てきた。そのシーンを見ていてなんとなく『納屋橋』かいなぁ・・・なんて思ったのだ。

 撮ってきた写真が下



 念のためにネットで『ロケ地』を検索したら、チャンと『納屋橋』と紹介されていた。そのサイトは、こちら
 運命の人のロケ地が紹介されているけど、いくつか名古屋が。。。(市役所や長者町など) それだけ古い町なんだって、再認識したよ。名古屋は、いいところだ。  

Posted by 生田 at 09:10Comments(2)TrackBack(0)名古屋を歩く

2011年12月27日

ナナちゃんかわいそう

今日は久しぶりに名駅を歩いた
ヤマダの前にナナちゃんが立つことになってしまって。
ナナちゃんかわいそうだよ
ヤマダが来てから
ろくなもの着せてもらっていない

いずれ晴れ着を着せてもらえるのかもしれないけど
かなり長い間 まとものなものではなく
ドラのユニフォームに似た薄着で
昨日は寒かっただろうなぁ。。。

  
タグ :ナナちゃん

Posted by 生田 at 17:24Comments(2)TrackBack(0)名古屋を歩く

2011年12月18日

名古屋を歩く 中区伊勢山の神明社

 久々の『名古屋を歩く』です。

 先週の木曜日に所用で地下鉄の東別院で下車して、取引先に行きましたが、その道すがら神社を見つけてショット。前から車で通るので気にはしていたのですが、いつもは急いでいるから見ることもなかったのですが、この日は歩きなので茎菜用にショットができた。



 ビルの谷間とまでいかないけどま土地としては1っと内に近いところに、こうした神社がまだまだ名古屋にはいくつもある。しかし、多くの人が見向きもしないんだよなぁ。もうじき正月だkら、その時は町の人が来るのだろうか???

 正面を入ると多くの神社に見られる通せんぼ。この左右に狛犬がセットで座っている。

 

 この先の階段の上にご神体があるらしい。階段の上の建物がそれなのだろう。



 建物の真ん中上に額があって『神明社』と書かれているから、多分ご本体だと思う。あんまり体調のいい日でなかったので階段は上がらず、額の写真のみ。

 この階段の下の左右に、ここにも狛犬がセットで座っていた。

 


 おそらくこの神明社は、名前がないことから、昔の村の鎮守さまといったところなのだろうか?どういったいきさつ、由緒があるのかは、考察にも気づかなかった私なので。。。。

 ただ、このや市のの東側には紅い鳥居がいっぱい並んでいた。ここにも注目もせずに、大変失礼をした私です。いずれまたタイ寄ってみるかと思います。  

Posted by 生田 at 15:13Comments(0)TrackBack(0)名古屋を歩く

2011年12月16日

今更の名古屋の紅葉

 先日栄に出かけたとき、オアシスの階段を上がって久屋大通りに出たら、まだ紅い木があった。それをテレビ塔をバックに撮ってきた。
 

 おやまぁ。。。。コンパクトデジカメは液晶が反射して対象仏にフォーカスできなくて、頭が切れてますねぇ。。。

 テレビ塔は、もう本来のお役目を終えてアンテナの撤去をしているところらしい。何やらテレビ塔自身の撤去も云々されているが、日のんの本格的なテレビ塔の最初のものだけに、何とか残してやりたいものですね。(ただ、耐震設計は大丈夫なんだろうか?という心配はありますが)  

Posted by 生田 at 17:08Comments(0)TrackBack(0)名古屋を歩く

2011年11月29日

ナナちゃん イメチェン?

 昨日名鉄ヤング館後のYAMADA LABIに行ってきたけど、大したことはなかったと書いた。昨日は実家への移動日でその前を通ったのだが、昔からこの建物の前にはナナちゃんがたっているので当然のごとくそこを通る。


 彼女はYAMADAの法被を着て宣伝モード。何かイメージが違うね。法被を着て何かする宣伝は泥臭さが付きまとうけど、彼女の法被はそれ場ない。つまり、イメージが合わないということ。センスのいい法被を着せてやれ!!  
タグ :ナナちゃん

Posted by 生田 at 09:05Comments(0)TrackBack(0)名古屋を歩く

2011年11月05日

ささしまライブオーバーパスからの景色

 昨日は、実家からの帰りにあの夏日の炎天下を歩いて名古屋駅に行った。通ったのはささしまライブのオーバーパス。
 
 このオーバーパスは、自転車が通ることができない。中川区側から自転車を押して上に上がっても、中村区側では自転車は降りる坂がない。それにエレベータは使うなということだから、ようは自転車は通れないということ。ということで利用者は歩きだけということで本当に利用者がいない。馬鹿みたい。
 いずれアンダーパスを通すので、そこには自転車道を作るのだろうが、それまではオーバーパスの利用率はものすごく低いものになる。ホント馬鹿みたい。政治家たち知ってんのか???

 で、そのオーバーパスを歩いていて、前回撮るのを忘れた周りの景色を撮ってきた。


オーバーパス何中辺りから東を見ている
ちょうど新幹線が名古屋駅に向かっている


これも真ん中あたりから西・米野の陸橋方面を見ている
これまではこうした景色は見えなかった。
  

Posted by 生田 at 12:36Comments(0)TrackBack(0)名古屋を歩く

2011年10月18日

久々の闇之森八幡

 昨日は、久々に実家から金山に向けて50分かけて歩いた。コースは西日置橋から山王通りへ出て江川線を南下して降る渡り橋で堀川を渡り、東に坂を上る。
 降る渡り橋を渡って坂を登っていくと右側が昔ちょいと荒れていた伊勢山中学校、そしてその道路反対側に闇之森八幡社がある。ここは過去何度も通っているし、昔蒸庫夫婦が近くに住んでいたこともあり、孫の幼児のころの遊び場でもあったことから数回訪れている。
 最近はよく歩くのでその歩くコースの一つにもなっているかのようにこれで歩くときには3度目の参詣だ。


 この森は、八幡社である。八幡社と言えば源氏の誰かをまつるもしくは何かの縁のある神社ということ。この八幡社もそれにたがわず、弓で名をはせた『鎮西八郎為朝』ゆかりの神社で、人は左奥には為朝の鎧塚なるものもある。


 この話は前にも書いたけど、この社の由来として知ったことは、全国の鬼頭さんの発祥の地ということで、鬼頭さんというのは源氏の流れだそうです。尾頭というのもその流れだそうで、とにかく鬼頭さんは一度はここに行ってみるといいかもしれません。確か宮司さんも。。。。。


 社に入って正面左に池があって小さい祠が、それの右側から撮ったのが上の写真。噴水が勢いよく水を吐き出してました。くらいとことろの池に空が反射して写真としてはこの先紅葉するといいかもなぁ。。(またコヨウ・ダジャレか??そんなつもりはない)

 池の近くに右の塚があるのだけど、詩が書かれているようなのだが判読できない。濃淡がはっきりしないのと、この手の文字は苦手とする私で、たとえコントラストがあっても判読できんだろうなぁ。。。ただ、最後は『闇之森』と書かれているようだけど。

 帰りに道路から見たら左の石柱を見つけた。「名古屋十名所」って書いてある。ほかはなんだ堂と疑問に思うのでいつか覚えていたら調べて見るかなぁ?なんでも教育委員会の建てた高札には昔心中事件があってそれが浄瑠璃になって有名になったとあるけど。。。曽根埼心中の紛いものか?
 この社は非常に静かなところで子供が遊ぶにはいいところ。カード勝負をする子供が数人たむろしていた。**カード勝負?今はなんというのか分からないが、私の子供のころは“ショウヤ”といっていた。関東では“メンコ”というのかな?そんな感じの遊びをしているようだ。くれぐれも喧嘩しないようにな。
   

Posted by 生田 at 09:33Comments(0)TrackBack(0)名古屋を歩く

2011年09月09日

笹島ライブのオーバーパス

 今日は、めまいが完全に治っていないし、まだ画像が2重に見えるけど、そんなの気にしていたら歩けなくなるので出来るだけ歩こうと、行きも帰りも歩いた。今日は行き帰りで歩いたのは1時間半くらいになる。

 その帰りに先月末に出来上がったささしまライブの駅側から中村区の牧野町に抜けるオーバーパス(跨線橋です)を歩いてみた。何せ炎天下に歩いたし、目がちょっとうつろで、周りの写真を撮ることを完全に忘れている。撮ったのはオーバーパスの中だけ。。。 自分自身でなに考えたんだって言いたくなる。でもそれでよかったのかも。めまいに加えて高所恐怖症が出てきたら途中で歩けなくなるかもしれないから。


ささしまライブ駅側(中川区側)から中村区側を見たところ
人っこ人いません


中村区側からささしまライブ駅側(中川区側)を見たところ


中川区側からライブ駅とオーバーパスを見ています。
  

Posted by 生田 at 19:48Comments(0)TrackBack(0)名古屋を歩く

2011年06月10日

ナナちゃん メタボ克服

今朝笹島を通ったら
ナナちゃんがまた着替えていた。

先日はメタボで
おなかが膨らんでいたけど
きょうは
ユニフォーム

メタボを克服したらしい


  

Posted by 生田 at 18:51Comments(0)TrackBack(0)名古屋を歩く

2011年06月03日

見向きもされないオブジェ 


 写真は、東別院交差点のメーテレの前にあるオブジェといわれるもの。通り過ぎていく人誰もが目を向けない憐れなオブジェである。
 一見震災でできたがれきをもってきたように見えなくもない。作者が誰だから知らないが、名古屋市はこんなものに大枚をはたいたのだろうか?そしてそれを誰も問題にしていないような。。。。。

 名古屋はかなり前に『でサイン博』を開催した。その時の行政がなにをおバカなことを考えたのか、”デザイン”と“アート”を同じレベルで考えて、デザイン都市だから街中にアートがあるべきと考えたらしい。
 アートを置くのは構わないが、わけのわからないオブジェはアートと呼ぶにはかなりきついものがたくさんある。

 いずれ歩きながら見つけたものをショットしてあげてみようななんて思うようになった。シリーズに出きればいいけど。  

Posted by 生田 at 16:42Comments(0)TrackBack(0)名古屋を歩く

2011年02月25日

市農業センター ベゴニア2

名古屋市農業センターのベゴニアを
コンパクトデジカメで撮ったもの。











  

Posted by 生田 at 09:12Comments(0)TrackBack(0)名古屋を歩く

2011年02月24日

市農業センター ベゴニア

 しだれ梅を見たついでに、ベゴニアガーデンを見た。 外よりかなり暖かく湿っているので、レンズが曇ってしまって困ったよぉ。
 そして、最後の写真は、花の名前が??















これは、ベゴニアガーデンではなく売店への階段の横に。
  

Posted by 生田 at 17:52Comments(0)TrackBack(0)名古屋を歩く

2011年02月24日

  
2015大津・京都の旅
1泊2日のドライブ旅行
2015北海道・道東の旅
1週間870kmのドライブ旅行
大学OB会と
50年ぶりの鎌倉
OB会の後に鎌倉と横浜に行ってきました
15年年頭 広島宿泊の旅
鞆の浦、竹原、宮島に行きました
14年秋 京都宿泊の旅
久しぶりに新幹線に乗りましたが・・・
13年秋 京都ドライブ旅
京都の紅葉の名所・毘沙門堂に行きました
12年秋 室生寺ドライブ旅
すてきな観音様と再会です
室生寺五重塔
12年秋 京都ドライブ旅
1年ぶりの京都です
三千院
10年秋 平泉ドライブ旅
4泊5日 2000キロの一人旅です
平泉・わんこそば
   
10年夏 室生寺 日帰り旅
素晴らしい観音さんに出会いました
室生寺・五重塔
10年初夏 宇治・長岡 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに黄檗山満福寺・六地蔵・法界寺谷寺・長岡天神
布袋さん
09年秋京都 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに 紅葉がきれいな京都
南禅寺の紅葉
08年秋京都 日帰り旅
08年11月25日貧乏・一人・日帰り旅の記録です。
鳳凰堂を望む
観光シーズン 京都の歩き方
京都市・地下鉄 東西線沿線
09年浅草と川越
浅草観音
07年信州の旅
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生田
生田
 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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