2010年01月04日

名古屋を歩く 中川運河・中川橋 その1

 今日は、実家で昼飯を食べて、しばらくしてから、なんとなく外に出たくなったので、港のほうに、以前からいってみたいと思っていた、稲永駅のカインズなどのある商業施設に。
 バスで行けるところなのでバスでと思ったら1時間に1本。そのバスに乗るには時間が足りない。。。。泣く泣くやり過ごして、バスではなくて「あおなみ線」で行くことに。
 あおなみ線、結構乗客がいたよ。荒子川公園までそれなりの人が乗っていた。それにしてもこの沿線は便利になったのですね。昔地下鉄もなく、もちろんあおなみ線もなくバスだけ、大昔は市電の一色線(尾頭橋から下の一色大橋まで)に乗ってとことこ。周りは田んぼばっかりだったよ。
 それが、西には地下鉄が、東にはあおなみ線が、沿線の住宅は本当に楽になったと思う。おそらく10年もしたらもっともっと発展しているかと思う。

 稲永駅で下車して、いくつかの商業施設を回った。中身を知らなかったので、ショッピングモールがあるといいのになぁと思ったけど、AEON港が隣の駅になるから無理かぁ。。と気づいた。
 カインズは、でかいわぁ。だけどここのレジセルフのレジがないんだよ。だからちょっとした買い物でも並ばねばならないんだよな。これも残念。

 カインズで30分くらい時間をつぶして、この後どうしようかと。。。バス停に行って時刻表を見たら結構バスは来るなぁ・・・・ と思ったものの、えいこの際、中川橋を見に行こうと歩き始めたのだ。どのくらいかかるか、これまでこの辺りは車でしか来たことがない。土地勘はあるものの距離間が全く。。。。。まぁ、今日は暇だからいいかって。

 歩いていても写真を撮るほどのものも見つからず、やっと中川橋が見えたと思ったところで、どこから写真を撮ったらいいものか。橋の西側の港側の防潮堤の横に細い道があったのでそこを港の方に歩いていった。
 あれ、突き当たりだ・・・と思ったもののかまわず突き当たりまで来て、横を見たら港にいける。ここで北を向いて中川橋をとろうとカメラを出したら、うわぁ。。。。ウミウの大群だぁ。。

 
 偶然のこととはいえ、とにかく数が多いのにびっくり、予定していなかっただけに、追っかけて撮っては見たもののいまいちなのばかりだ。じっくり撮るとおもしろいものができそうな気がするけど。
 上の写真も左の写真も黒い点みたいなのがウミウです。


 写真を撮り終えて、元来た道を引っかえす。

  

Posted by 生田 at 18:04Comments(0)TrackBack(0)名古屋を歩く

2009年12月10日

名古屋を歩く 洲崎橋~白川公園~栄 その2

 若宮大通りの北を東進、若宮伏見の交差点を渡って、白川公園に入る。

写真は交差点からはいってすぐ東にある銅像越しに美術館を見ています。

 球技をする若者を横に見て、美術館に向かってグランドを歩いていく。左に太鼓(海の向こうの)をたたく若者がいる。そして美術館の前でもう一枚。

 公園の色はこんなものなのかなぁ?紅いのがなくて寂しいです。

 美術館の前を通り過ぎ白川通りを東に進み、本町通りで北にあがって、三蔵通りを東に。最近ここは歩いたことがないので、お上りさん状態できょろきょろしながらプリンセス通りまで。
 プリンセスで北に向いて、このあたりの裏道、昔お好み焼きを食べに連れて行ってもらったあたりをうろうろして、NOVAの中を通って大津通に出た。
 栄の交差点を三越側に渡り、久屋大通りを北に、そして噴水のところに渡る。
 噴水で写真を撮るなんて、生まれてこの方したことがないと思うけど・・・・お上りさんですなぁ。。ここでテレビ塔を向いて一枚。

 この後オアシスに向かう。いつもは地下からいくのだが、今日は地上から入ってみた。
 こんなショットは絵はがき状態でおもしろくないなぁと自分でも思うけど・・・

 オアシスの中にあるバスターミナルに初めて足を入れた。すごくきれいですね。名古屋駅のバスターミナルのあの薄汚れたものとは大違いです。市バスだけではなく、名鉄や三交バスも出ているとは。。。
 バスターミナルで、自宅に帰る方向のバスがあったら乗ろうかと思ったけど、名大前しかなく、それも時間待ちが長いのであきらめた、いずれまた。

 ということで、地下鉄で帰らねばならないから、下に降りる。先日きたときのように、冷たくない一見アイススケートを楽しんでいる子供たちがいるが、平日の3時台ということで閑散としている。

  

Posted by 生田 at 09:15Comments(2)TrackBack(0)名古屋を歩く

2009年12月09日

名古屋を歩く 洲崎橋~白川公園~栄 その1

 今日は本当は実家に行く予定をしていなかったけど、明日は雨になりそうなので、今日のうちに歩いていこうと出かけて。
 行く時は、上前津で地下鉄を下車して実家まで歩いた。地上に上がったらすぐバスが見えて。乗ろうかという誘惑に負けそうになるのを我慢して、10分くらいでいけるところを30分近くかけて歩いた。もうこれだけでも結構お腹はすく。

 昼のお弁当を食べて、ちょっと難しいことを考えていたけど、なんとか解決のめどがついたので、歩こうと2時に実家を出発。
途中お客さんのところにお届けものをするので中川運河を渡ったところで、右手に母校の小学校の前の小公園の銀杏がどうなったかなと寄り道。
 写真の後ろに見えるのが暴行「広見小学校」です。私たちのころはひとクラス50人くらいの3クラスだったかなぁ。。。今は1学年でひとクラス作るのがやっとらしい。少子化の問題だけでなく過疎化している学区です。

 お客さんのところにお届けものを置いて、六反を経由して水主町に。

 新海苔が発売になっているので過去町の海苔屋さん「駒屋」で新海苔を求める。そして、いく先を白川公園に定めて歩き始めた。駒屋のすぐ北に昔から(昭和10年架橋とあった)の橋がある。現在は少し北に新洲崎橋がメインで上を高速道路が通っている若宮大通りだが、その端ができるまでは、この洲崎橋を往来することが当たり前だった。今日は渡る人とも少ないようだ。

 橋を渡り若宮大通りに出る。北を通ろうか南を通ろうかちょっと迷ったが、イチョウの色を見てまず南を東進して、次の信号できたに渡った。
 左の写真は、西行きの高速の白川入り口の下あたりになる場所です。右は東行き出口のところです。


  

Posted by 生田 at 17:53Comments(2)TrackBack(0)名古屋を歩く

2009年12月04日

松重閘門と闇之森八幡社

 今日は、イオンに落し物を取りに行かねばならない。ところが実家からイオンに置くのは結構不便なのである。バスと地下鉄を乗り継いでいくとしても少なくとも30分から40分かかってしまう。
 ならばこの際また歩こうとばかりに、3時20分に実家を出て産能の南北橋(閘門のところ)から闇之森八幡社を通って金山に出て、金山から線路に沿ってイオンまで。ざっと50分弱のてくてく旅だった。





 南北橋を渡ってラブホの裏手、堀川沿いを山王橋へ行き、ここで東に折れて、裏道を南に折れる。この道をまっすぐ進むと八幡社の裏西に出る。八幡社の裏手でイチョウがきれいに色づいていた。



 中に入ると散ったイチョウがジュウタンを作っていた。

そして池では赤と黄色の取り合わせ
  

Posted by 生田 at 22:02Comments(2)TrackBack(0)名古屋を歩く

2009年11月25日

名古屋を歩く 鶴舞公園 その3




 久しぶりに来た鶴舞公園である。もういろんなものの記憶が遠くなっている。

 音楽堂の東南に池があることは思えていたので、そちらに足を向ける。池の周りが紅葉している。一部は一昨日掲載した。
 掲載した以外に何枚か撮っているので、また載せることに。
  

 風邪が少しあったのが残念。風邪がなければ池に映る効用がもっときれいだったろうと思う。
 数年前、もう10年近く前になるかな?まだヤカンのライトアップがそんなにないころ、京都高台寺のライトアップを初めて見た。そのときは全く風邪もなく夜の闇の中に本物の紅葉と、池に映る紅葉が幻想的で、池の中に吸い込まれていきそうなものも見ている。それに比べるのはちょっと気が引けるが鶴舞公園もライトアップしたら、もっと市民が集まるのではないかとも思うけど。



 これなどは風がたまたま収まったときの偶然のショット。

 この写真を撮っているとき、すぐ近くに私と同じ位か上の男女がでっかい一眼レフのカメラを持って同じところを撮っていた。私は馬鹿チョンのデジカメ。お二人にちらっと横目で見られて・・・・(感化悲しい・・ウソだよ。カメラじゃぁおまへん。撮ったものを後どう処理するでごさざんす。荒間、関西弁と江戸弁がゴチャで・・・)

 どの位いいたのかな?公園に入って、もう30分以上立っていると思う。そろそろ歩いていかないと・・・

 池を離れて東に向かう。木立の中を歩くと、また池があるのだが。ん??なんか昔と違うよ、ボートは乗れなくなったの??


 この写真の背景、左後方には名古屋大学病院がでっかい顔して立ってます。

**次回は、八幡山古墳から御器所です。  

Posted by 生田 at 17:14Comments(3)TrackBack(0)名古屋を歩く

2009年11月25日

名古屋を歩く 鶴舞公園 その2




 公会堂の右手に向かう。ここははるは桜が咲き、多くの花見客でごった返したところ。瑞穂公園や山崎側に比べると通路が広いのでそんなに混雑の印象はなかったが、交通の便から行くと絶対数が多かったように思う。しかし、今見る桜の木は、紅くなっていてもいいと持ったけど、色が悪いなぁ。。。もう散ったのだろうか?

 何とも色の悪い桜の木の下には、時間つぶしのお年を召した男女が何人か・・・・いずれ我が身と思ってみる。

 この南側(右手)に花壇がもうけられている。そちらにあがると、あぁ久々のコスモスだ。(トップの写真)。数年前まで我が家の近くの空き地にはいっぱい咲いていたコスモスが、今は全く見ることが出来ない。どうしてしまったのだろう、などと思ったりもする。家の近くにないから、本当に久しぶりなのだ。

 そして、ん??ななんやら大きな折り鶴がおいてあるよ。奥のはいいけどさぁ。何ともレイアウトが中途半端で花壇の花たちと全くマッチしてないんだよね。もう少しセンスよく配置できなかったのだろうか?わからんなぁ。。。

 その花壇の前方南には、音楽堂がある。そちらに足を運ぶ。
 高校の頃、音痴の割には何かをしたくてグリークラブに入っていた。公会堂での何かの大会の前に、この音楽堂の上で音あわせをしたものだが、一時なくなっていたと聞いたけど記憶違いかな?今日見る音楽堂はきれいに修復されているけど立ち入り禁止だって。


 これだけを見ていると何となく日本ではなく、外国にいるような錯覚にもなる。音楽堂を一回りして、池に向かった。


**次回は 鶴舞公園 その3 です。  

Posted by 生田 at 13:21Comments(0)TrackBack(0)名古屋を歩く

2009年11月24日

名古屋を歩く 鶴舞公園 その1



 鶴舞公園に入るのは何年ぶり、いやもう10年以上入ってないと思う。下手すれば20年になるかもしれない。
 交番の左を通って、中央線のガードをくぐって、中に入る。左手に公会堂が見える。ずいぶんきれいになったなぁ。一時かなりくすんでいる塔に思ったけど。


 広い通路かな?正面に黄色く色付いた木があるが、なんだか分からない。近くに行かないし、植物の名前に弱い私だし。。。

 歩きを右に変え公園の中央を東に向かう。この記事のトップの写真の噴水塔が見える。これもきれいに整備されましたね。何でも公園の100周年記念という話を聞いたけど、私の生まれる30数年前の話なんて知らないし。
 まぁとにかく、運河橋、岩井橋、記念橋と3本の河川に架かる橋はみんなこの博覧会の時に出来たもので、それと鶴舞公園は同じなのだろう。同じようなデザインだからなぁ。

 昔は、ここには休日と言えばかなり家族連れで賑わっていたと思う。今日は、家族連れ?ほとんどと言っていい位見ないよ。子供の姿が本当に少ない。どうしてこんな事になってしまったのだろう。?

 広い広い通路にトラックがゆっくり動いている。通路に広がっている何かのイベントの残骸を片付けているようだ。昨日イベントがあったんだろうなぁ。。。今日はイベントはない。休日の昼下がり。なのに人が少ない。みんなどこに行ったのだ? ツバメよっぉ教えておくれ といっても、この寒さで初場面なんていないしなぁ。。。。

 噴水塔にあがってみることにした。右側の階段から上がると、二人の小学校位の女の子が水浴びをしている。冷たいだろうに、さすが中には入らなかったよ。
 風が少しあって、噴水の上部から噴き出している水の細かいしぶきがかかる。夏ならば喜ぶところだが、この時期はごめん被るよ。



 階段を降りて公会堂の正面に向かう。
 懐かしいです。学生時代には、ここの3階だったかなぁ。。ホールでダンスパーティーがあって、冬休みに帰ってきて、大学の他の彼女性と踊りに行って、いつも大学で踊っていたステップをしたら珍しかったのか周りに輪が出来てしまった。そんなのを思い出した。
 
 ここで見ていたら、目の前でイベントの残会を片付けている若い女性がいた。『何かイベント有ったの?』と聞いたら、「工大祭」があったんだって。お隣の名工大の恒例のイベントです。いいねぇ、こんなところで大学祭が出来るなんて。でも普通大学祭は学内でするんだよなぁ。。ん?名大も外でしてたってっけ?

 次回は、鶴舞公園その2  

Posted by 生田 at 20:04Comments(2)TrackBack(0)名古屋を歩く

2009年11月13日

名駅のイルミネーション

 今日は、帰りを遅くして名駅のイルミネーションを見てきた。
 5時の点灯直後からワンクール見てきました。

 たくさんの人がずら~~~と並んでみてましたよ。



たくさん撮ってきた割にはほとんどが手ぶれ。手ぶれしないカメラなのにぃ・・・・

又今度取り直しです。  

Posted by 生田 at 20:53Comments(2)TrackBack(0)名古屋を歩く

2009年10月23日

長良(四女子)の八剣社

 今日は所要で中川区役所所へ。
 所要を済ませてから、どうやって実家に行こうかと思案、何せ余り交通の便がよくない。地下鉄に乗れば名古屋駅だし、あら子からあおなみ線に乗ると笹島ライブ。どっちにしても結構時間がかかるから、えいやぁ歩けとばかりに歩き出した。昔、子供のころに松葉公園まで遊びに行ったことを思い出して、そんなには時間かかるまい、せいぜい45分くらいと思ったのだ。これが運のつき。自宅にたどり着くまでになんと50分を要してしまった。

 その途中には、いくつか神社やお寺があってもいいかと思ったけど、歩いたところにはなかなか見当たらない。そうだよなぁ、このあたりは昔は畑だったかなぁ。尾頭橋から下之一色まで市電が走っていたことは、見晴らしのいい土地だったように思う。ということは何も無かったのだろう。
 ふと、東に木立が見えたので何かあるだろうと木立のほうへ。そこで見つけたのが八剣社。秋祭りが終わったのだろうか、そんな張り紙があった。


 おそらくそれなりのいわれがあるのだろうが、いわれの書かれたものが見つからない。これかなぁ と思うものがあったが、どうも銅版もしくは青銅製なのか、このすぐ横を通る環状線などの車の排気ガスによる酸性雨などで完全に読めなくなっている。ご先祖さんが見たら、空気の汚れを嘆くだろうなぁ。。。などと思ったりもする。
 
 境内には、たくさんの気がある。かなり高く伸びているから、結構昔からこの神社はあるのだろうと想像させられる。
 多くがクスノキのようで、名古屋市の指定の杭がある。名古屋の神社には楠木が多いのだが、これには何かいわれがあるのだろうか?このあたりは私はまったく理解していない不心得ものかな?勉強しなくては。


 本殿の右には、少し小さい白山神社があった。これも私は不思議なことで、どうして、神社は、すく数の社があるのだろう?これもいずれ調べてみるかとは思うけど。。。。(忘れてしまいそうだな)

 50分の中川区の旅。昔を懐かしむことができるかと思ったのだが。残念ながら、今は昔、完全に風景は変わっている。昔の畑はもうほとんど無く、家がいっぱい建ってしまっている。
、  

Posted by 生田 at 13:31Comments(0)TrackBack(0)名古屋を歩く

2009年10月13日

米野 陸橋を歩く その2

 橋を北に向かって歩き始める。時折自転車やオートバイがすれ違っていくが、その数は知れたもの、ほとんど私一人と言ってもいい位だ。

 この通りである。アーチの下に2人いるかな?記憶では。
 写真手前のアーチでないところの下も列車が動くところで線路はあるが、本来は貨物用の線路だったはずで今ではあまり動きはないようだ。右から左に気動車の通る音。右は過ぎたので左を見ると、何も引いていない気動車が西に向かって走っている。
 鉄道マニアなら足を運んでもようさそうなところだけどなぁ。。。




 右手名駅を臨むと笹島の捜査上はこんなにも広いのだと実感させられる。ここがこのままでいいのかなぁ??


 関西線か、あおなみ線と思う電車が走る横に、私にはなんだか分からない車両が止まっている。気動車のようで、動きもしないのにディーゼルの廃棄の煙を出している。 ひょっとしたら、先日来山王の踏切の話に出てきた資材を運んでいるやつだろうか?


  この写真はくだんの資材?運びの気動車の横を、どうも型式から行くと関西線と思う電車が走っていく。何せ鉄道のことは孫にか息子に聞かないと分からない私ですので、どうも不案内で。


整備工場

  

Posted by 生田 at 09:42Comments(0)TrackBack(0)名古屋を歩く

2009年10月12日

ささしまライブ、米野駅近辺の未来

 米野の陸橋は、正式には何というのかは知らない。子供の頃から『米野の陸橋』と呼んでいた。今は老朽化で来る歯通れないが、昔は結構車の往来があったと記憶している。目下『当分の間車両通行止』と書かれているが、もう車両が通ることはないだろう。
 理由は、現在ささしまライブ駅の下を通る道路が建設中で、これが完成すれば必要なくなるから。新しい道路は中川区の運河通から中村区の太閤通(広小路の延長)まで整備されることになっている。実は、今日歩いてきた道がそれのようなのだ。このどうろができると、JR、新幹線、名鉄の効果の西側がかなり違った環境になる。
 これまで名駅太閤口(通称駅西)から南に下ることは笹島捜査上で行き止まりで、米野の跨線橋を越えるか、黄金の踏切(現在の黄金陸橋)を越えるか、一旦笹島に出て六反経由で・・・という方法を採らざる絵終えなかった。これがネックだった。新しい道路が出来ると、名駅からそのままなんかして1号線、23号線、稲永埠頭まで一気に行くことも可能になる。

 しかし、こうした道路の建設も現代から未来には必要だろうが、一つ問題を残すことになる。今や無用の長物になっている中川運河だ。中川運河は、笹島という鉄道の貨物駅と、名古屋港という船荷を揚げるところを水路で結んでという、その時代の先端を行くものだったのだろうが、建設完成から80年になろうとしているのだから、時代も違うと言うことで、今では本当にお荷物。

 本来なら、何か別の利用方法を考えてもいいのではないかと思っているが、市も政治家も何も考えていないのではない過渡すら思う。私などは昔から、埋め立ててしまって、もしくは日上げてしまって高速道路にすればよかったのにと思っているのだが。
 船から車に変わったのなら、川を道路にするのも一つの案だっただろうに。今では遅すぎるから、いっそ周りの倉庫群を全部壊して、南北8キロに渡るアミューズメント施設を作ってみてはどうだろうなんて・・・・ 夢の夢だろうなぁ・・・・
 
 ささしまライブの現在と未来は、ここにPDFのパンフがあります。

 名古屋市HPにも記載が
   http://www.city.nagoya.jp/shisei/jigyoukeikaku/machizukuri/sasashima/  

Posted by 生田 at 22:22Comments(0)TrackBack(0)名古屋を歩く

2009年10月12日

米野 陸橋を歩く その1




  今日は、実家の仕事も早く切り上げ出来たので1時半を回ったところで帰ることにした。実家を出て、ささしまライブに向かって歩き始めたのだが、ライブの誘導路に入ってから気が変わって、この際米野陸橋を渡ってみようと思いたった。
 で、ご苦労にも、歩けるかどうか疑心暗鬼の中、西に向かって高速道路の下を歩き始めた。高速の下北側を歩くと、今日はひんやり、南側を歩いたら、日差しが強いから汗をかくことになるから。といいつつ、北側はあれ??遠目で行き止まりになっている。と、次の南に行けるところで南側に出てしまった。(実はこれが間違いだった、私にとってはもう少し先に行ってから南に行けば本当の目的を多することが出来たのに。ざんねん)

 右の写真は、左前方に車が左右に走っている(写真には写っていない)通りがある。これが高速の黄金ランプだ。最初は入り口とは思わなかったのが迂闊だった、これに騙されたのです。
 階段があるけど、本当はこの階段を登るのではなく、昔のように坂をあがっていきたかったのだが、その坂を見つけられなかったのだ。(お馬鹿な私)
 階段しか見えないから、坂はなくなったと思い込んでしまったので、しょうがないから階段を上がった。

 階段を上がってやっと分かった。この階段は昔からあったものではなく、高速を造ったときに出来たようだ。階段を上がって高速の下をくぐったところに左右に坂があるではないか・・・・・唖然。
 この坂は、昔は東にしか向いていなかったはずだが、今は西にも向いている。へぇ???一時、この南にある豊成団地に1年住んでいたけど、こんなんだったっけ?? もう30年近くも昔の話だもんな。
 
  さて、正面北向きには黄色のアーチ橋が見える。鉄道関係はアーチ橋は珍しくないが、名古屋での鉄道関係のアーチ橋は六番町の新幹線のアーチ橋と、この米野の跨線橋くらいではないか(知りません)。後は前に紹介した道路橋のいろは橋。


 写真でおわかりのように、今は車は通ることが出来ない。原付と自転車と人様だけ。『老朽化』という言葉が悲しい。そうだよなぁ。私が小学校の頃、城西病院に夏休みに毎日通った時は、黄金の踏切(当時は踏切だった)を通るのではなく、この陸橋を越えたことが何度あったことか。そのときでも、出来てからかなり立っていただろうか らな。
 
 車が通れないおかげで、安心して、ゆっくりとのんびりと歩くことが出来た。

   

Posted by 生田 at 17:55Comments(2)TrackBack(0)名古屋を歩く

2009年09月25日

どこのビル?

 先週金曜日 名駅前みっどランドに映るビル影

 どこのビルが移っているのやらわからず。

 とにかく撮っておいた  

Posted by 生田 at 14:28Comments(0)TrackBack(0)名古屋を歩く

2009年09月09日

名古屋を歩く JR尾頭橋から尾頭橋

 今日は、実家にいて、3時を過ぎた頃から何となく外に出たくなった。そこで歩いて帰ろうとばかりに、3時半に実家を出た。目指すは、地下鉄の金山駅。3度目である。

 今回は、露橋学区には柳堀橋を渡って入った。ここからは戦争で焼け残って区画整理が進まなかったと言われているところ、だが最近立て替えが進んで昔の主気偈は少ない。。。。いやいや梁後ぼり橋から南に真っ直ぐメインストリート(ここが昔の倍になったとはいうものの、整備が完全に終わっていない)を歩くと、道路東側には、昔ながらの長屋がいくつも残っている。いずれは・・・・

 梅雨はしたいい区間を過ぎた辺りで左折して東に向かう。
 この通りは中日球場(昔のドラの本拠地)の北側の道路だ。昔の私の記憶とはかなり違った場所になってしまっている。
 この道を真っ直ぐ東に行くと踏切があるのだ。この踏切、遮断機が付いているが、降りることあるのだろうか?車は通れない、人が通るだけ、梅雨社の町のヒチをJR尾頭橋に行かせるために踏み切り?


 踏切に入ると・・・写真の線路がある。昔からある臨港線だが、今は全く使われることのない線路。だから踏切無くてもいいのに。写真を見るとおわかりでしょう。線路はさび付いているのです。この線路の延長は、名古屋港の観覧車のあるシートレインです。
 (右側は新幹線です)
 さて、この線路、人を運んでいたのをご存じの方はどの位いるでしょう。人を運んだといっても、毎日運んだわけではないのです。ある特殊な日だけ。
 さっき通ってきた中日球場でドラゴンズの試合のある日、試合が終わると、この線路に煙を吐いた機関車が客車を引っ張ってかなん客の帰りを待っていたのです。そして名古屋駅まで(カナ?乗ったことがないので)人を運んだのです。 もう50年も前の話です。

 踏切を越えてさらに東に行くと高架にぶつかります。JRと名鉄の線路があるのです。そして、線路に沿って万等に歩くとJR尾頭橋駅に行き着きます。
と、ここを歩いていて、紅い幟がたくさんはためいているが目に入った。神社があるようです。
 

つきものに曳かれるかのように足を向けてしまいました。そして見上げた鳥居には写真の額が。

 神社の名前からすると、そんなに古くはないなぁ。。。といった印象でした。鳥居をくぐって左手にあったのが上のお稲荷さんでした。そしてその右には斜視の他心の本殿が。


 南の鳥居が正規の鳥居なのかと思い生ますが、その西側には慰霊碑が。ここにも昔の戦争の爪痕です。戦没者慰霊塔でした。
 この慰霊塔まだ新しく感じたのですが、出来たのは太平洋戦争後でしょう。右には、小さい石柱に「八熊遺族会」と書かれていました。その遺族会の人ももう高齢、訪れる人も少なくなっていくのでは。。

 神社を出て、東に向くとJR尾頭橋駅の正面。たまたま列車が着いたのか、多くの学生が降りてくる。


 さらに線路に沿って江川線に出る。そして江川線を南下。もう尾頭橋の交差点があってもいいと頭の中にある記憶で周囲を見渡すが記憶通りのものがない。信号に来て始めて気づいた、ここが尾頭橋の交差点と。
 

 昔々、江川線には市電がア知り、この尾頭橋からは「一色線」という下の一色までの市電が走っていたのです。市電のターミナル駅、乗換駅としてものすごく繁盛したところなのですが、今はその主気偈が無くなってきています。交差点の上には都市高速が近い内に通ることになってます。

 交差点を渡って東に。ここからは堀川を超えるために上り坂です。堀川のはし、欄干がきれいになってました。

 最後に、尾頭橋から北を見た風景です。正面はJRと名鉄の鉄橋です。


  

Posted by 生田 at 21:30Comments(8)TrackBack(0)名古屋を歩く

2009年09月07日

名残の石畳

 いつも名駅から実家への移動で通る道すがら、時折通る名鉄、JR、新幹線のガードしたで先日石畳が残っているのに気づいた。



 昔は、そう、私の子供のころは運河橋の周辺はこの石畳で覆われていた。
 ヨーロッパなどではたくさん残っているようだし、横浜も結構最近まで残っていたように思うけど、ここ数年いってないのでわからない。
 運河橋の近くが石畳だったことは、まだ戦後トラックが普及していなくて、物の運搬は馬車が主流だった。運河の橋の近くは、のぼりが急になったりして、蹄鉄を打ち込まれた馬が石畳で滑って馬車が後戻りして、民家を壊したりすることも珍しくはなかった。
 車社会になった今は、石畳は乗り心地は悪いし、スリップの原因になるということでほとんどが削られてしまったようだ。
 
 見つけたところは、車も人もあまり通らない名駅の南のとおりと笹島ライブの南、堀留を結ぶ小さいトンネル状のところ。なんか寂しく残されていた。
  

Posted by 生田 at 12:28Comments(4)TrackBack(0)名古屋を歩く
  
2015大津・京都の旅
1泊2日のドライブ旅行
2015北海道・道東の旅
1週間870kmのドライブ旅行
大学OB会と
50年ぶりの鎌倉
OB会の後に鎌倉と横浜に行ってきました
15年年頭 広島宿泊の旅
鞆の浦、竹原、宮島に行きました
14年秋 京都宿泊の旅
久しぶりに新幹線に乗りましたが・・・
13年秋 京都ドライブ旅
京都の紅葉の名所・毘沙門堂に行きました
12年秋 室生寺ドライブ旅
すてきな観音様と再会です
室生寺五重塔
12年秋 京都ドライブ旅
1年ぶりの京都です
三千院
10年秋 平泉ドライブ旅
4泊5日 2000キロの一人旅です
平泉・わんこそば
   
10年夏 室生寺 日帰り旅
素晴らしい観音さんに出会いました
室生寺・五重塔
10年初夏 宇治・長岡 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに黄檗山満福寺・六地蔵・法界寺谷寺・長岡天神
布袋さん
09年秋京都 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに 紅葉がきれいな京都
南禅寺の紅葉
08年秋京都 日帰り旅
08年11月25日貧乏・一人・日帰り旅の記録です。
鳳凰堂を望む
観光シーズン 京都の歩き方
京都市・地下鉄 東西線沿線
09年浅草と川越
浅草観音
07年信州の旅
上田城内
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生田
生田
 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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