2010年10月14日

名古屋の大仏 4 大仏を探して

 連続で書くつもりが、どうしたことか書くのを忘れてしまっていた。頭から完全に消えたのではなく、書かなくてはと思いながら、いざPCの前で記事を書くときには書くという意思が消えてしまっている。
 非常に珍しいことで、これまで旅行などしたときには大体が連続で日が途切れることはなかったと思うのだが。
 こうして書く段になって頭から消えるということは、それだけこの寺と私の縁がないということなのかもしれない。行く前からの期待と、実際に足を踏み入れての印象が全く違っていたからかもしれない。それは何も桃源寺に責任があるわけでもなく、ただただ私の期待という勝手なものがそうさせているのだと思う。しかし、なぜこうも印象が違ったのだろう????

 本堂の右側を見ると『弁天様拝観金1000円』の張り紙がある。まぁ寺に上げてもらって内部をいろいろ見せてもらい、説明を受け、弁天さんを間近に見せてもらえるということなのだろうが、これまで拝観してきた名古屋以外のお寺の拝観料に比べると異常に高い。あの国宝のある、皆さんがあまり起こしにならない京都の法界寺でも500円だったか・・・・・
 私の印象は、1000円はていのいい拝観拒否かなぁ…だった。ということで、拝観はしない。出口の方に進んでいった。薄暗い感じのするところにお堂があって、ん??ここに弁天さんらしき像が見えるよぉ。。。。もっともガラス格子越しなのではっきりは見えないけどあれは紛れもなく弁天さんと思う。ちらっと見せていただいただけで結構でした。

 元来た道を引き返す。本堂の前の青銅製かな?灯篭の写真を撮った。

 
 

 さて、観音さんの前を通って、大仏さんがないなぁとブツブツいいながら帰ろうとした時、目の前に階段が、そしてその階段の降り口左に「名古屋大仏」と書かれたものがある。あれ?来るときには気づかなかったなぁ。目が悪くなったか、注意力が散漫になっているらしい。
 その案内に従って階段を下りていく。

 階段の途中に四角い石に仏さんが彫られているのがいくつかある。これは大仏さんの近くにもあるのだが、・・ なんとなく無造作すぎる置き方が気になるなぁ。。。手入れはどなたが?


  

Posted by 生田 at 13:41Comments(0)TrackBack(0)名古屋を歩く

2010年10月13日

中村区役所と転車台と

 今日は、いつもと同じ時間に実家に行くべく家を出た。そしていつものようにバスに乗り、地下鉄に乗った。ここまではいつもと同じだけど、名駅で降りなかったのだ。ふと、中村区役所から歩いたらどのくらい時間がかかるだろう?と。

 中村区役所に地下鉄できたのは2回目。一度は孫と地下鉄全線乗りつぶしをしようと、丸の内からここまでのって、そのまま降りないで久屋大通まで引き返したのが数年前。
 初めて降りて方向が全く分からない。駅の地図で見たら、ホームは広小路通りの延長の方向を向いているらしい。(ひょっとしたら何十年か先に延長して稲葉地を通り過ぎて庄内川、新川を越してなんてことかな?)
 地上に上がる出口、一番近い左側のやつ。これを上がったら中村区役所の環状線の交差点に出た。環状線を南下して黄金の陸橋を渡るつもり。本当は町の中の路地を歩くべきなんだけど、今日は手始めなので感染を歩くことにした。

 上の写真は、交差点から笹島方面(東方向)を見ている。ねじれビルが何だか異様な格好をしている。本当にあの建物のデザイナーは全方向の景観を考えたのか疑問に思えて。。

 あ女ことが頭をよぎったのを振り払って環状線を南に歩く。排気ガスのひどいこと。いつもは車で通過するだけの通りだけど、こうして歩いてみると私自身がいかに毒を振りまいているかがわかる。

 しばらく行くと左側にかなり広い空き地が広がっている。なんでこんな地価の高いところがこんなに空いているのだ?誰が持ち主?どうもあちこちに張られている名盤というか掲示板というかそういったものには「名古屋市」と書かれているから、名古屋市が何らかの理由で持っているのだろう。非常にもったいない空き地である。

 その時頭に出てきたものは「ひょっとしたらいずれ地下鉄の車庫?」なのだ。そのくらいの広さがあるような気がする。中村区選出の市会議員さん、わかってるのかなぁ?

 それからまたまっすぐ南に歩いて、車は陸橋に上がっていく坂を上っていく。人間様はそこを歩くと危険なのだろう。だれも速度うを歩きはしない。
 陸橋の下の信号交差点を突っ切ると高架橋の左右(東西)に階段がある。自転車もこれで登れとかなりきつい斜面の階段だ。こいつを上った。(上るときの足軽かったなぁ、体の調子いのだ)

 陸橋に上がって左下を見たら、おおなんと、転車台(ターンテーブル)があるではないか。名古屋にも残ってたんですね。しかも現役みたいだ。

 何時か回転させているところに出会うといいのだが…


 陸橋を渡って運河通り側の階段を下りる。この階段の南に信号交差点があり、その南に有名な『ホワイト餃子』がある。ここで、昔々、家族そろってかなり数食べたことがある。その時はたまたま豊成団地に住んでいた。(たった1年だけどねぇ。8回だったかで、高所恐怖症の私は恐ろしいところだった)

 その行差の前の道=運河通りを東に進む。昔々ボーリング場だったところがこの9月に平和堂となった。(この平和堂が名古屋市内1号店。かなりきれいです)
 その隣がもう古くなってしまった豊成団地だ。その昔はこの土地は「民生紡(今は豊田紡織というのかな?)」があったところで、九州から集団就職した女性がいっぱいたことをもいだす。遠い遠い昔の記憶だ。

 ここまでくればもう実家までは少し。
 中村区役所で地所に上がってから実家までは35分。写真をとたりしていたのでmそれを引くと30分くらいかな?実家から上前津まで歩くのと同じくらいだろう。意外と近いので驚きだった。

  

Posted by 生田 at 19:25Comments(2)TrackBack(0)名古屋を歩く

2010年10月08日

名古屋の大仏 3 観音さん

 石の門をくぐって突き当たりを左に折れると赤い門が見える。私の頭にあるイメージは小さい時見た絵本の竜宮城の門だ。なんでそんなことしか記憶にないのだろ??

 竜宮城の門を思い出した割には、なんとなく違和感。派手でもなしし、きれいでもなしし。体も開メモ乙姫様もいないし。。。。ん??ひょっとして弁天さんが乙姫さんなのかぁ?とすれば中でお待ちだよなぁ。。

 門の方に少し進むと左にかわいい如意輪観音さんが。ん??個々の寺は一体ご本尊は何?? 臨済宗って禅宗の一つだよなぁ。あんまり仏像には縁がなかった記憶なんだけど。
 弁天さんがいて、如意輪観音さんがいて。。なんとなく、違った方向に頭が動いていくなぁ。
**如意輪観音は、一応なんでも願いを聞いてくれる尾のことだけど、多くの如意輪観音像は肉感的な像が多い。大阪の関心事の如意輪観音はなかなり妖艶な像だ。ここから先はいろいろ想像してください。**

 竜宮城の門の手前の左右に狛犬さんが吠えているので、これもパチリと。
 

 日差しが強くて、コントラストの調整ができない。こういうのを撮るときは曇っているときがいいなぁ。。

 門をくぐって中にないると、木がいっぱい茂って、手入れが完璧でないので、なんとなく荒れた感じがする。実は想像していたのは、きれいに管理されているところだったのだ。これはいつも見に行く京都や奈良の寺がきれいに管理されていることの延長で物を見ているからこうなる。
 確かに、京都の寺でも小さいところは汚いですが・・・・ここまでうっそうとはしていないよな。まだ暑さが途切れていないから?

 で、突き当たりの木を左に曲がると右手に観音さんの立像が。 あぁあ、この観音さんも太陽をまともに受けて木の陰で顔が黒くて写真では表情が見えない。ということで帰りに火が当たったところを撮ったものを下に。


 きれいなお顔ですが、夏に室生寺の十一面観音さんを見てしまっているので、区レベルのは失礼ですが、やはりあちらの方が・・・(ごめんなさい)

 さて、この観音さんの左手正面が本堂のようです。開け放たれてますが、写真は遠慮しておきました。  

Posted by 生田 at 20:37Comments(0)TrackBack(0)名古屋を歩く

2010年10月07日

名古屋の大仏 2 地下鉄・本山駅~桃源寺

 10月6日 かねてよりみたいと思っていた名古屋3大仏の一つ、桃源寺の大仏を見に行くことにした。
 実家からの帰りなので、名古屋駅から地下鉄に乗って本山で降りて、四谷通りに出る。と書くと簡単なのだが、何せ本山で乗り換えたことがあるのは2年前。それ以外は降りたことなんてない。
 東山線で降りて改札まで来たのはいいが、その先がわからない。駅の中に桃源寺はおろか四谷通り方面への出口案内が見当たらない。書いてあるのは出口番号だけ。ハタと困った。。。
 いたしかたないので改札の駅員さんに聞いたら、名城線の乗り換えの方にったん降りて、それから地上に出るんだとのこと。出口案内に『四谷通り方面』くらい欲しいなぁ。。。。

 エスカレータで降りての乗り換えの方に向かった。左に行くとホームに、直進すると出口とある。出口方面に行くとエスカレータがあるのだが、狭いなぁ。。。私よりお年を召した女性がいたが、私と同じように右往左往してやっとたどり着いたとのこと。もっと親切な案内がほしい。
 狭いエスカレータを折り返しの乗り換えをしたうえで地上に出た。本山の交差点からかなり南の方でちょっと上ったところに出た。

 さて、行き先の桃源寺は、四谷通りを名大方面に行ったところは駅の地図で確認をした。と、その記憶で坂を名大の方に上っていく。少し上がったところに桃源寺参拝者用駐車場がある。駐車場はいいが、寺の入り口がどっちなのか書いてないよぉ。ここも不親切だなぁ。。
 寺の大きさも入口もなにもわからないから、『どないしょ』。ここは人に聞くのが一番と、道路わきでお立ちの女性に聞いてみた。あらぁ。。ご存じないのだ。いたしかたないので、そのまま坂を上っていくことにした。

 高い石垣にそって登っていく(この石垣が桃源寺らしいと後でわかったが)と、のぼり旗が見えたのだが。。。。のぼり旗は別なもの。 そののぼり旗の少し手前に石柱が。「東山弁天」と彫られている。弁天さんもあると聞いていたからここがそうなのだろう。その石柱の後ろに、石柱が二本あり左の石柱に「桃源寺」の文字を見ることができた。
 いつもは車で走り抜けてしまうところで、ここにこうして入口があるとはつゆと知らなかった。名前が有名である割には場所などを案内してくれるものに運悪く出会っていなかったからだろう。

右に名古屋市の由緒書がある。

 この寺は織田家の所縁で、名前の由来が織田信秀の法名からきているとのことで、末森(末盛)が織田の城のあったところだから、それに関係しているのかなぁ???
 **「法名」と書かれているが、現代では法名は浄土真宗系で使われているが、これは真宗では『戒』を受けないからで、書かれたとおりだと「信秀」は回を受けていないということか?教育委員会ここまで調べたか?(教育委員会もいい加減なところが多いからなぁ)
 
 石柱の間の参道を入っていく。右の石垣の上にはお墓がいっぱいあるよ。名古屋ということろは戦争に負けてから後に市内のお墓の大部分を平和公園にまとめた。(その前に八事にも。そして今は緑区にも) だから、市内にお墓が残るところは少ないが、ここはこれだけあるとはちょっと驚き。
 
 参道をまっすぐ進むとうっそうとした木の中に石の門がみえる。なんとなく、いつもの寺の雰囲気ではないので戸惑い。(宗派が臨済宗だから?)

 ここの緑の中にいると夏はかなり涼しいのではないか?真夏に来てもいいように思うけど、私は無理かも。手入れが行き届いていないから、何が出るやら、私には恐怖。  

Posted by 生田 at 11:50Comments(0)TrackBack(0)名古屋を歩く

2010年09月19日

空に突き出るタケノコ

 先日、そう金曜日の帰りにささしまの交差点で信号待ち、ふと右の空を見たら、タケノコがつき出ていた。。。 ねじれビルもこんな風に秋空に突き出ている。

  

Posted by 生田 at 19:50Comments(0)TrackBack(0)名古屋を歩く

2010年07月17日

ナナちゃんのミニ浴衣

 昨日の朝採りそこなった写真。帰りに撮ってきた。

 帰りも股くぐりした。またアメリカの株下がった、  
タグ :ナナちゃん

Posted by 生田 at 15:55Comments(2)TrackBack(0)名古屋を歩く

2010年06月09日

八事 五社宮

 最近は水曜日に実家に行くのをさぼっている。今日は行く予定だけど時間は夕方に。ただし、車で行くの歩かない。ということでちょっとしたマーケッティングを兼ねて外出することにした。
 とにかくバス停まで行って、来たバスに乗って行けるところに行こうと、バス停に行ったら、ん??行ったばっかりかもなぁ。ということでバス停を2つ分歩くことにした。
 と2つ歩いたら、元のバス停で待っていても乗ることになったバスが来た。それに飛び乗って八事に向かった。

 八事の手前の「八事天道」で降りた。というのは、八事のUFJ銀行の南側に神社があるので、それを見るために。
 かなり前から神社があることには気づいていたのだが、何せいつも車で移動しているから神社に上がること無かった。と、今日は歩きなので自由にあちこち寄れる。


 上の写真は本殿だが、道路から見ることができないのだ。この神社は、石の階段を上らねばならない、つまりはかなり高いところに鎮座しているのである。道路から見えるのはその石垣ということだ。
 階段の右側に「五社宮」となかれた石柱があり、左側に由緒書の石板(下の写真)が掲げられている。この辺りは石谷さんが多いからか由緒書なんかは立派できれいに作らている。


 この由緒書によると、もとは江南にあったものが故あって引っ越してきたということらしい。その引っ越すをさせたのが、自貞尼というひととあるから、お寺さんが絡んでいるわけだが、どうも昔々は仏教と神社がくっついていたので話がややこしい。
 明治の神仏分離の際に壊されなかっただけでも幸せなのかもしれない。


 現在の建物などはkじゃなり老朽化したので、平成3年に改築したとある。このご近所はかなりなお金持ちの住民が多いところ、そういた方々がたくさん出されたのだろうか???
 建物などは改修されたものの、狛犬は昔のままで、黒く昔の面影を残しているのかもしれない。
 


 午前の10時半ころ。誰も来ないと思っていたら、おひとり女性が上がってこられお参りをされた。ご近所さんの信仰を集めているのかな?

 階段を下りて(今日は怖くなかったなぁ)八事の交差点に向かう。島田橋と昭和高校へと別れる道の島田方面への道の東側に前に反対側からとった石碑があるのだが、道路側から見たら「地蔵道」と書かれている。地蔵?どこの地蔵さんのことだろう?この道は善光寺街道といわれている道なのだが。。。 善光寺も元善光寺もお地蔵さん関係していたっけ??  

Posted by 生田 at 13:11Comments(0)TrackBack(0)名古屋を歩く

2010年05月02日

名古屋を歩く 米野から太閤、名駅へ 3

 広小路通りの延長は、「太閤通り」というのかな?ということだと昔々、祖父は私に嘘をついたことになるのかも。
 わたった交差点は、笈瀬通りの一つ西らしい。(これをかきながら地図を眺めてわかった)
 笈瀬通りの名前の由来は、昔この通りは川で、それが南に流れて行き、今の中川運河を突っ切っておいたらしい、そうした川があったので、前に紹介した中川区月島にある運河神社が名古屋城の石垣の石切り場ということもうなづけるかもしれない。
 中川運河ができて、その笈瀬川は埋め立てられて道路になったと聞く。実家の近くの寺の住職も昔その寺の横を川が流れていたことを言っていた。(本人私より若いから先代もしくはその先代に聞いたことだろう)

 このあたりも迷路だ。何せ東海道線の西は、昔は閑散としていたけど、その昔はとにかく畑や田んぼが広がっていたから、その畔道がそのまま道になったということなのかな?
 小学校の南の公園にでくわした。この公園には石碑が建っている。出征兵士を送りだした記念のようだ。その送りだした兵士のどのくらいが帰還できたのだろう?私の肉親は、いまだに帰還していないのだが。。。。

 小学校の横を北に上がっていく。「椿神社」に行きついた。この道を右に曲がれば寝小屋駅の太閤口に行きつく。

 と、その前に、この椿神社に入り込んだ。

 この辺りは、昔は闇市でごった返していたところではないかと思う。今でこそ名駅・太閤口という名前で知られているが、新幹線ができるまでは、「駅西」と言って結構こわがられた土地と記憶している。その中心に「椿神社」があったというあいまいな記憶。ご近所方申し訳ないけど、そういったことを私は昔は吹きこまれていたのです。

 なんとなく昔はもっと大きく立派な神社だったと思っていたのだけど、今はだれも音連れる人もいないのか、荒れてるなぁ。。。。
 
 ここでも、狛犬の写真を載せておきます。

 

 

 さて、この椿神社の東の道が笈瀬通りのようだ。そちらに出ようと鳥居を見たら、なんとなんとまぁ今になってこんな言葉「皇紀」を見つけるとは。戦争のさなかのものらしい。

 この日の歩きは、戦争で焼けなかったらしい地区のいろんなものを見た気がした。古い家並み、そして、お寺、神社、祠。焼けていたら残っていなかったかもしれない。
 ただ、京都のような繁華街が焼けなかったのとは様子が違う。京都に言う町屋的な家がないのだ。
 この地区の少し西には昔、遊郭があったところだ。遊郭は繁華街から離れたところが多い。つまり、今回の歩いたとこは、江戸期の繁華街ではなく・・・・・ といったところかなぁ?
 郷土歴史家ではない私には、論評できるはずもなく。

 つが気神社を後に、名駅に向かって歩き、名鉄のホテルを過ぎて、左に入ってカメラを物色して、そして地下に降りて、地下鉄に。
 この日の歩きは終わった。1時間20分の歩きだった。  

Posted by 生田 at 10:12Comments(0)TrackBack(0)名古屋を歩く

2010年05月01日

名古屋を歩く 米野から太閤、名駅へ 2

 金山神社を通りぬけて、本殿の後ろ(北側)の出入り口から外に出る。このあたりは戦争で焼けなかったのだろう、昔のままの古い家並みがひしめいている感じがする。歩く道は迷路のように、つまり碁盤の目には正確にはなっていない。
 ということで、なんとか北を向いて歩いているとは思うけど、実際にはどっちの方角を向いているかは定かではなく、どのあたりにいるのかすらわからない。天気が悪かったり、夜だったら多分道に迷っているのではないかと思う。
 
 うろうろ歩いていたら幼稚園があった。そしてその幼稚園にはこいのぼりが。そうだよなぁ、明日(歩いている当日の翌日)はもう5月だものなぁ。最近、街中では大きな鯉のぼりを見ることがすくなくなった。鯉のぼりをたてるだけの大きな庭が少ないということか、マンションでは小さいのしか上げられないしなぁ。。
 我が家では、昔鯉のぼりをたてたけど、今は無理になった。あの当時はまだ描きの木が大きくなかったから。今は下記の木が大きくなりすぎて竿を立てることが難しくなっている。おそらく多くの家がそんなのかもしれない。

 その幼稚園の横を通り過ぎて北に上がったところで、どのくらい行ったのか分からないが、なんとなく左を見たらお寺が見えるので、導かれるように西に足を向けた。そしてお寺の手前に小さい祠があり、お年を召した女性が何かをされている。
 白玉龍神とある火災予防を祈願したのか、雨乞いのためのものなのだろうか。名古屋には結構龍神社がある。ここはこれまで見た龍神社のように大きなものではないのだが…
 写真をよく見てもらうと、石柱の左に人の名前が見える。もうかなり以前に亡くなられた高名な政治家の名前である。彼の地盤は中村区だから、活躍当時に建てられら掲示板のようである。

 このあとは、どこをどう歩いたことやら。昔は商店街だっただろうと思われる通りも通り過ぎた。今は斜ったを下している店がほとんどだけど、みんな巨大資本のショッピングセンターに売り上げを奪われ、後継者を育てることができないことで、店を閉ざさざるを得なくなってしまっているということと、時代の流れで売るものがなくなってしまった店もいくつかある。それに、周りが高齢化して、人が買い物をしなくなっていることも原因なのかもしれない。
 私の実家も周りもそうした時代の流れには勝てず、昔はたくさんのお店があったが、今は店として完全に営業しているのは3件になった。昨年ひとつが長年の営業をやめた店もある。みんな後継者がいないから。今営業している店も数年後にはなくなることだろうと思う。
 営業することもなく、後継者の住人がいないところは、多くが駐車場に変わっていくが、さみしい限りだと思う。

 さて、この先は笹島から西に延びる広小路通りの延長を北にわたる。
 昔、昔、(私が小学校就学前、60年以上も昔の話)私の義理の祖父とこの近くに来たことがあるが、祖父は何と言って私を誘いだしたか? 
 それは、「広小路に連れて行ってやる」だった。そうだよなぁ、広小路の延長だものなぁ。市電も走っていたしなぁ。。。嘘ではなかったけど、なんとなくだまされたような。。

 その広小路を北に渡ったのは、その昔笈瀬川が流れていたあたりだったかも知れない。
   

Posted by 生田 at 11:58Comments(0)TrackBack(0)名古屋を歩く

2010年04月30日

名古屋を歩く 米野から太閤、名駅へ

 連休の狭間、実家の用をしなければいけないので、いつものようにバスと地下鉄で移動して、中傷を食べて、昨日は込んだ荷物を整理して・・・・

 そのあとはもうすることもないので、名駅まで歩くことにしたけど、久しぶりに米野の陸橋を渡った。いつ壊すのかは知らないがまだまだ生活道路としてバイク自転車歩行は渡ることができる。

 

わたっていたら、左下に作業車。鉄道ファンには当たり前のものだるけど、私には何をどうするなんてことがさっぱり分からない。これで運ぶだけ??
 ゴールデンウィークは、仕事をお休みしているのか、なんだかいっぱい止まっていた。これまではあまり人もみなかったけど、今日は作業員の人も結構見たなぁ。。
 その右に、明日走るのかな?飛騨のプレートを付けたのが止まっていた。でも、長くないから、入れ替えでもするのかな?

 橋をわたっていつもは右手に坂を下るのだけど、今日は、左手の階段を下りた。昔々、この階段を下りて、城西病院まで通ったものだけどね。

 階段を下りているときに前方に神社があるのに気づいたので、その神社に足を運ぶ。

 もうもこの神社は古くからあったのだろうけど、覚えていない。何せ60年も昔の話だから。
 中に入ると、神馬の銅像がある。戦傷で金属供出の憂き目にあってなくなっていたのを昭和の時代に作り直したらしい。
 西日置の塩がな神社にも神馬の銅像の台があったはずだけど、馬はついぞなかったような記憶だけど・・・・・ 作り直されても、酸性雨のおかげで汚いなぁ。。

 この神社の狛犬です。
  

Posted by 生田 at 18:32Comments(0)TrackBack(0)名古屋を歩く

2010年04月23日

大須を歩いた

 今日は、久しぶりに大須万松寺通りを歩いた。

 あまり変わり映えしていないなぁ。。。金曜日ということで、人通りも少なく。。。。

写真だけを並べておこう。
 (本当は書くことあったけど、我が家に大事件勃発で、頭の中それどころではなく。みんな忘れてしまった。写真だけは、編集した後だったので、それを並べておきます。)



















  

Posted by 生田 at 22:45Comments(0)TrackBack(0)名古屋を歩く

2010年02月24日

納屋橋の白鳥とねじれビル

 確定申告の書類提出のために、実家から電気文化会館で歩いた。汗をかきながら。

 水主町の交差点か江川線を北に、三蔵通りで東に入れて、堀川の手前で左折して、堀川沿いに歩く。鳥料理の鳥久(ここ好きでない、美味しくなかったから)の前を通って納屋橋を渡る。先日は車で渡ったけどねぇ。。
 橋の真ん中の突き出たところから堀川を見たら、ん??白鳥が2羽いるでないか。

でもなんか変。動いてはいるけど、首、頭が全く動かない。体が固まっている。どうもおもちゃくさい。

 たまたま隣に居合わせた男性に、「おもちゃですか?」って聞いたら「そうです」って。
 

 少しは、きれいに見せようって魂胆かもしれないが、水は汚かったぞ。中川運河と変わりないよ。
 横の男性から近々流れを止めて、木曽川からの導水の準備に入るときいた。でもなぁ。木曽川から急に導水したら、溜まったヘドロが港に流れてしまうよ。港が汚れるけどいいのかな? なんておはなしをして、別れた。

 そうそう、納屋橋の少し南から西を見たら、ねじれビルが見えた。なんとまぁ不格好な。デザイナーはこんな不格好なものを頭に描いただろうか??
  

Posted by 生田 at 20:56Comments(2)TrackBack(0)名古屋を歩く

2010年02月05日

開発進む笹島ライブ

 けさは、また あおなみ線に乗った。今日はカラスがいないので、がらがらだ。しかし、到着した伝shからは結構たくさんの人が降りてきていた。

 笹嶋ライブで、子供とその親といった雰囲気の人たちが降車。実は、バスや地下鉄でも、親子もしくは保護者と子供という組がいた。平日だよねぇ。子供たちは学校に行っている時間だよ。何で、こんな時間に、子供がラ・バーモにむかって行くの????

 笹嶋ライブの改札を出てエレベータを待つ間に南を見下ろした。そんなに早い進行ではないけど、名駅西から運河通に抜ける道路建設が進んでいる。まだ愛知大学の校舎建設は始まっていないけど、そのうちに始まるだろう。後者の前に環境整備が始まるかな?
 ここに道路ができ、キャンパスができると、かなり雰囲気は変わると思う。そのころには、私は、ここに通っていないかもしれないが・・・・

 いろんな面で、開発が遅い名古屋。そこに不況が加わって、進行も遅くなっているし、規模も縮小されている。しかし、子の大きな空き地をこのまま放置されているのも考え物だから、できたら、活性化のために、少しでも早く開発が進むことを願っている。



笹嶋ライブ改札を出て、エレベータ前から南を見ている
中央の光っているところが堀留
その奥が中川運河最北の運河橋

  
タグ :笹嶋ライブ

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2010年01月11日

名古屋を歩く 名駅~米野~

 今日は、成人の日。祝日である。にもかかわらず実家に行く。といっても急ぐ旅ではない。

 いつもとは時間は違うが、バスと地下鉄で名駅まで移動。土日ダイヤなのでどうしようか迷ったが笹島の交差点まで来た。交差点を渡る前に信号待ち。そこで何がそうさせたの知らないけど、いつものコースを歩くのに抵抗感。そことで、交差点を渡ったところで右に曲がって笹島のガードをくぐってしまったのだ。

 このガードをくぐって歩くなんて何十年していないことか。もう30年近く前に、当時あったヒマラヤ美術館に行くときにある板倉ではないかとの記憶だ。
 ガードをくぐった右側に中村警察がある。こんなにじっくり見たことはないなぁ。後ろにツインとミッドランドが、残念ながらアングルの関係でねじれは映っていないなぁ。

 ゴールド劇場の西で南に折れる。なぜ折れたか?実は、いずれ開通するだろうという道路の現状を見ておこうという気持ちなのだ。
 駅西野南北の広いとおりは、いずれは笹島の捜査上後の下、ささしまライブの下をくぐって中川区側に出て運河通に抜け、通称明石通から環状線に行き着くと言うことになるはず。これが完成すると、名古屋の東西を2分するJR新幹線、在来線、名鉄の線路の西の交通が大幅に変わることになる。
 
 ゴールド劇場は何か若者向けの何かをしているのか、会談に人が行列をしていた。
 それを横目に見て南下。細い道だが両サイドはもう使われていないのではないかという建物が点在している。いずれここに道路が通るからなぁ。。。。
 まっすぐ行くと突き当たる。その先は現在MaxValueの駐車場に向いている。ここに駐車場があるのは駐車場の中を未来の道路は突き抜けることになっている。

 中村保険事務所の建物の角を左折して通りに出る。頭の中でお伊勢通りかと思っていたのだが、違っていて、その一本東の通りである。
 (笈瀬通りは昔々笈瀬川という川で海ににまで言っていて、名古屋城地区の城西には石垣の医師を運んだと言うことであるが・・)
 写真の左がMaxValueで右はセントラル病院(昔は国鉄病院だったかな?)、この道に未来の通りは合流することになる。

 後は、道なりにまっすぐ南下すると近鉄線に突き当たる。突き当たる少し手前辺りから代理(東側)に曲げるか、道幅を広くとるかして、そのまま地下に入って笹島アライブの下をくぐり抜けることになる。
 とまぁ、以前ネットで調べたこと。目下中川区側の掘留付近は工事中である。

 道路突き当たりの少し右手に、本当に小さい駅がある。近鉄の米野駅だ。どういう人が乗降するのだろう??? ひょっとしたら、知らない人には駅には見えないかもしれない。


 この先は、いずれまた。
   

Posted by 生田 at 22:29Comments(2)TrackBack(0)名古屋を歩く

2010年01月04日

名古屋を歩く 中川運河・中川橋 その2

 元来た道を引っ返して、橋に向かう。海側から冷たい風が吹いてくると、潮のにおいがする。名古屋での潮のにおいは久しぶりだ。
 
 中川橋は、中川運河の一番南の端の橋。しかも水門の外・港側に位置している。道路を走っているだけでは、このアーチは見えない。
 前にこれの北の橋だ『いろは橋』がアーチ強だったが、そのとき『名古屋のアーチ橋は珍しいと書いたが、ここがアーチ橋であることをすっかり忘れていた。今回の写真で名古屋で3つめのアーチ橋を紹介することになる。先の『いろは橋』。ささしまライブの西の米野の陸橋と、この中川橋だ。

 橋の西詰めで北側に渡り、橋を北から撮ることにした。川の防潮堤に来るとちょっとした公園に仕立てられている。といっても人は寝ているホームレス風の人とジョギングの女性くらいかな?

 中川橋の向こうには、シートレインの観覧車が見えています。結構構図としては絵はがき的になるかなぁ。。。 後ろを向くと水門があり、その奥(北)に帯状に見えるのは名四国道23号線です。


 元に戻って橋を渡る。北を歩いたのがよかった。下の写真は、構図的におもしろいので撮ったもので、中川橋のアーチ越しにシートレインの観覧車を見ています。







橋を渡りきって交差点を越えると今度は、臨港線の上を越えることになる。ここで北を見ると「さび付いたように見える線路がただただ北に延びている。地下鉄の車両搬入のためにだけあるような印象も私はないではない。

 そうそう、反対側になんか懐かしい思いのする名前の看板を見つけた。



 この先は、築地口の交差点。ここから野並までバスに乗るつもりだけど、1時間に1本しかないバス、うまく時間があっていてくれればいいのだが。。。。。
 バス停を探した。最初は港区役所方面に行く停留所に行ったが、野並に行くのはこない。となると交差点の向こう(東)だぁ。あぁ、見つかりました。時刻表を見る15分ある。待つことにしたけど、トイレに行きたくなった。地下鉄のトイレまではちょっと距離がある。我慢するかと思案。しかし、目の前に『ボートピア港』と書いた建物がある。なんだかわからないけど、ボーリング場みたいな雰囲気なのでトイレ借りられるだろうと交差点を走って渡った。
 中に飛び込んで警備の人にトイレを聞いたら2階だという。エスカレータで上がったもののまだわからない。食べ物売っている人に声かけたら、目の前の女性が教えてくれた。反対側だぁ。。。。。
 その反対側のところに行き着くまでに、ここがなんの建物であるかがわかった。ここは競艇の船券(なんていうの?競馬なら馬券でしょ?)売り場なんだね。おじさんおばさんが、新聞を見ながら、流れているレースを見ながら・・・・たくさんいたよぉ。。。。。
 でも私には用はない。賭け事なんて人生そのものだけで十分だ。(あぁ 宝くじは別ね)

 用を足してバス停に戻る。何とか間に合いました。


 そして、野並でいつものバスに乗り換え。ちょいと待ち時間があったので、バス停の後ろの神社にお\詣でて・・・

 これで、今日の3時間半の名古屋の旅は終わりです。  

Posted by 生田 at 18:37Comments(0)TrackBack(0)名古屋を歩く
  
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久しぶりに新幹線に乗りましたが・・・
13年秋 京都ドライブ旅
京都の紅葉の名所・毘沙門堂に行きました
12年秋 室生寺ドライブ旅
すてきな観音様と再会です
室生寺五重塔
12年秋 京都ドライブ旅
1年ぶりの京都です
三千院
10年秋 平泉ドライブ旅
4泊5日 2000キロの一人旅です
平泉・わんこそば
   
10年夏 室生寺 日帰り旅
素晴らしい観音さんに出会いました
室生寺・五重塔
10年初夏 宇治・長岡 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに黄檗山満福寺・六地蔵・法界寺谷寺・長岡天神
布袋さん
09年秋京都 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに 紅葉がきれいな京都
南禅寺の紅葉
08年秋京都 日帰り旅
08年11月25日貧乏・一人・日帰り旅の記録です。
鳳凰堂を望む
観光シーズン 京都の歩き方
京都市・地下鉄 東西線沿線
09年浅草と川越
浅草観音
07年信州の旅
上田城内
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プロフィール
生田
生田
 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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