2023年10月31日
>尻尾の短くなった龍を彫る 231031
昨日は
買い物に出かけたので
木彫りができなかった
今日は
昼飯を簡単に食べて
1時前から彫り始めた
尻尾を短いままで形を作ることにしたもので
それなりに整形していかねばならない
掃除を含め
3時間半彫り続けた
動体がメタボになっていたので
ダイエットさせたり
手足の形を作り始めたので
作業が細かくなる
結果的に見ると
大して進んだようには見えない
これが一昨日の形
比べるとほとんど変わったように見えない
見えないところも掘っているので
この面だけでは比較にならない面もある
実は
頭のツノの大まかな形
胴体の腹の部分
と言った見えないところも
彫り始めている
また
胴体の背中の背鰭を
彫るための準備にも入った
尻尾はもう当分いじらないで
最後の方で形を作ることにしたし
割れた経験から
他の部分が割れないように
考えながら彫っている
それでも
この先 髭や角
それに手にはドラゴンボールを
持たせねばならない
細かい作業がこの先待っている
完成できるかどうか不安にもなる
でも
なんとか頑張ろうと
でもなぁ
来週は忙しくて
彫れないかもしれないけどなぁ
それでも それでも
彫るのだ
2023年10月29日
干支の龍 悲しいことに・・・・
今日は午前の記事アップの後
約2時間近く
昼飯も遅くなるほど
龍を彫っていた
実は
数日彫ることをしていなかったのだ
理由は
龍が満身創痍状態で
彫れなかったのだ
これがその満身創痍状態の龍
こんなことになった原因は
私が彫る工程を間違えたから
一番弱いところを最後にすべきなのに
形にこだわったので
弱いところが最初の方になった
当然の如く
壊れることに
なんとかダボを入れたりボンドでくっつけて
ボンドが固まるまで彫らずにいたのだ
今日彫り始めたときに
巻いていた紐を全部解いて
ボンドが固まったことを確認した
それで彫り始めたのだ
午前中は問題なく終わった
昼飯
ゲテモノ料理
焼き飯もどきだけど
具が
キムチ
豚の角煮もどき
柿のみじん切り
仕上げに卵でとじる
結構惜しかったけどな
ちょいと休んで
それから2時間近く彫っていた
しかし
午後の第1発目のノミを入れたところで
とんでもないことに
竜の尻尾が折れてしまった
ボンドで固まったところの近くで割れてしまった
もうこうなると修復はできない
大阪道頓堀のラーメン屋さんのように
龍の尻尾の撤去命令を受けたわけではないけれど
尻尾を最初の予定通りにできなくなってしまった
これが今日の最終形
なんともかんとも想定イメージと違う
でももう作り直しはできないので
この形で尻尾も作ることにした
この画像は
尻尾が折れた直後にショットしたもの
上の画像と比べると
尻尾が違うでしょ?
本当は
ピンと跳ね上げるはずだったんですが
致し方ないなぁ
時間的に間に合わないので
またまた
写真が撮れるだけの彫り方をすることにします
とても展覧会には
応募できない作品になります
約2時間近く
昼飯も遅くなるほど
龍を彫っていた
実は
数日彫ることをしていなかったのだ
理由は
龍が満身創痍状態で
彫れなかったのだ
これがその満身創痍状態の龍
こんなことになった原因は
私が彫る工程を間違えたから
一番弱いところを最後にすべきなのに
形にこだわったので
弱いところが最初の方になった
当然の如く
壊れることに
なんとかダボを入れたりボンドでくっつけて
ボンドが固まるまで彫らずにいたのだ
今日彫り始めたときに
巻いていた紐を全部解いて
ボンドが固まったことを確認した
それで彫り始めたのだ
午前中は問題なく終わった
昼飯
ゲテモノ料理
焼き飯もどきだけど
具が
キムチ
豚の角煮もどき
柿のみじん切り
仕上げに卵でとじる
結構惜しかったけどな
ちょいと休んで
それから2時間近く彫っていた
しかし
午後の第1発目のノミを入れたところで
とんでもないことに
竜の尻尾が折れてしまった
ボンドで固まったところの近くで割れてしまった
もうこうなると修復はできない
大阪道頓堀のラーメン屋さんのように
龍の尻尾の撤去命令を受けたわけではないけれど
尻尾を最初の予定通りにできなくなってしまった
これが今日の最終形
なんともかんとも想定イメージと違う
でももう作り直しはできないので
この形で尻尾も作ることにした
この画像は
尻尾が折れた直後にショットしたもの
上の画像と比べると
尻尾が違うでしょ?
本当は
ピンと跳ね上げるはずだったんですが
致し方ないなぁ
時間的に間に合わないので
またまた
写真が撮れるだけの彫り方をすることにします
とても展覧会には
応募できない作品になります
2023年09月25日
趣味の木彫りの会を 退会してきた 失望と怒り
昨日はセンター祭りで多くの人と出会いお話をしました。もっとも私は人の声が聞き取りにくく、多分に皆さんにご迷惑をおかけしたと
反省しております・
そのお祭りでいろんな出会いがあったのですが、逆に昨日のイベント終了をもって所属していた木彫りの会を退会してメンバーとお別れすることになりました。
この会に入って10年を超えた。本当はこの会ではなくちょっと離れた同様の会に入会するつもりでいたのだが、たまたま圧迫骨折をして動きが取れず、動けるようになっても当面車の運転もおぼつかないので、たまたま近くに同じような会があると聞きそちらに入会をしたのです、
入会をした。
最初の日にいきなり図面をもらって「これを彫れ」と言われた。ん??彫り方なんかを指導してくれるんではないのかと結構訝しく思ったのだが、たまたま独学で彫ることをしていたのでなんとかこなすことはできた。
でもなぁ 。。私がどれだけの技量をもているかを知った上で、彫る指示を出して欲しいものだ。全く素人だったら、どうしようないだろうと思う。
それから、次の作品も図面とモデルの円空仏を出されて、それを彫れという。正直その作品自体いかがなものかという出来でもあった。
いろんな仏像を見てきている私は目だけはいいものを見る目はある程度あると思っている。出されたものをまぁ忠実に彫るのではなく、私なりの彫り方で仕上げたものだです。
ここで完成した時に、責任者が彫刻刀で私の作品に手を入れた。えっ?そんなことしないでくれ、彫り方を指導するなら私のではなく他でやってくれ!!と思ったものです。手を入れられたら私作品で無くなってしうから、私がものすごく嫌いこと。そんなことはお構いなしで。。。
そんな入会当初であったけれど、当時はまだ耳が健在で会話もできるし、他のメンバーとの会話も楽しみながら彫っていた。
それから彫る作品は、自分で選択して彫っていくのだが、彫り方は独学でのこと。素人に毛が生えた状態の中で、どれだけ怪我をしたことか。危険な彫り方すらわかっていなかったから。本来同好の会であっても、入会直後は新人の技量によっては、危険な彫り方は注意を促すなどの指導をすべきだと私は思っている。そんなの全くなくて。。。
しかし、そうした危険なことを体験したことで、自分なりに怪我をしない彫り方や、刃物で切れにくい手袋などを探し回ったりした。これらのこと特に、手袋に関しては会のメンバーに知らせて、結構それを使っておいでになる。
この会では、時折材料の支給がある。多くが端材で、材質もいろいろ、ヒノキ、クス、すぎ、ケヤキ。ホウ・・・・ 材質によって彫り方が結構変わるものだけど、そんな話も待ったくなく、全部自分で覚えろということらしい。まぁ、そのおかげで自分なりに研究してそれなりに彫るようになったのだが、上達が遅いだろうと思う。ある程度の指導があれば、それなりの速度があると思うのだが。そんな上達よりも、怪我をしない方の指導があってもいいかな。
そんなこと思いつつ、10年がたった。
昨日祭りの会場で、全く素人で、刃物も持っていないという方が、彫りたいのだけれどとの申出を受けた。こういう人を受け入れたら、私がされてきたように、いきなり図面出されて、これを彫れと言われたら、おそらく戸惑うことになるだろうと思って、責任者に、この方の指導を任せて欲しいと訴えたが、あえなく却下さた。そして、最初に彫るもので彫り方を勉強してもらうのだとも。彫り方。その危険防止も教えない指導は私としては納得できないので、なっよくいくはずもない。その最初に彫るものが彫刻の基本ではないとまで訴えたのだが、この辺りは考えることにかなりな相違ががあるので平行線になるばかり。挙げ句の果てに「自前の会を作れ」とも、ここまで言われると新人の入会直後のその責任者の指導を見るのは私にとって精神構造上良くない、イライラが募るだけなので、ここでキッパリと「退会させてもらいます」と申し出た。これは拒否されることないし、されても行かないだけの話なので。
他のメンバーからは「思いなおせ」との言葉をいただいたが、私の決意は固い。実は、この会のことを責任者の方は「教室」と呼んでいる。教室ならば。それなりの教えをして欲しいと思うから、教えられないのなら、私はこの会にいる名目はなくなる。
それと、もっと大きな問題がある、
お祭りでこれまでの作品を出品するのだが、単にテーブルの白い布をかけてその上に作品を並べるだけ。これで作品の良さをどう主張させるのだろう?全く考えられていないようで、私は、今回はあえて、展示テーブルの上に展示用の黒い台を起き、その上に作品乗せて陳列した。他の方とは違う展示になっることは承知の上でのあえての私のデモンストレーションだったのだが。。
展示の方法についても、彫刻作品は壁面がほとんど何も飾られることはない。会の名を書いた銘板くらいで、他は展示パネルの壁が剥き出しなっている。
この会のメンバーは。だんだん減少している。退会されていかれる方にはそれぞれの理由がるだろう。致し方ない問題だが、メンバーが減ればあ当然の如く会費の納入も減る、減れば活動なんてできなくなる。だからこの会はセンター祭り以外のイベントは、自前ではないのだ。
まぁあ、和気藹々でおしゃべるを目的といている方が多いらしいけれも、そのおしゃべるをするメンバーが減ったのでは、おしゃべりも無くなるだろうし、いずれ空中分解しかねないと思う。
なので、それなり新メンバーの入会を促したいのだが、そんな運動もほとんどなく、自前の講座お開催しても宣伝することもないので、当然の如くに希望者ゼロでボツになったりもしている。その時には私がブログに書いて紹介もしたけれど、それの効果もなかった。。
そうした新メンバーの入会が少なくなっているのは、この会だけではなく、他の同様の会も少なくなり、自然消滅しているし、同種の会の連合の会が存在したのだが、その連合会も空中分解してしまっている。
これは、時代が変わったとうこともある。ある種のブームのときは、それなりにメンバーはあるのだが、そのブームが去ってしまって、彫る対象が世には、傍目にはそんなに有名であhない、ある種マニア的な対象にもなるので、そうしたことを考えた上で新メンバーの募集をしなくてはならないのだが、そうしたこともないようなので、増加は難しいだろうなぁ。。。
さらには、この会では、その対象とする仏像の作者の模刻以外は受け付けてもらえない。自前の表現は認めてもらえないという非常に狭い考えなので、入会して、それがわあかると自前のものが彫りたい人は抜けていくうの仕方がないかもしれない。入会2回目で抜けた人もいるくらいだ。
かくいう私は、そんなことをある程度無視して作品を作ってはいたが、とうとうそのストレスが耐え切る限度を超えてしまった。
彫刻という大きな範疇で、同好の士を募り、それから目的の仏像の魅力を知ってもらって引き入れたいけばいいのではないかとも言ったのだが、それは認められないとだと。
我慢の限度を超えての退会です。
これで来年はお祭りに出ることもありません。何処かから要請がかかる事もないでしょうから・・・
反省しております・
そのお祭りでいろんな出会いがあったのですが、逆に昨日のイベント終了をもって所属していた木彫りの会を退会してメンバーとお別れすることになりました。
この会に入って10年を超えた。本当はこの会ではなくちょっと離れた同様の会に入会するつもりでいたのだが、たまたま圧迫骨折をして動きが取れず、動けるようになっても当面車の運転もおぼつかないので、たまたま近くに同じような会があると聞きそちらに入会をしたのです、
入会をした。
最初の日にいきなり図面をもらって「これを彫れ」と言われた。ん??彫り方なんかを指導してくれるんではないのかと結構訝しく思ったのだが、たまたま独学で彫ることをしていたのでなんとかこなすことはできた。
でもなぁ 。。私がどれだけの技量をもているかを知った上で、彫る指示を出して欲しいものだ。全く素人だったら、どうしようないだろうと思う。
それから、次の作品も図面とモデルの円空仏を出されて、それを彫れという。正直その作品自体いかがなものかという出来でもあった。
いろんな仏像を見てきている私は目だけはいいものを見る目はある程度あると思っている。出されたものをまぁ忠実に彫るのではなく、私なりの彫り方で仕上げたものだです。
ここで完成した時に、責任者が彫刻刀で私の作品に手を入れた。えっ?そんなことしないでくれ、彫り方を指導するなら私のではなく他でやってくれ!!と思ったものです。手を入れられたら私作品で無くなってしうから、私がものすごく嫌いこと。そんなことはお構いなしで。。。
そんな入会当初であったけれど、当時はまだ耳が健在で会話もできるし、他のメンバーとの会話も楽しみながら彫っていた。
それから彫る作品は、自分で選択して彫っていくのだが、彫り方は独学でのこと。素人に毛が生えた状態の中で、どれだけ怪我をしたことか。危険な彫り方すらわかっていなかったから。本来同好の会であっても、入会直後は新人の技量によっては、危険な彫り方は注意を促すなどの指導をすべきだと私は思っている。そんなの全くなくて。。。
しかし、そうした危険なことを体験したことで、自分なりに怪我をしない彫り方や、刃物で切れにくい手袋などを探し回ったりした。これらのこと特に、手袋に関しては会のメンバーに知らせて、結構それを使っておいでになる。
この会では、時折材料の支給がある。多くが端材で、材質もいろいろ、ヒノキ、クス、すぎ、ケヤキ。ホウ・・・・ 材質によって彫り方が結構変わるものだけど、そんな話も待ったくなく、全部自分で覚えろということらしい。まぁ、そのおかげで自分なりに研究してそれなりに彫るようになったのだが、上達が遅いだろうと思う。ある程度の指導があれば、それなりの速度があると思うのだが。そんな上達よりも、怪我をしない方の指導があってもいいかな。
そんなこと思いつつ、10年がたった。
昨日祭りの会場で、全く素人で、刃物も持っていないという方が、彫りたいのだけれどとの申出を受けた。こういう人を受け入れたら、私がされてきたように、いきなり図面出されて、これを彫れと言われたら、おそらく戸惑うことになるだろうと思って、責任者に、この方の指導を任せて欲しいと訴えたが、あえなく却下さた。そして、最初に彫るもので彫り方を勉強してもらうのだとも。彫り方。その危険防止も教えない指導は私としては納得できないので、なっよくいくはずもない。その最初に彫るものが彫刻の基本ではないとまで訴えたのだが、この辺りは考えることにかなりな相違ががあるので平行線になるばかり。挙げ句の果てに「自前の会を作れ」とも、ここまで言われると新人の入会直後のその責任者の指導を見るのは私にとって精神構造上良くない、イライラが募るだけなので、ここでキッパリと「退会させてもらいます」と申し出た。これは拒否されることないし、されても行かないだけの話なので。
他のメンバーからは「思いなおせ」との言葉をいただいたが、私の決意は固い。実は、この会のことを責任者の方は「教室」と呼んでいる。教室ならば。それなりの教えをして欲しいと思うから、教えられないのなら、私はこの会にいる名目はなくなる。
それと、もっと大きな問題がある、
お祭りでこれまでの作品を出品するのだが、単にテーブルの白い布をかけてその上に作品を並べるだけ。これで作品の良さをどう主張させるのだろう?全く考えられていないようで、私は、今回はあえて、展示テーブルの上に展示用の黒い台を起き、その上に作品乗せて陳列した。他の方とは違う展示になっることは承知の上でのあえての私のデモンストレーションだったのだが。。
展示の方法についても、彫刻作品は壁面がほとんど何も飾られることはない。会の名を書いた銘板くらいで、他は展示パネルの壁が剥き出しなっている。
この会のメンバーは。だんだん減少している。退会されていかれる方にはそれぞれの理由がるだろう。致し方ない問題だが、メンバーが減ればあ当然の如く会費の納入も減る、減れば活動なんてできなくなる。だからこの会はセンター祭り以外のイベントは、自前ではないのだ。
まぁあ、和気藹々でおしゃべるを目的といている方が多いらしいけれも、そのおしゃべるをするメンバーが減ったのでは、おしゃべりも無くなるだろうし、いずれ空中分解しかねないと思う。
なので、それなり新メンバーの入会を促したいのだが、そんな運動もほとんどなく、自前の講座お開催しても宣伝することもないので、当然の如くに希望者ゼロでボツになったりもしている。その時には私がブログに書いて紹介もしたけれど、それの効果もなかった。。
そうした新メンバーの入会が少なくなっているのは、この会だけではなく、他の同様の会も少なくなり、自然消滅しているし、同種の会の連合の会が存在したのだが、その連合会も空中分解してしまっている。
これは、時代が変わったとうこともある。ある種のブームのときは、それなりにメンバーはあるのだが、そのブームが去ってしまって、彫る対象が世には、傍目にはそんなに有名であhない、ある種マニア的な対象にもなるので、そうしたことを考えた上で新メンバーの募集をしなくてはならないのだが、そうしたこともないようなので、増加は難しいだろうなぁ。。。
さらには、この会では、その対象とする仏像の作者の模刻以外は受け付けてもらえない。自前の表現は認めてもらえないという非常に狭い考えなので、入会して、それがわあかると自前のものが彫りたい人は抜けていくうの仕方がないかもしれない。入会2回目で抜けた人もいるくらいだ。
かくいう私は、そんなことをある程度無視して作品を作ってはいたが、とうとうそのストレスが耐え切る限度を超えてしまった。
彫刻という大きな範疇で、同好の士を募り、それから目的の仏像の魅力を知ってもらって引き入れたいけばいいのではないかとも言ったのだが、それは認められないとだと。
我慢の限度を超えての退会です。
これで来年はお祭りに出ることもありません。何処かから要請がかかる事もないでしょうから・・・
2023年09月23日
令和5年度の天白 生涯教育センター センター祭り
今日と明日は
名古屋市天白区の
生涯教育センターのセンター祭りです
コロナのせいで数年開催見送られたのですが
昨年再開
でも昨年は天候不順で退却少なかったけど
今年はものすごくいい天気天気良すぎて
逆に
多くの人が幸楽に出かけたのか
相客まばらねぇ。。
朝から詰めてました
国会議員やら市会議員やらがお忍びで。。
(バッチすけてなくてもわかるヨォ)
私は昨年
手術を控えてたし
会場が一時閉鎖で場所が変わって足がなかった
それに手術が4月にずれ込んだので
彫ること自体が少なかった
それに2月から観音さんを彫り始めて
3影かかったり
その後でがんけかけの観音彫ったりして
円空仏をほとん掘っていなかった
なので出品は4点しかもそのうち3点は過去のもの
それでも出しました
朝一番のお客さんは
円空仏彫刻体験に来た小学生
誓うの小学校ではないけど
親御さんんついてきたのでしょう
(左に写るは私が高思い的に司法と思っている
円空仏では有名な長谷川信之さん)
子供さんが
円空仏を彫って
完成して師匠と共にのショット
親御さんんショットに便乗した
(掲載は許可もらってます)
左の三体が私の作品です
丸一日いたけど
いつもは昼寝の時間に来客の応対
よくぞ我慢できた
4時に迎えにきてもらって
明日の準備をして
その亜でこれを書いてます
明日は
私の作品をもらって絵いただこうと
10数大出品します
無理に断捨離するのではなく
わつぁ日の作品でもいいという方に
もらっていただこうとおもてます
お近くなら
背日きていただいて
もらっていただければ幸いです
もうじき晩飯です
食べて風呂に入ったら
寝ます・・・
名古屋市天白区の
生涯教育センターのセンター祭りです
コロナのせいで数年開催見送られたのですが
昨年再開
でも昨年は天候不順で退却少なかったけど
今年はものすごくいい天気天気良すぎて
逆に
多くの人が幸楽に出かけたのか
相客まばらねぇ。。
朝から詰めてました
国会議員やら市会議員やらがお忍びで。。
(バッチすけてなくてもわかるヨォ)
私は昨年
手術を控えてたし
会場が一時閉鎖で場所が変わって足がなかった
それに手術が4月にずれ込んだので
彫ること自体が少なかった
それに2月から観音さんを彫り始めて
3影かかったり
その後でがんけかけの観音彫ったりして
円空仏をほとん掘っていなかった
なので出品は4点しかもそのうち3点は過去のもの
それでも出しました
朝一番のお客さんは
円空仏彫刻体験に来た小学生
誓うの小学校ではないけど
親御さんんついてきたのでしょう
(左に写るは私が高思い的に司法と思っている
円空仏では有名な長谷川信之さん)
子供さんが
円空仏を彫って
完成して師匠と共にのショット
親御さんんショットに便乗した
(掲載は許可もらってます)
左の三体が私の作品です
丸一日いたけど
いつもは昼寝の時間に来客の応対
よくぞ我慢できた
4時に迎えにきてもらって
明日の準備をして
その亜でこれを書いてます
明日は
私の作品をもらって絵いただこうと
10数大出品します
無理に断捨離するのではなく
わつぁ日の作品でもいいという方に
もらっていただこうとおもてます
お近くなら
背日きていただいて
もらっていただければ幸いです
もうじき晩飯です
食べて風呂に入ったら
寝ます・・・
2023年09月10日
9月の真夏日に 小さい薬師さん二体彫った
昨日の昼食後
退屈しのぎに
端材から薬師さんを彫ろうと
またまた
肩凝るのを覚悟で
なんとか
イメージを降り始めた
彫る前に材料の大きさがわかるようにと
右の体が先日彫ったもの
増光はそれぞれ3.5センチ
左の長いのが今回の材料
最初その半分に
一体彫って
二体目に入ったところ
(ちょいと行き過ぎてるなぁ)
この掘り方は
最初から
あの小さい大きさの材料でほると
かなり難しいので
長い材料お時の彫ってます
実は
前に彫った
日の木の端材の時は
あの大きさで彫ってます
かなり面倒だった
手袋は
刃物で切れにくいものです
黒くなっているのは
木の脂からの汚れです
時折洗濯するんですが・・
手袋外してのショット
私の指と比べてください
なんとか形になりました
と言っても
完全にイメージだけです
これで仏像というのはおこがましい
恥を知る人間なら
アップなんてしないだろうと思う
恥を知るなら
木彫りなんて
私にはできなかったお思う
二体一緒なので
万力で挟んで鋸で切り離します
(鋸はホビー・工作用)
万力使わないと
以前失敗したときのように
指を切りかねないので
大きさがわかるようにと
スケールと一緒に
先に彫った二体共々
居間に持ってきて
いろんな小物の棚に
左のペンギンは
なぜか以前から
ここに座ってます
相方の趣味だろうと思うけど
誰か子供のものかもなぁ
あぁひょっとしたら孫のおもちゃかも
2023年09月01日
天白公園の朝 230901 魚がジャンプしたけど・・
朝の記事アップの後
車を走らせて
木彫りの会場まで
会場の前の道路の標識駐車場に
車を置いて天白公園に行った
毎度やってきて天気さえ良ければ
大根池のショットをしている
今朝もいい天気に恵まれ
湖面はキラキラ輝いていた
そのキラキラを動画に
最後の方で左下に大きな波紋が出ます
残念ながら写って愛ないんですが
大きな魚が飛び上がったのです
ほんの少し左を撮っていれば
写ったんですけどねぇ
ひょっとして
「ボチャン」という意図は言ってないかなぁ?
この後会場に行って
約2時間木彫りをしてきました
その2時間半で彫った結果は
久々の円空さんらしい彫り物です
昨年は
秋口から会場が閉鎖になって
私は別会場に行く足が無かったので休会
そして12月に手術を予定していたので
作品を彫ることがほとんどなかった
そして4月の人工内寺の手術
回復して参加するまで
円空仏らしいものは彫ってない
まぁ円空仏でも
円空さんらしからぬ馬頭観音を見つけて
それを彫っていた
そして最近は
その馬頭観音をアレンジした
聖観音を彫ったりしてた
なので
画像のような円空仏らしいものは
本当に久しぶり
それでも2時間でこれだけ彫れたので
彫ること自体は鈍っていなかったのかも
この手のものはバンバン追い打ちして
早く彫ることができる
気持ちよかったなぁ
スイスイ彫れて
12時に帰宅
昼飯食べたら
どっと疲れがで睡魔にノックアウトとされた
1時間半も熟睡した
目が覚めて
朝まだ咲いていなかったヒオウギを見に行った
ちょっと複雑な格好で咲いてますが
これで4輪咲いているんです
最初3輪かと思ったけどね。。
あぁ
それから朝報告したアボカド
やっぱり上の方の枝はダメでした
そいうことで
高い枝を切り落としました
これで生き延びてくれるといいのだけど
車を走らせて
木彫りの会場まで
会場の前の道路の標識駐車場に
車を置いて天白公園に行った
毎度やってきて天気さえ良ければ
大根池のショットをしている
今朝もいい天気に恵まれ
湖面はキラキラ輝いていた
そのキラキラを動画に
最後の方で左下に大きな波紋が出ます
残念ながら写って愛ないんですが
大きな魚が飛び上がったのです
ほんの少し左を撮っていれば
写ったんですけどねぇ
ひょっとして
「ボチャン」という意図は言ってないかなぁ?
この後会場に行って
約2時間木彫りをしてきました
その2時間半で彫った結果は
久々の円空さんらしい彫り物です
昨年は
秋口から会場が閉鎖になって
私は別会場に行く足が無かったので休会
そして12月に手術を予定していたので
作品を彫ることがほとんどなかった
そして4月の人工内寺の手術
回復して参加するまで
円空仏らしいものは彫ってない
まぁ円空仏でも
円空さんらしからぬ馬頭観音を見つけて
それを彫っていた
そして最近は
その馬頭観音をアレンジした
聖観音を彫ったりしてた
なので
画像のような円空仏らしいものは
本当に久しぶり
それでも2時間でこれだけ彫れたので
彫ること自体は鈍っていなかったのかも
この手のものはバンバン追い打ちして
早く彫ることができる
気持ちよかったなぁ
スイスイ彫れて
12時に帰宅
昼飯食べたら
どっと疲れがで睡魔にノックアウトとされた
1時間半も熟睡した
目が覚めて
朝まだ咲いていなかったヒオウギを見に行った
ちょっと複雑な格好で咲いてますが
これで4輪咲いているんです
最初3輪かと思ったけどね。。
あぁ
それから朝報告したアボカド
やっぱり上の方の枝はダメでした
そいうことで
高い枝を切り落としました
これで生き延びてくれるといいのだけど
2023年08月31日
今日も小さい薬師さんに挑戦 でも・・・
今日は朝から
明日の木彫りの会の準備を
久々に
円空仏を彫る気になったので
数年庭で雨ざらしになっていた材料
それを使うことにしたので
彫ることができるように整えていた
そこで端材が出たので
その端材を使って
またまた小さい薬師さんを彫ることにした
右の画像の右側が
今日彫った薬師さん
(左が先日彫った)
先日のよりも小さいものをともって
掘り始めたのだけど
ん??失敗
同じくらいの大きさで
しかもできは。。。
右の画像は
彫る前の状態
材料と使ったのみです
最終的には
ノミではなく彫刻刀などを使ってますが、、
彫りながら色々考えていた
いっとき連載した
「何故仏像を彫る」
あくまで私のこと
仏像を彫ることは
木彫りを始めた時さほど考えていなかった
ただただ
時間潰しに何かを彫ろうと
まさか全身の仏像を彫ることなんて
全く考えてなかった
彫り始めてから
室生寺に行き あの十一面観音と再開して
なんとかあの美形の顔を彫ろうと
思い立ったのが運のつき
最初は顔だけだった
でも全く似ていない顔になった
この頃に末期がん宣告を受けた
同じ頃に
円空仏なら彫ることできるかと
安易に考えてちょこちょこ
そして
荒子観音に行って
長谷川信行先生に出会ったり
直後に
圧迫骨折
荒子に通うのを断念
代わりに天白の円空仏を彫る会に参加
最初はただただ
模刻で円空さんの真似を掘ることしか
考えてなかった
でもでも 始めたら本気になってしまって
そしていずれオリジナルをとまで
でも
そんな時でも
彫ることはあくまでも彫ることだけ
意味合いなんて考えていない
写真を見て
この形彫りたい
と思うくらいだった
が
義弟が白血病になって
瀕死の情報が入って
初めて気持ちを込めて彫った
しかし彫り終わったときには
義弟は浄土に召されていた
彫ったのものは
三途の川の案内に付き添っていった
そんなことがあって
仏像を彫る そのきっかけを
考えるようになった
あちこちでかけて見る仏像
それば何のためにだけの祈願で彫られたのか
そんなこと思うようになった
私は長年
浄土教の流れの教育を受けてきた
そのせいか阿弥陀如来が大好きで
阿弥陀さんを彫ることを目指していたが
日本では
阿弥陀如来は「お迎え」
つまり臨終に紫雲たなびかせて迎えに来る
そんなイメージが強い
私自身が末期癌を抱えた
お迎えは心の中で禁句
その頃から阿弥陀仏は彫らずに
薬師如来を彫ることが多くなった
少しでも
病気平癒を願ってという
特にコロナが蔓延して
なん体の薬師如来彫ったか
何とか治って欲しいと
とはいえ
仏さんに願ってということではない
あくまでも
私自身の気持ちを
形で表すのに
薬師如来が一番近かったということ
観音さんを彫ることもある
観音さんは
阿弥陀如来の化身で
衆生の願いを聞き届けてくれるという
そういったことは知ってはいるけど
信じているということではなく
あくまでも
今の私が掘るのは
その時の気持ちを表すことだけ
難しい表現だなぁと思う
信仰がない人間が
信仰の対象となり打つものを彫る
信者の如く思われる
お経と言われるものも読んだ
あの漢字の羅列したものではなく
現代日本語に翻訳したもの
そして
お経は物語だと知った
お釈迦さんの生き様
それを読んで
人生の参考にする
それでいいのだと思っている
書かれていることに
共感できる己があり
それが生活に役立つのなら
それだけでいいのではないか?
これは
新約、旧約の聖書も同じ
物語なのだ
旧約聖書に書かれていたことは
結構役になっていたと思っている
今これを書いていて思ったこと
信仰というのは
信じるということなのかもと
取り止めのない話だなぁ
毎度この手の話を書くと
取り止めのないものになる
私自身の中で消化できていなんだろう
消化できたら
それが悟りなのかも
悟りを開けば
如来さんになれるぞ
2023年08月29日
8月28日 午前に 久々に 小さい薬師さんを彫った
今日は
朝飯食べて
少してから相方がいそいそ
お出かけの準備
そして時間が来て
バスに乗るといって出かけた
それから私は好き勝手なことができる
相方が出かけた後でブログの記事を書いて
アップし終えて
テレ部の中国ドラマを見ようと
でも
でお
見ることなく木彫りの部屋に
そして
小さい材料を探して
彫った
彫った
久々に薬師さんを
それも小さいのを
彫ったのだ
1時間半して
相方が帰ってきた
まだ彫り終えてなかった
相方を出迎えて
即木彫りに戻って
これが今日の作品
久々に小さいのをと追うことで
刃物がいうことを聞かない
なんとか薬師さんの最低のイメージを
これ後大きさわかんないよねぇ
物差しとのツーショット
像高3.5センチです
笑ってくれたかなぁ
鳴いてはいないと思うけど
たまには掘らないとこいううことになるなぁ
と
大反省です
朝飯食べて
少してから相方がいそいそ
お出かけの準備
そして時間が来て
バスに乗るといって出かけた
それから私は好き勝手なことができる
相方が出かけた後でブログの記事を書いて
アップし終えて
テレ部の中国ドラマを見ようと
でも
でお
見ることなく木彫りの部屋に
そして
小さい材料を探して
彫った
彫った
久々に薬師さんを
それも小さいのを
彫ったのだ
1時間半して
相方が帰ってきた
まだ彫り終えてなかった
相方を出迎えて
即木彫りに戻って
これが今日の作品
久々に小さいのをと追うことで
刃物がいうことを聞かない
なんとか薬師さんの最低のイメージを
これ後大きさわかんないよねぇ
物差しとのツーショット
像高3.5センチです
笑ってくれたかなぁ
鳴いてはいないと思うけど
たまには掘らないとこいううことになるなぁ
と
大反省です
2023年08月03日
猛暑日に 観音さんを掘る 230803
今日も暑い日になりました。そんな暑い日にエアコンなしで観音さ彫ろうかと思ったけど、 気温がとんでもなく上がってきて34度を超えてしまった ・このままいけばまた熱中症になりかねないので エアコンの温度設定を30度にして彫ることにした 。この設定温度だと動くと薄らと汗をかくぐらい。でも気持ちよかったな。
午前1時間、午後2時間。合計3時間かけて、今日は左右の耳をなんとか形作った。 この大きさで耳を掘るって結構面倒で、しかも材料が木曽檜で、細かい作業には向いていないと今ごろになって気づいたくらいに、細かい部分は本当に神経を使う。
細身の観音さんという設定で彫っているので、確かに細身にはなってきたけど。顔が細くてにこやかさを出すことができなくて苦労している。
今日は、耳をある程度彫った後で蓮華台の続きを彫った。
先日、手首を痛めたのでその点を頭に入れて、考えながらなんとか掘り続けた。なかなか完成にならないなぁ。。
お盆休みに息子が帰ってくるんではないかと思うので、来週は木彫りの部屋を明け渡さねばならないから、彫っても明後日までだけど、お盆前の完成は難しくなってしまった。
諦めたついでに、もっと精魂込めて、思い通りに彫ることにした。
明日は人工内耳のサウンドプロセッサーのリハビリに行きます。ということで、お盆前に彫るのは今日が最終だな。土曜日は木彫り部雨あの大掃除をします。
午前1時間、午後2時間。合計3時間かけて、今日は左右の耳をなんとか形作った。 この大きさで耳を掘るって結構面倒で、しかも材料が木曽檜で、細かい作業には向いていないと今ごろになって気づいたくらいに、細かい部分は本当に神経を使う。
細身の観音さんという設定で彫っているので、確かに細身にはなってきたけど。顔が細くてにこやかさを出すことができなくて苦労している。
今日は、耳をある程度彫った後で蓮華台の続きを彫った。
先日、手首を痛めたのでその点を頭に入れて、考えながらなんとか掘り続けた。なかなか完成にならないなぁ。。
お盆休みに息子が帰ってくるんではないかと思うので、来週は木彫りの部屋を明け渡さねばならないから、彫っても明後日までだけど、お盆前の完成は難しくなってしまった。
諦めたついでに、もっと精魂込めて、思い通りに彫ることにした。
明日は人工内耳のサウンドプロセッサーのリハビリに行きます。ということで、お盆前に彫るのは今日が最終だな。土曜日は木彫り部雨あの大掃除をします。
2023年08月01日
>猛暑日の最中 涼しく観音さんを彫る 230801
朝から
エアコンをつけて
熱中症にならないように
でも一日エアコンの冷えの中にいると
体はだるいなぁ
でも
熱中症になるよりはマシなのかも
昼から
1時間40分くらい
木彫りの部屋に行って
エアコンつけて
しこしこ
観音さんを彫ってました
だんだん完成形に近くなってくるので
細かい作業が増えてくる
先日は
蓮華台を彫るのに
腕の使いかわが悪かったおか
手首に痛みが出てしまった
今日はそれに注意しながら
衣にヒダをつけました
思った以上に細身に見える
確かに細身を意識しているけど
なんだか写真の方が細身
普通あり得ないんだけど
少し上から撮ったからかな?
次回は
蓮華台を
もっともっと切り込みを入れて
形を整えなければ
でも いつ?
エアコンをつけて
熱中症にならないように
でも一日エアコンの冷えの中にいると
体はだるいなぁ
でも
熱中症になるよりはマシなのかも
昼から
1時間40分くらい
木彫りの部屋に行って
エアコンつけて
しこしこ
観音さんを彫ってました
だんだん完成形に近くなってくるので
細かい作業が増えてくる
先日は
蓮華台を彫るのに
腕の使いかわが悪かったおか
手首に痛みが出てしまった
今日はそれに注意しながら
衣にヒダをつけました
思った以上に細身に見える
確かに細身を意識しているけど
なんだか写真の方が細身
普通あり得ないんだけど
少し上から撮ったからかな?
次回は
蓮華台を
もっともっと切り込みを入れて
形を整えなければ
でも いつ?
2023年06月02日
観音菩薩を彫る 23年6月から その1
人工内耳手術に備えて
3月の途中から
木彫りの会を休んでいた
自宅でも彫ることがなかったので
3ヶ月ぶりくらいに
木彫りをすることになった
昨日6月1日に開始した
使っている材料は
四年前に下呂温泉に行った帰りに
岐阜県の加子母で買ってきた木曽檜
これを使って
3月に完成した円空さんの馬頭観音
これをもう一体
ただ頭を馬ではなく
ごく普通の観音さん
まぁ聖観音の部類になるからな?
また細かい作業になるので
結構時間がかかるかと思うけど
精魂込めて掘ろうと思ってます
昨日は
鋸を使って
(私としては珍しいこと)
(大体がのみで形を作ることが多いから)
大まかな形を切り出した
そして
今日は本当に久々に
木彫りに書いに行って彫った
右が3月に完成した馬頭観音
左が今回彫る観音菩薩
右の馬頭観音の姿を素縮小してほる
そして
頭だけ理がったものに帰るのだ
完成はできれば8月くらいにしたいと思っているけど
この先の体の状態な度ももあるので
体調が良ければ
早く仕上がるともうけれど
何かあれば遅くなるかなぁ?
これまでは
彫るたびにアップしてきたけど
今回はどうしようか迷っている
というのもいずれそのわけを
書くことになるかもしれないけれど
とにかく気持ちを込めて彫る
それだけは変わりなく
いつもそれなりに気持ちを込めているけど
今回はもっともっと
込めることにしてます
3月の途中から
木彫りの会を休んでいた
自宅でも彫ることがなかったので
3ヶ月ぶりくらいに
木彫りをすることになった
昨日6月1日に開始した
使っている材料は
四年前に下呂温泉に行った帰りに
岐阜県の加子母で買ってきた木曽檜
これを使って
3月に完成した円空さんの馬頭観音
これをもう一体
ただ頭を馬ではなく
ごく普通の観音さん
まぁ聖観音の部類になるからな?
また細かい作業になるので
結構時間がかかるかと思うけど
精魂込めて掘ろうと思ってます
昨日は
鋸を使って
(私としては珍しいこと)
(大体がのみで形を作ることが多いから)
大まかな形を切り出した
そして
今日は本当に久々に
木彫りに書いに行って彫った
右が3月に完成した馬頭観音
左が今回彫る観音菩薩
右の馬頭観音の姿を素縮小してほる
そして
頭だけ理がったものに帰るのだ
完成はできれば8月くらいにしたいと思っているけど
この先の体の状態な度ももあるので
体調が良ければ
早く仕上がるともうけれど
何かあれば遅くなるかなぁ?
これまでは
彫るたびにアップしてきたけど
今回はどうしようか迷っている
というのもいずれそのわけを
書くことになるかもしれないけれど
とにかく気持ちを込めて彫る
それだけは変わりなく
いつもそれなりに気持ちを込めているけど
今回はもっともっと
込めることにしてます
2023年05月13日
仏像を考える その3 観音菩薩 前書き
菩薩という仏さんの位については、「その2 如来と菩薩」に書いた様に、悟りをひらいて如来になる前の修行の身であることを書きました。法蔵菩薩が48の願を成就し悟りを開いて阿弥陀如来になった。その阿弥陀如来が仏像として登場すると、阿弥陀三尊と言われる様に、阿弥陀如来の脇侍として、勢至菩薩と観音菩薩が並んでいます。
ここに登場する観音菩薩は、菩薩の中でも仏像としてはかなり名前がうれた菩薩では無いかと思ってます。
その前に私が知る”菩薩”さんの名前を列記してみよう、頭の中にある記憶を総ざらえしようとしてます。これから出てくる名前にはみんな”菩薩”をつけて読んでください。
阿弥陀如来脇侍の観音、勢至、薬師如来脇侍の日光、月光、そして子供相手で有名な地蔵、弥勒如来の前身の弥勒、知恵の文殊、釈迦如来脇侍の普賢、密教で有名な虚空蔵、高僧として有名な人物を菩薩とした行基、世親(なぜか兄弟の無着は”菩薩”と言われていない様です)、親鸞の正信偈に登場する龍樹、天親などなどと、そんなにたくさん知っているわけでは無いなぁって思います。
まだまだ、菩薩と称される人もいたはずだけど、今の私の頭に浮かんでこない。頭から消えたのかなぁ?
さて、今回のお題は「観音菩薩」です。「かんのんさん」って馴々しく言われている仏様で、観音信仰と言って、観音菩薩に帰依する人も多いかった、また多いと聞いています。中国や韓国の歴史ドラマを見ていても「南無観世音菩薩」という言葉がよく出てきます。
ここで「観世音菩薩」という名が出てきたのですが、「観音菩薩」は別名というか教典の解釈によって、「観自在菩薩」やら「救世菩薩」なんておいう名前もあるんだとか、これを書くために色々ネットで調べていたら出てきました。
と言っても「観音菩薩」という名が私の頭の中では主流です。その「観音菩薩」ですが、その名前の前に別の名前がついた「観音菩薩」はたくさんあります。有名ななところでは六観音としての聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、如意輪観音、准胝観音、これに不空羂索観音を入れて七観音と言われている様で、これらの名前の仏像は本当にたくさん作られています。
このほかに十五観音、三十三観音などとして多くの観音菩薩があると書かれてましたが、私は巡礼、霊場巡りをしたことがないので、そう言った観音さんに出会うことはほとんどなかったと思います。
「観音菩薩」という菩薩は、仏の化身としていろんな姿に形を変えて、衆生を救済するために現れると聞いています。衆生、救いを求める人を救済するためにその状態に合わせた姿で現れると聞いています。
観音菩薩は「観音経」(「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」) にその姿が書かれているのですが、漢文の教典読んで理解できる私ではありません。教典の名前から「法華経」の一部なんだと解釈しましたが・・
浄土教、特に浄土真宗と浄土宗の中で育った私には、法華経は頭にないことでした。しかし、今これを書くに当たって色々調べていたら、観音経は知っておくべき話だなぁって思ったものです。親鸞の教えでは浄土三部経すら必要ないと、親鸞は捨てている感じですが、「これは難しい話は知らなくていい、ただただ阿弥陀を信じ、南無阿弥陀仏と唱えなさい」ということからなのでしょう。
しかし、仏像を彫ってきて思うことは、何故仏像がその形、姿をしているのかという、出典は理解しておくべきだったかと、反省しきりです。形の面白さだけを追ってきた私ですが、やはり心というものを感じて込めるならば、根本の教えを知って彫るほうがいい形が惚れたのかもしれないと思うのです。でも、もう遅きに失してますね。
これを書きつつ、観音経の和訳(わかりやすくしたもの)を読んでるのですが、それを読んでこれまで知っていた親鸞の女犯偈に至る話の三梦記に書かれていることがやっと理解できたって内心喜んでます。この気づきは25年前に欲しかった。親鸞研究をしている時に知ったら、おそらくかなり違ったものを頭に入れ込んだのではないかって思います。
話がどんどん横に行ってしまいそうなので、観音経の話はここいらで止めることにします。
円空仏をはじめ、色々仏像を彫って生きた私ですが、それらの仏像のいわれを考えるということはほとんどと言ってなかったのです。ただ形を作ることだけを考えていたからなのですが、「それが気持ちを込めて彫る」ということになって初めて、仏像の意味を考える様になりました。
これから「観音菩薩」について考えていく前に、私の知る、彫ったかと思う観音菩薩を列記しておこうと思います。
聖観音、馬頭観音、十一面観音、如意輪観音と言ったところです。というのも、円空仏を彫ることが多かったので円空が彫っていない准胝観音は彫っていないいません。(円空仏に准胝観音はないと思ってます) それから、円空は千手観音は数体彫ってますが、私はこんな手の込んだ仏像は無理なので手を出すことすらしてませんし、これからも出さないと決めてます。
さて、次回から 聖観音、十一面観音、馬頭観音、如意輪観音と彫ったことのある観音と、彫ってはいないけれどぜひ書き残しておきたい観音として不空羂索観音について書こうと思ってます。
しかし、実現するかどうかは、保証の限りではありません。
ここに登場する観音菩薩は、菩薩の中でも仏像としてはかなり名前がうれた菩薩では無いかと思ってます。
その前に私が知る”菩薩”さんの名前を列記してみよう、頭の中にある記憶を総ざらえしようとしてます。これから出てくる名前にはみんな”菩薩”をつけて読んでください。
阿弥陀如来脇侍の観音、勢至、薬師如来脇侍の日光、月光、そして子供相手で有名な地蔵、弥勒如来の前身の弥勒、知恵の文殊、釈迦如来脇侍の普賢、密教で有名な虚空蔵、高僧として有名な人物を菩薩とした行基、世親(なぜか兄弟の無着は”菩薩”と言われていない様です)、親鸞の正信偈に登場する龍樹、天親などなどと、そんなにたくさん知っているわけでは無いなぁって思います。
まだまだ、菩薩と称される人もいたはずだけど、今の私の頭に浮かんでこない。頭から消えたのかなぁ?
さて、今回のお題は「観音菩薩」です。「かんのんさん」って馴々しく言われている仏様で、観音信仰と言って、観音菩薩に帰依する人も多いかった、また多いと聞いています。中国や韓国の歴史ドラマを見ていても「南無観世音菩薩」という言葉がよく出てきます。
ここで「観世音菩薩」という名が出てきたのですが、「観音菩薩」は別名というか教典の解釈によって、「観自在菩薩」やら「救世菩薩」なんておいう名前もあるんだとか、これを書くために色々ネットで調べていたら出てきました。
と言っても「観音菩薩」という名が私の頭の中では主流です。その「観音菩薩」ですが、その名前の前に別の名前がついた「観音菩薩」はたくさんあります。有名ななところでは六観音としての聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、如意輪観音、准胝観音、これに不空羂索観音を入れて七観音と言われている様で、これらの名前の仏像は本当にたくさん作られています。
このほかに十五観音、三十三観音などとして多くの観音菩薩があると書かれてましたが、私は巡礼、霊場巡りをしたことがないので、そう言った観音さんに出会うことはほとんどなかったと思います。
「観音菩薩」という菩薩は、仏の化身としていろんな姿に形を変えて、衆生を救済するために現れると聞いています。衆生、救いを求める人を救済するためにその状態に合わせた姿で現れると聞いています。
観音菩薩は「観音経」(「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」) にその姿が書かれているのですが、漢文の教典読んで理解できる私ではありません。教典の名前から「法華経」の一部なんだと解釈しましたが・・
浄土教、特に浄土真宗と浄土宗の中で育った私には、法華経は頭にないことでした。しかし、今これを書くに当たって色々調べていたら、観音経は知っておくべき話だなぁって思ったものです。親鸞の教えでは浄土三部経すら必要ないと、親鸞は捨てている感じですが、「これは難しい話は知らなくていい、ただただ阿弥陀を信じ、南無阿弥陀仏と唱えなさい」ということからなのでしょう。
しかし、仏像を彫ってきて思うことは、何故仏像がその形、姿をしているのかという、出典は理解しておくべきだったかと、反省しきりです。形の面白さだけを追ってきた私ですが、やはり心というものを感じて込めるならば、根本の教えを知って彫るほうがいい形が惚れたのかもしれないと思うのです。でも、もう遅きに失してますね。
これを書きつつ、観音経の和訳(わかりやすくしたもの)を読んでるのですが、それを読んでこれまで知っていた親鸞の女犯偈に至る話の三梦記に書かれていることがやっと理解できたって内心喜んでます。この気づきは25年前に欲しかった。親鸞研究をしている時に知ったら、おそらくかなり違ったものを頭に入れ込んだのではないかって思います。
話がどんどん横に行ってしまいそうなので、観音経の話はここいらで止めることにします。
円空仏をはじめ、色々仏像を彫って生きた私ですが、それらの仏像のいわれを考えるということはほとんどと言ってなかったのです。ただ形を作ることだけを考えていたからなのですが、「それが気持ちを込めて彫る」ということになって初めて、仏像の意味を考える様になりました。
これから「観音菩薩」について考えていく前に、私の知る、彫ったかと思う観音菩薩を列記しておこうと思います。
聖観音、馬頭観音、十一面観音、如意輪観音と言ったところです。というのも、円空仏を彫ることが多かったので円空が彫っていない准胝観音は彫っていないいません。(円空仏に准胝観音はないと思ってます) それから、円空は千手観音は数体彫ってますが、私はこんな手の込んだ仏像は無理なので手を出すことすらしてませんし、これからも出さないと決めてます。
さて、次回から 聖観音、十一面観音、馬頭観音、如意輪観音と彫ったことのある観音と、彫ってはいないけれどぜひ書き残しておきたい観音として不空羂索観音について書こうと思ってます。
しかし、実現するかどうかは、保証の限りではありません。
2023年05月09日
仏像を考える その2 如来と菩薩
前回は、春たけなわで、秘仏公開の多いことに因んで、かねてより思っていることを、言いたい放題になってるけど書きました。多分に関係者からはご批判を受けることになるのかもと、覚悟はできてませんが・・・・
今回は、仏像の種類、特に如来と菩薩について考えます。と言うよりも、思っていることを書きます。
実のところ、仏像の世界はかなり奥が深いようで、それを完全にマスターするなんてことは難しいだろうと思っています。
私が知るところでは、仏像、いや仏さんと言われるものには位があるようです。一般的に言われているのは
如来、菩薩、明王、天部 ですが、このほかに羅漢というものがあるのですが、これが一般的には前記した4つとは違うのかな?と思うのですが、ネットでの記述を見るかぎり「その他」という分流をしているものが多いと感じます。
これまた実のところ、私は明王、天部にはあまり大きな興味を持っていない罰当たりなのです。ということで、今回扱うのは如来と菩薩ということになります。
仏さんの位について、私が初めてその知識を得たのは、中学校の遠足で出かけた薬師寺で、当時まだ主任という役職にあった(と記憶してます)、後に管主になられた高田好胤師が、まだ仮金堂の中に収まっていた薬師三尊を前に、如来と菩薩の違いを解説してもらってのことです。
仮金堂の階段を上がったところ、仮金堂の外で、あの小柄な高田好胤師のお話を聞きました。しかし、覚えているのは「中央が薬師如来で、左右が菩薩さんです。如来さんは悟りを開かれた人で、菩薩さんはまだ修行のみで悟りを開く前の人です。」と。まあ65年以上も前の話なので、正確には言葉は覚えていませんが、とにかく「如来は悟りを開いた、菩薩は修行の身」ということだけはしっかりを覚えています。この記憶が、のちの私の仏像を見る、彫る時の中で生きています。
まず「菩薩」さんについて
前記した高田師のお話の記憶によれば、悟りを開く前の修行の身であるとのことです。その修行の段階で、それぞれに願を発します。それが阿弥陀如来の場合は菩薩時代には”法蔵”という名で48の誓願を発し、それを成就したこと=悟りを開いたことで阿弥陀如来になったとのことです。また薬師如来の場合も菩薩時代(名前探したけれど見つからず残念)に12の大願を発し、成就したことで薬師如来となったと記載されているのだと思います。
これらのことは、いわゆる”お経”としての書き物、例えば阿弥陀如来の四十八願に関しては「仏説阿弥陀経」に、薬師如来の十二の大願場合は”薬師経”(正式には「薬師瑠璃光如来本願功徳経」に書かれているとのことです。
ここで、お経に関しては、私は、ある種の物語と解釈しています。キリスト教の聖書、旧約聖書も新約聖書も物語で、仏教のお経の多くが物語だと思っています。私が読んだ(わかりやすくしたもの)の中では、釈迦が弟子を相手に語っている姿が描かれています。
この菩薩を形にした菩薩像。その姿は、多分に釈迦が出家する前の王族の姿を模して、きんきらしているものが多いと聞いています。確かに、多くの菩薩像はキンキラキンの冠かぶって、体にはきんきらしたアクセアリーを身につけてますよねぇ。。(ただ、地蔵菩薩は頭剃髪でキンキラしてないですけどねぇ。頭をキラキラに光らせたら面白いと言ったら叱られるかな?)
菩薩の中で有名なのは、阿弥陀如来の脇寺としての”観音菩薩”と勢至菩薩”、薬師如来の脇侍の”日光菩薩と月光菩薩”で、このほかにも多くの菩薩があり、地蔵菩薩ものその一つ、そして弥勒菩薩などなどたくさんの菩薩=修行の身の仏さんがいるようです。
「如来」さんについて
これまた高田師のお話の記憶によれば、悟りを開いた人ということのようです。ここで注目して欲しいのは「人」ということです。如来さんは人間なのです。仏は、人間の成れの果てです。キリスト教やユダヤ教などの絶対神とは意味を異にしているようです。
そして、如来になるには上記したように悟りを開かねばなりませんし、その悟りのために誓願、大願などを発し(公言とでもいうのかな?)、それを成就させてたことで悟りを得たとして如来の位に上がります。
これを逆に考えると、仏教の教えの中では、如来が世に存在することは、如来の前身の菩薩時代の願が成就したということになるわけです。成就=悟りを開くということなのだと私は解釈しています。
この辺りは、それぞれ「菩薩さんについて」の記述の中で出典のお経の名を書いています。
如来さんを形で表した仏像の姿は、頭は螺髪でキンキラキンの飾りはなく、衣は薄い物を纏っています。ただ、密教の中に出てくる”大日如来”(私が好きでない仏さん)だけは、宇宙を司っているので仏の中で最高位にあるということで、キンキラキンの菩薩同様、結構ド派手な姿をしています。
私としては好きではない”大日如来”ですが、宇宙を司るということは、ひょっとしたらキリスト教などの絶対神に近い存在なのだろうか?密教の教えをほとんど知らない私には不明なことで大恥なのだろうと思います。
余談になりますが、前にも書いたように、仏教の”お経”は物語が多いと思っています。経典を開くと漢字の羅列で、あれをお坊さんたちは音読しているので、何が書いてあるかなんて分かりはしないのです。たまに、それらを翻訳した書き物に出会うこともありますが。。。。
”お経”は、決して”お教”ではありません。まぁ釈迦の”教え”とも言えるかと思いますが、内容は釈迦=世尊が弟子に物語を通じて真実を解いているのだろうと思います。
漢字の羅列の図は、仏説無量寿経の一部です。黄色の文字になっている「阿難」というのは釈迦の弟子の一人で、この部分の翻訳を読むと、阿難と世尊の会話が記されているようです。
お経ですが、こんな漢字の羅列読んでも意味不明だし、音読した物でも意味詰位だし、キリスト教の聖書のように現代語に翻訳した物で説を聞かせてもらえるとありがたいと思いませんか?
今回は、仏像の種類、特に如来と菩薩について考えます。と言うよりも、思っていることを書きます。
実のところ、仏像の世界はかなり奥が深いようで、それを完全にマスターするなんてことは難しいだろうと思っています。
私が知るところでは、仏像、いや仏さんと言われるものには位があるようです。一般的に言われているのは
如来、菩薩、明王、天部 ですが、このほかに羅漢というものがあるのですが、これが一般的には前記した4つとは違うのかな?と思うのですが、ネットでの記述を見るかぎり「その他」という分流をしているものが多いと感じます。
これまた実のところ、私は明王、天部にはあまり大きな興味を持っていない罰当たりなのです。ということで、今回扱うのは如来と菩薩ということになります。
仏さんの位について、私が初めてその知識を得たのは、中学校の遠足で出かけた薬師寺で、当時まだ主任という役職にあった(と記憶してます)、後に管主になられた高田好胤師が、まだ仮金堂の中に収まっていた薬師三尊を前に、如来と菩薩の違いを解説してもらってのことです。
仮金堂の階段を上がったところ、仮金堂の外で、あの小柄な高田好胤師のお話を聞きました。しかし、覚えているのは「中央が薬師如来で、左右が菩薩さんです。如来さんは悟りを開かれた人で、菩薩さんはまだ修行のみで悟りを開く前の人です。」と。まあ65年以上も前の話なので、正確には言葉は覚えていませんが、とにかく「如来は悟りを開いた、菩薩は修行の身」ということだけはしっかりを覚えています。この記憶が、のちの私の仏像を見る、彫る時の中で生きています。
まず「菩薩」さんについて
前記した高田師のお話の記憶によれば、悟りを開く前の修行の身であるとのことです。その修行の段階で、それぞれに願を発します。それが阿弥陀如来の場合は菩薩時代には”法蔵”という名で48の誓願を発し、それを成就したこと=悟りを開いたことで阿弥陀如来になったとのことです。また薬師如来の場合も菩薩時代(名前探したけれど見つからず残念)に12の大願を発し、成就したことで薬師如来となったと記載されているのだと思います。
これらのことは、いわゆる”お経”としての書き物、例えば阿弥陀如来の四十八願に関しては「仏説阿弥陀経」に、薬師如来の十二の大願場合は”薬師経”(正式には「薬師瑠璃光如来本願功徳経」に書かれているとのことです。
ここで、お経に関しては、私は、ある種の物語と解釈しています。キリスト教の聖書、旧約聖書も新約聖書も物語で、仏教のお経の多くが物語だと思っています。私が読んだ(わかりやすくしたもの)の中では、釈迦が弟子を相手に語っている姿が描かれています。
この菩薩を形にした菩薩像。その姿は、多分に釈迦が出家する前の王族の姿を模して、きんきらしているものが多いと聞いています。確かに、多くの菩薩像はキンキラキンの冠かぶって、体にはきんきらしたアクセアリーを身につけてますよねぇ。。(ただ、地蔵菩薩は頭剃髪でキンキラしてないですけどねぇ。頭をキラキラに光らせたら面白いと言ったら叱られるかな?)
菩薩の中で有名なのは、阿弥陀如来の脇寺としての”観音菩薩”と勢至菩薩”、薬師如来の脇侍の”日光菩薩と月光菩薩”で、このほかにも多くの菩薩があり、地蔵菩薩ものその一つ、そして弥勒菩薩などなどたくさんの菩薩=修行の身の仏さんがいるようです。
「如来」さんについて
これまた高田師のお話の記憶によれば、悟りを開いた人ということのようです。ここで注目して欲しいのは「人」ということです。如来さんは人間なのです。仏は、人間の成れの果てです。キリスト教やユダヤ教などの絶対神とは意味を異にしているようです。
そして、如来になるには上記したように悟りを開かねばなりませんし、その悟りのために誓願、大願などを発し(公言とでもいうのかな?)、それを成就させてたことで悟りを得たとして如来の位に上がります。
これを逆に考えると、仏教の教えの中では、如来が世に存在することは、如来の前身の菩薩時代の願が成就したということになるわけです。成就=悟りを開くということなのだと私は解釈しています。
この辺りは、それぞれ「菩薩さんについて」の記述の中で出典のお経の名を書いています。
如来さんを形で表した仏像の姿は、頭は螺髪でキンキラキンの飾りはなく、衣は薄い物を纏っています。ただ、密教の中に出てくる”大日如来”(私が好きでない仏さん)だけは、宇宙を司っているので仏の中で最高位にあるということで、キンキラキンの菩薩同様、結構ド派手な姿をしています。
私としては好きではない”大日如来”ですが、宇宙を司るということは、ひょっとしたらキリスト教などの絶対神に近い存在なのだろうか?密教の教えをほとんど知らない私には不明なことで大恥なのだろうと思います。
余談になりますが、前にも書いたように、仏教の”お経”は物語が多いと思っています。経典を開くと漢字の羅列で、あれをお坊さんたちは音読しているので、何が書いてあるかなんて分かりはしないのです。たまに、それらを翻訳した書き物に出会うこともありますが。。。。
”お経”は、決して”お教”ではありません。まぁ釈迦の”教え”とも言えるかと思いますが、内容は釈迦=世尊が弟子に物語を通じて真実を解いているのだろうと思います。
漢字の羅列の図は、仏説無量寿経の一部です。黄色の文字になっている「阿難」というのは釈迦の弟子の一人で、この部分の翻訳を読むと、阿難と世尊の会話が記されているようです。
お経ですが、こんな漢字の羅列読んでも意味不明だし、音読した物でも意味詰位だし、キリスト教の聖書のように現代語に翻訳した物で説を聞かせてもらえるとありがたいと思いませんか?
2023年04月22日
仏像を考える その1 秘仏とお前立ち
春や秋の観光シーズンともなるとなぜか「秘仏ご開帳」と言われるものをよく見かけます。特に顕著なのは観光寺と揶揄されている寺に多いのではないかと思っています。
この”秘仏”とはどんな意味を持ち、どんないわれがあるのだろうと、かなり以前から思っています。昔から寺巡りの多い私は、特に国宝などの仏像を拝観するのに出かけているのですが、”秘仏”と称してなかなか見ることができないものもあります。
これは一例だけれども、かの法隆寺夢殿の救世観音は、絶対秘仏として長い歴史を持っていたようだったのを、岡倉天心やらフェノロサの働きで日の目を見たのですが、とにかく長い間布に包まれ、逗子に納められていた事で、制作当時に近い金箔の輝きを失ってなかったようです。
これは秘仏であったということの副作用に過ぎないと思います。しかし、仏像は信仰の対象であり、人が何かを祈念する際の対象のはずで、布に包み逗子に納めていて記念する際にその対象物としての意味があったのだろうかと私は訝しんでいます。
まぁ秘仏を逗子に納めてしまっているので祈りの対象にできないから代替えとして”お前立ち”を設けているところが多いと思います。(ネット情報には、その”お前立ち”すら秘仏になっているというところもあるようです。)
多くの寺を見て回って、と言っても信仰の対象としてではなく、あくまでも古美術、美樹品として拝観してきて思ったことは、その寺の建立の時代にもよりけりかということです。印象としては、奈良時代の多くの古い寺院ではそれほど”秘仏”は存在していないような気もしています。法隆寺・夢殿の”救世観音”あたりはいつの時代に秘仏になったのかわかっていないと聞きます。
私が思うには、密教と関係あるのかもと。というのも、奈良時代には少なく、平安期になって、空海以来の密教の影響がかなりあるようにもうのです。何かを隠そうとするような「秘密の密」と思うのは、素人の浅はかな考えなんでしょうが。
”救世観音”の秘仏に関しては、私は結構新しい時代になったんではないかと思ってるのです。というのは、円空仏の作者・円空が、伊勢への旅の帰り道で法隆寺に逗留してから作風が変わっているので、法隆寺でなんらかの影響を受けた、その円空のその後の作風の中で、あの救世観音の衣にギザギザに似たものを彫るようになっていることから、ひょっとしたら円空は救世観音に接しているのではないかと想像しています。
右図は円空咲くの馬頭観音の模刻(筆者作)です。あまりいい例ではないかと思いますが。。
秘仏とする理由はいろいろあるようです。ネット上でいろいろな情報を読みあさってまとめると
1 俗世間との隔離
2 神道からの影響
3 誤解を招かないため
4 保存 盗難防止のため
5 それぞれの持ち主の意思
6 などなど
これに加えて、近年では「格式を高めるため」なんてのがあるように思えてならないのです。というのも、ご開帳という儀式を設けることで、日頃秘めているものをお披露目するので、ありがたいものと思ってもらいたいという下心があるのではないかと、これまた浅はかな思い込みなんでしょうが。
一般的に、浄土系の宗派の寺院にはあまり秘仏と言われるものは少ないのですが、それでも浄土真宗の本山などでは宗祖・親鸞の彫像を秘仏としているところもあったと思います。
それにしても、「なぜ?」というのが付き纏います。
秘仏の中に「絶対秘仏」と言われるものが存在します。長野・善光寺の本尊がそれにあたるのだそうですが、これは善光寺の僧も見ることができない秘仏と聞いています。なんのために、自寺の僧にも見せないのだろう?
この善光寺の本尊は、昔の国宝選定の法律のもとでは「国宝」の指定を受けていたと聞きます。へぇ??絶対秘仏の仏像を、どうやって検証したのだろうと思うのです。国宝指定するには、それなりにその物体を見なければならないと思うのですが、見なくても国宝に指定したのでしょうか?まさか、お前立ちの出来具合から類推して指定したなんてことはないでしょうが。。
実は、この記事を書くために、善光寺の公式ページを参照したのですが、面白いというか、気になる記述がありました。
””七年に一度、絶対秘仏である御本尊様のお身代わりとして、まったく同じお姿の『前立本尊』様を本堂にお遷しして全国の人々にお参りいただく盛儀です。””
ん?? ”絶対秘仏”ですよね? 住職も見ることができないと言われている秘仏ですよね?で、お前立ちは、その絶対秘仏と同じ姿を彫るとなると、仏師は何を見て彫ったのだろう?同じ姿ならば、絶対秘仏といわれる本尊を見ながら彫るか、最低でもスケッチなどしておかねば、いやいやスケッチしなくとも絶対秘仏を目に焼き付けるなどしなければ、彫ることができないでしょう。つまりは、仏師は必ずや絶対秘仏を見ていると思うのです。
こういう、揚げ足をよることを言ったり、書いたりするからいかんのかな?
いずれにしても、”秘仏”というものの成立理由にはいろいろあるとは思うけれど、本当にその理由、いわれがはっきりしているものは少ないのではないかと思っています。
”秘仏” 人が見ることができないから、隠されているから”秘仏”なのであって、何年かに一度であっても、こご開帳されて、人に見られてしまったのであれば、それももう秘仏と言うにはおこがましいのではないでしょうか。
仏の前に、人は全て平等。浄土教の教えに染まっている私ならこその発想でしょうか?私は思います。素晴らしい仏像は、できるだけ多くの人に見てもらい、その素晴らしさを知ってもらい、造像の発願者=施主や仏師に感謝の意を表してもらうもいいのではないだろうかと思っています。
この”秘仏”とはどんな意味を持ち、どんないわれがあるのだろうと、かなり以前から思っています。昔から寺巡りの多い私は、特に国宝などの仏像を拝観するのに出かけているのですが、”秘仏”と称してなかなか見ることができないものもあります。
これは一例だけれども、かの法隆寺夢殿の救世観音は、絶対秘仏として長い歴史を持っていたようだったのを、岡倉天心やらフェノロサの働きで日の目を見たのですが、とにかく長い間布に包まれ、逗子に納められていた事で、制作当時に近い金箔の輝きを失ってなかったようです。
これは秘仏であったということの副作用に過ぎないと思います。しかし、仏像は信仰の対象であり、人が何かを祈念する際の対象のはずで、布に包み逗子に納めていて記念する際にその対象物としての意味があったのだろうかと私は訝しんでいます。
まぁ秘仏を逗子に納めてしまっているので祈りの対象にできないから代替えとして”お前立ち”を設けているところが多いと思います。(ネット情報には、その”お前立ち”すら秘仏になっているというところもあるようです。)
多くの寺を見て回って、と言っても信仰の対象としてではなく、あくまでも古美術、美樹品として拝観してきて思ったことは、その寺の建立の時代にもよりけりかということです。印象としては、奈良時代の多くの古い寺院ではそれほど”秘仏”は存在していないような気もしています。法隆寺・夢殿の”救世観音”あたりはいつの時代に秘仏になったのかわかっていないと聞きます。
私が思うには、密教と関係あるのかもと。というのも、奈良時代には少なく、平安期になって、空海以来の密教の影響がかなりあるようにもうのです。何かを隠そうとするような「秘密の密」と思うのは、素人の浅はかな考えなんでしょうが。
”救世観音”の秘仏に関しては、私は結構新しい時代になったんではないかと思ってるのです。というのは、円空仏の作者・円空が、伊勢への旅の帰り道で法隆寺に逗留してから作風が変わっているので、法隆寺でなんらかの影響を受けた、その円空のその後の作風の中で、あの救世観音の衣にギザギザに似たものを彫るようになっていることから、ひょっとしたら円空は救世観音に接しているのではないかと想像しています。
右図は円空咲くの馬頭観音の模刻(筆者作)です。あまりいい例ではないかと思いますが。。
秘仏とする理由はいろいろあるようです。ネット上でいろいろな情報を読みあさってまとめると
1 俗世間との隔離
2 神道からの影響
3 誤解を招かないため
4 保存 盗難防止のため
5 それぞれの持ち主の意思
6 などなど
これに加えて、近年では「格式を高めるため」なんてのがあるように思えてならないのです。というのも、ご開帳という儀式を設けることで、日頃秘めているものをお披露目するので、ありがたいものと思ってもらいたいという下心があるのではないかと、これまた浅はかな思い込みなんでしょうが。
一般的に、浄土系の宗派の寺院にはあまり秘仏と言われるものは少ないのですが、それでも浄土真宗の本山などでは宗祖・親鸞の彫像を秘仏としているところもあったと思います。
それにしても、「なぜ?」というのが付き纏います。
秘仏の中に「絶対秘仏」と言われるものが存在します。長野・善光寺の本尊がそれにあたるのだそうですが、これは善光寺の僧も見ることができない秘仏と聞いています。なんのために、自寺の僧にも見せないのだろう?
この善光寺の本尊は、昔の国宝選定の法律のもとでは「国宝」の指定を受けていたと聞きます。へぇ??絶対秘仏の仏像を、どうやって検証したのだろうと思うのです。国宝指定するには、それなりにその物体を見なければならないと思うのですが、見なくても国宝に指定したのでしょうか?まさか、お前立ちの出来具合から類推して指定したなんてことはないでしょうが。。
実は、この記事を書くために、善光寺の公式ページを参照したのですが、面白いというか、気になる記述がありました。
””七年に一度、絶対秘仏である御本尊様のお身代わりとして、まったく同じお姿の『前立本尊』様を本堂にお遷しして全国の人々にお参りいただく盛儀です。””
ん?? ”絶対秘仏”ですよね? 住職も見ることができないと言われている秘仏ですよね?で、お前立ちは、その絶対秘仏と同じ姿を彫るとなると、仏師は何を見て彫ったのだろう?同じ姿ならば、絶対秘仏といわれる本尊を見ながら彫るか、最低でもスケッチなどしておかねば、いやいやスケッチしなくとも絶対秘仏を目に焼き付けるなどしなければ、彫ることができないでしょう。つまりは、仏師は必ずや絶対秘仏を見ていると思うのです。
こういう、揚げ足をよることを言ったり、書いたりするからいかんのかな?
いずれにしても、”秘仏”というものの成立理由にはいろいろあるとは思うけれど、本当にその理由、いわれがはっきりしているものは少ないのではないかと思っています。
”秘仏” 人が見ることができないから、隠されているから”秘仏”なのであって、何年かに一度であっても、こご開帳されて、人に見られてしまったのであれば、それももう秘仏と言うにはおこがましいのではないでしょうか。
仏の前に、人は全て平等。浄土教の教えに染まっている私ならこその発想でしょうか?私は思います。素晴らしい仏像は、できるだけ多くの人に見てもらい、その素晴らしさを知ってもらい、造像の発願者=施主や仏師に感謝の意を表してもらうもいいのではないだろうかと思っています。
2023年04月17日
仏像を彫る なぜ? その4・民間の仏像の造像と円空仏
前回書いてきたことは、貴族や有力武士という力も財力もある、ある種の官製で作られた仏像ということになるかと思います。
では、一般庶民の間では、どうだったのだろうかと思います。
もともと仏教は、伝来以来官制の寺や有力の貴族、豪族のもので僧侶は国から資格が与えられねばならなかったと聞いています。これは、承元の法難で流刑にあった際の親鸞が僧籍を剥奪され、僧侶ではなくなり一般民として流刑地に赴いているところから私は判断しています。
ということは 、力ないものは寺を持つこともなく、仏像など作る事はご法度だったのかもしれないなんてことを思ったりもしています。この辺りは、歴史学者ではないので、ただ単なる思いつき、妄想に過ぎません。
江戸時代になると、戸籍の管理のための檀家制度の流れで、どこかの寺の檀家ということになって、各家に仏壇らしきものが置かれたりもするようになったと思われるのですが、貧乏庶民には仏壇は難しかったのではないかと想像します。これは偏見とみられるものになるかもしれませんが、浄土真宗の法要を見ていると阿弥陀如来の仏像がなく、その代替えなのか、「南無阿弥陀仏」などの名号を書いた掛け軸に向かって正信偈や浄土三部経を唱えます。大きな仏壇のあるところは、中に阿弥陀如来立像があったりしますが、如来像がなく名号だけという仏壇も多くあります。
日蓮宗でも似ているのか、「南無妙法蓮華経」と書いた掛け軸に向かって、「南無妙法蓮華経」と唱和しているように思われます。
これは、庶民の財力に応じて考え出されたものだろうと思うのです。庶民でも、商家などで財力があれば、立派な仏壇を作って、如来像を安置していたのだろうとも思いますが、仏壇はともかくとして、大きな仏像を彫ってもらうなんていうことは財力的に難しいと思います。
ここでは、(浄土真宗の場合)仏像も六字名号も正信偈や三部経を唱えるためもののであり、個人個人の何かの祈念、祈り、祈願というものを込めたものではなさそうです。
私自身、円空仏を彫るようになって思ったことは、何故円空さんは16万体も彫ったのか?ということです。円空を研究する人からいろいろ言われています。人それぞれの考え、思いがあるのですから、いろんな見方があると思います。どれも否定されるものではないだろうとも思っています。
円空という人物は、僧侶だったことは確かかと思います。僧侶と言っても、いろんな立場があるようで、ひょっとしたら円空さんは”ひじり注1”ではなかったのかと私は思ったりもします。(実は、親鸞も「念仏聖」ではなかったかと言われる面もあるようです)
つまり、”ひじり”としてあちこち歩いて説教して仏の教えを説いていたのではないかと思うのです。”ひじり”の多くが行く先々の寺で宿泊することも多かっただろうし、一般民衆の中、特に庄屋レベルの財力、力のある所に宿泊したことも考えられます。
円空さんは、個人宅や寺院に一宿一飯(長期滞在も含めて)の恩義の返礼として仏像を彫ることも多かったのではないかと思います。
16万体という数は、荒子観音でみるように、大きな仏像造像で出る端材(=木端)に観音などの千体仏などを彫り込んでいることで可能だったのだろうと思っています。
円空仏には、個人蔵が多くあります。それは宿泊した先の個人宅で、返礼として、また依頼されたものとして彫ったのではないかと思っています。
円空仏の時系列的な流れから見ると、円空は仏像彫刻の当初はいわゆる一般の仏像を彫ろうとしたのではないかと思われるのですが、ある年に出かけた伊勢から奈良県天川経由で法隆寺に参拝していると思われるのですが、その法隆寺参拝後に大きく作風が変わっています。おそらく大きなショックを受けるものを見たのではないかと思うのです。そしてその形態を簡潔化に向かっていったのではないか。そしてその簡素化が多くを彫るという目的のために突き詰められていったのだろうと思うのです。
(私は、円空は夢殿の救世観音に接したのではないかと思っているのです。救世観音でないにしても、法隆寺には救世観音に似た衣の形式の間の仏像がたくさん存在しているので、それらに接したのかもしれないと思います。)
(救世観音は秘仏であったので拝観できなかったといわれそうですが、本当に岡倉天心、フェノロサの思いで開帳されるまで、見えなかったのでそうか?私は疑問視しています。)
そんな円空仏に対する私の思いは、あくまでも趣味としての形作りにしぎなかったのですが、前述しているように、ある年義弟の病回復を心底願って、願いは叶いませんでしたが一体彫っています。
その後、私が円空仏に限らず、仏像もどきを彫る際には、それなりの願いを込めて彫るようになりました。その中には私自身の末期癌克服の願いを込めているものもあります。そんな流れの現れが、薬師如来です。
一方で、円空さんにならって木端を使って小さいものもたくさん彫っていますが、そこにも私の祈りが込められています。そしてその中のいくつかが、私に関わりのある人の葬儀に際して、納棺の時に添えてもらっているものもあります。
信仰心はないという言葉と、仏像に祈りを込めるという矛盾した表現になっていますが、私自身の中にあは矛盾はなく収まっています。
こうして、私自身、仏像を彫るようになって、願いを込めるようになって、それから仏像を見る見方が少し変化しました。
「仏像を彫る なぜ?」というシリーズはこれで終わります。私は23年4月人工内耳装着種術ぬ向けて、怪我などしないようにしているために、円空仏を含め仏像やその他の彫刻を止めています。手術が明けて、体調が完全に戻ったところで、再開するつもりでいます。
人生初めての、全身麻酔での手術で、わつぁ日はその手術でどう変わるかわかりません。ましによる眠りの中で、何かを見るかもしれません。そしてそれが私のこの先の人生を変えるかもしれません。
こうしたことは、浄土教の教えでは「お陰様」と言います、生きているのも”お陰様”ということになるのですが・・・・
では、一般庶民の間では、どうだったのだろうかと思います。
もともと仏教は、伝来以来官制の寺や有力の貴族、豪族のもので僧侶は国から資格が与えられねばならなかったと聞いています。これは、承元の法難で流刑にあった際の親鸞が僧籍を剥奪され、僧侶ではなくなり一般民として流刑地に赴いているところから私は判断しています。
ということは 、力ないものは寺を持つこともなく、仏像など作る事はご法度だったのかもしれないなんてことを思ったりもしています。この辺りは、歴史学者ではないので、ただ単なる思いつき、妄想に過ぎません。
江戸時代になると、戸籍の管理のための檀家制度の流れで、どこかの寺の檀家ということになって、各家に仏壇らしきものが置かれたりもするようになったと思われるのですが、貧乏庶民には仏壇は難しかったのではないかと想像します。これは偏見とみられるものになるかもしれませんが、浄土真宗の法要を見ていると阿弥陀如来の仏像がなく、その代替えなのか、「南無阿弥陀仏」などの名号を書いた掛け軸に向かって正信偈や浄土三部経を唱えます。大きな仏壇のあるところは、中に阿弥陀如来立像があったりしますが、如来像がなく名号だけという仏壇も多くあります。
日蓮宗でも似ているのか、「南無妙法蓮華経」と書いた掛け軸に向かって、「南無妙法蓮華経」と唱和しているように思われます。
これは、庶民の財力に応じて考え出されたものだろうと思うのです。庶民でも、商家などで財力があれば、立派な仏壇を作って、如来像を安置していたのだろうとも思いますが、仏壇はともかくとして、大きな仏像を彫ってもらうなんていうことは財力的に難しいと思います。
ここでは、(浄土真宗の場合)仏像も六字名号も正信偈や三部経を唱えるためもののであり、個人個人の何かの祈念、祈り、祈願というものを込めたものではなさそうです。
私自身、円空仏を彫るようになって思ったことは、何故円空さんは16万体も彫ったのか?ということです。円空を研究する人からいろいろ言われています。人それぞれの考え、思いがあるのですから、いろんな見方があると思います。どれも否定されるものではないだろうとも思っています。
円空という人物は、僧侶だったことは確かかと思います。僧侶と言っても、いろんな立場があるようで、ひょっとしたら円空さんは”ひじり注1”ではなかったのかと私は思ったりもします。(実は、親鸞も「念仏聖」ではなかったかと言われる面もあるようです)
つまり、”ひじり”としてあちこち歩いて説教して仏の教えを説いていたのではないかと思うのです。”ひじり”の多くが行く先々の寺で宿泊することも多かっただろうし、一般民衆の中、特に庄屋レベルの財力、力のある所に宿泊したことも考えられます。
円空さんは、個人宅や寺院に一宿一飯(長期滞在も含めて)の恩義の返礼として仏像を彫ることも多かったのではないかと思います。
16万体という数は、荒子観音でみるように、大きな仏像造像で出る端材(=木端)に観音などの千体仏などを彫り込んでいることで可能だったのだろうと思っています。
円空仏には、個人蔵が多くあります。それは宿泊した先の個人宅で、返礼として、また依頼されたものとして彫ったのではないかと思っています。
円空仏の時系列的な流れから見ると、円空は仏像彫刻の当初はいわゆる一般の仏像を彫ろうとしたのではないかと思われるのですが、ある年に出かけた伊勢から奈良県天川経由で法隆寺に参拝していると思われるのですが、その法隆寺参拝後に大きく作風が変わっています。おそらく大きなショックを受けるものを見たのではないかと思うのです。そしてその形態を簡潔化に向かっていったのではないか。そしてその簡素化が多くを彫るという目的のために突き詰められていったのだろうと思うのです。
(私は、円空は夢殿の救世観音に接したのではないかと思っているのです。救世観音でないにしても、法隆寺には救世観音に似た衣の形式の間の仏像がたくさん存在しているので、それらに接したのかもしれないと思います。)
(救世観音は秘仏であったので拝観できなかったといわれそうですが、本当に岡倉天心、フェノロサの思いで開帳されるまで、見えなかったのでそうか?私は疑問視しています。)
そんな円空仏に対する私の思いは、あくまでも趣味としての形作りにしぎなかったのですが、前述しているように、ある年義弟の病回復を心底願って、願いは叶いませんでしたが一体彫っています。
その後、私が円空仏に限らず、仏像もどきを彫る際には、それなりの願いを込めて彫るようになりました。その中には私自身の末期癌克服の願いを込めているものもあります。そんな流れの現れが、薬師如来です。
一方で、円空さんにならって木端を使って小さいものもたくさん彫っていますが、そこにも私の祈りが込められています。そしてその中のいくつかが、私に関わりのある人の葬儀に際して、納棺の時に添えてもらっているものもあります。
信仰心はないという言葉と、仏像に祈りを込めるという矛盾した表現になっていますが、私自身の中にあは矛盾はなく収まっています。
こうして、私自身、仏像を彫るようになって、願いを込めるようになって、それから仏像を見る見方が少し変化しました。
「仏像を彫る なぜ?」というシリーズはこれで終わります。私は23年4月人工内耳装着種術ぬ向けて、怪我などしないようにしているために、円空仏を含め仏像やその他の彫刻を止めています。手術が明けて、体調が完全に戻ったところで、再開するつもりでいます。
人生初めての、全身麻酔での手術で、わつぁ日はその手術でどう変わるかわかりません。ましによる眠りの中で、何かを見るかもしれません。そしてそれが私のこの先の人生を変えるかもしれません。
こうしたことは、浄土教の教えでは「お陰様」と言います、生きているのも”お陰様”ということになるのですが・・・・
完
注1:”ひじり”について (参考出典=百科事典マイペディア)
仏教ですぐれた僧に呼称で、高徳の人、天文暦数に長じた人を言っているらしいが、寺院に属さぬ僧や官職につかぬ僧や、諸方に遊旅をして仏法を布教する僧などあり,阿弥陀聖、か勧進聖、高野聖などいろいろ存在していたといわれている。一説には、親鸞は「念仏聖」といわれ得ている面もあり、私個人としては「親鸞商人」の「聖人」はこの辺りから来ているのかもあなと思っています。
********************
仏像は何故彫られたか
仏像を彫る なぜ?
その1・仏教との出会い
その2・親鸞研究を経て円空仏との出会い
その3・官製の仏像の建立
その4・民間の仏像の造像と円空仏