2023年04月16日
仏像を彫る なぜ? その3・官製の仏像の建立
高校の日本史の授業の中で、大学の日本美術史の授業の中で、国宝などの仏像の建立・造営のいわれをいくつか聞いていましたが、さほどの重要性は考えることはありませんでした。一方で、自分で仏像を彫るようになり、実は円空仏を彫り始めて数年後から、室生寺の十一面観音の模刻をしたり、それにならって自前の十一面観音を彫ったりもするようになっていたのですが、あくまでも趣味として仏像もどきを彫っているに過ぎなかったのです。まだ祈りを込めてなんていうことは全くありませんでした。
自分で仏像を彫ると言っても、趣味で仏像の模刻というだけのことだったのが、義弟の病のことで、初めて祈りを込めて彫るということをしたのです。仏像を彫るということで、その仏さんに助けてもらうということではないのですが、私自身の気持ちとして、なんとか立ち治って欲しいという思いを込めていたのです。
この時の後に思ったこと。「世にある仏像は何故彫られたのか?」人間が何かを作る時には、それなりの理由が存在することは間違い無いと思います。食事を作るにしても「誰かのため」とということもあるでしょう。それと同じことが、次元は違うかもしれないけれど、仏像を作るということにはそれなりの理由があると思うようになったのです。
例えば、東大の大仏は、当時の社会的不安を解消するために聖武天皇の発願で、全国に国分寺、国分尼寺を作りその総まとめとして東大寺が建立され、その中に本尊としての盧舎那仏が安置されたといわれています。また西ノ京の薬師寺は、天武天皇が皇后 鵜野讃良皇女(後の持統天皇)の病気平癒を祈念しての建立、さすがの薬師様と言ったところです。このように天平から奈良時代にかけての寺院建立は、世の平安や病気平癒を願うものが多く、当然本尊となる仏像はその祈念の意味合いを持つものが選ばれていのではないかと思っています。
かなり時代は下りますが、平安後期から鎌倉時代にかけて、特に末法思想の盛んな時代にはかなりたくさんの寺院が建立され、その中には阿弥陀如来像が安置されることが多くあります。それは親鸞誕生の時代が含まれるわけですが、その親鸞研究の中で思ったことは、阿弥陀如来造像は治安や病気平癒の祈念という祈りではなく、浄土思想の中での”浄土”に迎えられることを祈るもしくは、寺、阿弥陀像を建立うることで功徳を積むつと同時に擬似的にその浄土を思う環境を作りその中に収まり自己満足するという貴族趣味では無いかと思います。
こうして見てきて寺院、仏像の建立は、平安中期くらいまでは官製、つまり資金的に国などのものを使っても建立が多いものと思います。一方で、平安中期以降の末法思想の中での建立は、藤原氏の系統の貴族たちの個人的な建立が多いものと思います。またその後の室町、戦国時代での建立は貴族に変わった有力武士の資金的援助で作られているものが多いと思います。
源平の抗争の最中に、奈良は平重衡の悪行で多くの寺院が焼き討ちにあい、多くの資産を失っていますが、鎌倉時代に当時の権力者源氏・鎌倉幕府の支援で、現在国宝と言われる仏像が多く作られています。
こうして寺院建立にはかなり莫大な資金が必要であると同時に、官製での建立は建立した寺には一般市民が参拝できる環境にはなかったのではなかったもしくは少なかっただろうかと思うのです。参拝できたとしても、寺は下より仏像を作る力はとてもなかったでしょう。
金持ちだけの、権力者だからこそできる仏の造像、そしてその参拝。一般市民は蚊帳の外だったではないだろうかと。
浄土思想が広がり、浄土宗や浄土真宗が力をつけて、これまたそれなりの権力を持って寺が作られたりして、本山ではそれなりの仏像が作られたと思います。
しかし一方で、現時点で国宝と言われるような仏像の造像が少ないのではないかと思っています。仏像の造像には、仏師と言われる人の力を必要とし、金銭的、権力的に力のある貴族や武士が平安時代の定朝系統の仏師、鎌あくら時代を中心にした慶派の仏師に造像を依頼した。金があるから、権力があるから質の良い仏師を囲い込みができたのだろうし、それを目的に技術を磨いた仏師も多かったのかと思います。
私が思うに、末法思想の流行の終了以降、これと言った有名な仏像が残っていない。存在するのだろうけれども、国宝と言われるほどのレベルものではないのかもと思ったりもします。
しかし、仏像の造影は無くなったわけではないはずです。好みの問題かとも思うのですが、現時代において国宝ではないものの重要文化財としての仏像はそれなりに残されています。
浄土教の寺院の本山には、国宝と指定されている像も少なくありません。また重要文化財レベルのものもたくさん存在します。
末法思想流行の時代の寺院建立、仏像造像は、貴族などの浄土往生の願いが込められていると思うのですが、室町以降の浄土教の寺院の仏像に、過去と類似する祈りがあるのかと疑問を持っています。知恩院、東西本願寺本山、阿弥陀仏が主体ではなく、法然や親鸞の御影といわれる彫像が大きな意味を持っています。ここには過去の仏像への思いとは違ったものが存在していると私は思っています。
自分で仏像を彫ると言っても、趣味で仏像の模刻というだけのことだったのが、義弟の病のことで、初めて祈りを込めて彫るということをしたのです。仏像を彫るということで、その仏さんに助けてもらうということではないのですが、私自身の気持ちとして、なんとか立ち治って欲しいという思いを込めていたのです。
この時の後に思ったこと。「世にある仏像は何故彫られたのか?」人間が何かを作る時には、それなりの理由が存在することは間違い無いと思います。食事を作るにしても「誰かのため」とということもあるでしょう。それと同じことが、次元は違うかもしれないけれど、仏像を作るということにはそれなりの理由があると思うようになったのです。
例えば、東大の大仏は、当時の社会的不安を解消するために聖武天皇の発願で、全国に国分寺、国分尼寺を作りその総まとめとして東大寺が建立され、その中に本尊としての盧舎那仏が安置されたといわれています。また西ノ京の薬師寺は、天武天皇が皇后 鵜野讃良皇女(後の持統天皇)の病気平癒を祈念しての建立、さすがの薬師様と言ったところです。このように天平から奈良時代にかけての寺院建立は、世の平安や病気平癒を願うものが多く、当然本尊となる仏像はその祈念の意味合いを持つものが選ばれていのではないかと思っています。
かなり時代は下りますが、平安後期から鎌倉時代にかけて、特に末法思想の盛んな時代にはかなりたくさんの寺院が建立され、その中には阿弥陀如来像が安置されることが多くあります。それは親鸞誕生の時代が含まれるわけですが、その親鸞研究の中で思ったことは、阿弥陀如来造像は治安や病気平癒の祈念という祈りではなく、浄土思想の中での”浄土”に迎えられることを祈るもしくは、寺、阿弥陀像を建立うることで功徳を積むつと同時に擬似的にその浄土を思う環境を作りその中に収まり自己満足するという貴族趣味では無いかと思います。
こうして見てきて寺院、仏像の建立は、平安中期くらいまでは官製、つまり資金的に国などのものを使っても建立が多いものと思います。一方で、平安中期以降の末法思想の中での建立は、藤原氏の系統の貴族たちの個人的な建立が多いものと思います。またその後の室町、戦国時代での建立は貴族に変わった有力武士の資金的援助で作られているものが多いと思います。
源平の抗争の最中に、奈良は平重衡の悪行で多くの寺院が焼き討ちにあい、多くの資産を失っていますが、鎌倉時代に当時の権力者源氏・鎌倉幕府の支援で、現在国宝と言われる仏像が多く作られています。
こうして寺院建立にはかなり莫大な資金が必要であると同時に、官製での建立は建立した寺には一般市民が参拝できる環境にはなかったのではなかったもしくは少なかっただろうかと思うのです。参拝できたとしても、寺は下より仏像を作る力はとてもなかったでしょう。
金持ちだけの、権力者だからこそできる仏の造像、そしてその参拝。一般市民は蚊帳の外だったではないだろうかと。
浄土思想が広がり、浄土宗や浄土真宗が力をつけて、これまたそれなりの権力を持って寺が作られたりして、本山ではそれなりの仏像が作られたと思います。
しかし一方で、現時点で国宝と言われるような仏像の造像が少ないのではないかと思っています。仏像の造像には、仏師と言われる人の力を必要とし、金銭的、権力的に力のある貴族や武士が平安時代の定朝系統の仏師、鎌あくら時代を中心にした慶派の仏師に造像を依頼した。金があるから、権力があるから質の良い仏師を囲い込みができたのだろうし、それを目的に技術を磨いた仏師も多かったのかと思います。
私が思うに、末法思想の流行の終了以降、これと言った有名な仏像が残っていない。存在するのだろうけれども、国宝と言われるほどのレベルものではないのかもと思ったりもします。
しかし、仏像の造影は無くなったわけではないはずです。好みの問題かとも思うのですが、現時代において国宝ではないものの重要文化財としての仏像はそれなりに残されています。
浄土教の寺院の本山には、国宝と指定されている像も少なくありません。また重要文化財レベルのものもたくさん存在します。
末法思想流行の時代の寺院建立、仏像造像は、貴族などの浄土往生の願いが込められていると思うのですが、室町以降の浄土教の寺院の仏像に、過去と類似する祈りがあるのかと疑問を持っています。知恩院、東西本願寺本山、阿弥陀仏が主体ではなく、法然や親鸞の御影といわれる彫像が大きな意味を持っています。ここには過去の仏像への思いとは違ったものが存在していると私は思っています。
次回は
仏像を彫る なぜ? その4・民間の仏像の造像と円空仏
********************
仏像は何故彫られたか
仏像を彫る なぜ?
その1・仏教との出会い
その2・親鸞研究を経て円空仏との出会い
その3・官製の仏像の建立
その4・民間の仏像の造像と円空仏
2023年04月15日
仏像を彫る なぜ? その2・親鸞研究から円空仏にたどり着く
我が家(浄土真宗の檀家)の法要の読経(「正信偈」の唱和)の中で「源信」(=法然)と出会ったために、とうとう親鸞研究を始めることになってしまいました。
まずは、親鸞が生まれたと言われているところから始まり、承元の法難で流された上越の親鸞上陸記念堂、長く住んだ関東の拠点、茨城県笠間市の稲田などなど、それに加えて浄土真宗十派の本山をほとんど見て回ったモノです。
その最初に訪れたのが親鸞誕生の地と言われいている京都市山科区日野の法界寺です。貧乏旅行なので名古屋からJRの快速を乗り継いで、JR山科から地下鉄で小野に行き、バスに乗り換えて近くの石田大山まで行き、そこから15分くらい歩いたかな?もう疲れ切ったところで、食事処にたどり着いて昼間し、その後に法界寺について、御住職に阿弥陀堂を開けていただいて、国宝の阿弥陀如来坐像の前に座り、あの丈六の大きい阿弥陀如来坐像を見上げて、思わず「来て良かった」と思ったものです。平等院の阿弥陀如来に似てはいるけど、それにくらべると法界寺のそれはかなり童顔で柔和なお顔でした。心からほっとしたのでしょう、「来て良かった」と思ったのは。その気持ちでマジマジと阿弥陀仏を見上げたものです。
法界寺にはそれから10数年、年に1回以上拝観に訪れています。
実は私が仏像をじっと見つめたというのは2度目です。最初は中学の遠足でいった奈良中宮寺の弥勒菩薩(いまは「菩薩半跏思惟像・伝 弥勒菩薩」と言われているようです)に出会ったとき、その像の前に座り込んでしまって、じ〜〜と見つけていたようです。遠足なので時間の関係で長くはできなかったのですが、見学時間の大半を座っていたようです。
惚れ込んだ仏さん、いや仏像に出会ったのですが、中宮寺でも法界寺でも全く仏像を彫ることになるなんてことは思ってもみなかったのです。
大学時代の古美術研究旅行の流れから、仏像は古美術として見ていたのです。仏像を古美術として見るのは、岡倉天心やフェノロサのおかげで、明治時代のはじめにあった廃仏毀釈のせいで、打ち捨てられていた仏像たち、あの有名な阿修羅像ですら腕が折れたりなどと、かなり悲惨な状態を、古文化、古美術として岡倉天心、フェノロサのお陰で仏像が復活し、信仰の対象から、美術品として見る機会を与えられました。私自身、その流れの中で仏像を見ていたわけです。
親鸞研究を始めて、仏教と言っても浄土真宗の裏側を見て、お経と言われるものの中身もある程度知って、その中で阿弥陀如来の存在と、阿弥陀如来の前身・法蔵菩薩の48願を知り、その考え方に興味を持ったのです。最終的には、浄土宗、浄土真宗で言われる「南無阿弥陀仏」を唱えれば極楽にいけるという考えを面白いなぁと思ったのです。
この”「南無阿弥陀仏」を唱えれば極楽にいける”というのが、”救い”という意味と言われているらしいのですが、私はそれを信じるということはありません。この点を書くとまた一冊の本を書くくらい書くことになるので割愛しますが、とにかく私はそうした信仰には入り込んでいません。(浄土真宗の檀家ですけど)
そう言った、仏の世界との出会いがあったのですが、「何故仏像は彫られたのか?」なんていうことは全く思ってもいませんでした。親鸞研究もひと段落して、私の親鸞像(イメージ)も出来上がって、1年近くブランクができたような気もします。
15年くらい前、歳をとってから何の趣味もないのも寂しいと思って、木彫りを始めたのです。と言っても最初は仏像は彫っていませんでした。仏像を彫る力はないと思っていましたが、まぁ仏頭くらいという思いはありました。でも全身像を彫るなんて思いもしなかったのですが、大学時代に実家のある名古屋市中川区の荒子観音に行ったことがあり、その時に見た円空仏に衝撃を受けた記憶が頭に出てきました。「あれなら私でも彫れるかも」なんて生意気な思いで、頭の中にある記憶で最初の円空仏もどきを彫ったのが運の尽きです。木彫りを初めて3年目くらいかな荒子観音の円空仏を再度拝観し、その時に円空仏を彫る会=「木端の会」を見学しました。そして入会しようと決めたのですが、この時すでに前立腺癌の末期を宣告されていたし、見学直後に腰椎を骨折するというアクシデントで、入会を断念したのですが、我が家の近くの天白区で円空仏を彫る会があるのを知り、こちらに入会しました。
それから会で彫る、自宅で彫る、たくさん彫るようになったのです。そして円空仏を彫るようになって、いわゆる仏像、国宝や重要文化財と言われる仏像と円空仏の違いを見るようになり、何故作りに違いがあるのか?
そして、彫るようになって、数年して義弟が白血病に侵されて入院している時に、回復を祈りながら彫ったとこがきっかけで、仏像を像立するきっかけというものに目を向けるようになったのです。
このとき初めて、願いを込めて彫ったのです。仏様に願いをということではなく、ただただ私の思いを何かの形にしたかった。その対象が円空仏だったということなのです。
こうして、円空仏を彫ることから、寺周りをする時の仏像の見方が変わり、彫ることで私自身の心も変わっていていったようです。
まずは、親鸞が生まれたと言われているところから始まり、承元の法難で流された上越の親鸞上陸記念堂、長く住んだ関東の拠点、茨城県笠間市の稲田などなど、それに加えて浄土真宗十派の本山をほとんど見て回ったモノです。
その最初に訪れたのが親鸞誕生の地と言われいている京都市山科区日野の法界寺です。貧乏旅行なので名古屋からJRの快速を乗り継いで、JR山科から地下鉄で小野に行き、バスに乗り換えて近くの石田大山まで行き、そこから15分くらい歩いたかな?もう疲れ切ったところで、食事処にたどり着いて昼間し、その後に法界寺について、御住職に阿弥陀堂を開けていただいて、国宝の阿弥陀如来坐像の前に座り、あの丈六の大きい阿弥陀如来坐像を見上げて、思わず「来て良かった」と思ったものです。平等院の阿弥陀如来に似てはいるけど、それにくらべると法界寺のそれはかなり童顔で柔和なお顔でした。心からほっとしたのでしょう、「来て良かった」と思ったのは。その気持ちでマジマジと阿弥陀仏を見上げたものです。
法界寺にはそれから10数年、年に1回以上拝観に訪れています。
実は私が仏像をじっと見つめたというのは2度目です。最初は中学の遠足でいった奈良中宮寺の弥勒菩薩(いまは「菩薩半跏思惟像・伝 弥勒菩薩」と言われているようです)に出会ったとき、その像の前に座り込んでしまって、じ〜〜と見つけていたようです。遠足なので時間の関係で長くはできなかったのですが、見学時間の大半を座っていたようです。
惚れ込んだ仏さん、いや仏像に出会ったのですが、中宮寺でも法界寺でも全く仏像を彫ることになるなんてことは思ってもみなかったのです。
大学時代の古美術研究旅行の流れから、仏像は古美術として見ていたのです。仏像を古美術として見るのは、岡倉天心やフェノロサのおかげで、明治時代のはじめにあった廃仏毀釈のせいで、打ち捨てられていた仏像たち、あの有名な阿修羅像ですら腕が折れたりなどと、かなり悲惨な状態を、古文化、古美術として岡倉天心、フェノロサのお陰で仏像が復活し、信仰の対象から、美術品として見る機会を与えられました。私自身、その流れの中で仏像を見ていたわけです。
親鸞研究を始めて、仏教と言っても浄土真宗の裏側を見て、お経と言われるものの中身もある程度知って、その中で阿弥陀如来の存在と、阿弥陀如来の前身・法蔵菩薩の48願を知り、その考え方に興味を持ったのです。最終的には、浄土宗、浄土真宗で言われる「南無阿弥陀仏」を唱えれば極楽にいけるという考えを面白いなぁと思ったのです。
この”「南無阿弥陀仏」を唱えれば極楽にいける”というのが、”救い”という意味と言われているらしいのですが、私はそれを信じるということはありません。この点を書くとまた一冊の本を書くくらい書くことになるので割愛しますが、とにかく私はそうした信仰には入り込んでいません。(浄土真宗の檀家ですけど)
そう言った、仏の世界との出会いがあったのですが、「何故仏像は彫られたのか?」なんていうことは全く思ってもいませんでした。親鸞研究もひと段落して、私の親鸞像(イメージ)も出来上がって、1年近くブランクができたような気もします。
15年くらい前、歳をとってから何の趣味もないのも寂しいと思って、木彫りを始めたのです。と言っても最初は仏像は彫っていませんでした。仏像を彫る力はないと思っていましたが、まぁ仏頭くらいという思いはありました。でも全身像を彫るなんて思いもしなかったのですが、大学時代に実家のある名古屋市中川区の荒子観音に行ったことがあり、その時に見た円空仏に衝撃を受けた記憶が頭に出てきました。「あれなら私でも彫れるかも」なんて生意気な思いで、頭の中にある記憶で最初の円空仏もどきを彫ったのが運の尽きです。木彫りを初めて3年目くらいかな荒子観音の円空仏を再度拝観し、その時に円空仏を彫る会=「木端の会」を見学しました。そして入会しようと決めたのですが、この時すでに前立腺癌の末期を宣告されていたし、見学直後に腰椎を骨折するというアクシデントで、入会を断念したのですが、我が家の近くの天白区で円空仏を彫る会があるのを知り、こちらに入会しました。
それから会で彫る、自宅で彫る、たくさん彫るようになったのです。そして円空仏を彫るようになって、いわゆる仏像、国宝や重要文化財と言われる仏像と円空仏の違いを見るようになり、何故作りに違いがあるのか?
そして、彫るようになって、数年して義弟が白血病に侵されて入院している時に、回復を祈りながら彫ったとこがきっかけで、仏像を像立するきっかけというものに目を向けるようになったのです。
このとき初めて、願いを込めて彫ったのです。仏様に願いをということではなく、ただただ私の思いを何かの形にしたかった。その対象が円空仏だったということなのです。
こうして、円空仏を彫ることから、寺周りをする時の仏像の見方が変わり、彫ることで私自身の心も変わっていていったようです。
次回は
仏像を彫る なぜ? その3・官製の仏像の建立
********************
仏像は何故彫られたか
仏像を彫る なぜ?
その1・仏教との出会い
その2・親鸞研究を経て円空仏との出会い
その3・官製の仏像の建立
その4・民間の仏像の造像と円空仏
仏像を彫る なぜ? その3・官製の仏像の建立
********************
仏像は何故彫られたか
仏像を彫る なぜ?
その1・仏教との出会い
その2・親鸞研究を経て円空仏との出会い
その3・官製の仏像の建立
その4・民間の仏像の造像と円空仏
2023年04月07日
仏像を彫る なぜ? その1・仏教との出会い
今日は、日頃思っていることだけど、なかなか書く機会がなかったことを書こうと思ってます。
タイトルに書いたように、書くのは”仏像”に関してということです。
これをお読みになっている方が、どんな目、思いを持って仏像をご覧になっているでしょう。心底信仰の対象として、願い、祈りを込めてご覧になっているかもしれません。私はそういった方からはお叱りを受けるかもしれませんが、信仰心を持って仏像を見るということはありません。というのも仏像は私には信仰の対象ではないからです。つまり、仏像に向かって”祈る”ということも基本的にありません。仏像の前で祈る形を取ることはありますが、それは仏に向かっての祈りではないのです。後で書くことになりますが、多くの場合感謝の気持ちを表すために、気持ちを込めて見ています。
私は美系の学校を卒業しています。その4年の過程で、特に3年生の時に古美術研究というある種の大学の修学旅行で2週間かけて、奈良と京都の多くの博物館、美術館、寺を巡りとにかくたくさんの仏像に接しています。また、中学高校の6年間は、仏教系の学校で浄土教の教えを受け、遠足などはこれまた多くの寺に参拝するという機会をもらっていました。
25年ほど前に親族の法要が多くなり、その度にお経に接する機会も多くなりました。我が家は浄土真宗の檀家で、否応なしに法要では「正信偈」を読むことになるのですが、あの漢字だらけの文章を周りが唱えているのを耳にしながら、字面を眺めていて、ある時”源信”という言葉を聞き取りました。
その時、「何故お経と言われるものに人の名前、源信=法然の名が出るのだ?」と思ったのです。その当時は、お経がどんなものかという知識はあ全くありませんでした。ましてや中に書かれている内容がなんであるかも全く知らなかったのです。
しかし、その「何故法然の名前が」という疑問は、私の好奇心に火をつけました。まぁいくら疎いとは言え、歴史の中で必ず出てくる名前であり、しかも中学高校は浄土宗の宗門の学校で、浄土教の教えはしっかりと植え付けられています。しかし、お経が何たるかは教えられていなかった(と記憶してます)
「正信偈」というのは、浄土真宗の中で重要なものですが、これは親鸞の書いた膨大な教行信証(正確には『顕浄土真実教行証文類』)の最後に書かれているもので、いわば親鸞が阿弥陀如来に帰依している理由が書かれ、多くの人にその素晴らしさを伝えようとしているものと今の私は思っています。
しかし、何故ここに法然の名が出てきているのか?多くの人は理解しているのだろうかと疑問に思うのですが、要は、日本に浄土教の教えが広がることになる、仏教の歴史の中での過去からの龍樹、天親からはじまって法然までの7人の菩薩、僧(これを七高僧と言います)の名前を列挙しているところがあり、その最後に”源空=法然”が含まれているのです。
あの漢文の正信偈では、一体何を親鸞が言いたいのかわかりませんでした。正信偈を和文にした「和讃」を読むとある程度理解ができるかと思います。それでも親鸞が本当に何を言いたいのかわからない私です。
そこで、親鸞という人物像を調べ始めました。
理由は妙味を持ったということなのですが、もう一つこと共頃から気になっていることも原因の一つで、その気になることとは、小学校の高学年の頃のある日、どこかのお年寄りの女性から「親鸞みたい」と言われたことが心に残っていたのです。
結構たくさんの親鸞に関する本を買い込んで読んだものです。まぁ多くが伝記のようなものでしたが、それらを読んでますますわからなくなって、とうとう親鸞研究行脚をすることになってしまいました。親鸞が立ったところに立ってみようとばかりに。
まずは、生まれたと言われているところから始まり、承元の法難で流された上越、長く住んだ関東の拠点、茨城県稲田、帰京してから住んだところ、入滅の地などなど、それに加えて浄土真宗十派の本山を7本山見て回ったモノです。
親鸞研究の経緯などは、書き出せばキリがないということになるので、この辺りで止めることにします。
タイトルに書いたように、書くのは”仏像”に関してということです。
これをお読みになっている方が、どんな目、思いを持って仏像をご覧になっているでしょう。心底信仰の対象として、願い、祈りを込めてご覧になっているかもしれません。私はそういった方からはお叱りを受けるかもしれませんが、信仰心を持って仏像を見るということはありません。というのも仏像は私には信仰の対象ではないからです。つまり、仏像に向かって”祈る”ということも基本的にありません。仏像の前で祈る形を取ることはありますが、それは仏に向かっての祈りではないのです。後で書くことになりますが、多くの場合感謝の気持ちを表すために、気持ちを込めて見ています。
私は美系の学校を卒業しています。その4年の過程で、特に3年生の時に古美術研究というある種の大学の修学旅行で2週間かけて、奈良と京都の多くの博物館、美術館、寺を巡りとにかくたくさんの仏像に接しています。また、中学高校の6年間は、仏教系の学校で浄土教の教えを受け、遠足などはこれまた多くの寺に参拝するという機会をもらっていました。
25年ほど前に親族の法要が多くなり、その度にお経に接する機会も多くなりました。我が家は浄土真宗の檀家で、否応なしに法要では「正信偈」を読むことになるのですが、あの漢字だらけの文章を周りが唱えているのを耳にしながら、字面を眺めていて、ある時”源信”という言葉を聞き取りました。
その時、「何故お経と言われるものに人の名前、源信=法然の名が出るのだ?」と思ったのです。その当時は、お経がどんなものかという知識はあ全くありませんでした。ましてや中に書かれている内容がなんであるかも全く知らなかったのです。
しかし、その「何故法然の名前が」という疑問は、私の好奇心に火をつけました。まぁいくら疎いとは言え、歴史の中で必ず出てくる名前であり、しかも中学高校は浄土宗の宗門の学校で、浄土教の教えはしっかりと植え付けられています。しかし、お経が何たるかは教えられていなかった(と記憶してます)
「正信偈」というのは、浄土真宗の中で重要なものですが、これは親鸞の書いた膨大な教行信証(正確には『顕浄土真実教行証文類』)の最後に書かれているもので、いわば親鸞が阿弥陀如来に帰依している理由が書かれ、多くの人にその素晴らしさを伝えようとしているものと今の私は思っています。
しかし、何故ここに法然の名が出てきているのか?多くの人は理解しているのだろうかと疑問に思うのですが、要は、日本に浄土教の教えが広がることになる、仏教の歴史の中での過去からの龍樹、天親からはじまって法然までの7人の菩薩、僧(これを七高僧と言います)の名前を列挙しているところがあり、その最後に”源空=法然”が含まれているのです。
あの漢文の正信偈では、一体何を親鸞が言いたいのかわかりませんでした。正信偈を和文にした「和讃」を読むとある程度理解ができるかと思います。それでも親鸞が本当に何を言いたいのかわからない私です。
そこで、親鸞という人物像を調べ始めました。
理由は妙味を持ったということなのですが、もう一つこと共頃から気になっていることも原因の一つで、その気になることとは、小学校の高学年の頃のある日、どこかのお年寄りの女性から「親鸞みたい」と言われたことが心に残っていたのです。
結構たくさんの親鸞に関する本を買い込んで読んだものです。まぁ多くが伝記のようなものでしたが、それらを読んでますますわからなくなって、とうとう親鸞研究行脚をすることになってしまいました。親鸞が立ったところに立ってみようとばかりに。
まずは、生まれたと言われているところから始まり、承元の法難で流された上越、長く住んだ関東の拠点、茨城県稲田、帰京してから住んだところ、入滅の地などなど、それに加えて浄土真宗十派の本山を7本山見て回ったモノです。
親鸞研究の経緯などは、書き出せばキリがないということになるので、この辺りで止めることにします。
次回は
仏像を彫る なぜ? その2・親鸞研究を経て円空仏との出会い
********************
仏像は何故彫られたか
仏像を彫る なぜ?
その1・仏教との出会い
その2・親鸞研究を経て円空仏との出会い
その3・官製の仏像の建立
その4・民間の仏像の造像と円空仏
仏像を彫る なぜ? その2・親鸞研究を経て円空仏との出会い
********************
仏像は何故彫られたか
仏像を彫る なぜ?
その1・仏教との出会い
その2・親鸞研究を経て円空仏との出会い
その3・官製の仏像の建立
その4・民間の仏像の造像と円空仏
2023年03月21日
趣味の木彫り 円空仏 馬頭観音 無理やり彫り上げ
今日3月21日の最初の記事で
観音さんの顔を使った
WBCの勝敗を観音さんの顔を見て
勝てそうなのかどうかを
時々思ったりして
顔は微笑んでいる
ちょっと高いところに置いているから
見上げる形
見上げるといい微笑みに見えるのだ
その顔を見ながら
最後の村上の逆転打を見ていた
そして勝った瞬間
観音さんお顔がドヤ顔に見えたのだ
これがそのドヤ顔
ところがこの観音さん
ちょっと上から見下ろすと
笑ってくれないんですね
どうにも中途半端な笑いです
ちょっと引きつっているような
それと光線の加減もありますが
ほぼ目線
これでもちょいと引きつっている
見上げているけど
光線が良くない
なんだかねているようだ
これも目線だけど
真正面のkl横線で
眩しそうな目だよなぁ
まぁ どっちにしても
引きつっていても
笑顔は笑顔だ
ということで
昨日もうこれ以上いじると
もっとイメージ悪くなる
ということで
彫るのは終わりということにしました
が
完成はちょい先にします
というのは
全体を少し赤っぽくしたいので
しばらくしたら
クリアラッカーをかけるつもりです
材料の木目もはっきりすると思うので
また違った印象になるかも
2月11日の建国記念日に
掘り始めた
今日は3月21日春分の日で
1ヶ月10日
彫る日は1日3時か何くらい
15日くらいかな実際は
50時間弱で彫り上げたってところですね
昨年
8月の目を回しての救急搬送以後
それに12月のコロナ感染のおかげで
体調が思わしくなくって
ず〜〜と彫ってなかった
ここまで惚れるようになったことを喜ぶことにします
観音さんの笑顔が
私の手術も見守ってくれると思う
観音さんの顔を使った
WBCの勝敗を観音さんの顔を見て
勝てそうなのかどうかを
時々思ったりして
顔は微笑んでいる
ちょっと高いところに置いているから
見上げる形
見上げるといい微笑みに見えるのだ
その顔を見ながら
最後の村上の逆転打を見ていた
そして勝った瞬間
観音さんお顔がドヤ顔に見えたのだ
これがそのドヤ顔
ところがこの観音さん
ちょっと上から見下ろすと
笑ってくれないんですね
どうにも中途半端な笑いです
ちょっと引きつっているような
それと光線の加減もありますが
ほぼ目線
これでもちょいと引きつっている
見上げているけど
光線が良くない
なんだかねているようだ
これも目線だけど
真正面のkl横線で
眩しそうな目だよなぁ
まぁ どっちにしても
引きつっていても
笑顔は笑顔だ
ということで
昨日もうこれ以上いじると
もっとイメージ悪くなる
ということで
彫るのは終わりということにしました
が
完成はちょい先にします
というのは
全体を少し赤っぽくしたいので
しばらくしたら
クリアラッカーをかけるつもりです
材料の木目もはっきりすると思うので
また違った印象になるかも
2月11日の建国記念日に
掘り始めた
今日は3月21日春分の日で
1ヶ月10日
彫る日は1日3時か何くらい
15日くらいかな実際は
50時間弱で彫り上げたってところですね
昨年
8月の目を回しての救急搬送以後
それに12月のコロナ感染のおかげで
体調が思わしくなくって
ず〜〜と彫ってなかった
ここまで惚れるようになったことを喜ぶことにします
観音さんの笑顔が
私の手術も見守ってくれると思う
2023年03月07日
今日の木彫り 円空仏 馬頭観音 オンマちゃんの頭に悩む
今日はお出かけキャンセル
で
午前1時間
午後3時間近く彫った
だんだん表情を気にしなければ
いけなくなって来た
顔をおじたのだけど
耳と頭の天辺のオンマちゃん
悩みながら彫った
特に耳は
円空さんが絶対やらなかったと思う
リアルな福耳を試みる
手掛けたけど
違和感が残ってしまった
頭の天辺の
馬の頭
一番肝心なものなんだろうけど
今まで彫ったことのないもの
過去に経験があるのは龍の頭
それよりは簡潔だけど
簡潔すぎるし
表情が難しい
困った
そして
後の衣のすそ
などなど
いろいろ全体を見ながら
これは今日の結果の顔だけ
何とかまだ微笑んでくれているかな
光線の加減で表情ものすごく変わる
完成したら
いろんな角度の光で見てみようかと
だんだん完成形に近くなったけど
細かいところまだ彫ってないところ結構ある
胸のあたりのひだがまだまだ
後の裾に縦筋が入った
とこはあんまりイメージかわっtないと思う
座布団の上に寝かせてのショット
なんか背景がいいなぁ
月夜に浮かぶ観音さん
今日は満月ですが
朧月か?
で
午前1時間
午後3時間近く彫った
だんだん表情を気にしなければ
いけなくなって来た
顔をおじたのだけど
耳と頭の天辺のオンマちゃん
悩みながら彫った
特に耳は
円空さんが絶対やらなかったと思う
リアルな福耳を試みる
手掛けたけど
違和感が残ってしまった
頭の天辺の
馬の頭
一番肝心なものなんだろうけど
今まで彫ったことのないもの
過去に経験があるのは龍の頭
それよりは簡潔だけど
簡潔すぎるし
表情が難しい
困った
そして
後の衣のすそ
などなど
いろいろ全体を見ながら
これは今日の結果の顔だけ
何とかまだ微笑んでくれているかな
光線の加減で表情ものすごく変わる
完成したら
いろんな角度の光で見てみようかと
だんだん完成形に近くなったけど
細かいところまだ彫ってないところ結構ある
胸のあたりのひだがまだまだ
後の裾に縦筋が入った
とこはあんまりイメージかわっtないと思う
座布団の上に寝かせてのショット
なんか背景がいいなぁ
月夜に浮かぶ観音さん
今日は満月ですが
朧月か?
2023年03月04日
木彫り 円空仏 馬頭観音 お顔をちょっと・・・
今日のタイトルは”今日”になっているけど
実際は昨日の話
昨日は
円句仏を彫る会に
久々に参加
半年以上出てなかったと思う
出席して驚き
皆さんお休みで
私と会長さんだけで
聞けば多くの方がご病気だとか
私もその一人ですが
まぁ2人だけなので
近くに机並べて
いろいろお話し
と言っても私は聞こえないので
申し訳ないと思うけれど
相手様んは書いていただいて
そんなことをしながらなので
2時間余りのうち1時間半くらい彫ったのかな?
目下掘りつつある
馬頭観音のお顔をちょっと
そして生合成に迷いのあるレンゲ台
シコシコは物を入れました
これが昨日の完成形
衣のひだはいじってなく
顔と蓮華台だけ
こうして単独で見ると
何だか出来つつあるようにも見えるけど
まだまだ完成は遠い先になりそう
堀田日のことを必ずアップしているので
何だか義務的にアップしたような
実際は昨日の話
昨日は
円句仏を彫る会に
久々に参加
半年以上出てなかったと思う
出席して驚き
皆さんお休みで
私と会長さんだけで
聞けば多くの方がご病気だとか
私もその一人ですが
まぁ2人だけなので
近くに机並べて
いろいろお話し
と言っても私は聞こえないので
申し訳ないと思うけれど
相手様んは書いていただいて
そんなことをしながらなので
2時間余りのうち1時間半くらい彫ったのかな?
目下掘りつつある
馬頭観音のお顔をちょっと
そして生合成に迷いのあるレンゲ台
シコシコは物を入れました
これが昨日の完成形
衣のひだはいじってなく
顔と蓮華台だけ
こうして単独で見ると
何だか出来つつあるようにも見えるけど
まだまだ完成は遠い先になりそう
堀田日のことを必ずアップしているので
何だか義務的にアップしたような
2023年02月28日
今日の木彫り 円空仏 馬頭観音 衣を祈りつつ彫る
今日は久々に木彫りの部屋に
〈陽の当たる縁側です)
今日は風が少しあるものの
締め切った縁側は
陽があたりポカポカ
日向ぼっこにはいい日でした
いつも彫る時は
それなりに気持ちを込めているけど
今日は特別な祈りを込めて
なんとか友人の思うが叶うよう
本当に心こめて
祈りを込めて2時間半しっかり彫った
ただやはり昨日の軽い発熱の影響からか
体力的に一杯一杯
小さい画像では前回との変化がわからないかも
足の部分を拡大すると
ころものすそにせんがはいった
このさきも細かい作業が続くので
かなり目が痛くなるのと
なぜか腰にくる
コレオを克服しないと
いやそれ以前に
昨日の発熱からの完全復活をしなくては
今日は大事を取って
お散歩はお休みです
2023年02月21日
今日の木彫り 円空仏 馬頭観音 模刻 ちょっとスリムに
今日は
午後から2時間とちょっと
背中をいじったり
前からもし腰スリムに見えるように
あまりイメージ変わってない
前はその広がりを
下の方左右ともに広げた
背中は
円空さんのモデルがないので
手前勝手に
彫刻刀を動かしれ彫ってる
胴体部b7ん丸くしたんで
全体にスリムに見えるかも
明日は
認知機能検査の日なので
木彫りはしません
なんとかごうかくてんとってきます
午後から2時間とちょっと
背中をいじったり
前からもし腰スリムに見えるように
あまりイメージ変わってない
前はその広がりを
下の方左右ともに広げた
背中は
円空さんのモデルがないので
手前勝手に
彫刻刀を動かしれ彫ってる
胴体部b7ん丸くしたんで
全体にスリムに見えるかも
明日は
認知機能検査の日なので
木彫りはしません
なんとかごうかくてんとってきます
2023年02月21日
2月21日 火曜日 ほぼ快晴 冷風 食い物の夢を見た・・・
昨夜は
なんだか寝る前忙しく
(なんでいそがしかった?)
そのわりには10時過ぎに酔っ払って寝床に
即寝たなぁ
3時間半毎に目が覚めて
明け方だと思う
夢を見ていた
昨日買い物に行って
コロッケを5個買ってきた
それが夢に出てきて
なんと6個も袋に入っている
なんでだ?なんでだ?
それで大騒ぎした
夢はこれしか覚えていない
めざめて久々の冷蔵庫以下の室温
ファンヒーターで暖をとりながら
朝ドラ2本録画で見た
見終わったにはもう9時だと
雨戸開けて
ランタン出して
いつものショット
アイリスがなんだかおかしい
笑えるおかしさでない
先日開花した5輪が
1輪を除いてしなだれている
画像はしっかり咲いている
他はどうしたというのだろう
今朝は真冬に戻った寒さ
しかも風が強い
そのせいでいじけているのだろうか
いつもの西上空
真っ青
ほぼ快晴ですが
綿雲が幾つか
冷たい伊吹おろしに乗って
南東に流れてました
太陽の日差しは
風の冷たさとは逆
暑さを感じほど
今日も日向ぼっこには
いい日になりそう
そうそう
朝飯は夢に出てきたコロッケ
これを自家製食パンに挟んだ
コロッケサンドもどき
数は4個しかなかった
買ってきた5個のうち1個は昨夜食べたからなぁ
夢からは1個が行方不明だ
コロッケはどこに行った
なんだか寝る前忙しく
(なんでいそがしかった?)
そのわりには10時過ぎに酔っ払って寝床に
即寝たなぁ
3時間半毎に目が覚めて
明け方だと思う
夢を見ていた
昨日買い物に行って
コロッケを5個買ってきた
それが夢に出てきて
なんと6個も袋に入っている
なんでだ?なんでだ?
それで大騒ぎした
夢はこれしか覚えていない
めざめて久々の冷蔵庫以下の室温
ファンヒーターで暖をとりながら
朝ドラ2本録画で見た
見終わったにはもう9時だと
雨戸開けて
ランタン出して
いつものショット
アイリスがなんだかおかしい
笑えるおかしさでない
先日開花した5輪が
1輪を除いてしなだれている
画像はしっかり咲いている
他はどうしたというのだろう
今朝は真冬に戻った寒さ
しかも風が強い
そのせいでいじけているのだろうか
いつもの西上空
真っ青
ほぼ快晴ですが
綿雲が幾つか
冷たい伊吹おろしに乗って
南東に流れてました
太陽の日差しは
風の冷たさとは逆
暑さを感じほど
今日も日向ぼっこには
いい日になりそう
そうそう
朝飯は夢に出てきたコロッケ
これを自家製食パンに挟んだ
コロッケサンドもどき
数は4個しかなかった
買ってきた5個のうち1個は昨夜食べたからなぁ
夢からは1個が行方不明だ
コロッケはどこに行った
2023年02月20日
今日の木彫り 円空仏 馬頭観音 蓮華台の準備 230220
今日は遅起きだったこともあったし
刃物研ぎをしたり
ということで
午前は1時間シコシコ
両袖のひだをいれたので
この柵のことを考えて
まだのみを使うところが残っている
足元です
足そのものはシアに近い時でいいけれど
蓮華台はそんなわけにはいかない
それにその下の岩座も
飲み後を必要とするところで
ひだや顔を綺麗にしてからでは
飲みの追い打ちはちょっとなぁ
ということで
午前の1時間と
昼飯とその後の買い物から帰って
1時間
合計2時間で
蓮弁の準備段階をした
一番下が岩座
これはもう少しのみを入れる必要あり
その上の丸みのあるところに
ハスに花びらを彫る
多分完成の頃には
円空仏風に蓮弁が彫り込まれると思う
本当は
円空仏風でないものを
彫りたいのだが
とにかく苦手で
あのレン便のカーブは
私にはかなりきつい仕事なので
ほぼ直線的に処理する方法を取ると思うこと
全体のイメージは
昨日よあまり変わっていない
顔の
目鼻を鉛描きしたけど
やっぱり彫らないと
イメージが違う
顔はいつになるでしょう
その前に
お馬さんの顔どうするかなぁ
今日は寒かったたわりには
縁側は日差しのおかげで
ヒーターなしで済んだよ
あぁ 明後日は
運転免許更新の
認知機能検査の日だ
予習しなければなぁ
刃物研ぎをしたり
ということで
午前は1時間シコシコ
両袖のひだをいれたので
この柵のことを考えて
まだのみを使うところが残っている
足元です
足そのものはシアに近い時でいいけれど
蓮華台はそんなわけにはいかない
それにその下の岩座も
飲み後を必要とするところで
ひだや顔を綺麗にしてからでは
飲みの追い打ちはちょっとなぁ
ということで
午前の1時間と
昼飯とその後の買い物から帰って
1時間
合計2時間で
蓮弁の準備段階をした
一番下が岩座
これはもう少しのみを入れる必要あり
その上の丸みのあるところに
ハスに花びらを彫る
多分完成の頃には
円空仏風に蓮弁が彫り込まれると思う
本当は
円空仏風でないものを
彫りたいのだが
とにかく苦手で
あのレン便のカーブは
私にはかなりきつい仕事なので
ほぼ直線的に処理する方法を取ると思うこと
全体のイメージは
昨日よあまり変わっていない
顔の
目鼻を鉛描きしたけど
やっぱり彫らないと
イメージが違う
顔はいつになるでしょう
その前に
お馬さんの顔どうするかなぁ
今日は寒かったたわりには
縁側は日差しのおかげで
ヒーターなしで済んだよ
あぁ 明後日は
運転免許更新の
認知機能検査の日だ
予習しなければなぁ
2023年02月19日
今日の木彫り 円空仏 馬頭観音 左袖のひだを 230219
今日は
一日中パラパラ雨か曇り
おかげでお日様を見ることもなく
ということは縁側は
日が当たらないので
日向ぼっことはいかなかった
ただ暖房は
最初ちょっと使っただけで
2時間年越しみっちり
金曜日に右袖を彫った
今日は左袖を彫ることに
だんだ元の円空さんに近くなってくる
しかし
それ尾を通り越すこともやっている
毎度書くけど
円空仏の大半が
背中側を彫っていない
今回の馬頭観音も
画像が前からしかないから
後ろがわからない
でも多分ひっれないと思う
あおれで
わたしとしては
模刻とはいえ円空さんをモチーフにした
私ものを彫るので
見えないところは自分勝手に
dwっち上げることにしている
両袖にひだが入ったので
かなりイメージが近くなった
左の画像は右袖で今日はいじってない
右の画像が左袖で今日の彫った結果
右と左で木の目が違って
今日はちょっと苦労した
だんだん細かい仕事になる
目が痛くなったり
昨日書いたように
左指で刃物を押すことも多くなり
指と爪の間わ割れることも多くなる
大きなものを彫れば
それなりに立っていい運動になるが
小さいものは
しわったままでシコシコなので
運動不足になる
ということもあって
この馬頭観音を彫るときは
終わったらルームウォーカーで
ちょっと運動不足解消の
お家に中での散歩を知ることにした
昨年暮れのコロナ陽性の時から
運動不足気味で
体が鈍ってしまっているので
今の所
15分くらいにしている
慣れてきたら
30分以上するつもり
一日中パラパラ雨か曇り
おかげでお日様を見ることもなく
ということは縁側は
日が当たらないので
日向ぼっことはいかなかった
ただ暖房は
最初ちょっと使っただけで
2時間年越しみっちり
金曜日に右袖を彫った
今日は左袖を彫ることに
だんだ元の円空さんに近くなってくる
しかし
それ尾を通り越すこともやっている
毎度書くけど
円空仏の大半が
背中側を彫っていない
今回の馬頭観音も
画像が前からしかないから
後ろがわからない
でも多分ひっれないと思う
あおれで
わたしとしては
模刻とはいえ円空さんをモチーフにした
私ものを彫るので
見えないところは自分勝手に
dwっち上げることにしている
両袖にひだが入ったので
かなりイメージが近くなった
左の画像は右袖で今日はいじってない
右の画像が左袖で今日の彫った結果
右と左で木の目が違って
今日はちょっと苦労した
だんだん細かい仕事になる
目が痛くなったり
昨日書いたように
左指で刃物を押すことも多くなり
指と爪の間わ割れることも多くなる
大きなものを彫れば
それなりに立っていい運動になるが
小さいものは
しわったままでシコシコなので
運動不足になる
ということもあって
この馬頭観音を彫るときは
終わったらルームウォーカーで
ちょっと運動不足解消の
お家に中での散歩を知ることにした
昨年暮れのコロナ陽性の時から
運動不足気味で
体が鈍ってしまっているので
今の所
15分くらいにしている
慣れてきたら
30分以上するつもり
2023年02月17日
今日の木彫り 円空仏 馬頭観音 右袖のひだを掘る 230217
今日は寒いわりに
日差しが強く
縁側での日向ぼっこ日和だった
でも
午前中は縁側を暖めるだけにして
木彫りは午後の2時間半
掃除を入れると3時間近いかな
これの前に彫っていた
薬師さんは小さくて
目をしょぼつかせながらだったから
結構時間がかかったけど
今回はちょっと大きいから
掘りやすいということ持って
1日あたり3時間くらいずつでも
進行が早い
昨日までに
大体の形ができているので
今日から衣のひだを彫ることにした
胸の線も少しはものを入れている
この画像に右肩の黒い線は
袖のひだを彫るマーク
左の正面の向かって左
袖のひだの彫りが少し見えると思う
右の画像の右側に
袖の後ろがあるけど
まだ彫り込みが少ない
左の画像に右袖のひだが彫られているのがわかると思う
右の画像の左袖はまだ彫り込みは無い
今日の右袖の彫り込みだけで
2時間半かかっている
ということは
全部にひだを掘るにはまだ相当時間がかかるということ
まぁ昨年彫っていた
あのちょっと大きめの薬師如来のひだ
それに比べればなんてことはないけど
油断禁物
じっくり彫ります
今日も
掘り終えて掃除して
そのあと一息ついて
またルームウォーかで
15分のお散歩しました
明日は
ちょっといえから出たいなぁ
買う買わない別にして
ちょっと離れたスーパーに行くかな
明日も昼間暖かそう
日差しが強く
縁側での日向ぼっこ日和だった
でも
午前中は縁側を暖めるだけにして
木彫りは午後の2時間半
掃除を入れると3時間近いかな
これの前に彫っていた
薬師さんは小さくて
目をしょぼつかせながらだったから
結構時間がかかったけど
今回はちょっと大きいから
掘りやすいということ持って
1日あたり3時間くらいずつでも
進行が早い
昨日までに
大体の形ができているので
今日から衣のひだを彫ることにした
胸の線も少しはものを入れている
この画像に右肩の黒い線は
袖のひだを彫るマーク
左の正面の向かって左
袖のひだの彫りが少し見えると思う
右の画像の右側に
袖の後ろがあるけど
まだ彫り込みが少ない
左の画像に右袖のひだが彫られているのがわかると思う
右の画像の左袖はまだ彫り込みは無い
今日の右袖の彫り込みだけで
2時間半かかっている
ということは
全部にひだを掘るにはまだ相当時間がかかるということ
まぁ昨年彫っていた
あのちょっと大きめの薬師如来のひだ
それに比べればなんてことはないけど
油断禁物
じっくり彫ります
今日も
掘り終えて掃除して
そのあと一息ついて
またルームウォーかで
15分のお散歩しました
明日は
ちょっといえから出たいなぁ
買う買わない別にして
ちょっと離れたスーパーに行くかな
明日も昼間暖かそう
2023年02月16日
今日の木彫り 円空仏 馬頭観音 模刻とはいえ・・・ 230216
今日は朝10時から
温かい日を受けて
日向ぼっこしながら
日は暖かいのに
足がかなり冷えた
床が冷たいのだな
一応断熱対策してるけど
今日は背中も彫り始めた
円空さんの本物は
多分後ろは彫ってないと思う
でもどこからでも見ていいように
後ろは私の勝手で彫っていく
どんな仕上がりになるのか
私自身あんまりわかってない
両横はまだあまり変化がない
これから衣のひだを彫るので
この先かなり変わるはず
でも
そのひだがこの作品の命になりそう
頑張らねば
2日間木彫りをお休みした
おかげで腰は痛くなかったが
掘り終えたら
痛いの痛いの
運動不足が原因
可能性大なので
午前午後合計3時間半の後
15分休憩して
難治1年ぶりくらいに
ルームウォーカーで15分
本当は外で歩きたいのだけど
今日は寒いし
それ以上にもう花粉か飛び交っているので
家の中で我慢
15分しっかり歩いたら
少し汗ばんだ
明日も歩こう
2023年02月13日
今日の木彫り 円空仏 馬頭観音 太陽のない日向ぼっこ
今日は
終日雨
大した降りではないけれど
太陽が顔出してないので
寒くはないけれどひんやり
そんな中
午前30分かけて刃物研ぎ
ノミと彫刻刀の大きいのを
しっかり研ぎました
ついでに台所の包丁も
よく切れるようになった
昼飯作る時
ニンジンが力入れなくても切れる
これでなくっちゃ
研ぎ終えて
40分くらいシコシコ
昼飯は
焼豚、ニラ、ニンニク入りの
チャーハン
(相方にまた拒否権行使、自前だけ)
食べ終えて30分休憩
それから木彫りの縁側へ
雨で外はグレー
寒くないけどひんやりして
あなたあり気分乗らなかった
それでも彫ったヨォ
研いだばかりのノミで
気持ちいいねぇ
今日は全体にいじりまわした
というのも
そろそろ全体にイメージを
固めながら
細かいところに入る準備
まだまだ 全体固まってない
背面は袖の大きさをエンピツで書き込んで
いめーじを描いた
でもなぁこれを彫ったらどうなる?
実物は多分後ろは彫ってないと思う
大体円空さんは
仏像の作り方で言う「正面鑑賞」そのもの
後ろが彫ってあるのは珍しい
こrうぁがぞうがないのでわからない
黒い線は
衣のひだになるところ
これからだんだん増えていく
午後は2時間と少し
午前午後で
掃除をも含めると
3時間くらいになる
彫り終えて
腰が痛い
めちゃ痛い
刃物研ぎは結構腰に負担がかかる
その影響だと思う
年だねぇ
筋力つけねば・・・・
明日はお休みします
たまには休めないと
本当に腰を痛めそうだ
あぁ 歯医者に行く日でもあるのでー
2023年02月13日
2月13日 月曜日 雨 冷たい微風 画像と撮れなくて・・・
昨日に続いて
暖かい朝
と言っても外は雨
夜中に起きた時も
パジャマのままでトイレに行けたくらい
暖かい夜中だった
朝の目覚めは8時半
最近こんなめざめが続いている
プラスチックゴミを出す日
慌てて出しに行った
雨だよぉ〜
でも午前中にあがるかも
朝飯
ふわふわトロトロ卵焼き
今朝は失敗してしまった
オリーブオイル切れが原因
食べながら
朝ドラ2本録画で
終わったら
今度は昨夜の録画
「フラッシュアップライフ」
今朝は4回目のリスタート
だったかと思う
こんなんできたらおもろいけどなぁ
私は徳を積むのではなく
昔いじめた連中に仕返しを
そんないじけた私です
今朝は雨でまたショットできない
のっける画像も思いつかない
でも ふと
これを思う出した
円空仏の中で
一番好きな像です
愛知県江南市の音楽寺にある「荒神」
仏像としては
どうなんだろうと思われる
でも
造形的に全く異質のものを感じる
画像は実物ではなく
私が7〜8年前に彫った模刻です
ほぼ原寸大で
できるだけ忠実に彫ってます
私の彫り物の中ではいい出来の方
この荒神像について
過去に書いたものがあるので
リブログしました
お近くにお住まいでしたら
ぜひ一度 実物見ていただきたい
日頃は公開されていないですが
紫陽花の季節に
音楽時のアジサイまつりにあわせて
公開されます
今日は
午前中雨予報
寒くはないけど
木彫りに気分でないので
今彫っている馬頭観音を
彫りやすくするために
ノミをとごうかと思ってます
昼から
晴れたら彫るかも
暖かい朝
と言っても外は雨
夜中に起きた時も
パジャマのままでトイレに行けたくらい
暖かい夜中だった
朝の目覚めは8時半
最近こんなめざめが続いている
プラスチックゴミを出す日
慌てて出しに行った
雨だよぉ〜
でも午前中にあがるかも
朝飯
ふわふわトロトロ卵焼き
今朝は失敗してしまった
オリーブオイル切れが原因
食べながら
朝ドラ2本録画で
終わったら
今度は昨夜の録画
「フラッシュアップライフ」
今朝は4回目のリスタート
だったかと思う
こんなんできたらおもろいけどなぁ
私は徳を積むのではなく
昔いじめた連中に仕返しを
そんないじけた私です
今朝は雨でまたショットできない
のっける画像も思いつかない
でも ふと
これを思う出した
円空仏の中で
一番好きな像です
愛知県江南市の音楽寺にある「荒神」
仏像としては
どうなんだろうと思われる
でも
造形的に全く異質のものを感じる
画像は実物ではなく
私が7〜8年前に彫った模刻です
ほぼ原寸大で
できるだけ忠実に彫ってます
私の彫り物の中ではいい出来の方
この荒神像について
過去に書いたものがあるので
リブログしました
お近くにお住まいでしたら
ぜひ一度 実物見ていただきたい
日頃は公開されていないですが
紫陽花の季節に
音楽時のアジサイまつりにあわせて
公開されます
今日は
午前中雨予報
寒くはないけど
木彫りに気分でないので
今彫っている馬頭観音を
彫りやすくするために
ノミをとごうかと思ってます
昼から
晴れたら彫るかも