2011年03月21日
屋上のあるアパート
阿川佐和子原作の小説のドラマ。
長沢まさみも久しぶりに見て、ずいぶん成長したなぁと、ただまだどことなく幼い顔がのぞく、それが彼女のいいところかもしれないけど。
このながさわのえんじる桂木麻子という女性の心の中をうまく出していて面白かったですね。テレビで見る原作者・阿川佐和子の計画を表現しているかのようで。
それにしても、会社が倒産するの知らない、そんなお嬢様が一人生活を始めて、そこで接する人たちとの間で本当の大人を見ていくような気がする。十分に大人になっていたはずなのに、裕福な家の中での温室生活とは違った実社会の大人という意味を知って行ったのだろう。
倒産後に紹介された会社の社長を吉田栄作が演じているが、彼はモテモテだけれど、どこか最後はしっぺ返しを食らうという役柄がぴったりな雰囲気をもっているなぁと毎度思っているけど今回もその通りになってしまった。
筋書きとしては、大したものではないけど、なんとなく2時間が速く過ぎて行った。たまにはこういう若い人のドラマもいいものだと思ったり。。。。
**加藤晴彦のドラマって私には初めてカモ**
長沢まさみも久しぶりに見て、ずいぶん成長したなぁと、ただまだどことなく幼い顔がのぞく、それが彼女のいいところかもしれないけど。
このながさわのえんじる桂木麻子という女性の心の中をうまく出していて面白かったですね。テレビで見る原作者・阿川佐和子の計画を表現しているかのようで。
それにしても、会社が倒産するの知らない、そんなお嬢様が一人生活を始めて、そこで接する人たちとの間で本当の大人を見ていくような気がする。十分に大人になっていたはずなのに、裕福な家の中での温室生活とは違った実社会の大人という意味を知って行ったのだろう。
倒産後に紹介された会社の社長を吉田栄作が演じているが、彼はモテモテだけれど、どこか最後はしっぺ返しを食らうという役柄がぴったりな雰囲気をもっているなぁと毎度思っているけど今回もその通りになってしまった。
筋書きとしては、大したものではないけど、なんとなく2時間が速く過ぎて行った。たまにはこういう若い人のドラマもいいものだと思ったり。。。。
**加藤晴彦のドラマって私には初めてカモ**
2011年03月21日
左手薬指を・・・
今日はついていない日です。先日買った壊れていtる額の取り換えが来ないし、予定がくるって時間がいたので木彫りをしていたら、いつもはする手袋をちょっと外して刀を使ったら指を切る始末で。。。
今日のけがはかなり深いなぁ。こんな傷は4カ月ぶりくらいかな?気をつけていたのに、気を抜いたばかりに。。。。自業自得。 こんな刀でも、きると返り血を浴びるのがわかったよ。サスペンスで血の流れない刺し傷の嘘がよくわかった。
指にけがのおかげでこれを打つのも打ちづらくて。キーの位置が狂うんだぁ。。。。これで4日くらいは、木彫りはできないだろう。
仏さんを彫っていても、ご利益ないです。
今日のけがはかなり深いなぁ。こんな傷は4カ月ぶりくらいかな?気をつけていたのに、気を抜いたばかりに。。。。自業自得。 こんな刀でも、きると返り血を浴びるのがわかったよ。サスペンスで血の流れない刺し傷の嘘がよくわかった。
指にけがのおかげでこれを打つのも打ちづらくて。キーの位置が狂うんだぁ。。。。これで4日くらいは、木彫りはできないだろう。
仏さんを彫っていても、ご利益ないです。
タグ :ケガ
2011年03月21日
彼岸と此岸の境
今日は、春分の日そして春の彼岸の中日。
彼岸といえば、彼の岸つまり、浄土の方。この世から向こうに渡っり煩悩から解放された世界なんですが、一般には死んでいく先を意味しています。
これの反対が此岸(しがん)で煩悩、苦悩に耐えねばならないこのよ、つまり今生きている私たちの世界を言うようです。
そして、この二つの岸の間を三途の川が流れているのですが、この川がつまりは生死の境を意味しているようです。
ここ数日、大震災で行方不明だった人が発見されたというニュースが少しですがあります。発見された人はこちらの岸にいるところを見つかったのですが、遺体で見つかった人はあちらの岸で見つかったということなのでしょう。この差を作るもの弥陀の計らいなのでしょうが・・・・
この川は、本来は悟りを開いて渡るもののようですが、自然の力というものは残酷で、無理やり渡してしまうことも多いようです。
彼岸の日は、故人を供養するとか。そして、仏の教えを聞く日でもあるとのことです。
彼岸といえば、彼の岸つまり、浄土の方。この世から向こうに渡っり煩悩から解放された世界なんですが、一般には死んでいく先を意味しています。
これの反対が此岸(しがん)で煩悩、苦悩に耐えねばならないこのよ、つまり今生きている私たちの世界を言うようです。
そして、この二つの岸の間を三途の川が流れているのですが、この川がつまりは生死の境を意味しているようです。
ここ数日、大震災で行方不明だった人が発見されたというニュースが少しですがあります。発見された人はこちらの岸にいるところを見つかったのですが、遺体で見つかった人はあちらの岸で見つかったということなのでしょう。この差を作るもの弥陀の計らいなのでしょうが・・・・
この川は、本来は悟りを開いて渡るもののようですが、自然の力というものは残酷で、無理やり渡してしまうことも多いようです。
彼岸の日は、故人を供養するとか。そして、仏の教えを聞く日でもあるとのことです。