2021年01月17日
慈眼寺・円空仏・毘沙門天を彫る 第10日
円空仏・慈眼寺の毘沙門天
彫り始めて今日で10日目
もうそろそろ完成を目指して
という時期になってきた
普通像高62センチもあると
2ヶ月近くかかってすること
それを2週間位で仕上げようという
まぁいうなれば
暴挙、冒険
それでも頑張ってます
左・午前の終わり 右・今日の終わり
今日は頭を中心に
ノミ、彫刻刀、アートナイフを使った
頭のてっぺん
朝と午後で違ってます
だんだん完成イメージに近くなってます
f\胴体の方も
少し手が入って
全体のバランスを見ながら調整をしています
そして
夜問の模様を
はっきりさせる丈に
彫刻刀で修正しています
今日の結果です
正面から見る顔
相変わらずド〜〜〜〜ん
これが昨日の結果
見た目変わってませんねぇ。。。
彫り始めて今日で10日目
もうそろそろ完成を目指して
という時期になってきた
普通像高62センチもあると
2ヶ月近くかかってすること
それを2週間位で仕上げようという
まぁいうなれば
暴挙、冒険
それでも頑張ってます
左・午前の終わり 右・今日の終わり
今日は頭を中心に
ノミ、彫刻刀、アートナイフを使った
頭のてっぺん
朝と午後で違ってます
だんだん完成イメージに近くなってます
f\胴体の方も
少し手が入って
全体のバランスを見ながら調整をしています
そして
夜問の模様を
はっきりさせる丈に
彫刻刀で修正しています
今日の結果です
正面から見る顔
相変わらずド〜〜〜〜ん
これが昨日の結果
見た目変わってませんねぇ。。。
2021年01月17日
1月17日 日曜日 曇り 無風 阪神大震災から26年目
今朝は8時15分に床から抜け出した
今日の日常の開始は
雨戸開け
そして朝飯作って
居間で暖をとりながら食べた
8時半になっても相方が起きてこない
ん??? と思って
覗きに行った
目を開けてて ホッ
朝飯後にランタン出して
メダカの水槽の蓋開けて
(水温10度、居間の室温より高い)
新聞いれて
ゴシャゴシャしているうちに
9時45分を回ってしまった
(相方のスマホの)
(バージョンアップのせいだ)
今日は
あの阪神大震災から26年
あの日
未明布団の中で
かなり揺れた
即起き出してテレビを付けた
その時は何もわからない状態のようだった
当時息子は京都
娘は奈良と
離れていた
連息子は電話を持っていたので
即客員で来た
薄めは量で即連絡が撮れず
けっこう心配したが
ふたりとも無事で安心した
それからあとが大変だったなぁ
親類が関西に多い
安否の確認電話が通じなかった
なんとか通じで皆さん無事を課金したのは
数日経ってからだった
そうそう
息子がその揺れのときの感想を
「死ぬかと思った」
そんなふうに言っていた
それから16年して
東日本大震災が起きた
空から
すい最近 九州熊本で
震災が続いた
それに引き換え
この東海地方は
東南海地震の発生の可能性が
かなり以前から言われているもの
揺れていないのだ
エネルギーが溜まりに溜まって
いるのではないかと
危惧している
揺れたら
大変事になるのではないかと
そんなことを
新聞読みながら思った朝だった
海のシャチは今日も元気です
今日も毘沙門天彫ります
今日の日常の開始は
雨戸開け
そして朝飯作って
居間で暖をとりながら食べた
8時半になっても相方が起きてこない
ん??? と思って
覗きに行った
目を開けてて ホッ
朝飯後にランタン出して
メダカの水槽の蓋開けて
(水温10度、居間の室温より高い)
新聞いれて
ゴシャゴシャしているうちに
9時45分を回ってしまった
(相方のスマホの)
(バージョンアップのせいだ)
今日は
あの阪神大震災から26年
あの日
未明布団の中で
かなり揺れた
即起き出してテレビを付けた
その時は何もわからない状態のようだった
当時息子は京都
娘は奈良と
離れていた
連息子は電話を持っていたので
即客員で来た
薄めは量で即連絡が撮れず
けっこう心配したが
ふたりとも無事で安心した
それからあとが大変だったなぁ
親類が関西に多い
安否の確認電話が通じなかった
なんとか通じで皆さん無事を課金したのは
数日経ってからだった
そうそう
息子がその揺れのときの感想を
「死ぬかと思った」
そんなふうに言っていた
それから16年して
東日本大震災が起きた
空から
すい最近 九州熊本で
震災が続いた
それに引き換え
この東海地方は
東南海地震の発生の可能性が
かなり以前から言われているもの
揺れていないのだ
エネルギーが溜まりに溜まって
いるのではないかと
危惧している
揺れたら
大変事になるのではないかと
そんなことを
新聞読みながら思った朝だった
海のシャチは今日も元気です
今日も毘沙門天彫ります