2018年03月17日
蕾が膨らんで・・・
桜のツボミ
結構大ききなりました
でも日当たりが悪いので
満開にはかなり時間がかかりそうです
これを見てもまだまだですねぇ
モクレンです
一見鳥が並んで止まっているみたいに
茶色の服を脱ぎ始めています
他のところでは
もう満開のところもあるのですが。.。
ボケがまた咲き始めました
側から見ると
梅かいなぁ?桜かいなぁ?
なんて・・・・
スイセンです
この花たち一年中直射日光を受けないところに咲いてます
本当は鉢植えだったのですが
私が嫌ったので
家内が庭の一番隅に地植えしてしまった
でも
健気に咲き続けてます
日陰の身でも、命は簡単には死なないものだと
2018年01月20日
今年の恵方の先取り・笠寺観音 その3
本当はここから入るといいのでしょうが、旧東海道は細い道で交通量が多いだけでなく、名古屋環状線から笠寺観音の西門の近くまでは西行き、東行きお互いに一方通行なんですが、この仁王門の前は相互通行でちょっと気をつけないと危険です。と言うことで、環状線から来る時は西門から入るのが安全でしょう。
仁王門は、当然のごとく仁王さんが2体あります。正直もうして色々仁王さん見てますが、力強さはイマイチかな?最も荒子観音は円空さんの彫った仁王さんですが、ここはどなたの作かわかりませんが、まぁごく当たり前の仁王さんです。
仁王門の前には堀があってそこに石の太鼓橋があります。お寺での太鼓橋ってたくさんあったかなぁ?古い寺ではあんまり見たことないと思いますが。。。
左の写真がその太鼓橋を横から見たところです。この下の彫りには、だいたい亀さんがいるんですが、笠寺観音ではいないのか、俺ともお昼寝でどこかに行っているのか、全く見かけませんでした。 さて、太鼓橋を渡って旧東海道を気をつけながら渡って、笠寺観音の南にある”玉照姫泉増院”に行きます。実はお恥ずかしい話ですが、この院があることは全く知らなかったのです。笠寺観音の中に”玉照姫”と言う名前と”藤原兼平”と言う名前がありました。何だろうと思っていたのですが、知ろうともしないで仁王門を出たのですが、出たところに”玉照姫泉増院”があったので行ってみようと言うことになって入り込みました。
右の写真は”玉照姫泉増院”の門です。これを入るとつきあたりに干支のお守りの仏さんが並んだお堂があります。その突き当たりを右に折れます。
なかにはいくつかの建物がありさっき右折して入ったところの正面に本堂があります。大日如来が祀られているとのことです。
そしてその左側に薬師堂とか書いてあったような、中に綺麗な仏さんがありました。(薬師さんの立ち姿が何で東向いてるんだろ?)
この玉照姫泉増院でへぇ?と言うものに出会いました。梅の花、蝋梅です。梅というのはこれから咲くものと思っていたのですが、蝋梅は12月頃に開花すっるんだそうですね。なんかちょっと季節を設けたような気になりました。
蝋梅はいい匂いがしていたと家内が言ってました。残念ながら私は匂いは嗅ぐことはできませんでしたねぇ。。ほんと植物のことも知らない恥かきです。
さて、ここを出ます。先ほど入るときの突き当たりの建物には綺麗な、まだ新しいのではないかと言う、仏さんの坐像がたくさんなら何でました。干支の守りということですが、未年の私の守り本尊は”大日如来”だそうです。
玉照姫泉増院を出るところで、コンパクトデジカメのバッテリーが切れました。ということで、今回はここでお話を打ち切りします。
アァ、書き忘れ。玉照姫は、観音さんに傘をかぶせたことのご縁で、貴族なんでしょうねぇ、藤原兼平に嫁いだということで、玉の輿伝説ということで、そんな願いを叶えるためのスポットにもなっているようですが。私のかぶった傘もそのものだそうですが、今更私が玉の輿に乗るなんてねぇ。。。。。
2018年01月19日
今年の恵方の先取り・笠寺観音 その2
本堂は、大須観音のような派手さはないけど荒子よりは大きいかな?でも荒子に比べると古い(荒子は建て替えているから)、甚目寺も古くてここよりは大きかったと思う。安念アガラマダ竜泉寺はいってないので比較ができない。(龍泉寺は円空さんゆかりなんだけど未だに行ってないのは未熟です)
この本堂の真後ろに仁王門があります。これは帰りに通る予定です。
参詣用の板張りのスロープを上ります。参拝者が多い時は階段よりもスロープの方が安全なのかな?登り切ると右手に先行の大きな香炉、普通ならここの線香の煙を体の悪いところに塗るつけるんだろうけど、今日はパス。なんか喉がいがらっぽいから。
本堂内に入ると正面に本尊の十一面観音さんがあるんですが、遠くて見えやしないよ。今彫っている十一面観音さんの参考にさせてもらおうと思ったんだけどねぇ。とにかく合掌。
この左手に行列。なんか沖縄で見た女性の踊りで被っていた傘みたいなものの中に頭を入れて、呪文を唱えてもらっている。その順番待ちなんだ。家内がすると言うので、じゃ私もと行列に並んだ。順番が来たところで家内にショットしてもらったのが下の写真。指名手配に使われると困るのでモザイクをかけました。
呪文は、何だか全くわからない。最後に”ソワカ”って言ったかなぁ。このかぶった傘は、観音さんが被っていた傘だそうだけど、かなりでかいのでどの観音さんがいつ頃かぶっていたものかすごく気になったけど、そんなことは質問できるわけないしなぁ。。。
本堂は、この日(実は今年の”初観音”だそうで)は時間によっては本堂の観音さんの前まで行けたようですが、私らは残念ながら時間が合わず入れませんでした。
祈ってもらって本堂の右手に出て行く。その手前に小さい石の地蔵さんが座って並んでいる。なんでも”おもかる地蔵”と言うのだそうで、たぶんに京都の伏見稲荷の”おもかる石”と同じ役目をしている感じ。真ん中の大きいのと、市場なん左の小さいのを抱いてみた。重いのか軽いのか何とも言いようがないなぁ。。。
お行きになったら是非試してみてください。
その地蔵さん達とお別れして本堂の東に出ると、何だかガラス窓がたくさんあっていろんな仏さんやらが並んでます。あんまり興味ないなぁ。七福神、弘法さん、などなど。。。
その後ろに降りるスロープがあり、その左手に小さい祠、お堂がいくつか。その中に”宮本武蔵”の塚があった。確かに武蔵はこの地に来ていることは聞いたことがあるけど、何の碑何だろう?疑問のままです。
さて、このあとその武蔵の日の後ろにある駐車場に行きました。結構高台で周りの渋滞が見えますが、見晴台はどこかわかんなかった。
本堂はこれで終わり。次回は仁王門から玉照姫ゆかりの寺を書きます。
2018年01月18日
今年の恵方の先取り・笠寺観音 その1
バスに乗って地下鉄の駅まで。地下鉄に乗り換え得て3つ目のr機・桜本町で下車、そして地上に出たところで、目の前にバス停があるけど乗らないで歩くことに、だって歩きに来たんだからねぇ。
環状線を南に進んで、バス停で言うと3つくらいかな?歩いた歩いた。そして本当の東海道に来てここで左折。細い道をまっすぐ東に行くとそこが笠寺観音の西門。久しぶりですねぇ。。
笠寺観音は、今回でくるのは3回目です。一番最初に来たのは、たぶん3歳になってなかったかと思うけど、記憶に残っているのは近所のおじさんの肩車で豆まきを見たと言うこと。途中の記憶は全くないけど、なぜか肩車で豆まきを見たと言う記憶だけが残っている。
2回目に来たのは、娘がまだヨチヨチ歩きの頃で、初詣に行くには空いているところに行こうと言うことでやって来た。はずなんだけど、その時の記憶は西門まで来たと言う記憶があるだけで、他は全く残っていない。情けない話だ。40年くらい前の話なのに。
まぁ、境内に入るのは3回目だけど、この西門に突き当たる道、これが本来の東海道なんだけど、ここは昔仕事でよく走ったし、今でも時折鳴海から西に向かう時に利用している。
久しぶりに境内に入りました。記憶に残っていないから目新しいですねぇ。今日は、縁日があると家内が言っていた割にはお店がない。目に入ったのは2軒だけ、で一軒は片付ける寸前だよ。午前中の早い時間に商売を終えたと言うことなんだろうか?
西門から入ってすぐ右手に地蔵堂がある。なんで観音さんと地蔵さんがと言う疑問と同時に、この先にもいくつかの地蔵さんに出会うことになったけど、なんだかなぁ。。
観音さんは如来さんの化身としての役目をするけど、地蔵さんは左の写真のある六道の輪廻から抜け出るお手代をしてくれる。役目が違うから同居してもいいけど、どうにもこれだけ地蔵さんがいるとなぁ。。。。
左がお堂の東外から、みぎはお堂の中に立っている6地蔵
六地蔵といえば、京都の山科区にその地名があるよなぁ。駅の名前にもあるし。昨年久々に行かなかった法界寺に行く時には、車でなければ必ずと言っていいくらい使うことになる駅名で、その駅名の受かりになった寺も近くにある。一度行ったことあるけどねぇ。。。
上の六地蔵のお堂の後ろ(境内の方角でいえば北)に”笠寺延命地蔵”と言うのがあるが、そのお堂の中をのぞいたら石で彫った三ざる(ミザルイワザルキカザル)があった。まだ新しいねぇ。
この境内の中に石で彫ったものがいくつかぞんざいするが、多くが岡崎の石膏団地からの奉納品のようだ。どう言ういわれから奉納されているのかわからないが、縁日の出店の一つに、石工団地からの出店で石で彫ったフクロウを売っていた。
また反対方向(南側)を向くと多宝塔がある。結構な年代もんだなぁ。その前にも石の仏像があるけど、これも新しいねぇ。
近くに行かなかったけど、何だろう?たぶんに弘法大師の旅姿かな?なんて思ったりもね。
その左手(東)に手を清めるところ“漱玉盤”と言うのがあった。手を洗うところにこんな名前のものを見るのは初めてのような気がするけど、普通はなんて言うだったっけ?
この漱玉盤の左手(写真の左上角に小さく写っている)に仏さん(地蔵さんの坐像)があって、これに水をかけて祈るんでしょうねぇ。。と言うことは、通常の手を清める所とは意味が血が合うのかな?(書いたもの読んでこなかった。あったか?)
さて、次回は、本道からを書きます。
2017年11月28日
青空とテレビ塔
栄にいた
診察を終えて院展の会場に向かう途中
久屋大通りの交差点を渡る途中
青空の下のテレビ塔を見た
青とシルバーのコントラスト見事でした
このテレビ塔
日本で最初に建てられたもの
あまり知られていないかなぁ
名古屋がもっと誇るべきものなんだけど
放送関係では
日本で最初の民間放送がある
中部日本放送CBCである
コールサインが
JOAR とAの文字が入っている
たしか昭和26年だったか9月1日に放送開始した
これも誇るべきものなんだけどねぇ
(ちなみに2局目は京都放送でJOBR)
(NHK名古屋は東京、大阪に次いで3局目でJOCK)
今は携帯電話の送信塔になっているけど
いつまでもあり続けてほしいものです
2017年09月29日
雨上がり・恋の季節の天白川岸を歩く 2
この時期は、季節の変わり目で花が咲くのは本当に少ないですね。逆に春夏に咲いた花が実を結び次の年に備える季節でもあるのかと思います。
とはいえ、全く花がないわけでもなく、探せばいろいろあるようです。
これは昨日も掲載した彼岸花。不思議でしたね、たった1輪だけ咲いていたので。他の花が枯れてしまったのかと思えないこともないけど、そんな感じもなかったなぁ。
葉っぱは朝顔みたいでしたが、花の大きさはとにかく小さい、大きく開けばアサガオみたいになるのかな?ネットで検索してみたら”ホシアサガオ”というらしい。ただ私は植物のことに全く疎いので違っているかも。
この花を見たあたりが天白川の島田橋(正式には”新島田橋”)から2つ下流の平田橋に来ています。もう歩き始めて30分を超えています。結構汗もかいていて、また脱水症状を起こしかねないので引き返すことにしました。
踵を返して来たに向き、土手に上がる坂を登り土手の一番高いところに上がりました。ここにある遊歩道を上流に向かって歩いて行きます。(これで階段を登らなくてすむんだァ)
土手は桜の木が並んでいます。春には桜の名所として有名なところでもあり、結構たくさんの人が訪れます。桜といえば秋になれば赤くなります。その気配を感じます。
ちょっとだけ赤くなり始めてます。あと半月もすればもっともっと赤くなるでしょう。
遊歩道を上流に向かっていると、小さい花がぶら下がったようなものに出会いました。これは名前をどうやって探せばいいのかあなぁ?
全部下を向いてますが、白いきれいな花だけになんか惜しいような・・・
しばらく歩いて行くと芙蓉の花を見つけました。きれいなピンクですねぇ。先日京都御苑にピンクの芙蓉がきれいに咲いているというメッセージをいただきましたが、こんな感じかなぁ?
その少し先に我が家の芙蓉とは種類が違うのかな?なんだかドレスを纏ったような花を見ました。
これも芙蓉だと思うんですが・・・・・ 中心に雌しべ、雄しべがあるの???
土手の遊歩道から住宅地の方に足を踏み入れました。リトルリーグのチーム(だと思うのだけど)の建物の北側にこんな派手な色の花が咲いていました。
ここからディーラまで歩いて10分弱。戻りつつあるところに、点検終了の連絡が。
デーラーノショールムについて、水を1歯医もらって水分補給。一息つきました。気がつけばものすごく汗をかいていた。アンダーも上のシャツもびっしょり濡れてました。気づいていなかっただけ、ボケたなぁ。もう少し歩いていたら熱中症で倒れていたかも。
車を受け取って、家に帰り、お昼ご飯です。 おつかレェ
2017年09月28日
雨上がり・恋の季節の天白川岸を歩く 1
小さい黄色い蝶がたくさん飛んでました
恋の季節なのかと思いました
今日は車の半年点検にディーラーに持ち込んだ。点検に小1時間かかるということなので、その時間を利用して天白川岸を歩くことにした。
朝は雨が降っていたが、車を持ち込んだ10時半過ぎにはなんとか上がっていたので歩くことができた。雨が降り続いていたら、ディーラーの中でゲームでもして遊んだかもなぁ。。。
デーラーから西に向かってあるいて天白川の土手にぶつかる。土手の上に上がるところを探してなんとか見つけて階段を上がる。(この階段で小さい男の子が拗ねて意地を張って祖母と思われる女性を困らせてましたね)
土手に上がったところですぐに降りる階段があったので、横向きに注意しながら降りた。雨上がり、人はそんなにいないだろうと思ったのだが、結構な人が歩いたりジョギングしたりしてましたね。
この塔は、天白区役所の塔です
歩いているのは、天白川の下流を見て左側、つまり天白区川です。右手は多分瑞穂区かと思います。
この時期は天白川技師はあまり花は咲いていません。色づきのあるもの少ない時期です。なのでカメラをぶら下げて行ってもいいのが取れることはないかって思ってはいたのですが、案の定まぁ華のないこと、最初に見つけたのが下のヒナギク。たくさん咲いている割には花が小さすぎて色がイマイチわかりづらい、晴天の下だと違うのかな?
ちょっと先に、「おっ赤い色が」と思ったら、たった一輪だけの彼岸花でした。なんかこの赤も冴えてないなぁ。
上は、島田橋と菅田橋の中間より少し菅田橋より、なんか「これ名古屋じゃぁないや」なんて思ったりもしたものです。
上の写真、何に見えます? 遠くから見た時、一瞬”しらさぎ”かと思って望遠でショットしたものです。近くになったら、なんと白いゴミ袋が流れていたのです。あ〜〜ぁっ、心無い人がいるんだなぁ。
ヒナギクは、ここではいっぱい頑張って色を見せていました。
その先に中州があるのですが、中洲の横で数羽の鳥がたむろしてました。仲良くかな?なんて思っていたら、どうもそうではない、追っかけ回しているやら取っ組み合いをしているのやら、どうもつがいになる相手の紛争戦をしているところらしいです。残念ながらその場面をショットすることができなかたのは私の腕の悪さです。
上の左の2羽はくっついてますが、これが実は紛争中で、2羽目のが1羽目を追い出してしまいました。右の2羽もまだかアップルが成立してない様子です。恋の季節は紛争の季節でもあるのか・・・・
その中洲の反対側で水しぶきが上がりました。何かと思ったら、ここだとフナかなぁ?2匹がくんずほぐれ・・・よく映像で見かける鮭の産卵の軽いのって感じでした。これも恋の季節かもなぁ。
ざんねんながら魚の姿は捕らえられませんでした。でも背びれだけ出てますね。追っかけていることです。
これは何かなぁ?造形的の面白かったのでショット。
こいつは”くっつき虫”って行っているんですが、くっつかれると取るのに一苦労の面倒なやつです。人の通らないところに結構ありましたね。通るところだと大変だ。
2015年11月23日
岩崎城 03
お金のいらない関所の前を左に折れると天守閣に入って行く通路になる。人がいませんねぇ。。。という余地も少ないお客が通り過ぎたところで撮っているから無人に見える。(まァ・・無人に近いけどねぇ)
右手に黒い箱があったけど、なんだろう。目的書いてあったのかどう髪もしていない。でも、今頃になってなんか気にかかる。。。。
突き当りの部屋には、それなりに歴史が書かれたパネルがずらりと並んでいる。こんなものを読ませるためにこの天守閣作ったんだろうか。。。。作った時は日進市ではなかったかと思うけど。下手すると今は、管理費用が重荷になっていなければいいけどねぇ。
あんまり今日にがわかないけどひとまわりにた。そして通路の左側に2階に上がる階段があって、それを上がっていく。しかし、いつ作ったんだ?手摺がものすごく持ちにくいと思うよ。スロープになっていた車椅子でもあげれるかと思ったけど、2階以上は無理だなぁ。。ちょいと足の弱い人は難しいかも。手摺に掴まってということが難しいから。
私にとって苦手な階段を上りきったところが2階で、この上にまだまだあるんですねぇ。。。この上は天守の中央にある階段を登ります。写真は、3階から最上階に上がる階段、きついです(私には)、それを我慢して2階から3階、3階から最上階へと頑張りました。降りる時の恐ろしさを思い浮かべつつ。。。
2015年11月22日
岩崎城 02
写真は、資料館の入り口のスロープの所から撮ったもの、実はテンスを見て、資料館を見たあと帰り際に撮ったものなので書いている時のイメージとはちょっと違う。
菊の花が、秋を象徴するように見せているのかも。
広場から名古屋方面を見ています。もっと見晴らしがいいのかと期待したんですが、周りに住宅が立て込んだなぁという印象で、名古屋の方面の印象がなんかなくて、ただ途中に名古屋と日清を分ける小高いところがあるような印象を持った。やっぱり境界には峠があるのかもなぁなんて・・・
ここでは、親子連れが一組。男の子が、私を不思議そうな顔してみたいて。いずれ孫もこんなになるかいなぁ。。なんて思いを馳せたり。
この広場の奥の方に〇〇碑(名前忘れた)があって、その上の木がちょっとだけ紅葉していた。この岩崎城の中で一番紅かったかな?
広場をあとに天守に向かう。天守の入り口は、天守に向かって右側、左には赤い段があって下に降りて行くのだが、何があるのかと思いきや”トイレ”でスゥ。。。
この写真が、天守閣に入る入り口で、正面には関所があります。
この関所は、一応切符売り場のような様相ですが、人はいません。そして「入場無料」の表示があります。安心して入ってください。
昔は入場料とってのかな?それもとも、いずれ来る人が多くなったら取るつもりなんだろうか?それにしても、誰もいないなんてねぇ。
さて中に入ります。
2015年11月21日
岩崎城 01
座椅子みはまずは思うもの見当たらず、大体高級と自称しているところに座椅子はないかもん。リクライニングの椅子は、いいなぁと思うと値段も良く、いやものすごくよくって今更こんな値段のもの買ってもしょうがないしなぁと思って、いろいろ見てはきたけど、結局は何も買わずに出てきた。
そして、東名高速を挟んだ反対側にホームセンタがあるからそこで座椅子を見た。まぁまぁかと思うものがあったが、どうにも色が気に入らないので皮わずに、自宅の食堂の蛍光灯が切れかけていたのでそれを買っただけで帰ってきた。
店を出て帰ろうにはまだ早い、と言って土曜日、そう3連休の初日に紅葉見物なんてどこいっても人ばっかりだろうと、まぁ帰り道に何かあればそこに寄ってみるかと、名古屋学芸大学の前の道を南下した。
と、この道を少し南に行ったら”岩崎城”があるのを思い出したので、行ってみることに。
走っている道路の左側にあることはわかっているが、大体駐車場がどこ、入り口がどこなんてわからない。ナビにセットしようとしたら、我が家のナビの姉さんは”岩崎城”は知らないって。困った姉さんだ、「いわさきし」までしか入らず、リストの「岩崎資料館」をセットしたら全く違うところに連れて行かれたので、あとは自分で城を目指すしかなくって。
まぁちょっと迷いかけたけど、なんとかたどり着いた。
道路からは立派な天守が見えるから、さぞかし土曜には多くに人が来ているだろうと思っていたから、駐車場に車を入れるのは無理かもあなぁ、・・・なんて思いながら駐車場に。
おやまぁ、ガラガラではないですかぁ。。。。。
車を置いて、車止めの門を通過して緩い坂を登っていく。ぐるっと回る感じで登ったところの左手に少し登る橋があって、その先に城がある。
人はいるにはいるけど、指で数えるほどしかいないよ。。。入場無料なのに、こんなに人が来ないとは。歴史のあるとことなのにねぇ。もったいないなぁ。
2015年03月31日
名城公園って昔は・・
公園には何もそれらしい記述のものを見かけなかったが、帰ってからネット調べたら、私の思いが正しかったらしい。ということは、この名城公園のどこかで、私の母と実の父親の最後の別れになったところがあったはず。
とはいえ、それは母からちらっと聞いただけのことで、真実は定かではない。ただ出兵前の休みの面会日にはいそいそ出かけたと言っていたことは確か。
なんか、なぁ。。。。。。。。。
2015年03月24日
これも大須です
下の写真はみんな大須で撮ったものです
戦争で焼け残った七ツ寺の大日如来
この寺で素晴らしい仏さんを見てきました
朝9時半の観音通り
人がいませんねぇ
朝9時半の大須観音
2014年11月23日
塩竈神社と六反小学校
ナナさんは、六反小学校のご卒業とか。私は残念ながら隣の学区、広見小学校の卒業です。隣の学区とはいっても行政区が中川区と中村区の違いも有り、友人は全くいないと記憶してます
ということで、六反小学校は一度も中にすら入ったこともなく、先生方とも交流は有りませんでした。ただ、親戚筋のジョンな能古が六反小学校に行っていたかなぁ?しかし、もう60年以上も前のはなしでその女の子の記憶もなくなってます。
その六反小学校は、今は廃校になり私立・星槎学園の名古屋分校ということになってしまっています。そして、昔走っていた市電もなくなり、バスが代わりに走っているのですが、学校が有ったときは『六反小学校前』というね前のバス停が有りましたが、今は『六反公園』という何変わってしまっています。
そして、周辺も大幅に変わっていくようで、目下中阿川運河の一番きたのは市・運河橋が解体改修工事の最中です。そして堀留の木谷は愛知だが買うもできたりして、さらには記念中に中京テレビが移転してきたり、その他いろいろな施設がくるらしいです。
私ももうこの近くには住んでいないので、今は誰もいない実家に時折立ち寄るだけで、立ち寄るたびに変わり方に驚いています。
コメントに出てきた『塩竃神社』ですが、中の広いところは駐車場になってしまって子供たちが遊ぶ姿はもうありません。(尤も子供数も大幅に減っていますが)
その塩竃神社の前に有ったお風呂屋さんもなくなり、今は高層のマンションが建っていたりと、日置通りもシャッターの降りたところも多く寂しい風景になってしまっています。
こんなところの遠い記憶は、NHK-BSの火野正平さんの「こころ旅』に投稿してきてもらいたい景色かなぁ。。。なんて思ったりもします。
2013年06月13日
敬老パス 名古屋の旅 南大高~名鉄鳴海~徳重
ルート選択はしたが、何せ1時間に1本しかないから逃がすと大変。とりあえず15分あるのでイオンに行ってトイレ拝借と時間つぶしをする。まだ10時前なので店の中はガラガラだよなぁ。。。。
しかし、バス停から店までは階段を上らねばならないし、わたり廊下も歩かねばならない。ということで、そんなに余裕のある時間つぶしではなかった。次のバス手で待つかと思ったがバス停を探していたら、始発のバス停に行く時間がありそうなので駅のバス停に戻った。
バス停について、ほんの数分でバスがやってきた。乗客は私一人だよ。。。
バスは発車。乗客はいくつか行った先の停留所までなし、次に乗って来たのは私と同年代のご夫婦、そしてその次に女性一人そしてもう一人が…合計4人だけ載せて、1号線で左折して北上。順調にいくかと思ったら、乗客の上皇が少ないので進み方が早すぎたのか、天下の1号線、かたぐぁ1車線のバス停でなんと5分近く(体感)止まったまま。1号線が込むわけだよなぁ。
鳴海に着いて降りました。ここで、新瑞橋から来る徳重行を待つ。バスが遅れている。乗客がイラついている感じがせんでもない。隣のオヤジの大衆が強くて困ったよなぁ。。。
待つ間に、近くにいたおばさんと会話。何をはしたかって?「鳴海の駅は結構大きいのになんもないですねぇ」といたら「ないねぇ」と。買い物が結構大変らしい。大きいスパーは、隣の液、有松のイオンになるかもなぁ。。。
バスは、5分遅れて到着。ほぉ。。。花井バス停床の名鉄鳴海の間は、往復しているんだ。
この場さ鵜は今日乗った3代目のバスだが、一番乗客が多い。座席はほぼ満席、まではいかないよな、8割くらいなか?でも、生活臭がプンプンする。
花井の項s点で右折してからは東に向かって一本道、車では走りなれている道だけど、バスから見ると違うねぇ。すいすい走って、徳重についてしましました。
家を出てから約2時間。歩きもあったし待ちもあったので、これくらい。まぁまぁの旅でした。
2013年06月13日
敬老パス 名古屋の旅 鳴子北~南大高
歩いていたのは、とうかいどおりの延長、地下鉄相生山から鳴子北の方向に。ここはまぁ幹線道路なんで車の量が多いと思ったのだが、朝8時45分という時間では中途半端なのかそれほぞでもないなぁ。
鳴子北にバスターミナルがある。ここはバスの車庫でもあるのだが。バスに乗って”敬老パスの旅”をしようという思いがあるから、バスに乗ろうとするのは当然で、ターミナルに張る場所を探す。いつもはバスで来てしまうからターミナルにバスが入るからほかに入り口があるかどうかわからない。
広いバスの車庫で、上は住宅になっている。東西に長いからいるもの西側以外にもターミナルに入るところがないかと思ったのだが… ない。どんどこにしに行ってもない。結局はバスと同じところからしかターミナルに入れないのだ。
東側にも入口があれば、ターミナルの東側の人は楽だろうになぁ。と思うのは勝手すぎるか?
実は、依然”敬老パスの旅”で中川車庫に行ったことがある。トイレを拝借したくてターミナルに行ったのだが、バス停から一番遠いところに事務所があって、一般人は中を通ることができない。確かに一般人が入る必要はないのかもしれないが・・・ どうして、こういう設定になっていのかと。。
ターミナルに入って最初に来たバスに乗ろうと。来たのが”南大高”行き。イオンの南大高の店のあること。大きな病院と住宅のためにできたJRの割と新しい駅に、ここからバスが行っている。しかし、1時間に1本しかない。これでは買い物には行かないわなぁ。。
バスに乗って、あとは終点まで座っているだけ。いつもは車で走り抜ける道路をバスの車窓から眺める。いつもは気づかないものがたくさん目に入ってくる。へぇ~こんなのがあるの?なんていうのも。とはいうものの、この路線はそんなには目新しいものには気付かなかったなぁ。
このバスの運転手にはちょいとクレームをつけたい。
バスの運転手は”指導運転手”の肩書がついていた。しかし、始動されるべき運転や接客である。
1:ドアの開閉は、バスが動いているときにはしてはいけないのだが、到着寸前に開ける。これは停留所で止まるときすべてのところでやっていた。
2:発車は乗ってきた乗客が席に着いてからするのが原則なのだが、腰がつくまで待たないで発車する。
3:途中で障害のある人が車椅子で乗車。この際ものすごく仏頂面で、スロープの設定、車犬の留などに、やりたくないというのを示すがごとくにことさら大きな音を立てていた。
こんなのが指導運転手とは、名古屋市交通局は情けない。監督する人間がいないからなぁ。名前もわかっているから書いてもいいが。。。。
南大高に着いた。駅自体はいとも少ないわなぁ。JRの電車が来ない限り人はそんなに通らない。しかし、いずれ周りが発展すれば様変わりするかもなぁ。