2008年01月14日
梅もどき
知恩院の方丈庭園を見てきたが、そこに葉はマック無く赤い実だけを付けた気があった。
梅モドキというそうだ。
見た日は、雪がちらつくサム、冷え込む京都の一日だったが、もうじき梅の季節になる。その前に実だけを見たというのか。。。
梅モドキというそうだ。
見た日は、雪がちらつくサム、冷え込む京都の一日だったが、もうじき梅の季節になる。その前に実だけを見たというのか。。。
2008年01月14日
食いモンの恨みは・・・
1月13日 冷え込む京都での話し、
知恩院の特別拝観で公開されている三門、勢至堂や庭園などを約3時間かけてみて回った。11時からはじめたのでもう2時を過ぎている。当然おなかも空いている。どこかで食べなければと、この先に行き着くところの過程として、八坂神社を通り抜け、銀座の交差点から市場通りの南側を西進。市バスの停留所を過ぎて左側に『石』という店がある。
このビルに一階は、アクセサリー、宝石を売る、2階が喫茶、40数年前に一度来ているが、そのときと変わったのは、イッカイの売り場がせまっ苦しくなったこと。
この店の前に着たら、『京ソバ』とかかれているではないか。40年ぶりに入るのもよかろうと、案内に従ってエレベータに乗り込んだ。若いカップルと同乗。男性が行き先のボタンを。難解にいったのかは知らない私。
ついたところが、京ソバ食べられるところ。
女性がオーダーを取りにきた。「天ソバ」を注文。しばらくいたら、なんやら後ろから声をかけられた。ふりむいたら、「そばありません。うどんなら・・」という。うどんやったら『おめん』に行けばいい。しかし、歩き疲れているし、面倒やと思ったので、『しゃぁないな』と変更を了解。
料理をするおじさんが、一人でなんやかんややっている。まずうどんを茹でてお湯を切っている(ここまでもけっこう時間かかっている)、そして、しばらくすると、今度はてんぷらを揚げ始めた。なるほど「揚げたてが食べられるのか・・・」と、内心。
なんやらおそい、そしたら料理のおじさんが私の前にきた。そしていわく『てんぷら一尾しかありませんね』と。
いいかげんにしてよ。京ソバを食べに入って『うどん』に変えてくれ、長いこと待たされた挙句に「てんぷらが足りません」?。
それはないだろうよ。だったら、オーダー受けたときにそんなことを言ってくれ、それなら最初から断って座ることもなかろうよ。とまあ、怒りをあらわにしたら、「そばなら一人前ならあります」。
ここでぶちきれた。さっきは「ないからうどんや」といった。怒ったら出てくる。もうこれは食べる気もせんようになったので、キャンセルして一階に。
入り口ではいるとき案内した案内人の男性に苦情を言った。「よく言いつけておきます」、これではねぇ。。。挙句の果てに、「うどん食べるのなら『おめん』に行くよ」といったら、『そうですよねぇ』とのたまったのだ。
なんというお店でござんしょ。
3階の京ソバは、お店の中特に天井もすすだらけ。きれいな雰囲気もないので、まぁお勧めの店にはできないですわなぁ。
知恩院の特別拝観で公開されている三門、勢至堂や庭園などを約3時間かけてみて回った。11時からはじめたのでもう2時を過ぎている。当然おなかも空いている。どこかで食べなければと、この先に行き着くところの過程として、八坂神社を通り抜け、銀座の交差点から市場通りの南側を西進。市バスの停留所を過ぎて左側に『石』という店がある。
このビルに一階は、アクセサリー、宝石を売る、2階が喫茶、40数年前に一度来ているが、そのときと変わったのは、イッカイの売り場がせまっ苦しくなったこと。
この店の前に着たら、『京ソバ』とかかれているではないか。40年ぶりに入るのもよかろうと、案内に従ってエレベータに乗り込んだ。若いカップルと同乗。男性が行き先のボタンを。難解にいったのかは知らない私。
ついたところが、京ソバ食べられるところ。
女性がオーダーを取りにきた。「天ソバ」を注文。しばらくいたら、なんやら後ろから声をかけられた。ふりむいたら、「そばありません。うどんなら・・」という。うどんやったら『おめん』に行けばいい。しかし、歩き疲れているし、面倒やと思ったので、『しゃぁないな』と変更を了解。
料理をするおじさんが、一人でなんやかんややっている。まずうどんを茹でてお湯を切っている(ここまでもけっこう時間かかっている)、そして、しばらくすると、今度はてんぷらを揚げ始めた。なるほど「揚げたてが食べられるのか・・・」と、内心。
なんやらおそい、そしたら料理のおじさんが私の前にきた。そしていわく『てんぷら一尾しかありませんね』と。
いいかげんにしてよ。京ソバを食べに入って『うどん』に変えてくれ、長いこと待たされた挙句に「てんぷらが足りません」?。
それはないだろうよ。だったら、オーダー受けたときにそんなことを言ってくれ、それなら最初から断って座ることもなかろうよ。とまあ、怒りをあらわにしたら、「そばなら一人前ならあります」。
ここでぶちきれた。さっきは「ないからうどんや」といった。怒ったら出てくる。もうこれは食べる気もせんようになったので、キャンセルして一階に。
入り口ではいるとき案内した案内人の男性に苦情を言った。「よく言いつけておきます」、これではねぇ。。。挙句の果てに、「うどん食べるのなら『おめん』に行くよ」といったら、『そうですよねぇ』とのたまったのだ。
なんというお店でござんしょ。
3階の京ソバは、お店の中特に天井もすすだらけ。きれいな雰囲気もないので、まぁお勧めの店にはできないですわなぁ。
食いモンのウラミは、恐ろしいでっせ
2008年01月14日
空から 神の手
昨日 雪模様の京都にいた。
写真は、知恩院の御影堂の東のちょっと山の上の「山亭」から見た京都市街。西の山々は雪模様である。
空を見るとなにやら怪しげな雲が。
この雲が実は・・・
知恩院めぐりを終えて、八坂神社経由で四条河原町から、錦小路を抜けて西に向かって歩いたが、抜けたところで京都に住む義理の妹と落ち合った。
会うなり『ものすごいものを手に入れた』という。
『なんだ』と聞くと『神様の手」だという。
そして、携帯の画面を見せてくれた。
「これな、友達が送ってくれてん。神様の手に見えるやろ』
画面に映るのは、空の雲、
右手はお金を示すかのごとくの親指と人差し指で〇を
左手は、下から何かを支えるがごとく。
どちらかといえば、ホトケが印を結んでいるかの手の図。
残念ながら、撮影者本人の許可を私が得ることが出来ないので掲載は出来ないが、
ひょっとして名古屋からは見えなかったか?
どなたか京都に行って、ご覧にならなかったか?
写真は、知恩院の御影堂の東のちょっと山の上の「山亭」から見た京都市街。西の山々は雪模様である。
空を見るとなにやら怪しげな雲が。
この雲が実は・・・
知恩院めぐりを終えて、八坂神社経由で四条河原町から、錦小路を抜けて西に向かって歩いたが、抜けたところで京都に住む義理の妹と落ち合った。
会うなり『ものすごいものを手に入れた』という。
『なんだ』と聞くと『神様の手」だという。
そして、携帯の画面を見せてくれた。
「これな、友達が送ってくれてん。神様の手に見えるやろ』
画面に映るのは、空の雲、
右手はお金を示すかのごとくの親指と人差し指で〇を
左手は、下から何かを支えるがごとく。
どちらかといえば、ホトケが印を結んでいるかの手の図。
残念ながら、撮影者本人の許可を私が得ることが出来ないので掲載は出来ないが、
ひょっとして名古屋からは見えなかったか?
どなたか京都に行って、ご覧にならなかったか?
2008年01月14日
成人式の思い出
新成人の方には、
心からお祝いの言葉を
お送りします。
実は、わたし、
成人式の思い出ありません。
理由は、
出席していないから。
20歳のときは、
学生で東京で生活。
既に授業は始まっていた。
往復するお金ありません。
成人の言葉を読めといわれたけど、
それを果たすことは出来なかった。
2008年01月14日
京都の思い出 修学院離宮
修学院離宮
最近は「しゅうがくいん」と読まれるケースが多いが、私は「しゅがくいん」とよく教育を受けている。京都の場合地名でこうした読み方の問題がある。「烏丸(からすま)」しかりである。昨年10月に市バスに乗ったときに車内放送で「しゅうがくいん」といわれたときは、かなりな違和感を覚えたが、観光客向けにはしょうがないのだろうか?
離宮というからには、管理は宮内庁である。よってここに入るためには宮内庁への届けと許可が必要。今現在は祖素直砂の応募で許可をもらうことが出来る可能性はかなりかなく率で低いとか聞く。私がここに行くことができたのは、大学の研修旅行であったらだ。
まあとにかくうるさい。入城するための時間が決められているから、門前に集合する時間も厳しい。遅れると入れてもらえない。当時、どのようにして行ったのか覚えていない。昔は、この辺りは家なんてなくて。大体白川通りが、銀閣寺道から北は車の通りなんてなかった、市バスは走っていたのだろうか?
余分な話はここまでとして、離宮の記憶を書かねば。
入り口(門)の記憶は、不思議なことに桂離宮はあるが、この修学院はない。しかし、中に入った後の記憶は桂よりも修学院のほうがはっきりと残っている。
とにかく中は広い。東山の北のほうにあるわけで、山地だ。といっても急な上り坂があるというのではなく、なだらかな本当に見晴らしのいい農地の中に大きな庭が作られえているといった感じだった。つまり、当時は周りには家はたっていなかったのだ。本当に農地が広々と広がっていた。その中に、大きな池があり、その周りを歩くという、いわゆる回遊式の庭園である。
真夏の日差しの中に、緑の、そうなだなぁ茶畑のようなイメージの背の低い木のようなものが広がっていたという記憶が残っている。庭園の中では有名な松琴亭の大きな市松模様のふすまにはなぜか大きく感激したものである。
(ただ、この市松模様、ひょっとしたら桂離宮のどこかの亭のふすまと勘違いしているのかもしれない。しかし、私の頭には修学院の山の上の亭と残っている。)
そして、隣雲亭から見下ろす北西の方角は、それはすばらしい広大な景色だった。その中には、竜が水浴びをする池もあるのだ。
もう43年も前の記憶だが、頭に残るこの雄大な景色はおそらく消えることはないのではないかと思っている。機会があるのならばもう一度行って見たいところである。
桂離宮宮内庁公式HP
http://sankan.kunaicho.go.jp/guide/shugakuin.html#top
離宮内案内のビデオもダウンロードできます。
***このビデオを見て、市松模様の記憶の間違いがわかった。
隣雲亭の感激は障子だったのかもしれないと。
大きな市松模様は、桂離宮で
修学院の市松は違った形での市松だ。
**
この修学院離宮の北には、前に書き込んだ「赤山明神」がある。
赤山明神を訪れたときには、白川通りのバス停から歩いて上ったのだが、その途中で離宮の入り口を見ている。このときに思ったことは、43年前に離宮に来たときとは、周囲の環境が大きく変わっていることである。こんなに家はなかった、この辺りは全部のうちだった。離宮と農地の境がなく、農家の人は離宮の中に入り組んだ地には入ることが出来るようになっていはと記憶している。
この分岐をまっすぐ行くと修学院離宮、左に折れると赤山明神に行き着く
最近は「しゅうがくいん」と読まれるケースが多いが、私は「しゅがくいん」とよく教育を受けている。京都の場合地名でこうした読み方の問題がある。「烏丸(からすま)」しかりである。昨年10月に市バスに乗ったときに車内放送で「しゅうがくいん」といわれたときは、かなりな違和感を覚えたが、観光客向けにはしょうがないのだろうか?
離宮というからには、管理は宮内庁である。よってここに入るためには宮内庁への届けと許可が必要。今現在は祖素直砂の応募で許可をもらうことが出来る可能性はかなりかなく率で低いとか聞く。私がここに行くことができたのは、大学の研修旅行であったらだ。
まあとにかくうるさい。入城するための時間が決められているから、門前に集合する時間も厳しい。遅れると入れてもらえない。当時、どのようにして行ったのか覚えていない。昔は、この辺りは家なんてなくて。大体白川通りが、銀閣寺道から北は車の通りなんてなかった、市バスは走っていたのだろうか?
余分な話はここまでとして、離宮の記憶を書かねば。
入り口(門)の記憶は、不思議なことに桂離宮はあるが、この修学院はない。しかし、中に入った後の記憶は桂よりも修学院のほうがはっきりと残っている。
とにかく中は広い。東山の北のほうにあるわけで、山地だ。といっても急な上り坂があるというのではなく、なだらかな本当に見晴らしのいい農地の中に大きな庭が作られえているといった感じだった。つまり、当時は周りには家はたっていなかったのだ。本当に農地が広々と広がっていた。その中に、大きな池があり、その周りを歩くという、いわゆる回遊式の庭園である。
真夏の日差しの中に、緑の、そうなだなぁ茶畑のようなイメージの背の低い木のようなものが広がっていたという記憶が残っている。庭園の中では有名な松琴亭の大きな市松模様のふすまにはなぜか大きく感激したものである。
(ただ、この市松模様、ひょっとしたら桂離宮のどこかの亭のふすまと勘違いしているのかもしれない。しかし、私の頭には修学院の山の上の亭と残っている。)
そして、隣雲亭から見下ろす北西の方角は、それはすばらしい広大な景色だった。その中には、竜が水浴びをする池もあるのだ。
もう43年も前の記憶だが、頭に残るこの雄大な景色はおそらく消えることはないのではないかと思っている。機会があるのならばもう一度行って見たいところである。
桂離宮宮内庁公式HP
http://sankan.kunaicho.go.jp/guide/shugakuin.html#top
離宮内案内のビデオもダウンロードできます。
***このビデオを見て、市松模様の記憶の間違いがわかった。
隣雲亭の感激は障子だったのかもしれないと。
大きな市松模様は、桂離宮で
修学院の市松は違った形での市松だ。
**
この修学院離宮の北には、前に書き込んだ「赤山明神」がある。
赤山明神を訪れたときには、白川通りのバス停から歩いて上ったのだが、その途中で離宮の入り口を見ている。このときに思ったことは、43年前に離宮に来たときとは、周囲の環境が大きく変わっていることである。こんなに家はなかった、この辺りは全部のうちだった。離宮と農地の境がなく、農家の人は離宮の中に入り組んだ地には入ることが出来るようになっていはと記憶している。
この分岐をまっすぐ行くと修学院離宮、左に折れると赤山明神に行き着く