2008年09月10日
水曜日の移動とトイレ臭
いつもの通りの移動だったが、今日は何故かバスが時刻通りに来た。本当に珍しいこと。これは、どうも交通量が少ないことが原因らしい。いつもは混雑した中の通過で最高10分近く遅刻するのだが。
バスの中は15人ほどだったが、これまた何故か男は私だけ。どうして???
地下鉄、空いている。いつもより5分速い電車。名古屋駅着が9時を過ぎるからだろうか?でもでも・・・ 名古屋駅での改札、月曜日に比べると倍近い人。どうもJRの到着時間と重なったようだ。でもなぁ。。。
名古屋駅のJR乗換え階段近くでへんなことに気付いた。なんとトイレ臭がするのだ。近くにはないはずなんだが、どこから臭うのだろう?
名古屋駅のトイレは、どこもあまりきれいとはいえない。どこのトイレも(新しいビル郡のトイレは使っていないから不明)、あのすっぱいトイレ臭がする。南都からないかと以前から思っている。
しかし、名鉄のローカル駅のトイレに比べたらまだきれいだが。
スーパーに行ってもトイレ臭が貴つと頃が最近目立つ。きれいなスーパーはそれなりの管理がされているとまた行きたくなるものだが、においのきついところはできたら行きたくないと思う。
バスの中は15人ほどだったが、これまた何故か男は私だけ。どうして???
地下鉄、空いている。いつもより5分速い電車。名古屋駅着が9時を過ぎるからだろうか?でもでも・・・ 名古屋駅での改札、月曜日に比べると倍近い人。どうもJRの到着時間と重なったようだ。でもなぁ。。。
名古屋駅のJR乗換え階段近くでへんなことに気付いた。なんとトイレ臭がするのだ。近くにはないはずなんだが、どこから臭うのだろう?
名古屋駅のトイレは、どこもあまりきれいとはいえない。どこのトイレも(新しいビル郡のトイレは使っていないから不明)、あのすっぱいトイレ臭がする。南都からないかと以前から思っている。
しかし、名鉄のローカル駅のトイレに比べたらまだきれいだが。
スーパーに行ってもトイレ臭が貴つと頃が最近目立つ。きれいなスーパーはそれなりの管理がされているとまた行きたくなるものだが、においのきついところはできたら行きたくないと思う。
タグ :トイレ臭
2008年09月10日
『マニュアル通り』という怖さ
9月9日夕方の他のニュースで「秋葉通り魔事件」の救急体制について映像、コメントが流れていた。
何でも、まだ息のある人に対して、カードの色(黒だったか)によって処置を放棄していたとのことだ。そして、その指摘を受けた救急隊員が「マニュアル通りにしているので問題ない」と発言しているとも言う。
何のためのマニュアルなのか?
多くの場合マニュアルとは、ひとつの指針なのだが、最近は、マニュアルがすべてとなりつつある。そのマニュアルから逸脱することが悪という扱いを受ける傾向にもある。
マニュアルは、本来何も知識のない人たちをひとつの方向に導くためのものだが、それは前にも書いたように本来は方向を示す指針である。そこに書かれていることがすべてではない。いろいろなものを先に進めていくには、マニュアルに記載されているとおりとは限らない。
確かに、機械的にものを組み立て行くのなら、メーカーのお勧めの組み立て方がマニュアルに記されているからそれに従う。これは、あくまでも固定されたハードウェアの話である。
しかし、人間の行動、生命というものは、千差万別、確定した流れの中にあるのではない。また、災害訓練などでもマニュアルにしたがって訓練するが、実際の災害発生はマニュアルにかかれてとおりに起こらないものである。それにもかかわらず、災害が発生すると、訓練したマニュアル通りにことを運ぼうとする。
見た目の危険の判断を求められたとき、マニュアルに記載がないと、「書いていないから・・・」という理由で何も処理しないことがある。昨日の『寒い市バス』にも書いたように、実際の気温とは関係なくマニュアルに記載されたとおりのエアコン設定をしようとするのもこの例だろう。
人の命がかかわらない場合は、なんと処理できても、人の命がかかわる場合は、マニュアル通りに行かないことがあること自体をマニュアルの中に記述しなければいけないのだろうが、そんなことをすると迷って判断ができなくなるとも言われる。
もうずいぶん昔の話だが、私が担当して授業には教科書がなかった。学生から『教科書はないのですか』と聞かれた。私は、『君たちに教科書を渡すと、それがすべてで、それを満足すると万点もらえると思うから、それを防ぐために教科書はない』と答えた。
現実、今の学校教育は、教科書に書かれていることを試験で答えることができて満点である。応用は二の次である。試験で満点を取るための教科書でしかない。 悲しい現実。
こうした結果の延長が、秋葉の救急体制だったのだろう。
番組の中で、愛知医大の野口教授が疑問を持って語っていた。(マニュアルとは関係ないのかもしれないが)
何でも、まだ息のある人に対して、カードの色(黒だったか)によって処置を放棄していたとのことだ。そして、その指摘を受けた救急隊員が「マニュアル通りにしているので問題ない」と発言しているとも言う。
何のためのマニュアルなのか?
多くの場合マニュアルとは、ひとつの指針なのだが、最近は、マニュアルがすべてとなりつつある。そのマニュアルから逸脱することが悪という扱いを受ける傾向にもある。
マニュアルは、本来何も知識のない人たちをひとつの方向に導くためのものだが、それは前にも書いたように本来は方向を示す指針である。そこに書かれていることがすべてではない。いろいろなものを先に進めていくには、マニュアルに記載されているとおりとは限らない。
確かに、機械的にものを組み立て行くのなら、メーカーのお勧めの組み立て方がマニュアルに記されているからそれに従う。これは、あくまでも固定されたハードウェアの話である。
しかし、人間の行動、生命というものは、千差万別、確定した流れの中にあるのではない。また、災害訓練などでもマニュアルにしたがって訓練するが、実際の災害発生はマニュアルにかかれてとおりに起こらないものである。それにもかかわらず、災害が発生すると、訓練したマニュアル通りにことを運ぼうとする。
見た目の危険の判断を求められたとき、マニュアルに記載がないと、「書いていないから・・・」という理由で何も処理しないことがある。昨日の『寒い市バス』にも書いたように、実際の気温とは関係なくマニュアルに記載されたとおりのエアコン設定をしようとするのもこの例だろう。
人の命がかかわらない場合は、なんと処理できても、人の命がかかわる場合は、マニュアル通りに行かないことがあること自体をマニュアルの中に記述しなければいけないのだろうが、そんなことをすると迷って判断ができなくなるとも言われる。
もうずいぶん昔の話だが、私が担当して授業には教科書がなかった。学生から『教科書はないのですか』と聞かれた。私は、『君たちに教科書を渡すと、それがすべてで、それを満足すると万点もらえると思うから、それを防ぐために教科書はない』と答えた。
現実、今の学校教育は、教科書に書かれていることを試験で答えることができて満点である。応用は二の次である。試験で満点を取るための教科書でしかない。 悲しい現実。
こうした結果の延長が、秋葉の救急体制だったのだろう。
番組の中で、愛知医大の野口教授が疑問を持って語っていた。(マニュアルとは関係ないのかもしれないが)