2011年07月16日
清洲に行ってきました
今日は友人のところのPCのチェックのために清洲に行ってきました。
仕事はそれほどの大したことはそちらではすることもないので、割と早く済んで、食事に出かけたのです。友人の車で観光案内よろしくあちこち回って案内してもらいました。
清須市は、信長の城下町そしてそれ以上にかなり昔からの美濃路という街道のとおているところ。この美濃路がかなりいろんな文化的な資産を残しているのだけれど、今の清須市はそれを管理する体制ができていないので、完全にとまでは言わないけれど隠れてしまっている。非常にもったいないなと思う。
この美濃路は、目下のところは昔のままに近くて細いにもかかわらず、名古屋から尾西方面に向かって車の通過量が多くて非常に危険で、歩くのもちょっと怖いかなぁ。(何度か歩いているので)それで目下バイパスを建設中なんだけれどこれがなかなかできないので車の量は増える一方。今日も名鉄の津島線につかまったかなり長い時間待たされたりして、数珠つなぎ状態にも。
バイパスが完成すると交通量が減るだろうから、そこで今の美濃路を文化的に再整備しようということらしい。
ただ、気になったのは、このバイパスの抜け道の南の行き先がJR枇杷島駅の南になるが、そこから旧国道で名古屋に向けると、あの西枇杷島の名鉄本線を超える跨線橋というものすごい障害がある。これも一緒に変えないと、またまたとんでもないことになりそうな気がした。
目下清須市は、NHK大河ドラマ『江』にちなんだイベントをしているけど、どうも集客がいまいちらしい。いくらゆかりの地とはいえ、ちいとマイナーすぎるかもんぁ。やっぱり信長さんがメインで出てこないとなぁ。
清州は、まだまだ開発の余地が残るところだけど、文化遺産をもっと活用する開発をして欲しいと思ったものです。がんばれ!清洲。清須市。
仕事はそれほどの大したことはそちらではすることもないので、割と早く済んで、食事に出かけたのです。友人の車で観光案内よろしくあちこち回って案内してもらいました。
清須市は、信長の城下町そしてそれ以上にかなり昔からの美濃路という街道のとおているところ。この美濃路がかなりいろんな文化的な資産を残しているのだけれど、今の清須市はそれを管理する体制ができていないので、完全にとまでは言わないけれど隠れてしまっている。非常にもったいないなと思う。
この美濃路は、目下のところは昔のままに近くて細いにもかかわらず、名古屋から尾西方面に向かって車の通過量が多くて非常に危険で、歩くのもちょっと怖いかなぁ。(何度か歩いているので)それで目下バイパスを建設中なんだけれどこれがなかなかできないので車の量は増える一方。今日も名鉄の津島線につかまったかなり長い時間待たされたりして、数珠つなぎ状態にも。
バイパスが完成すると交通量が減るだろうから、そこで今の美濃路を文化的に再整備しようということらしい。
ただ、気になったのは、このバイパスの抜け道の南の行き先がJR枇杷島駅の南になるが、そこから旧国道で名古屋に向けると、あの西枇杷島の名鉄本線を超える跨線橋というものすごい障害がある。これも一緒に変えないと、またまたとんでもないことになりそうな気がした。
目下清須市は、NHK大河ドラマ『江』にちなんだイベントをしているけど、どうも集客がいまいちらしい。いくらゆかりの地とはいえ、ちいとマイナーすぎるかもんぁ。やっぱり信長さんがメインで出てこないとなぁ。
清州は、まだまだ開発の余地が残るところだけど、文化遺産をもっと活用する開発をして欲しいと思ったものです。がんばれ!清洲。清須市。
2011年07月16日
虫の声 と 母との思いで。
生きるのが虫の息なら・・・なんてことにならないように。
昨日、虫の声を聞いた。セミの初鳴きと、期せずして同じ日に虫の声を聞いたのだ。まだ少ないが・・・
虫の声で思い出すのは、まだほんの幼少の頃、母と二人暮らしだったころに夏の終わりになって、家の近くで鳴く虫の声を母と聞きながら、私が母に「虫が鳴いているのは、『もうじき寒くなるよ。まわししなさいよ』っていってるんだよね」っていったのを覚えている。
なんか物悲しい思い出なんです。とにかく二人暮らしの時の思い出は本当に物悲しいものが多い。でも、いい思い出もうれしい思い出もある。
まだ幼稚園に入ったばかりかその少し後、母が仕入れに行ったついでに私に野球のグローブを買ってきてくれた。ものすごくうれしかったことをしっかりと覚えている。そのグローブは、今から見たら軍手に毛の生えたようなものだけど、その時代では子供用としてはいたしかたなかったし、まるで野球のことは知らない母にしてみればこれまたいたしかたなかったとは思う。でも、初めて自分のものが持てたことには、本当にうれしかったものだ。
それから60数余年。この先、どれだけのうれしい思い出をもつことができるか。頑張って作らねば。
昨日、虫の声を聞いた。セミの初鳴きと、期せずして同じ日に虫の声を聞いたのだ。まだ少ないが・・・
虫の声で思い出すのは、まだほんの幼少の頃、母と二人暮らしだったころに夏の終わりになって、家の近くで鳴く虫の声を母と聞きながら、私が母に「虫が鳴いているのは、『もうじき寒くなるよ。まわししなさいよ』っていってるんだよね」っていったのを覚えている。
なんか物悲しい思い出なんです。とにかく二人暮らしの時の思い出は本当に物悲しいものが多い。でも、いい思い出もうれしい思い出もある。
まだ幼稚園に入ったばかりかその少し後、母が仕入れに行ったついでに私に野球のグローブを買ってきてくれた。ものすごくうれしかったことをしっかりと覚えている。そのグローブは、今から見たら軍手に毛の生えたようなものだけど、その時代では子供用としてはいたしかたなかったし、まるで野球のことは知らない母にしてみればこれまたいたしかたなかったとは思う。でも、初めて自分のものが持てたことには、本当にうれしかったものだ。
それから60数余年。この先、どれだけのうれしい思い出をもつことができるか。頑張って作らねば。