2016年08月04日

京都 2016年夏 錦市場と錦天満宮

 佛光寺の涼しい境内を後に正門(東側)から出て四条通りを目指す。バスに乗って行く距離ではない。乗っていけないこともないけど、また松原通りまで戻って、そこから乗って次に降りるのか四条高倉くらいだから、歩く距離はそんなに変わらない。ちょいと暑いけど、まぁ小駒町屋の中の細い道を歩いた方が風情があるかも。(実際にはそんな風情はあんまりなかったな)

 四条通りに来た。まだ4時半になっていない。宵山でもあればもうホコ天の準備でつうこいう留めになっているのかもしれないけど、この日は宵山はない。ということでいつもの週末の四条通り。車がひしめいている、歩道の人通りはまぁ所爲と混み合っているっってところかな。
 四条通りを北に渡って、もう一本北の錦小路に行く。久しぶりだ、毎年少なくとも一回は許都に来ているけど、錦に来るとは限らない。車で来るとなかなかこれるところではないから。

 錦市場の一番西の端からどん詰まりの錦天満宮を目指すが、市場通りに比べると人が多い。ただでさえ細い小路なのだが、そこに観光客が押し寄せるから、押すな押すなの賑わい。といって、みんながみんなが買い物してるわけでないのに。
 いくつかの店で、少しずつ買う。買わなくても中を見て歩く。ハモ寿しなんかを買ったなぁ。。。それとなんだっけかな、買ったけど忘れてしまっている。(ボケてきたようだ)

 30分以上かかって東の端、どん詰まりの錦天満宮に。写真は寺町通りから新京極通りに面した錦天満宮の鳥居を見ている。何度も来ている錦小路なのだが、なぜかこの鳥居をじっくり見たことがない。その理由はわからない。なんで?????

 天満宮に入って、ぱんぱん柏手打ってご挨拶。これも久しぶりねぇ。。。
 そのあと、和泉式部ゆかりの寺に行こうとしたのだが、その場所が判然としない。少し北に上がったところだったと思ったのだが、なかなか見つからずそのまま行くと誓願寺から三条通りに行ってしまいそうで、そうすると八坂へ行くのにはかなり戻ることになりそうなので、諦めて市場通りに戻って、ちょいと早めの晩飯を食べに行こうと、木屋町まで歩いた。
 ここで、うどんで有名な「おめん」の木屋町の店に入って、いつもの「おめん」を。でもなぁ、なんか本店と味が違って感じたのはなんだろ?本店では、なんとなく薬味の生姜の千切りがピリッとしていたのだけど、この店ではそれが少なくて。。。。

 そうそう、おめんの四条の店がなくなった。場所を完全に変えて今は高台寺にの近くに行っている。市場の店があったのなら、こっちに行ったんだが。行って会いたい人がいたからなぁ。。。

 さて、腹ごしらえしたんで、これから八坂神社に向かいます。人出が多くなってきたので歩くと結構時間がかかりそうと思ったので、京阪事象からバスに乗って祇園まで。
  

Posted by 生田 at 20:42Comments(0)TrackBack(0)旅行など

2016年08月03日

京都 2016年夏 佛光寺

 東本願の前からバスに乗って烏丸通りを上がる。停留所でいうと3つだったかな?下りたのは烏丸松原。ここから仏光寺通りの一本南の高辻通りまで少し上がる。烏丸通り、しかも真ん中あたりを歩くなんて滅多にないこと。まぁ言うなれば観光客が歩くところではないかもしれない。
 (一本北の仏光寺通りは、その名の示す通りに仏光寺が面している北の通りで東西に東は寺町筋から西は佐井西通りまで少しずれたりはするが通り抜けている。)

 高辻通りの交差点を東に入る。少し歩くと仏光寺の白塀が右に膨らんでいる。そのスクラミの少し東に南門がある。ここにたどり着いたのだが、ん??なんと警察の護送車みたいなのが入って聞く。境内に入ったらもう数台いるではないか。それに機動隊っていう雰囲気の警察官が何人かいるし、指揮系統の係なのか予定表みたいなものを持ってあちこち動いている。

左が阿弥陀堂で右が大師堂(本願寺の御影堂に当たるかな?)
バスは2台写ってますが、まだ私の後ろにも数台いますよ。

 この日は、祇園祭のあと祭りの前日。前祭りのように宵山で四条通りがホコ天として解放されることはないが、それでもかなりな人出が予想されることと、翌日には祇園祭の山鉾巡行が四条通りを通るから、それらの警備のための警察官が必要なのだろう。河原町通りと烏丸通りで四条通りの南で一番広く車を止められるのがこの佛光寺なのかもしれない。

 まず阿弥陀堂に上がりました。本願寺に比べるとかなり規模が小さい。末寺、檀家の数もかなり少ないので本願寺のように金が唸っているわけではないのか、靴を入れる袋もあるにはあるけど・・・・(想像してください)
 
 阿弥陀さんの立像を見て、暗くて細かいところはわからないが、なんとなく本願寺の阿弥陀さんとは違うようなぁ。。。。
 ここを訪れるのは20数年ぶりかな?東本願寺のところでも書いた、あお彼岸の前日の雨の寒いひだった。参拝者も幕、ただ一人阿弥陀堂と大師堂を見せてもらった。あの頃は、親鸞研究を始めたばかりで親鸞のことも、真宗のこともほとんど分かっていなかった頃だ。

 久々に訪れて、まぁなんという感慨もなく、家内と義理の妹にこの寺のいわれを少し話した。この佛光寺は、元は山科にあった、それは本願寺系では語られないことだが、親鸞が英知後に流されご斜面になった後にいっとき京都に戻って方年の葬儀に出ようとしたり、山科の西岸寺に眠る恵信尼さんではない奥さんの墓をたづねたりしているときだと思う。
 山科は何かと信州には縁があるようで、蓮如がいっとき本願寺を置いたとも聞いている。そんないわれのある佛光寺がなぜか京都のど真ん中に位置しているのだ。

 そんな話をしたのだが、実を言えば家内の実家の父親側の檀那寺が真宗佛光寺派の末寺で、一度はここに来たいと言っていたから、この際と案内してきたのだ。

 阿弥陀堂のあと大師堂をも見たのだが、暗くてほとんど見えていたない。親鸞の像ももともと黒い上にくらいから外形が分かるくらいで。。。。。もっと明るくしてくれてもいいと思うけど、訪れる人も少ないからなぁ。。。。。

 しばらくして佛光寺を後に、四条通りに向かった。外は暑いなぁ。。。。。  
タグ :京都佛光寺

Posted by 生田 at 17:59Comments(0)TrackBack(0)旅行など

2016年08月02日

京都 2016年夏 東本願寺 3

 涼しい風の通る護衛堂を後に次の目的地、佛光寺を目指して外向かった。御影堂のきたのでぐちからあたらしくできたとおもわれるギャラリー途中で見て最後が参拝接待所。
 この参拝接待所は、納骨やら永代供養の申し込みをするところらしい。東本願寺の檀家だけどこんなの知らねぇや。名古屋で済むもんな。。。。

 さて、ここの受付で、次に行く佛光寺へのバスの乗り方と聞こうと思った。男性の僧侶に声を変えたが、どうもご存知ないようで地図を見ながらの話では、烏丸通りの西側に佛光寺があるから・・・なんてことおっしゃる。えぇ?佛光寺は烏丸通りの東だヨォ。くだんのお人は、地図の「仏光寺通り」を寺があるところの思ったらしい。悲しいなぁ。。。。おなじ真宗の寺なのに。。

 と、そこに事務方の女性が出てきて、教えてくれた。やっと正確なバスの乗り方を教えてもらえたのだ。



接待所の前でショットした御影堂です


 本願寺の前、烏丸通りに面したバス停に戻ってバスを待つ。ここに来るバスならなんでもいいと乗り込んで、烏丸松原で降車した。

***********

 下りた松原通りは、多く昔の平安京造営時の五条通りだとか。秀吉が聚楽弟を城とした城下町に京都を変えた際に五条通りは今の位置に移されたと聞いてます。
 つまり、今の京都の東西の通りの〇〇条通りは南北の間隔が一定ではないはずです。本来の平安京なら、おなじはずなんですが。
 本来の平安京の地図と今の京都の地図を重ねてその違いを知りたいんだけどなぁ。。。
  

Posted by 生田 at 21:49Comments(0)TrackBack(0)旅行など

2016年08月02日

久々のロングドライブ 北浜松 その10 いなさIC〜お家

 方広寺をみ終えた。これで今回の久々のロングライブの目的地で見るものは終わった。サァ、お家に帰るヨォ。
 登ってきた急で細い山道を気をつけて下っていく。あのUターンはやっぱり嫌だった。下に降りてしばらく走って信号交差点で左折。このさき高速のいなさICを目指す。交通量の少ない道で、三遠南信の高速の下を行ったり来たり。最後に、ナビが右折を支持したが、このナビのねぇさん来る時と同じで、新東名ではなく東名高速で帰れと指示する。こっちは新東名走りたいんだ、設楽ヶ原SAの下りに行きたいんだ。この想いが道を誤ることになった。姉さんの指示を無視していなさ ジェーシーに近い方に行こうと指示と反対の左折をしてしまったのだ。
 それなりに道なりに走っていたらインターの案内標識。それに向かって脇道に逸れてインター近くに来たら、なんだ?このインターからは新東名に入れないだとぉ。。。。致し方ないので交通量の少ないことをいいことにUターン。なんのことはない、姉さんの指示通りに右折した先にあるいなさICまで戻ることに。
 いなさICで高速に乗り込んで、今度も東名高速への姉さんの指示を無視して、新東名の案内標識に従って右方向に進む。ちょいと走ったところでいなさJC。大きくカーブして新東名に入り込んだ。おや、おや、来る時よりも交通量が多いや、それにトラックが多いなぁ。ちょいと怖いね。
 しばらくして設楽ヶ原下りSA。往路の上りSAのきたいはずれがあったのが、開通前や開通後のテレビの情報から期待できそうと思ったのだが、なんだかなぁ。。。。規模も思ったほど大きくないし、古戦場の雰囲気もかなり眉唾物だし。。。。ということで、写真も撮ってこなかった。
 駐車場もそんなに大きなものではなかったなぁ。出入りの車は結構多いけど、なんだか止めにくいというか・・・・空いているとk路を探すのに手間取るというか。入って空きがないとどんどん先に行き、泣いていないと持ったら元に戻ることができるようになっているのは、既設のSAとはかなり構造が違う。それだからスペースが小さくていいというのだろうか?わからん。

 トイレ休憩と言ったくらいの時間で、本戦に戻った。あとは一気に家に向かって走るだけ。予定は豊田東JCで伊勢湾岸度に入って、大高で名2環に乗って帰るということを考えていた。岡崎あたりを通過したくらいから湾岸が大渋滞という交通情報。どうしようか迷った挙句に、豊田東JCで東名高速に乗り換えて豊田ICまで。久々に東名を走ったが、多少なりとも空いてはいたけど、やはり古い規格の高速だなぁと思わされたものだ。
 豊田ICでおりたら、あれ?新しい道が出来ているヨォ。かなり長いこと来ていないことを証明したみたいだ。ナビがこのあたりは間違いなく新しい道に誘導してくれた。へぇ。。。
 しかし、この先が問題だった。大会社の帰宅ラッシュに引っかかって車の流れの悪いこと。これだったら湾岸通ってももよかったかもなぁ。。。。。。

 まぁ、ぶつぶついい持っても、なんとか無事にお家に着きました。 おつかれぇ。
  

Posted by 生田 at 21:21Comments(0)TrackBack(0)旅行など

2016年08月02日

京都 2016年夏 東本願寺 2

 阿弥陀堂から御影堂に向かう。
 この「御影堂」なんと読むかはややこしい。宗派によって読み方が違うからで。東西本願寺は「ごえいどう」と読むが、知恩院などの浄土宗では「みえいどう」と読み、唐招提寺でも「みえいどう」と言っている。
 どうもご影堂は浄土真宗の意味方か?と思いたくもなるが、大阪には本願寺がなく南北御堂がある。ここでは「御堂」だから、なんなんだ?って思ったりもする。そんなことがどうでもいいのだが、とにかく阿弥陀堂よりもうんとで介護影堂に向かって渡り廊下を歩いて行く。
 この廊下の少し御影堂よりに「毛綱」が展示さている。これを初めて見たのは、もう60年以降も前の話。小学校の遠足で連れてこられたときのことだ。それからの年月の間に2度訪ねているが、全くその毛綱の姿は変わっていない。朽ちることはないのだろうか?女性お力ってそんなにも偉大なものなかなぁ?なんて思った入りもするのだ。
 毛綱をあとに御影堂に。渡り廊下の最後のところに「おかみそり中お静かに」と書かれたものがあった。「剃髪」は本願寺はする必要がないので、なんで「おかみそり」なんだろうって不思議に思ったのだが、御影堂の中で行われていた儀式を見て分かったのだが、かみそりをちょっと当てて剃髪したことにしているようで、儀式の名は「帰依式」と言われているのだそうな。

 そんな儀式の中ででっかい御影土居の真ん中に鎮座する親鸞像を見上げる。真っ黒だし遠いしほとんど顔の細かいところは見えないよ。これまで見てきた親鸞像から思うことは、多分にきつい顔をしているんだろうと。
 ここでまた思い出したことがある。親鸞には「聖人」の称号が当てられているが、他の高僧には「上人」が当てられていて「聖人」は当てられていない。なんで?といぜんからおもっているが、ひょっとしたらと思うことがある。

 これはあくまでも私見ですので誤解のないように。
 親鸞という人は、承元の法難の際に僧籍を剥奪されている。つまりそれ以降、親鸞は僧侶ではなく一般人であり、浄土真宗は「戒」を授けることのできない宗教集団、ということになったのではないか。だから現在において人が死んだ時に「戒名」というものをカネを払ったつけてもらうことが多いが、本願で字は「戒」を授けられないから「戒名」ではなく「法名」をつけていると、私は解釈している。その流れから、親鸞は仏教の教えの中でかなりは人ではあるもののそうではないので「上人」とはできないが、崇めるために「聖人」としているのではないかって。
 大体が、「寺をも持たず」と言っていた親鸞の子孫たちが、親鸞のお墓を本願寺化してしっまったところから、無理が生じている等にも思う。その本願寺化する時には、関東の親鸞の直弟子(「弟子」も親鸞は嫌った言葉)の真仏たちとかなりな論争、いさかいがあって、分派してしまったと、親鸞研究中で知ったのだが。。。

 そんなことはどうでもいいや。このでっかい御影堂の中は、涼しい風が吹いている。この日の京都は結構暑かったのだが、大きな木造建築は、天井が高く、そして百畳敷きのこの大広間は日直射日光がほとんど当たらないから、夏にはこんなにも涼しく感じて、クーラなんていらないよなぁ。。。。。(しばし涼んでおりました)
 
   

Posted by 生田 at 11:20Comments(0)TrackBack(0)旅行など

2016年08月02日

久々のロングドライブ 北浜松 その9 方広寺 2

 方広寺の建物の中に入った。入って思ったことは、なんだかインパクトがないということ。なぜだかわからない、結構古い建物なんだけど、なんとなく威厳を感じさせない。整備がされているのかされていないのか?なんだか不思議な感じで。。。。。
 ということで、この方広寺の建物中の記憶がほとんどかけてしまっている。単に歳のせいではなさそう。

 写真は、本堂から拝観入り口を見ているんだけど、この写真を見て思い出すことは、寺の規模が結構大きいかと思ったんだけど、建物が密集していてその大きさを感じることができなかったのかもしれない。
 今公式ページを見ているけど、どうも伽藍の配置が広大な敷地の中でいろんな建物が密集しているところもあるけど、五重の塔なんかがかなり離れているから、歩いてみているとそれらを一度に見ることができないから、密集したところしか頭に残らなかったものかも。。。

 本堂には、釈迦三尊像があり、国の重要文化財に指定されているのだが、記憶から離れている。普通ならこうした仏像を見ると記憶に残るのだが、公式ページを見て思い出したくらいで、そういえばあったかなぁ。。。というほどだ。ページを見てからの記憶でいけば、確かに金キラの仏さんが鎮座していたなぁと。あまりにキンキラしていたから、私の好みでないからかも。
 古い仏像をたくさん見慣れていて、時代がかったものは表面の処理が落ちていまっているという先入観みたいなものが頭にこびり付いてしまったのかもしれない。

 この後、開山堂やらなんたら見たけど、とにかく記憶に残っていないんだ。ただ、あちこちに羅漢の石像がある。これらないついては、古くからあるものと、現在1体いくらの寄進で作られたものが混在している。

 写真にはたくさんの羅漢が写っている。新しいもの古いものが混在。なんとなくありがたみが・・・・信仰の対象としてみるか、文化財としてみるか、単に石の彫刻としてみるか。人それぞれなんでしょうが。

 建物の中を見終えて。。。いやまだ残ってます。寺宝を展示しているところがありました。なんかついでに展示しているって感じで、寺としてどこまで見せたいのか理解に苦しむような展示です。
 しかし、ここで予想外のものに出会いました。円空仏と木喰仏です。なんでもこの地域に住んでいた人が、浜松に引っ越す際に寺に寄進したものだとか。円空仏も木喰仏も寺で大切にはされているという印象は感じられなかったな。寺の教義と違うのかも。。。。でも、どちらもそれなりに、微笑んでいましたが。。

 さて、これを最後に建物を出て、あの急な坂を登って駐車場に戻らねばなりません。きついなぁ。。。。  

Posted by 生田 at 10:21Comments(0)TrackBack(0)旅行など
  
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 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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