2023年05月23日

人工内耳+サウンドプロセッサーで 電話で話した


今日火曜日は
人工内耳手術後最初の経過間s夏の新s夏を受け
その前に
サウンドプロセッサー(SP)の
調整をしてもらった

音をかなり大きくしてくれた
(ちょいと大きすぎたかも)

これまで麺と向かった会話だけを
考えていたけど
相方が電話してみろという

ならばと
ここ数年電話で話すことのなかった
(LINEの文字交換はしていた)
横浜に住む妹に電話した

こっちの事情を説明した上でのこと
拡声器を付けて話せばまともに会話できる
音声文字変換なくてもできる
では
受話器ではと

受話器をSPに当ててみた
おぉ
話せる
妹の声が聞こえる

でも
その声は
記憶にある声ではなく
やっぱり宇宙人の声に近い
それでも
話ができるということは
本当に嬉しいこと

また世界が明るくなった
  

Posted by 生田 at 21:41Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2023年05月23日

人工内耳手術後 言語リハと経過観察の後 宇宙人の声が

先月・4月27日に
人工内耳装着手術をした
それから26日
初めての主治医による経過観察
その前に
人工内耳のサウンドプロセッサー(SP)による
言語リハビリを受けてきた

言語リハビリの前に
健康チェックの関所
いつものように体調の問診があって
無事通過して
言語リハビリの待合室に
ちょっと早かったので
ここでしばし待つ

2時少し前に始まって
前週初めてつける時の調整を
今回さらに進んだものにするという
いろいろやってもらって

リハビリの先生の声は
はっきりと聞こえるようになった
かなりはっきりと
それにボリュームを上げてもらって
いろんなものを聞き取る力が増したと思う

それとSPの頭につける時の磁石
先週は弱くて頭につかなかった
そのために
バンダナもどきの帯にSPを入れて
頭に巻いていた
これが痛かったんだよね
(頭締め付けるから)
今回はその自社の強いのに交換してもらって
帯なしで頭に直接
痛くなくて楽だわぁ

でもなぁ
頭振ると落ちそうなんだよな

リハビリは2週間先にまたやります

リハビリ終えて
今度が主事の経過観察
ほぼ予約時間に始まって
これまでの経過を話したり
手術痕を見てもらったり
(経過に関してはブログにアップした)
(記事を編集してプリントアウトして持っていった)

主治医曰く
人月足らずでここまで会話ができれば
十分成果がている

確かに
確かに
筆談しなくても
話すことできる機会
多くなったもアンネ

感謝bの意を表して
次に観察日は2ヶ月先

病院の関所を通過して
車に乗った
相方と話
ん??
相方の声が記憶と違うぞ
宇宙人の声だ

カーラジオから剥がれる声
ナビの姉さんの声
みんな宇宙人の声

なんだか狐に包ままれた感じ
この状態を2週間続ける
そしてこれを記憶するのだ

慣れなければ
主治医にもリハ日血¥裏の先生にも言われた
慣れることです


慣れましょう
慣れましょう
一生懸命声を聞いって
慣れましょう
啜れば
わかるようにある


実際の話として
私は過去10年間両耳に補聴器をつけていた
その時の音よりもいいかもしれない
多分よくなるだろうと思っている

私のような
両側感音性難聴には
補聴器よりもうんと効果かがあると
今は思っている
  

Posted by 生田 at 19:22Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2023年05月07日

人工内耳装着手術体験記 最終回 入院4日目・退院 その後

 ・入院4日目 退院から帰宅
 もう退院が決まったものと思って、朝の検温、朝食後から退院準備を始めた。そんなにたくさんのものがあるわけでもないし、簡単に済んでしまった。9時30分くらいに相方がやってきた。そして、相方は退院手続きを済ませに一旦出て行ったが、戻ってきたところで、看護師を呼んで最後の診察を受けに行くことになった。
 病棟の中にある、耳鼻科診察室で男性のドクターの診察を受ける。そして、手術痕に貼られていたガーゼを完全に除去し、外からの所見で問題なしということで、これで晴れて退院することになった。


 ドクターにお礼を言い病室に戻って、荷物の整理と再点検をして、看護師にお礼をいって病室を後にした。

 手術痕のガーゼについては、どうも完全に剥がされてはいない様で、退院して4日くらい過ぎて、手術今週お遠に触ると違和感があるので、相方に見てもらっているが、どうもガーゼが張り付いてのではないかと思われると。
 左の画像は、診察してもらったドクターにショットしてもらたもの。

 病室から病院出口までの歩きでは、体が多少ふらついている。筋肉の弛緩と手術の後遺症の目眩の軽いのがふらつきの原因だと思う。この後出口で退院処理をして、車に乗って帰宅することに。車に乗ったのが10時40分だった。

 帰宅途中で何か食べる予定していたけど、時間が11時前ということで昼食には早すぎるしそもそも店がまだ開店前で諦めて、途中スーパーに立ち寄り昼飯の弁当を買い込んで自宅に帰った。
 この時、眼鏡もマスクも外している。眼鏡もマスクもつけていると、手術した耳を引っ張って、手術痕に対象の痛みが出るので、外していた。退院前のドクターの診察で、マスクの紐がかからないように気をつけてくださいと念を抑えている。家にいるときは外しているけれど、外に出るときは、マスクがキツくならないように一工夫しなければならないと思っている。(結局外に出ることがないので考える必要もなかったが)
 
 家に帰って、一息ついてから昼食。買ってきたのは、病院食と違って、脂がキツかった(後で思った)鶏の唐揚げ弁当。食べたときはいつものことなのでなんとも思っていなかったが、食べてから2時間くらいして少し気持ちが悪くなった。そして病院では出ていなかったかなりひどい目眩に襲われて、立っておれなくなった。こういうときは、もう慣れっこだけど、血の気がひいているので、目を閉じて座り込むことだ。相方に吐き気のあることを伝えて準備をしてもらい、しばらく座り込んでいたが、吐きそうになったものの出すものがなかったようで戻しはしなかった。
 気分が少し落ち着いたところで、布団を敷いてもらって寝ることにした。眠りについて、目覚めたときは目眩はかはなり治っていた。

 ・退院翌日及び翌々日
 目眩に関しては、人によりけりだけど、症状が出ることがあるとは聞いていたし、多分自分でも出るだろうとは思ってはいたものの、想定していたよりも程度の悪い目眩になった。
 これを書いているのは、退院から2日してからだが、目眩は少ないとはいえ、歩けば少しふらつく、そして夜中にとんでもない耳鳴りに襲われて目が覚めたほどだ。
 
 当分こうした副作用、後遺症が出るものと覚悟はしているが、こうしたことに慣れていく必要があり、我慢が強いられそうだと思っている。
 GWの連休で、何年ぶりかで息子が帰省した、どこかにドライブしようと言ってくれたけれど長時間車に揺られれば多分に目眩を起こすだろうし、吐き気を催したらとんでもないことになるし、目的地では杖が必須になるし、下手すれば車椅子に乗らねばならないからと、ドライブは遠慮した。


 ・退院から4・5日目
 夜寝るときは、手術痕が下にならないように、できるだけ反対側を下にして寝るようにしている。夜中寝相の悪い私は、手術痕に影響を与えていなければいいがと思ってはいるが。。
 夜中トイレに行くために起きようとすると、グルグル目眩の襲われる。なんとか我慢して立ち上がって、ふらつきながらもなんとか済ませて来る。グルグル目眩は、昼間起きて椅子に座っているときはほとんど治っているのだが、立ち上がって歩こうとすると今度はふわふわ目眩に見舞われる。なんとか歩けるので、やりたいことを済ませてまた椅子に戻る。
 目眩は日に日に軽減されつつあるが、これは自然に収まっているのか、退院4日目くらいからの手持ちのビタヘスチンの服用が効いてきているのか判別できない。

 耳鳴りは、寝起きが一番キツく、起き続けているとある経度軽減される。ひどいときはもう我慢の限界と言ってもいい。それで夜中目が覚めたこともある。耳鳴りは、いろんなものがあり、ジェット機の音やら、電子音やら、唸り声のようなものも、とにかく音は定まっていない。耳鳴りは完全に消えることはないのだが、時折瞬間的に消えたかと思うが、それは消えたのではなく、何種類かの音の集合から大きい音耳鳴りが消えたに過ぎない。しばらくするとまた違う耳鳴りが重なって始まる。

 耳鳴り、目眩は、手術後1〜2風間くらいで収まると言われているが、まだ退院5日目では、最高に出ているのかもしれない。なんとか早く治ってほしい。

 心配しているのは、プロセッサーをつけて言葉の聞き取りを始めても、この耳鳴りがあると、うまく聞き取りできないのではということ。耳鳴りは、手術後は全くなかったと言っていいくらいなのが、翌日突然に大きくなった。体、頭の中で何かが起きているのだろうとは思うのだが。。


 ・退院から9日 この連載の締めに
 退院7日目に初めて車に同乗して、買い物に出掛けた。目眩もほとんどなくなっているので、歩くときのふらつきもほとんどない。しかし、スーパーの中では他の買い物客の動きにかなり警戒をしていて、人の動きに神経を尖らせていることからか、かなり疲れた印象だった。
 ドクターからは、目眩は1−2週間で治ると言われていたが、確かにほぼ1週間でぐるぐる目眩はほぼ収まった。しかし、天気に左右されるのか、天気が下り坂に差し掛かると耳鳴りの鳴り方が変わって軽い目眩も生じることがある。
 この記事の仕上げをしようとしている時、天気は雨で朝からショットしたふわふわめまいに見舞われている。生活に支障はないけれど、立ち上がった時にふらつきが出ている。画像の様な杖の必要はないけれど。
 目眩や耳鳴りは、元々手術する前から抱えている問題なので、手術の影響かどうかの判断はできないが、この先どういったことになるのか、サウンドプロセッサーを取り付けて、音が左側から入る様になると、この症状にまたは変化が生まれるのだろうか?変化があっても、いい方向にかわあってくれることを願って、とりあえず連載を止める。
 10日くらい先にサウンドプロセッサーの取り付けをし、言語リハビリがスタートする。そのことがどういった変化を持たすかは、またその後に報告をすることにする。

  

Posted by 生田 at 15:26Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2023年05月06日

人工内耳装着手術体験記 その4 入院3日目 手術翌日

 手術翌日の朝になって、術後最初の食事がきた。
 手術日は、その前日夜9時から食べ物禁止、午前0時からは飲食禁止となっていたのでが、手術日の夕方の術後5時間くらいして、ゼリーやプリンが解禁となり、手持ちのパンを食べてもいいという許可が出ていた。いくつかかじって空腹を凌いだが、正式な朝食はありがたかった。食事が解禁されたと同時に、日頃服用している薬の服用も解禁された。なんだか日常が少し近くなった気もしたけど、まだまだ遠いな。
 
 この日は、朝6時過ぎの検温に始まって、8時半頃の朝食を食べて、その後手術痕のガーゼの交換やら何たらいろいろあって、それに時折睡魔に襲われるし、手術体験記なんて書いておれないのだ。せいぜいブログ記事の短い文章を書くの時間しかなかったと記憶している。
 書きつつ思い出したのだが、この日のどこかで病院用のでかいおしぼりを使って前身を清拭(せいしき)してもらった。気持ちよかったなぁ。。。
 
 昼食時に、午後にX線検査をすると「その検査結果によっては翌日退院となるよ」と看護師から言われた。そして時間が来た、確か2時半だったかと思う、歩いていいけると思っていたけど、何と車椅子に乗っていくのだと。やはり目眩の心配があるので、検査室までの往復を歩くのはダメらしい。(本人は大丈夫と思っているのに)
 一枚羽織って行こうかと思ったが、病棟が暖かいからと病室着のままで車椅子に乗った。エレベータの前で、ちょいと寒いかなと思ったものの大丈夫だろうとそのままX線撮影の待合まで来てしまった。が、やっぱり着てくれば良かった。ちょいと寒いのだなぁ、X線撮影室は外来に通じているので外気温に近い。病室よりも結構冷えていたようだ。
 
 X線撮影室に呼ばれて車椅子のまま入室。何でこの病院の技師さんたち女性が多いの?この検査室も全部女性で、まぁありがたいが。。。
 ベッドに寝かされて、動くなと言われて撮影し、次に方向を変えるために体の頭と足を180度回転させて撮影し、終了。大人しかったのかもなぁ。。。
 これで、検査ベッドに体を起こした瞬間に、人工内耳を埋め込んだ左耳にとんでもない、これまで経験したことのない大きさと音の耳鳴りが始まった。大きいだけではなく、音の種類がまるで違うのだ。
 まるでX線が人工内耳を触発して起こして音を出しているって感じだ。だんだんその音は大きくなり、我慢の限界となりつつあった。
 また車椅子に乗せられて、病室に移動してそのままベッドに。ドクターに連絡してもらって、現況を見てもらうことに。
 ドクターが病室に来てくれて面談。耳鳴りの現状を訴えるが、正直どう伝えたりいのか難しい。耳鳴りは他の人には聞こえないし、ドクターがどういった経験をしているかにもよるし。とにかく患者それぞれの病状を正確に伝えるのは難しいのだ。
 まぁ、そんなに手術痕は痛みは出ていた中田は、痛み止めをとりあえず飲もうということになって、看護師からもらっていた痛み止めを2錠服用。そのまま話を続けるうちに、耳鳴りはかなりゆるくではあったけど収まっていった。
 途中で、ドクターが耳に張り付けているガーゼを外して、交換をしてくれて、その手術痕の所見から、これならば翌日退院でいいだろうと、翌日10時に再診察をした上で、退院となると言われた。主治医、執刀医のドクターから言われていた入院から退院まで4日ほどという通りの運びとなる。
 
 このドクターとの診察の後に、主治医で執刀医でもあるおクターが来てくれて、現状を確認してくれた。そして翌日退院の作人をして、目眩や耳鳴りは1−2週間くらいで治ることが多いと言われた。
 
 あぁ もうこの日の記憶が飛びつつある。ドクターの診察の後、何をしたのだろう??ブログ記事を書いたような記憶はある。それ以外は、体験記を少し書いたのかな。。。
 あぁ、多分夕方になって睡魔に襲われているかもしれない。やはり全身麻酔手術の翌日ということで、病室から出て、動きのあるものを見ることで疲れたのではないかと思う。
 
 トイレに行くのは、手術直後こそ尿瓶を使ったが、その後は自力で歩いていき、しかも3回目くらいからは看護師の付き添いもなく一人で行っている。ただ、術後、トイレの感覚が少し遠くなったのは助かっていた。
 
 退院することが決まったことは、LINEを使って相方に報告した。まさかこんなに早いとは思ってもいなかったようだ。
 
 このまま最後の夜を過ごしたが、動きが少ない割にはとにかくお腹が空いてしょうがなかった。これはいつも服用している消化器系の薬の効果かもしれないのだが。ということで、買って来てあるクッキーをかじったりして空腹を凌いだ。
 実を言うと、私はストレス喰いをする傾向にある。何か精神的にストレスがかかっている状態の時には、何かを食べていないと落ち着かないのだ。自分絵もなんとかしたいとは思えども、長年生きてきてもその解決方法はいまだに見つかっていない。
 
 夜の寝つき悪く、寝ても眠りは浅かった。そして最後の朝は6時前に目覚めてしまっている。

  

Posted by 生田 at 17:16Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2023年05月05日

人工内耳装着手術体験記 その3 入院2日目 手術日 2 病室で

 手術室での作業が終わったところで手術用から病室用のベッドに移された。薄らとした記憶では、ベッドを移る前に下半身の着替えをされていたのかもしれないと思う。
 そしてベッドに寝かされた状態で手術前に歩いてきた廊下をぐるぐる回って病室に帰りついた。この時点で家族の顔の確認はできていなかった。
 病室に戻って、3時間は安静にしているようにと言われていた。動けったって、まだ身体緩んででしまっているから動けないないけど、それでも指と頭はうごかせた。
 家族の顔もわかった。ありがとうと声をかけ、息子は仕事を休みにして来てくれていたので、無事生還したことを確認して仕事に帰っていった。
 
 実はこのあたり、完全に脳が目覚めていたとはいいづらく、細かいことは記憶に残っていないのだ、というよりも、いろんなことがオーバーラップしていて、時間系列で並べることができないのだ。
 病室に帰ってきても、結構寝ていたようだ。相方も一旦息子と病室を出て行っていったようだ。どのくらい出ていたのかわからなかったが、私が眠ってしまっていたのだろう、目が覚めたら看護師が「ご家族はゼリーとプリン買いにいってるよ」っておしえてくれた。
 それからまた寝たのだろう、気がついたら相方が補助椅子に座っていた。
 
 相方はゼリーとプリンを買ってきてくれていたのだ。冷蔵庫に入れて、食べ終わったっ冷蔵庫いらないけど。。なんてことを看護師と話をしたりしていた。
 このゼリーとプリンは、全身麻酔後に初めて摂取できる食べ物らしい。麻酔が開けても食べると誤嚥する可能性が高く、それを防ぐという小tもある様だ。
 
 その相方も、私がほとんど寝ているので手持ち無沙汰たで、「大人しくするのよ」と言って帰っていった。
 

3時間の安静が過ぎた頃かな、手術跡の傷の出血を見にきた。安静とはいえ頭は自由に動いていたから、夢見つつ自然に動いていたのか、かなり出血して、シーツを汚していた。

 この出血は、誰にでもあることのようで、傷口からじわじわと流れ出ているらしい。この後も3回ほど手術痕の処理をしてもらっている。

 
    
 画像左から 手術後3時間後 術後直後と同じ状態
 中央は 初めての取り替えで 看護師にとってもらった
 右は 取り替え後にガーゼが新しくなった状態
 
 手術後は何もすることができない。何しろ左手には点滴の針が刺さったままなので自由に歩くことができない。手術が終わって病室に戻ってしばらくしたら尿意を覚えたので訴えたら、尿瓶を持ってきて処理をしてもらった。
 絶飲食のせいか尿意の感覚がいつもの倍位遠いと感じた。がそれでも出したくなり、次に訴えたら、歩いて行けと言われ、看護師随行でトイレに向かった。
 この時術後初めて立ったのだが、ちょっと軽い目眩と、筋肉の弛緩がとれていないからかなり不安定だった。トイレは洋式を使うかと聞かれたが、大丈夫と男性用の立ち小便器を使った。
 
 どのくらいの時間だったか、水を飲んでもいいと許可が出たので冷たい水を飲んだ、なんと美味かったことか。
 
 しかし水を飲むときに違和感。味の問題ではなく、飲むために口を開けなければならないが、口を開けると手術痕に痛みがはしるのだ。想定外のこと、食べるときはもっとひどく、口を開くときも痛むが、それに噛むときにも痛みがあるのだ。でも我慢できる痛みではある。
 それでも最初の頃合は、口が開けなくて、水もまともに飲めないから、看護師に頼んでストローを用意してもらったくらいだ。
 
 手術後は、食事もできないので、時折パンを齧ったりしながら、寝てることが多かった。しかし、ブログで多くの人に心配かけているので、書けるようになったところで自撮りの私をめずらしくそのまま、と言っても酸素マスクして、寝巻き姿というとんでもないものをアップした。
 
この手術後は、麻酔が切れても結構眠気があって、なんだかずいぶんうとうとしたような気がする。テレビを見るわけでもなく、ただベッドに寝転がって、時折 iPad でゲームしていた。
 何時ごろだろう、多分夜11時か12時頃だと思うけど、熟睡したようだ。が、3時頃に目が覚めてしまった。それからが寝られない、ゲームしたりもしたけどこの際とばかりに、記憶に残っているいる間にと、この体験記を書き始めた。
 手術したその日に書いているのにもう記憶が飛んでいる。悲しい現実です。それに時間経過の混濁。何をいつしたのかまるで頭には、やったこと、見たこと、聞いたことが、時間系列に並ばないのだ。本当に情けない。
 


************ 人工内耳装着手術体験記 *************

その1 入院と手術前検査 
その2 入院2日目 手術日 その1手術
その3 入院2日目 手術日 その2 病室で
その3 その4 入院3日目 手術翌日

 ***
 これを書い当ている最中
 14時22分に能登半島で震度6強の地震があった
 我が家の柱時計止まってた
 名古屋でも珍しく揺れたのです

    

Posted by 生田 at 15:24Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2023年05月04日

人工内耳装着手術体験記 その2 手術日 その1手術

 麻酔科医から詳しい説明を受けていざ入院翌日の朝9時から手術開始ということで、8時半ごろに弾性ストッキングを履かせてもらった。これは初めての経験、理由は手術が長時間に及ぶ可能性もあって、同じ姿勢をとり続けることで血栓ができやすく、それが影響して、脳血栓、肺血栓を起こす可能性があるので、それを防止するためのものと説明を受けている。(白いのを着用)
 まぁ、いうなれば飛行機旅行でのエコノミー症候群と同じことですねとドクターに確認したら、その通りですとのことです。

 この直後に家族(相方と息子)が到着した、そして定刻の8時50分に看護師の引率で家族も含めて歩いて手術室に向かう。
 広い病院の中をエレベータで降りて、それから病棟の長い道をくねくね歩いて手術室の入り口に来た。ここで家族とはお別れ、お互い扉が閉まるまで手をを振った。
 入り口のホールに入ると数人の手術看護師が待っていた。ここで病室用から手術室用のものに着替えをした。寝巻きみたいに前が開く全身用のものです。
 看護師数人に取り囲まれて、「ハーレム状態ダァ」って冗談いったり、全く緊張感はなかった。
 そして手術台のある手術室に向かう。病室からも長かったっけど、ここも入り口から手術ベッドまでの長かったことこと。もう手術の始まっている部屋もいくつかあり、その横を通っていく。先導と後に看護師に挟まれての行進、前日の死刑囚の思いの続きで、まるで死刑台に向かうみたいと頭にチラつく。が、決して心配したり、緊張していたのではない。ドクターの人柄から完全に身を任せるという安心感が先に立っている。


 手術台に上がった。と言ってもこの手術台は記憶が薄れてしまっているので、表現が難しいが、ごくありきたりのベッドみたいな感じの上になんだか分厚いマットを敷いていたかと思う、今考えればこれで体を固定したのだろうと。
 ベッドに寝かされて、いろんなものが体に取り付けられる。その都度「〇〇をつけるよ」と説明があるけど聞こえない。それでほとんどを筆記して読ませてもらった。ただドクターは私の病状を知っているだけに、耳元で大きな声で語りかけてくれていた。

 そして点滴で麻酔薬を注入するために、前日夕方に病室まで事前調査に来た麻酔医が手の甲の静脈を探していた。私は極度に血管が細いと言われているが、どうもその通りで打ち込に必要な静脈が見つからず、かなり手の甲を叩いて血管を浮き出させていたが、やっと見つかったようで「今から少しちくっとしますよ」と声がかかって、少々でなかったがちくっとして針が差し込まれた。かなり弄った感じだなぁ。。。さらに説明が「量が多いので手が痺れるかもしれない」と、寝てしまったら痺れもわからないけどなぁ。
 私は覚悟して目を瞑っていたら、トントンされて目に前で指で丸を作って「目を開けていろ」と、これは目が空いていれば、寝たのがわかるからだろうと思う。

 この後しばらくしたら、完全に寝たのだろう、記憶が全く無い。ただ、記憶には内容は残っていないけれど、何かの夢を見続けていたように思う。

 その見ていた夢を破るように、左肩をトントンされた。「終わりましたよ」と。本当に夢破られての目覚めで、一瞬目の前がなんだかわからなかったが、たくさんの顔が私を覗き込んでいたが、執刀医の私の主治医のドクターの顔が見えた。「あっ先生だ」と声を上げた。ドクターが耳の横にきて「無事終わりましたよ、人工内耳も完璧に埋め込まれましたよ」と話してくれた。私は感謝に気持ちをいうとともに「家族が心配ししているから連絡してください」とお願いをした。

 目が覚めた。「生きていた」といいのが正直な気持ちだ。
 体から取り付けられていたものが取り外されれていく。残ったものは酸素マスクと足のマッサージ器具、そのほかの観察用機器のケーブルは皆外されたようだ。ただ、酸素マスクがいつ取り外されたのかは、全く記憶に残っていない。麻酔から覚めたと言っても、脳は完全に目覚めていなかったのかもしれない。
 マッサージ機は、酢術中からつけっぱなしで、病室に来ても3時間以上はつけてたのかな?気持ちよかった。ストッキングは退院して家に帰るまで履き続けてました。






************ 人工内耳装着手術体験記 *************

その1 入院と手術前検査 
その2 入院2日目 手術日 その1手術
その3 入院2日目 手術日 その2 病室で
その3 その4 入院3日目 手術翌日

お断り
イラストはネット検索で
無料のものを拝借しています
  

Posted by 生田 at 16:59Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2023年05月03日

人工内耳装着手術体験記 その1 入院と手術前検査

 朝9時に病院に到着。まだコロナの感染防止のための抗原検査を受ける必要があるからだ。検査を受けて、その直後に入院つけつけの事務手続きを済ませて、病棟に向かった。ナースステーションで腕に認識ラベルをつけてもらい、病室に案内された。
 そして落ち着いたかなと思ったところで、看護師が来て「麻酔科ドクターから呼び出しです」と言ってきた。そしてその時事に従って、相方を伴って(一緒に注意事項を聞いてもらうのだ)外科麻酔科の受付に向かった。

 入院初日に麻酔科ドクターから全身麻酔の詳しい説明を受ける。
何せ頭の一部を切り開いて、人工内耳を埋め込むのだから、頭部に麻酔をかける必要があるのだ。
 私個人としては、過去にいくつかの手術を受けている。扁桃腺除去では喉の局部麻酔、アキレス腱断裂、鼠径ヘルニアでは脊椎からの下半身麻酔、そして前立腺がんの生体検査でも脊椎からの下半身麻酔を使った。
 こんな経験はあるものの全身麻酔の経験は初めてだ。過去の下半身麻酔でも手術終了時点ではほとんど寝ていた、それだけ麻酔がよく効く人間らしい。ドクターからいろいろ、細かく説明を受けたが、記憶にほとんどと言っていいくらい残っていない。
 テレビドラマなどで顔にマスクをかけて手術するシーンが出てくるので、そんなもんかという思いもあったのだろうが、ドラマに出て来るシーンでは見たことがない話がでてきた。私の全身麻酔の知識といえば、マスクから笑気ガスを吸い込んで眠りにつくのだが、今回の手術では手の甲の静脈からの点滴による全身麻酔だと聞いた。ちらっと頭に出てきたのは、米国の死刑執行に使われる方法の死なないだけだのだなぁって、不吉なことは出てこなくてもいいのにと我ながらあきれたものに、これは口には出さず心の中にしまい込んだ。

 この後、肺機能検査を受けに検査室に向かった。
 少しタムラグがあって、検察に呼び込まれた。する検査は、肺活量などを測って、多分麻酔時の呼吸器の状態を検査したものだと思う。
 麻酔時には、口から色々管を挿入して、マスクで人工呼吸を続けると、麻酔医から説明を受けているので、その際の肺機能の検査だと思う。
 肺活量は、年ですね。かなり少な空くなってして2600CCだたかな。昔は、バスケットをしていたこともあって、かなり大きは肺活量だったはず。大学時代の健康検査では6000CC近くあったんではないかと記憶していたが。。

 そして16時からシャワーを浴びることになった。手術後しばらく先発などできなくなる可能性があるので、全身洗い流しておくようにということだ。



************ 人工内耳装着手術体験記 *************

その1 入院と手術前検査 
その2 入院2日目 手術日 その1手術
その3 入院2日目 手術日 その2 病室で
その3 その4 入院3日目 手術翌日


お断り
イラストはネット検索で
無料のものを拝借しています
  

Posted by 生田 at 14:13Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2023年04月08日

祝 末期・前立腺ガン宣告 12周年

毎年この日になると、おなんなじこと書いているなぁ。。。
それでも 1年ごとの一里塚
何か書き残しておかねばねぇ

今年は今まで書いていない情報が
先日の書類整理で出てきた
それを含めて書くことに



 末期の前立腺癌を宣告されたのは、何の因果か知らないけれど、あの東日本大震災の年のお釈迦様の誕生日、誕生会(花まつり)だった。

 大震災は3月11日だったけれど、私の体の中での激震から大津波はもう襲ってきていたらしい。ただ自覚症状全くなく、たまたま2月に特定検診(通称メタボ検診)を受けた際にワンコイン=500円で受けられる前立腺癌検診を何となく受けることにした。

 特定検診の結果を聞くのは一月後ということで、何の心配もせずに一月を過ごした。

 そして一月後に結果を受け取りに行った。診察室でドクターは、それまでに見ていれば連絡くれたのかもしれないが、多分私が受け取りに行ったから初めて見たんだろう。血液検査の結果を見て「398だ?なんだこれ〜」と言ったのだ。そして「前立腺癌の疑いがあるので、大きい病院で見てもらえ」と。その時の記憶ほとんど残っていない。たぶん「がん」という言葉で頭の中真っ白になっていたのだろうと今更ながら思う。しかし、家に帰ってPSAについて調べて、標準値が3前後だと知って、単位の間違いではないのかとすら思ったのだが・・

 紹介状を書いてもらって、数日後に大病院に。そしていろいろ検査、採血して後日再審を受けることになった。再審に出かけ、担当ドクターから「精密検査の必要があるので入院してください」と。

 指示に従っての検査入院。あまり記憶に残っていないけれど、検査室で針を12本打たれて、そのうちの9本に癌細胞がついていたと、後々分かったのだ。

 検査入院から20日くらい経って、その結果を聞きに行ったのが12年前の今日4月8日だったのだ。「ステージIVの末期癌」と言われた。当たり前だなぁ。12分の9の癌細胞、それに大病院での最初の血液検査ではPSAはすでに500を超えていたのだから。

 そしてこの後放射線科の所見を聞いたりした結果、「放射線は多臓器にあたるので不可」そして「手術はた臓器に浸潤、癒着しているのでふか」との宣告。残されたのは”ホルモン療法だけ”と言われた。

 私はその時、「セカンドオピニオンを」とドクターに申出したのだが、ドクターは「これしか方法ないと思いますが」と言いつつ、紹介状の準備に入ってくれたようだ。

 そして翌日、消化器系のドクターの友人のクリニックに行き「セカンドオピニオンどこで取ったらしい?」と相談したのだが、友人から帰ってきたのは「お前なぁ、セカンドオピニオンは必要ないわ。これしか方法ないぞ」と冷たい回答(本当は暖かいんですけど)。ということで、この友人の言葉が正解のセカンドオピニオンになった。そして数日後に大病院に行き、セカンドオピニオン取らないことになった旨を連絡、そして5月の連休明けから治療開始となった。

 

 腹にゾラデックスを打ち、毎日過疎デックスを服用するという、ホルモン療法が始まったのだ。最初は一月おきに空デックスをうちに病院に行く、そして血液検査でPSAの値を観察する。

 ホルモン療法開始食後は、まだPSAは上がっていて同じ月に最高591を記録している。それから1ヶ月後の採血と診察で、PSAは495に下がっていた。この時のドクターの言葉は「これで行きましょう」ということで、完全に治療方針が決まったのだ。

 そして5ヶ月後には、PSAは0.1台に落ち着いたのだ。


 12年の経過を描くつもりはない。過去の記事で「奇跡の軌跡」という連載をしたいるbので、そちらをご覧いただきたいです。

 



  


Posted by 生田 at 10:06Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2022年12月12日

12月12日 月曜日 晴 ほぼ無風 これで鼻血騒も終焉か?

先月来の鼻からの多量出血
土曜日の未明に
名古屋大学病院の救急外来に行ったが
出血止まっていたので帰宅させられて
1日置いて
今日一般外来で見てもらってきた
 
 
実は
土曜の夜中だけでなく
帰宅後の夕方にも出血
そして昨日日曜日も
3回にわたる出血
一度は
昼食後に今で座っていたら
突然口に中に血が流れ出てきたり
最後は夜7時頃に出血して
止血に1時間かかるという
 
これだけ出血すると
体がだるくなったりする
 
今日は
午前の診察に合わせて外来に
予約がないのでかなり待たされて最後の患者になった
診察室に入って
経過をいろいろ話をして
先週の画像を見たり
今日もカメラを挿入して検査したり
結果として
今日は止血している瘡蓋が残っていたので
出血点はここと断定
粘膜焼灼術というある種の手術で
傷口を焼いて塞ぐということをした
  src="https://stat.ameba.jp/user_images/20221212/16/monshachi/cb/05/j/o0600030015215383292.jpg?caw=800" width="350" class="PhotoSwipeImage" data-entry-id="12779001301" data-image-id="15215383292" data-image-order="1">

某クリニックの画像を拝借
こんなイメージで
バイポーラを使って出血点を焼いてもらった
これで止血されて
出血は無くなるだろうと
 
麻酔なしなので痛かった
そう言ったら
毒たがごめんというので
「この痛みは許せん」と言ったら
のけぞってたな
いい先生に出会ったのだ
 
出血は止まった
楽になった
でも今度は鼻水が止まらなくなったぞ
 
 
実のところ
今日は入院をさせてもらうつもりで
入院準備を完璧にして出かけたけど
入院なしで
日帰り手術で完了
 
もっと早くやってもらっていれば
こんなに騒ぐこともなかったのになぁと
ブツブツブツ・・・・
 
 
 
あぁこれで
夜もぐっすり寝られる
今までもぐっすり寝ているけど
幅字が出ないように
那覇に穴に詰め物して寝てたから
それなしでなられるのが嬉しい
 
さて
これで今週の木曜日に入院です
そして金曜日朝イチで手術らしい
 
 
退院予定は日曜日ですが・・・・

  

Posted by 生田 at 17:24Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2022年12月09日

ドラマ「silent」第9回を見て聴覚障害者の私が思ったこと


人工内耳を装着しようとする私に
つまされるような話
年代が同じなら
同じようなことをしていたのかもなんて
思いながら毎回見ているけど
(でもこんなに暗くはないかもな)

今回第9回で”佐倉想=目黒蓮”が
なぜ手話を使うようになったのかの理由がわかった

東京から地元に帰って
母親=篠原涼子との話
そして聞こえなくなった頃の回想

想は 聞こえなくなった
そして話す自分の声すら聞こえなくなった
これで自分が何を話しているのかが分からなくなった
話すことに自信をなくしただろう

実はこのことは私はよく理解できるのだ
想は全く聴力を失ったと見受けられる
聴力を失うと
実際に自分の話している言葉も聞こえないのだ

聴力を失っていく過程で
自分の話し声が聞こえなくなると
聞こうとして話し声が大きくなる
聞こえなくなる程度に反比例して大きくなる
周りからはうるさいと言われるくらいに

歳を取った人の話し声が大きいのはこれが原因
そんな可能性が大きい

私自信 聞こえないから話し声が大きくなる
もともと地声がおおきい
さらにはよく通る声らしいので
周りは私の話し声にかなり迷惑を感じていらしい
しかしそれを指摘する人は少ない

ドラマの話に戻って
想は聞こえないから
話し言葉に自信をなくして
手話を学んだ
ドラマの時系列からは
聴力を失ったのは時代的にかなり前で
現在のようにデジタル機器が未熟だった
現時点で同じことになったら
どうしていただろう?

私は聴力が極度に低下して10年
補聴器を装着した
この時すでに話し言葉の聞き取りが
かなり悪くなっていた
さらに今から4年くらい前から
話し言葉をほとんど受け付けなくなるという
そんな症状に落ち込んんだ
補聴器をつけても音は入るものの
人の言葉が判別できない

私の場合は
母音はなんとか判別できても
子音が判別できない

例えば”ま”と”ば”
このために聞き間違いがもともと多かった
ある大学病院のドクターは
年齢による認知力の問題と片付けた
しかし実情は違う

今の名古屋大学病院ではこんなことはないのだが

聞こえなくなると
自分の話す言葉も聞こえなくなる
私は
頭の中に思い浮かんでいることを話すから
自分が聞こえなくても
話せているだろうと判断していた
しかし 佐倉想のように自信がなくなると
パニックになるだろうとは思う


ここで後ろを向かないでもらいたい
想は手話に向かったが
聞こえなくても話せるのだということを認識して
それに基づいて対処してほしい

今なら話し言葉をスマホなどで音声文字変換できる
自分の話す言葉を確認できる
テキスト入力できるアプリで
スマホに向かって話しかければ文字になる
おそらくそれを知れば自信をもていると思う

さらには人の話し声も
音声文字変換で見る=聞くこともできるのだ
ただし
現時点(22年12月)では
音声文字変換はスマホの通信量が発生する
WIFIのあることならば問題ないが
ないところだと通信量が発生する

聴覚障害者への福祉の支援はあるものの
現時点では限られている
どちらかといえば
ロウ朝は対象もののが多く
話すことができて聞こえないという
ある種の聴覚情報処理障害の人には
福祉の支援は
補聴器が最大かもしれない

なんとか行政に訴えて
聴覚情報処理障害者に
デジタル機器の支援ができるように
法改正をしてほしいと思っている

私はもう補聴器では聞き取りできないと判断され
人工内耳を装着する
ちょうど1週間先が手術の日
今頃手術の最中かもしれない

手術成功して
最初の音入れは26日
それから聞き取りのリハビリが始まる

これは
リハビリ担当からの思いやり
できたら正月に聞き取りが少しでもできればという

さて
ドラマは、後1回か2回で終わると思う
どのような結末になるのか?
できたら総構えを向いて
明るく生きていくようにしてほしい
ちょっと全体に暗く感じるドラマだったので
結末は明るくしてほしいと望んでいる



****
余談ですが
私は通常電話で話すことが難しいです
このためにガラホ携帯の音声を
スマホもどきのiPodやiPadを使って
音声文字変換して相手の話を聞き(見て)
なんとか意思疎通を図ってます
もっとも話す前に
音声文字変換して話している
と断ってますが
もし聞こえないから電話もできない
と持っておられる方がいたら
こちらが話せるのなら
音声文字変換を使った方法も
一つの手段だと思います
  

Posted by 生田 at 11:22Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2022年12月07日

人工内耳装着手術の過程 その3 術前検査 言語リハビリ

 聴覚障害になって10年くらいになるかな、そのうち最後の4年で人の話が聞き取れなくなってしまった。これを前の大学病院でかなりキツく訴えのだが、頭の認知機能の問題でしょうがないと言われてなんの手当てもしてくれなかった。

 それに業を煮やして、大学病院を転院する決意をして名古屋大学病院にきた。
 私の難聴に関しては、10年くらい前に日赤の耳鼻科で聞こえの相談をしたところ、補聴器外来のあるクリニックを紹介してもらったのだが、ここの医師とも相性が悪かったのかもしれないが、補聴器を作ることになったが、最後は「手に負えないから」と名古屋大学病院に転院した。
 そこでの診断で、内リンパ水腫という難病の診断をもらったが、内リンパ水腫に関しては治療法がないとのことで、何処かのクリニックで相談と言うことで、某クリニックに紹介状を書いてもらった。
 そのクリニックへ行ったのだが、補聴器外来がないからと、某大学病院を紹介されて4年通ったが、最初は聞こえていた左耳が聞こえなくなると言う散々な結果になった。
 そんな結果を引き連れて、名古屋大学病院に戻ってきた。そして、もう補聴器では聞き取れないからと言う診断で、人工内耳の装着手術を勧められ、この12月に装着手術をすることになった。

 その人工内耳装着手術までの時間がだんだん迫ってきて、手術前の診断をいくつか受けることになった。
 この記事のシリーズの「その1」では「循環器内科」の診察を受けて、心臓、循環器系には問題ないとの所見をもらい、そして「その2」では「口腔外科」でのチェックを受け、手術に向けての問題はないと言う所見ももらったということを書いている。

 その口腔外科の診察の同じ日に、装着手術後の「言語リハビリテーション」のスケージュールの予約をとりに行った。
 
 人工内耳というのは、装着して即聞こえるようになるのかというと、どうもそうではないらしい。まずは装着後に「音入れ」ということをしなければならない。そしての後で、言葉の聞き取りのリハビリテーションを行うのだ。
 つまりは、人工内耳で受け取った情報を脳に伝えるのだが、その伝わった情報についての学習をすることになるのだ。この年79歳になって、言葉のお勉強をするのだである。

 12月5日、耳鼻科での鼻血の緊急診察の後、コンビニでサンドイッチを買って、駐車場の車の中で済ませた。そして、リハビリの受付に行ったら先ずはドクターの簡単な健康診断を受けて、その後にちょっと離れたリハビリ室に向かった。
 リハビリ室では、入るなり小部屋に案内されて、机を挟んで担当と向き合った。単に音入れの日、リハビリの開始日の予約をするだけかと思っていたのだが、なんといろいろ検査が始まった。
 やった検査は、
 認知症簿検査のごとくに、いくつかのゲームもどきのことをやり、テーマを出されて、それに関する単語を羅列いたり。そして聞き取り検査も行った。(言葉が出てこない、日頃話さないから単語を忘れたのかと思うくらいに出てこないのだ)
 担当者は、口を隠して言葉を発する、その言葉を私が復唱するのだ。が、かなりひどい確率で聞き取れなくて、聞き間違いをしている。これはすでにわかっていることだが、これが人工内耳装着後にどのように変わるのかの、基礎資料になるらしい。
 質問状にも書込みをした。まるで「うつ検査」のような質問が並んでいた。耳鳴りに関するもので、過去にもやったことがあるが質問の形態が違っている。耳鳴りの影響で鬱になることが結構あるらしいのだ。私は、耳鳴りはひどいものがあるもののもう40年もなり続いているので慣れっこで、気になることはない。
 (過去に補聴器外来のクリニックでやった問診では、「極度のうつ病」だと診断されたが、私は怒りましたね。質問がそうなるように書かれていたのだから。こんなクリニック信用できないですよぉ)

 さて、リハビリ前段階の調査も終わって、手術後の「音入れ」をいつにするかということになった。もう年末も押し迫っているし、どうしようかとちょっと迷ったが、担当から「正月に向けて音入れを年末にしておきましょう」と。ということで、手術後の「音入れ」は12月26日と相方の同意もえて決まった。
 この音入れで、うまくいけば、正月は、家族の賑やかな話し声が聞けるかもしれないなぁという淡い期待を持ったのだ。


 このリハビリのチェックが、手術前の最後のチェックとなった。
 入院は来週の木曜日、手術はその翌日。退院は3日後の予定になっている。入院中に、記事がかければいいけど、手術日はかけるかなぁ?かけたら書きます。入院日はなんとか書けると思いますが。
 入院日まで後8日。できたら、今回書いた冒頭の経緯の詳しいことが書ければと思っていますが。。。。 期待はしないでください



 タグに「APD」「聴覚情報処理障害」を付けてますが、これは音は聞こえるけれど、人の声、話し声を言葉として認識できないことを言います。それは、あくまでも聴覚のレベルが正常値にあると言う前提とのことです。

 私の場合は、似てはいますが、聴覚レベル自体がすでに低レベルになっているので、正式には「聴覚情報処理障害」とは言わないのだと、現在の担当医から言われています。


  

Posted by 生田 at 15:12Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2022年12月07日

人工内耳装着手術の過程 その2 術前検査 口腔外科チェック

 12月5日 名古屋大学病院の口腔外科での人工内耳装着手術の前に、口腔外科でのチェックが必要ということで、予約を取らされて、それに従って出かける日だ。
 でも、なぜ口腔外科のsチェックが必要なのかこの時点では理解していなかったが。。

 9時前に家を出ようとしたが、家のドアを開けるときに鼻に触ったら、なんと鼻血が吹き出してきた。半月以上おとなしくしていた鼻血が、なんでこんなときに・・・と思えでも、止まらない。
 (実は朝から血痰が出るのでやばいなぁとは思っていたのだが)
 大慌てで吹き出す鼻血を止めとうとティッシュを探したが、手元になく探している最中に床に戸を落としてしまった。とにかく止まらないので、目の前にあった台所のシンクの前に座り込んで、流れてくる血をそのまま流していた。(鼻はつまんでいたけど、無関係に流れてくるので血は止まらないのだ。)先日の日赤での頭のMRIの撮影で放射線科医師から指摘された鼻腔付近の内出血が噴き出したものと思う。これまでの経験から、ちょっとした時間止まらないことがわかっているし、今回は前回の最後の時のような出欠ではなさそうなので、出切るまで待とうと、そのまま流していた。
 15分くらいして、突然鼻がスッと通ったので、流れ出るのは止まったと思った。確かにそれ以降微量に出て入るけど、なんとか止血したようだ。
 出血と同時に、相方に病院に電話してもらって、出血したから遅れるかもしれないと連絡を入れておいた。
 なんとか止血したと判断したが、運転するには危険なので相方に運転をしてもらって、大学病院に向かった。
 月曜日の朝と言うことで渋滞しているかと思ったが、想いに反して道路は空いていて割と早く病院に到着した。この間の出血はなかった。

 病院について、外来の所定の手続きを済ませて、口腔外科に向かった。最初に診察前に頭部のX戦撮影をする指示を受けて、放射線科に行き撮影をした。そして口腔外科に戻って診察。
 診察の前に、イケメンのドクターから、診察する理由を下のように教えられた。
全身麻酔の場合、口から機関紙にチューブを通すので、口の中に細菌があると感染症に罹患する恐れがあるので、そのために口の中のチェックスをする必要がある
(なんのチューブ? 医療ドラマでよく見る鼻から挿入してるやつ?入れる時痛いんだよなぁ。鼻血出さなきゃいいけど)
 いつもの慣れた診察台ではなく、診察台を倒してチェックが始まったが、何やらごちゃごちゃいいいなあガラチェックをして行って、その後少しタイムラグがあって衛生士かな?に歯石を取ったりしたようだ。(いつもの歯科と同じようだけどなんだか違う)
 終わって問題なしと言われたが、手術が終わったら無一度検査すると言われ、右の画像の診察結果をもらった。
 綺麗に磨けているというのは、毎月通っている歯科の指導の賜物だろう。

 診察が終わったのは11時近かった。手術後の再診の日は、言い渡されていなかったと思うけど、最後の予約表を見たら退院予定の翌日になっている。これは困ったなぁ。。退院翌日に病院まで行くのはきついよな。
 この点については、帰宅後に病院から電話があった突起に、調整を願いしておいた。

 ということで、口腔外科はこの日はこれで放免された。
 午後に、人工内耳装着手術後の、言語リハビリの予約を取るのだが、それまで時間があるので、耳鼻科に行って、この日の朝の鼻からの出血を咆哮するとともに、診察を受けておこうと受付に行った。
 受付がドクターと相談して、外来の空きに割り込むことになった。
 
 しばらくのタイムラグの後診察を受けた。鼻から内視鏡を入れてチェック。前回は奥撫で通さなかったが、今回は鼻腔の奥まで通してのチェックで、鼻腔に傷があったと言っていたなぁ。。しかし、チュッけつは止まっていると宣言された。

 この後、昼飯をコンビニで買って、車の中で食べた。この後のリハビリについては、次の記事に書きます。
  

Posted by 生田 at 11:57Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2022年12月06日

人工内耳装着手術の過程 その1 術前検査 循環器チェック

しばらくお休みしていましたが
人工内耳装着の手術がだんだん近いてきて
予定のイベントもそれなりにこなしてます
その過程を忘れないうちに書き記すために
ブログを再開します




 12月16日の手術に向けていろいろ事前チェックがある

 その最初が「循環器内科」での心臓のチェック。過去に、いや現在も不整脈を持っていることもあって手術に耐えられるかとのことだと思うチェックを受けることになった。

 最初の予約日は、なんと病院に向かう寸前の鼻からに大量出血。近くの耳鼻科医院に向かったが応急処置すらしてくれないので、救急車を呼んでもらって名古屋大学病院に向かった。

 救急処置に後、耳鼻科で検査して、止血できていると言うことで放免されて循環器内科に移動。そして心電図を採りに検査室に行き、ちょいと待って心電図採り終わり循環器内科に戻った。

 診察に室に入って、ドクターと面談。この日は特に不整脈も出ていなかったこともあって「手術問題なし」との御宣託。しかし、ドクターが「心臓のエコー撮ったことあるか?」という質問。過去に心臓のエコーは撮ってないので11月28日に心臓のエコーを撮った上での診察を受けた。

 結果は「なんの問題もありません。手術を受けてください」と循環器に関しては太鼓判を押された。


 心臓のエコー(心臓超音波検査)については、循環器画像技術研究会のHPを参考にしてください。(画像もこちらから拝借しています。)


 左の画像は、拝借したイメージ画像です。私の場合、過去、そうだなぁ10年くらい前から、時折脈が飛ぶと言う不整脈があるのはわかっていたが、問題になることはないだろうと、これまでなんの処置も受けていない。しかし、今回は、人生初めての全身麻酔の手術を受けることになって、耐えられるかと言うことと思うけど、循環器系のチェックを受けたのだ。

 

 エコーは過去に首の血管のエコーを撮っているが、検査技師さんが体を密着してくるので、ちょっとした恐怖も感じるが、そこは我慢我慢だ。血管エコーの時は若い女性だったのでドギマギしたが、今回は男性でドギマギすることはなかったな。

 エコー撮影には体感的に20分ほど費やした感じだったけど、その結果の診察時間は5分くらいかなぁ。。。


 まぁ何にしても、人工内時装着手術とは離れても、循環器に特に問題がないということはありがたい結果となった。




  タグに「APD」「聴覚情報処理障害」を付けてますが、これは音は聞こえるけれど、人の声、話し声を言葉として認識できないことを言います。それは、あくまでも聴覚のレベルが正常値にあると言う前提とのことです。

 私の場合は、似てはいますが、聴覚レベル自体がすでに低レベルになっているので、正式には「聴覚情報処理障害」とは言わないのだと、現在の担当医から言われています。


  

Posted by 生田 at 15:17Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2022年10月14日

ドラマ「Silent」第2回を見て聴覚障害者の私が思ったこと 



トップの画像は
公式ページから拝借してます自前のがs像が作れないので
ご容赦のほど


実は昨夜放送があった
しかし
疲れてて
始まってすぐに睡魔に襲われて
寝てしまった

朝起きたのが6時で
いろいろやって庭のショットしてから
録画しておいたドラマを見た

なぜ?
なぜ?
佐倉想(目黒蓮)は話そうとしないのか?
これがいちばんの疑問
ドラマのストーリの組み方なのか
いずれ話さない理由を出すのだろうか?

今回も
ちょっとだけその話が出た
聴覚を失った人で
話すこともしなくなる人もいると
しかし
その理由は明かされなかった


今回のストーリーは
いったん別れた恋人同士が再会
そこでの会話は
スマホを使って
音声文字変換ソフト”UDトーク”を
使っていた

二人がスマホ持って
UDトークをインストールしているのなら
あの使い方は疑問
できれば
片方が公開をして
もう一方がそれを開いていく
そうすればお互いの言葉を確認できる

もう一つは
もし片方しかUDトークが使えないのなら
スマホの画面を相手に向け
語りかければ
相手に顔も話す言葉も見えるのだ

この使い方は
まだやっているところ見たことない

ドラマは
佐倉想 が手話を使って話そうとする
そのために 相手の 青羽紬(川口春奈)は
手話教室に通って
手話を取得しようとしている

これは
なぐましいことであるけれども
佐倉想が話さない理由がわからないと
青羽紬の努力が
なんのためにするのかという疑問が
先立ってしまう

なんとか
こういう疑問、違和感を
次回で払拭してくれればと思うが



実は
今日の美術展での
表彰式と講評会には
区役所にお願いをしておいたので
その願いに答えてもらえ
UDトークを使って
全てを文字変換して受け取ることができた

講評会の前後では
タブレットがなかったので
私の持っている
筆談用具を使って皆さんと会話をしています

私にとっては
手話は”外国語”なのです
一つの言語を習得しようとしたら
裁定1年はかかるだろうし
ドラマのように手話教室にも通わねばならない
しかし
手話は一部の人にしか通用しないのが残念

話すことができる人
文字を読むことができる人
こう言った人には
私は音声文字変換を勧めたい
もしくは筆談を勧めたい

後ないしないでいただきたい
手話を否定しているのではないのです
今はそれよりも
安易な方法ができているのだ
ということを知って欲しいのです


ドラマは
この先どうなる?
あの元恋人がもおとの鞘に収まる?
別の道を行く?
どちらにしても
人とのコミニュケーションの方法
いろいろあることを広めて欲しい

聞こえないから
自暴自棄になるのではなく
聞こえないなら
ではどうやってコミニュケーションを採るのか
それを模索するように
前向きに生きて欲しいと願っています

私が12月に手術して装着する
人工内耳もその手段の一つです
これwももっと知ってもらえるといいかと思います
ただし
人それぞれの考えがあるので
いろんな可能性を知った上で
どうするかを決めていただきたい
  

Posted by 生田 at 16:35Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2022年09月16日

やっと 作り終わった 健康管理ソフト 

昨月から作ってきた
私自身のための「結構管理」ソフト



一旦アップしたものの
バグだらけ、設計ミス
それをなんとか取り去ってのリメイク

擦ったもんだしたけど
やっと
簡単な取説もできたので
恥を忍んで
後悔することに

ノンプロテクトなので
FileMaker Pro をお持ちであれば
モディファイも可能です

実はそのモディファイで
さらにいいものにけていただいて
おいいソフトになってくれればなぁと
思ってます


これがTOP画面です
前回と少し違ってます

どんなことができるのかは
簡単な取説を先に読んでいただきと
いいかとお思います
あただ本当に簡単なので
ご理解を

簡単な取説は
アメブロのブログ記事としてアップしました

 



 

そして本体の

MyHealthCare_byShachi



 



からダウンロードしてください





10数年ぶりの仕事です

かなりボケているかと思うので

その点ご理解の上

ご容赦の程を





できることは

毎日何回でも

体重、体温、血圧、脈拍、酸素濃度

などを記録しておけます

さらにはそれらをグラフで見ることもできます





お役に夏たつソフトにしたいけどなぁ。。
  

Posted by 生田 at 18:04Comments(0)TrackBack(0)自分の健康
  
2015大津・京都の旅
1泊2日のドライブ旅行
2015北海道・道東の旅
1週間870kmのドライブ旅行
大学OB会と
50年ぶりの鎌倉
OB会の後に鎌倉と横浜に行ってきました
15年年頭 広島宿泊の旅
鞆の浦、竹原、宮島に行きました
14年秋 京都宿泊の旅
久しぶりに新幹線に乗りましたが・・・
13年秋 京都ドライブ旅
京都の紅葉の名所・毘沙門堂に行きました
12年秋 室生寺ドライブ旅
すてきな観音様と再会です
室生寺五重塔
12年秋 京都ドライブ旅
1年ぶりの京都です
三千院
10年秋 平泉ドライブ旅
4泊5日 2000キロの一人旅です
平泉・わんこそば
   
10年夏 室生寺 日帰り旅
素晴らしい観音さんに出会いました
室生寺・五重塔
10年初夏 宇治・長岡 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに黄檗山満福寺・六地蔵・法界寺谷寺・長岡天神
布袋さん
09年秋京都 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに 紅葉がきれいな京都
南禅寺の紅葉
08年秋京都 日帰り旅
08年11月25日貧乏・一人・日帰り旅の記録です。
鳳凰堂を望む
観光シーズン 京都の歩き方
京都市・地下鉄 東西線沿線
09年浅草と川越
浅草観音
07年信州の旅
上田城内
アクセスカウンタ
プロフィール
生田
生田
 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
オーナーへメッセージ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。 解除は→こちら
現在の読者数 24人
※カテゴリー別のRSSです。
QRコード
QRCODE