2008年12月13日

平等院から帰路 虹を見る

 平等院の拝観を終え、思いもよらぬ門前町を通って、JR宇治駅へ。電車内で食べる食糧を買い込んでホームに。
 4時少し過ぎの電車に乗らないと4時半の長浜行き新快速に乗ることができない。ところが、その電車が遅延だという。気分的にいらいら。別に1本遅くなっても帰りつけないわけではないが、遅くなると通勤客が増えて座席の確保が難しくなるからだ。

 10分くらい待ったのだろうか。待つというのは本当に長く感じるるものである。
 所要時間を見ると、京都駅の乗り換え時間を含めると結構ぎりぎりになっている。それでも致し方ないので待つだけ。

 やっと入線。乗りました。そして電車は京都に向かって走っていく。私は進行方向左側のベンチシートに座った。その席から見える窓の向こうの空が真っ黒だ。どうも山科あたりは雨なのかもしれない。
六地蔵に近いところから、なんとなんと虹がかかっているのが見えるではないか。京を東から西にまたぐように大きな虹が。
 この虹は、JR藤森の近くで山に入るまで見え続けていた。しかし、時折顔を下げて外を見ようとするので、前にいた女性が怪訝な顔を。
 隣に座っていた年のころ私と同じくらいの女性に、『虹ですよ』といったら、胡散臭そうな顔をされてしまった。こういうことは教えるものではないのでしょうか?なんとなく寂しい心を見たような。
 
 京都駅では乗り換え時間が5分少々、10分まではなかったがとにかく多少余裕があった。ということで、長時間の乗車なのでトイレを済ませて、いつものようにお蕎麦屋さんのあるあたりの少し名古屋よりの列に並ぶ。ちょっと遅かったから前のほうには並べなかった。
 時刻表通りに入線。混んでます。平日といえどこの時間になると混み始めるのです。まぁそれでも草津、最悪でも野洲あたりでは座れるだろうと乗り込んだ。おぉお、混んでるわぁ。
 しかし、2人で3人分の席を取っているクソババァとその娘(ごめんね腹が立っての発言です)。ええ年こいて人様の迷惑考えろ。(能登川でおりたかなぁ)

 何とか、草津で席が空いた。これでほっとしましたね。米原までこのままいけるのだぁ。

 さて、この空席に座った後が、前に書いた『デジャブー』です。


 今回の日帰り旅行の連載はこれで終わりです。


**
次の旅行はどこになるのでしょうか?
 本当は、今年の6月ころに行きたかった平泉へ行ってみたいとは思っているのですが、もう私専用の車もなく、新幹線、レンタカーとなると、結構金がかかるし、それに帰りに上越に行くなんて夢の夢になりそうだしなぁ。。。。
 まぁ、じっくり考えよう。 


第18回 <== 最終回

番外
  

Posted by 生田 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)京都

2008年12月12日

宇治・鳳凰堂~岐路

 もう時間は3時半を回っている。もう帰ろう。疲れてきたものな。









 鳳凰堂の裏手の写真を撮りつつ駅のほうに向かう。
 



 上の写真が、この日の最後の写真。平等院の入り口の門の南西にある。色がきれいなイチョウだった。
**ただ、この横に汚い格好した男が何か食べながら座り続けていた。つや消し**


 この横を通抜けると門前町。確か、どこかにタレントの清水ケイの実家があるとか聞いていたが分からずじまい。こんなのは調べていくのだろうが、急に思い出しただけのこと。それに見たってどうってことないしなぁ。。
 さすが、休日の翌日、商店街は閉まっている、ん?もう時間だからか?
 それにしても、思ったよりも地味だなぁ。。。

 宇治橋の横の交差点に来た。なんとも複雑。昔車で来たときにもそう思った交差点だ。さてさて。JR宇治駅がどこにあるのかわからない。案内が見つからないのだ。(もう少し親切になってくれ)
 致し方ないので、交差点で信号待ちで私の横においでになる女性にお聞きした。
 「こっちをまっすぐ行って、右に曲がります。」 これだけです。はぁ・・・・・・

 お教えにしたがって左の商店街と思しきところをまっすぐ歩き始めた。これは門前町ではないわなぁ。ただ単なる商店街ですわなぁ。どこまで歩けばいいんでやんしょうか。(この道多分昔の国道だよ)
 一本西を国道が走っている。ちらちら見えるんですなぁそれが。しかし、駅はなかなか見えないよ。駅から平等院まで10分くらいと聞いてたけど、もう10分は過ぎたよ。

 こういうのはイラつくなぁ。知らないところで行き着くまでの時間の長いこと。とにかく右に行けば国道があり、駅はそれに面していることは理解しているので、途中の少し広い道で右折した。ん?駅見えない。一人の女性が歩いてくる。お尋ねしたら、すぐ前の道を斜めに行けば駅に出ると。あぁ、斜めの道に入ったら、目の前に駅が。 
 駅の横のコンビニで、これから3時間いや自宅までは4時間の長旅に食べるサンドイッチを買い込んで駅の2階に上がった。


第17回 <== 第18回 ==> 第19回

  

Posted by 生田 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)京都

2008年12月11日

宇治・平等院 鳳翔館~鐘楼

 鳳凰堂は、団体で見て、その時間はおおむね20分とのこと。次のグループ間の時間だ。
 
 説明員からの説明にあった、扉の絵。どこもそうなのだが、こうした修復画は勢いがないので、なんとなくつまらない。それに、ここ鳳凰堂の場合は、建物が800年以上経っており、そこに新しい絵を描かれても違和感を覚えるだけである。ということで、修復されたものは、できることならば『源氏物語絵巻』のように別に見せてほしいものである。

 鳳凰堂を出て、鳳翔館に向かう。なんてことはない。さっき来た道を引き返す。正面に回ろうかとも思ったが、人が多いので、写真を撮るにも不向き、それならいっそうらを回って時間短縮ということにした。
 鳳翔館は、 前にも書いたように鳳凰堂の修復完成の際に新たに建てられて物で、鐘楼のある小山の中に作られている。ということで入り口は地下状になっている。
 **ネットで見ていたら、「昨年3月会館」なんて表現をしているものがある。「なぬ?」である。基準年を描かないとこういうことになるんだよ。**

 入り口を入ると正面に鐘が見える。それをそのまままともに見たいからまっすぐすすんでいきたかったが、監視の女性に体よく右に追いやられてしまった。

 中は、いろいろ展示されているるものの、どうも私の興味がわくものではない。理由は?ひょっとして展示方法だろうか? それと、地下から上にあがる方式をとっているので、当然階段がある。この空間がまたなんとも味気なくて。正直申し上げて、建築家の自己満足空間と私の目には映りました。やはり、平等院にふさわしい空間が求められるのではないでしょうか?

 展示の天空に浮かぶ菩薩像もなんとなくなんとなく物足りなくて。できることならば創建当時の平等院を再現するようなCGでも入れて、その中に菩薩を入れてみるのも一考ではなかったのか?
 ただ、薄暗い空間の中にいろいろ並べられても、どうもイマイチ見る気がうせてしまっている。

 ということで、早々に地上に逃げ出した。
 地上は、売店がある。トイレはない。なぜ???不親切な建物である。

 外に出たら、正面に鐘楼がある。前にした、池のほとりから撮影したものだ。




 トイレはこれの下、つまり山を下りて池のほとりまで下りるのだぁ。。。

 下に下りて、また鳳凰堂の裏手に回る。これで3回目だよぉ。
 時間が違うので、見える景色が変わっている。また何枚かの写真を撮った。







第16回 <== 第17回 ==> 第18回

  

Posted by 生田 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)京都

2008年12月10日

宇治・平等院 阿弥陀如来

 待ち合わせ指定時間まで、後10分となったので、池の周りの撮影は終わり。そして指定場所に戻る。

 鳳凰堂の中は、撮影禁止なので、この記事には写真がつかないよぉ。その代わりに右側面の写真を。


 右にある赤い橋を渡って鳳凰堂に入ります。

 何年ぶりになるか。息子が大学に行っているときだから、もう15年位前になる。その前にも一度来ている。それは大学の修学旅行(変な大学でしょう?当時は、全学生が参加する正規授業なんです)
 過去二回の拝観のときに思ったことは、建物が荒れていること、阿弥陀如来の手入れもまともされていないこと、これらが嘆かわしかったことだ。
 それから一度、修復が終わったころにお誘いがあったのだが、なんとなくそれを断ってしまっている。

 それからもう何年になるか、来よう来ようと思いながらいつも日野どまりだった。今回は日野から北の紅葉があまりきれいでないと聞いたので、それならば阿弥陀さんを見に来ようということで、やっと長年の念願を果たすことができたわけである。

 同じ時間の入場者といっしょに入っていく。確か以前は靴は脱がなかったかと思うけど、今回は靴を脱いで入場した。たてものは、思ったほどの修復ではない、確かに多少きれいにはなったが、根元の腐食はもうどうしようもないのだろう。とはいえ、このままでいいのかという疑問が出るほど痛々しい感じがする。800年以上になるのかな?末法の時代といわれた、浄土信仰隆盛の時代の建物だから、荒れてしまうのも致し方ないが、今回の修復までの手入れが悪すぎたように思えてならない。

 阿弥陀如来の方丈に入る。阿弥陀さんは確かにきれいになりました。しかし、一度はがれた金箔は元に戻せないから、あばた面はなんともしょうがない。やはり、法界寺の阿弥陀さんとよく似てはいるが、私としては、法界寺の阿弥陀如来のほうが出来がいいと思うし、また保存もいいと思う。
 
 ついさっき見てきた法界寺の阿弥陀如来との違いを探す。かなり違うなぁ。まず光背はこちらのほうが立派である。日野家と藤原本家との経済力の差が出ているのか? 正面の顔は、平等院のほうがきつくか難じる。目の半眼のつくりが違うからだろう。それにひげも。あごの丸みもかなり違う。
 残念なことに真横には回ることができない。できるだけ横顔を見ることができるところに移動してみたが、横顔がかなり薄っぺらく感じた。法界寺の阿弥陀如来は、本当にふくよかに丸く作られている。

 一説には兄弟といわれそうな二体の阿弥陀仏だが、誰もこれまで比較研究したことはないのだろうか、できればしてみたいものなのだが。

 たくさんの人に混じっての拝観で、じっくりと見ることができないのが本当に残念である。仏教美術の学者にでもなってみたかったものだ。何をいまさら・・・・


法界寺阿弥陀如来
平等院阿弥陀如来

 どこかの大学のゼミだろうか? 大学生と思しき集団がいる。担当教授だろうか、少し年が行った女性がいる。何の目的なのかは、わからないが、彼らの会話からは、らしきものが聞こえてこない。
 こうしたものを見るために来るゼミとなると、仏教美術となれば美大か、歴史講座を持つ文学部、そんなところかなぁ。 しかし、美大ではないな。 個性がなさすぎる。 ん~~~

 この阿弥陀如来の前で、勘弁してくれというものも有った。海の向こうの家族が来ていたのだが、幼児を二人連れている。彼らにしてみればこんなの見たくないとばかりに大きな声で騒いでくれる。親が『シ~~』とするものの、聞かないわなぁ。。彼らにエチケットを説いてもねぇ。。

 
第15回 <== 第16回 ==> 第17回

  

Posted by 生田 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)京都

2008年12月09日

宇治・鳳凰堂裏手の紅葉

 池の左岸間を回ると、そこには『鳳翔館』という宝物殿というか、その類の建物がある。これは鳳凰堂の修復工事の際に作られてもので中も新しいが、これは後回しにして池をめぐって鳳凰堂の裏手に向かう。
 このあたりには、修学旅行のがきっちょがたくさんうろついている。

 こちらは少し高いところ、紅葉もこっちのほうがきれいだ。













 これを撮った後で、素敵な笑顔に再会したのです。


第14回 <== 第15回 ==> 第16回

  

Posted by 生田 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)京都

2008年12月08日

宇治・平等院 番外(きもの・・)

 宇治橋を渡らず、宇治神社に向けて歩いているとき、タバコ屋さんが目に入った。なんとなく店先を見たら冊子が数冊置いてある。風で飛ばないように錘を載せて。

 なんとなく気を引かれて一冊いただいてきた。歩きながら開いてみたら、『京都きものパスポート』と題された冊子で、「きものの似合うまち・きょうと」実行委員会 という名の団体が発行しているもので、まぁ京都の施設、うまいものなどなどを集めたものです。





 なんとなく、先日、花さんに「京都は着物で・・」なんて書いた事を思い出しました。
 実際、京都は、季節によると、和服で行くと無料となる施設が結構あるので。


 今読んでみたのですが、どうもいろいろと着付けをしてくれるところの紹介などもありますね。西陣会館や、京都駅ビル・きものステーションなんていうのが紹介されています。
 **西陣会館のアドレスは冊子には書いてませんが、私が勝手に書いたものです**

   

Posted by 生田 at 18:00Comments(2)TrackBack(0)京都

2008年12月08日

宇治・平等院 鳳凰堂と鐘楼

 平等院にメインは、やはり『鳳凰堂』だ。私の場合は、もう一つ奥があって本当のメインは『阿弥陀如来』となるのだが、阿弥陀如来を見るためには、鳳凰堂に入らねばならない。
 この鳳凰堂は、過去は拝観料の中に入っていた。そのつもりで鳳凰堂に入り人の列にいたら、どうも並んでいる人が入場券を持っている。ということは別料金の入場料がいるわけだ。並んでいるすぐ横に切符売り場があった。
 300円という入場料を払ったが、「いつから別料金になったの?」と聞いたら、「かなり前からだよ』という。かなり前とは何年?15年位前に来たときはなかったぞ。といったら、知らん顔されてしまった。

 その入場券には時間が指定してある。その記載時間に集まって入場するのだが、40分も先の話だ。致し方ないので、鳳凰堂の周りを一回りすることにした。



 本当は正面からのいいものを撮りたかったのですが、結果を見たらイマイチなのばかりなので、左(東北側)からの情景です。

 この写真を撮っているときに、黒い顔をした英語を話す人から写真を頼まれた。その本人と日本の女性二人の3人を撮ってくれと。頼まれるのはなれている、なにせ一人旅だと頼まれることの多いこと。でも、外国人から頼まれたのはあまりない。
 しかし、この外国人はあまり、いやまったくといっていいほど記憶に残っていない。それよりも同行の二人の女性、印象では母娘なのだが、この母親と思しき女性の笑顔がとてもとてもよかったのです。
 写真を撮った後で方向が違ったのですが、途中(鳳凰堂の裏手)でまたであったときに、その女性が微笑んでくれました。素敵な笑顔だったので、『最高に素敵な笑顔ですね』とすれ違いざまにいったら、またまた素敵な笑顔が帰ってきた。



 池の東から鐘楼を望んだところの紅葉。


第13回 <== 第14回 ==> 第15回

  

Posted by 生田 at 00:00Comments(4)TrackBack(0)京都

2008年12月07日

宇治・平等院 境内に入る

 平等院へ入る。その前に関所で金を払わねば。600円払って、半券と、簡単な栞をもらう。

 栞の写真、いつ撮られたものか、きれいですねぇ。。。時間的にはお昼の時間帯の写真なので、改修が終わって、入場者を入れる前に撮影したのでしょうか。
 


 この写真は、門を入って少し進み右側にあったもの。順光と逆光の取り合わせでなんとか構成できているけど、色としては、どうもよくないなぁ。。1週間早いですね。(といって遅くなると風で散らされる)



 この写真では、紅葉なんてまったく関係ないですね。ただ、枯れていく樹木といった感じで、『もう冬』という感じで行きすぎだなぁ。。 でも、これは、まだ入り口。


第12回 <== 第13回 ==> 第14回

  

Posted by 生田 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)京都

2008年12月06日

宇治・平等院 宇治川

 宇治神社の南の宇治川に架かる橋を渡り、中洲に出る。ここで右手、左手と分かれるが、どうも左手は駐車場に行くようだ。右手にとると、石碑などがあるが、その前で何やら集団がガイドさんの説明を受けている。



 何とか、集団を写さないように気を使って(ウソ、写したくないから)撮ったのが上の写真。北岸の効用が見えるように。
 それにしてもあんまりマナーのいい集団ではなかったぞ。いい年をして。

 平等院に入るには、もう一つ中洲の向こうの川を渡らねばならない。この川ひょっとして、昔の宇治川だろうか?
 わたったところで左側に塀があるがこれが平等院。この塀に沿って歩くのだが、右側は店舗が並ぶが閑古鳥が鳴いている。

 正面から入ろうと、途中から入ることを嫌って遠回りをする。
 ここまでくると人が急に多くなる。さすが世界の観光寺。とはいえ、京都市内の観光寺に比べると格段に人が少ない。仕方ないわなぁ。。



 これも人気を避けて撮影。だから人がいないように見えますが、こんなもんじゃぁありません。


第11回 <== 第12回 ==> 第13回

  

Posted by 生田 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)京都

2008年12月05日

宇治・平等院  宇治神社

 京阪を下りて宇治橋を渡らず、宇治川の北岸の門前町(?)を歩く。
 この日は連休明けの火曜日で、閉まっているお店に多いこと。ひょっとして、連休明けは無関係に閉まっていたりするのかもしれないが・・・
 途中で、色のいい紅葉もあるけど、どうもいまいち。。。。






 北岸から平等院に入るには橋を渡らねばならないが、その橋の北に「式内宇治神社」というのがある。もう11月の15日を1週間過ぎたというのに「七五三」の幟がいっぱい立っている。うるさい。
 


 

 あんまり得意ではない階段を上がって本殿に詣でて、帰り道に撮ったのが上の写真。前方にこれから渡る橋がある。
 (橋の名前なんていうんだろう?ネットの地図に名前が・・・)

 また苦手な階段を下りていく。清めの手洗いになんやらと年の集団が。一緒になると、仲間と間違えられるぅ。

 橋を渡るが、日が翳ってちょっと冷たいなぁ。歩けば暖かくなるだろうが。
 
 左が宇治川上流、ダムからの放流なのか、白く見えるところがある。背景のあまり色は言いといえない紅葉と、赤い橋と、天気がよく紅葉がきれいならいい絵になるんだけどなぁ。。。






第10回 <== 第11回 ==> 第12回


  

Posted by 生田 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)京都

2008年12月04日

宇治・平等院・宇治橋

 40分に一本の京阪バス。これに乗り遅れると地下鉄の石田まで歩かねばならない。そんなのいやだぁから、ちゃんと時刻にはバス停に来ていた。ほんの少し早かったので、居合わせたこのあたりにお住まいのお年を召した女性とお話をする。
 この近辺の最近の変わりようの速さを嘆いておられた。そして、紅葉の色の悪さも。
 住宅がどんどん山に上がってくる。そのうちに今は山の中の『方丈庵』は住宅の中になったりするかもなぁ。。。

 バスは、石田で左折して新奈良街道を南下してJR六地蔵に突き当たる。そして、コチョコチョと裏道を走って京阪六地蔵にいたる。JRと京阪は川を挟んでいる。

 京阪でいつもは反対の中書島にいくのだが、今日は『宇治』に向かう。うじまで200円。JRとの競合区間ゆえに安いのか?
 
 終点『宇治』駅。
 この駅の柱にトイレの案内が。『外に出るとトイレありません』と、中で済ませていけとのこと。指示に従って済ませていったが正解。外はそれなりの気温で、平等院までの歩きの途中で催すとちょっと困ることになる。どこかの店に駆け込めばすみそうだが、そんなわけにも行かないことも。

 宇治橋、車の量が多い。昔はこんなではなかったが、京滋バイパスのせいだろうか?とは言うものの、ここにくるのは何十年ぶりだから、変わっているのは当然。







第8回<== 第9回 ==> 第10回

  

Posted by 生田 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)京都

2008年12月03日

京都・日野 日野家廟所

 日野誕生院(親鸞誕生の地といわれる所に作った別院)に来るのは、参拝が目的ではない。理由は、ここはあくまでも、昭和の時代になって、西本願寺が勝手に作ったものなのだから、私の親鸞に対する思い入れからすると性に会わない。
 ではなぜ。簡単、春は桜、秋は紅葉がきれいだから、ただそれだけのこと。それと、この下がバスの終点で、待合の座るところが有るというのも理由の一つかな。





 この誕生院の北、少し上ったところに荒れた墓所のようなものがある。
 写真がその墓所で、日野家の墓といわれており、いわれでは親鸞の母親『吉光女』のものも有るという。どうかぁ???
 訪れる人も少ないようだし、管理もまともにされている様子もなく、ただ入り口の鎖がむなしく入るのを拒んでいる。本当は中に入ってみたいのだが・・・・




 バスの時間まではそんなにない。一瞬終点ではなく、2つ先のバス停まで歩こうかとも思ったが、乗り遅れたら大変なのであきらめ終点に引き返した。


第7回<== 第8回 ==> 第9回

  

Posted by 生田 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)京都

2008年12月02日

京都・日野 誕生院

 阿弥陀さんのお顔を拝見して、帰ろうとしたら、出入り口にいつもとなんとなく違う張り紙が。消火栓などを買う資金の援助を書かれている。
 これまで何度となくご住職と話をしているが、国宝の阿弥陀堂と阿弥陀仏を抱えてはいるものの、観光寺ではなく、国からの援助金では維持が大変だと聞いている。
 私は、どちらかというと、けちといわれるかもしれないが『寄付』というものをする習慣を持っていない。これにはそれなりのいわれがあるが、理解してもらうのが大変。
 
 なんか、この日は寄付しなければという気持ちになって、先に寄付の記帳を済ませて受付に立ち寄り、ブザーでご住職を呼び出して、寄付金をお渡しした。少しでもお役に立ち、阿弥陀仏が守られることを祈って。

 法界寺を出る。
 東京からのご夫婦は、右手帰りの方向をとられた。私は次のバスに乗るまでの時間東にある『日野誕生院』と『日野家廟所』を訪ねるべく歩いていく。





 途中、左側には以前ご紹介した、親鸞幼少の遊び姿(こんなの嘘っぱち)のある幼稚園をとおり、品のない看板の『誕生院』についた。

 ここは、本当にうそで固められたといっても過言でないだろう。幼稚園の中には『親鸞産湯の井戸』なるものもあり、『誕生院』そのものが『親鸞の誕生地』と誰が決めたのか知らないがそんなものはない。あえて書くなら法界寺が誕生の地としてもいいのだが。
 この幼稚園の誕生院は、西本願寺の管理、誕生院は西本願寺別院となっている。

 親鸞は、寺を持たない主義といわれている。なのに京都にはとんでもないでかいお寺が2つもあって、そのほかにも本山といわれるものがいくつか存在する。悲しい。

 紅葉は、色が悪い。年々悪くなると土地の人が。




親鸞誕生の地の石碑



第6回<== 第7回 ==> 第7回

  

Posted by 生田 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)京都

2008年12月01日

京都・日野 法界寺 3


左前方が阿弥陀堂



 写真をとりあえず撮って、受付で拝観をお願いする。

 毎度のことですが、どなたもおいでにならない。受付の前に立つと、チャイムがなるのだが、今日はなぜかならない。ん??時折あることなのだが。致し方ないのでインターフォンのブザーを押して呼び出すことに。(国宝がある寺で、こういうのも珍しいのです)

 ご住職が出ておいでになった。拝観料をお支払いして、阿弥陀堂を開けていただく。もう顔はわかっているから、阿弥陀道に私を残して母屋のほうに。
 私もなれたもので、阿弥陀仏の前に座って、まずは合唱して拝顔することを知らせ、その後で、じっくりとお顔を眺める。いつもいつもこの丸いお顔にはほっとした気分になる。

 今回は、何を思ったのか横顔をじっと見たくなった。横に移動してじっくりと拝見。あぁ、いい形をされている。もうかなりな回数見ているのに、こんなに横顔のバランスのよさに今頃気づくとは。
 残念ながら、阿弥陀仏は私のブログには掲載できません。法界寺


 とここで、東京からおいでになったご夫婦が阿弥陀堂に入ってこられた。


第5回<== 第6回 ==> 第7回

  

Posted by 生田 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)京都

2008年11月30日

京都・日野 法界寺 2

 法界寺は、来るようになってもう10年近くなるだろうか?浄土真宗の法要で詠まれる『正信偈』に気づき、なぜ読まれるのか、何を親鸞が言おうとしてのかに興味を持ちおはじめ、親鸞の歩いたところをたずねていく中でであった寺であり、阿弥陀仏である。

 初めて訪れたときは、確かご住職の奥さんか、お母さんが受付におられたと思う。そして、ご住職の説明を聞いたと記憶しているが、もう遠くなった記憶である。
 それから毎年、最低1回、大体春と秋に訪れることが多い。何をするということもなく、ただただ目の前に鎮座する阿弥陀如来にに魅せられただけのことである。などと軽々しく言うのはどうかと自分でも思うが。

 ただ、数年前の秋に来たときに時期が本当によかったのかすばらしい情景を見せてもらった。しかし、今年は時期が悪かったのか、う~~というばかりである。(今年は心がけが悪かったと阿弥陀さんがいっている・・・ とでも?)
  

この写真は、昨年にも紹介したけれどとったのはモット前のはず。


それがそれが、今年は・・・





池にハスが植えられており、前の写真のように湖面に映るもが見えないのです。
うぅ~~ これも弥陀の計らいにて・・・・ 南無阿弥陀仏


第4回<== 第5回 ==> 第6回


   

Posted by 生田 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)京都
  
2015大津・京都の旅
1泊2日のドライブ旅行
2015北海道・道東の旅
1週間870kmのドライブ旅行
大学OB会と
50年ぶりの鎌倉
OB会の後に鎌倉と横浜に行ってきました
15年年頭 広島宿泊の旅
鞆の浦、竹原、宮島に行きました
14年秋 京都宿泊の旅
久しぶりに新幹線に乗りましたが・・・
13年秋 京都ドライブ旅
京都の紅葉の名所・毘沙門堂に行きました
12年秋 室生寺ドライブ旅
すてきな観音様と再会です
室生寺五重塔
12年秋 京都ドライブ旅
1年ぶりの京都です
三千院
10年秋 平泉ドライブ旅
4泊5日 2000キロの一人旅です
平泉・わんこそば
   
10年夏 室生寺 日帰り旅
素晴らしい観音さんに出会いました
室生寺・五重塔
10年初夏 宇治・長岡 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに黄檗山満福寺・六地蔵・法界寺谷寺・長岡天神
布袋さん
09年秋京都 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに 紅葉がきれいな京都
南禅寺の紅葉
08年秋京都 日帰り旅
08年11月25日貧乏・一人・日帰り旅の記録です。
鳳凰堂を望む
観光シーズン 京都の歩き方
京都市・地下鉄 東西線沿線
09年浅草と川越
浅草観音
07年信州の旅
上田城内
アクセスカウンタ
プロフィール
生田
生田
 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
オーナーへメッセージ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。 解除は→こちら
現在の読者数 24人
※カテゴリー別のRSSです。
QRコード
QRCODE