2008年11月26日
京都・秋の日帰り旅行 行程
最初に書いて置けばよかったと反省
今回の京都への行程を
1:自宅~バス停
2:バス停~地下鉄駅
3地下鉄駅~金山
4:JR金山(8:37)~大垣~米原~山科 11:08
**金山は、予定より15分早いのに乗ってしまった)
5:地下鉄 山科~石田
6:石田~日野風呂町 徒歩 15分くらい
7:昼食 高波というソバなどの店
8:法界寺参拝と界隈散策
9:京阪バス 日野誕生院~京阪六地蔵
10:京阪六地蔵~京阪宇治
11:観月橋などを渡り平等院へ
12:平等院参拝
13:門前町を通過してJR宇治
14:JR宇治~京都~米原~大垣~金山
15:朝の逆
家を出てから、帰り着くのに12時間
今回の京都への行程を
1:自宅~バス停
2:バス停~地下鉄駅
3地下鉄駅~金山
4:JR金山(8:37)~大垣~米原~山科 11:08
**金山は、予定より15分早いのに乗ってしまった)
5:地下鉄 山科~石田
6:石田~日野風呂町 徒歩 15分くらい
7:昼食 高波というソバなどの店
8:法界寺参拝と界隈散策
9:京阪バス 日野誕生院~京阪六地蔵
10:京阪六地蔵~京阪宇治
11:観月橋などを渡り平等院へ
12:平等院参拝
13:門前町を通過してJR宇治
14:JR宇治~京都~米原~大垣~金山
15:朝の逆
家を出てから、帰り着くのに12時間
行程 ==>第1回
2008年11月25日
無事 京都から帰還
8時少し前に帰宅
午前8時過ぎに出ているので約12時間。そのうち3分の2の8時間近くが電車の移動時間。(これは、東海道線と名古屋のバスと地下鉄、京都の地下鉄とJRの都路線と京阪バスと京阪電車)
でも、4時間を法界寺とその周辺と、平等院の周辺を歩き回りました。
写真は、法界寺の境内です。
また、明日当たりから、写真と旅行記を連載する予定です。
2008年11月14日
2008年04月24日
久しぶりの六角堂の屋根
4月19日土曜日、
山科の南、日野の法界寺からバスで地下鉄石田に移動。
地下鉄で、烏丸御池まで。
ここから歩いて 姉小路、三条そしてその次の六角堂通りまで下る。この通りをはさんで南北にイケバナの池坊の総本山がある。そして、この六角堂(正式には頂法寺)はイケバナの発祥の地という。
そんなことを知らずに始めておとすれたときは、「何で女の人が多いの?」とばかりに不思議な気持ちだった。今回は、お客さんと同行。京都をおまり見たことがないとのことなので、私の行くところでよければということでお連れした。そのお連れするときの殺し文句『京都のへそ石見に行きませんか?』
これが功をそうしたのか、やってきました。
うわぁ・・・・オバサン(失礼、おじさんが言うことではないのか?)がいっぱいやぁ。。。いつもより多いでぇ。男あんまりいてへんがな。なんやら、池坊のイベントに巻き込まれたらしい。
六角堂という名前は、本堂の屋根の形が六角であることからついた呼び名。と転がしたから見たのではなかなか分からない。上から見るに限るのだが、さてどこから見るのか?
頂法寺の西、烏丸通りに面した池坊のビルの上のほうから見ることが出来る。ただし、見ることが可能なのは、エレベータの中だけ。まだは見ること出来ない。そのエレベータも3機あるうちの1機のみ。エレベータに向かって3機のうち一番左の物だけです。これに乗り込んで、上下する間に見なければならない。写真撮るなら、もう連続撮影できる物でシャッターを折り続けることが肝要。
山科の南、日野の法界寺からバスで地下鉄石田に移動。
地下鉄で、烏丸御池まで。
ここから歩いて 姉小路、三条そしてその次の六角堂通りまで下る。この通りをはさんで南北にイケバナの池坊の総本山がある。そして、この六角堂(正式には頂法寺)はイケバナの発祥の地という。
そんなことを知らずに始めておとすれたときは、「何で女の人が多いの?」とばかりに不思議な気持ちだった。今回は、お客さんと同行。京都をおまり見たことがないとのことなので、私の行くところでよければということでお連れした。そのお連れするときの殺し文句『京都のへそ石見に行きませんか?』
これが功をそうしたのか、やってきました。
うわぁ・・・・オバサン(失礼、おじさんが言うことではないのか?)がいっぱいやぁ。。。いつもより多いでぇ。男あんまりいてへんがな。なんやら、池坊のイベントに巻き込まれたらしい。
六角堂という名前は、本堂の屋根の形が六角であることからついた呼び名。と転がしたから見たのではなかなか分からない。上から見るに限るのだが、さてどこから見るのか?
頂法寺の西、烏丸通りに面した池坊のビルの上のほうから見ることが出来る。ただし、見ることが可能なのは、エレベータの中だけ。まだは見ること出来ない。そのエレベータも3機あるうちの1機のみ。エレベータに向かって3機のうち一番左の物だけです。これに乗り込んで、上下する間に見なければならない。写真撮るなら、もう連続撮影できる物でシャッターを折り続けることが肝要。
2008年04月23日
清明神社と一条戻り橋
今は、コミック?や映画やドラマで有名になったので多くの方がご存知、陰陽師・安倍清明を祀る神社、清明神社を訪れた。今回で4回目になる。
最初に訪れたときは、ドラマがヒットした直後だったか、神社は昔のままの古い様子だったのだが、2回目のときに改装が始まり、3回目のときは本殿はそのままだったが「占い=相談」をする社務所はきれいなものに建て変わっていた。そして、最初の頃にはなかった駐車場も出来、しかもそれが有料になってしまったのだ。
さて、本題。
清明神社の堀川沿いの鳥居を入ると左手に「戻り橋」という橋がある。本当の『戻り橋』は神社の南東にあるのだが、なぜかここにもミニチュアといった印象の橋が作られている。(実はこの橋も3回目に訪れたときにはなかったぞ・・)その橋の横に下の写真のように妖怪がいる。
なぜこうした図になるのか。安倍清明はおんみょぷじで妖怪などを自由に扱うことが出来たのであり、その妖怪は『一条戻り橋』の下で飼われていたのである。
私は某業界では妖怪扱いであり、私の本当の棲家は「一条戻り橋」ということになっている。もしお行きになられたら、妖怪を見てやってください。(私、こんなに可愛くないですが)
今回の訪問では、清明神社では桜がかすかに残っていた。
最初に訪れたときは、ドラマがヒットした直後だったか、神社は昔のままの古い様子だったのだが、2回目のときに改装が始まり、3回目のときは本殿はそのままだったが「占い=相談」をする社務所はきれいなものに建て変わっていた。そして、最初の頃にはなかった駐車場も出来、しかもそれが有料になってしまったのだ。
さて、本題。
清明神社の堀川沿いの鳥居を入ると左手に「戻り橋」という橋がある。本当の『戻り橋』は神社の南東にあるのだが、なぜかここにもミニチュアといった印象の橋が作られている。(実はこの橋も3回目に訪れたときにはなかったぞ・・)その橋の横に下の写真のように妖怪がいる。
なぜこうした図になるのか。安倍清明はおんみょぷじで妖怪などを自由に扱うことが出来たのであり、その妖怪は『一条戻り橋』の下で飼われていたのである。
私は某業界では妖怪扱いであり、私の本当の棲家は「一条戻り橋」ということになっている。もしお行きになられたら、妖怪を見てやってください。(私、こんなに可愛くないですが)
今回の訪問では、清明神社では桜がかすかに残っていた。
2008年04月22日
バスの中のメイワク携帯
先週土曜日、京都の市バスに乗っていた。
清明神社を拝観した後、堀川今出川の北西にあるお菓子屋さんに行って、そして堀川今出川のバス停から京都駅行きの市バスに乗車した。
空いた席があったので座らせてもらった直後に携帯電話がなる。呼び出し音が私と同じ。困ったと思いながら電話を取り出したものの、私の携帯は呼び出されていない。つと前を見ると女性のバッグの中でなっているようだ。
その女性、ちょっとしたタイムラグの後に携帯を取り出して、怒鳴り始めたのだ。
関西弁で読んでください。
「しつこいわ。悪いのあんたやろ?迷惑やわ・・・・」
と、この後延々と怒鳴り続けている。そして一旦きったのだが。
すぐにまたベルが鳴る。この女性、すぐに携帯で怒鳴り始めた。
「しつこいわ。悪いのあんたやろ?迷惑やわ・・・・」
同じことを繰り返している。
迷惑なのはこっちやでぇ。大きな声で、狭いちょっと込み合っているバスの中で、何や知らんけど一方的に怒鳴っている。しかも、運転手の横やでぇ。
迷惑やったら、携帯がなっても出んとけばええやん。
またひと喚きの後、携帯をきった。 しかしまた携帯鳴り出した。
「出んとけばええやん」
という、私の声が聞こえたのか、今度は、携帯を開いて、すぐにきったよ。
そんなら、最初からそうしときなはれ!!!!
バスは、二条城の前でした。
清明神社を拝観した後、堀川今出川の北西にあるお菓子屋さんに行って、そして堀川今出川のバス停から京都駅行きの市バスに乗車した。
空いた席があったので座らせてもらった直後に携帯電話がなる。呼び出し音が私と同じ。困ったと思いながら電話を取り出したものの、私の携帯は呼び出されていない。つと前を見ると女性のバッグの中でなっているようだ。
その女性、ちょっとしたタイムラグの後に携帯を取り出して、怒鳴り始めたのだ。
関西弁で読んでください。
「しつこいわ。悪いのあんたやろ?迷惑やわ・・・・」
と、この後延々と怒鳴り続けている。そして一旦きったのだが。
すぐにまたベルが鳴る。この女性、すぐに携帯で怒鳴り始めた。
「しつこいわ。悪いのあんたやろ?迷惑やわ・・・・」
同じことを繰り返している。
迷惑なのはこっちやでぇ。大きな声で、狭いちょっと込み合っているバスの中で、何や知らんけど一方的に怒鳴っている。しかも、運転手の横やでぇ。
迷惑やったら、携帯がなっても出んとけばええやん。
またひと喚きの後、携帯をきった。 しかしまた携帯鳴り出した。
「出んとけばええやん」
という、私の声が聞こえたのか、今度は、携帯を開いて、すぐにきったよ。
そんなら、最初からそうしときなはれ!!!!
バスは、二条城の前でした。
2008年04月22日
親鸞ゆかりの幼稚園
4月19日土曜日、京都山科区の日野の法界寺に行く。
ここで、前に書いたように大好きな仏さん(阿弥陀如来)を拝観し、その後『日野誕生院』に向かう。
この『日野』というところは、親鸞の生誕地といわれている。といっても、私は全く信用していない。私は、親鸞は京都の中心地で生まれて、死んだと思っているから。
私の思いとは無関係に、この法界寺の隣には、まことしやかに『親鸞産湯の井戸』なるものがある幼稚園がある。右の写真は、その幼稚園にある「鯉のぼり」だが、その下のほうになんか黒いものがあるが、なにかお分かりだろうか? 知る人ぞ知る、なんと、親鸞後幼少の裸で遊ぶ姿とのことだ。
大体が、ここで生まれてたことが疑わしいから、産湯の井戸があるのも変だし、遊ぶ姿があるんもねぇ・・・・
この幼稚園の東の山手には、「日野誕生院」という、一見お寺のような建物がある。秋になると紅葉できれいなところだが、親鸞幼少の姿の銅像があったり、うん、まぁ、どなたがこういうものを診て慶ばれるのかは知らないが。
もうじき『親鸞誕生際』という行事が行われる。このときばかりは、この日野の界隈は観光バスがドット来るということである。
『日野誕生院』は、西本願寺の管理する施設。親鸞を開祖と奉る宗教団体だが、もっと真実を檀家さんに教えてほしいものと思うよなぁ。もう数年すると「親鸞聖人750年大遠忌」が催されることになっている。これは、浄土真宗全宗派が合同で行う行事だが、そのために東西本願寺を始め、各地にある本山といわれる寺が大改修を行っているか行った。
確かに、偉大な宗教家である親鸞の大遠忌ではあるが、そのためにどれだけの檀家が寄付を求められているか。寺だけが大きくなり、親鸞本人の教えとは異なる方向に向いてしまっている真宗である。
なんとなく、寂しい,侘しい、空しい、そんな気分になる鯉のぼりだった。
ここで、前に書いたように大好きな仏さん(阿弥陀如来)を拝観し、その後『日野誕生院』に向かう。
この『日野』というところは、親鸞の生誕地といわれている。といっても、私は全く信用していない。私は、親鸞は京都の中心地で生まれて、死んだと思っているから。
私の思いとは無関係に、この法界寺の隣には、まことしやかに『親鸞産湯の井戸』なるものがある幼稚園がある。右の写真は、その幼稚園にある「鯉のぼり」だが、その下のほうになんか黒いものがあるが、なにかお分かりだろうか? 知る人ぞ知る、なんと、親鸞後幼少の裸で遊ぶ姿とのことだ。
大体が、ここで生まれてたことが疑わしいから、産湯の井戸があるのも変だし、遊ぶ姿があるんもねぇ・・・・
この幼稚園の東の山手には、「日野誕生院」という、一見お寺のような建物がある。秋になると紅葉できれいなところだが、親鸞幼少の姿の銅像があったり、うん、まぁ、どなたがこういうものを診て慶ばれるのかは知らないが。
もうじき『親鸞誕生際』という行事が行われる。このときばかりは、この日野の界隈は観光バスがドット来るということである。
『日野誕生院』は、西本願寺の管理する施設。親鸞を開祖と奉る宗教団体だが、もっと真実を檀家さんに教えてほしいものと思うよなぁ。もう数年すると「親鸞聖人750年大遠忌」が催されることになっている。これは、浄土真宗全宗派が合同で行う行事だが、そのために東西本願寺を始め、各地にある本山といわれる寺が大改修を行っているか行った。
確かに、偉大な宗教家である親鸞の大遠忌ではあるが、そのためにどれだけの檀家が寄付を求められているか。寺だけが大きくなり、親鸞本人の教えとは異なる方向に向いてしまっている真宗である。
なんとなく、寂しい,侘しい、空しい、そんな気分になる鯉のぼりだった。
2008年04月20日
京都の地下鉄の延伸
昨日京都の地下鉄に1年ぶりで乗車。
日野・法界寺の寺参りのあと、バスで地下鉄『石田駅』まで来て、石田から東西線に乗る。
(「東西線」という名前にもかかわらず、『六地蔵』から『山科』までは完全に方向は『南北』なのだ。)
毎度のことなので乗る駅のことはなんとも変化があるわけではないが、切符を買う段になって『ん??』、なんか違う。経路図に知らない駅の名前が2つ有る。『二条駅』(JR二条駅の地下)までが、これまでの乗車区間だったが、どうもこの1年の間に延伸したらしい。二条から西に、「西大路御池」と「太秦天神川」の2駅が加わっている。つまりは、御池通りを西に地下鉄が延びたのである。
『太秦天神川』という名前から、ひょっとしたら弥勒菩薩で有名な広隆寺のある『太秦』の近くかと思った。ということであれば京都の寺をめぐる人には朗報の延伸ということになる。
南の駅から私のわかる範囲で、駅とその周辺の寺を紹介。
1:六地蔵
近くに『黄檗産万福寺』『六地蔵』があり、京阪やJR に乗り換えれば『宇治・平等院』ににもいける。
2:石田
私が今回も訪れた『日野・法界寺』がある。
3:醍醐
ここは言わずと知れた『醍醐寺』のための駅といえるだろう。
**醍醐と石田の間には、「一言寺」などもある
4:小野
小野小町ゆかりで梅園で有名な『隋心院』や地下鉄をはさんで反対西側には「勧修寺」がある。勧修寺の効用はきれいでしたよ。
5:椥辻,6:東野、7:山科
この間は、残念ながら私の知る寺はない
ただ、東野には昔、蓮如の起した「山科本願寺」があったと聞く
8:蹴上
北に南禅寺、永観堂、哲学の道を経由して 法然院、銀閣寺にいたる
9:東山
北には『平安神宮』、南には『青蓮院』『知恩院』円山公園を経由して『高台寺』清水寺』
10:京阪三条
鴨川の東岸なので、南に下れば祇園から『建仁寺』さらに下れば『六波羅蜜寺』などなど
11:京都市役所
御池通りの京都市役所下。すぐ南には『本能寺』。ただし、この本能寺は信長や討ち死にした寺ではない。寺町筋を南に下れば、大小寺がたくさんある。
12:烏丸御池
烏丸通りを南に2本下ると、池坊のお膝元、そのいけばな発祥の言われ、そして親鸞が「女犯偈」を授かった寺『六角堂』がある。
13:二条城前
文字通り『二条城』の前である。それに意外と知られていないものに、昔貴族が舟遊びをしたといわれる池のある『神泉苑』ものこの近くにある。清明神社に行くのなら、ここで市バスに乗り換え。
14:JR二条駅
この二条駅の上、JR二条駅の東の南北の通りが「千本通り」で、平安京(いまの京都ではなく)当時のk都の東西中央の南北のメインストリートである。
**ここまでが過去の東西線**この先、西には私はまだ乗車していない**
15:西大路御池
残念ながら、この近辺にある寺は私は分からない。ただ、この西大路を北に行けば、『北野天満宮』『平野神社』『金閣寺』にバスで行くことができる。
16:太秦天神川
『太秦』の土地から『広隆寺』を想像したが、残念ながら少し離れていて、歩かねばならない。といても、10分も歩けばいいのではないだろうか?
と、これだけの寺を沿線に抱える地下鉄東西線である。
新幹線ならば、京都駅から北へ烏丸御池まで行き、そこで乗換え。在来線ならば山科、もしくは二条、ここに書いたよう通りに移動するならJE奈良線『六地蔵』で乗り換えます。
日野・法界寺の寺参りのあと、バスで地下鉄『石田駅』まで来て、石田から東西線に乗る。
(「東西線」という名前にもかかわらず、『六地蔵』から『山科』までは完全に方向は『南北』なのだ。)
毎度のことなので乗る駅のことはなんとも変化があるわけではないが、切符を買う段になって『ん??』、なんか違う。経路図に知らない駅の名前が2つ有る。『二条駅』(JR二条駅の地下)までが、これまでの乗車区間だったが、どうもこの1年の間に延伸したらしい。二条から西に、「西大路御池」と「太秦天神川」の2駅が加わっている。つまりは、御池通りを西に地下鉄が延びたのである。
『太秦天神川』という名前から、ひょっとしたら弥勒菩薩で有名な広隆寺のある『太秦』の近くかと思った。ということであれば京都の寺をめぐる人には朗報の延伸ということになる。
南の駅から私のわかる範囲で、駅とその周辺の寺を紹介。
1:六地蔵
近くに『黄檗産万福寺』『六地蔵』があり、京阪やJR に乗り換えれば『宇治・平等院』ににもいける。
2:石田
私が今回も訪れた『日野・法界寺』がある。
3:醍醐
ここは言わずと知れた『醍醐寺』のための駅といえるだろう。
**醍醐と石田の間には、「一言寺」などもある
4:小野
小野小町ゆかりで梅園で有名な『隋心院』や地下鉄をはさんで反対西側には「勧修寺」がある。勧修寺の効用はきれいでしたよ。
5:椥辻,6:東野、7:山科
この間は、残念ながら私の知る寺はない
ただ、東野には昔、蓮如の起した「山科本願寺」があったと聞く
8:蹴上
北に南禅寺、永観堂、哲学の道を経由して 法然院、銀閣寺にいたる
9:東山
北には『平安神宮』、南には『青蓮院』『知恩院』円山公園を経由して『高台寺』清水寺』
10:京阪三条
鴨川の東岸なので、南に下れば祇園から『建仁寺』さらに下れば『六波羅蜜寺』などなど
11:京都市役所
御池通りの京都市役所下。すぐ南には『本能寺』。ただし、この本能寺は信長や討ち死にした寺ではない。寺町筋を南に下れば、大小寺がたくさんある。
12:烏丸御池
烏丸通りを南に2本下ると、池坊のお膝元、そのいけばな発祥の言われ、そして親鸞が「女犯偈」を授かった寺『六角堂』がある。
13:二条城前
文字通り『二条城』の前である。それに意外と知られていないものに、昔貴族が舟遊びをしたといわれる池のある『神泉苑』ものこの近くにある。清明神社に行くのなら、ここで市バスに乗り換え。
14:JR二条駅
この二条駅の上、JR二条駅の東の南北の通りが「千本通り」で、平安京(いまの京都ではなく)当時のk都の東西中央の南北のメインストリートである。
**ここまでが過去の東西線**この先、西には私はまだ乗車していない**
15:西大路御池
残念ながら、この近辺にある寺は私は分からない。ただ、この西大路を北に行けば、『北野天満宮』『平野神社』『金閣寺』にバスで行くことができる。
16:太秦天神川
『太秦』の土地から『広隆寺』を想像したが、残念ながら少し離れていて、歩かねばならない。といても、10分も歩けばいいのではないだろうか?
と、これだけの寺を沿線に抱える地下鉄東西線である。
新幹線ならば、京都駅から北へ烏丸御池まで行き、そこで乗換え。在来線ならば山科、もしくは二条、ここに書いたよう通りに移動するならJE奈良線『六地蔵』で乗り換えます。
2008年04月19日
京都を歩く08年4月 その1
昨夜は、私のお客さんと京都宿泊。
朝、おきて近くの安い食堂でうどんの朝食。(洋食がない・・・)
京阪本線で五条から中書島へ、中書島で宇治線に乗り換えて六地蔵まで行く。乗換え時間3分。厳しい・・・ と思っていたらバスが少し遅れてきてくれた。乗り遅れたら40分待たねばならなかったから、助かったヨォ。京阪バスで、毎度の寺参りのために「日野薬師」で降車。
いつものように境内に入る。4月のこの時期に来るのは初めてだ。新緑が出始めている。しかし、なんとなく木々の色が中途半端。
拝観料を払って、中に入る。今日は珍しく他の拝観者がお二人いる。こちらもお客さんを連れているので、合計4人。しばらくのタイムラグがあって五十色がおいでになり、説明を聞く。何度も聞いているが、そのたびに、耳に残る言葉が異なる。
背景の山々も新芽が出始めて入るものの、マダマダその勢いは山全体の数分の一といったところ。だから、山々の暗い色の中に白っぽい色がまだらに見える。
これは、今日の天気が、雨上がり、そして上がったものの空はまだ晴れきっていないという天気のせいもある。
**
さて今回の京都を歩きは、また数回に分けて連載の予定です。
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朝、おきて近くの安い食堂でうどんの朝食。(洋食がない・・・)
京阪本線で五条から中書島へ、中書島で宇治線に乗り換えて六地蔵まで行く。乗換え時間3分。厳しい・・・ と思っていたらバスが少し遅れてきてくれた。乗り遅れたら40分待たねばならなかったから、助かったヨォ。京阪バスで、毎度の寺参りのために「日野薬師」で降車。
いつものように境内に入る。4月のこの時期に来るのは初めてだ。新緑が出始めている。しかし、なんとなく木々の色が中途半端。
拝観料を払って、中に入る。今日は珍しく他の拝観者がお二人いる。こちらもお客さんを連れているので、合計4人。しばらくのタイムラグがあって五十色がおいでになり、説明を聞く。何度も聞いているが、そのたびに、耳に残る言葉が異なる。
背景の山々も新芽が出始めて入るものの、マダマダその勢いは山全体の数分の一といったところ。だから、山々の暗い色の中に白っぽい色がまだらに見える。
これは、今日の天気が、雨上がり、そして上がったものの空はまだ晴れきっていないという天気のせいもある。
**
さて今回の京都を歩きは、また数回に分けて連載の予定です。
**
2008年01月30日
京都08年 日帰り旅 17 知恩院・友禅苑 1
方丈庭園、本当に方丈だけのつもりで入って、あんな高いところにまた上るとは思ってもいなかった。だんだん腿が張ってきたよ。
さて、方丈庭園とセットになっている友禅苑に向かう。
友禅苑は、三門の南になるから、またまた坂を降りて行かねばならないのだ。あの男坂の階段はおそらく見たらまた怖くなるだろうから、女坂(女人坂)を下っていく。ほとんどの人がこの坂を降りていく。男坂を降りる人はいないなぁ。御影堂の北側が工事中で通行できないが、通行できればそちらから崇泰院、青蓮院のほうに下りることもできる。
降りる前に、おなかが空いたので、何か温かい食べるものはないかと売店に足を運んだのだが、ここの売店は食事が出来ない。みやげ物だけなのねぇ。。そういうのに出くわすと、余計に腹が減ったような気分になる。
女坂を折りきり、左に折れて、友禅苑の入り口で切符を渡し版権をきってもらう。
数年前に、学生たちと秋の拝観で夜に来たことがある。入場料500円払って、ここに入ったが、なんだかつまらない庭園だった記憶だ。昼はどうなのかと、切符がセットでもある市ということで入ったのだが。
本来なら、ここは解放されてもいいのではないかと思う。最近の京都の寺院は何かと囲い込んで拝観料をせびる。本当にせびるという言葉が似合うほど金を取るのだ。それなりに管理費用がかかるだろうが、もう少し開放的にしてほしいものだ。本来寺は人が自然と集まるように配慮して作られたもののはずなのだがねぇ。。
入り口を入ると池、石橋があり、池の中に聖観音像がある。この聖観音像は高村光雲の作とのこと。つまり新しいのだ。しかし、どうして、知恩院は、阿弥陀さんではないのだ?菩薩は脇侍として阿弥陀の横に立っているのはわかるのだが、単独でとなるとやはり宗派に対する疑問が頭に出てくる。やはり、浄土宗と浄土真宗ではこの点に大きな違いがあるように思える。
こんな高いところでしかもちょっと遠いのだよねぇ。衆生を見守っているということなのかもしれないが、人から遠い仏たちだと思う。
入り口の門を入った正面にある石橋
さて、方丈庭園とセットになっている友禅苑に向かう。
友禅苑は、三門の南になるから、またまた坂を降りて行かねばならないのだ。あの男坂の階段はおそらく見たらまた怖くなるだろうから、女坂(女人坂)を下っていく。ほとんどの人がこの坂を降りていく。男坂を降りる人はいないなぁ。御影堂の北側が工事中で通行できないが、通行できればそちらから崇泰院、青蓮院のほうに下りることもできる。
降りる前に、おなかが空いたので、何か温かい食べるものはないかと売店に足を運んだのだが、ここの売店は食事が出来ない。みやげ物だけなのねぇ。。そういうのに出くわすと、余計に腹が減ったような気分になる。
女坂を折りきり、左に折れて、友禅苑の入り口で切符を渡し版権をきってもらう。
数年前に、学生たちと秋の拝観で夜に来たことがある。入場料500円払って、ここに入ったが、なんだかつまらない庭園だった記憶だ。昼はどうなのかと、切符がセットでもある市ということで入ったのだが。
本来なら、ここは解放されてもいいのではないかと思う。最近の京都の寺院は何かと囲い込んで拝観料をせびる。本当にせびるという言葉が似合うほど金を取るのだ。それなりに管理費用がかかるだろうが、もう少し開放的にしてほしいものだ。本来寺は人が自然と集まるように配慮して作られたもののはずなのだがねぇ。。
入り口を入ると池、石橋があり、池の中に聖観音像がある。この聖観音像は高村光雲の作とのこと。つまり新しいのだ。しかし、どうして、知恩院は、阿弥陀さんではないのだ?菩薩は脇侍として阿弥陀の横に立っているのはわかるのだが、単独でとなるとやはり宗派に対する疑問が頭に出てくる。やはり、浄土宗と浄土真宗ではこの点に大きな違いがあるように思える。
こんな高いところでしかもちょっと遠いのだよねぇ。衆生を見守っているということなのかもしれないが、人から遠い仏たちだと思う。
入り口の門を入った正面にある石橋
2008年01月29日
京都08年 日帰り旅 16 知恩院・方丈庭園 2
方丈の庭の池の周りを一通り、それと少し奥まで行って徳川家湯けりの建物を見て。
元にもどっると、今度は東側山に上がっていくように順路が書かれている。上に上がったら何があるのか、予備知識を持たないで入った。だから『上るか』と、桃の筋肉が張っているにもかかわらずがんばってしまった。
かわいい女の子を連れた親子ずれが私を追い越していく。途中で記念写真を撮っておいでなのだが、3人揃って取りたいのは山々だろうが、三脚はお持ちではないようだ。「お撮りしましょうか?」と声をかけると、笑顔が返ってきた。写真を撮ったあとのあの女のこの笑顔が忘れられない。
この日の私にはちょっときついのぼりだったが上りきった。何のことはない、さっき行った勢至堂の左下を通り、お墓の裏側に出たのだ。こんなことなら、上から入れてくれればいいのにと思う。
ついたところは「山亭」という庵かな? 見晴らしはいいですね。この日、天気がよければ京都の三条辺りがきれいに見渡せたのではないかと思う。何しろ重い雲ゆえに町がくすんで見えているから、絶景という感じがもてなかった。
京都市街を見る (知恩院の真西は、新京極です。)
さっき写真を撮った親子連れのご夫婦の会話がもれ聞こえてくる。どうもご主人は大学が教徒だったのではないかと思えるかいわだ。おそらく結婚されて始めて奥さんを京都に連れてこられ、そして昔の思い出を語っておられたのではないかと思う。唯、女の子が退屈そうだった。
山亭の庭
山亭から下りるとき(上るときも)の石畳
元にもどっると、今度は東側山に上がっていくように順路が書かれている。上に上がったら何があるのか、予備知識を持たないで入った。だから『上るか』と、桃の筋肉が張っているにもかかわらずがんばってしまった。
かわいい女の子を連れた親子ずれが私を追い越していく。途中で記念写真を撮っておいでなのだが、3人揃って取りたいのは山々だろうが、三脚はお持ちではないようだ。「お撮りしましょうか?」と声をかけると、笑顔が返ってきた。写真を撮ったあとのあの女のこの笑顔が忘れられない。
この日の私にはちょっときついのぼりだったが上りきった。何のことはない、さっき行った勢至堂の左下を通り、お墓の裏側に出たのだ。こんなことなら、上から入れてくれればいいのにと思う。
ついたところは「山亭」という庵かな? 見晴らしはいいですね。この日、天気がよければ京都の三条辺りがきれいに見渡せたのではないかと思う。何しろ重い雲ゆえに町がくすんで見えているから、絶景という感じがもてなかった。
京都市街を見る (知恩院の真西は、新京極です。)
さっき写真を撮った親子連れのご夫婦の会話がもれ聞こえてくる。どうもご主人は大学が教徒だったのではないかと思えるかいわだ。おそらく結婚されて始めて奥さんを京都に連れてこられ、そして昔の思い出を語っておられたのではないかと思う。唯、女の子が退屈そうだった。
山亭の庭
山亭から下りるとき(上るときも)の石畳
2008年01月28日
京都08年 日帰り旅 15 知恩院・方丈庭園 1
勢至堂をおりてきた。階段の最後を下りきり、その右にある方丈庭園に向かう。
本当は、この庭園を見るのなら秋が一番いいと思う。雪でも積もっていれば冬も見ものだとは思うのだが、今日は中途半端な散策になりそうだ。
入場券を買い求めた。そのときの係りは若い坊さんだ。彼に私が探している石橋のある場所の話をしたらかなり興味を持ったみたいだが、次に客が来たので途中で終わってしまった。もう少し話をしていたかったのだが。
その次に客だが、母親と子供2人。男の子が時間を気にしているので、私の腕時計を見せてあげた。言葉のイントネーションから関東、それも東京辺りの親子ではないかと思った。この親子としばらくの間同じ歩調に近く庭園を歩いた。(といってくっついていたわけではないョ)
庭園に入ってなんだか興味をそがれような気分。やはり、季節が違うのだろう。知恩院の庭はいつも期待を裏切られる。と、頭の中でぶつぶつ言いながら北に向かって歩いていき、そこでであったのが以前紹介した「梅モドキ」である。
行きがけに撮ったもの
帰りがけに撮ったもの
この季節の庭園は、緑の木があるにしても、なんとなくモノトーンのあまりコントラストの無いイメージしか残らなかったが、ただただこの『梅モドキ』の赤と『八朔』の黄色だけが印象に残されたというところか。
モノトーンに思えるのは、今日の天気にもよるいのかな?雪がちらつく重い雲の下だから、当然のごとく日は当たっていない。だから影がないから、コントラストがないわけか。。。。
しかし、京都の冬のイメージは、モノトーンだなぁ。。 過去の京都の思い出のシリーズで書いたときも、雪が舞ったのだった。そして今回も。一昨年隋心院の梅を見たときは雨だった。いや、その直前は雪だった。とまあ頭を巡らすと、私が冬に京都に来るときは、雪なんだよなぁ。アメオトコは、冬は雪になるのか、、、
3枚の写真 どれもくすんでるなぁ。。
本当は、この庭園を見るのなら秋が一番いいと思う。雪でも積もっていれば冬も見ものだとは思うのだが、今日は中途半端な散策になりそうだ。
入場券を買い求めた。そのときの係りは若い坊さんだ。彼に私が探している石橋のある場所の話をしたらかなり興味を持ったみたいだが、次に客が来たので途中で終わってしまった。もう少し話をしていたかったのだが。
その次に客だが、母親と子供2人。男の子が時間を気にしているので、私の腕時計を見せてあげた。言葉のイントネーションから関東、それも東京辺りの親子ではないかと思った。この親子としばらくの間同じ歩調に近く庭園を歩いた。(といってくっついていたわけではないョ)
庭園に入ってなんだか興味をそがれような気分。やはり、季節が違うのだろう。知恩院の庭はいつも期待を裏切られる。と、頭の中でぶつぶつ言いながら北に向かって歩いていき、そこでであったのが以前紹介した「梅モドキ」である。
行きがけに撮ったもの
帰りがけに撮ったもの
この季節の庭園は、緑の木があるにしても、なんとなくモノトーンのあまりコントラストの無いイメージしか残らなかったが、ただただこの『梅モドキ』の赤と『八朔』の黄色だけが印象に残されたというところか。
モノトーンに思えるのは、今日の天気にもよるいのかな?雪がちらつく重い雲の下だから、当然のごとく日は当たっていない。だから影がないから、コントラストがないわけか。。。。
しかし、京都の冬のイメージは、モノトーンだなぁ。。 過去の京都の思い出のシリーズで書いたときも、雪が舞ったのだった。そして今回も。一昨年隋心院の梅を見たときは雨だった。いや、その直前は雪だった。とまあ頭を巡らすと、私が冬に京都に来るときは、雪なんだよなぁ。アメオトコは、冬は雪になるのか、、、
3枚の写真 どれもくすんでるなぁ。。
2008年01月27日
京都08年 日帰り旅 14 知恩院・一心院
勢至堂を出て帰る道に行く。
勢至堂方南にある門を出ると、その正面にちょっとした塔頭がある。『一心院』とかかれている。だが、なんとなく人を拒んでいる雰囲気である。大体が寺というものは人を拒んではならないものなのだが、所によってはこうして立ち入りを拒否するところもある。
実は、この辺りかと思う思い出がありそれも探しているのだ。ある寺の建物の縁側でみんなが一休みしているのだが、その建物の東の山に向かって階段があり、その階段を駆け上がると墓地があったのだ。かなり急な階段だったが、走って上り下りする競争をそのときにした。
その思いがあるので、恐る恐る門をくぐった。左に観音様か何かがあったと思う。私と同じように勢至堂に行かれたご夫婦がお参りされている。そのため物の少し置くに入ると南のほうのおくが見渡せるので、足を踏み入れたのだが、塔頭の入り口に人が立ち、迷惑そうな顔をされている。
何か、文句でも言いそうな雰囲気なので、足早にそこを出た。お蔭で写真も何も撮れたものではない。記憶もあいまいになってしまった。
階段を下りていく。急ではないものの長いなぁ。。。長い坂は急な坂に見えやすいので、高所恐症の私にはきついところである。
御影堂に向かって下りていくのだが、こうしてみると御影堂の屋根が下のほうに見えるから、結構高いところにきているのだと自覚させられる。
写真を一枚、左にには一心院のものなのだろうか「八朔」の木に実がなっている。こんな季節になったのだ。もうみかんは終わりだ。
勢至堂方南にある門を出ると、その正面にちょっとした塔頭がある。『一心院』とかかれている。だが、なんとなく人を拒んでいる雰囲気である。大体が寺というものは人を拒んではならないものなのだが、所によってはこうして立ち入りを拒否するところもある。
実は、この辺りかと思う思い出がありそれも探しているのだ。ある寺の建物の縁側でみんなが一休みしているのだが、その建物の東の山に向かって階段があり、その階段を駆け上がると墓地があったのだ。かなり急な階段だったが、走って上り下りする競争をそのときにした。
その思いがあるので、恐る恐る門をくぐった。左に観音様か何かがあったと思う。私と同じように勢至堂に行かれたご夫婦がお参りされている。そのため物の少し置くに入ると南のほうのおくが見渡せるので、足を踏み入れたのだが、塔頭の入り口に人が立ち、迷惑そうな顔をされている。
何か、文句でも言いそうな雰囲気なので、足早にそこを出た。お蔭で写真も何も撮れたものではない。記憶もあいまいになってしまった。
階段を下りていく。急ではないものの長いなぁ。。。長い坂は急な坂に見えやすいので、高所恐症の私にはきついところである。
御影堂に向かって下りていくのだが、こうしてみると御影堂の屋根が下のほうに見えるから、結構高いところにきているのだと自覚させられる。
写真を一枚、左にには一心院のものなのだろうか「八朔」の木に実がなっている。こんな季節になったのだ。もうみかんは終わりだ。
2008年01月26日
京都08年 日帰り旅 13 知恩院・紫雲水
千姫の墓の後ろ(北側)には、『濡れ髪の祠」というのがある。寺を読んだだけでは、夏の夜、この祠の前に濡れ髪の女が両手緒をだらりとして出てきそうな雰囲気。
大体、お寺の境内に、しかも墓地に神社があること自体めちゃくちゃ話なのだが、江戸以前はまかり通っていた話だし、日本人(国民)はこういうことにはうるさくはない。(うるさい私は非国民かな?)
**神社は、基本的に墓は持たないと聞いてます。神社では『死は穢れ』とも**
お墓の中を行って帰って、どっちか言うと、好きじゃぁないんですね。霊魂を信じない私が、墓が苦手。矛盾しているようですが、先人の心の中のものが、なんとなくかぶさってくるような気がして。幽霊とか言うものではなくいてね。
元の勢至堂の前に戻った。この勢至堂の正面を向いて右側(東の山側)に『紫雲水』とかかれたものがある。法然上人がなくなったときは、紫雲がなびき、芳香がした、と、親鸞聖人も書いているように、昔々偉い人は亡くなると、阿弥陀さんが迎えに来て、紫の雲が流れて、いいにおいがしたということのようである。
その法然上人の死に水を取った泉水がこの『紫雲水』ということらしい。 ん~~~
まぁ。こうしたこのの信心は、お読みになる方にお任せします。
『紫雲』 という言葉は私の脳裏から離れない。
私が、小学校6年のときだったかと思う。当時、高松(香川県)~宇野(岡山県)は連絡船の運航だった。この連絡船の一つに『紫雲丸』というものがあった。最後の航海となったとき、大事故を起してしまった。衝突事故を起して、沈没したのである。死者を168名出している。私の頭の中には、そのときの現場写真、助けを求める人々の映った沈没していく紫雲丸の写真が脳裏に焼きついているのだ。
このときにこの事故を揶揄(本当にこうした気分で使われていたように記憶している)していったことが「紫雲丸=死運丸」だったのだ。船の命名が近くの山『紫雲山』ということなのだそうだが・・・・
日本人は、今でも結構あるようだが、語呂あわせで忌みする言葉を嫌う。「三切れ=身切れ、見切れ」「四=死」などは私の母親などは酷かった。そうした時代でありながら、使われた『紫雲、死運』なのである。
人が死んだら、紫の雲が流れる中で阿弥陀さんが迎えに来て(来迎) という、浄土信仰がなしたものだが、その一つがここに残っている。
大体、お寺の境内に、しかも墓地に神社があること自体めちゃくちゃ話なのだが、江戸以前はまかり通っていた話だし、日本人(国民)はこういうことにはうるさくはない。(うるさい私は非国民かな?)
**神社は、基本的に墓は持たないと聞いてます。神社では『死は穢れ』とも**
お墓の中を行って帰って、どっちか言うと、好きじゃぁないんですね。霊魂を信じない私が、墓が苦手。矛盾しているようですが、先人の心の中のものが、なんとなくかぶさってくるような気がして。幽霊とか言うものではなくいてね。
元の勢至堂の前に戻った。この勢至堂の正面を向いて右側(東の山側)に『紫雲水』とかかれたものがある。法然上人がなくなったときは、紫雲がなびき、芳香がした、と、親鸞聖人も書いているように、昔々偉い人は亡くなると、阿弥陀さんが迎えに来て、紫の雲が流れて、いいにおいがしたということのようである。
その法然上人の死に水を取った泉水がこの『紫雲水』ということらしい。 ん~~~
まぁ。こうしたこのの信心は、お読みになる方にお任せします。
『紫雲』 という言葉は私の脳裏から離れない。
私が、小学校6年のときだったかと思う。当時、高松(香川県)~宇野(岡山県)は連絡船の運航だった。この連絡船の一つに『紫雲丸』というものがあった。最後の航海となったとき、大事故を起してしまった。衝突事故を起して、沈没したのである。死者を168名出している。私の頭の中には、そのときの現場写真、助けを求める人々の映った沈没していく紫雲丸の写真が脳裏に焼きついているのだ。
このときにこの事故を揶揄(本当にこうした気分で使われていたように記憶している)していったことが「紫雲丸=死運丸」だったのだ。船の命名が近くの山『紫雲山』ということなのだそうだが・・・・
日本人は、今でも結構あるようだが、語呂あわせで忌みする言葉を嫌う。「三切れ=身切れ、見切れ」「四=死」などは私の母親などは酷かった。そうした時代でありながら、使われた『紫雲、死運』なのである。
人が死んだら、紫の雲が流れる中で阿弥陀さんが迎えに来て(来迎) という、浄土信仰がなしたものだが、その一つがここに残っている。
2008年01月25日
京都08年 日帰り旅 12 知恩院・勢至堂2
勢至堂
知恩院では法然上人の大遠忌に向けていろいろ修復工事をしている。上人廟も現在修復工事中であるとのこと。ということで、上人の三宝がこの勢至堂に置かれている。
本来、御影堂のような大きい建物ではなく、廟としての建物の中に上人地震を置いておくのがいいとは思うのだが、徳川の初期の将軍は、一揆を治めるために開祖を祀ることで何とかしようという姑息な考えだと思うのだが。
この勢至堂が現在の御影堂が出来るまでの、知恩院の本堂としての役目を果たしていたと、ここでもボランティアの人の解説。そうかなぁ??もともと、法然上人は、黒谷(現在の金戒光明寺や法然院辺りに庵を持っていたように聞くのだが、現在の知恩院のもともとの住人は本願寺であったとも聞く。徳川の誰だったかが、本願寺を追い出して知恩院を建立し、本願寺を現在の東本願寺にしたとも。(西本願寺は、大綱秀吉の寄進)
正直言って、この建物には、興味はないなぁ。。。人のいないときにきたら話はわかるかもしれないが。
裏手に『千姫』の墓があるというのでそちらに回った。雪がちらついている。。。。。。
知恩院では法然上人の大遠忌に向けていろいろ修復工事をしている。上人廟も現在修復工事中であるとのこと。ということで、上人の三宝がこの勢至堂に置かれている。
本来、御影堂のような大きい建物ではなく、廟としての建物の中に上人地震を置いておくのがいいとは思うのだが、徳川の初期の将軍は、一揆を治めるために開祖を祀ることで何とかしようという姑息な考えだと思うのだが。
この勢至堂が現在の御影堂が出来るまでの、知恩院の本堂としての役目を果たしていたと、ここでもボランティアの人の解説。そうかなぁ??もともと、法然上人は、黒谷(現在の金戒光明寺や法然院辺りに庵を持っていたように聞くのだが、現在の知恩院のもともとの住人は本願寺であったとも聞く。徳川の誰だったかが、本願寺を追い出して知恩院を建立し、本願寺を現在の東本願寺にしたとも。(西本願寺は、大綱秀吉の寄進)
正直言って、この建物には、興味はないなぁ。。。人のいないときにきたら話はわかるかもしれないが。
裏手に『千姫』の墓があるというのでそちらに回った。雪がちらついている。。。。。。