2013年04月08日
映画・最高の人生の見つけ方
今日は、テレビで映画を見ていた。見たのは「最高の人生の見つけ方」
ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンのコンビが人生最後の旅をするってやつ。見終わって、思わず涙してしまいました。
旅立ちのために何をするかをメモし、それを実現しようと。。。
もっとも、ジャック・ニコルソン演じる男がものすごい金持ちということで、世界を駆け巡る旅行ができたわけだけど、そんなことよりもその中から何をつかんだかだよな。。。
余命宣告された人間が、どう生きるかなんだ。
残された時間をどう生きるか?これは、年を取ってくるとおのずと考えることかもしれないけど、特にガンなどで余命宣告を受けるとどうしても考えなくてはならないことになる。そんな宣告を受けていないと考えることもないかな?
私は、余命宣告こそ受けていないけど、末期がんといわれていたから、いつ思う替えが来るかわからないわで、どっちにしたって、年齢的にも生きながらえてもあと15年がせいぜいだろうから、その時間まで、下手すりゃ数年でなくなるかもしれないから、それまでをいかに生きるかってことなんだよね。
映画では、くよくよしていないで、自分のやりたいこといややりたかったことを実現しようとしたわけで、十分満足してこのから旅立ったわけだ。
映画の中で、モーガン・フリーマン演じる男の奥さんが旅をすることは家族を捨てることと罵るのだが、それは家族の味方。本人にしてみると本人が人間として最後の時間を使いたいと思えば、家族とは関係ない時間を過ごしたいと思うこともあるだろう。
そう思ったら、家族がどこまでそれに協力できるかということになるかな?
逆に、残された時間がなくなっていく人間にしてみると、残していく人たちに悔いを残さないように生きていかねばならないのでは?つまり、残された二兎たちが。「ああしてやればよかった、こうしてやればよかった」と悔しがらないようにしておく必要もある気がしている。
どんなことをしても、残された人には悔いが残るとは思うけど、それをいかに少なくしてやりかということ。しかし、それを気にするばかりになんと久いかないで死んでいくのも味気ない。また、それをのこれらに都が気づけば、悔いは大きなものになるかと思う。
いずれにしても、難しい心の問題だ。
私は、今年からできる限り、逝きたいと思ったところを、できたら車で回ろうと決めている。車で回ることができるのもあと数年だろうから。。。。 車好きの考える子だけど、家族は心配しているよなぁ。
ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンのコンビが人生最後の旅をするってやつ。見終わって、思わず涙してしまいました。
旅立ちのために何をするかをメモし、それを実現しようと。。。
もっとも、ジャック・ニコルソン演じる男がものすごい金持ちということで、世界を駆け巡る旅行ができたわけだけど、そんなことよりもその中から何をつかんだかだよな。。。
余命宣告された人間が、どう生きるかなんだ。
残された時間をどう生きるか?これは、年を取ってくるとおのずと考えることかもしれないけど、特にガンなどで余命宣告を受けるとどうしても考えなくてはならないことになる。そんな宣告を受けていないと考えることもないかな?
私は、余命宣告こそ受けていないけど、末期がんといわれていたから、いつ思う替えが来るかわからないわで、どっちにしたって、年齢的にも生きながらえてもあと15年がせいぜいだろうから、その時間まで、下手すりゃ数年でなくなるかもしれないから、それまでをいかに生きるかってことなんだよね。
映画では、くよくよしていないで、自分のやりたいこといややりたかったことを実現しようとしたわけで、十分満足してこのから旅立ったわけだ。
映画の中で、モーガン・フリーマン演じる男の奥さんが旅をすることは家族を捨てることと罵るのだが、それは家族の味方。本人にしてみると本人が人間として最後の時間を使いたいと思えば、家族とは関係ない時間を過ごしたいと思うこともあるだろう。
そう思ったら、家族がどこまでそれに協力できるかということになるかな?
逆に、残された時間がなくなっていく人間にしてみると、残していく人たちに悔いを残さないように生きていかねばならないのでは?つまり、残された二兎たちが。「ああしてやればよかった、こうしてやればよかった」と悔しがらないようにしておく必要もある気がしている。
どんなことをしても、残された人には悔いが残るとは思うけど、それをいかに少なくしてやりかということ。しかし、それを気にするばかりになんと久いかないで死んでいくのも味気ない。また、それをのこれらに都が気づけば、悔いは大きなものになるかと思う。
いずれにしても、難しい心の問題だ。
私は、今年からできる限り、逝きたいと思ったところを、できたら車で回ろうと決めている。車で回ることができるのもあと数年だろうから。。。。 車好きの考える子だけど、家族は心配しているよなぁ。
タグ :最高の人生
2013年04月08日
生きるということで思ったこと
楽天のブログで、同じ記事にコメントをいただいたので、ちょっと。。。
生きるということに関しては、55歳の時にふと思ったことがあるのです。
別に焦ったわけでもないのですが、その時に「では残された時間をどう生きようか」って。私は、宗教というものを崇め奉っている人間ではないのですが、ある時から始めた親鸞研究の中から「阿弥陀如来」のことで、思いついたことがあるのです。
阿弥陀如来というのは、如来さんになる前は「法蔵菩薩」という修行の身だったんですが、その菩薩さんが48の願をかけてその願を成就させたことで如来になった。その48願の中に念仏やら何やらいろいろ書いてあるけど、よくよく読み取ってみれば、ある種の問題な人間を除くとすべての人を浄土に迎えようとしていると読めたような気がするんですね。それで『念仏』というのは、その阿弥陀さんを信じていればいいわけで、信じていればこそ(もっともすべての人が迎えられると考えれば信じていなくても)人は死ねば浄土に行くんだよなぁ。
と、そんな気楽な思いに至ったわけでして。。。。。
それからというもの、
人は、いつかお迎えが来て向こうの世界行く。それは阿弥陀さんの気持ち次第なんで、人間にはわからないこと。といって怖がってもしょうがないかことだし、迎えられれば浄土に行けるんだろうから・・・・・だから、精いっぱい生きている今を、自分の気持ちが納得できる生活をしよう。
こんな気持ちになっているんです。それが人に迷惑をかけなければそれでいいんで阿hないのか?ただ、人からの迷惑極力排除して、掛けられたら起こればいいや。こっちから迷惑はかけないように努力しようって。
こんな思いが、人様にどう受け止められるか?私は、この思いに至ってからは気持ちが軽くて。。前立腺がんの宣告を受けた時も、傍目には顔面蒼白だったらしいけど、本人は一切ショックはなくて「なんでガンに?」と思ったくらいです。そして、主治医にも言ったのですが「がんと闘うことはしません。死ぬまでうまくおつきあいをあする覚悟です」って。
多くの人は「がんと闘う」といっておいでのようなのですが、 いったんもらったものは私の場合は完治しないと宣言されているだけに、闘っても無意味なような気がするし、うまくおつきあいをした方が気も楽だし、と思ってます。
私は、非常に気性の激しい性格なので、あちこちでトラブルに巻き込まれます。でも、そのトラブルの元の原因は私だとは思ってないんですね。ほかの人が私のことを勝手に解釈しているから、 誤解が生まれて私の怒ることになってるんだけど。しかし、願とは話ができないし、見えないし、触れないし、喧嘩のしようもないでしょう。医者が切るといえば、それは医者が願とけんかをするだけのことで、私が喧嘩するわけでもないし。。。
まぁ、こんなことを思いつつ、気楽な思いでがんとお付き合いをしています。
生きるということに関しては、55歳の時にふと思ったことがあるのです。
お~~ぉ、これまでいてきただけの時間
この先生きることができないんだよなぁ。。。
この先生きることができないんだよなぁ。。。
別に焦ったわけでもないのですが、その時に「では残された時間をどう生きようか」って。私は、宗教というものを崇め奉っている人間ではないのですが、ある時から始めた親鸞研究の中から「阿弥陀如来」のことで、思いついたことがあるのです。
阿弥陀如来というのは、如来さんになる前は「法蔵菩薩」という修行の身だったんですが、その菩薩さんが48の願をかけてその願を成就させたことで如来になった。その48願の中に念仏やら何やらいろいろ書いてあるけど、よくよく読み取ってみれば、ある種の問題な人間を除くとすべての人を浄土に迎えようとしていると読めたような気がするんですね。それで『念仏』というのは、その阿弥陀さんを信じていればいいわけで、信じていればこそ(もっともすべての人が迎えられると考えれば信じていなくても)人は死ねば浄土に行くんだよなぁ。
と、そんな気楽な思いに至ったわけでして。。。。。
それからというもの、
人は、いつかお迎えが来て向こうの世界行く。それは阿弥陀さんの気持ち次第なんで、人間にはわからないこと。といって怖がってもしょうがないかことだし、迎えられれば浄土に行けるんだろうから・・・・・だから、精いっぱい生きている今を、自分の気持ちが納得できる生活をしよう。
こんな気持ちになっているんです。それが人に迷惑をかけなければそれでいいんで阿hないのか?ただ、人からの迷惑極力排除して、掛けられたら起こればいいや。こっちから迷惑はかけないように努力しようって。
こんな思いが、人様にどう受け止められるか?私は、この思いに至ってからは気持ちが軽くて。。前立腺がんの宣告を受けた時も、傍目には顔面蒼白だったらしいけど、本人は一切ショックはなくて「なんでガンに?」と思ったくらいです。そして、主治医にも言ったのですが「がんと闘うことはしません。死ぬまでうまくおつきあいをあする覚悟です」って。
多くの人は「がんと闘う」といっておいでのようなのですが、 いったんもらったものは私の場合は完治しないと宣言されているだけに、闘っても無意味なような気がするし、うまくおつきあいをした方が気も楽だし、と思ってます。
私は、非常に気性の激しい性格なので、あちこちでトラブルに巻き込まれます。でも、そのトラブルの元の原因は私だとは思ってないんですね。ほかの人が私のことを勝手に解釈しているから、 誤解が生まれて私の怒ることになってるんだけど。しかし、願とは話ができないし、見えないし、触れないし、喧嘩のしようもないでしょう。医者が切るといえば、それは医者が願とけんかをするだけのことで、私が喧嘩するわけでもないし。。。
まぁ、こんなことを思いつつ、気楽な思いでがんとお付き合いをしています。
タグ :生きる
2013年04月08日
ガン宣告から丸2年
一昨年、前立腺がんの宣告を受けたのが今日4月8日だった。それから丸二年という時間が流れた。長かったような短かったような。。。。
宣告されたのはステージ4の末期がん。それも内装癒着しているので、手術も放射線もできないという診断で、結局はホルモン剤の注射と飲み薬だけで通してきた。気づくのが遅れていたら、その秋にはこの世とおさらばしていた可能性が大きいといわれていたのだけど、運が良かったのか、とにかく無事に生きながらえている。
2月のCTと骨シンチの結果では、がなんは小さくなっているとのことで、このまま現在の治療をすることになっている。目下の治療がどこまで通用するのかは主治医にもわからない。私にもわからない。どこで隠れているかもしれないガン細胞が暴れだすかもしれないと主治医から脅されているし。。。
とにかく毎日が、生きる楽しみだなぁ。もう仕事もほとんどおっぽり出しているから、することといえば趣味の木彫りと最近よくする自分の健康のための料理。そのほかは、たまにドライブに行ったり…
この時期は花粉が飛ぶのであまり外出はしないのだが、あとひと月たって花粉が飛ばなくなったら、時々やってきた「敬老パスバスの旅」を本格的に始めるつもりで、その時はカメラを持っていく先々の景色などを撮って楽しもうと企んでいる。
今のところ、がんの影響は、ホルモン剤の副作用によるものくらいだと思う。体形が何しろ女性に近くなってきて、胸がちょっと大きくなっておなかがポッコリになり、体の形は観音さんみたいかな?まだ仏さんになるつもりはないけど、この世で観音さんになれたらいいだろうなぁ。。。
今日はそんな記念日だけど、記念式典をするわけでもなく、子供たちなどはなんも知らんだろうなぁ。気にもしていないだろう。いや、気にはしているだろうが、目下の元気な姿から近い将来のことは思い描いてはいないだろう。
何はともあれ、年を取るといろいろ問題が出てくる。私だけではなく、私の妹も、義理の兄も、義理の妹も、義理の弟も、何の間のみんなそれなりに大きな病気を抱えるように案ってしまっているらしい。まぁ、それでも表向きは元気に生きているのだが。。。
いずれにしても、人間・いつかはお迎えが来て向こうの世界に召されることになる。それが五日ということだけでねぇ。。。できればk知らの正解をもっともっと楽しんで、納得してから行きたいものです。
お寺に行くと、阿弥陀さんや観音さんに「まだ迎えに来なくていい。会いたくなったら私から行くから」って話しかけてますが。。。 そういえば、ここ数か月お寺に行ってないなぁ。気晴らしのドライブでどこかに行かなくては。
まぁ、5月の終わりから6月の梅雨の前までに、今日との高尾の神護寺、栂尾の功山寺に行ってこようとは思ってますが。。。これは、昔からの願いの達成のためです。神護寺は大学の時以来、功山寺は初めてですが、一度は行ってみたいところなので。。
宣告されたのはステージ4の末期がん。それも内装癒着しているので、手術も放射線もできないという診断で、結局はホルモン剤の注射と飲み薬だけで通してきた。気づくのが遅れていたら、その秋にはこの世とおさらばしていた可能性が大きいといわれていたのだけど、運が良かったのか、とにかく無事に生きながらえている。
2月のCTと骨シンチの結果では、がなんは小さくなっているとのことで、このまま現在の治療をすることになっている。目下の治療がどこまで通用するのかは主治医にもわからない。私にもわからない。どこで隠れているかもしれないガン細胞が暴れだすかもしれないと主治医から脅されているし。。。
とにかく毎日が、生きる楽しみだなぁ。もう仕事もほとんどおっぽり出しているから、することといえば趣味の木彫りと最近よくする自分の健康のための料理。そのほかは、たまにドライブに行ったり…
この時期は花粉が飛ぶのであまり外出はしないのだが、あとひと月たって花粉が飛ばなくなったら、時々やってきた「敬老パスバスの旅」を本格的に始めるつもりで、その時はカメラを持っていく先々の景色などを撮って楽しもうと企んでいる。
今のところ、がんの影響は、ホルモン剤の副作用によるものくらいだと思う。体形が何しろ女性に近くなってきて、胸がちょっと大きくなっておなかがポッコリになり、体の形は観音さんみたいかな?まだ仏さんになるつもりはないけど、この世で観音さんになれたらいいだろうなぁ。。。
今日はそんな記念日だけど、記念式典をするわけでもなく、子供たちなどはなんも知らんだろうなぁ。気にもしていないだろう。いや、気にはしているだろうが、目下の元気な姿から近い将来のことは思い描いてはいないだろう。
何はともあれ、年を取るといろいろ問題が出てくる。私だけではなく、私の妹も、義理の兄も、義理の妹も、義理の弟も、何の間のみんなそれなりに大きな病気を抱えるように案ってしまっているらしい。まぁ、それでも表向きは元気に生きているのだが。。。
いずれにしても、人間・いつかはお迎えが来て向こうの世界に召されることになる。それが五日ということだけでねぇ。。。できればk知らの正解をもっともっと楽しんで、納得してから行きたいものです。
お寺に行くと、阿弥陀さんや観音さんに「まだ迎えに来なくていい。会いたくなったら私から行くから」って話しかけてますが。。。 そういえば、ここ数か月お寺に行ってないなぁ。気晴らしのドライブでどこかに行かなくては。
まぁ、5月の終わりから6月の梅雨の前までに、今日との高尾の神護寺、栂尾の功山寺に行ってこようとは思ってますが。。。これは、昔からの願いの達成のためです。神護寺は大学の時以来、功山寺は初めてですが、一度は行ってみたいところなので。。
2013年04月08日
入学式
今日は、小学校の入学式だったんですね。ピカピカの一年生。おめでとうさんです。
朝家を出たら、きれいに着飾った子供が親に付き添われて学校に向かっているのを何組も見た。中にはもうランドセルを背負っているのもいたなぁ。。。
親の付き添いは、多くは母親だけだったけど、中には両親そろって、また多分おばぁちゃんと思われる人が付き添っていたり。。。
私の小学校の入学式。思い出すなぁ。。いやぁ思い出せないのだぁ。。。。母親に付き添われていったことは確かだけど、天気は雨だったようなぁ。。。何せ、小学校の時の遠足や運動会や修学旅行みんな雨にたたられた私で、確か卒業式も雨だったような。。
そうだなぁ。記憶があるのは、教室の位置と隣に座った女の子。(いやぁ今でもしっかり名前覚えているよ)先生もはっきりと記憶している。しかし、63年前の話、遠くなってしまったなぁ。。。
時代がまるっきり違う。私の入学したころは、まだ戦争の爪痕が残っていて、校舎もまともではなかったよ。2年生の時には2部事業をしなければならないほど、教室不足のうえにものすごく子供が多かった。3クラスあって、一クラス50人くらいたんではないかなぁ?
今年の入学の子供たちは、一クラスどのくらい?30人学級なのかなぁ?だとして何クラスあるんだろ?少子化の影響で、子供数も少ないだろうからなぁ。実家の近くでは今日は入学らしい子供は一人しか見なかったなぁ。
この先日本はどうなるんだろ??
**
親の付き添いは、先日も書いたように、大学に入っても両親付添いっていうのが結構いるねぇ。まぁ、親も有名大学に子供が入ったら、一度は行ってみたいかもなぁ。。。私は、息子の大学には何度も行っています。ただ、子供付き添いでいったのではなく、大学の御用で行ったんですが。。。。息子は、一緒に歩くなって言ってましたね。キャンパスですれ違った時も、知らん顔してたなぁ。アンチクショウ。そいつの子供が、今年から中学生になった。ん?ひょっとしたら、今日入学式かもな?
朝家を出たら、きれいに着飾った子供が親に付き添われて学校に向かっているのを何組も見た。中にはもうランドセルを背負っているのもいたなぁ。。。
親の付き添いは、多くは母親だけだったけど、中には両親そろって、また多分おばぁちゃんと思われる人が付き添っていたり。。。
私の小学校の入学式。思い出すなぁ。。いやぁ思い出せないのだぁ。。。。母親に付き添われていったことは確かだけど、天気は雨だったようなぁ。。。何せ、小学校の時の遠足や運動会や修学旅行みんな雨にたたられた私で、確か卒業式も雨だったような。。
そうだなぁ。記憶があるのは、教室の位置と隣に座った女の子。(いやぁ今でもしっかり名前覚えているよ)先生もはっきりと記憶している。しかし、63年前の話、遠くなってしまったなぁ。。。
時代がまるっきり違う。私の入学したころは、まだ戦争の爪痕が残っていて、校舎もまともではなかったよ。2年生の時には2部事業をしなければならないほど、教室不足のうえにものすごく子供が多かった。3クラスあって、一クラス50人くらいたんではないかなぁ?
今年の入学の子供たちは、一クラスどのくらい?30人学級なのかなぁ?だとして何クラスあるんだろ?少子化の影響で、子供数も少ないだろうからなぁ。実家の近くでは今日は入学らしい子供は一人しか見なかったなぁ。
この先日本はどうなるんだろ??
**
親の付き添いは、先日も書いたように、大学に入っても両親付添いっていうのが結構いるねぇ。まぁ、親も有名大学に子供が入ったら、一度は行ってみたいかもなぁ。。。私は、息子の大学には何度も行っています。ただ、子供付き添いでいったのではなく、大学の御用で行ったんですが。。。。息子は、一緒に歩くなって言ってましたね。キャンパスですれ違った時も、知らん顔してたなぁ。アンチクショウ。そいつの子供が、今年から中学生になった。ん?ひょっとしたら、今日入学式かもな?
タグ :入学式