2011年04月15日
小説「親鸞」 激動篇 最近…
五木博之氏の小説「親鸞」。話がとんでもないことになっているので、もう書く気にもなっていなかったけど、たまたま昨日京都の市立美術館で「親鸞展」を見てきたので、ちょいと思い出したから小説のことを。
激動篇になって、新潟、上越に舞台が移ったのはいいけど、何やら変な輩がいっぱい出てきて、けんかしたり、犬に襲われそうになったり、鎌倉の役人といざこざを起こしたり。。。。
それは小説で好きなようにかくことだからいいとしても、いったい五木氏は親鸞をどういった人間に仕上げていきたいのか全く分からない。争いがあってそれを防ぐのに、京都で子供のころに覚えたつぶてで相手を攻撃するのを使う寸前まで・・・ それはいいけど、まだご赦免になったという市とーリー出ないと思うのだけど。まだ罪人の分材ではないのかな?だとすれば、そんな人間が鎌倉幕府の役人といざこざを起こすとはいかが?って。これは私の誤解?
それと、妻の恵信尼が京都に出かけた。それは行方不明になっている妹”鹿野”の子供を引き取りに行っているのだ。このストーリーでの話題では法然がすでにご赦免になっている。ということは親鸞のご赦免になるはずなのだけど。なんかすっきりしない。
それに、妹の子どをも連れてきて育てるといっているけど、このとき親鸞と恵信尼の間には子供はいないのか?ん??いつになったら最初のkどもが生まれるの?一説によると京都で子供が生まれているという話も。(これはこの小説の話ではなく)
妹の子供を連れてきて、それを育てる。ひょっとしたら親鸞の数人いる子供の中に含んでしまうことになったりして。。。。それはないと願ってますよ。
どっちにしても、どんな親鸞ができるのか。まぁここまで読む限り、荒唐無稽?なんてことにならなければいいがと思っている。前の連載のときには、それなりに評判を呼んだようだけど、この激動篇の評判はいかが?世に評判が出てきていないように思うけど。
親鸞750回大遠忌。そんな年に、こういう小説は、どういうものだろう?この小説が攻勢に残ってほしいと思う人はどのくらいいるだろう?
激動篇になって、新潟、上越に舞台が移ったのはいいけど、何やら変な輩がいっぱい出てきて、けんかしたり、犬に襲われそうになったり、鎌倉の役人といざこざを起こしたり。。。。
それは小説で好きなようにかくことだからいいとしても、いったい五木氏は親鸞をどういった人間に仕上げていきたいのか全く分からない。争いがあってそれを防ぐのに、京都で子供のころに覚えたつぶてで相手を攻撃するのを使う寸前まで・・・ それはいいけど、まだご赦免になったという市とーリー出ないと思うのだけど。まだ罪人の分材ではないのかな?だとすれば、そんな人間が鎌倉幕府の役人といざこざを起こすとはいかが?って。これは私の誤解?
それと、妻の恵信尼が京都に出かけた。それは行方不明になっている妹”鹿野”の子供を引き取りに行っているのだ。このストーリーでの話題では法然がすでにご赦免になっている。ということは親鸞のご赦免になるはずなのだけど。なんかすっきりしない。
それに、妹の子どをも連れてきて育てるといっているけど、このとき親鸞と恵信尼の間には子供はいないのか?ん??いつになったら最初のkどもが生まれるの?一説によると京都で子供が生まれているという話も。(これはこの小説の話ではなく)
妹の子供を連れてきて、それを育てる。ひょっとしたら親鸞の数人いる子供の中に含んでしまうことになったりして。。。。それはないと願ってますよ。
どっちにしても、どんな親鸞ができるのか。まぁここまで読む限り、荒唐無稽?なんてことにならなければいいがと思っている。前の連載のときには、それなりに評判を呼んだようだけど、この激動篇の評判はいかが?世に評判が出てきていないように思うけど。
親鸞750回大遠忌。そんな年に、こういう小説は、どういうものだろう?この小説が攻勢に残ってほしいと思う人はどのくらいいるだろう?
タグ :小説・親鸞
2011年04月15日
ガン受告激励京都旅行 その2 法界寺
この法界寺に関しては、過去に何度も書いている。毎年必ず一度は来るようになってもう10年以上になる。そして毎度来るたびに何か違ったものに出会う。
今回は、先回書いた桜の木を見ることになった。これまでも気づいていたかと思うけど、季節が違ってこんな桜ではなかったような…・
この寺のことを改めて書くと、親鸞が生まれたといわれている寺である。私は、この点には疑問をもっているものの真宗教団ではこの地が誕生の地となっている。
これが山門というか入口の門。国宝が複数ある寺にしてはひっそりと地味な門。この辺り息子たちは不思議に思ったらしい。(無理もない、こういう小さい寺にはよほどの興味がないと来ないだろうから)
写真の奥の方に見えるのが阿弥陀堂で屋根が桧皮葺で、今改装を目指しているものの材料代がとてつもなく高価だし、入手が難しいので、なかなか改装に至らない。そして門の中の左に見えるのが桜の木だ。
家族そろってご住職が開かれた阿弥陀堂の中に入っていく。久しぶりにご住職の話を聞く。何回かは聞いているけど、私だけのときには最近は私に好きなようにしないといわれているかのように住居の方に戻られることが多い。しかし、今日は、いつになく拝観者が多く、それも初めての方のようなのでご住職の説明がある。息子二人は初めてなので聞き入っていた。
説明が終わってから、みんなそれぞれ好きなようにこの方丈の中を歩いてみるのだがが、息子や娘が私が驚くくらいに鈴をならして手を合わせ深々と頭を下げていた。ひょっとしたら私の健康を祈っていてくれたのかもしれない。
この阿弥陀堂の外回りの東の廊下の天井にはものすごく古い駕籠が天井から下がっている。いつ後のものなのか聞いてはいないがかなりとにかく古く、着始めたころはもう少し形をなしていたが、今回見たらもうじきばらばらになってしまいそうで、ちょっと残念な気持ちだ。
阿弥陀堂を出て阿弥陀堂の右手(東に鐘楼があるのだが、この鐘楼の前にボタンの花(この記事のトップの花)があるのを見つけた。これまでには気づかなかったことだ。
この鐘楼は秋に来ると周辺が紅くなるので、またかなり違った風情になる。とはいえ、ここを訪れる人のどれだけの人がこの鐘楼に目を向けるだろうか?国宝の横の小さいくひっそりとした建物には目が行くことは少ないかと思う。
この鐘楼の南にあるのが薬師堂で、一般にはこの寺は乳薬師として有名で、寺の本尊としての薬師如来が安置されているが、秘仏で指定日しか開帳されず、私はそうした日には訪れたことがなく薬師如来にはお会いしたことはない。
正面が薬師堂で左に一部見えているのが阿弥陀堂