2011年04月22日
京都旅行 番外 京都の大昔の思い出
今回の京都宿泊旅行で平安神宮のところをかいていて、大学時代のことをもいだしてしまった。その思い出したものをかいてみようかと。。。。
平安神宮は、初めてきたのはいつだろうか?多分大学の2年の時かなぁ。。5月くらいに悪仲間三人とそこに絶世の美女を一人混ぜて、イヤもう一人混ぜて、それに京都に住む友人の京大の学生を混ぜて、みんなでわいわい。。。。。違うなぁ。あの時はここにきてない・・・・
あの時は、清水から丸山公園、知恩院経由で、やっぱり来たかなぁ??もう47年も前の話して忘れてしまった。しかし、大学の3年のときには来ているはず。だけど、あの時は大学の修学旅行のときで近くの有鄰館に行った記憶はしっかりとあるけど、平安神宮はこれといった美術品はないから行ってないかも。
そうかぁ思い出した。2年のときに、仲間と別行動をとった日がある。その時にたまたまだったと思うけど京都市立美術館でミロのビーナスが公開されていた。東京にいながら東京での展示会を見逃したので、京都に来たついでにみた。きれいで大きな大理石像にうっとりとしたものだった。
それから、ひょっとしたらツタンカーメンの公開の時も京都だったかもしれない。(これは卒業してからのようだ)
じっくり思い出してみると、修学旅行でも来ていいるようだ。ただ、ただ神宮の中に入ったというだけのことだ。
実は、私の小学校の修学旅行は、京都と奈良の1泊2日の旅行だたけど、平安神宮に来た記憶は全く残っていない。京都でいったところの記憶は、銀閣寺だろうかぁ。。
大学の1年の正月に、初めて京都を一人で歩いた。行ったのは、嵐山の天竜寺と大覚寺、竜安寺、そしてどこをどう通って行ったのか忘れているけど、清水に行っている。あぁ確か、雪の降る寒い日だったとおぼえている。
卒業してから大阪に住んでいたので、カメラをもって三条京阪辺りから歩いて銀閣寺くまでなんてことを何度もしたような。
大徳寺は、大学のときに行ったのが初めてで、あの大仙院の生臭坊主の尾関さんがまだ若くて面白い話を聞かせてくれたのを覚えているし、その後は何度も訪れているが、偶然見つけた尼さんのいる庵で、与謝野晶子の詩の書かれた札なんかのあったところに行ったころもあるのだけど、そこが今はなくなってしまったのか、数年かけて歩いて探したけど見つからなかった。寺務所で聞けばわかるとは思うけどねぇ。。。
京都の思い出を書くと恐らく取り留めのないことになりそう。もう何度も言っているところだし、若いころは大阪から何度となく、そして最近ではここ10数年毎年日野に行くようにもなったことで、とにかく色々と思い出の多いところでもある。
忘れないうちに書いておいた方がいいのかなぁ??
平安神宮は、初めてきたのはいつだろうか?多分大学の2年の時かなぁ。。5月くらいに悪仲間三人とそこに絶世の美女を一人混ぜて、イヤもう一人混ぜて、それに京都に住む友人の京大の学生を混ぜて、みんなでわいわい。。。。。違うなぁ。あの時はここにきてない・・・・
あの時は、清水から丸山公園、知恩院経由で、やっぱり来たかなぁ??もう47年も前の話して忘れてしまった。しかし、大学の3年のときには来ているはず。だけど、あの時は大学の修学旅行のときで近くの有鄰館に行った記憶はしっかりとあるけど、平安神宮はこれといった美術品はないから行ってないかも。
そうかぁ思い出した。2年のときに、仲間と別行動をとった日がある。その時にたまたまだったと思うけど京都市立美術館でミロのビーナスが公開されていた。東京にいながら東京での展示会を見逃したので、京都に来たついでにみた。きれいで大きな大理石像にうっとりとしたものだった。
それから、ひょっとしたらツタンカーメンの公開の時も京都だったかもしれない。(これは卒業してからのようだ)
じっくり思い出してみると、修学旅行でも来ていいるようだ。ただ、ただ神宮の中に入ったというだけのことだ。
実は、私の小学校の修学旅行は、京都と奈良の1泊2日の旅行だたけど、平安神宮に来た記憶は全く残っていない。京都でいったところの記憶は、銀閣寺だろうかぁ。。
大学の1年の正月に、初めて京都を一人で歩いた。行ったのは、嵐山の天竜寺と大覚寺、竜安寺、そしてどこをどう通って行ったのか忘れているけど、清水に行っている。あぁ確か、雪の降る寒い日だったとおぼえている。
卒業してから大阪に住んでいたので、カメラをもって三条京阪辺りから歩いて銀閣寺くまでなんてことを何度もしたような。
大徳寺は、大学のときに行ったのが初めてで、あの大仙院の生臭坊主の尾関さんがまだ若くて面白い話を聞かせてくれたのを覚えているし、その後は何度も訪れているが、偶然見つけた尼さんのいる庵で、与謝野晶子の詩の書かれた札なんかのあったところに行ったころもあるのだけど、そこが今はなくなってしまったのか、数年かけて歩いて探したけど見つからなかった。寺務所で聞けばわかるとは思うけどねぇ。。。
京都の思い出を書くと恐らく取り留めのないことになりそう。もう何度も言っているところだし、若いころは大阪から何度となく、そして最近ではここ10数年毎年日野に行くようにもなったことで、とにかく色々と思い出の多いところでもある。
忘れないうちに書いておいた方がいいのかなぁ??
2011年04月22日
前立腺癌検査 第2段 終了
月曜日に前立腺がんの転移の有無を検査するための第一弾としてCTスキャンをしたが、今日はRI骨シンチを第二弾としてした。
骨シンチは、癌が転移した骨の部位を注射したRI(ラジオアイソトープ)が集まってくることを利用して、癌転移をしるもののひとつのようです。
今日は、午前中にRIの注射をして、それからRIが体全部に行きわたるまでのタイムラグ(3時間半)立ってからRI検査のわっぱの中を20分かけと通って全身の骨の造影写真を撮った。
注射はカンタンに終わるのでいいけれど、撮影の20分の間はじっと動かないようにとベルトで固定されるので、ちょいときついなぁ。撮影が始まって少ししてから鼻がかゆくなったけど、終わるまでじっと我慢の子。何とか終了。終了したら、もう用はないからさっさと帰れって雰囲気ね。
検査自体には何の問題も苦労もないけど、今日は受付にかなりカチンときた。
午前の受付で、スケジュール表を持って担当の受付に行った。受けつの女性が一人。自分は毎日の業務でわかりきったことだろうけど、こちとらは初めてなんだよ。後どうすればいいか少しは新味に教えてくれればいいのに、ただぶっきらぼうに『外で待ってください、順番が来たらお呼びしますから』。しかし、その受付の前には椅子もないんだよね。他の機械の撮影のところにはあるのにね。そんなことはお構いない彼女です。
午後の撮影のために時間指定を書いた書類をもたされている。それには指定時間の10分前に受け付けに来るようにかいてある。ちょっと早かったけど、午前と同じ受付に行った。同じ女性が受付に。そして長電話。私が立っているのは完全に無視。10分近くかけていたのではないかな?やっと終わったら、いきなり『順番がいたら呼ぶので座っていてくる』と。私の本人確認をするわけではない。私のなめすら彼女は聞いていないのだ。
これにはかなり頭にきた。きいてやった。「受付に来なくて座っていればいいのか?」と。返事は『そうです』。
これはないよね。書類には受付に来るようにかかれているのだkら、患者は党是抜け付けに来て本人確認すると思うだろう。システムはそうではなかった。
この点については、責任者もあとで撮影した技師も謝ってはいたけど、書類にかかれていることと現実に受け付け担当のすることの差は、しっかりと埋めて患者が不快な思いをしないようにすべきだろう。
大体困難ところに来るなんてのはそんなに機会があるわけではないということ。そうしたことを病院側がしっかりと認識して、受付や技師が患者の立場になって事を処理る事だろう。気遣う気持ちを忘れた医療関係者には本当にいらついて、病気が余計にひどくなりそうだよ。
骨シンチは、癌が転移した骨の部位を注射したRI(ラジオアイソトープ)が集まってくることを利用して、癌転移をしるもののひとつのようです。
今日は、午前中にRIの注射をして、それからRIが体全部に行きわたるまでのタイムラグ(3時間半)立ってからRI検査のわっぱの中を20分かけと通って全身の骨の造影写真を撮った。
注射はカンタンに終わるのでいいけれど、撮影の20分の間はじっと動かないようにとベルトで固定されるので、ちょいときついなぁ。撮影が始まって少ししてから鼻がかゆくなったけど、終わるまでじっと我慢の子。何とか終了。終了したら、もう用はないからさっさと帰れって雰囲気ね。
検査自体には何の問題も苦労もないけど、今日は受付にかなりカチンときた。
午前の受付で、スケジュール表を持って担当の受付に行った。受けつの女性が一人。自分は毎日の業務でわかりきったことだろうけど、こちとらは初めてなんだよ。後どうすればいいか少しは新味に教えてくれればいいのに、ただぶっきらぼうに『外で待ってください、順番が来たらお呼びしますから』。しかし、その受付の前には椅子もないんだよね。他の機械の撮影のところにはあるのにね。そんなことはお構いない彼女です。
午後の撮影のために時間指定を書いた書類をもたされている。それには指定時間の10分前に受け付けに来るようにかいてある。ちょっと早かったけど、午前と同じ受付に行った。同じ女性が受付に。そして長電話。私が立っているのは完全に無視。10分近くかけていたのではないかな?やっと終わったら、いきなり『順番がいたら呼ぶので座っていてくる』と。私の本人確認をするわけではない。私のなめすら彼女は聞いていないのだ。
これにはかなり頭にきた。きいてやった。「受付に来なくて座っていればいいのか?」と。返事は『そうです』。
これはないよね。書類には受付に来るようにかかれているのだkら、患者は党是抜け付けに来て本人確認すると思うだろう。システムはそうではなかった。
この点については、責任者もあとで撮影した技師も謝ってはいたけど、書類にかかれていることと現実に受け付け担当のすることの差は、しっかりと埋めて患者が不快な思いをしないようにすべきだろう。
大体困難ところに来るなんてのはそんなに機会があるわけではないということ。そうしたことを病院側がしっかりと認識して、受付や技師が患者の立場になって事を処理る事だろう。気遣う気持ちを忘れた医療関係者には本当にいらついて、病気が余計にひどくなりそうだよ。
2011年04月22日
激励京都旅行 15 京都市立美術館
京都宿泊激励旅行2日目。子供たちはいないよ。みんなお仕事だもんね。
朝はいつものように起きだして、朝飯がない。マンションを出て五条河原町の交差点の北東角にある”なか卯“に行った。ひさしぶりだぁ、ここで飯を食うのは。数年前までは仕事で大阪に行っていて、泊まり込むと必ずここで食事をとっていた。だって、他に食べるところ見つからないんだもんね。
今日は急ぐ旅ではないので、朝飯を食べた後もゆっくりとマンションでテレビを見ていた。そして10時を回ったのでお出かけと部屋を出た。うっ、エレベータが点検中で階段をと変えとのことだ。朝飯食いに行ったときにはこんなこと書いてなかったぞ。
部屋は11階。それを階段で降りるんだよ。先日地下鉄の階段でひっくり返っているから、またそれになれなければいいがと思いながら、下りたけど思いのほか軽く下りられたな。
さて、この五条河原町から美術館のある平安神宮へ行くのは結構面倒なのだ。というのは、直通で行くバスがない。四条河原町か三条河原町で乗り換えなければならない。何度となくうやっているけど、久々なのでちょいと戸惑った。
来たバスに乗って三条河原町に。ここで降りてそのまま乗れるかというと、美術館方面に行くバスの三条河原町の停留所はかなり四条側に戻らねばならない。これが京都の市バスの一番大きな欠点。同じ名前のバス停でもあちこちたくさんありすぎる。
停留所を移動して待つこと数分。京都のバスは本数が多いからこれは助かる。そして、なんとか座って美術館まで。
なんで美術館に?親鸞750回大遠忌にちなんでの「親鸞展」が開かれているから、それを見に来たのです。国宝の親鸞親筆も書き物などの展示があるので、いくつかの寺を回るより手っ取り早いということです。
親鸞の書いたものは晩年のものなどたくさんあるけど、複数の寺に散らばっていたりする。若い時というか、年を取って京都に戻るまでのものはほとんどないのが不思議。京都に戻ってからは、関東の真宗門徒との手紙のやり取りで、多くが専修寺関連に残っているけど、それが教行信証になると本願寺に残るということで、別れるんですね。ということでこうした展覧会ではいろんなものが集められるので、見る方には助かるということなんです。
といって、見たからといってそれが何になる?と聞かれると困るんですけど。
中に入って、入場券買って、1時間くらいかかったか、もっとかかったか?見終わった時はもう12時だったから。見終わった感想は、疲れた。。。。
正直言って、いまいち。全てが本当のコメントがかかれていないから。親鸞の生きた事実は不明なところが多いのです。それがまことしやかに書かれていて、幻滅のところも。
見終わって、おなかがすいたぁ。。。。といって食べるところないし。しょうがないから岡崎公園の美術館前を南に鳥居をくぐって、橋を渡って。
神宮道の橋から東山を望む
橋を渡った交差点の南に市にセブン・イレブンがある。そこで弁当を買って店の前のお休み処で食べた。結構たくさんの人がしていたなぁ。(外国人もいたけど、外国人の数ものすごく少ない)
食べ終わって平安神宮に向かう。実は平安神宮は何度か言っているのだけど、庭園を見たことがない。今日が初めて。
平安神宮を見て回ると結構ありそうなので、重い荷物を美術館のロッカーに預けることにした。ここのロッカー100円いるけど、後で戻ってくる。助かるねぇ。。。。
(帰りに親鸞展の公式ブックを買ったよ。2500円もするんだぞ。たっけぇ)
朝はいつものように起きだして、朝飯がない。マンションを出て五条河原町の交差点の北東角にある”なか卯“に行った。ひさしぶりだぁ、ここで飯を食うのは。数年前までは仕事で大阪に行っていて、泊まり込むと必ずここで食事をとっていた。だって、他に食べるところ見つからないんだもんね。
今日は急ぐ旅ではないので、朝飯を食べた後もゆっくりとマンションでテレビを見ていた。そして10時を回ったのでお出かけと部屋を出た。うっ、エレベータが点検中で階段をと変えとのことだ。朝飯食いに行ったときにはこんなこと書いてなかったぞ。
部屋は11階。それを階段で降りるんだよ。先日地下鉄の階段でひっくり返っているから、またそれになれなければいいがと思いながら、下りたけど思いのほか軽く下りられたな。
さて、この五条河原町から美術館のある平安神宮へ行くのは結構面倒なのだ。というのは、直通で行くバスがない。四条河原町か三条河原町で乗り換えなければならない。何度となくうやっているけど、久々なのでちょいと戸惑った。
来たバスに乗って三条河原町に。ここで降りてそのまま乗れるかというと、美術館方面に行くバスの三条河原町の停留所はかなり四条側に戻らねばならない。これが京都の市バスの一番大きな欠点。同じ名前のバス停でもあちこちたくさんありすぎる。
停留所を移動して待つこと数分。京都のバスは本数が多いからこれは助かる。そして、なんとか座って美術館まで。
なんで美術館に?親鸞750回大遠忌にちなんでの「親鸞展」が開かれているから、それを見に来たのです。国宝の親鸞親筆も書き物などの展示があるので、いくつかの寺を回るより手っ取り早いということです。
親鸞の書いたものは晩年のものなどたくさんあるけど、複数の寺に散らばっていたりする。若い時というか、年を取って京都に戻るまでのものはほとんどないのが不思議。京都に戻ってからは、関東の真宗門徒との手紙のやり取りで、多くが専修寺関連に残っているけど、それが教行信証になると本願寺に残るということで、別れるんですね。ということでこうした展覧会ではいろんなものが集められるので、見る方には助かるということなんです。
といって、見たからといってそれが何になる?と聞かれると困るんですけど。
中に入って、入場券買って、1時間くらいかかったか、もっとかかったか?見終わった時はもう12時だったから。見終わった感想は、疲れた。。。。
正直言って、いまいち。全てが本当のコメントがかかれていないから。親鸞の生きた事実は不明なところが多いのです。それがまことしやかに書かれていて、幻滅のところも。
見終わって、おなかがすいたぁ。。。。といって食べるところないし。しょうがないから岡崎公園の美術館前を南に鳥居をくぐって、橋を渡って。
神宮道の橋から東山を望む
橋を渡った交差点の南に市にセブン・イレブンがある。そこで弁当を買って店の前のお休み処で食べた。結構たくさんの人がしていたなぁ。(外国人もいたけど、外国人の数ものすごく少ない)
食べ終わって平安神宮に向かう。実は平安神宮は何度か言っているのだけど、庭園を見たことがない。今日が初めて。
平安神宮を見て回ると結構ありそうなので、重い荷物を美術館のロッカーに預けることにした。ここのロッカー100円いるけど、後で戻ってくる。助かるねぇ。。。。
(帰りに親鸞展の公式ブックを買ったよ。2500円もするんだぞ。たっけぇ)