2007年11月07日
京都を歩く 鹿ケ谷通りに
哲学の道の紅葉のスポットから南へ行くと。若王子神社、栄冠堂、何千時と辿ることになるが、この日はそのコースを撮ることは予定していない。ここから山を下り、丸太町通りへ出て、バスに乗るつもりなのだ。
紅葉スポットの脇に階段がある。この階段を下りるのは初めてだ。位置としてはほぼ丸太町の東にあるという検討なので、この階段を下りることにした。
階段を折り始めて気づいたのだが、その下には大きな屋敷の庭がある。かなり手入れも行き届き見事な庭である。一人の情勢が水でもまいておられる野か、何かされている様子だ。
階段を下りきり、屋敷の横の通りを西に向かって歩く。非常に静かな住宅地である。道が細いことを除けば、なににも言うことはない。
この道は、突き当たる。左右どちらに行けばと迷った。丸太町と折は少し北だから右になるが、不案内な道、本当に迷ったが、右にとって見た。なんと袋小路だった。そのお蔭で、面白いオタクを見ることになった。(写真は、家の仲間で移るので遠慮して撮らなかった。)
逆に戻り、寺の前でまた西に向かう。本当に静かな高級住宅地である。
この辺り『鹿ケ谷』ということなのか? 歴史的に平安時代には和田になる土地である。藩へ池の一等がこの知覚で、酒を酌み交わして、酒の銚子(へいし)を倒して『へいし(=平氏)が倒れた』などと愚痴っていたという所である。つまりは、昔らそういったお金持ちの集まるところだったのかもしれない。
西に向かう道を突っ切ると鹿ケ谷通りに出る。この通りは、銀閣寺下の疎水からまっすぐ永観堂のほうにいっているみちだが、この次期車の通行は非常に少ない。
交差点を左折して、坂を下っていく。この道が丸太町と下りの延長の道だ。
下っていく途中で、なんと足がつってしまった。歩き始めて約2時間半、休むことなくあり着続けた疲れ、日ごろ歩かない足の弱さの報いである。何とか我慢して白川通りと丸太町通りのの交差点、天王町間で下りてきた。この交差点の西南にあるバス停から市バスに乗って宿の河原町五条に戻った。
**この交差点、天応町の西北の山が『黒谷』金戒光明寺、真如堂のある山で紅葉のスポットです。**
これで、今回の今日を歩くは、終わりです。
もっと書くべきこともあるのですが、それはいずれまたということで・・・・
紅葉スポットの脇に階段がある。この階段を下りるのは初めてだ。位置としてはほぼ丸太町の東にあるという検討なので、この階段を下りることにした。
階段を折り始めて気づいたのだが、その下には大きな屋敷の庭がある。かなり手入れも行き届き見事な庭である。一人の情勢が水でもまいておられる野か、何かされている様子だ。
階段を下りきり、屋敷の横の通りを西に向かって歩く。非常に静かな住宅地である。道が細いことを除けば、なににも言うことはない。
この道は、突き当たる。左右どちらに行けばと迷った。丸太町と折は少し北だから右になるが、不案内な道、本当に迷ったが、右にとって見た。なんと袋小路だった。そのお蔭で、面白いオタクを見ることになった。(写真は、家の仲間で移るので遠慮して撮らなかった。)
逆に戻り、寺の前でまた西に向かう。本当に静かな高級住宅地である。
この辺り『鹿ケ谷』ということなのか? 歴史的に平安時代には和田になる土地である。藩へ池の一等がこの知覚で、酒を酌み交わして、酒の銚子(へいし)を倒して『へいし(=平氏)が倒れた』などと愚痴っていたという所である。つまりは、昔らそういったお金持ちの集まるところだったのかもしれない。
西に向かう道を突っ切ると鹿ケ谷通りに出る。この通りは、銀閣寺下の疎水からまっすぐ永観堂のほうにいっているみちだが、この次期車の通行は非常に少ない。
交差点を左折して、坂を下っていく。この道が丸太町と下りの延長の道だ。
下っていく途中で、なんと足がつってしまった。歩き始めて約2時間半、休むことなくあり着続けた疲れ、日ごろ歩かない足の弱さの報いである。何とか我慢して白川通りと丸太町通りのの交差点、天王町間で下りてきた。この交差点の西南にあるバス停から市バスに乗って宿の河原町五条に戻った。
**この交差点、天応町の西北の山が『黒谷』金戒光明寺、真如堂のある山で紅葉のスポットです。**
これで、今回の今日を歩くは、終わりです。
もっと書くべきこともあるのですが、それはいずれまたということで・・・・
2007年11月06日
京都を歩く 哲学の道
シーズンオフの哲学の道。紅葉までにはまだ一月以上ある。目に入る景色は緑だ。そして歩く人もまばら、それでも、あちこちで三々五々(もっと少ないか)の人が疎水を眺めたり、写真を撮ったりしている。
途中には、どなたかは知らないが大きな屋敷が点在している。通るたびに、このお屋敷の本当の出入り口はどこにあるのだろうなどと思ったりもする、疎水に面して大きな門構えから出入りされているのだろうか??
哲学の道でも最高の紅葉のスポットに来た。絵を書いておられる方が一人おいでになる。鉛筆の淡色の絵を並べておられる。シーズンになったら、こんなこと出来なくなるのではないかとも思う。
そういえば、途中で手書きの絵葉書を即売されている女性もいたなぁ。何でも、短時間しか底においでにはならないとか。
外国人を案内している人もいる。あのきれいな紅葉をご覧になれないのは、本当に残念な気持ちでもある。ガイド役の方はそんな話をされているのだろう。
地図はこちら
2007年11月05日
京都を歩く 銀閣寺道から哲学の道
バスは、百万遍の交差点を東に今出川通りを進む。右手は京都大学、左手の奥に『百万遍=知恩寺』がある。
知恩寺は、私の母校のゆかりの寺、恩師がここの管主を勤められたこともあり、お亡くなりなられた数年後に始めて訪れたが、観光寺ではない静かな佇まいだった。宗門のシンボルであるイチョウの木があったと記憶する。
右手京大の東には、三高の寮歌(古いですなぁ、こんな話)に歌われる吉田山がある。吉田山の知覚では今出川通りはSカーブし、上り坂になる。この辺りは、京都で行われるいくつかの駅伝(マラソン)の映像に必ず登場するところだ。
今出川通りと白川通りの交差点が、銀閣寺道。今出川をそのまままっすぐ白川通りを突っ切ると左に疎水があり、その先直進すると銀閣寺に至る。さらにその後ろに大文字山に至るのだ。
この疎水に沿って東に歩いていく。車が通る道は、この疎水の土手よりも低いところにある。疎水はもともとの自然の川ではないから、むかし室町の頃に東寺の人たちが銀閣寺に行くときはどんな道を通っていたのだろうと思うのだが、なんとも想像しにくいものだ。
途中、疎水の上を南に流れていく川がある。これが白川だ。こうした文を書かない限り、意識するものではないのだが、今は目にしたものを書くということで、運河(疎水)の上を流れる川(白川)として書いている。
私が歩いているのは、疎水の上流に向かって右手の土手だ、その土手の歩道は、交番の前を通過して、その先建物(消防の分団とある)につき当たって終わる。そして車の通る道に下りることになる。
ここまで来ると、観光客が多くなる。修学旅行の中学生か高校生なのだろう、アイスクリームなどを食べたりしている。他にも観光客はいるが、紅葉シーズンでもないので、そんなには多くない。
疎水に沿って右に折れ、銀閣に向かう道から外れる。少し行ったところに市営駐車場に下りる階段ある。階段で修学旅行の団体とすれ違う、私が修学旅行で京都に来たときを思い出そうとしたが、もう50年以上も昔のこと、どこをどう歩いたかの記憶はなく、ただ銀閣寺の庭を見たという記憶だけがよみがえった。
この階段を下り駐車場に来たのは、本当は『おめん」でうどんを食べるつもりだったのが、今日は取りやめたので店の構えだけでも写真に収めようと店に向かったからだ。シーズンオフでもあり、時間が時間で、店はひっそりとしていた。
「おめん」本店の店の横の道をまた疎水に向かって上がった。そして疎水に沿って南に向かって歩いていく。ここから南は、修学旅行の生徒たちとすれ違うことはまずない。すれ違うのは2人3人のグループや外国人の数人の観光客だ。
法然院に上がる橋で写真を撮った。紅葉の季節なら、ここでこの橋を渡り上がっていくのだが、今は行ってもただ静かな境内を見るだけということがわかっているので、このまま疎水に沿って歩いていく。
観光客目当ての店がいくつか開いていない。閉鎖したところもあるようだ。ただ、紅葉シーズンになると回転するところもあるのかもしれないが。
疎水に沿った風景は、本当にちらほら赤い葉があるが、まだまだ本格的に紅葉になるのは一月も先の話だ。京都の紅葉は、おおむね「勤労感謝の日」前後以降といわれている。しかし、昨年は色は悪かったと聞くが、今年はどうなのだろう。
むかし、TVのサスペンスドラマで岡江久美子が女主人役をした設定と聞く店がある橋に来た。この橋の袂に外国人の団体さんがいる。何をしているのかその店の周りでたたずんでいる。紅葉の季節なら、よかったのにと正直気の毒に思うのだが。
知恩寺は、私の母校のゆかりの寺、恩師がここの管主を勤められたこともあり、お亡くなりなられた数年後に始めて訪れたが、観光寺ではない静かな佇まいだった。宗門のシンボルであるイチョウの木があったと記憶する。
右手京大の東には、三高の寮歌(古いですなぁ、こんな話)に歌われる吉田山がある。吉田山の知覚では今出川通りはSカーブし、上り坂になる。この辺りは、京都で行われるいくつかの駅伝(マラソン)の映像に必ず登場するところだ。
今出川通りと白川通りの交差点が、銀閣寺道。今出川をそのまままっすぐ白川通りを突っ切ると左に疎水があり、その先直進すると銀閣寺に至る。さらにその後ろに大文字山に至るのだ。
この疎水に沿って東に歩いていく。車が通る道は、この疎水の土手よりも低いところにある。疎水はもともとの自然の川ではないから、むかし室町の頃に東寺の人たちが銀閣寺に行くときはどんな道を通っていたのだろうと思うのだが、なんとも想像しにくいものだ。
途中、疎水の上を南に流れていく川がある。これが白川だ。こうした文を書かない限り、意識するものではないのだが、今は目にしたものを書くということで、運河(疎水)の上を流れる川(白川)として書いている。
私が歩いているのは、疎水の上流に向かって右手の土手だ、その土手の歩道は、交番の前を通過して、その先建物(消防の分団とある)につき当たって終わる。そして車の通る道に下りることになる。
ここまで来ると、観光客が多くなる。修学旅行の中学生か高校生なのだろう、アイスクリームなどを食べたりしている。他にも観光客はいるが、紅葉シーズンでもないので、そんなには多くない。
疎水に沿って右に折れ、銀閣に向かう道から外れる。少し行ったところに市営駐車場に下りる階段ある。階段で修学旅行の団体とすれ違う、私が修学旅行で京都に来たときを思い出そうとしたが、もう50年以上も昔のこと、どこをどう歩いたかの記憶はなく、ただ銀閣寺の庭を見たという記憶だけがよみがえった。
この階段を下り駐車場に来たのは、本当は『おめん」でうどんを食べるつもりだったのが、今日は取りやめたので店の構えだけでも写真に収めようと店に向かったからだ。シーズンオフでもあり、時間が時間で、店はひっそりとしていた。
「おめん」本店の店の横の道をまた疎水に向かって上がった。そして疎水に沿って南に向かって歩いていく。ここから南は、修学旅行の生徒たちとすれ違うことはまずない。すれ違うのは2人3人のグループや外国人の数人の観光客だ。
法然院に上がる橋で写真を撮った。紅葉の季節なら、ここでこの橋を渡り上がっていくのだが、今は行ってもただ静かな境内を見るだけということがわかっているので、このまま疎水に沿って歩いていく。
観光客目当ての店がいくつか開いていない。閉鎖したところもあるようだ。ただ、紅葉シーズンになると回転するところもあるのかもしれないが。
疎水に沿った風景は、本当にちらほら赤い葉があるが、まだまだ本格的に紅葉になるのは一月も先の話だ。京都の紅葉は、おおむね「勤労感謝の日」前後以降といわれている。しかし、昨年は色は悪かったと聞くが、今年はどうなのだろう。
むかし、TVのサスペンスドラマで岡江久美子が女主人役をした設定と聞く店がある橋に来た。この橋の袂に外国人の団体さんがいる。何をしているのかその店の周りでたたずんでいる。紅葉の季節なら、よかったのにと正直気の毒に思うのだが。
2007年11月04日
京都を緒歩く 哲学の道
上の写真は、数年前の紅葉待ったあだ名かに撮影したもの、今回私がこの地に訪れたのは、窓シーズンよりも一月も早いじき。紅葉なんて望めるわけもなく・・・
この場所の10月半ばは下の写真です。
さて、今月のいつごろに赤くなるでしょうか?
お行きになったかたの報告を待ちましょう。
地図はこちら
2007年11月03日
京都の紅葉 南禅寺
南禅寺
紅葉シーズンの南禅寺は、
人の中を歩くようなものです。
この写真のように、
人を入れないで撮影するなんて
とんでもなく難しいことです。
足: JR京都駅から市バスで行くのは大変です。
ちょっと歩きますが、地下鉄で蹴上に行かれたほうが
スムーズだと思います。
名古屋方面から快速の乗り継ぎで行く方は
JR山科下車で地下鉄に乗り換えが便利です。
2007年11月02日
京都を歩く 三条河原町 07年10月
矢田寺を出て三条通りを東に歩く。河原町三条のバス停で銀閣方面に行くバスに乗るのだ。
河原町通りに出たところで振り返り、アーケードを見上げた。いつからこんなアーケードになったのか。初めてここに来たのは、小学校の修学旅行だった。確か、そのときの宿は狭い道に面したところで、その宿から、小学の集団(昔は一クラス50人もいたぞ)がぞろぞろこの通りと新京極を歩いた・・・
もう50年以上も前の大昔のことだ。それから何度ここを通ったか、この春は、孫と一緒に西に向かって寺町通りまで歩いたりもした。
もう一度振り返って東を見る。東山が見える。こんなに細い道。この先の鴨川の三条大橋が東海道の終点だった。そして、その終点は京阪電車の大津へ行く乗り換え口でもあった。
ここから銀閣寺に行くには、バスは2系統ある。今出川通りまで北上して銀閣寺にいたるコースと二条通りで東に折れ京都美術館、動物園を通り、丸太町通りから鹿ケ谷経由で銀閣寺の下まで行くコースだ。
今回は、歩く距離を少なくしようと、鹿ケ谷コースを取ろうとしたのだが、そのコースのバス停が見当たらない。三条通りから北に数箇所のバス停があり、それぞれ行き先が異なる。みんな見たつもりなのだが、目的のコースのバスがかかれていない。仕方がないからバス待ちの人に聞くことにしたのだが、「京都在住の方?」と聞いたうえで『バス停はどこ?』の質問はどなたもだめでした・・・・
しかたなく、直にやってきた今出川コースのバスに乗ることになってしまった。
このバスで、今出川を東に。百万遍の交差点で、久しぶりに京都大学(憧れの大学)の建物を目にしたのだ。
河原町通りに出たところで振り返り、アーケードを見上げた。いつからこんなアーケードになったのか。初めてここに来たのは、小学校の修学旅行だった。確か、そのときの宿は狭い道に面したところで、その宿から、小学の集団(昔は一クラス50人もいたぞ)がぞろぞろこの通りと新京極を歩いた・・・
もう50年以上も前の大昔のことだ。それから何度ここを通ったか、この春は、孫と一緒に西に向かって寺町通りまで歩いたりもした。
もう一度振り返って東を見る。東山が見える。こんなに細い道。この先の鴨川の三条大橋が東海道の終点だった。そして、その終点は京阪電車の大津へ行く乗り換え口でもあった。
ここから銀閣寺に行くには、バスは2系統ある。今出川通りまで北上して銀閣寺にいたるコースと二条通りで東に折れ京都美術館、動物園を通り、丸太町通りから鹿ケ谷経由で銀閣寺の下まで行くコースだ。
今回は、歩く距離を少なくしようと、鹿ケ谷コースを取ろうとしたのだが、そのコースのバス停が見当たらない。三条通りから北に数箇所のバス停があり、それぞれ行き先が異なる。みんな見たつもりなのだが、目的のコースのバスがかかれていない。仕方がないからバス待ちの人に聞くことにしたのだが、「京都在住の方?」と聞いたうえで『バス停はどこ?』の質問はどなたもだめでした・・・・
しかたなく、直にやってきた今出川コースのバスに乗ることになってしまった。
このバスで、今出川を東に。百万遍の交差点で、久しぶりに京都大学(憧れの大学)の建物を目にしたのだ。
2007年11月01日
京都の紅葉 栄摂院3
地図はこちら
栄摂院
もう3回目なので
説明は必要ないでしょう。。
金戒光明寺から
本当に偶然に言ったのに
まるで導かれるごとく
(おかげさまの世界)
本当にきれいでした。
2004年11月撮影
地図はこちら
足は、金戒光明寺と同じで
市バス:東天王町 下車 少し歩きます。
**真如堂から南に金戒光明寺に向かうと言うコースもありますね。。
栄摂院
もう3回目なので
説明は必要ないでしょう。。
金戒光明寺から
本当に偶然に言ったのに
まるで導かれるごとく
(おかげさまの世界)
本当にきれいでした。
2004年11月撮影
地図はこちら
足は、金戒光明寺と同じで
市バス:東天王町 下車 少し歩きます。
**真如堂から南に金戒光明寺に向かうと言うコースもありますね。。
2007年10月31日
京都を歩く 寺町・三条 矢田寺
三条通りは、歩けば歩くだけいろいろなものにぶつかる。前回の中京郵便局、文化博物館、そしてその並びにまだいくつかの文化施設がある。とにかく戦争での空襲を免れたことが幸いしているということなのかもしれない。
しかし、戦争で焼け野原になった名古屋のような戦後の都市計画での新しい町並みを望むことは出来ない。そのために車社会という時代になりながら狭い道を一方通行にしているのは苦肉の策でしかないといわれかねない。
この三条通りの古い文化財、建物を生かした街づくりをしているものの、この先いつまでそれを保存できるか、レンガ造りの建物などどのくらいの耐久性があるのだろう。いっそ木造の町家のほうが耐久性があるかもしれないのだが、烏丸~河原町間の三条通りにはいわゆる町家はそんなにはない。既に壊されているところのほうが多いか、そもそもこの通りには昔から町家はなかったのかもしれない。(烏丸からに市には結構残っていたと記憶する。)
そんなことを思いながら東に進んでいき、寺町通りの交差点に来た。この交差点の東北に交番があり、その隣に本当に小さい寺がある。小さい寺ではあるが、今回は訪れている人が思いのほか多い。春に来たときは、私と孫の二人だけだったが、今回はカメラを抱えたお年を召した女性、それよりも若い女性、その他に数人の参拝者がおられた。
この寺は、鐘をつくことが出来る。毎度参拝のたびにつかせてもらっているが、いい音がして、気持ちがよいのである。(実は、この界隈、蛸薬師通りの東詰め、新京極にある蛸薬師も鐘がつけたはず。)
この矢田寺は、写真のようにかわいいお地蔵さんに願いをこめてかけて、参拝者はお帰りになるのだろう。(春に、孫はもって返り、今でも持っているはず)
この寺町通りは、豊臣秀吉の京都都市計画で寺を集めたことから寺の集中するとおりになったのだろう。現在城下町として残るところの多くに『寺町』が存在するが、その事例となったのではないかと、私は乏しい知識の中から思い込んでいる。この通りの北、御池通りの交差点の東南角に本能寺があるが、それも寺町を作った際に引っ越してきたもので、信長が襲われた本能寺は「元本能寺」といわれ現在の堀川高校から三条通りまで一帯に存在していた。
矢田寺 地図はこちら
しかし、戦争で焼け野原になった名古屋のような戦後の都市計画での新しい町並みを望むことは出来ない。そのために車社会という時代になりながら狭い道を一方通行にしているのは苦肉の策でしかないといわれかねない。
この三条通りの古い文化財、建物を生かした街づくりをしているものの、この先いつまでそれを保存できるか、レンガ造りの建物などどのくらいの耐久性があるのだろう。いっそ木造の町家のほうが耐久性があるかもしれないのだが、烏丸~河原町間の三条通りにはいわゆる町家はそんなにはない。既に壊されているところのほうが多いか、そもそもこの通りには昔から町家はなかったのかもしれない。(烏丸からに市には結構残っていたと記憶する。)
そんなことを思いながら東に進んでいき、寺町通りの交差点に来た。この交差点の東北に交番があり、その隣に本当に小さい寺がある。小さい寺ではあるが、今回は訪れている人が思いのほか多い。春に来たときは、私と孫の二人だけだったが、今回はカメラを抱えたお年を召した女性、それよりも若い女性、その他に数人の参拝者がおられた。
この寺は、鐘をつくことが出来る。毎度参拝のたびにつかせてもらっているが、いい音がして、気持ちがよいのである。(実は、この界隈、蛸薬師通りの東詰め、新京極にある蛸薬師も鐘がつけたはず。)
この矢田寺は、写真のようにかわいいお地蔵さんに願いをこめてかけて、参拝者はお帰りになるのだろう。(春に、孫はもって返り、今でも持っているはず)
この寺町通りは、豊臣秀吉の京都都市計画で寺を集めたことから寺の集中するとおりになったのだろう。現在城下町として残るところの多くに『寺町』が存在するが、その事例となったのではないかと、私は乏しい知識の中から思い込んでいる。この通りの北、御池通りの交差点の東南角に本能寺があるが、それも寺町を作った際に引っ越してきたもので、信長が襲われた本能寺は「元本能寺」といわれ現在の堀川高校から三条通りまで一帯に存在していた。
矢田寺 地図はこちら
2007年10月30日
京都の紅葉 南禅寺山門
南禅寺 山門
2004年11月撮影
石川五右衛門が
「絶景かな、絶景かな」と
言ったという有名なところ。
公式HP : http://nanzenji.com/ 地図はこちら
足 : 市バス 南禅寺・栄観堂道 下車
地下鉄 蹴上 下車
シーズン中の市バスは、乗れない と覚悟が必要。
地下鉄がいいのではないかと思います。
JR京都駅から烏丸御池乗り換え東西線で蹴上
JR山科から東西線で 蹴上
**バス地下鉄 一日乗車券 1200円
コースとしては、
地下鉄で蹴上へいき、歩いて
南禅寺、永観堂、若王子神社から
疎水(哲学の道)に沿って北上し 法然院、銀閣までがお勧め。
この逆も同様にお勧め。
ただし、週末、祝祭日は人を見て歩くことになる覚悟が必要。
2007年10月29日
京都を歩く 三条通り 07年10月
頂法寺=六角堂でかわいいお地蔵さんやら親鸞のこわもての銅像の写真を取った。正面の門から六角堂通りに出て、もときた道で東に向かい、すぐに出会う東洞院通りの交差点を左折し、三条通りに向かって上がる。
(京都では、きたにむかうことを「あがる」というが、この理由は、京都の地形が、北に行くほど高くなり、現実に上がっているから。なんでも南北の標高差は、東寺の五重塔の高さくらいあるとか.)
三条・東洞院の交差点で写真を撮る。
右の写真は、中京郵便局である。(「なかぎょう」と読んでください。間違っても『ちゅうきょう』とはいわないように。)
京都の『条』のつく通りで、平安京のときのままといわれる通りは少なく、この三条通りはその少ないうちの一つだそうだ。(なぜそうなったかは、豊臣秀吉の京都都市計画によるものらしい。)
そういった閉経の上に、京都は太平洋戦争での空襲を免れたことで、古き建物が結構残されている。上の写真の郵便局の東には、「京都文化博物館」があるが、これも残されているものの一つだ。
まあ、このように残されているとはいえ、平安のものではなく、平安からは遠い、現在に近い明治の頃のものなのだろうか。
地図はこちら
(京都では、きたにむかうことを「あがる」というが、この理由は、京都の地形が、北に行くほど高くなり、現実に上がっているから。なんでも南北の標高差は、東寺の五重塔の高さくらいあるとか.)
三条・東洞院の交差点で写真を撮る。
右の写真は、中京郵便局である。(「なかぎょう」と読んでください。間違っても『ちゅうきょう』とはいわないように。)
京都の『条』のつく通りで、平安京のときのままといわれる通りは少なく、この三条通りはその少ないうちの一つだそうだ。(なぜそうなったかは、豊臣秀吉の京都都市計画によるものらしい。)
そういった閉経の上に、京都は太平洋戦争での空襲を免れたことで、古き建物が結構残されている。上の写真の郵便局の東には、「京都文化博物館」があるが、これも残されているものの一つだ。
まあ、このように残されているとはいえ、平安のものではなく、平安からは遠い、現在に近い明治の頃のものなのだろうか。
地図はこちら
2007年10月28日
京都の紅葉 金戒光明寺
法然上人ゆかりの寺
金戒光明寺
通称 黒谷さん
この寺は、江戸時代幕府の庇護を受けていた浄土宗の寺。
幕府の庇護があったためか、
幕末は京都治安維持のために
会津藩の藩士の宿泊所となりました。
本堂を下り、南東方向には、
会津藩の藩士の墓所もあります。
この金戒光明寺のある山(黒谷)は
紅葉で有名な真如堂が、
この寺の北に位置しています。
公式HP:http://www.kurodani.jp/
足:ちょっと歩かねばなりませんが・・・・
参考HP http://www.kurodani.jp/explain/map.html
一般的には、 市バス 東天王町 下車で歩く
岡崎神社前からは、遠いですが 筆者のお勧め
2007年10月27日
京都を歩く 07年10月 六角堂=頂法寺
六角堂は、前にも書いたように「生花発祥」の地である。そんな関係から、池坊で行事があるときなどは、女性がいっぱいということもあった。
今回は、お遍路さんのイメージの団体さんが一組、ご夫婦連れが2組、若い女性の3人グループが一組、そして私のように独り者の男性が二人。団体さんは、なんやら経を読んでおられた、途中から聞いたのだが多分あれは『般若心経』だろう。
私は、ここへ来るのはもう何度目だろう。回数はもう覚えていない、とにかく10回を越えていることは確かだ。来るたびにいろんなものに出会うのだが、今回は特にこれといったものなかったものの、久しぶりに線香を上げてきた。
親鸞がここで「女犯偈」の無告を請けたとかいても、一般の人には「なんのこっちゃ」といわれることだと思う。親鸞はここに通いつめて、ある日の明け方夢を見たわけだ。それが親鸞の生涯に大きな意味を持つことになるというもの。
この寺は、聖徳太子の建立という縁起になっているが、まあ信ずることは難しい。時代があまりにも違いすぎる。聖徳太子の時代には、京都=平安京は生まれる200年以上前、都市の形もなかっただろう。
六角道は、京都の中心といわれている。京都の中心というと、平安京の中心と思いがちだが、平安京の東西の中心は、現在の千本通りになるので、二条城の西まで移動する。ここでいう京都は、秀吉の都市計画によるものかもしれないが、現在の町並みに近いものであるらしいが、ほんとの中心というのは疑わしい。しかし、この寺の本堂の前(南)には『へそ石』なるものがある。
よく気をつけていないと見逃すことになる。正面の門から本堂に向かって進み、本堂の手前右側にある。 京都のへそと信じるか否かは、見た人の気持ちしだいです。
今回は、お遍路さんのイメージの団体さんが一組、ご夫婦連れが2組、若い女性の3人グループが一組、そして私のように独り者の男性が二人。団体さんは、なんやら経を読んでおられた、途中から聞いたのだが多分あれは『般若心経』だろう。
私は、ここへ来るのはもう何度目だろう。回数はもう覚えていない、とにかく10回を越えていることは確かだ。来るたびにいろんなものに出会うのだが、今回は特にこれといったものなかったものの、久しぶりに線香を上げてきた。
親鸞がここで「女犯偈」の無告を請けたとかいても、一般の人には「なんのこっちゃ」といわれることだと思う。親鸞はここに通いつめて、ある日の明け方夢を見たわけだ。それが親鸞の生涯に大きな意味を持つことになるというもの。
この寺は、聖徳太子の建立という縁起になっているが、まあ信ずることは難しい。時代があまりにも違いすぎる。聖徳太子の時代には、京都=平安京は生まれる200年以上前、都市の形もなかっただろう。
六角道は、京都の中心といわれている。京都の中心というと、平安京の中心と思いがちだが、平安京の東西の中心は、現在の千本通りになるので、二条城の西まで移動する。ここでいう京都は、秀吉の都市計画によるものかもしれないが、現在の町並みに近いものであるらしいが、ほんとの中心というのは疑わしい。しかし、この寺の本堂の前(南)には『へそ石』なるものがある。
よく気をつけていないと見逃すことになる。正面の門から本堂に向かって進み、本堂の手前右側にある。 京都のへそと信じるか否かは、見た人の気持ちしだいです。
2007年10月26日
京都の紅葉 園光寺
園光寺
2001年11月撮影
記憶では、
南禅寺の修行道場
と書かれていたように思います。
この寺のモミジ葉の葉は小さく
撮影したときは、
風に吹かれて散るモミジは、
さながら吹雪きでした。
いろいろ紅葉を見ていますが、
もみじ吹雪はここだけです。
しかし残念なことに、
カメラには収められませんでした。
地図はこちら
足: 市バス 一乗寺下り松町下車 詩仙堂に向かって上り
詩仙堂少し下を北に(曼殊院方向)に
徒歩10分くらいか?
(市バスは、一日乗車券の圏外で100円が別途必要)
**詩仙堂から曼殊院に向けて歩くのがコース。その途中)
参照HP: http://kamogawa35.exblog.jp/3429163/
2007年10月25日
京都を歩く 07年10月 新京極~頂法寺
午後2時 宿としている河原町五条のマンションを出る。
京都駅で買ったバス一日乗車券を使って河原町三条まで行くことにした。
結構観光客乗ってます。
三条で下りるつもりでいたのだが、河原町四条の手前で携帯がなった。車内で話は出来ないので、四条河原町で下車した。(電話の相手は、某一部上場会社の専務。その夜、食事を共にすることに)
本当は三条を西進するつもりだったが、河原町四条で下りたので歩くコースを変更しなければならない。たまたま、西に入って新京極通りに出ることが出来たので、新京極を上がって(北に行って)、誓願寺から西に六角通りを歩くことにした。
誓願寺は、落語発祥の寺として有名で、お笑い芸人さんたちのメッカとも言われている。そして、飛騨高山にも関連があると記憶する。
この寺の門は西を向いているが、この寺が六角通りの東端である。
誓願寺の前、新京極通りの西側にちょっとしたお休みところがある。ちょっとお休み。
西に向かって歩き始めた。
京都には、通りの名前を覚えるための歌がある、その歌には『御池通り』(市役所のある通り)から南の四条通りまでの間に「姉三六角蛸錦」と歌われてている。つまり、御池通りから『姉小路通り』『三条通り』『六角堂通り』『蛸薬師遠通り』『錦通り』そして『四条通り』となる。この歌からわかるように、『六角堂通り』は「三条通り」の一本南に位置しているのである。
写真は、寺町通りのアーケードから西方向に六角通りを見ている。写真でお分かりと思うが狭い道である。
この狭い道を一方通行で東に向かってくる車を避けながら歩いていく。この通りはそんなに、いやほとんどといっていいくらいに文化財にはなぜか行き当たらない。老舗の会社の事務所や小学校がある、
「柳馬場」だったか「富小路」だったかの交差点で、写真の画材屋さんを見つけた。小さいお店ながら、中には日本画用の絵筆や顔料などを並べていた。
そして、この先が、前回の「頂法寺=六角堂地図はこちら」に行き着くのだ。
京都駅で買ったバス一日乗車券を使って河原町三条まで行くことにした。
結構観光客乗ってます。
三条で下りるつもりでいたのだが、河原町四条の手前で携帯がなった。車内で話は出来ないので、四条河原町で下車した。(電話の相手は、某一部上場会社の専務。その夜、食事を共にすることに)
本当は三条を西進するつもりだったが、河原町四条で下りたので歩くコースを変更しなければならない。たまたま、西に入って新京極通りに出ることが出来たので、新京極を上がって(北に行って)、誓願寺から西に六角通りを歩くことにした。
誓願寺は、落語発祥の寺として有名で、お笑い芸人さんたちのメッカとも言われている。そして、飛騨高山にも関連があると記憶する。
この寺の門は西を向いているが、この寺が六角通りの東端である。
誓願寺の前、新京極通りの西側にちょっとしたお休みところがある。ちょっとお休み。
西に向かって歩き始めた。
京都には、通りの名前を覚えるための歌がある、その歌には『御池通り』(市役所のある通り)から南の四条通りまでの間に「姉三六角蛸錦」と歌われてている。つまり、御池通りから『姉小路通り』『三条通り』『六角堂通り』『蛸薬師遠通り』『錦通り』そして『四条通り』となる。この歌からわかるように、『六角堂通り』は「三条通り」の一本南に位置しているのである。
写真は、寺町通りのアーケードから西方向に六角通りを見ている。写真でお分かりと思うが狭い道である。
この狭い道を一方通行で東に向かってくる車を避けながら歩いていく。この通りはそんなに、いやほとんどといっていいくらいに文化財にはなぜか行き当たらない。老舗の会社の事務所や小学校がある、
「柳馬場」だったか「富小路」だったかの交差点で、写真の画材屋さんを見つけた。小さいお店ながら、中には日本画用の絵筆や顔料などを並べていた。
そして、この先が、前回の「頂法寺=六角堂地図はこちら」に行き着くのだ。
2007年10月24日
京都の紅葉 高台寺2
高台寺
高台寺の中でも一番人が集まり、動けないところです。
上半分は本物の紅葉、下半分は池に写った紅葉
風のない日に初めてみたときは、
池に吸い込まれるような不思議な感覚になったものです。
いつもご案内する人が、
この世のものではないように思える
という感想を述べられました。
照明で色をつけ人工的に作られています。
これを薪の明かりでやったら
もっときれいかもしれません。
しかし、それも昔の話で、
今はあまりにも人が多くなり、
じっくりと見ることは期待できないと思います。
。地図はこちら
地図はこちら
公式HP http://www.kodaiji.com/
足 京阪:四条 阪急:川原町 市バスで 東山安井
JR京都 市バスで 東山安井
**シーズン中、休日はこの辺りは車は動けません。
市バスも巻き込まれるので、時間的にはかなり大変でしょう。
四条川原町辺りからなら 八坂神社経由で歩くのもいいかと思います。
お勧めコースとしては、
地下鉄で 東山三条へ行き
青蓮院 → 知恩院 → 円山公園 → 高台寺
と歩きましょう