2008年01月26日

久々の洗車

今日は、愛車を洗車しました。
 もう15年目のRV。まだ7万キロも走っていない。

 でも、かなり長いこと洗車していなかった。いや、戦車はしたけど、ワックスを少しサボっていた。

この車が、近々お嫁に行くことになったのです。
 知り合うがほしいとおっしゃるので。

 それでは、少しはきれいにしておかないといけないということで、
 3時間くらいかけて、線sんはとワックスと
  車内を掃除機で念入りに。

 かわいがってもらえるように。
 

今日は、風はあったものの そんなに寒くは無かった
  洗車するにはいい日だったと思う。
  昔から、洗車すると翌日雨になったが、
   明日はどうだろう????

 お嫁に行くまで降らないといいのだけど。  

Posted by 生田 at 17:56Comments(2)TrackBack(0)今日の日

2008年01月26日

京都08年 日帰り旅 13 知恩院・紫雲水

 千姫の墓の後ろ(北側)には、『濡れ髪の祠」というのがある。寺を読んだだけでは、夏の夜、この祠の前に濡れ髪の女が両手緒をだらりとして出てきそうな雰囲気。



 大体、お寺の境内に、しかも墓地に神社があること自体めちゃくちゃ話なのだが、江戸以前はまかり通っていた話だし、日本人(国民)はこういうことにはうるさくはない。(うるさい私は非国民かな?)
 **神社は、基本的に墓は持たないと聞いてます。神社では『死は穢れ』とも**

 お墓の中を行って帰って、どっちか言うと、好きじゃぁないんですね。霊魂を信じない私が、墓が苦手。矛盾しているようですが、先人の心の中のものが、なんとなくかぶさってくるような気がして。幽霊とか言うものではなくいてね。


 元の勢至堂の前に戻った。この勢至堂の正面を向いて右側(東の山側)に『紫雲水』とかかれたものがある。法然上人がなくなったときは、紫雲がなびき、芳香がした、と、親鸞聖人も書いているように、昔々偉い人は亡くなると、阿弥陀さんが迎えに来て、紫の雲が流れて、いいにおいがしたということのようである。
 その法然上人の死に水を取った泉水がこの『紫雲水』ということらしい。 ん~~~

 まぁ。こうしたこのの信心は、お読みになる方にお任せします。



 『紫雲』 という言葉は私の脳裏から離れない。
 私が、小学校6年のときだったかと思う。当時、高松(香川県)~宇野(岡山県)は連絡船の運航だった。この連絡船の一つに『紫雲丸』というものがあった。最後の航海となったとき、大事故を起してしまった。衝突事故を起して、沈没したのである。死者を168名出している。私の頭の中には、そのときの現場写真、助けを求める人々の映った沈没していく紫雲丸の写真が脳裏に焼きついているのだ。
 このときにこの事故を揶揄(本当にこうした気分で使われていたように記憶している)していったことが「紫雲丸=死運丸」だったのだ。船の命名が近くの山『紫雲山』ということなのだそうだが・・・・
 日本人は、今でも結構あるようだが、語呂あわせで忌みする言葉を嫌う。「三切れ=身切れ、見切れ」「四=死」などは私の母親などは酷かった。そうした時代でありながら、使われた『紫雲、死運』なのである。
 人が死んだら、紫の雲が流れる中で阿弥陀さんが迎えに来て(来迎) という、浄土信仰がなしたものだが、その一つがここに残っている。
   

Posted by 生田 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)京都

2008年01月25日

昨日のカウンタ やっぱ変だった

昨日カウンタが変 と書いたけど
 やっぱ変だったんだって。

ほかの人も影響出ているような印象です。
 突然、カウンタがアップした人は
 可能性ありです。


それから、今日
 5時ごろ ネットがとまりかけた。
 なんかトラブルがあったんだって。  

Posted by 生田 at 17:51Comments(8)TrackBack(0)PCの話

2008年01月25日

名古屋市の裏金に思う

 名古屋市、市役所、区役所で裏金が見つかって久しい。

 いろいろ取りざただsれている割には、議員が前に出てこない。こんなことは議員の目がちゃんとしていなければいけないのだが、何も追求が無いに等しく影が薄い。
 こんなことしていると、同じアナのムジナと思われるだろう。(可能性高いといわれてもしょうがないよ)

 そこで
 今朝の新聞報道によると、新年度から区役所に区長に使い道権限を与える予算200万円がつくとのこと。
 いい加減にしてほしいもんだ。これじゃぁ、裏金を表に出して、堂々とするようなもんじゃない。またこの予算は使い切らないといけないと、裏へ溜め込むこともありうるんだよな。

 どこまで言ってもいたちの尻尾。

 尻尾は、切ってしまって欲しいんだが。  

Posted by 生田 at 13:34Comments(2)TrackBack(0)社会性

2008年01月25日

京都08年 日帰り旅 12 知恩院・勢至堂2

 勢至堂 

 知恩院では法然上人の大遠忌に向けていろいろ修復工事をしている。上人廟も現在修復工事中であるとのこと。ということで、上人の三宝がこの勢至堂に置かれている。
 本来、御影堂のような大きい建物ではなく、廟としての建物の中に上人地震を置いておくのがいいとは思うのだが、徳川の初期の将軍は、一揆を治めるために開祖を祀ることで何とかしようという姑息な考えだと思うのだが。

 この勢至堂が現在の御影堂が出来るまでの、知恩院の本堂としての役目を果たしていたと、ここでもボランティアの人の解説。そうかなぁ??もともと、法然上人は、黒谷(現在の金戒光明寺や法然院辺りに庵を持っていたように聞くのだが、現在の知恩院のもともとの住人は本願寺であったとも聞く。徳川の誰だったかが、本願寺を追い出して知恩院を建立し、本願寺を現在の東本願寺にしたとも。(西本願寺は、大綱秀吉の寄進)

 正直言って、この建物には、興味はないなぁ。。。人のいないときにきたら話はわかるかもしれないが。


 裏手に『千姫』の墓があるというのでそちらに回った。雪がちらついている。。。。。。

  

Posted by 生田 at 00:00Comments(4)TrackBack(0)京都

2008年01月24日

鞍馬天狗

先週は、
 放映時間を間違えて見逃した
 (その時間は、裏でBSのエリザベスモンゴメリー奥様は魔女を見ていた
  娘、面白いといっていた)

 今週は、見ました。
 う~~~ん
  かっこいい鞍馬天狗だなぁ。。。。
  ただ、かっこよさが、今風で。 萬斎くんのイメージもちょっと違った。
 
 ストーリーがね。重くない?
  アラカンさんの鞍馬天狗は、ちゃんばらそのもの
  それに過ぎ柵が出てきて、当時の子供たちが胸をわくわくさせた話。
 どうも、今の鞍馬天狗は、大人に見せる
  しかし、重いから、見るかなぁ??

 しかし、来週3回目はどうなるの?
  

Posted by 生田 at 21:34Comments(0)TrackBack(0)TVなど

2008年01月24日

なんだ? またカウンターが。。。。

今日は 親の支援の日
 ということで終日 BLOGのチェックは出来ない
 帰ってきてチェックしたら カウンターがまた400を越えている
 越えるような話題は書いてない。

もう、ほんとに、いい加減なカウンタ
 いやいや 不正なアクセスするヤツが
 ほんとに困ったもんだ。  

Posted by 生田 at 19:22Comments(4)TrackBack(0)PCの話

2008年01月24日

風で飛ばされ・・・

今日は、ものすごく風が強かった。
 我が家の車は軽い車体なので、
  チョトした風でも流されるというのに
   今日は流された・・・・・

流されたのは、車だけではなくて。。。。。
 私の重い重い体が、なんと飛ばされようと。
  ほんと、ひっくり返る寸前まで
   だれ? 足腰が弱った って言っている人
    否定はしないけど でも風で飛ばされそうになるほどじゃぁないヨォ。

何はともあれ、
 台風なみでやんした。  
タグ :冬の嵐強風

Posted by 生田 at 19:18Comments(2)TrackBack(0)今日の日

2008年01月24日

京都08年 日帰り旅 11 知恩院・勢至堂へ

 経蔵から少し北に(経蔵向かって左)向かうと階段がある。そんなに急には見えないが、結構長い。それに左側は工事をしているような。階段というのは、勾配がゆるくても長いと結構応えるものだが、まあ何とかなるでしょう。

 勢至堂の『勢至』とは法然上人の幼名「勢至丸」から来ているわけだが、『勢至』そのものが「菩薩」の名前でもある。阿弥陀如来の脇に立っている菩薩さんである。
 このように書くと、知恩院は変だよなぁ。勢至が真ん中にいて、阿弥陀が横にいるから。この点、本願寺はもっと変になるなぁ。。。だって、親鸞には菩薩名は無いよ。。。阿弥陀さんを超えた仏様ということになるのかな?

 そんなことがチラッと頭を掠めたが、今日はそんな御託を並べるために来たのではない。とにかく来たからには見るべきものは見なくては、日ごろは見ること出来ないはず(ホントか?) ということで、階段を上がりは始めた。少し、イヤほんとにすぐに右側に大きなつぼのような石柱が立っている。そこにはなんと名古屋の地名が彫りこまれているではないか。思わず、写真を一枚。
 書かれている地名は、「西区塩町」。いつごろのもか見てこなかったが、かなり時代物だから(といっても明治以降かな?)最近の住居表示の変更で消えている可能性が大きいだろう。



 この記事を書きながら「伊藤満蔵」や「名古屋市西区塩町」で検索したら、いっぱい出てくるんdねすね。江戸末期から明治にかけての豪商だったそうで、その方があっちこっちに寄贈した石の彫り物の一つらしい。

 
 階段を上がっていく、踊り場ないんだよな。今の建築基準法では踊りがが必須なんだが、こんな昔のものは基準なんて無いものなぁ。この階段て、TVの時代物によく出てくるところだと思えるんだが、工事のお蔭でわからない。長い塀があって、最近の建物の無いところというとこうしたところしか残ってないもんなぁ。。

 階段は、かなり長いと膝に来る。何せ重い重いものが上に乗っているので、膝関節には負担がかかるし、持ち上げるのに筋肉も悲鳴を上げるわなぁ。。。 申し越しだ我慢しろ。

 上がりきったところはなんか不気味な雰囲気。普通の人はなんとも思われないかもしれないが、どうも寺が分かれているような感じがするのだ。だから手入れがきちんとできていない。法然さんのお墓のちかくで、これなないだろう. 大きな手者だけではなくて、こうした途中のものもきちんと整備してこそ大遠忌なんだけな。


 
 ここが踊り場、勢至堂は、左に折れたところにある。そして山の上には目下工事中の法然上人廟がある。

 勢至堂に向かう門を入って左に観音菩薩像がある。なんだか、変な気分なのだ。浄土宗に観音菩薩はねぇ。
  

Posted by 生田 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)京都

2008年01月23日

歯の治療

昨年から続いている歯の治療

 口の中、だんだん白ではなくて メタリックになっていく。

 自分のもんじゃぁない・・・・・
   なんとなく、取り外しの出来ないいればのような雰囲気

      悲しい現実
  

Posted by 生田 at 17:39Comments(2)TrackBack(0)今日の日

2008年01月23日

だまされた『神の手』

先日神の手をけいたいでっ見せられた話を書いた。
 その時載っけなかった写真が、あっちこっちに出回っている。
 それも教徒ではなく、沖縄の話で、

 携帯で見たときは、小さくてぼけていたが、
 WEBで見る大きな写真は、
 明らかに 作為のある画像。

どうも、だまされた友人が、妹に送って
 それを私に見せたもののようだが・・・・

ちなみに、
 その写真といわれがあるアドレスを書いておこう。
 http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BF%C0%A4%CE%BC%EA?kid=222085  

Posted by 生田 at 08:01Comments(4)TrackBack(0)社会性

2008年01月23日

京都08年 日帰り旅 10 知恩院・経蔵

 御影堂の外廊下をひとまわりして、正面に戻って階段を下りた。入れ替わりたくさんの非度が階段を上がっていく。これで、目的の2つ目は終わり、次は特別拝観の2つ目、『経蔵』に向かう。

 経蔵の右手にい小さい池とその上に石の橋がある。ひょっとしてこれが昔々の思い出のところ?
 大学2年のときだったか、学校をサボって(公式にです)京都を友人たちと歩いたことがある。そのときに、どこかの寺の境内にある石の橋で記念撮影をしている。円山公園の奥にある坂本龍馬の銅像を見た後でのことなので、知恩院の中ではないかと思うのだが、何せ40年以上も前の話し、周りが変わりすぎているのだ。似てはいるけどねぇ。。。


納骨堂前の池と石橋


 経蔵の前には、にわか作りの切符売り場がある。600円の拝観料を買い求めるのだが、千円札を出したら、係りの女性に『細かいのありませんか?』といわれた。小銭要れを探したら何とか足りる金額が会ったので、それを出したら、笑顔を返された。どこに言っても笑顔はいいものだ。


今日蔵したから屋根を見上げる


 経蔵の中では、ボランティアの人の解説がある。そのために、解説が終わるまで、その後ろは渋滞である。そのお蔭で、じっくりと壁画を見ることが出来た。
 壁画は平成に入っての修復とのこと。う~~ぅ、かなり酷い手だなぁ。元絵は、狩野派の絵師の作と聞くが、狩野派の絵は知恩院の書院にある障壁画に見るようにかなり繊細であり力強いものがあるのだが、ここの壁画には繊細さは全くといっていいほど感じない。近くで見るものではないのか???

 解説は、私の興味を引くようなものはほとんど無かった。大体、知恩院自体が江戸時代に建てられたもので、私の求める平安末期から鎌倉時代のイメージとは程遠いからだろう。
 半分回ったところに、大きな頭の人形さん(失礼、聖人なのだろうから)がある。なんでもこの経蔵の建立に携わった中国の人だとか。私は、この手のもの苦手なんです。(頭のでかいのは特に)
 
 経蔵の中央は、多くの寺がそうだが、マニ車がある。この知恩院の経蔵のマニ車は、日本最大と解説が言っていた。マニ車を意識して近くで見るのは3つ目だが、確かに大きいかな?善光寺のマニ車よりは大きいのは確かだ。
 このマニ車を回すと、そこに収められたお経を全部読んだことにしてくれるのだが、残念ながら今回はまわすことではきない。人の多いところで、まわして事故でもあったらと言う配慮なのだろう。まぁ、もっとも私としては、回して経を全部読んだなんて信じることも無いしなぁ。

 そんなに大きな建物でもないので、渋滞がなければ数分で見終わるところだろう。

さて、次は勢至堂に向かう。  

Posted by 生田 at 00:00Comments(2)TrackBack(0)京都
  
2015大津・京都の旅
1泊2日のドライブ旅行
2015北海道・道東の旅
1週間870kmのドライブ旅行
大学OB会と
50年ぶりの鎌倉
OB会の後に鎌倉と横浜に行ってきました
15年年頭 広島宿泊の旅
鞆の浦、竹原、宮島に行きました
14年秋 京都宿泊の旅
久しぶりに新幹線に乗りましたが・・・
13年秋 京都ドライブ旅
京都の紅葉の名所・毘沙門堂に行きました
12年秋 室生寺ドライブ旅
すてきな観音様と再会です
室生寺五重塔
12年秋 京都ドライブ旅
1年ぶりの京都です
三千院
10年秋 平泉ドライブ旅
4泊5日 2000キロの一人旅です
平泉・わんこそば
   
10年夏 室生寺 日帰り旅
素晴らしい観音さんに出会いました
室生寺・五重塔
10年初夏 宇治・長岡 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに黄檗山満福寺・六地蔵・法界寺谷寺・長岡天神
布袋さん
09年秋京都 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに 紅葉がきれいな京都
南禅寺の紅葉
08年秋京都 日帰り旅
08年11月25日貧乏・一人・日帰り旅の記録です。
鳳凰堂を望む
観光シーズン 京都の歩き方
京都市・地下鉄 東西線沿線
09年浅草と川越
浅草観音
07年信州の旅
上田城内
アクセスカウンタ
プロフィール
生田
生田
 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
オーナーへメッセージ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。 解除は→こちら
現在の読者数 18人
QRコード
QRCODE