2008年01月22日

ハチミツとクローバ

先週は、ちょっとしたトラブルがあって見逃してしまった。

今週は・・・・・・

 大学に行くために、卒業証明書と成績証明sが必要
 それを取り寄せたのが届いた。
  41年前の成績表。
 それを見て、 その後で、この番組。。。。

 なんとなく、
  辛かった学生生活を思い出してしまった。
   恋の話なんて、友達みんなはいっぱいあっただろうけど。。


 ちょっと、気が重い。


**
グラウンドから富士山が見えた
駅から大学まで15分から20分あったかな?もっとか?
武蔵野の面影がいっぱいあった。玉川上水。
  秋になると通学路は落ち葉ですべるくらいに
卒業の年は、よく雪が降った
  そういえば、入学試験の日も雪が降ったのではなかったか? 
  統一一時やら、センター試験の無かった時代。

**
ドラマの中の学生は、携帯電話で話している。
  お金持ちなんだね。
  私の学生時代は、
   仕送り(当時は現金を現金書留で送ってもらった)の前になると
   食事をする金がなくなる。
   大根に醤油 それをご飯にかけて
  友人は1週間学校に来なかった
   やっと出てきた彼の言葉、
   電話する金も無かったのだ  と

**
ふと、『浜田山』から『○○山』の連想で東工大を思い出した。
 あれは大岡山だった。。。。か  

Posted by 生田 at 21:39Comments(0)TrackBack(0)TVなど

2008年01月22日

今日の天気

今日もゴゼン太陽が顔を出した。
 布団を外に持ち出して・・・・・

 1時間くらいで 空が重くなってきた。
 一時、太陽が顔を出したような。。
  でも、私の頭のようにぼけ~~としていた。

フトを干そうと思うたびに
  こんなに冷たくて。
  夜あった隠して寝たいのに。。。。  悲しい。


**20時40分
 TV画面がチラつく カミナリみたい
 天気用法のWEBでは名古屋雨が降っている
 雨戸閉めたので、外見えず。  

Posted by 生田 at 20:15Comments(2)TrackBack(0)今日の日

2008年01月22日

京都08年 日帰り旅 9 知恩院・忘れ傘

 御影堂の外、といっても外の回廊に出た。正面右手、回廊のひさしに江戸時代このみえ移動建立の際に、左甚五郎が置き忘れたとまことしやかに言われ続けている「忘れ傘」がある。
 大昔、私が始めてこの知恩院を訪れた小学校の修学旅行のときには、軒下には網なんか無かったと思うんだが、今は鳥が巣を作らないようにと金網が貼り付けてあるので、傘なんてじっくり捜さないとつけるのが困難。写真やら、誰かが説明に使うと思われる竹竿やらで何とかこの辺りにあるという検討は付けられるのだが。まぁ、多くの人が同じように天井を仰ぎ見て探している。


はっきりとした画像の中に忘れ傘が


 これを見たからどおってことは無いんだけど、やっぱり話題になるものは見ておきたいのが人の心理なんでしょうね。

 その先に回ったら出入り口が目に入った。ひょっとしたら御影堂正面に上がって、裏手に下りる際の出入り口かと思い込んで、ならば老いてきた靴を持ってこようと正面に戻って階段を折り靴を手に再度廊下に上がり反対側に回った。
 御影堂の西側になるのだが、ここの回廊からは阿弥陀堂が見える。御影堂に比べるとかなり規模が小さい。つまり法然さんよりも阿弥陀さんのほうが納まる建物が小さいということ。それに、場所もメインの正面ではないし・・・



 阿弥陀堂に廊下から手を合わせて御影堂の裏手に回る。(阿弥陀堂にはいけないのです。通行が止められています。)
 知恩院は『鴬張り』という、歩くと「キー、キー」と鳴く廊下で有名です。お寺で敵の侵入を察知するなんて目的は必要ないと思うのだが、京都の寺は時には城の役目も果たすことろからこんなものが付けられているんどだろう。
 回廊はあまり鳴かないが、御影堂と阿弥陀堂の間は、昔歩いたときに鳴いたように思う。今は歩けないが、御影堂の真裏の廊下を歩くと泣き声を聞くことが出来る。裏手の建物『集会所?』は工事中だが、そこに渡る廊下が『鴬張り』を体験するためだろうか、歩くことが出来るように配慮されている。

 廊下の先には何かが展示されていたが、記憶に残さず帰ってきた。
 この廊下から、ついさっき見つけた出入り口があるのだが、なぜか『関係者以外通行禁止』。ということは、元の正面に戻らねばならないのだ。何のために靴を取りに行ったのかと、こころのなかかで「ブツブツ」
 仕方が無いので、阿弥陀堂の反対側の廊下へ向かって正面に戻ったが、例の忘れ傘では結構たくさんの人が上を見上げていた。誰もが同じ気持ちになるらしい。
  

Posted by 生田 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)京都

2008年01月21日

雪 降らず


雪降らず

天気予報ではサンザン降るようなことを言って

正月もそうだった
白銀の元旦 なんて

雨の降る予報も日がずれたり
コンピュータの計算は昔より速くなってるはずだよ
多分、ソフトが悪いんだろうな

それを作った人間の思考が・・・・
  

Posted by 生田 at 20:05Comments(0)TrackBack(0)

2008年01月21日

異常だった アクセスカウンタ

今朝(1/21) 星猫さんから調査結果の報告

 やはり不正アクセスがあったようです。
 海外からのアクセスとのことです。
  詳しくは、
   http://news.mediacat-blog.jp/e17516.html
 に報告されてます。

 是非お読みください。


**
へんだなぁ と思ったら 星猫=StarCat の技術さんに連絡しましょう。
一人のためでなく、多くの人のために  

Posted by 生田 at 09:42Comments(5)TrackBack(0)PCの話

2008年01月21日

京都08年 日帰り旅 8 知恩院・御影堂

がんばって石段を上りきった。
 久しぶりですね。こんなにがんばったのは。今日はがんばりの連続。

 上りきったところは、広い広い、なんというのだろうこの場所を。
 そして、御影堂と、その後ろには改修中の建物の多いが見える。改修は、法然上人の800年の大遠忌。三年先のことだが、それに向けての関連施設の大修理が行われているわけだ。東西の本願寺、目下東本願寺が大改修中だが、これは、親鸞聖人の750年の大遠忌。40歳の都市の違いとなくなった年の違いがあるものの、こうした近い大遠忌の法要となる。
 それにしても、金のかかることだろう。



 御影堂の中から拍子木の音が聞こえる。いろんな法要にはつき物とはいえ、この甲高い音は私の耳には本来ご法度。下手をするとパニックになる大人のだが、恐る恐る御影堂に上がってみた。中には結構たくさんの人が中央に座って手を合わせている。何がおかれているのかご存知なのだろうか・
 浄土宗、浄土真宗の多くの本山の寺には御影堂があるが、これが大体が欄の中央に配置されており、一番大きいところが大半。阿弥陀堂もあるが、大体が御影堂の左に存在する。
 阿弥陀様が、真ん中にあるのではなく左にあるということだ。では中央はというと、浄土宗、知恩院の場合は法然上人、本願寺の場合は親鸞聖人のお姿(御影)が鎮座しているのである。これで仏様よりも法然上人、親鸞聖人がメインの州ということになりかねないのだが、どなたもこうしたことには口を挟まないのである。

 知恩院も本願寺も政治がらみで出来た大きな寺である。誰がどういう判断でこうしたことにしたのか、私はそこまでは研究していないがいつも疑問を持っている。

 拍子木のおとは常道集の檀家さんの回忌法要のために行われている度胸とともにされているものだった。何組もの檀家さん家族が集まり座っておられる。麺となる僧侶が回忌法要の方のお俗名を一人ひとり読み上げている。本山での回忌法要に出会ったのは初めてである。
 (名前の読み上げは、熱田神宮などで、誕生、七五三さんなどのときに子供名前が読み上げられるのと全く同じ方式)

 中央の法然上人の三宝に手を合わせて、御影堂の外に出て、裏手の鴬張りの音を聞きに行くことにした。
  

Posted by 生田 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)京都

2008年01月20日

新風舎が 破産手続きに

先日 新風舎が変になったと書いたが

 今朝の新聞ニュースで『破産手続きに入った』と。

 何でも、支援の印刷会社が見放したとか。

 それに、資産は何も無いとも。

  もともと自転車操業で、

  客からの予約金を食っていたようなので、

  当然といえば当然だろうと思う。

  ただ、これで、払い込んだ人 お金戻らなくなるよなぁ。。

他にも似たような会社がるんで

 契約した人、早めに手を打ったほうがいいと思うヨ。
  

Posted by 生田 at 21:34Comments(1)TrackBack(0)社会性

2008年01月20日

京都08年 日帰り旅 7 知恩院・石段を上がる

 今回の京都日帰り旅行のメインである知恩院三門の特別拝観は、これで終了。無事に下りてきて、ただただほっとしているところだが、さて次はサブイベントの御影堂、勢至堂、経堂の見学と方丈庭園などを見てあるくのだ。
 これらをこなすためには、何らかの形で高い所に上がっていかねばならない。知恩院の三門の後ろには、男坂としての段差のきつい石の階段と緩やかなカイダンノ女坂(知恩院では女人坂という)。からだの調子はまぁ悪くはないし、次に来るとしたらこの石の階段男坂を登るだけの脚力があるのかどうか、そうした問題も先には出てくるので、足がいうことを利く間にのぼっておこうと男坂を登ることにした。

 ここの階段本当に結構きついんだよな。大体ここに来るときは雨にたたられるのが多いけど、10年位前に来たときは、お彼岸でありながら雪になってもおかしくない寒い雨の日だったが、そのときもこの石段を登った。雨の中上るのは結構疲れたよ。
 


 上の写真は、人が途切れそうになったときに撮ったもの。右上の女性は、私よりお年をお召しになっている感じだったが、私よりも後から上り始めて、この状態。
 私は、写真を撮っていたのですよねぇ・・・人が途切れるのを待っていたんです。女性の前の集団が抜けたと思いきや、女性がかまわず入り込んでしまったので、上りきるのを待っていたら、次の塊が・・・・・



 ということで、人のない写真はあきらめ。

 **三門を見たら、上から写真を撮っている野郎がいる。撮影禁止だぞぉ。しかられたんだぞぉ。案の定、監視が飛んできたがな**

 何とか上りきりました。
 腿の筋肉はかなり張ってるよ。でも、まだ大丈夫。

 と、御影堂に向かいます。
 
 **大きい建物は 御影堂です。本堂ではありません。
   

Posted by 生田 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)京都

2008年01月19日

京都08年 日帰り旅 6 知恩院・三門を下りる

仏様を見て、落書きを見た。
 さてさて、三門を降りなければならない。
 階段のところにきて下を見た。うわぁ~~~とんでもない急な階段だ。大丈夫かいな。といっても、誰も手助けしてくれないから、勇気を振り絞って下りなくてはなならない。ここでも右側通行を無視して、左側の手すりに抱きつくようなカッコウで下り始めた。血の気が引くこともなさそうなので、何とか抱きつきながら、一段一段降りていけるが、後の人が困っているだろうなぁとは思うが、気を利かせてくれたのか、誰も降りてこない。
 曲がり角、ここは手すりもロープも無いよ。ロープにはさわらないでくれと書いてある。曲がり角から下のほうがうんと段数が多いのだ。う~~~~。仕方がない。みっともなくてもいいから、左手を手すりに巻きつけて、一段ずつ降りていく。下にはボランティアの女性とバスガイドさんがいる。私を見上げているが、『ええ歳のおっさんが危なっかしいなぁ』と思っているだろう。
 見た目、非常に健康そうな私を見て、『臆病者』と内心思っているやも知れないが・・・

 とうとう後ろから人が降りてきたぞ。女の人が右側を追い越して降りていく。恥ずかしいなんて気持ちは無いよ。ケガ無く降りることが一番皆さんに迷惑をかけないことだろうから。


 何とか、無事に下りきりました。
 下りて、開口一番 「高所恐怖症にはきついわぁ」(関西訛り読んでください) 
 バスガイドさん。「そやわななぁ」
  おそらく見慣れた光景なのだろう。
 それに付け加えて、『お城ではもっときついところあるよ』と、またまたきついことをいう。
 あちこちのお城を見に行きました。血の気が引かない時は、何とか登りも下りもできたけど、出来ないところもあったよな。姫路城なんか5層か何層かあったけど、途中でのぼりを断念。3層くらいでじっと気持ちの落ち着くのを待っていた記憶がよみがえった。
 松本城、犬山城は、ちゃんと上って下りたぞ。

 こうした恐怖はもう二度と味わいたくないと、心に決めた。
 私自身のためもあるけど、他の人の迷惑にもなるから。

 外へ出て、ほっと一息つきました。


下りてから山門を通して西の京都市街を見る
向こうの山は雪模様だ


 さて、この次は、男坂の石段を登らなくては。女坂があるのはわかっているけど、こんな状態で登ることがいつまでできるかわからないから、上れるときに上っておくのだ。  

Posted by 生田 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)京都

2008年01月18日

アクセスカウンターがまた異常?

昨日はいつもよりも少し多いなぁと思っていた。
 それは、『コミュファ』のことへのアクセスが多いので
 多分そのせいかな? と思っていたのだが、
今朝は、9時少し前で、
  もう400件を超えるサクセス。
  こんなことは考えられない。
昨年暮れから、変なランキングがあったけど
  何以下、作意を持ったアクセスがあるように思えて。。。

ついさっき、星猫さんに調査を依頼しました。


***10時に追記
   カウンタ 1時間で450件増えて 900を越えた。
   いくら話題性を持った投稿をあしたとはいえ、それは昨日のこと
   今日は、そんなのしてないし、1時間で倍になるとは。

***11時追記
   カウンタの伸びは10時半頃にぴたっと止まった。
   なざ???  

Posted by 生田 at 09:04Comments(4)TrackBack(0)今日の日

2008年01月18日

京都08年 日帰り旅 5 知恩院・三門の中

 必死で上がった割には、写真を取らせてもらえないので、内心『仏仏(ぶつぶつ)』。半分回って、北側に。そこから中に入るt。
 ここは、仏の場。あれっ???TVで見たときは、もっとキンキラキンで、きれいだったぞ。今は、ライトも当たっていないから、なんかくすんで見えるし、それにそれに、、、ここは阿弥陀さんの世界じゃぁないヨォ へぇ????
 知恩院は、法然上人が開祖の浄土宗。当然浄土教の中にあるはず。それなのに、それなのに。なんと西を向いて鎮座しているのは、釈迦無尼仏だ。法然さんは、「南無阿弥陀仏」それだけでいいといっていたはず。それなのにそれなのに。

 実は、法然上人が亡くなってから、弟子たちがいろいろ意見が食い違って、いろんな派ができたんだよな。それで、完全じゃ浄土教ではなく、天台宗の流れが結構多く残っているということか・・・
 この点が、親鸞が浄土宗を離れた理由の一つになるのだろう。

 中で、ボランティア(だと思う)の人の説明がある。なにかかかれたものを丸暗記して、それを反されているという印象だ。その元となる話の出所が何なのかわからない。私がこれまで学んできたことと多少の食い違いがあったりする。
 それと、僧籍の方ではないので、精神的なものの話が無い。最もされたとしても、聞いておられる方がどこまでその話に耐えられるかが問題かもしれない。

 天井や周りに竜や怪獣の絵が描かれている。いつかかれたものかわからない。話を聞いあとでじっくりをまわりのへい、欄間?に描かれている絵を眺めていて、人間の名前、地名が書かれているものがあることに気づいた。なんだろうと考えた見たが、最初は絵を書いた絵師の出身地と名前かと思ったのだが、ぐるっと回ってみていくと所かまわず書き込まれているではないか。ということは、これは落書きだろうと思う棟になった。
 説明員というとか案内人というか、ボランティアの若い女性に声をかけて聞いてみたら、「廃仏毀釈の時に寺が全て解放された時期があり、そのときに書かれた落書きではないか』との見解を。彼女、立命館大学文学部の3回生とのことだった。

 
  

Posted by 生田 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)京都

2008年01月17日

飛行機雲

 本業のトラブルで目が回りそうな3日目、

 息抜きに外へ出てみたら
  東から西に ものすごく太い飛行機雲

 飛行機雲だよなぁ。。 まさか、地震雲じゃぁないよね。



  

Posted by 生田 at 14:06Comments(8)TrackBack(0)今日の日
  
2015大津・京都の旅
1泊2日のドライブ旅行
2015北海道・道東の旅
1週間870kmのドライブ旅行
大学OB会と
50年ぶりの鎌倉
OB会の後に鎌倉と横浜に行ってきました
15年年頭 広島宿泊の旅
鞆の浦、竹原、宮島に行きました
14年秋 京都宿泊の旅
久しぶりに新幹線に乗りましたが・・・
13年秋 京都ドライブ旅
京都の紅葉の名所・毘沙門堂に行きました
12年秋 室生寺ドライブ旅
すてきな観音様と再会です
室生寺五重塔
12年秋 京都ドライブ旅
1年ぶりの京都です
三千院
10年秋 平泉ドライブ旅
4泊5日 2000キロの一人旅です
平泉・わんこそば
   
10年夏 室生寺 日帰り旅
素晴らしい観音さんに出会いました
室生寺・五重塔
10年初夏 宇治・長岡 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに黄檗山満福寺・六地蔵・法界寺谷寺・長岡天神
布袋さん
09年秋京都 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに 紅葉がきれいな京都
南禅寺の紅葉
08年秋京都 日帰り旅
08年11月25日貧乏・一人・日帰り旅の記録です。
鳳凰堂を望む
観光シーズン 京都の歩き方
京都市・地下鉄 東西線沿線
09年浅草と川越
浅草観音
07年信州の旅
上田城内
アクセスカウンタ
プロフィール
生田
生田
 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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