2008年07月15日
久々の朝の地下鉄・名城線
今日の移動はいつもの経路ではなく違い経路をとってみた。
名城線で行ってみたらどうなるだろうと。それに、この通勤時間帯は、過去は金山-上前津間は全国有数の混雑路線だった。あれから20数年立ったが、今はどういった混み具合か見てみたかったのだ。
過去は、とにかく金山からはすし詰め状態で身動きすらできなかった。若かったとはいえかなりきつい思いをしたものだ。(ラッシュアワーなんて、死語なのかな?)
今日はその金山からの乗車する人が減っていることで、これがラッシュの時間帯?と思えるほどの車内の空きようである。地下鉄の経路が増え、桜通線にかなりの人が経路変更しているのだろうか?確かに、桜と折り線の乗車率は、昔に比べるとかなり増えている。名城線に比べると多少混んでいるかとは思うが、比較すれば名城線<桜通線だ。
最も新瑞あたりからは、行き先が違うのかもしれない。会社のある場所によって、名城線、桜通線の選択ができるようにもなったということなのだろうが。
名城線は、金山で環状線と名港線が合流しているので、乗車する人が前に名光線から来たものに乗っているとすれば、今日の空いている理由の一つかもしれないが、それでも昔とは隔世の感がある。
上前津で下車して、バスに乗り換え。はは・・ここで15分以上待つことになってしまった。いつもよりも時間がかかったよ。明日から早めよう。
今度は、また違った路線の移動を試みてみる。来たやつにのって乗り換えする。お金換わらないから、これが敬老パスのいいところ。
名城線で行ってみたらどうなるだろうと。それに、この通勤時間帯は、過去は金山-上前津間は全国有数の混雑路線だった。あれから20数年立ったが、今はどういった混み具合か見てみたかったのだ。
過去は、とにかく金山からはすし詰め状態で身動きすらできなかった。若かったとはいえかなりきつい思いをしたものだ。(ラッシュアワーなんて、死語なのかな?)
今日はその金山からの乗車する人が減っていることで、これがラッシュの時間帯?と思えるほどの車内の空きようである。地下鉄の経路が増え、桜通線にかなりの人が経路変更しているのだろうか?確かに、桜と折り線の乗車率は、昔に比べるとかなり増えている。名城線に比べると多少混んでいるかとは思うが、比較すれば名城線<桜通線だ。
最も新瑞あたりからは、行き先が違うのかもしれない。会社のある場所によって、名城線、桜通線の選択ができるようにもなったということなのだろうが。
名城線は、金山で環状線と名港線が合流しているので、乗車する人が前に名光線から来たものに乗っているとすれば、今日の空いている理由の一つかもしれないが、それでも昔とは隔世の感がある。
上前津で下車して、バスに乗り換え。はは・・ここで15分以上待つことになってしまった。いつもよりも時間がかかったよ。明日から早めよう。
今度は、また違った路線の移動を試みてみる。来たやつにのって乗り換えする。お金換わらないから、これが敬老パスのいいところ。
2008年07月15日
あんどーなつ 2回目 ほおずき 菓子と市
貫地谷しほり 主演のドラマの第2回。
時期だ時期だけに浅草の「ほおずき」市のからみ。
ほおずきのお菓子って本当になるのかな?きれいな色をしていた。京菓子にでもありそう。
ほおずき市、学生時代にいっておけばよかったと、この時期になって話が出てくるたびに後悔をしている。まじめすぎたのか?単なるアホやったのか?気が小さかったのか?
みんな当てはまりそう。
大体が誕生日がこの時期に重なるのに、学生時代には誕生祝なんてしてもらったことがない。いや、誘われてはいたにもかかわらず、帰省するというのを口実に一度も行かなかった。
貧乏学生には、お祝いに誘われてもその先に待っている出費の原資が手になかったということ。気が小さい、オバカな証明。そのお蔭で、いい思い出を作ることが出来なかった。
現実、いつもこの時期になると名古屋に帰っていた。返ったところで、誰ともつながりがあるわけでなく、いつも一人バイトをしていた。(バイトはバイトで、いろいろ勉強させてもらったが)
これが、大学時代の思い出とは、今になると悲しいものだ。
ドラマを見ながら、そんなことを思い出していた。
ドラマの筋は、明日をも知れぬ父親のために、幻の「ほおずき」菓子を探していた人に、なんとかとどける、そして、その父親はおいしく食べて息を引き取ったと。
明日をも知れぬ人に、心底望んでいるものを届けると、それが最期になることが多い。希望をかなえて息を引き取ってもらえると、残されたものには精神的に楽なものなのだが。とは言え、正直難しい選択でもある。届ければ最期になりかねないと思うとき、最期にするか、見つけるまで待てと生きさせるか。
いずれ、こんな話が待っているように思えてならない。
時期だ時期だけに浅草の「ほおずき」市のからみ。
ほおずきのお菓子って本当になるのかな?きれいな色をしていた。京菓子にでもありそう。
ほおずき市、学生時代にいっておけばよかったと、この時期になって話が出てくるたびに後悔をしている。まじめすぎたのか?単なるアホやったのか?気が小さかったのか?
みんな当てはまりそう。
大体が誕生日がこの時期に重なるのに、学生時代には誕生祝なんてしてもらったことがない。いや、誘われてはいたにもかかわらず、帰省するというのを口実に一度も行かなかった。
貧乏学生には、お祝いに誘われてもその先に待っている出費の原資が手になかったということ。気が小さい、オバカな証明。そのお蔭で、いい思い出を作ることが出来なかった。
現実、いつもこの時期になると名古屋に帰っていた。返ったところで、誰ともつながりがあるわけでなく、いつも一人バイトをしていた。(バイトはバイトで、いろいろ勉強させてもらったが)
これが、大学時代の思い出とは、今になると悲しいものだ。
ドラマを見ながら、そんなことを思い出していた。
ドラマの筋は、明日をも知れぬ父親のために、幻の「ほおずき」菓子を探していた人に、なんとかとどける、そして、その父親はおいしく食べて息を引き取ったと。
明日をも知れぬ人に、心底望んでいるものを届けると、それが最期になることが多い。希望をかなえて息を引き取ってもらえると、残されたものには精神的に楽なものなのだが。とは言え、正直難しい選択でもある。届ければ最期になりかねないと思うとき、最期にするか、見つけるまで待てと生きさせるか。
いずれ、こんな話が待っているように思えてならない。