2008年10月02日
2008年10月02日
小説『親鸞と真佛』(5)
「真佛よ。確かに、難しい問題であった。比叡の山にいるころから私は僧の有り方に疑問を持っていた。いったいなぜ僧は妻を娶ってはならないのか。いや、それだけではなく、女性と交わってはならないのか。人として現世で生きるとき、正直な人としての気持ちを持って、女人と接することがなぜいけないのか、私にとってはこれが一番大きな問題であったのだ。仏の前では、男であろうと女であろうと同じ立場でなければならないと、人としての差別は無いと教えを受けているにもかかわらず、いざ同じ席で、同じ屋根の下で暮らすことが、また男として女に興味を持ち、心を通じさせようとするのは人としての営みとしては自然なことでもある。にもかかわらず、僧という立場になるとそれはご法度、女犯になってしまう。
釈尊は、一旦は家族をもち、妻も子供もある身であったにもかかわらず、それを打ち捨て出家された。つまり、その釈尊のとられた出家という行動が、異性との断絶ということになったのかもしれないが、釈尊の教えに、僧が異性を絶たねばならないということはとかれていないと思うのだ。誰が、どの時点で『女犯』という掟をつくったのかと、いぶかしんでいた。
正直言って、仏の教えの『平等』と『女犯という差別』という、私から見たときの矛盾をどう解決するかは、かなりな時間悩んで来たものだ」
「上人は、いつごろからそのように思われ始めたのでしょうか」
「真佛よ。いつごろと問われると困るのだが、思い起こせばまだ二十歳になるかなり前であろうか。叡山にいて、尊師、座主のご依頼ごとで洛中に出かけた折に、いろいろと女人とお話をする機会も多くなり、そうしたときに胸がときめく人とお会いするときは、ずいぶん『修行が足りない』のではないかと悩んだものだ」
「上人ですら、そのようにお悩みになられたのですか。私が悩んだのも当然といえば当然のことでございます」
「真佛よ、そのように誤解するではない。誰であろうとも、人として現世で生きるもので、男ならば女子に胸ときめかせるのは、何の問題も無いことであろう。それを、僧という身分であるから、そのような気持ちになることは『女犯』のおきてを犯したという。本来は、そのようなことの方に無理があると言うものであろう。
実は、そんな十代という多感な年頃に恵信に出会っているのだ。そのころ恵信は三善家のご本宅に預けられ、いろいろの教育を受けているころであり、まだまだほんの子供という印象であった。私が九条様のお宅に慈円様のお使いで出かけた折に、たまたま本当に偶然、三善家のどなたかのお供をして恵信も来ていたのだが、そのとき九条様から紹介されたのが恵信との初めての出会いなのだよ」
親鸞は、目をつぶり遠い昔の情景を目に浮かべ、それらを懐かしむかのように、真佛に向かってゆっくりと話している。あの御影堂で見る親鸞像、安城の御影に見るケンのある親鸞の顔はまったく消え去っている。長く生きてきた一人の男がこれまで押さえつけられてきた思い出を素直な気持ちで人生の後輩である真佛に語っている年老いた人なのである。どこにもいる好々爺といった感じがする今である
**
ここに記載している名前『村沢』は、私の小説の中に登場する人物で架空のものです。
また筋は、これまでに読んだ文献から作者自身の思いとして独自に組み立てたものです。
そのため、史実とは異なっているものと違っている可能性がかなり大きいとお考えください。
WEB公開していますが、著作権は放棄していません。
釈尊は、一旦は家族をもち、妻も子供もある身であったにもかかわらず、それを打ち捨て出家された。つまり、その釈尊のとられた出家という行動が、異性との断絶ということになったのかもしれないが、釈尊の教えに、僧が異性を絶たねばならないということはとかれていないと思うのだ。誰が、どの時点で『女犯』という掟をつくったのかと、いぶかしんでいた。
正直言って、仏の教えの『平等』と『女犯という差別』という、私から見たときの矛盾をどう解決するかは、かなりな時間悩んで来たものだ」
「上人は、いつごろからそのように思われ始めたのでしょうか」
「真佛よ。いつごろと問われると困るのだが、思い起こせばまだ二十歳になるかなり前であろうか。叡山にいて、尊師、座主のご依頼ごとで洛中に出かけた折に、いろいろと女人とお話をする機会も多くなり、そうしたときに胸がときめく人とお会いするときは、ずいぶん『修行が足りない』のではないかと悩んだものだ」
「上人ですら、そのようにお悩みになられたのですか。私が悩んだのも当然といえば当然のことでございます」
「真佛よ、そのように誤解するではない。誰であろうとも、人として現世で生きるもので、男ならば女子に胸ときめかせるのは、何の問題も無いことであろう。それを、僧という身分であるから、そのような気持ちになることは『女犯』のおきてを犯したという。本来は、そのようなことの方に無理があると言うものであろう。
実は、そんな十代という多感な年頃に恵信に出会っているのだ。そのころ恵信は三善家のご本宅に預けられ、いろいろの教育を受けているころであり、まだまだほんの子供という印象であった。私が九条様のお宅に慈円様のお使いで出かけた折に、たまたま本当に偶然、三善家のどなたかのお供をして恵信も来ていたのだが、そのとき九条様から紹介されたのが恵信との初めての出会いなのだよ」
親鸞は、目をつぶり遠い昔の情景を目に浮かべ、それらを懐かしむかのように、真佛に向かってゆっくりと話している。あの御影堂で見る親鸞像、安城の御影に見るケンのある親鸞の顔はまったく消え去っている。長く生きてきた一人の男がこれまで押さえつけられてきた思い出を素直な気持ちで人生の後輩である真佛に語っている年老いた人なのである。どこにもいる好々爺といった感じがする今である
**
ここに記載している名前『村沢』は、私の小説の中に登場する人物で架空のものです。
また筋は、これまでに読んだ文献から作者自身の思いとして独自に組み立てたものです。
そのため、史実とは異なっているものと違っている可能性がかなり大きいとお考えください。
WEB公開していますが、著作権は放棄していません。
2008年10月02日
柿・3年ぶりの豊作か?
今年は3年ぶりの豊作になりそう。
我が家の庭の柿。
もう30年にもなる柿だが、毎年それなりに数の実をつけるが、一昨年、昨年と2年連続で少なかった。今年は、昨年の3倍近くになるかもしれない。
しかし、小粒だよ。そうだろうなぁ。あの暑さの中で、私は水をやる時間があまりなかった、大雨が降ったときはもう遅かっただろうな。それに数が多くて栄養が分散してしまったのかな?
何にしても、たくさん生れば我が家は助かる。
さて、これから、鳥たちとの戦いが始まる。
(実はもういくつか食べられているのだ)
我が家の庭の柿。
もう30年にもなる柿だが、毎年それなりに数の実をつけるが、一昨年、昨年と2年連続で少なかった。今年は、昨年の3倍近くになるかもしれない。
しかし、小粒だよ。そうだろうなぁ。あの暑さの中で、私は水をやる時間があまりなかった、大雨が降ったときはもう遅かっただろうな。それに数が多くて栄養が分散してしまったのかな?
何にしても、たくさん生れば我が家は助かる。
さて、これから、鳥たちとの戦いが始まる。
(実はもういくつか食べられているのだ)
2008年10月02日
SoftBankからコミュファの接続案内。
コミュファ(中部テレコミュニケーション)はKDDIの子会社になって結構時間が経つ(経たないか?)が、今日私の仕事で使っているメインプロバイダODN(SoftBank)から 【東海圏のおトクな光「アクセスコミュファ」】という案内メールが来た。
接続業者としては、KDDIとは敵対関係になるSoftBankからなのでなんとなく不思議な感じがする。当たり前にはSoftBankならODNの接続を案内しそうなものだが。。。
ん? 今案内メールをよく見たら、コミュファの上には「フレッツ光」がある。これはNTTだよなぁ。ということは客の分捕り合戦を終えて、協力し合う形になったのか??
そうではなくて、回線を契約済みのところまでの光工事?
案内から、各キャンペーンページに行って読んでみたが、よぉワカラン。
ODNはあくまでも接続業者として? でもないんだよなぁ。。
メールにはない、KDDI 戸の接続サービスもあったしなぁ。。
接続業者としては、KDDIとは敵対関係になるSoftBankからなのでなんとなく不思議な感じがする。当たり前にはSoftBankならODNの接続を案内しそうなものだが。。。
ん? 今案内メールをよく見たら、コミュファの上には「フレッツ光」がある。これはNTTだよなぁ。ということは客の分捕り合戦を終えて、協力し合う形になったのか??
そうではなくて、回線を契約済みのところまでの光工事?
案内から、各キャンペーンページに行って読んでみたが、よぉワカラン。
ODNはあくまでも接続業者として? でもないんだよなぁ。。
メールにはない、KDDI 戸の接続サービスもあったしなぁ。。
2008年10月02日
抜けるような青空
昨夜は、なぜかお疲れ。
いいことがたくさんあったのに。
風呂上りで
いつもはTVを見ながら
という時間が短く、
床に就いたら
すぐ寝てしまった。
おかげで
今朝のお目覚めは
まずまずすっきり。
そのすっきりが空にまで。
新聞を取りに出た。
空が真っ青だ。
魔の木曜日は
先月までのこと
だったのかと。
今日は、
25年前に亡くなった
母の誕生日
生きていれば
米寿だ。
そして、
今日は、授業のある日。
いいことがたくさんあったのに。
風呂上りで
いつもはTVを見ながら
という時間が短く、
床に就いたら
すぐ寝てしまった。
おかげで
今朝のお目覚めは
まずまずすっきり。
そのすっきりが空にまで。
新聞を取りに出た。
空が真っ青だ。
魔の木曜日は
先月までのこと
だったのかと。
今日は、
25年前に亡くなった
母の誕生日
生きていれば
米寿だ。
そして、
今日は、授業のある日。