2008年10月13日

小説『親鸞と真佛』(16)

 恵信尼への文 4

「真佛よ。さようじゃ。順を追っては話せばよかったかな。恵信の気持ちが決定(けつじょう)してからは、世の女子(女子)の差別をなくすにはどうすればよいか、いかに仏門の中を変えていくかを考え続けていた。私の悩みは尽きることはないようだ。いつもいつも何かを考え、変えていくことを考えているようだ。叡山を下りることをはっきりと決めたのは、これも夢じゃ。夢を見ることもこれも弥陀の計らいであろう」
「上人。これで三つの夢をお話されましたが、それぞれ上人の生き様を変えていく大きな転機ということでございますね」
「真佛よ。確かに私の人生を変えるには十分な夢であったの。人は真剣に思い、考えるときには、そのことを夢に見ることが多いものだ。そして、覚めているときには思いもつかないものを夢で解決することも多いのではないか」
「上人。仰せのとおりでございます。夢は、いろいろなことを呪縛から解いてくれます。しかし、真剣に考えていないときは、夢では解決できないことがほとんどでもありますね」
「真佛よ。その通だ。人はいつもいつも真剣に考えながら生きていかねばならんのであろう」
「上人。これで上人が叡山をおりられることになったことも、恵信尼様が上人とともに同じ道をお歩きになることをお決めになったこともわかりました。それで、上人はいつから恵信尼様とともにお住まいになられたのでしょうか」






第15回 <= 第16回 => 第17回






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 ここに記載している名前『村沢』は、私の小説の中に登場する人物で架空のものです。
 また筋は、これまでに読んだ文献から作者自身の思いとして独自に組み立てたものです。
 そのため、史実とは異なっているものと違っている可能性がかなり大きいとお考えください。
 
 WEB公開していますが、著作権は放棄していません。
  
タグ :親鸞小説

Posted by 生田 at 19:00Comments(0)TrackBack(0)小説の話

2008年10月13日

本願寺と北海道新蕎麦

 タイトルだけだと何のことやら?でしょうね。
 本願寺といっても、我が家の系統の東本願寺ではなく、西本願寺に生まれてはじめて(多分)行ってきた。

 今日は、車を使うことができるので、車で実家に移動。
 買い物をしたりして、いつものバスと地下鉄の移動とは違った雰囲気で移動。やっぱ楽ですねぇ。時間も半分で住むし。行きたいところへいくことができるし。実家の用を一時間くらいで片付けて、帰ることに。
 帰り道の西大須の交差点で19号線に折れて、何を思ったのかふと西本願寺に行ってみたくなった。一本東の本町とおりに入り込んで北上、道を間違えてまた19号に戻ってしまった。もう一度やり直してやっと目的の本願寺に。



 面白い建物ですね。親鸞が見たら仰天するでしょう。大体寺を持たないといっていた宗祖にもかかわらず、いまや京都にはとんでもないでかい東西の本願寺、ほかに京都にはまだ2つの本山が。
 中に入らせてもらいました。東本願寺に比べると小さいなぁ。やっぱり名古屋はお東さんですかぁ。。。
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 名古屋の近くに、浄土真宗の本山があることがあまり知られていない。
 津の一身田にある、高田専修寺、これは高田派の本山です。本来は栃木県の二宮町にあるのですが、江戸時代だったかな。お引越しをしました。(また、二宮にも専修寺はありますが、本山ではない)
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 もうお昼に近いので、かねてより一度食べに行くかと思っていた瑞穂消防署の前の江戸蕎麦『正衛』(打ち込む文字がない)
 初めてで、勝手わからず。メニューを見たら「北海道新蕎麦」とある。いまどきの新そばは『北海道産』ということは致し方ないなぁ。と思いつつ注文。
 一枚のせいろを頼んだ。量少ない。二枚頼むべきだったかと思うが、今回はこれが適量だったようだ。(セットを頼んだから、ほかに蕎麦の種やら、てんぷらやらが出てきたので)

 どうも昨年 更埴で食した『北海道新蕎麦』とは味が違う。(そんな記憶) 温度も違う。やっぱり水の違いかなぁ?
 信州の産地の人に言わせると、信州蕎麦の新そばは、まだというから、名古屋ではまだ我慢しなければいけないのだろうか?
 
 文句ばかり書いているけど、先月中ごろに食した蕎麦屋さんよりはうんといいよ。オーソドックスに近いからかも知れないが。
 昼時ということもあるが、お客の出入りが結構。回転も速くて。
 ただね。ここは蕎麦の専門店ではない。うどんもあるのだ。どんぶりものの。ちょっと私にはつや消しだったが。(こういうこと核と、お叱りを受けるかなぁ???)

 今度は、夜に『そばがき』を食べに行こう。  

Posted by 生田 at 13:40Comments(0)TrackBack(0)今日の日

2008年10月13日

峰岸徹 逝く

 俳優の 峰岸徹 がなくなったとTVの報道。

 年齢は65歳。私と同い年だ。まだまだ若いのに。
 肺がんを持っていたという。

 癖のある俳優さんだった。スキャンダルもあった。しかし、それは存在感があればこそ、だったのではないか。
 
 先日の 緒形 拳 もそうだったが、病を隠して、押して撮影に臨んだという。
 これが、本当のプロというには、いかにも悲しいものではないか。そこまでしなければいけないのか。自分の生きた証のためには、そこまでする必要があるというのか。
 一般に人には、広く生きた証を残すのは難しい。有名人はそれなりに残すことはできるのであろうが、ここまでする必要が・・・

 私は、生きた証を残すためと、ブログを書き、小説を書いたりして。しかし、それでも証をのこすることは難しい。それがプロになると、モット厳しい残し方が必要なのだかと、そのきびしさにがくぜんとするのだが・・・・

 ご冥福を祈って。  

Posted by 生田 at 08:26Comments(0)TrackBack(0)社会性
  
2015大津・京都の旅
1泊2日のドライブ旅行
2015北海道・道東の旅
1週間870kmのドライブ旅行
大学OB会と
50年ぶりの鎌倉
OB会の後に鎌倉と横浜に行ってきました
15年年頭 広島宿泊の旅
鞆の浦、竹原、宮島に行きました
14年秋 京都宿泊の旅
久しぶりに新幹線に乗りましたが・・・
13年秋 京都ドライブ旅
京都の紅葉の名所・毘沙門堂に行きました
12年秋 室生寺ドライブ旅
すてきな観音様と再会です
室生寺五重塔
12年秋 京都ドライブ旅
1年ぶりの京都です
三千院
10年秋 平泉ドライブ旅
4泊5日 2000キロの一人旅です
平泉・わんこそば
   
10年夏 室生寺 日帰り旅
素晴らしい観音さんに出会いました
室生寺・五重塔
10年初夏 宇治・長岡 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに黄檗山満福寺・六地蔵・法界寺谷寺・長岡天神
布袋さん
09年秋京都 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに 紅葉がきれいな京都
南禅寺の紅葉
08年秋京都 日帰り旅
08年11月25日貧乏・一人・日帰り旅の記録です。
鳳凰堂を望む
観光シーズン 京都の歩き方
京都市・地下鉄 東西線沿線
09年浅草と川越
浅草観音
07年信州の旅
上田城内
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生田
 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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