2008年10月08日
小説『親鸞と真佛』(11)
女人差別 2
「真佛よ。そなたが言うとおりだ。私と恵信の二人の間では、男女の交わりをもつまでもなく心の中ではもう夫婦であったとは思うが、その交わりを持つまでの心の昂ぶりがあっても、私も恵信も僧と女人という『女犯』という壁にさえぎられていたのだ。私は昂ぶった気持ちをだんだん抑えきれなくなってきていたことは確かで、我慢の限界といっていいだろう。何とか、恵信の気持ちを懐柔できないかと、来る日も来る日も考えたものだ。
つまりは、恵信に心を決める、決断のきっかけを与える必要があったことは否めない。やはり仏法に背く、私の立場での『女犯』で私が無間地獄に落ちるという精神的な呪縛から恵信が抜けきれずに悩んでいたようだ。その呪縛から解かない限り、恵信が私とめおと;夫婦になることへの抵抗は続いたであろう。どうするのが一番なのかを、来る日も来る日も、寝てもさめても考え続けたものだ。
事実上は、夫婦という関係にあっても、二人の間で夫婦としての解決つかないものが残ったまま、私が三十路の手前まで、恵信が二十歳になるところまで来ていたのだ。僧と女人という宗門では認められるものではなく、私にしても恵信にしても苦しい思いは続いていたのだ。
そうした私たちの悩みは、広く世の僧の問題でもあり、仏の前では差別されないはずの女人の差別という問題でもあったのだ。真佛も知っておろうが、今でも『女人は成仏できぬ』という問題がまかり通っている。何ゆえに女人は、このような差別を受けるのかが私には理解できないものであり、いつかはその差別をなくさねばならないと思い、その方法、手段を考えあぐねていたときでもある」
「上人。叡山や南都の女人差別の考えは、何とかならないものかと私も思っておりますが、釈尊が出家なされ、女人を遠ざけられたということが、彼らの立場での考えのようですが、なぜにそのように差別する必要があるのかと」
「真佛よ。女人差別は、なくすることは、時間がかかる問題であろう。叡山や南都のごとき大きな集団では、何かの締め付けのための掟が必要であろうからな。そして、僧が女人との交わりを持たないことは、修行のひとつにもなっているようにも表向きは見えるからなぁ。修行という名の精神的な呪縛であり、拷問とも言えるものだ。しかし一面、そうしたつらい修行をすべて終えたものが位の高い僧になることができるという、昇格試験の面でもあるからな。その反面、隠れて女人を囲う高僧といわれる人が多いのは、いかがなものかと思っている。こうした矛盾した制度は望ましいものではなく、女人を虐げることだけでも何とか解決しなければならないであろう。そのためには、誰かが仏の教えの男女の平等を説かねばならないのではないかとも思ったものだ」
**
ここに記載している名前『村沢』は、私の小説の中に登場する人物で架空のものです。
また筋は、これまでに読んだ文献から作者自身の思いとして独自に組み立てたものです。
そのため、史実とは異なっているものと違っている可能性がかなり大きいとお考えください。
WEB公開していますが、著作権は放棄していません。
「真佛よ。そなたが言うとおりだ。私と恵信の二人の間では、男女の交わりをもつまでもなく心の中ではもう夫婦であったとは思うが、その交わりを持つまでの心の昂ぶりがあっても、私も恵信も僧と女人という『女犯』という壁にさえぎられていたのだ。私は昂ぶった気持ちをだんだん抑えきれなくなってきていたことは確かで、我慢の限界といっていいだろう。何とか、恵信の気持ちを懐柔できないかと、来る日も来る日も考えたものだ。
つまりは、恵信に心を決める、決断のきっかけを与える必要があったことは否めない。やはり仏法に背く、私の立場での『女犯』で私が無間地獄に落ちるという精神的な呪縛から恵信が抜けきれずに悩んでいたようだ。その呪縛から解かない限り、恵信が私とめおと;夫婦になることへの抵抗は続いたであろう。どうするのが一番なのかを、来る日も来る日も、寝てもさめても考え続けたものだ。
事実上は、夫婦という関係にあっても、二人の間で夫婦としての解決つかないものが残ったまま、私が三十路の手前まで、恵信が二十歳になるところまで来ていたのだ。僧と女人という宗門では認められるものではなく、私にしても恵信にしても苦しい思いは続いていたのだ。
そうした私たちの悩みは、広く世の僧の問題でもあり、仏の前では差別されないはずの女人の差別という問題でもあったのだ。真佛も知っておろうが、今でも『女人は成仏できぬ』という問題がまかり通っている。何ゆえに女人は、このような差別を受けるのかが私には理解できないものであり、いつかはその差別をなくさねばならないと思い、その方法、手段を考えあぐねていたときでもある」
「上人。叡山や南都の女人差別の考えは、何とかならないものかと私も思っておりますが、釈尊が出家なされ、女人を遠ざけられたということが、彼らの立場での考えのようですが、なぜにそのように差別する必要があるのかと」
「真佛よ。女人差別は、なくすることは、時間がかかる問題であろう。叡山や南都のごとき大きな集団では、何かの締め付けのための掟が必要であろうからな。そして、僧が女人との交わりを持たないことは、修行のひとつにもなっているようにも表向きは見えるからなぁ。修行という名の精神的な呪縛であり、拷問とも言えるものだ。しかし一面、そうしたつらい修行をすべて終えたものが位の高い僧になることができるという、昇格試験の面でもあるからな。その反面、隠れて女人を囲う高僧といわれる人が多いのは、いかがなものかと思っている。こうした矛盾した制度は望ましいものではなく、女人を虐げることだけでも何とか解決しなければならないであろう。そのためには、誰かが仏の教えの男女の平等を説かねばならないのではないかとも思ったものだ」
**
ここに記載している名前『村沢』は、私の小説の中に登場する人物で架空のものです。
また筋は、これまでに読んだ文献から作者自身の思いとして独自に組み立てたものです。
そのため、史実とは異なっているものと違っている可能性がかなり大きいとお考えください。
WEB公開していますが、著作権は放棄していません。
2008年10月08日
魚の隊列 中川運河
目下、中川運河は魚が隊列をなして泳いでいます。
子供たちは何十メートルもある長い隊列。中には隊列の前に出ようと上に飛び出したり、横から割り込むとする列もある。
大きな親は、数匹が列を作って悠然と泳いでます。
それを狙う鳥もいるのか。。。。
きれいな水なら釣りをするのだけれど。
子供たちは何十メートルもある長い隊列。中には隊列の前に出ようと上に飛び出したり、横から割り込むとする列もある。
大きな親は、数匹が列を作って悠然と泳いでます。
それを狙う鳥もいるのか。。。。
きれいな水なら釣りをするのだけれど。
2008年10月08日
居眠りとチョウチョ 水曜日の移動
今日は気持ちよくとは行かないが晴れている。秋晴れが望まれる時節なのだが、きれいな秋晴れにはまだまだなの?
晴れているおかげでバスが珍しく定刻に来た。そして地下鉄駅までもスムーズ(前のバスで詰まったことを除いて)に。そして、地下鉄は久しぶりに乗りたい時刻のもの。
地下鉄が入線。降りる人いない。乗り込んだら、一人乗っているが、寝ている。目を覚ます様子はない。どうするんだろうと思っていたら、出発間際に目を開けたけど、そのまままた居眠りを始めた。ということは、折り返してどこかにいくのだろうと思ったのだが。
風体は、高校生くらい。といってもかばんの変わりにバックパックと思しきものを前に。両方の耳にはイヤホンが。気持ちよさそうに、かなり眠り込むか感じ。
途中どこかで降りるのかと思ったが、25分間時折薄目を開くだけで、とうとう名古屋駅まで来た。そして、まだ乗っていたようである。
イヤホンをつけて、眠り込むと車内アナウンスが聞こえないのか、どこでおりつもりなのだろう?このまま何度も往復するのだろうか?起こしてあげるべきだったのだろうか・・・・・
そして、今池を通過したあたりかな?誰かが連れてきた、もしくはうっかりついてきてしまったチョウチョが一匹、飛んでいる。蛾と間違われて追っ払われたりしたが、私のバッグにとまった。羽をたたむので蛾ではない。そのまま動きに任せていたが、服の中に入ろうとするので手を持っていったら手の上を這い回っていた。
そのチョウチョ、私の手から離れて富んだが、運悪く床の上、しかも出入り口の人が通るところ。かわいそうに、男の人の靴の下になって、そのまま消えてしまった。。。。。
バス地下鉄の移動は、毎度いろんなことが目に入ってくるものだ。
晴れているおかげでバスが珍しく定刻に来た。そして地下鉄駅までもスムーズ(前のバスで詰まったことを除いて)に。そして、地下鉄は久しぶりに乗りたい時刻のもの。
地下鉄が入線。降りる人いない。乗り込んだら、一人乗っているが、寝ている。目を覚ます様子はない。どうするんだろうと思っていたら、出発間際に目を開けたけど、そのまままた居眠りを始めた。ということは、折り返してどこかにいくのだろうと思ったのだが。
風体は、高校生くらい。といってもかばんの変わりにバックパックと思しきものを前に。両方の耳にはイヤホンが。気持ちよさそうに、かなり眠り込むか感じ。
途中どこかで降りるのかと思ったが、25分間時折薄目を開くだけで、とうとう名古屋駅まで来た。そして、まだ乗っていたようである。
イヤホンをつけて、眠り込むと車内アナウンスが聞こえないのか、どこでおりつもりなのだろう?このまま何度も往復するのだろうか?起こしてあげるべきだったのだろうか・・・・・
そして、今池を通過したあたりかな?誰かが連れてきた、もしくはうっかりついてきてしまったチョウチョが一匹、飛んでいる。蛾と間違われて追っ払われたりしたが、私のバッグにとまった。羽をたたむので蛾ではない。そのまま動きに任せていたが、服の中に入ろうとするので手を持っていったら手の上を這い回っていた。
そのチョウチョ、私の手から離れて富んだが、運悪く床の上、しかも出入り口の人が通るところ。かわいそうに、男の人の靴の下になって、そのまま消えてしまった。。。。。
バス地下鉄の移動は、毎度いろんなことが目に入ってくるものだ。