2008年10月16日
小説『親鸞と真佛』(19)
親鸞の結婚 3
「上人。玉日様とのその後はいかがなされたのでございますか」
「真佛よ。世の喧騒とは違って、玉日との夫婦の間では穏やかでであった。子も一人もけることができ。九条様も空師も大変喜ばれてはおった。しかしな、世の風当たりは日に日にきつくなってきたものだ。。しかし、これも弥陀の計らいと、玉日とともに耐え忍んだ。しかし。それが私たち家族を壊すことはなかったのだが」
「上人。そのお子様とは、範意様のことでございますか」
「真佛よ。さよう。しかし、人の命ははかないものじゃ。もう私より先に弥陀の下にまいってしまったが」
親鸞は、遠い昔の我が子供の姿を思い浮かべてのことか、心なしか悲しそうな顔をした。しばらく二人は黙っていたが、親鸞が話を続けた。
「真佛よ。それからの承元の法難のことはもう話す必要もないであろう。先輩の処刑があった上に、空師は、土佐に、私は越後に流された。しかし、ここでまた弥陀の計らいに手を合わさねばならぬ。
私の処分は、先輩諸氏と同じように斬首の刑に処されるという話もあったということだが、どなかたのお力で流罪に減刑され、しかもその流刑先が三善様のおいでになる越後の国府ということになったのじゃ。流刑先に玉日は連れて行くことできなかった。実はな、その頃の玉日は体をわずらっておったのだ。それにまだ範意も五歳になったばかりで、母親と離すわけにもいかぬし、やむなく私一人の旅立ちとなったのだ」
「上人。冤罪とでもいうべき法難での流罪だけでもお辛いことでございましょうに、奥様、お子様と離ればなれにおなりになるのは本当に辛いものがございますね」
「真佛よ。いくら辛くとも、これも弥陀の計らいと私は思ったものだ。旅の途中は、まだ寒い時期であったから、これも辛いものがあったな。
しかしな。別な気持ちもあったのだ。それは新しいところで、弥陀のお心を話すことができるのではないか。空師の念仏のお心を多くの人にお話しできるのではないかと思ったのだ」
「上人。新しいところでは、新しい同朋に引き合わせてくださるのもすべて弥陀の計らいでございますが」
「真佛よ。さよう、何事もすべてが弥陀の計らいというものじゃ」
しばらくの間、親鸞の話は流罪で流されていく旅の話が続いた。そして、しばらく間をおいてから、真佛が越後での話を聞いた。
**
ここに記載している名前『村沢』は、私の小説の中に登場する人物で架空のものです。
また筋は、これまでに読んだ文献から作者自身の思いとして独自に組み立てたものです。
そのため、史実とは異なっているものと違っている可能性がかなり大きいとお考えください。
WEB公開していますが、著作権は放棄していません。
2008年10月16日
柿 収穫第2弾
今日は、柿の色づいたのを切り取った。
切り取らないと、鳥たちがつつきにくる。
切り取ったのは、約30個。
これでもまだほんの一部。
今年は100個を裕に超えるだろう。
一番下の2個は、もう完熟。
2008年10月16日
授業と食事と睡魔の木曜日
後期に入って本当に木曜日は晴れることになった。
学校の窓から見えるものは、遠くは海まで。トリトンが、知多半島の遠くになにやら大きな建物が。
授業の内容は、時折『学者って何でこんな変なものを考えるんだ?』と思わせるものが出てくる。教師の立場も変に思うような教科書の記述。それにしても教科書を書いている人、世の中の実務わかってるんだか??
大学で教える立場のときにも、大学の授業のあり方には多く疑問を持っていたが、再度教えられる立場になって、改めて疑問を感じる。かねてより思っていることは、「一度大学制度をぶち壊してみたら」ということ。
自分で研究しようと知ることの少ない学生、実社会を知らない教師、これが一緒になったときは、世に送り出されるのがどんなものだか・・・・・・
と、言いつつ、今の授業は結構面白いのである。ようは自分で歩いてきた道の再確認であり、学問の世界が、時代に追いついていないということの確認でもある。
そして、学者の額国語を日本語に置き換える際のボキャ貧困の確認でもある。
日ごろから、批評家タイプの私は、こういう授業は批評の的ができて面白いと思う。
誤解されるといけないのですが、教える人(非常勤講師)は面白い人です。不満は、すこし遅刻することを除けば何もありません。
授業が終わって、忌明け法要の食事の場所探しに行く。
いくつかを回ったが、開店前だったりして。。。。。。
お昼になったところで開いているところに入って、食事で味を確認して。そして、決定。
ただねぇ、部屋が埋まっていたので、出前ということで。
帰ってきて、PCの前に座ったら、睡魔に襲われた。
運転中でなくてよかったよぉ。
睡魔は、ここ半月ばかりの夜の睡眠時間の短いことが原因らしい。
学校の窓から見えるものは、遠くは海まで。トリトンが、知多半島の遠くになにやら大きな建物が。
授業の内容は、時折『学者って何でこんな変なものを考えるんだ?』と思わせるものが出てくる。教師の立場も変に思うような教科書の記述。それにしても教科書を書いている人、世の中の実務わかってるんだか??
大学で教える立場のときにも、大学の授業のあり方には多く疑問を持っていたが、再度教えられる立場になって、改めて疑問を感じる。かねてより思っていることは、「一度大学制度をぶち壊してみたら」ということ。
自分で研究しようと知ることの少ない学生、実社会を知らない教師、これが一緒になったときは、世に送り出されるのがどんなものだか・・・・・・
と、言いつつ、今の授業は結構面白いのである。ようは自分で歩いてきた道の再確認であり、学問の世界が、時代に追いついていないということの確認でもある。
そして、学者の額国語を日本語に置き換える際のボキャ貧困の確認でもある。
日ごろから、批評家タイプの私は、こういう授業は批評の的ができて面白いと思う。
誤解されるといけないのですが、教える人(非常勤講師)は面白い人です。不満は、すこし遅刻することを除けば何もありません。
授業が終わって、忌明け法要の食事の場所探しに行く。
いくつかを回ったが、開店前だったりして。。。。。。
お昼になったところで開いているところに入って、食事で味を確認して。そして、決定。
ただねぇ、部屋が埋まっていたので、出前ということで。
帰ってきて、PCの前に座ったら、睡魔に襲われた。
運転中でなくてよかったよぉ。
睡魔は、ここ半月ばかりの夜の睡眠時間の短いことが原因らしい。
2008年10月16日
夕方の出勤時間
10月15日 バスに乗った。
時刻は17時少し前。
出勤時間だった。
私ではなく
きれいに化粧された
女性の。
こういう人たちは、
絶対に人前では化粧しないだろうなぁ。
と、思いつつ
ほかに、
ちょっと違ったところに
ご出勤の
若い女性もいた。
大津通りを歩いた。
びっくりするくらい
細くて長い女性を見た。
いつも見ないものを見た感じがした。
時刻は17時少し前。
出勤時間だった。
私ではなく
きれいに化粧された
女性の。
こういう人たちは、
絶対に人前では化粧しないだろうなぁ。
と、思いつつ
ほかに、
ちょっと違ったところに
ご出勤の
若い女性もいた。
大津通りを歩いた。
びっくりするくらい
細くて長い女性を見た。
いつも見ないものを見た感じがした。
2008年10月16日
夕方の出勤時間 2
10月17日 所要で柳橋に出かけた。
栄まで移動する必要ができたのだが・・・・
名駅まで戻るとかなり歩かねばならない。さりとて栄まで歩くと、大変だぁ・・・・ と思い交差点まで来て、「バスで行こう』と反対側の歩道を歩き始めた。停留所にきたとき、運よくバスが。「ループバス」という、ほかの市バスと色が違うやつ。知れに小さいんだよ。
乗ったら、あらま、今日も出勤時間だぁ。
今日は、きれいに着飾ったき○○○な和服のお姉さんでした。
でみね、このバス名駅出発なんだよな。それが広小路を走るバスに乗って。。。どこでお乗りになったのでしょう?
行き先は広小路栄。つまりは錦三にご出勤のようで。地下鉄が普通なのかもしれないが、あの艶姿は地下鉄では立つし、でき和す人が多いから。バスのほうが出会う人少ないものなぁ。。
今週は、いろんなものを見たなぁ。。。
栄まで移動する必要ができたのだが・・・・
名駅まで戻るとかなり歩かねばならない。さりとて栄まで歩くと、大変だぁ・・・・ と思い交差点まで来て、「バスで行こう』と反対側の歩道を歩き始めた。停留所にきたとき、運よくバスが。「ループバス」という、ほかの市バスと色が違うやつ。知れに小さいんだよ。
乗ったら、あらま、今日も出勤時間だぁ。
今日は、きれいに着飾ったき○○○な和服のお姉さんでした。
でみね、このバス名駅出発なんだよな。それが広小路を走るバスに乗って。。。どこでお乗りになったのでしょう?
行き先は広小路栄。つまりは錦三にご出勤のようで。地下鉄が普通なのかもしれないが、あの艶姿は地下鉄では立つし、でき和す人が多いから。バスのほうが出会う人少ないものなぁ。。
今週は、いろんなものを見たなぁ。。。