2011年08月07日
韓国ドラマ トンイ 第18回 驚きの証言
日本の大河ドラマ「姫たちの戦国」よりも緊迫感はあるよな。でも、筋は相変わらず粗いよ。
大妃の病気の原因追及で、王妃のもとに来た当初の秘密調査をしているトンイはチャン禧嬪付きの女官が内医院の医師に手紙を渡すところを見てしまう。そしてその女官をおい、問い詰める。女官は否定をするが、張禧嬪ヒビンにトンイに見つかったことを報告する。
張禧嬪は、トンイを呼び、ことをあらだてるなと。あの薬は自分の子(王子)にのませるものだと。しかし、それにはトンイは納得しない。強いくするを子供に飲ませるのですか?と。
内医院に忍び込んで記録簿を盗み出し、それを上官に見せ事件であることを知らせる。そして投書した人物の捜査に入る。似た者の名前が浮かび、医女であrことが分かる。トンイはその医女を追う。医女は逃げて自殺を図るも監察府が助ける。そしてその医女から事実を聞き出す。
大妃の煎じ薬に毒となるものを混ぜた医師がわかり、逮捕される。
王妃にこれらのことが報告される。そして王妃は王様にその事実を話す。王さまは直接その医師を尋問するが、医師の証言は、『薬を混ぜることを命じたのは王妃である』と証言する。
これは、逮捕される前に、張禧嬪の兄が手をまわして、王妃であると証言するように命じたのだろう。
それにしても、あちこちでつじつまが合わないストーリーだなぁ。
医女が逃げ出すとき簡単に宮殿から出たのだが、トンイが出るときは観察を改められている。だから医女を逃がしてしまった。それに問題の医師は、逃がすか殺した方が速いだろうに、なんで逮捕させたのだ?これは、命令をしたのが王妃という証言をさせるからなのだろうが、いくらなんでもそんなことは現実には無理でしょうに。。。
まぁ、相変わらず、警備もいい加減で、寝付けぬ王様が散歩に出るのに御影なし。おかげでトンイと出くわすことができたけどさぁ。
とまぁ、毎度批判めいて書いているけど、「江・姫たちの戦国」よりも面白いよ。
大妃の病気の原因追及で、王妃のもとに来た当初の秘密調査をしているトンイはチャン禧嬪付きの女官が内医院の医師に手紙を渡すところを見てしまう。そしてその女官をおい、問い詰める。女官は否定をするが、張禧嬪ヒビンにトンイに見つかったことを報告する。
張禧嬪は、トンイを呼び、ことをあらだてるなと。あの薬は自分の子(王子)にのませるものだと。しかし、それにはトンイは納得しない。強いくするを子供に飲ませるのですか?と。
内医院に忍び込んで記録簿を盗み出し、それを上官に見せ事件であることを知らせる。そして投書した人物の捜査に入る。似た者の名前が浮かび、医女であrことが分かる。トンイはその医女を追う。医女は逃げて自殺を図るも監察府が助ける。そしてその医女から事実を聞き出す。
大妃の煎じ薬に毒となるものを混ぜた医師がわかり、逮捕される。
王妃にこれらのことが報告される。そして王妃は王様にその事実を話す。王さまは直接その医師を尋問するが、医師の証言は、『薬を混ぜることを命じたのは王妃である』と証言する。
これは、逮捕される前に、張禧嬪の兄が手をまわして、王妃であると証言するように命じたのだろう。
それにしても、あちこちでつじつまが合わないストーリーだなぁ。
医女が逃げ出すとき簡単に宮殿から出たのだが、トンイが出るときは観察を改められている。だから医女を逃がしてしまった。それに問題の医師は、逃がすか殺した方が速いだろうに、なんで逮捕させたのだ?これは、命令をしたのが王妃という証言をさせるからなのだろうが、いくらなんでもそんなことは現実には無理でしょうに。。。
まぁ、相変わらず、警備もいい加減で、寝付けぬ王様が散歩に出るのに御影なし。おかげでトンイと出くわすことができたけどさぁ。
とまぁ、毎度批判めいて書いているけど、「江・姫たちの戦国」よりも面白いよ。
2011年08月07日
大河ドラマ『江』 第30回 愛しき人よ
6歳年上の姉さん女房ねぇ…絶対にそんな風には見えないんだよなぁ。同じ年もしくは甲{上野樹里}の方が秀忠(向井理)より下に。
こういった設定だからいつまでたっても、視聴率は上がらないんだ。(「姫たちの戦国」のうわさ環低視聴率だけって感じで、ドラマそのもののうわさはないなぁ)
縁組して江が嫁いだものの仲はよくならず。家康(北大路欣哉)に「子供はまだか?」といわれて「励んでおります」としか言えない二人だが。
一年たってもよくならず、江は秀吉(岸谷五朗)に向けて秀忠との離縁を願い出る手紙を書いて下女に届けさせる。 **こんなことほんまでっか?**
姉・初(水川あさみ)が訪ねてきたのだが、夫・京極高次(斎藤工)の側室に男の子がいたと愚痴を言いに来たのだ。**なんでこんなストーリーなの?嫁いで何年になるの?側室がいるこことはわかってたんでしょ?だったら子供がいても・・・それを知らないでいるようなストーリーは変だぞよ**
江と初が江の前夫・秀勝(AKIRA)の遺品の話しているところに秀忠が。そして見てしまう。(後になって江がういないときに秀忠は盗み見するのだけど、いやなストーリーだねぇ)
そんなこんな詩ているときに屋敷が火事に。けむに舞われた江を秀忠が助ける。が、秀勝の遺品は持ってこなかった。それを秀忠はまた取に行ってけがをする。
これがご縁で、江は秀忠に「間違っておりました」と謝って、これでめでたく夫婦に。誤った時に秀忠は『これで私の勝ちだ』とね。江は「は?」だって。
一方で、秀吉は病で床に伏せる。その割には、子供・拾が来たら膝の上に。。。いくらなんでもそれはないでしょうに。もういくらなんでもめちゃなストーリーでっせ。次週は、秀吉が死にます。
**
もう毎度のことなんでどうでもいいけど。江と秀忠の府中は食事をするときに別室で。これはいいのだが、なんと雪の降るさなかに障子を完全に開けはなっての食事。いくら戦国の世、警戒のためというだろうが、雪の降るさなかに障子をあけているとは、季節感ゼロ。もっと考えないとなぁ。
プロデューサーの顔。美なくないけど、どんな人間なんだろ?作家もだな。困難でいいのかって。それと時代考証も。
こういった設定だからいつまでたっても、視聴率は上がらないんだ。(「姫たちの戦国」のうわさ環低視聴率だけって感じで、ドラマそのもののうわさはないなぁ)
縁組して江が嫁いだものの仲はよくならず。家康(北大路欣哉)に「子供はまだか?」といわれて「励んでおります」としか言えない二人だが。
一年たってもよくならず、江は秀吉(岸谷五朗)に向けて秀忠との離縁を願い出る手紙を書いて下女に届けさせる。 **こんなことほんまでっか?**
姉・初(水川あさみ)が訪ねてきたのだが、夫・京極高次(斎藤工)の側室に男の子がいたと愚痴を言いに来たのだ。**なんでこんなストーリーなの?嫁いで何年になるの?側室がいるこことはわかってたんでしょ?だったら子供がいても・・・それを知らないでいるようなストーリーは変だぞよ**
江と初が江の前夫・秀勝(AKIRA)の遺品の話しているところに秀忠が。そして見てしまう。(後になって江がういないときに秀忠は盗み見するのだけど、いやなストーリーだねぇ)
そんなこんな詩ているときに屋敷が火事に。けむに舞われた江を秀忠が助ける。が、秀勝の遺品は持ってこなかった。それを秀忠はまた取に行ってけがをする。
これがご縁で、江は秀忠に「間違っておりました」と謝って、これでめでたく夫婦に。誤った時に秀忠は『これで私の勝ちだ』とね。江は「は?」だって。
一方で、秀吉は病で床に伏せる。その割には、子供・拾が来たら膝の上に。。。いくらなんでもそれはないでしょうに。もういくらなんでもめちゃなストーリーでっせ。次週は、秀吉が死にます。
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もう毎度のことなんでどうでもいいけど。江と秀忠の府中は食事をするときに別室で。これはいいのだが、なんと雪の降るさなかに障子を完全に開けはなっての食事。いくら戦国の世、警戒のためというだろうが、雪の降るさなかに障子をあけているとは、季節感ゼロ。もっと考えないとなぁ。
プロデューサーの顔。美なくないけど、どんな人間なんだろ?作家もだな。困難でいいのかって。それと時代考証も。
2011年08月07日
頭の中の音楽流れ続ける
この問題は、いったいどこに原因があるのか分からない。
いつ頃気がついたのかは全く意識していない。私の頭の中にほとんどの時間音楽が流れている。その曲はよく変わる。今は全く変なものが流れている。
昨年平泉に旅行した時などいって帰ってくる4泊5日の旅行中、ず~~~~と”ちあきなおみ”の『喝采』が流れていた。縁起でもないと思いながら運転していた。しかし、縁起でもないと思っているから運転が慎重になって自己なしで帰ってきたのかもしれない。
先月同窓会をして校歌を唱ってからは、今でも一番多く流れているのがその校歌の歌わなかった2番で、それに何やらメロディーかなんかが似ているのかオーブレネリなんてのも出てくるし。。。。困ったもんです。
ほかの人の頭の中には音楽は流れていないのだろうか?
人の頭の中に音楽が流れているという話は、実は小説に出てきている。SF小説なんだけど、『分解された人間』というのがあって、主人公がエスパーに考えていることを読み取られないようにと頭の中にものすごく単純な音楽を流すようにしている。
といいう小説があるということは、ほかの人にも流れているのだろうか?流れているとすればどんなのが流れているのだろう。
しかし、流れない時もある。それは考えているとき。何かを考えているときや今この時はこの記事を買いえいるけど、この時ばかりは音楽は途絶える。そして記事を投稿すると、多分少し経てばまた流れてくるだろう。。。。
もう校歌はいいよ。卒業して60年も経つんだから、歌ってもなぁ。。。。甲子園で聞くっていうのならいいんだろうけどね。
あぁ、消えてほしいなぁ。。。。消えたら頭の中静かになるよ。
**
この話。ほかのブログで、同じ症状の人からコメントもらった。ほっとしている。
いつ頃気がついたのかは全く意識していない。私の頭の中にほとんどの時間音楽が流れている。その曲はよく変わる。今は全く変なものが流れている。
昨年平泉に旅行した時などいって帰ってくる4泊5日の旅行中、ず~~~~と”ちあきなおみ”の『喝采』が流れていた。縁起でもないと思いながら運転していた。しかし、縁起でもないと思っているから運転が慎重になって自己なしで帰ってきたのかもしれない。
先月同窓会をして校歌を唱ってからは、今でも一番多く流れているのがその校歌の歌わなかった2番で、それに何やらメロディーかなんかが似ているのかオーブレネリなんてのも出てくるし。。。。困ったもんです。
ほかの人の頭の中には音楽は流れていないのだろうか?
人の頭の中に音楽が流れているという話は、実は小説に出てきている。SF小説なんだけど、『分解された人間』というのがあって、主人公がエスパーに考えていることを読み取られないようにと頭の中にものすごく単純な音楽を流すようにしている。
といいう小説があるということは、ほかの人にも流れているのだろうか?流れているとすればどんなのが流れているのだろう。
しかし、流れない時もある。それは考えているとき。何かを考えているときや今この時はこの記事を買いえいるけど、この時ばかりは音楽は途絶える。そして記事を投稿すると、多分少し経てばまた流れてくるだろう。。。。
もう校歌はいいよ。卒業して60年も経つんだから、歌ってもなぁ。。。。甲子園で聞くっていうのならいいんだろうけどね。
あぁ、消えてほしいなぁ。。。。消えたら頭の中静かになるよ。
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この話。ほかのブログで、同じ症状の人からコメントもらった。ほっとしている。
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