2011年08月21日

韓国ドラマ トンイ 第20回 王妃降格

 チャン禧嬪の兄の手下に取り囲まれたトンイは、そのまま誘拐されることになってしまう。そして一時小屋の中に閉じ込められる。そして、チャン・ヒジェ(禧嬪の兄)はトンイを殺すように命ずる。トンイや小屋から連れ出され猿轡後ろ手のまま袋をかぶせられて池に投げ込まれる。その直前にチョンス兄が現場にたどり着くがトンイは投げ込まれてしまう。
 しかし、どうやって助けたのかは知らないが、別のシーンでトンイは助け出されている。

 王妃の無実を証明するために、書記官の尋問をしていた捕盗庁の従事官は、書記官が証拠の品があるとその品を取に軍に守らせていかせるが、情けないことにその軍は全滅で書記官も殺害される。

 一方で王妃について、大臣たちは降格させるべしの論議をした。また王妃は大妃の看病をしているものの、大妃の容態はよくはならない。義禁府の取り調べで王妃の実家の関係者が拷問に勝てずに王妃の悪行を本心ではないものの吐露することに。この訴状が王に届けられ、王は王妃を呼び真偽を確かめるが、結果として大妃がなくなるまで王妃は看病に当たるが、亡くなったら降格することになる。

 トンイは、その後の捕盗庁の調べを楽にするために義禁府の取り調べを抑えるべくチャン・ヒジェに会いなんとか書記官の残した証拠を手に入れるが、すでに遅し。大妃はなくなり王妃は降格される。

 毎度毎度、はらはらさせようというのはよくわかるが、どうにも札がういの疑いを持たれている王妃を大妃の看病に当たらせ、それで病状が悪化してもそのまま継続というのは、いくらなんでも変だろうに。切開に続いて今回も。
 それに、これは韓国歴史ドラマのすべてにいえることだけど、悪行の流れが把握されているにもかかわらず、それを阻止しようとする動きがものすごく鈍いか、も駆使されている感じで、このドラマのその流れにそっているようで、チャン禧嬪の悪行はトンイも知り、監察府も知っているにもかかわらず、その予防をすることがなにもない。毎度後手に回っているだけで。。
 結果的にはどうなるか分かっているものの、なんともイラつく筋だなぁ。といいつつ、ほかに見るものもなくまた来週も見ることになるだろう。

 **昼間の韓国歴史ドラマはあまり見なくなってきた。あまり同じようなイライラの筋が繰り返されるから。  
タグ :トンイ

Posted by 生田 at 22:33Comments(0)TrackBack(0)TVなど

2011年08月21日

大河ドラマ『江』 第32回 江戸の鬼

 秀吉が死んで伏見城は悲しみの中?でも武将の動きが活発になっているはずなんだけど、そんな緊張感は感じられないドラマです。
 一応五奉行五大老だったかのお触れがあって・・・これは三成(萩原聖人)が不満ですわな。それにしても、五奉行の内家康(北大路欣哉)以外ドラマに顔を出さないのはいくらなんでもひどいでしょうに。だから緊張感がないんだよ。

 家康は、豊臣川に不穏な動きがあるのを察知して嫡男秀忠(向井理)に江戸に行くように命ずる。そして江もそれについていくように命ずる。江は今生の別れになるかもしれぬとばかりにあいさつ回りに出かける。
 まず言ったのが明智光秀の娘・細川ガラシャ(ミムラ)。ガラシャは薄うす江がなにをするのかを察知したようで、江の言葉『思うがままに』の決意を江に言う。次に姉の初(水川あさり)似合うが、初に引っ張られて龍子(鈴木砂羽)のところに。そして秀吉が死んで気落ちしている龍子を慰める。そして最後に姉・淀(宮沢りえ)に会う。ウソはつけぬと二人だけで話をし、江戸に立つことを打ち明ける。
 淀は、江の娘・完を呼び江に合わせる。おそらく今生の別れになるやもしれぬという配慮何だろうけど。大きく育った完を見て江は礼を言う。

 出立の前に屋敷に帰ったところに、秀忠は客を読んでいると。それは三成だった。秀忠は、光成に江戸に立つことを話し、父家康に不穏なことにならぬよう気をつけるように頼む。

 そして、江は江戸に。(ここがいくらなんでもいい加減で、突然江戸に代わるんだもんな。隠密行動だったんだからどうやって行ったかぐらい表現しろよ)
 江戸についたはいいが、江戸城には秀忠の乳母・大姥局(加賀まりこ)がいた。彼女が江にあれこれ指示をすることになる。まずは、来ているものが派手だといい、ここは豊臣ではなく徳川であり、きるもののそのようにしてもらわねばと。。

 江が、また子を宿ったらしい。これに大姥局は「男を産め」と。。。。。


 まぁこんなところが大雑把な筋。
 毎度そうだけど、秀吉が死んだんだから死の中はごった返し、政局いかんで緊張感があふれていなければいけないのに、全くそんな感じはドラマにはないね。
 三成と家康の火花が散ろうというにらみ合いもなぜか緊張を感じないし、役者が下手というのではない、ドラマの筋書きに背景や季節感もなく緊張感がないからなのだ。
 こんな緊張感のないままに関ヶ原、大阪の神と進んでいってしまうのだろうか?
  

Posted by 生田 at 19:45Comments(0)TrackBack(0)今日の日

2011年08月21日

郡上鍾乳洞 2

 家族が郡上鍾乳洞に入っている間に私は鍾乳洞前の庭園の写真を撮っていた。鍾乳洞に入らなくても、ここだけでもそれなりに楽しめるかもしれない。


見飽きた花かもしれませんが切れに思えました


この辺りでは、まだアジサイが少し残っているようです


鍾乳洞の入口の前には地下水が流れ込んでくる小さい池があり
その池の中に小さい祠があります


祠の中に置かれているお地蔵さんです
結構かわいかったですよ


祠の右にあるきれいな水藻です


水藻の先には魚が気持ちよく泳いでいました




反対側から入口方向を見てます
一番奥が地下水の出てくるところです


 家族が満足そうな顔をして、特に孫は2つも鍾乳洞を探検できて満足だったようです。


 先に進もうと国道の反対側の駐車場に。この駐車場の横を川が流れています。和良川の最上流です。つまりは木曽川の水源地でもあるのです。あの鍾乳洞の地下水を私たち名古屋の市民はノンているということなんですね。


 この川には、蛍が生息しているそうです。実は和良村は、昔はゲンジボタルが乱舞するといういい土地だったのですが、数十年前に農薬の散布のために激減してしまったのですが、今はまた戻ってきているという話をこの鍾乳洞で聞きました。
 次にはその季節に行ってみたいと。。。。


***
マップとラバの「∴郡上鍾乳洞」の位置がずれてます。所在地は「岐阜県郡上市八幡町入間1093」です  

Posted by 生田 at 17:00Comments(0)TrackBack(0)旅行など

2011年08月21日

郡上鍾乳洞

 本福寺を出て本当に少し入ったところに、「郡上鍾乳洞」と書いたかんがんが。確かネット検索で見つけたときはここは閉鎖って書いてあったぞ。。。。しかし、駐車場もあるし、やっているみたい。ということでみんなが見ていくということで、緊急停止。

 お客さんいない。でも、入口の前には関所がある。女性がいるよ。。。
 私たちがその前に行くと、おばちゃんが一人あいそよく出てきて、冷たい水やら冷えたブドウを出してくれた。なんとなんと、あとホームなことか。みんなは水を飲んだ後はいっていく。私は、足が笑いかけているので外で待つことに。息子にコンパクトカメラをあづけて。。。

 

 この写真、ネットで見つけたものと同じなんですが、ネットにあったものは門がしまっていた。おばちゃんに聞いたら、季節によって閉めているんだって。(ネット書いた人、調べて書いてくれ。うっかり実のpガスところだったぞ)

 入口のそばに立つとものすごく涼しい風が出てくる。なんでも中は地下水が豊富に流れていて中は年中12度くらいなんだそうな。外気温が30度を優に超えているからこれは冷えているわぁ。。





 上の2枚の写真は、息子が撮ってきた内部の一枚。これを見る限り、美山鍾乳洞よりもきちんと整備されている感じがする。実際家族全員が、美山よりもうんとよかったと言っていた。(さすが個人の持ち物) こっちの方がお勧めらしい。国道256を走る方。看板を見落とさないように。

 私は待つ間、入口の前のお庭の写真を撮っていた。  
タグ :郡上鍾乳洞

Posted by 生田 at 11:06Comments(0)TrackBack(0)旅行など

2011年08月21日

郡上市和良にて 1

 美山鍾乳洞を後に和良に向かう。いかにものんびりとした山間の道を国道256号線に出る。宮から国道に出るときは突き当たるが、右に行けば郡上八幡へ、左に行けば飛騨金山だ。
 ここでお気づきになられただろうか?右は「郡上」で左は『飛騨』ということで区域が異なるんです。江戸時代の国の呼び方なんです。そして、それは文化の違いにもなっているんですが、では和良は?和良は「郡上」に入ります。郡上市に合併する前は「郡上郡和良村」だったのです。
 実は平成の合併では、かなり村でもめたのではないかと思うのです。というのは、この和良というところは、昔から村を割って政争が激しかったらしい。村長選挙など村が真っ二つに割れて争って、暴力ざたなんてこともあったなんていう噂も聞いてます。その流れから行けば、郡上派と飛騨派に分かれたんではないかぁ?
 私が思うには、和良の真ん中が“沢”という昔の村役場のあったところで、その東に“土京”という所があって、そこから東・南は今の下呂市に合併したかったんではないかって思うのです。というのは、和良を流れる和良川は土京ぐちを通って右に折れ下呂市の祖師野辺りで間瀬川で合流し、飛騨金山で飛騨川に合流するという流れなんですが、つまりはここには険しいとげもなく金山との行き来の方が郡上八幡よりも楽なんですね。しかし、土京から西はやはり昔の流れからか郡上なんですね。
 今まで書いたことは私が昔から感じていることなんで、本当かどうかはわかりません。
 といいつつ、和良で未解決の殺人事件がありますが、ひょっとしたら平成の合併が原因の事件ではないかとサスペンス好きの私は考えているんですよ。(小説が書けそうなんですが、私には力がない)

 余談が長くなりました。
 国道256に出て和良の中心部に向かいます。またちょっとした峠を越えます。そして左手にお寺が。この辺りのお寺はほとんどが浄土真宗大谷派。ほかのは見かけないといってもいいくらい。寺の造りは、飛騨古川の三寺詣りをしたことがおありなら、一番南にあるお寺を思い出してください。イメージは似ています。あそこも大谷派のお寺です。(ここはまだ和良の中に入ってません)
 なんとなく立ち寄ってみたくなって、息子に車を止めてもらった。
 中に入ってみたものの、何があるわけでもなく、ごく当たり前のお寺(結構でっかい)の雰囲気。その中に咲く花に目がとまったのでショットしてきた。私には花の名前は聞かないでください。







下は、お寺を国道から見た写真です。車の通りが少ないので国道から撮っています。

  

Posted by 生田 at 10:42Comments(0)TrackBack(0)旅行など
  
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1泊2日のドライブ旅行
2015北海道・道東の旅
1週間870kmのドライブ旅行
大学OB会と
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室生寺・五重塔
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 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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