2011年12月26日

大雪注意報

名古屋に夕方から大雪注意報が。

岐阜の西濃では大雪警報だって。。

今も名古屋は雪が降っている

朝起きたら

銀世界かなぁ?

一日早ければ

ホワイトクリスマスだったのに

冷えているので
風呂上がりの暖かいまま
寝ることにします。

お休みなさい
いい夢を
  
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Posted by 生田 at 00:25Comments(2)TrackBack(0)今日の日

2011年12月25日

韓国ドラマ トンイ 第38回 二つの喜び

 先週南極大陸が終わったので、久しぶりに録画ではなく、リアルタイムで見ている。

 トンイが張禧嬪の不正を暴いたことで張禧嬪が王妃から降格され、元の王妃が王妃に返り咲くことになった。そして、張禧嬪は宮殿を追われる。町では、南人の長・オ・テソクの一派がとらえら絵またチャン・ヒジェも捕らえられ処刑されるために街中を引き廻される。

 トンイに会った王は、トンイに自らの不徳を反省する言葉を吐く。しかしトンイは『王様はいつも正しい』と慰めるような・・・・そして元王妃が宮殿に戻ってくる。(この王妃、いつもかなしい表情だなぁ。。笑っていても悲しそうにしか見えないんだよね) 王妃を迎える王。泣く王妃の手を取る王。

 トンイも王妃の殿の前で出迎える。そしてかけよる王妃、そしてそして堅く手を取り合う。殿の中で王妃と二人で話すトンイに、王妃は力を与えるために監察府を任せるという。そのあとで、ソ・ヨンギに、その権力を何のために使うかを考えろと諭される。
 これに従ったトンイは、監察府の最高尚宮の入れ替えを行ったうえで人事を一新させる。逆に恐れおののく張禧嬪はの元の監察府の尚宮や女官たちだ。そしてその女たちはトンイから処分を言い渡される。
 自害を申し出る元最高尚宮に、監察府の平尚宮として復帰を命じ、部下も女官の最下身分にとどめる命を出す。

 王が”龍が飛ぶ夢”を見たというと、それはトンイが懐妊した証ではというハン内官だが、王がトンイの部屋に行きいろいろ問いただしてもその兆候は全くなし、気が抜ける王だ。そして二人で街に出る。
 町では、凶作のために食べるものがない難民に粥がふるまわれていた。しかし、その粥の量が王が手配した食料に比べて少ないことに驚く。
 王として失格だと嘆く王に、トンイは「民を気にかけていることは民がよく知っている」と。そして『またトンイに教えられた』とトンイに感謝する王。

 淑媛に昇格してもらったトンイが任命式の準備の時に吐き気を催すが、それはトンイの懐妊の証だった。


***
 さてさて、張禧嬪の処遇の最後が残ってんだよねぇ。。。。追い出されるだけではないんだよねぇ。。。
   
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2011年12月25日

坂の上の雲 第3部 最終回 日本海海戦

 日本海海戦、日本帝国艦隊とロシアバルチック艦隊の戦いが始まった。戦い食前の帝国艦隊の敵前横断、T字作戦の火ぶたが切られてのだ。
 
 帝国艦隊が敵前の横断が始まると、それは左折の過程が終わるまでは敵艦隊からの標的になる。それに応じたようにロシア艦隊は特に旗艦三笠を標的に砲撃を加えてきたのだが、帝国艦隊は被害を受ける前に先回を終えたのかもしれないが、帝国艦隊の攻撃が始まるとロシア艦隊の被害が起きくなり、まずはロシア艦隊旗艦スワロフを撃沈。そして2日間の戦いののち日本艦隊の勝利に終わった。

 この作戦は、秋山真之(本木雅弘)の発案だと聞く。これまでは元帥・東郷平八郎のものと思っていたのだが。この秋山発案というのは真実とすると、統合はその案を実践しただけ。へぇ・・・・・・
 しかし、奇襲は奇襲だな。前回も書いたけど、まともに当たったのでは勝てないと踏んでいたのだろう。ドラマの中で敵官庁が『統合が頭が狂ったか』といっていたが、奇襲はそう思われるのが当たり前なのかもしれない。
 奇襲にしてもゲリラ戦にしても、力のないものが強大な力をもつものを攻撃するときに使う。しかし、それはあくまでも奇襲でありゲリラでしかない。塚らでねじ伏せるということではなく、完全に勝利を収めるには、かなり運がよくないとだめということだ。
 この日本海海戦は、帝国艦隊にとってとにかく幸運だったのだろう。旅順をバルチック艦隊が使えないくしたこともその一つだが、一番の幸運はロシア帝国が日本をなめていたことかもしれない。

 いくら勝ったとはいえ、おびただしい日本の兵士が死んでいるのだ。さらには相手ロシアも多くの兵士を死なせている。戦争の一番馬鹿げているところだ。たくさん死なないとやめることができないのも戦争らしい。
 先日の中日新聞の朝刊だったかのコラムに「戦争を始めるのは難しくないが、終わらせるのは難しい」という話が書かれていた。かけ事でもそのようで、パチンコなど始めるときはいとも簡単に1000円くらいで始めるのだろうが、負けが込んでくるとどんどんつぎ込んで大負けするまで、金がなかうなるまで続けるらしい。どこかの会社の社長だか開帳高が何十億とカジノで負けたのも同じことだろう。
 最初は少し勝たせてもらって、それでいい気になってどんどんつぎ込む。そして気が付いたらどうしようもないことになっていた。日本の軍隊もその轍を踏んだのだ。

 このロシア帝国との戦争は勝つには勝ったのだが、講和条約では場合常勤を取ることができなかった。これには国民が、いや一部の人間が瀧つけたのだろうが、国内がかなり荒れたようだ。そして、もっと強い国を目指して軍備に力を注ぐことになる。つまりはちょっと勝たせてもらったので、かけ事でどんどんつぎ込むのと同じことだ。
 その最終のつけが、太平洋戦争での敗戦、広島、長崎の原爆ということになったのだと思う。今の戦争をしたない世代(多分に私たちの年代もその中に含まれている可能性が大きいが)には、戦争のむ怒たらしさ、悲惨さ、そんな思いはなく、被害妄想的にどこかの国に攻められたらという恐怖心で軍隊(自衛隊)を強くしたいいと思う向きも多いようだ。
 今、どこの国が攻めてくるんだろう?北朝鮮?中国?ロシア?本当に攻めてくるだろうか?攻めてきた国は、日本を攻撃出来はするものの、占領する前にその国が違った形で攻撃されるだろうから、おいそれとはしないだろうなぁ。。。こんなことをかくと、平和ボケといわれるだろうけど。

 対ロシアとの戦争を終えた秋山好古(阿部寛)にも母(竹下景子)が死んだという知らせが入る。
 海戦を終えて上陸して故郷にも戻った真之は、母の亡骸の前に来る。そして、義姉(松たか子)に母の面倒を見てもらったことの礼を言う。夜中に起きだして、戦争で多くの兵士をなくしたことの思い自分の気持ちを妻(石原さとみ)に語るのだが。。。 (本当にしたのか?気持ちはわからんではないが、軍人として妻に愚痴(叱られるかもしれないけど、気持ちとしてh愚痴だろう)をのだろうか?

 母は病に倒れていたのだが、戦地にいる二人の息子のことを思ってかなりストレスをためていたことだろう。ストレスをためた病人は、死を迎えるのが早いかもしれない。これも戦争のなせる災いだ。

 人間は、いつになっても争いをやめることはないだろう。しかし、命をかけて、何の罪もない人間の命をかけての喧嘩はなくなってほしいものだ。為政者に理解してもらいたいもの。
  

Posted by 生田 at 19:02Comments(0)TrackBack(0)TVなど

2011年12月25日

雪だぁ・・・・

朝8時半ころ雨戸をあけた
外は雪が降っていた
それから少し経って
雪はボタンに変わった

雪はしばらく降っていた
でも
今はもう降っていない

ホワイトクリスマスには
なりそこねたなぁ

天気予報は
今日は昼過ぎてから
また降って
夜中に
また降るみたいだ

明日は銀世界の中?


今年の初雪は見逃した私だぁ
  
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Posted by 生田 at 10:30Comments(0)TrackBack(0)今日の日

2011年12月24日

人人人 年末だなぁ。。。

 今日はクリスマスイブ。孫にプレゼントを渡すのに熱田のイオンで待ち合わせ。それはいいのだけど、なんか人人人で駐車場に車を入れるのにも時間がかかるし、店の中でも行列しているし、フードコートも行列だし、お店も行列だし。。。。レジも行列だったなぁ。。。

 クリスマスイブということだけではなく、不景気ながらボーナスも出て、多分にもう給料も出たのでしょう。それでお買い物ねぇ。。。

 帰る時も車が駐車場から出るのにも行列だよぉ。。。。明日もこんなんかもなぁ  
タグ :人人人

Posted by 生田 at 18:21Comments(2)TrackBack(0)今日の日

2011年12月24日

Merry Christmas



▲△

△▲▲▲
▲▲

▲▲▲△▲▲
▲▲▲▲
▲△▲▲▲▲▲▲

■■
■■
■■■


今日はクリスマスイブ
クリスチャンでない私だけど

今夜は冷え込むみたい
明日は、ホワイトクリスマス?

世界が平和で健康なことを祈って
Merry Christmas



















  
タグ :Merry Xmas

Posted by 生田 at 09:37Comments(2)TrackBack(0)今日の日

2011年12月23日

風邪快方に向かう

 昨日はのどが痛くて痛くて、診察を受けたら、うがい程度出直るといわれたが、念のために薬を処方してもらった。そして、のどにはヨードを塗られて。。。。(苦手なんだよなぁ。小さい時からどれだけやられたことか)

 出に、今日はおかげでのどの痛みはほとんどなくなった。ただ、鼻水がまだ残っている。とはいえ、明日には完治するんではないかって、勝手に思っている。

 風邪はいいねぇ。。。ガンと違って感知って言葉が使えるから。私のガンは“完治”はいつのことやら。PSAは確実に減っているものの、これはホルモン剤のい陰であって自力でhないし、やめればまた上がる可能性が大きいことはもう証明済みだいしなぁ。。。しかし、投与からもう8カ月を過ぎようとしているから、あと4カ月もすれば、腹に打つホルモン剤の間隔が開くかもなぁという期待。

 今年は、もう医者に行くことがないように気をつけなければ。
   
タグ :風邪

Posted by 生田 at 14:01Comments(6)TrackBack(0)自分の健康

2011年12月22日

風邪と昼食

 先週からのどの調子がいまいち変で、結構いがらっぽい。先週耳鼻科で見てもらったら大したことはないとのどに薬を塗られてチョン。それが昨日になってのどの痛みが広がった。このまま放置しておくと気管支まで行きかねないので、中村の友人の病院に行ってきた。
 風邪でのどが荒れていることはもうわかっていることなので、その結論を確認して、またのどに薬塗られてそして、うがい薬と抗生剤と炎症止めを処方してもらって終わり。
 まぁ、ついでに、ほかの病気の話もいろいろして安心の確認をして。。。。後は『いいお年を』で握手をして診療終了。
 (胸の聴診器での結果は、「肺はきれいだよ、心はきれいでないだろう」だって。。。。。友人だから言えることだよなぁ)

 終わったのが12時だったので、昼食を取ることに。どこにしようかと車を走らせて大門の交差点を南に折れたらうどん屋さんがある。駐車場になるのにぐるり回らなければいけなかったけど、停めて入ったら、おやまだお客いないよ。
 初めての店なので勝手がわからない、座ろうとしたら先に食券を買えというので、何を食べるか選ばねばならない。ん???メニューが少ない。カレーと醤油のつけ麺で、醤油の方は柏とカモ肉が選べた。(カレーもかな?)
 カモを頼んだのだが、大盛りは無料でしてくれるというから大盛りを。しばし待って出てきました。食べました。いやぁおいしいなぁカモ肉なんて何年振りだろう。本当においしかったよ。今度また病院に行ったときにも昼飯はここにしよう決めた。。。(ただし、しょうゆ味の方は汁が結構辛いので、本来塩分カットの私にはノーなんですが、少しだけつけることで無理やりOKを出したました。)
 
 お店の名前は、『うどんつけ麺専門店・大門うどん』。場所は、大門の交差点を南に入って一筋目とふた筋目の間の東側。駐車場は二筋目の東側2台あります。ただし、席はカウンターだけで8人くらいかな?お昼は時間の余裕をもってお出かけください。(私が食べている間に満席になりました)
 そうそう、使っている小麦は100国産と書いてました。
  

Posted by 生田 at 18:39Comments(2)TrackBack(0)今日の日

2011年12月21日

家政婦のミタ 最終回

 最終回が始まった。とはいえ私は冒頭をとリビアを見ていたので見逃した。どうもその冒頭で子供たちから『お母さんになって』といわれて『承知しました』といったようだ。
 ということで、ミタは母親役をすることになった。食事を作るのに質素にしたりして。。。そして子供たち一人一人にそれなりに注意をして、末娘なんて『来年は小学校だから甘えているのではない』とまで。。子供たちが『三田さん』と呼ぶと『お母さんでしょ』とまで言うミタ。

 その中で、父親が胃潰瘍で入院するということになってしまった。一方でミタは変わってしまったので、子供たちは戸惑うばかりだ。

 大掃除をするmまずは仏壇を捨てろ、末娘の持っている家族の医師から母親の石を捨てろと。そんなことはできないと抵抗する子供たちだ。そして、病院に行き、『このままでは家がおかしくなる』と訴えるが。。。
 うららの結婚式。子供たちは麗を引っ張り出してしまうので結婚式は・・・ うららと子供たちが家に帰ればミタは仏壇に火をつけようとしている。抗議するうららにミタは『家族でないものは口出しするな』とまで言い切る。そして、子供たちに必要なのはうららかミタかと・・・・それは子供たちが決めることだと。
 上の済む目が『麗にはずっといsshにいってほしい、ミタはお母さんではない』と言われたミタは阿須田家を出ていく。
 出て行ったミタをうららはおい毛ける。ミタは麗を何回も殴りつけ、母親になるのなら子どたちにはおだてるだけではなく、叱ったりもしなければいかない、そしてうららの力で阿須田家に降りかかる災いを追い払え、そして最後はうららの笑顔でみんなを包んでやってほしいと。

 立ち去ろうとするミタに父親が「明日はクリスマスイブだから…」と言うと、『承知しました』と答えるミタ。

 遊園地で一緒に過ごしているミタ。遊園地では、父親の不倫相手がビラ配りをしていた。罰があたったという女に子供たちは『母は事故で死んだ。自分を責めないで』と慰める。
 自宅に帰ると隣家の奥さんが離婚で子供を取られたと泣くが、『最後まであきらめてはだめ。こんなダメ親父の私あでも子供たちを取り戻せた』という父親。こそに隣家の子供が出てきて隣家の女と。。。

 ダビデの星の講釈をされた一家が振り向いたミタを見たその顔は、ミタを笑わせ王とするものだったが、ミタは笑わない。そして子供たちが三田のために食事を作る。一緒に食べるミタは、

 辞めていくというミタは、阿須田家の家族のおかげで生きていくのに光を見るtけることができたという。そして、どうしてもやめるのなら最後の命令を聞いてくれとい父親に言われるが、その命令は『笑ってください』だった。そして、そして、ミタは『承知しました』とみんなを見ながら微笑む。

 家族それぞれからの『会いにいってもいいか』などの頼みごとに『承知しました』と答えるミタ。


 翌日、阿須田家の末娘を覗くみんなにも行くられてバスで去る見た。下の息子が『ひょっよしたら身つぁんはサンタクロースだったかも』と言い出して。バスを末娘が追いかけてきて、バスを降りたミタ。そして末娘と抱き合う。そこに麗も含めた阿須田家の家族が。。。最後にミタは『お世話になりました』のとこ場を残して去っていく。。。。。  終わりだよ。  

Posted by 生田 at 23:06Comments(0)TrackBack(0)TVなど

2011年12月21日

家政婦のミタ 特別編

 富士山の見える墓地に来たミタ。ミタ家の花かと書かれた墓の前で母子を撮って『また来年も来るからね』と。(ん?年に一度しか来ないのか?)ミタの帰った後に阿須田家の子供たちが来る。そしてそこにミタの義理の母が来た。その母をののしる子供たちだ。

 家に帰った子供たちは、ミタが初めてきたころかを思い出す。最初は絶対笑わないしなんでも承知しましたとするし、気持ち悪かったなぁなどと。
 そして、過去にあった見たのやった事件などをたくさん見ることに。。。。。。上の娘に命じられて、母の服や仏壇を焼いてしまったこと、子供を殺しかけたこと、父親の会社に怪文書を流したこと、子供に脱げと言われて脱いだこと。隣に家にスプレーで字を書いたこと。
 (これは最初からの主要部分を再放送しているということだよな。。。)

 命じられたことは下手をすれば人を殺すことでもやりかねないと紹介所のおばさんも言っている。

 上の娘が『私を殺して』といえば、ミタは包丁をもって切りつけたし、そして娘から『まえに死のうとしたことがある?』と聞かれた『殺したことがある』と。。娘が『死にたい』といえば「それはあなたが幸せだからだ」とも。
 (とにかく最初は、困難ばかりで、どんなドラマになっていくのかと思っていたら。。。結構終わりになるとまともになってきたんだよねぇ)

 **どうもこんな過去の話の再放送のようなので、ここで打ち切って『とリビア』を見ます  

Posted by 生田 at 21:25Comments(0)TrackBack(0)TVなど

2011年12月21日

今日の木彫り 金剛神の顔のつもり



今日は、久々にちょっと大きめの木彫りをした。
高さは20センチある。

最近は彫刻等だけで
彫りことばかりだったけど
これはノミで彫って
細かいところは
彫刻刀を使った

円空仏の金剛神の
顔だけというイメージなんだけど。。
ちょいとイメージ違いになっている。。

久しぶりのノミは
木鎚を使って
左手をしこたまたたくこと数回
おかげで今日は左手が痛い

  

Posted by 生田 at 19:47Comments(0)TrackBack(0)趣味の木彫り

2011年12月20日

カレ、夫、男友達 最終回

 麻子(木村多江)は、自殺でのこん睡状態から目覚めた。その彼女を治子(真木よう子)は罵る。治子は、い便t回s上で法被を着て熊ちゃん(徳井義実)との過去を思い出している。母(高畑淳子)はもと夫(長塚京三)の女とはなしをしているが、おんなは「あなたにはかてない。。」なんて言っている。
 育子(夏帆)は研究室に行き先輩に抱きしめられた後、ホームレス(森本レオ)の所に行く。そこに父親(長塚京三)が来てホームレスに殴りかかる。

 回復したあさこは夫(ユースケ・サンタマリア)の看病をしている。そこに麻子が来て。。。(この時の麻子の軽蔑したような顔はきついなぁ。もともとこの女優さんは気つか押して入るけど。でも、この姿が空きなんですが、私は)
 家に帰って女4人で話すが治子は麻子を詰問するばかりで。そんなにまで言われても夫と別れるとは言わないあさこだが。そんな話の中で台所に駆け込む育子は、お腹に子供が宿っていた。それを祝福する母親。そこに父親の女の出産の気配の電話が入り、駆け付ける母と治子。(変な親子だなぁ)
 子供が生まれて、手と撮っていた父と母の母は置いていかれて呆然とする。(これで、女に負けたのかなぁ?帰ろうとした母だが治子に止められて病室に行く。そしてなんと赤ん坊を抱くんだよねぇ。(確かに子供には罪はないよ)

 麻子の夫が退院した。病院の正門で待ち受ける家族の前に夫は立ち麻子に『ありがとうございました』と別れの言葉を言う。タクシーで帰ろうとする夫を麻子は追うが、父が引き止める。泣き崩れる麻子だ。(夫婦、女と男の間というのは他人さまには理解できないものがあるんd名よねぇ。はたから見たらわかれればいいと思っても別れないカップルは結構いるもんだ)

 一人自分の部屋の帰った治子に熊ちゃんからメールが届いていた。彼は戦場にいるのだ。彼からのメールは「もう一度やり直そう」というものだが、治子は涙を流しながら別れのメールをかきお送信する。
 
 送った文面がすごい。「もう付きまとわないで、未練がましい男は嫌い」だと。(これは、どういう心境なんだろう?女独特の心情何だろうか?それとも理解できないのは私だけなんだろうか?)

 育子は、子供ができたことで先輩と結婚することに。その結婚式に、母そして3人に父親も出席する。そこでミタ記念写真がふるっているねぇ。治子たちの家族に父の女と子供が一緒に写っているよ。

 結婚式の帰り一人で歩いている治子の前に熊ちゃんが現れる。『おれは、メールなんか信じないぞ。あの文句を顔見て、目を見て言ってみろ』と。泣きながら、下を向いてつぶやく治子だが、熊ちゃんは『一生治子を嫌いにならない』と。治子は熊ちゃんの胸に飛び込んで行った。

 カメラは、東京鵜の景色にパンします。これでこのドラマは終わりです。

 出だしはNHKが壊れたかと思うようものだったけど、終わりはそんなこともなくごくありきたりに終わってしまったなぁ。。。でも、でも、いいドラマだったと思うよ。
 
 
   

Posted by 生田 at 22:48Comments(0)TrackBack(0)TVなど
  
2015大津・京都の旅
1泊2日のドライブ旅行
2015北海道・道東の旅
1週間870kmのドライブ旅行
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50年ぶりの鎌倉
OB会の後に鎌倉と横浜に行ってきました
15年年頭 広島宿泊の旅
鞆の浦、竹原、宮島に行きました
14年秋 京都宿泊の旅
久しぶりに新幹線に乗りましたが・・・
13年秋 京都ドライブ旅
京都の紅葉の名所・毘沙門堂に行きました
12年秋 室生寺ドライブ旅
すてきな観音様と再会です
室生寺五重塔
12年秋 京都ドライブ旅
1年ぶりの京都です
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4泊5日 2000キロの一人旅です
平泉・わんこそば
   
10年夏 室生寺 日帰り旅
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室生寺・五重塔
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09年11月26日久しぶりに黄檗山満福寺・六地蔵・法界寺谷寺・長岡天神
布袋さん
09年秋京都 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに 紅葉がきれいな京都
南禅寺の紅葉
08年秋京都 日帰り旅
08年11月25日貧乏・一人・日帰り旅の記録です。
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生田
生田
 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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