2011年12月20日

世界は意外と静かで。。。

 よその国の将軍様がなくなって世界情勢不安になるかと思ったけど、一日たった今日20日はまぁマンともないですね。世界のトップはみんな大人なのか?

 今日は午前中のワイド番組ではいろいろ取りざたされていたけど、昼からはそんなにも話題もなく、ニュースにちらほら。。。。
 とはいうものの、お葬式が終わったらどうなるんでしょうねぇ。。

 それにしても、よくおお泣きになる国民ですね。「泣き屋」という商売があると聞いてますが、お葬式では泣かないとダメ人間見た言いに言われていたらしいから。
 新聞に泣く場面がたくさん出てたけど、一部はやらせとのうわさも。どうでもいいことだけど。。。。  

Posted by 生田 at 19:10Comments(2)TrackBack(0)社会性

2011年12月19日

世界はどうなるの???

 今日のお昼に北朝鮮の将軍がなくなったというニュースが流れた。直接の関係はないものの、将軍がなくなったことで北朝鮮の政治バランスが変わるではないかと、昼からのニュースなどで言われている。勧告は緊急警備態勢を敷いたとも。日本はどうしているんだろう?

 いろいろ取りざたされえいるが、後継者がまだまだ若いので、彼の実力を誇示するために何か世界に向けてする可能性があるのではなどとも。こんなことは世界への脅し文句と落ちたいのだが・・・・・

 それにしてもあまりにも急なという死亡ニュース。年齢は私よりも一つ上だから、まだまだ若いといっていいと思うのだが、最近のニュースに顔を出している姿は、かなりやつれてはいた。国のトップに知るということのストレスが大きいものがあるだろう。ある程度の年齢になったら、おとなしく隠居するのが長生きの秘訣かなぁ。。。

 私の場合は実質隠居も同じだから、そんな世間からのストレスはないけど、病気のストレスがあるくらいかな?将軍様は国を動かすストレスの上に病気のストレスもあったようだから、命を短くしたのかなぁ。

 まさかまさかだけど、今よく見ている韓国の歴史ドラマは勢力争いでの謀殺事件がよく起きているけど、そんなことはないよねぇ。。。
 どっちにしても、ある国のトップが入れ替わると、世界情勢に何らかの影響が出る。その影響が少なく、特に日本の情勢不安にはならないように祈るばかりだ。  
タグ :北朝鮮

Posted by 生田 at 18:06Comments(0)TrackBack(0)社会性

2011年12月18日

韓国ドラマ トンイ 第37回 動かぬ証拠

 今回も裏の南極大陸(最終回)を見ていたので、トンイは録画で見ることになった。

 『謄録類抄』の持ち出しに関しては、トンイが王妃・張禧嬪に直接尚を超えお付きつけるために王妃の部屋に出向き、過去に王妃を救った方法をそのまま用いて王妃の罪を暴くという。そんなことができるかと強がりを言う王妃だが。。。
 裏では、シム・ウンテクが証拠をもって王に状況を話してしまう。これにより王は王妃とトンイの階段の中に行く。そして、トンイに強がりを言っている王妃に『もうよせ』と。。。。

 そして、王の命令で南人の逮捕、取り調べが始まる。しかし、南人の長・オ・ソテクは延命のために王妃を見限り、それを関係者に連絡する。これを知った王妃は、観念したのか、すべての問題は自分が命じたことと王に告白する。しかし『持てるものすべてを使って自分の実を守り通す」と王に宣言する。

 しかし、王は会議を開き、南人を始め事件の関係者の処分を発表するが、おもだった人物・チャン・ヒジェなどは死罪に、義禁府の長官などは円筒になる。そしてその発表の最後に王妃を降格することを告げる。

 大筋はこんなところ。
 こんないの証拠だが、トンイの部屋には生姜汁を二り込んでいて、侵入した女官たちの旅に生姜汁がついていることで、それを薬を塗って色が変わることで証明している。まぁ酸とアルカリの反応を利用した、リトマス試験液みたいなものなんだろうなぁ。。
 それにしても、囚われの実の罪人に、音も簡単に悪の庁からの指令が届くとは、相も変わらぬいい加減な警備をさせているドラマだねぇ。。韓国の人たちって、こんな筋書きに満足しているのだろうか?そして、真実見たいに思っているのだろうか?もしそうなら、不思議な国だと思うよ。  
タグ :トンイ

Posted by 生田 at 23:37Comments(0)TrackBack(0)TVなど

2011年12月18日

南極大陸 最終話

 等々かやっとか、今回が最終回。結末は事実としてわかっているけど。事実がどうだった変わらないことがいっぱい表現されている。

 大臣時観測隊を乗せた宗谷は南極に刀s着したものの氷原に阻まれて接岸できず。またもあの時と同じかぁとの落胆の声も。倉持(木村拓哉)は昭和基地の偵察に行くように命じられるが、接岸できないのでまだ達成できていない。

 犬が3頭生き残っているが、リーダー犬のシェパード・リキがなんとなく弱っていてタロとジロから離れてしまう。そのタロとジロは倉持が帰ってきたのを感じたのかねぇ。。。。
 
 倉持はヘリで昭和基地に。昭和基地は残っていた。倉持は、犬を残して帰国したことを思い出している。が、その犬たちはどこにも見当たらない。落胆する倉持だが、い二をつなぎとめたところの域を彫るのだが(本当んの惚れるのかよぉ)そこには犬の名を書いた札が見つかる。そして犬の市がうを見つけ彫り続けるが、鎖や首輪を切っているものがいることも知る。そして、昭和基地の中には犬たちが暮らしていたことを示すものも見つけたが、犬たちはそこにはいなかった。

 昭和基地の外で落胆の気持ちで周りを見ている倉持は、リキの耳を見つけてかけ出すが、それは力の死骸だったのだ。その死骸の顔をいとおしむようになでまわす倉持だ。
 倉持は、無線で昭和基地の報告をするが、城崎たちの関心は犬だった。倉持は8頭の死骸を発見したことを報告する。

 倉持は宗谷に戻らずに犬の死体を並べて、これは葬式だぁ。。。。。追討に、子供たちが作った千羽鶴をかけてやる。
 と、そこに朝日をバックに犬の姿が。2頭いる。タロとジロだ。倉持の呼びかけにタロとジロは走りだす。倉持も犬に向かって走りだし。。。。。 何だの再会だぁ。(まぁ泣かせてくれますよねぇ。私は泣いてませんよ) しかし、お互いに離れて見つめ合うだけで・・・・・
 手袋を投げて、自分のにおいを確認させる。タロとジロはそれを鍵安心したようだ。そして倉持の元に走っていく。(恐らく一番泣かせるところでしょう)
 
 倉持はそれを報告。喜ぶ白崎(柴田恭平)たち。この法は日本にも伝えられたが、リキの元の飼い主・古館遥香(芦田愛菜)の関心はリキのことだったが。。。。
 
 日本では新聞の号外まで出て大騒ぎだった。***私は高校1年生だった。その日は日記にタロとジロのことを書いた記憶がある。ただ何を書いたかまでの記憶はない。***

 これ以上は、もう書かなくても。。。。。 ということで、番組終了前に流すことに。
   

Posted by 生田 at 22:11Comments(0)TrackBack(0)TVなど

2011年12月18日

坂の上の雲 第3部 12回 敵艦見ゆ

 戦艦三笠は、修理のために呉に戻る。修理の間のちょっとした休憩を秋山真之(本木雅弘)は採ることになるが。。
 この間にもあ二・秋山好古(阿部寛)は奉天を落とすべくコサックと戦ってる。この戦いは、鉄道を抑えるという戦法の効果でロシア軍は撤退することになる。そして秋山は奉天に入場する。

 海軍の方は、バルチック艦隊の現在位置がわからずイライラしている。敵が対馬海峡経由か津軽海峡経由なのか両方の監視ができず困惑の状態だが、おそらく対馬海峡経由との予想を立ているようだ。しかし、中中対馬海峡に姿を見せないので、一度は艦隊を移動させるように進言した真之だが、統合が信念を持って『対馬に来る』と断言し、艦隊移動はしなかった。
 そして、とうとう品の丸から『敵艦見ゆ』の一報が入り、バルチック艦隊が対馬を目指していることが判明。そして日本海隊は対馬海峡での待ち伏せをすることになる。

 三笠からバルチック艦隊を見ることができるようになり、Z旗を上げる。そして艦隊がすれ違いでの砲撃船になるかという寸前に、日本艦隊は取舵でバルチック艦隊の食膳を横断するという愚挙(一般にはそう言われる)戦法に出た。これでT字作戦が始まった。

 **
 この結果は歴史上の事実としてもうわかりきっているのだが、この作戦は本当に捨て身の作戦でしかなったといわれている。日本の軍隊が撮ってきたことは、力不足物資不足を木集やきさくで補ってきたといわるのだろう。力のないものが一度は勝ったとしても、それが維持できる体制が取れなければ、いずれは元のように撃沈されるのだ。事実日本は太平洋戦争で撃沈されてしまった。  

Posted by 生田 at 19:31Comments(0)TrackBack(0)TVなど

2011年12月18日

名古屋を歩く 中区伊勢山の神明社

 久々の『名古屋を歩く』です。

 先週の木曜日に所用で地下鉄の東別院で下車して、取引先に行きましたが、その道すがら神社を見つけてショット。前から車で通るので気にはしていたのですが、いつもは急いでいるから見ることもなかったのですが、この日は歩きなので茎菜用にショットができた。



 ビルの谷間とまでいかないけどま土地としては1っと内に近いところに、こうした神社がまだまだ名古屋にはいくつもある。しかし、多くの人が見向きもしないんだよなぁ。もうじき正月だkら、その時は町の人が来るのだろうか???

 正面を入ると多くの神社に見られる通せんぼ。この左右に狛犬がセットで座っている。

 

 この先の階段の上にご神体があるらしい。階段の上の建物がそれなのだろう。



 建物の真ん中上に額があって『神明社』と書かれているから、多分ご本体だと思う。あんまり体調のいい日でなかったので階段は上がらず、額の写真のみ。

 この階段の下の左右に、ここにも狛犬がセットで座っていた。

 


 おそらくこの神明社は、名前がないことから、昔の村の鎮守さまといったところなのだろうか?どういったいきさつ、由緒があるのかは、考察にも気づかなかった私なので。。。。

 ただ、このや市のの東側には紅い鳥居がいっぱい並んでいた。ここにも注目もせずに、大変失礼をした私です。いずれまたタイ寄ってみるかと思います。  

Posted by 生田 at 15:13Comments(0)TrackBack(0)名古屋を歩く

2011年12月18日

1週間の木彫り

このほぼ1週間ほとんど毎日木彫りをしていた。
そして、これだけ彫りました。

最近は、このタイプは彫り慣れてきたので
そんなに時間をかけないでも
彫りことができるようになりました。



だるまさんを円空物のイメージで彫ってますが
どっちつかずになってますねぇ。。
反省しきりなんですが、
このパターンは追い続けようと。


 円空仏のイメージを追い続けているのですが、なかなかうまくイメージ通りにならなくて苦労してます。木彫りを始めて1年と8カ月を過ぎたのですが、思ったような上達が見られなくて。
 彫り始めたころに比べると確かにそれなりのイメージを作ることはできるようにはなったものの、とにかく満足のいくものがまだ一つも出来上がってません。
 それなりの自分のパターンも作り上げてきたものの、それでも満足がいかないものばかりで。。彫ってきた仏さんたちに申し訳ないなぁ、と思いつつ。

 今、家の中にはとにかくたくさんの仏さんが並んでます。並びきれないので初期のものの多くはお蔵入りで本棚の引き出しの中に納まったりしてます。いずれは、満足のいくものができるようになったら、納めるケースでも作ろうかって思ってはいるものの、いつのことやら。家族の顰蹙を買うだけのいま。何とかいいものができるようになりたいと。
  
タグ :木彫り

Posted by 生田 at 14:43Comments(0)TrackBack(0)趣味の木彫り

2011年12月17日

初雪の次の日の墓参り

 今日は、父親の月命日と母親の命日の中間日。ということで墓参りに行ってきた。

 いつもなら怒呼びは結構人がいるのに、今日は寒さもあるのだろうがほとんどいない。多分に正月に来るからあえて年末に来なくてもという気持ちもあるのかもしれないが。。。

 とにかく寒くて、寒くて 先月の花が完全に枯れていて、水もなくて腐っていないのは助かるが。それに雑草もあんまり生えていないから、掃除も楽で、、、

 とまぁ、簡単にお掃除を終わって、ロウソクつけて(これが大変で風が強くてすぐ消えるから)専攻つけて、手を合わせて。『今度は正月な』と声をかけて早々に帰ってきた。

 帰りには、ヒルズウォークの床屋さんでかにも毛を切ってきた。頭が寒くて…… 

 初雪の次の日の・・・・  
タグ :墓参り

Posted by 生田 at 16:25Comments(0)TrackBack(0)今日の日

2011年12月16日

清涼寺 蛇足 経摩尼車 (京都宿泊旅行)

 これを書いている12月16日は京都では初雪が降ったとのことで、かなり冷え込んでいる。先週私たちが逝ったときにも冷え込んだらあの雨は雪になっていたことだろう。

 コンパクトデジカメにまだ清涼寺のショットが残っていた。これは念仏寺と違って私の目で撮ってきたもの。


 これは、駐車場の西側、山門と本堂の間の東手にあるマニ車の前の灯篭の紅葉。、まぁ写真で見ると何とか見られるなぁ。


 これがマニ車のある建物。中からお今日が流れていたけど、どうも手^-ぷレコーダーかDVで流している感じだな。この建物にはりるにはおあかねがいる。あの駐車場の怖いおっさんが関所にいるみたいだ。
 マニ車は、一切経を収めてあって(ウソばっか)、それを回すと全部仏教の経典を読んだことになるっていうものすごくいい加減なもの。忙しい人のために、それにお経を読めない人のために設けられたものらしいが・・・・ この類はあちこちにあって、私は長野の善光寺で回してきた。あそこはタダだったよ。お金撮るなよぉ。。。 お金がいるならもう回してきているから必要ないということで入らず。そして駐車場に足を向けた。


 しかし、駐車場に行く前に目に入ったものがある。三門だ。実は、駐車場に車を入れると山門をくぐることはない。同じ浄土宗の知恩院の三門とは、同じ徳川さんの寄進なれども規模が全然違うね。
 三門をくぐりたい人は、駐車場に車を入れて境内に入ったら、まずは左手に進んでください。そうすればくぐることができます。

 さて、週者上から車を出して一路名古屋に帰りす。ざっと3時間はかかると思います。どこから高速に乗ろうかと考えたが、南に下って京都南からが単純に思いつく経路だけど、私は居と南と京都東のあの間が好きではないので、京都東から乗ることに。そのためには嵯峨野からまっすぐ東にいって銀閣寺の横を通って、北大路から白川通りに抜けて(と宗兄弟が見たくて百万遍まで南下した)、銀閣寺道から白川通りを南下して南禅寺前から大昔の東海道に出て京都東ICで名神高速に。
 乗ってすぐに毎度のコースで、大津SAで休憩。(大津SAなんか小さくなった感じがした。)

 そして、下の写真が、今回の旅行の最後のショットです。


 お疲れ~~~~~  

Posted by 生田 at 17:54Comments(0)TrackBack(0)旅行など

2011年12月16日

化野 念仏寺 蛇足 (京都宿泊旅行)

 コンパクトデジカメにまだの残っていた。といっても念仏寺のは私が撮ったのではなく娘が撮ってきたもの。


私の眼ではない石仏と鐘楼と紅葉


 念仏寺の奥の方に水子供養の祠があって、その奥に竹林がある。そこを入っていくと何やらあるということだけど私はもうこれ以上上るのいあ屋だと駄々をこねていかなかったが、娘たちは行くよいうのでカメラを預けた。


 竹林の間を抜けて登りきったところにお墓があるそうな。お墓だけではなくて、何やら触るとご利益があるというものがあって、娘はそれを触ってきたという。そして、帰りの車の中で、早々にそのご利益があったのだ。


これが、そのご利益のあるものらしい



周りは紅葉ではないものがあったらしい


 また元の境内に戻ったところを私の眼とは違ったショットをしてきた。



 全部見終わって、そろって(うそ、私だけ先にいろいろ撮りながら、娘たちか土産を買ったり)して、清涼寺の駐車場に向かって帰っていく。その道すがら前に書いたように、喫茶と小間物の店に立ち寄って、名古屋に変えるまでのちょっとした腹ごしらえをした。(おいしかったけど、私には甘かったが)


店の中からソトン紅葉をショット
いい雰囲気でした。
ただし、好みの問題だけど。。。
  

Posted by 生田 at 17:35Comments(0)TrackBack(0)旅行など

2011年12月16日

今更の名古屋の紅葉

 先日栄に出かけたとき、オアシスの階段を上がって久屋大通りに出たら、まだ紅い木があった。それをテレビ塔をバックに撮ってきた。
 

 おやまぁ。。。。コンパクトデジカメは液晶が反射して対象仏にフォーカスできなくて、頭が切れてますねぇ。。。

 テレビ塔は、もう本来のお役目を終えてアンテナの撤去をしているところらしい。何やらテレビ塔自身の撤去も云々されているが、日のんの本格的なテレビ塔の最初のものだけに、何とか残してやりたいものですね。(ただ、耐震設計は大丈夫なんだろうか?という心配はありますが)  

Posted by 生田 at 17:08Comments(0)TrackBack(0)名古屋を歩く

2011年12月15日

DOCTORS最強の名医 最終回

 相良(沢村一樹)の手術が開始された。執刀は森山(高嶋政伸)だ。**高嶋の異様な雰囲気の演技は手術に一抹の不安を感じさせるほどだが***

 手術は成功したが、仕事を終えて院長室で森山は『がんを残しておいてやった』という。これには驚いた院長(野際陽子)だが、森山は『嘘だよ』と。
 手術後の病室の担当看護師は宮部(比嘉愛未)。相良が仕事のことを口にするたびにイライラ、森山と生体肝移植の話となってイライラが高じて怒って部屋を出たりする。

 前週の肝臓病の子供は、生体間移植したかすかる道はないという結論で、これをなんとか実現したい相良だが、自分の手術後の経過がいいことで、実現させることになる。
 ただ、ドナーとして実の父親が必要なのだが、拒否をしている。これをセットするために実の父親の現在の妻を含めて子供の現在の両親と4人で相良、森山を前に話し合いをする。『今は親の立場が違いう』といって拒否していた実の父親の妻だが、『人を助ける』という前提で折れてこれで生体肝移植に向けて話が進む。

 生体肝移植のドナーからの摘出は森山が執刀。そして子供への移植は相良がしとうするということで、手術は成功。これはマスコミを集めて手術開始から終了の報告を院長が会見室で行った。
 手術は成功して。。。 ドナーから提出後、森山はドナーの妻に『ありがとうございました』というのだが、こんなことはミタことがないとばかりに周りにいたスタッフが驚く。しかし、これがスタッフが森山を信頼する元になるのだろう。


 ** 
 ここのところ医労をバックにしたドラマがかなりたくさん出てきている。この「DOCTORS」は遺漏の内容としては、取り上げるほどのものはないが、医師の傲慢さという裏の表現はそれを現実に知るものならうなづけるものだったかもしれない。全ての医師が傲慢というわけではない。しかし、謙虚さにかける医師が多いのは大使かだ。

 さて、こうした手術が出てくるドラマを見ていると、来月手術をする私としては、どんな手術をして、どんな痛みがあって、経過はどうで、後遺症が残らなければいいがなぁ、なんておいろいろなことが頭の中で駆け巡った。何とか無事に終わることを祈るばかりだが、まだまだひと月先の話だ。。。
  

Posted by 生田 at 22:51Comments(0)TrackBack(0)TVなど
  
2015大津・京都の旅
1泊2日のドライブ旅行
2015北海道・道東の旅
1週間870kmのドライブ旅行
大学OB会と
50年ぶりの鎌倉
OB会の後に鎌倉と横浜に行ってきました
15年年頭 広島宿泊の旅
鞆の浦、竹原、宮島に行きました
14年秋 京都宿泊の旅
久しぶりに新幹線に乗りましたが・・・
13年秋 京都ドライブ旅
京都の紅葉の名所・毘沙門堂に行きました
12年秋 室生寺ドライブ旅
すてきな観音様と再会です
室生寺五重塔
12年秋 京都ドライブ旅
1年ぶりの京都です
三千院
10年秋 平泉ドライブ旅
4泊5日 2000キロの一人旅です
平泉・わんこそば
   
10年夏 室生寺 日帰り旅
素晴らしい観音さんに出会いました
室生寺・五重塔
10年初夏 宇治・長岡 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに黄檗山満福寺・六地蔵・法界寺谷寺・長岡天神
布袋さん
09年秋京都 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに 紅葉がきれいな京都
南禅寺の紅葉
08年秋京都 日帰り旅
08年11月25日貧乏・一人・日帰り旅の記録です。
鳳凰堂を望む
観光シーズン 京都の歩き方
京都市・地下鉄 東西線沿線
09年浅草と川越
浅草観音
07年信州の旅
上田城内
アクセスカウンタ
プロフィール
生田
生田
 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
オーナーへメッセージ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。 解除は→こちら
現在の読者数 18人
QRコード
QRCODE