2010年06月20日

イ・サン 第45回 即位の日

 やっとイ・サン=世孫が王位に就いた。
 即位式の模様がもっと派手派で憎むのかと思っていたけど、あらまぁいとも簡単に終わってしまったよ。期待はずれだったかなぁ。。。。
 その裏で世孫の案咲く計画が進んでいた、その密書を世孫側が入手したにも関わらず地理締まりが手ぬるい。刺客を見つけながら、捕獲しながら,世孫は解き名はしてしまう。ちょっといただけないストーリーだな。というのは世孫は名うての武人でもある。その名うての武人が殺気を感じないでどうするのだよ。いくらこの後のハラハラがあるとはいえ、いくら何でもこれではセゾンの武人としての実力が死んでしまうでしょうに。
 
 即位式が終わって,これまでの世孫の警備隊を解散させてきたくさせる。この先は追う宮殿の警備隊が警備するということになったのが,ドラマの最後の方でもうこの警備隊がいい加減であることが露呈する。
 
 さて,その刺客をソンヨンが見つけたのだが、それの報告がドラマでは出てこずに,刺客が暴れ始め,王宮殿の取り巻きを一人残さず殺してしまったぞ。それに気づいたイ・サンが立ち上がろうとした所でドラマ今回終了。
 筋の荒いのは毎度のことだけど,本当によくもここまで警備がいい加減な筋書きで。

 さて,来週はイ・サンが王位に就いたことで,これまで悪行三昧だった大臣などの粛清が始まる。前の王妃もこの対象になるらしい。
 ということは,イ・サンは刺客をやっつけたということなのだが。今回出てこなかったソンヨンの刺客発見の方が、多分にテスに伝わってそれで駆けつけるってことになるのかな??
 もしそうだとしても,追う宮殿んお警備隊が中に入れてくれないだろうが。

 と、先のことを心配しても始まらないなぁ。。。。

***
 話は全く変わるけど。
 いくつかの韓国歴史ドラマを見て来て思うことは,宮廷ものが多いということ。日本では調停もののドラマが皆無と言って言い位だが、源氏物語がその数空くナウいものの一つなのだろうが,韓国の宮廷ものの多さと日本の少なさの違いはどこから生まれたのか?
 これは多分に,韓国は現在は王宮はない、だから何を書いても叱責されることはないだろうが,日本の場合には、調停は現存し,ある意味神格化されてこれを舞台に何かを書き上げるというのはタブーになっている感じがする。
 同じ現在も王宮の存在するイギリスでは,結構王宮ものの映画などがある。大昔の王宮創世記のものもあるが,その後のエリザベス1世やビクトリア女王などのドラマがいくつか存在する。
 日本の調停の扱いとイギリスの王宮の扱いあの違いの根源はどこにあるのだろう。同じように『開かれた・・・』を表に出しているにも関わらずだ。疑問、疑問。  

Posted by 生田 at 22:22Comments(0)TrackBack(0)TVなど

2010年06月20日

龍馬伝 第25回 寺田屋の母

 どこから旅に出たのかな?何にしても伏見まで龍馬はやって来てそこで宿を取ることになるのだが,それがまたその矢野女将さんが亡くなったお袋さんそっくりということが原因。これ本当か?寺田屋にいったときの説明ではそんなこと一言も言ってなかったぞ。
 それとセットの寺田屋と今の現実の寺田屋ではかなり違うよな。ドラマでは宿の前がすぐに運河でしょう?遠日は,道路が一本あってお家が並んでいて,その南に運河だよ。100年も立つと変るのだ。それに寺田屋ってあんなに広かったっけなぁ?というクレームを付けるh度野暮ではないけど,書きたくて。

 招集藩が蛤御門で薩摩を相手に戦を仕掛けて負けて,朝敵の扱いをされて・・・その流れの中で幕府の海軍はつぶされてしまい、神戸の訓練所は亡くなってしまう。龍馬はどこへ行けばいいかと絶叫。

 そうそう,蛤御門の変のおかげで都の半分が焼けてしまって,お龍の家も焼けてしまう。そのために龍馬は図々しくも寺田やお龍一家を連れて行き住まわせてくれと頼み込んで。。これまた気っぷのいい女将さんはお龍が寺田屋で働くことを前提に一家の住まいを引き受けて。
 こんな時代だったのか,それとも龍馬の図々しさを誰もが認めるだけの彼の人望だったのか。
 図々しさが嫌みにならないと受け止めてくれる人に出会うことは、その人間に取って非常に大切で,その人の人生を大きく左右する。
 これは自jっ再尼身を以て経験しているので,よくわかる。しかし,いくら何でも龍馬の楊は阿蘇駒dねお図々しさは持っていなかった。持っていたらひょっとしたら大成していたかもなぁ。。。なんて,今更思ってもしょうがないけど。

 さて,ドラマのセットの時代は明治維新まで4年の所にきている。かなり大きく時代が動いているが,そろそろ龍馬が薩摩と長州をまとめる時期に来た。血生臭い事件が横行する頃でもある。ドラマではあまり出てこないが新撰組はもうこのの時期には血の雨を降らせているのだが,いずれドラマにももっと出てくることになるのかもしれない。  

Posted by 生田 at 20:04Comments(0)TrackBack(0)今日の日

2010年06月20日

父の日と雨と墓参り

 今日ははれたり曇ったり雨が強く降ったり。変な一日。今年の梅雨は元気がいいなぁと思うけど,私は勝手なもので出かけるときは晴れてくれと。

 今日は墓参りの日,本当は明日だけど、明日は実家に移動する日なので今日すませておこうと。ところが午後で掛けようとしたら雨が降り出した。車に乗ったときは対したことがなかったけど,走り出したらかなり強くという感じになって来たので,墓参りは後回しで,スーパーの安売り日で今日に延ばしていたものを買いに出る。ついでに息子のt難常備が近いので,プレゼントを探しに。

 その息子から父の日のプレゼントが届いた。毎年父の日にはアルコールに弱い私が現在飲むものが焼酎。そのために毎年あちこちのうまい焼酎を届けてくれる。今年は佐賀県の『魔界』で何と2本のうち1本は私の名前がラベルになっていた。へぇ???? だった。

 プレゼントにいいものもが見つからず,買い物も済ませたので車に戻る。外は雨は上がっている。ということで墓に向かうが,車が駐車場から出て行かない。昨日のAPITAのようなことはないが,それでも渋滞。交差点で渋滞しているから,右左折を避けて直進で難を逃れた。
 
 墓までの道すがら,なんか道が空いているよ。どうしたことなんだろう??いつも日曜日のこの時間は混雑するのに。
 公園墓地に来たけど人がいないも同然。雨があれだけ降ったから皆さん避けたんでしょうね。おかげで車が空いていて助かる。
 
 我が家に墓地は毎月掃除ををしているせいか,雑草はそんなに生えていないが,毎年秋になるときれいな色になる系統だけは抜いていないから,可成りな数が生えて来ている。これだけは,半分近くに間引きをして来た。大きいのを残して小さいのを抜いて来た。これで後2ヶ月後くらいには大きくなった所で残すものを選定して,後は抜いてしまう。
 お墓で殺生はねぇ・・・・  

Posted by 生田 at 19:43Comments(0)TrackBack(0)今日の日
  
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生田
生田
 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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