2021年06月14日

3時間かかった 救急騒ぎの後始末

今日は9時に大病院到着
予約がないので即受付に行く

正面玄関から受付までは
なんとか杖をついていけたのだが
受付を終わる寸前に
めまいに襲われた
それからが大変
座って問診表書いて
書いている間に相方が到着
車椅子を探してもらって
椅子から移る

ちょっと気持ち悪くなってきている
また始まったかと思ったが
なんとか踏みとどまったようだ

問診表書いてから延々と待たされて
診察室に呼ばれたのは
受付から2時間近く経っていた
診察室で救急騒ぎの顛末を
昨夜書いたものを見せて説明
そして現状を話して
軽いめまいがあるので
めまいチェック

正面は無症状だけど
寝っ転がって(診察台を倒されて)
上、右、左と
なんと寝っ転がると目が泳ぐのだ
自覚症状ともしっかりとある
医師も「動いている」といった

診断結果は
「良性めまい症」
内リンパ水腫の話は無し
MRI画像を見る限り

脳に腫瘍は見当たらない
とのこと

この後どうするかという話になったが
愛知医大で面倒見てもらっているので
そちらにバトンタッチ


それまでのつなぎに薬の処方をしてもらった
最初1週間分だったが
医大に行くのが2週間先なので
2週間分と相成った

ついでに
現況の話をして
最新の聴力検査を見せて
身障者レベルの意見を聞いたが
4級レベルまで落ちていると
これは愛知医大で相談ということだなぁ

終わって
金470円払って
依頼した土曜日の診断用の画像を
CDに焼いてもらう時間
病院の外に出て時間つぶし

CDができて
病院の駐車場を出たのは
もう12時を回っていた
なんと3時間かけての後始末だった

帰りの途中スーパーで昼飯買って
調剤薬局に立ち寄って薬もらって
お家に帰って食べました


今日は一つ賢くなった
まぁ思いつかなかった私が真面目でホでした

車椅子に乗って
あちこち動くのだが
両サイドの輪を手で回していたが
どうにも遅い
なんかないかと思っていたら
目の前を足で漕いでいる人を見た
「おお、これだ」と
それからは足置きをあげて
両足で蹴って移動した
めちゃくちゃ早く移動できる


もう一つ
車椅子で移動するとき
避けてくれる人と
避けてくれなくて
こっちが止まらざるを得ない人と
かなり差があって
止まってくれないのは年寄りが多く
あぁ 俺も他人事でなく気をつけねばと
思ったものです

まいにち
なにかあるとそれなりにお勉強できますねぇ

  

Posted by 生田 at 15:22Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2021年05月19日

腎臓に関する経過観察のための採血と採尿

今日は朝から雨
その雨の中をお出かけ

行き先は大病院
目下腎臓病の経過観察中

腎臓というのは
人間の血液の中を流れる不純物を
フィルターしている浄化装置なんだけど
機械装置のように詰まったから
取り替えってわけにはいかない
詰まったら人工透析と
いうしんどいことするようになる

私の場合は
まだそこまで詰まってはいないようだが
それでも定期的に観察しないと
いつ詰まってしまうかわからないらしい

ということで
目下大病院で年に3回(4ヶ月に一度)
経過観察してもらっている

診察は来週

採血、採尿は
診察の緒樹然でも良いらしいが
結果が出るまでに時間暗愛入るので
診察の予約時間よりも
うんと早くいかねばならない
病院の1番の扱いを受けるんだけど
実は揉み合う
密になるのはわかっている
そのリスクを避けるために
空いている時間にいって
愛結、採尿を済ませている

ということでのお出かけでした


15分雨の中歩いてバス停まで
(最寄りのバス停なら3分で大丈夫)
まぁね日頃歩かないからこの時おばかりに

病院について
受付手続き済ませて
もう一つの受付でコップを受け取り
即トイレに
戻ってきたら
もうもう採決の順番が来ていた
採決も問題なく済んで
会計で支払って
バス停に行ったら
タッチの差で乗れず
15ふん後のバスに

実は行きのバスを降りて病院に向かう時
傘の骨で由布を汚して血を流した
入り口で看護師さんが
ティッシュとテープをくれて
止血
ドジだねぇ。。。


乗り遅れた橋の次のバスで
また遠いバス停まで来て降車
そから歩いて家まで


バス停の反対側にある池
雨に煙る新池
暗いですねぇ。。。

今日はこんな感あじでした

あぁ 今午後3時少し前ですが
少し明るくなってきた
雨は上がりそう
でもくもりのまま

あさ
今日の採決の結果は来週
どんなことを言い渡されるか
安定していればおっぽり出されるだろうけど

問題は クレアチニン の値ね
  

Posted by 生田 at 15:05Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2021年04月08日

末期前立腺癌・宣告から10年 その10年前の様子 その3

末期の前立腺癌宣告の日から10周年の日です
 もう10年も経つと・・・
旋回は、宣告に至る前の生態検査の様子を書いていました。今回は選考当日の私の様子を書いています。
 以下の引用分は、この記事を書いているときに記入したコメントです

前立腺癌検査の結果 (4月26日)


 先週2日に分けてのCTとRIの検査結果を聞きに行ってきた。予約j間を大幅に遅れて2時間以上待ちでの結果宣告。こういう検査結果を聞くのにこれだけ待たされるといい加減精神的に疲れるねぇ。。。

 検査結果は、『癌は大きいものの他への転移は現状ないと思われる』という診断。CTや骨ンシンチの画像を見ながら説明を受けたが、骨シンチでは一か所疑問点があったけど、これは前月地下鉄でひっくり返った時に打ったものかもしれないということで結果保留、そしてCTスキャンの方は、癌の問題以上に私の母羽が患った難病の可能性があるという話が出てきた。
 癌の本体のもう一段詳しい検査と前の骨の影の詳細検査のために今週と連休明けにMRIでの検査を行い結果を出す。

 セカンドオピニオンを受けたいという申し出でもし、快く受け入れてもらったけど、まだどこで受けるかを決めていないので、これからさがします。

 まずは、一安心という結果でした。


 癌の治療については、セカンドオピニオンの結果を踏まえて、来月から始める予定です。


 随分淡々と書いてますね。丸で人ごとのような気がします。
この件の結果を聞いた後、帰り道で買物のしている最中に友人から電話があって、「どうだった?」と聞かれて「大したことない」というようなことを言ったのだろう、于友人kら「本当にがん患者かあ?」と言われてしまった。人ごと見たいですねぇ、私。

 ここで、別の病気の可能性が言われているが、それは「サルコイドージス」という難病。母親がこの病で命を落としている。心臓がやられてペースペーカーを入れて半年て逝ってしまった。




 

前立腺癌・セカンドオピニオン(4月27日)



 前立腺がんの宣告を受けて1月。この間に検査がいくつかあって、転移していないことはわかったものの、この先の治療方針に対してセカンドオピニオンをもらうと担当医師に申し出でした。どこにするか決まったら紹介状を書くという返事をもらった。
 それで、今日は、私の友人である外科・胃腸科の医師に相談に行ってきた。久々に会う友人は、快く相談に乗ってくれ(実は、診察で申し込みをしてある)、これまでの経過を詳しく話し、現在検査を受けている病院の名前と病状から、現在の病院でいいだろう、セカンドオピニオンの必要はないとのアドバイスをくれた。
 ということで、セカンドオピニオンは撤回することになった。他にもいろいろとアドバイスをしてもらい、たまたま精密検査で見つかった他の病気の可能性についてもたまたまその病院に専門医がいたので、友人の診察の後に心電図を取った上で、その病気についての専門医にいろいろとアドバイスをもらった。

 持つべきはやっぱり信頼のおける友人としての医師だということを再認識した。
 本来なら、癌の疑いを宣告されたときに相談すべきだったのだが、疑いの宣告を受けたときには頭の中には友人の医師のことは全く出てこないというパニック状態だった。昨日の転移していないという宣告で、多少の落ち着きをもったことで友人に相談しようということになったのだ。
 今思えば、最初から相談できていれば、もっともっと安心して検査を受けることができたのではないかと反省をしている。

 しかし、今日のアドバイス自体が、私にとってのセカンドオピニオンだったと言えるのではないかと思っている。




 このセカンドオピニオンをもらったとき、友人の意思は検査データを見て「他に洗濯の余地はない」とはっきりと断言している
 つまりは、放射線は照射できない状態、手術も新順シテ分離できる状態でない。残された治療法は”ホルモン療法”ということになったのだ。

 ホルモン療法脳有効性は一般に5年と言われている。その5年の間に新しい治療法も出てきているだろうから、それらない期待して生活するようにと言われている。
 それが、もう10年も治療法を変えることなく、しかもがん病巣が消滅していくという、奇跡的な患者らしいのだ。

 何とも恵まれた人間なのかもしれない私だ。







 がん宣告された翌週に、京都旅行を計画していた、計画したときはがんのことなんて知らず似たのだが、癌とわかって子供たちが一緒に行くと言い出して、図らずも私がガンで式が近く、最期の旅行になるかもなんて思ったのかもしれない。
 図らずも、原家族(嫁さんと孫除いた) 五人の、私の激励旅行とあいなった。

 まぁ そのご10年も元気で生活しているので、ガン患者の扱いはされなくなってしまっテイル。




*****

 これで、ガン宣告10周年の記念投稿は終わりです。
 この後の経過については、
  「末期・前立腺がん 奇跡の軌跡」と題して18年9月2日から60回に渡って連載しています。私のブログで「奇跡の軌跡」をキーワードに検索すると一蘭をご覧いただけます。  

Posted by 生田 at 13:36Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2021年04月08日

末期前立腺癌・宣告から10年 その10年前の様子 その2 

末期の前立腺癌宣告の日から10周年の日です
 もう10年も経つと・・・
旋回は、宣告に至る前の生態検査の様子を書いていました。今回は選考当日の私の様子を書いています。
 以下の引用分は、この記事を書いているときに記入したコメントです


2011年4月8日

実はその10年ま絵の4月8日は雨だったらしい
 病院に出かける前に書いたのだろう
 そのブログには


非情の雨になるのか

午前11時半ころ
雨が降り出した
そんなに強くはないけれど
昨日までに開ききった桜は
その花びらをたたかれそう
風がないのがまだ救い
あす、あさっては
お花見で混むだろうに
このまま
弱い雨で過ぎてあげてください



どうも診察前に書いたのではないかと思う
当時の大病院は予約していっても2時間愛情待ちなんてザラだった。へたすれば半日待ちなんてことも。
なので待ち時間の間に書いたのかもあしれない・・

ガンのことを書いたのではない
 あの年はまだ桜の時期だった
 その桜が雨で散らないことを思って硬のだろうが
 なんと 私にとって”非常の雨”となるとは



 そして診察後に書いたブログ記事


ガン宣告

 先週の金曜日に前立腺がんの検査をした。その結果を今日聞きに行った。
 がんの宣告を受けた。
 それもなかなりきついガンとのことで、後は転移の有無の検査をしたうえでの対処法を考えるとのこと。ということで、この先2回検査をする。一つはアイソトープでも飲むのかな?その後放射線が体から出るといってたから。
 今のところその辺までで、食事の制限もなく… ただ、当面激しい運動がご法度となった。
 さて、来週は1泊2日で京都に行く予定なんだけど、これまでのように頑張って歩くことができないよなぁ。どうしよう…・・ しばし思案。

 宣告されての気持ち。
 宣告されたその時は『へぇ?』という感じ。念を押されてはじめて認識。が~~んというショックはなくて。まぁ、予想されていたことではあるからかもしれない。でもね、一縷の望みをもっていたからねぇ。
 何か不思議な気分です。自覚症状がなかっただけに。担当医いわく『前立腺がんは自覚症状をおもちの方はほとんどいません』とのこと。

 さてこれから、死ぬまでの間、どのくらいの期間あるか知らないけど、まずは、このがんとうまく付き合っていかねばならないことだけは認識と覚悟をもった。


 うたって淡々と書いているけど、ひょっとしたらスェン刻された時は”放心状態”だったのかもしれない。後日友人の医師に相談に居合った際には顔面蒼白だったぞと言われた。
 とにかく、ガン=死というイメおじがあったはずなのだが、宣告されて速死ぬということは全き思わなかったのは事実、それに「なんで俺ががんにならあん?」と思ったのも事実。
 まぁとにかく、このがん宣告が周りに広がって、みんな私が死ぬのが近いと思ったらしい。しかし、そんなことを思ってくれた人たちを何人、私より先に送り出したのだろう?




前立腺癌 CTスキャン検査終了



 20110年4が18日 
 あっけなく終了。



 名前を呼ばれて部屋に入った。大きな輪っぱの中を通るのはわかっていたけど。説明してくれるけど、どうでもいいやぁ。上着を抜いて、金属製のものがなければそのままでベッドに寝っ転がる。ズボンだけはバックルなんかついているから図利下ろされて。。。。

 寝っ転がってバンザイをしろと言われて、その姿勢でわっぱの中を一度通った。途中で息を止めろと言われて、楽にといわれるまでの10数秒が長く感じられる。
 一度通ったところで、造影剤を注射。でっかい注射器でやってくれるんdなけど、ようりょうきいたら100CCもあるんだって。体重増えるやんと言ったら看護師さん笑ってたよ。
 造影剤を打つと回音が急激に上がる。そして口の中にもにおいが、、ようは血液中に造影剤が回っていることが分かる
 打ってからもう一度わっぱの中を通ったら、「もう終わりです』って。10分かかったのかなぁ?

 トイレを我慢させられていたので、部屋から出て即トイレに駆け込む。


 今現在のCT撮影はもっと簡単な感じがするね。
 箇のとき造影剤を打っているが、その造影剤の注射でトラブル起こして、1ヶ月右手に力が入らなかったという逃げにことがあった。その後にも点滴でトラブルがあって、それ以来私は、この大病院では造影剤による検査はしないことになったらしい。 


この検査の後 4月21日に 骨シンチの撮影を行っている


明日から私の体から放射能が・・


 前立腺がん宣告を受けての転移の有無の検査の第2弾、RI(ラジオアイソトープ)を使った骨の検査。明日の朝10時にRIを注射されるのだけど、それからしばらく(数日らしい)の間私の体から放射能が放出される。行く場所によっては警報が鳴るらしい。



 午前中に注射されて、体中にまわるのに3~4時間かかるらしいから、その間は好きに遊んでおいでだって。一旦病院に入って、また出て、そして戻ってくるなんて面倒だよなぁ。。どうやって時間つぶそうか思案中。


 それにしても、この体から出る放射能はどのくらいなのだろう?今問題になっている原発の事故での放射能よりもうんと少ないのだろうと思うけど、どっかで引っかかって警報でもなったら、周りからいろんな目で見られそうだよな。
 名古屋市内には、そんな警報が鳴るところはないと思うけど。。。
 月曜日にやった第1弾とこの第2弾の結果で転移の有無が分かって、この先の処方が決まるわけだ。


骨シンチの検査は、10年前も現在も変わっていないと思う。ここでは造影剤を今でも打っていると思うえけど。.


前立腺癌検査 第2段 終了



 月曜日に前立腺がんの転移の有無を検査するための第一弾としてCTスキャンをしたが、今日はRI骨シンチを第二弾としてした。
 骨シンチは、癌が転移した骨の部位を注射したRI(ラジオアイソトープ)が集まってくることを利用して、癌転移をしるもののひとつのようです。
 
 今日は、午前中にRIの注射をして、それからRIが体全部に行きわたるまでのタイムラグ(3時間半)立ってからRI検査のわっぱの中を20分かけと通って全身の骨の造影写真を撮った。

 注射はカンタンに終わるのでいいけれど、撮影の20分の間はじっと動かないようにとベルトで固定されるので、ちょいときついなぁ。撮影が始まって少ししてから鼻がかゆくなったけど、終わるまでじっと我慢の子。何とか終了。終了したら、もう用はないからさっさと帰れって雰囲気ね。
 (この後、病院の不手際が書かれている)


とにかくこれで、精密検査と言われているものが終了した、画像検査を元に、知了方針が決まります。
次回は
 検査結果を聞きます。

  

Posted by 生田 at 13:30Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2021年04月08日

末期前立腺癌・宣告から10年 その10年前の様子 その1

末期前立腺癌の千石を植えてから
 今日でまる10年を経過した
 その10年前のブログ記事
 それを読むと
  生体検査から宣告、精密検査などの経過書かれている
 10年のいう時間は癌治療法には長い時間で
  相当の治療法の変化があるとは思うが
  まぁ検査kら治療方針決定までを知っておけれると
   なにかの参考になるかもと思います

経過・その1 (引用部分は、今日書き込んだコメントです)

この4月8日にガン宣告を受けたが
 その宣告となる検査を4月1日に入院で行っている
 それを耐震した3日に掻いたブログを処す介しておこう
 これが 前立腺がんの整体検査だということ
 もう10年も立つので変わっているかも知れないが

 ・前立腺癌検査

 金曜日(2011年4月1日)に前立腺がんの疑いで検査を受けた。
 検査といっても手術まがいなことが必要で、入院病室から看護師さんに連れられて手術室に向かった。この手術室の入口があまり気持ちのいいものではない。ステンレスのドアが待っている、まるで葬儀場の感じがしないでもない。『雰囲気を暖かくしてよ』って一言言ってみたけど、担当の看護師さんたちはどこ吹く風ですよぉ。

 ブログには書いていなかったが、記憶では樹種津室には女性がたくさん並んでいた。ここで下半身を晒すというのは、木は透かし鋳物があったと記憶している


 手術台に上がった。この台がこれまたあんまり感じのいいものではなくって・・・{書かないでおきましょう}
 手術が始まった。最初は麻酔を打たれたようだが、せいぜいちくちくするくらいだったが、それが終わったら麻酔が効いているからとばかりに、お尻からピストルを打ち込むかのような衝撃。途中から打ち込まれる直前のことが分かるようになったけど、それが何かの意味があるかと言われれば、自分の力で制御できないから全く意味はない。
 全部で10発(*実際は12本だったらしい)撃ち込まれた。打ち込まれてこれで開放。途中、かなり体に力が入っていたのだろう(当然だよな痛いもの)「力を抜いて」と数回言われた。終わって、帰りは安静ということで車いすに乗せられた。担当の看護師さんが来るまでしばらく検査担当の看護師さんが付き添っていた。多分、私が青い顔をしていたからではないかと思う。多分に痛さからの緊張と、多分出血でもしたのか貧血を起こしていたのではないかと思う。
 ピストルを打ちこまれているような感じの間、後ろに心電図やら何やらの装置が見える。そこに表示されていた脈拍はなんと最低52まで下がったのだ。血圧は133/72位でまずは正常だったが。脈拍は平常時でも遅い方なので心配はないけど、それでもなぁ50近くまでの遅さは自覚としては初めてだな。

 車いすで病室に戻った。これから止血剤を2時間かけて点滴する。担当した看護師さんは針のさし方も点滴のスピードもかなり慣れているのだろう。針はいたくなかったし、スピードは予定時間ぴったりだった。(翌日の点滴はそうはいかなかった)

 この後、我慢していた排尿。安静ということで尿瓶でしたのだが、かなり血が出てシーツを汚さないようにと敷いたバスタオルが血で汚れたくらいだ。それに、最初の排尿は痛かったなぁ。。
 この点滴の間に、体温がものすごく下がってきた。検温では35度2分と男では珍しいとまで言われてしまったくらいに。後から思ったことは、どうも前夜の食事が6時で、それから15時間の絶食で血糖値がかなり落ちていたのではないか。私血糖値が落ちるとものすごく体温下がるんです。

 なんとか2時間、じっと我慢の寝たきり。小便もしたくなるけど、これまた尿瓶で、少し血は減っていた。2時間たってやっと終了。これでなんとか自由に動けるようにはなったものの、何か気分がよくない。トイレにいって初めての排尿。真っ赤である。しょうがないよねぇ。担当医も看護師も水をがぶがぶ飲めという。言われたとおりにがぶがぶ飲むからトイレに行くのが1時間おきくらいになっている。3回目くらいで何とか血の量が減ってきて、色が点滴と同じくらいになってきた。
 とはいえ、体温上がらず。足の先がものすごく冷たい。といってなんともならないのだが。点滴が終わる少し前に息子が到着。腹がへって我慢できないからとパンを買いに行ってもらった。そのパンを点滴終了後にすぐにぱくついた。まるで子供だ。
 それから先は、もう寝ているだけ。昼飯、晩飯と後はトイレに行くときだけおきだして。。。。

 時間がたつにつれて血尿は減るものの、それでも血が混じらない時はほとんどない。人によっては出血しないこともあるのだとか。そんなこと言われるとただでさえ貧血気味の私にはあまり精神的にもよくないよなぁ。

 夜は、9時消灯。そのまま素直に消すほどガキでもないのだけど、周りが暗くなって静かになると、なんだか眠くなってそのまま気を失ったように。とはいえ水をがぶ飲みしているのでトイレに行く回数が多いこと。周りには迷惑だったかもしれない。

 翌朝(3日目)夜中の4時ころに目が覚めてから寝付けなくて、そのまま6時になって。。。だんだん周囲が動き始めたけど、寝不足気味でなかなか動く気にもなれずにいた。朝食は8時。しかしお腹が空きすぎているので、前日買ってもらったパンを1個食事の前に食べる。

 8時になって朝食が来た。美味しかった。この2泊3日の間の食事で初めて汁ものが出た。この朝の検温は36度2分。平熱より少し高い。脈拍は56だったか、血圧は132だったと思う。まぁ正常に近いですが、まだ血尿です。夜中より少し増えたかも。
 9時になってまた点滴。最初スピードが遅すぎて。。。。トイレに行って戻ったら点滴が止まった。と、そのときは。座ったら少し戻ったが、あまり遅いのでナースコールで看護師さんに来てもらって調節してもらう。早くなったおかげで血管が少々痛い。

 この2時間の間、トイレに行く以外は寝ていたのだが、(寝てる方が点滴にはいいといわれたので)だんだん腰が痛くなり、最後はちょっと我慢の限界を超え始めた。寝返りを打つだけ。それでもなんとか我慢して、終了。

 息子に荷物を片づけてもらって、帰り支度。忘れ物ないように注意して、病室を出る。廊下で看護師さんに出会い、リストバンド(名前やバーコードの印刷されたもの)を切ってもらって放免された。

 今日(記述した日)は、それから丸1日と半分過ぎようとしているけど、血尿はあったりなかったり。水は相変わらずがぶ飲み。おかげで自宅でも夜中1時間ごとにトイレに。昼寝しても途中で夢破れてトイレに。

 これがいつまで続くのか・・・・・ 多分、次の外来までかもなぁ。。

*****

 異常が、生体検査(お尻から針を打ち込んで細胞摂取いて顕微鏡検査する)の手術の前後の様子です。
 この入院の日木曜日で、検査が金曜日で息子は仕事を休んで広島から来てくれた。なんだか心強かった記憶がある。
 現在はどんな検査をしているのかわからないが、政権で細胞接すの補法は変わらないかもしれない。


この次の記事は
 癌宣告される当日の私のブログ記事です

  

Posted by 生田 at 11:05Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2021年04月08日

4月8日 木曜日 晴 冷たい乾いた風少し 10周年記念日

今日は書きたいことがいっぱい

 最初にやはりこれは書かにといけないこと
 末期前立腺癌宣告から 10年を経過した



毎年書いていることだけど
1年1年が私にとっての節目

最初はどれだけ生きられるか思ったことなかった
周りがみんな
いのち短いと思ったようで
いろいろ気を使ってくれた


10年も経つと
癌で死期が近いなんて
全く思ってもいない
逆に思っている可能性すらある

何にしても
が1お年生きながらえたとはいえ
癌病巣は消えたと言われてるとはいえ
癌から解放されたわけではない

宣告されたときに
主治医に言った言葉
「死ぬまで仲良くお付き合いします」
これが
今でも私の思っていること

癌と闘うのではなく
悪さしないように頼んで
共存すること

余命宣告はそのときなかった
しかし後日担当医に聞いた
「余命どのくらいでした?」
担当は
「知らずにいたら半年くらいだったか」
知ったとはいえ
ここまで癌病巣が消えてくるとは
担当医も思っていなかったようだ

数年して
秒安定ということで病院が変わった
その今の病院の担当医は
「これだけ長く同じ治療法で」
「10年というのは奇跡的だ」


現在は
骨シンチ、C画像などの検査結果では
転移もなく順調に経過しているとのこと



他の前立腺癌患者さんの
一つのいい事例となってもらえれば幸いです


****

この後いくつかの過去のブログを
再掲載します

・生体検査の様子
・骨シンチによる転移確認検査
などなど
  

Posted by 生田 at 09:42Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2021年03月18日

たまにはガンの話をしないと忘れられそう




今日は3ヶ月に1度の
お腹に注射をする日

思い起こせば
10年前の今頃
前立腺ガンの疑い
そうその時は PSAが390だった
(記憶が遠くなっている)

たまたま受けたがん検診
それでPSAの異常値が指摘され
即 大病院に行くことに
そして
検査の結果前立腺がんと診断

それから精密検査(生検)のために
入院して
お尻の穴から12本の検査棒を突っ込まれ
そのうち9本にガン再描画くっついていた

それから
しばらくして
「末期前立腺ガン・テージ4」を宣告された

おっとと
書き続けると
来月の記念日に書くことがなくなるので
ここでとりあえず止めて


今日は
昨月採血した血液検査の結果
それに基づいての診察


(個人特定する情報はカットしてます)

これが今日のデータ

ここ表示されている
PSA0.009未満
この値はもう5年以上
この病院の世話になるようになって
それから一度も変わっていない
もう完全に安定しきっている

この他にも血液検査をしているが
今回は
貧血の傾向にあることについて
現時点では
旋律洗顔の治療中なので
多少の貧血気味の傾向が出るbので
心配するには及ばない
とのこと

ただ
悪玉コレステr−ルチが高く
善玉コレステロール値が低い
これに関しては
食事を注意するようにとの指摘
さらに
クレアチニン値が1.28
年齢的にまあ妥当と言える
前回が1.34だったかだったので
まぁ進行していることはないだろう
値はその時の体調などで上下することがあるから
とのこと

以上の結果に基づいて
腹に リュープリンを打ってきた
これも変わらないんのだよなぁ
5年で変わるかもしれないと言われてきたのに


この後もう一つの病院へ
ここでも今日の血液検査の結果を持っていき
内科としての初見を聞く
まぁ違う話にはならないわな

どっちにいsても
私の前立腺がんは
末期ステージ4だったのが
嘘のように
PSAゼロに近い値で推移している

現状ガンが悪さをすることはない


いつだったか
原罪のガンの担当医にいわれたこと
「あなたは前立腺がんで死ぬことはないだろう」
死んだらそれは他の死因だということらしい


来月は
末期がん宣告から
まる10年の記念の日
その時はまた何かを書きましょう
忘れていなければ
  

Posted by 生田 at 19:23Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2021年03月15日

補聴器の修理完了 と オキシメーターを買う

今日は15日
イオンの65歳以上の安い日

食料を買いに
といっても
そんなに買ってないけどね

昼飯食べて
車は知らせて
イオンに

15日でやすいとはいえ
月曜日だし
65歳以上なんで
そんな混んでるわけではない
でも
ジジババが私らも含めてたくさん

買い物の前に
1000+100円床屋に行って
髪の毛バッサリ切ってきた
涼し〜〜〜〜〜〜ぃ
寒いわ

まぁ腹の立つバァさん多かった
買ったものを乗っけたカートを
通路に放置したまま
他のところを物色する
おかげで通れない
こんなの何人いたことか

目的のものを買いました

何今日は鶏むね肉が
全く並んでなかった
なんでだろ?

諦めていたら
後ろに名古屋の精肉で有名な店の名前の
冷凍ショーケース
この中に鶏むね肉があったの買ってきた
凍ってんだよ
そうやって処理鶴?
目下鍋に水入れて
そこに放り込んである


買い物終えて
車を走らせて補聴器差屋さんに行く
先日依頼した補聴器の周知
終わって連絡もらっていたので
取りに行ってきたのだ

修理代¥2000
これね税金かかんないんだって
治療絡みだからかな
(法律で決まっているとのこと)

まぁ一桁違う修理代を想定していたんで
本当に助かった
しかも
 補聴器取り外し用のテングスも
つけてもらえて
(前の店はテングスだけで3000円取りおった)
(医者も信用ならなかったけど)
(販売する方も信用ならなかったのだ)


相方が聴力検査の見方を知らなかったので
お店の方が親切に解説してくれた
(私聞こえてない)
(まぁ知っているので構わんけど)

隣にカインズがあるので
車を移動させて
買い物
1:サンダル
2:野菜、果物
3:オキシメーター

これで今日の買い物終わり
車飛ばして帰ってきたが
途中
運転の荒い車が数台
何度ブレーキを踏んだことか
1台はスマホ見てたぞ
1台はそれに突っ込んでいったんであわや
一台は無理な割り込みを3回もしおった
(まぁ予想できたんで避けたけど)

帰ってきて
オキシメーターの使用開始
電池入れたけど
動かん
・・・・・・・
買ってきた箱全部¥ひっくり返した


この画像を載っけたのは
ええかげんにせい!という怒りから
まぁじっくり眺めりゃわかるけど
一般的な電池の入れ方と違う設計
(さすがMade In China)
画像カクダするとwかるけど
画像お上半分が本体
左に赤くマークしたところ
電池の接点
両方ともスプリングになっている
一般的には
スプリングはマイナス側につけるもの
その先入観で電池を入れたから
動かんわなぁ。。。

ひっくり返した箱の中に
画像ん下半分の注意書きが入っていた
こんなものを入れるからには
クレームが多かったんだろうなぁ。。


動いたので早速測ってみた

ちょいと酸素濃度低いなぁ
まぁこれは改善できるけどね

このオキシメーター
表示されるもデータの見方が書いてない
維持的なものになるんで
書けないのかも

あ〜〜ぁ また無駄な時間を使ってしまった
  

Posted by 生田 at 19:17Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2021年03月04日

補聴器は メーカー送りに さていくら掛かるのか?




補聴器が壊れた
今日で4日目

昨年年の夏に
旧に左耳が悪くなって
補聴器の調整をする機会がなく
外していたけど

今はその時と同じ
右耳だけで聞いている

昨年から結構長い間
片耳だけで聞いている
まぁそんなに実生活には不便はない
ただ困るのは
音の方向がわからない

どうしようなく困ることも



今日ディーラーさんに行ってきた
いろいろ調べて
お掃除もして
結果音は出ない
メーカーに送って
修理の見積もりをしてもらうことに

あすか明後日連絡がある

安ければいいけれどねぇ
高いと困るなぁ。。


安いことを乗って



あぁ
視聴すると
今の補聴器と同じレベルだと
34万もするんだよぉ
そんな金どこにある
  

Posted by 生田 at 16:48Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2021年02月22日

大学病院の診察から無事帰還

今日は愛知医科大学で
耳鼻科の診察日

昼過ぎて出かければいいやと
ゆっくりしていたら
相方が突然
デパートに寄りたいと言い出した

慌てて昼飯
ご飯に昨夜の味噌汁ぶっかけた
我が家特有の”わんこのご飯”
急いで書き込んで
車をデパートに

ひさしぶりに来たけど
コロナのせいで
入り口が制限されていて
階段を上がったり降りたり
面倒だよなぁ

相方は
婦人服売り場をあちこち
その間に私は
パンを買いに行って

まぁ色々やって
相方は買うこともなく
(娘の服の下見なのだ)
ということで
高い駐車料を取られるから
その分
買い物をしたほうがいいやと
地下の食料品売り場に行って買い物
パンとコレで駐車料はチャラ

デパート出て車を走らせる
病院に行く前に
食料品お買い物をする
そこに車を向けているんだが
なんと大渋滞
しょうがない我慢して

目的地について
買い物終えて
相方は車の中で昼飯
もう2時だぞ

それから病院に
予約まで時間あるけど
外にいるより
花粉少ないだろうという思惑
あんまり期待しないほうが良かった

診察の前に聴力検査
すんなり終わって
診察待ち

予約時間になっても
ん???
いつもと診察室が違うんだって

結局1時間待ち
この間鼻水が止まらない

診察始まって
検査の結果
この3ヶ月の変化はあまりなし
で次回は2ヶ月後

とここで
鼻水が止まらないのを訴えた
鼻の中を掃除してもらった
補聴器外来でいっているから
担当違うんで診てもらえないかと思っていた
治療もしてもらって
薬(点鼻薬)も処方してもらえた

診療費払って
薬受け取って
2ヶ月分だから多いわなぁ
漢方薬なんてすごく嵩張る

車に戻って帰り支度
車に乗る前に
いつもショットするパノラマ写真


もう5時なんでこんな具合
夕日が行けに反射している
でも12月のときは日は落ちてたよなぁ

車を飛ばして帰ろう
ところが道路は夕方の大渋滞
30分あれば帰るとできるのに
なんと1時間かかってしまったのだ

疲れたぞぉ


帰ってきて
水替えしたメダカを見た
みんな元気にスイスイ
水替えでトラブらないかと
心配していたのだ

あすは
水槽きれいにしなければ

  

Posted by 生田 at 20:21Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2020年11月27日

わたしの最近の健康状態  癌と脳梗塞と特殊難聴と・・・・

 今朝の第1記事アップで予告したように
わたしはの最近のブログには、通院の記録は書いているが、病状については書きこむことが少ない。なので、多くの方に健康になったと思われている。確かに、傍目には健康そのもの、健常者の鑑見たいらしいが、ところがどっこい、いろいろ問題を抱えての生活が続いている。

 1;末期を宣告された前立腺ガン
 2011年4月8日に整体検査と画像診断の結果、末期ステージIVの前立腺癌の宣告を受けた。その時は「ナンでオレが癌にならなあかんのや」と心の中で毒づいたものの、取り返しのつくものではない。
 それから約1ヶ月、治療方針が決まって治療開始。画像診断の結果、他臓器への浸潤、癒着が著しく放射線を照射することができない、また浸潤の度合いがキツく手術で取り除けるものではないとのことで、治療は残された唯一「ホルモン療法」が開始された。たまたま臓器にこそ転移が全くなかったことが幸いしたのか治療開始からすぐに600あったPSA値がみるみる小さくなっていった。医学療法と同時に、「ストレス貯めるから」との医師の反対を押し切っての食事療法、にんじんジュースを2L/日というとんでもないことを半年以上やり遂げ(体が黄色くなったので中止)、塩分カットという論文に出会って今でも塩分カット、緩和して減塩に努めている。また、反芻動物の肉、乳製品のカットという論文にも出会いまる1年以上 牛はもとより、豚、鳥の肉を全く取ることがなかった。牛の乳製品と牛肉は、今でもほとんど摂取していない。どれが効果があったのかは確定できていないけど、多分に医学両方=ホルモン療法が最大の効果があったのだろう。PSAが限りなくゼロに近づき落ち着いてもう8年になる。

 4年目くらいだったか、病状が落ち着いたということで大病院の診察から外され、一般医院の治療を受けている。治療法は変わらず、3ヶ月ごとにリューブリンの注射と、毎日のビカルタミドの服用が続いている。そして、年に1度大病院に行き、CTと骨シンチの検査を受けている。
 CTと骨シンチの画像診断では、現時点では、前立腺がんの病巣は確認できなくなており、4年前に骨転位の可能性の疑いがあったものも現在はそれも全くなくなっているとのことである。
 ただ、CT、骨シンチは画像での診断であり、細胞レベルの検査ではないので、癌が全く消滅しているということは宣言できないと言われている。
 癌宣告される前から、かなりな頻尿だったが、眼病層が小さくなることで、頻尿の度合いは緩くなっている。しかし、年齢的にも尿の回数は増えるらしいということも重なって、夜の回数を減らすために薬「ベタニス」を服用している。
 さらに、尿に関しては、かなり精神的な部分が大きいかとは思うが、条件反射的に尿意を催すことが緩やかだがキツくなってきている。元は、癌宣告の前から、前立腺が肥大(病巣含め)していたことで頻尿だったことから、外出の前はほぼ必ず、また水道の蛇口を捻ったりするとその暗示からの尿意という耐えられないものもある。が、失禁、尿もれということには至っていない。

 現時点では、この9年半継続しているホルモン療法にはなんら変化はない。ごく一般的にホルモン療法の効果は3〜5年と言われているが、わたしのように9年以上も変化なく、またPSAの上昇も一切見られない患者というのは非序に珍しく、奇跡的と現在の担当医は言っている。



 2:脳虚血発作(一種の瞬間的脳梗塞)
 もう何年前になるか忘れてしまったくらい前の話になる。
 ある年のある日、昼寝から目覚めた時、左目が半分しか見えなかった。半分上が黒かった。目蓋を自力で持ち上げてもしばらく消えなかったが、5分ほどして自然消滅した。その日はそのまま何もしなかったが、翌日眼の検査に眼科に赴いた。そこでこの話をしたところ「即大病院で精密検査を受けるように」と言われ紹介状を書いてもらってすぐに大病院に向かった。そして言われたことは「一過性の脳梗塞、脳虚血発作で、これが起きると48時間くらいの間に本物の脳梗塞がくる。それを避けるために即入院して欲しい」と。
 セカンドオピノンを採るつもりも何も相談できる時間帯でなかった。致し方なくそのまま入院とあいなって、10日間の入院することになってしまった。
 本物の脳梗塞は、幸いにも来なかった。そして、その後は、わたしの友人の医院で月1回の診察、投薬を受け続けている。服用している薬は「バイアスピリン」と「ネキシウム」で、その他は特に無いが、悪玉コレステロール値が高いという指摘を受け、食事には気を使うようにと言われている。
 食事に関しては、前立腺がんのこともあり、それなりに気を使っているが、悪玉コレステロールは一向に減る気配はない。しかし、それ以上の医学的指示は受けていない。


 3;特殊難聴・内リンパ水腫
 4年前になるが、8月末に熱中症であわやという経験をした。庭で木彫り材料を作っているとき、突然目の前が暗くなり、意識が薄らいでいく、なんとか家の中に入り込んで相方に水をもらって、しばし椅子に座って安静にしていた。
 この事があってから半月あまりたって、耳の聞こえの調子に異常に気づいた。この2年前に補聴器をつけるようになっていたのだが、聞こえが良くなったことで外していたのだが、それが以前よりも聞こえないという自体になった。耳鼻科にかかったが、ステロイド剤などを投与されるくらいで何ら改善なくどんどん調子が悪くなっていく。あまり治らないので医師に強く申し出たら、転院を申し付けられ大学病院に紹介状を持っていった。
 大学病院で、聴力検査、に加えて耳だけのMRIを撮って、その結果「内リンパ水腫」と診断された。この内リンパ水腫は、難病指定されている病気で、原因不明で治療法もなく、よって完治することはまず無いものと宣告れた。
 その直後に病院を変わり、補聴器外来を探すが、そこで愛知五医科大学の補聴器外来を紹介され、現在治療を受けている。
 内リンパ水腫は、治療法がないので当初は補聴器外来で補聴器の点検修正をするだけだったが、聴力が急激に落ちたことがあり、それからなんとか内リンパ水腫の改善を測れないかと目下漢方薬「五苓散」と神経薬「メチコバール」と「アデホス」を服用している。
 漢方薬服用開始から聴力は、聴力検査の数値上が上がっている。たしかに、補聴器をつけたときに耳で受ける音の大きさが大きくはなっているが、なんと肝心な人間の会話が成り立ちにくいほどに言葉の認識力がものすごく低下している。これに関しては、担当医は「頭の問題」として、治療に向かっていない。
 聴力が落ちたことで、20年春に身体障害者の最下級の認定を受けている。

 4:この他に病気
 前に上げたのは私の3大疾患。それ以外のも色々と抱えていて、
  ・痛風区の可能性
   尿酸値が高いので、それを抑える薬「アロシトール
   (ゲネリックで別名のもの)」を服用している。
   夜になると時折、足の親指に痛みがある時がある。
   注意していることは、プリン体の多いとされる食品は
   できるだけ敬遠する食事を心がけている。
  ・腎臓病の可能性  毎度の血液検査でクレアチニン値が
   高くなってきて、sGFRが少なくなっていることで、
   要精密検査と診断されたが、大病院で目下経過観察中だ
   が、精密検査の必要はまだないと言われいる。

  ・間質肺炎・血管炎
   旋律洗顔のためのCT,骨シンチの画像診断の中で、
   胸に影が見つかり、旋律洗顔の転移かと疑れた。
   大病院の泌尿器科で転移ではないと思われるが、
   肺に問題がある可能性があるとことで、呼吸器科に
   回されて、診断を受けた。そこで、軽い間質性肺炎の
   可能性と、血液検査から血管炎の疑いがあるとの
   診断行け、3ヶ月おきの経過観察を3回、都合1年受け
   て来たが、影も消え、間質性肺炎の可能背も進行が見ら
   れないので、かかりつけ医に紹介状が書かれ、経過観察
   を受けるようにと宣告された。
  
 この他にには、特にこれと行った疾患名は言われていないが、便秘、肩こり、こむら返り、などなど歳を取るとだれもが掛かりそうな病気を背負っている。
 とは言え、至って元気で、はたから見ると、何の問題もない年寄に見えるらしい。ということで、現実には健常者ではないので、いさというときのために「ヘルプ」マークをかばんにつけて、バス地下鉄などを利用するときはつをも持つことにしている。


 以上、かなり長文になってしまったけれど、毎日元気にはしているけど、それはみんな担当の医師、相方の世話のおかげと心から感謝をして生活しています。
  

Posted by 生田 at 17:09Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2020年11月19日

医者のはしご  めちゃ混んでた

朝9時45分に家を出発
最初の医院についたのが10時
それから1時間の待合
この医院こんなに待つの珍しい
だいたいせいぜ待って30分くらいなのに
どうもインフルエンザ対策
の患者らしい
それともう一つの診療かもまとめてだからだ

終わって
急いで次の医院に
11時半を回っていた
そしてこっちも1時間以上待ち
終わったのが1時近かった

それから
エンヤコラ地元に引き返して
昼飯
お好み焼きの「りきゅう」
食べおえたのが2時を回って
それから買い物2件

それか調剤薬局によって
薬を受け取って
家に帰り着いたのが3時10分

疲れるわあぁ
一昨日の紅葉見物より
時間かかってる
片道17キロなのに
語っ道40キロよりも
時間かかるなんてなぁ

といっても
途中がねぇ。。。

きょうは
あとはゆっくりします



病院での診断の結果

前立腺がんはすでにわかっている通り
何もなしで採血と投薬処方箋

もう一つは
低脈拍数は
酸素濃度に問題ないので
大丈夫と
持っていったCTの画像は
後でじっくり見ておく
緊急性はないだろうから

第v蒲黄がん検診は
問題ないとの結論


  

Posted by 生田 at 15:57Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2020年11月12日

呼吸器内科 診療終了と相成った

今日は日赤の呼吸器内科
ここで画像及び血液検査の結果の
診断を聞きに行ってきた

まぁ多分なにもないから
今回で終了となると
そんな思いを持ちながら

診察は相変わらずのびのびで
30分以上予約から遅れた
まぁ毎度のことなので
慣れっこです
先日の愛知医大の1時間遅れに比べれば。。

診察室に入って
画像を色々比較して
私がこの病院で撮られた
前立腺がんのときのCT(注1)とも比較
一つの病院に
色々病歴が保存されていることは
こうした比較ができるのでありがたい

8年前
つまり私がガン宣告されたと翌年
その時の撮ったCTと比較
ほとんど変わりなく安定している

問題となった2年前の
肺の中の影については
消滅してしまっている
しかし、その影の原因はわかっていない
あとは軽い間質性肺炎があるものの
強情をいじるほうが危険性が高い
総医師が判断した

ということで
年レ的にそれ相応の体だと

この先は市中の病院で経過観察を
ということになった

2年間お世話になったお礼を言って
待合室で
医療秘書から書類を受けつるのを待つ

外で見てもらうために
紹介状が必要なのだが
それは後日受け取りに来いとのこと

そして

こんな書類を渡された
(青い部分は関係ないです)

これに描かれていることは
この病院での進路湯は終了したので
これ以降は
紹介状を持ってこないと
初診料に5500円とるぞということ

今回これをもらったが
実は3回目である
1:前立腺がんが安定した時
2:2年前転移の可能性で 
   泌尿器科にかかったが 
    部位が呼吸器内科範疇で 
診療停止    
3:今回の呼吸器内科   

と3回放り出されているが
実はまだこの病院の患者なのだ
腎臓内科からはまだ放り出されていない
来年2月の診察で
4回目の放り出しとなるか

なればなったで
それだ病状が安定した
という証でもあるので
安心できるのだな

まずは
祝”診療の終了”である


77才現在の私の肺臓は
年相応で現時点で心配することはない


ありがたい 言葉です
これからもこの状態が続くよう精進


注1
呼吸器内科用と前立腺がん用の
CT撮影の部署は
ほぼ同じで
旋律洗顔のほうが範囲が広い
前立腺がんは今日日を含め
骨盤辺りまでなので
呼吸器内科でも
そのデータを使うことは可能
こういうことなので
病気の部位によって
病院を変えていると
こうした比較が難しくなると
思った方はがいいかもしれない
  

Posted by 生田 at 15:06Comments(2)TrackBack(0)自分の健康

2019年06月10日

今日は大病院に

大変恐縮です

今日は大病院での待合からの投稿が最初で
こちらには投稿できていません

ameblo.jp/monshachi
でお読みいただけると幸いです  

Posted by 生田 at 14:31Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2019年06月09日

緊急・筆談用 ミニホワイトボード

私は耳がほぼ聞こえなくなっている
補聴器をつければなんとか会話ができるものの
何かの理由で
 たとえな診察のときや
 検査のときに外さけれなならないときもある
そんなときは
 私の言葉は相手に話せるものの
 相手の言葉が聞き取れない
 もっともそれは人によりけりで
  声の通る人はなんとか聞き取れるもの
  もう全く聞き取れない人もいる
 そんなときは相手さんが気が利く人だと
  紙に書いてくれる筆談になるのだが
  中にはそれができない人もいる
  手元に書くものがないとなんともならないし
そんな事に気づいたのが先週の聴力検査の時
 紙での筆談だったが
 

昨日 ニトリで椅子を買った後
 DAISOに言ってアルバムを探していた
 しかし思うものがなかったので諦めたのだが
 その探す途中で
  ミニホワイトボードを見つけた
  100円である
  大きさはほぼハガキ大



  これなら持って歩ける
 緊急のとき、これで書いてもらえばいいだろうって。。。
  

Posted by 生田 at 08:56Comments(2)TrackBack(0)自分の健康
  
2015大津・京都の旅
1泊2日のドライブ旅行
2015北海道・道東の旅
1週間870kmのドライブ旅行
大学OB会と
50年ぶりの鎌倉
OB会の後に鎌倉と横浜に行ってきました
15年年頭 広島宿泊の旅
鞆の浦、竹原、宮島に行きました
14年秋 京都宿泊の旅
久しぶりに新幹線に乗りましたが・・・
13年秋 京都ドライブ旅
京都の紅葉の名所・毘沙門堂に行きました
12年秋 室生寺ドライブ旅
すてきな観音様と再会です
室生寺五重塔
12年秋 京都ドライブ旅
1年ぶりの京都です
三千院
10年秋 平泉ドライブ旅
4泊5日 2000キロの一人旅です
平泉・わんこそば
   
10年夏 室生寺 日帰り旅
素晴らしい観音さんに出会いました
室生寺・五重塔
10年初夏 宇治・長岡 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに黄檗山満福寺・六地蔵・法界寺谷寺・長岡天神
布袋さん
09年秋京都 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに 紅葉がきれいな京都
南禅寺の紅葉
08年秋京都 日帰り旅
08年11月25日貧乏・一人・日帰り旅の記録です。
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生田
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 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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