2008年01月24日

京都08年 日帰り旅 11 知恩院・勢至堂へ

 経蔵から少し北に(経蔵向かって左)向かうと階段がある。そんなに急には見えないが、結構長い。それに左側は工事をしているような。階段というのは、勾配がゆるくても長いと結構応えるものだが、まあ何とかなるでしょう。

 勢至堂の『勢至』とは法然上人の幼名「勢至丸」から来ているわけだが、『勢至』そのものが「菩薩」の名前でもある。阿弥陀如来の脇に立っている菩薩さんである。
 このように書くと、知恩院は変だよなぁ。勢至が真ん中にいて、阿弥陀が横にいるから。この点、本願寺はもっと変になるなぁ。。。だって、親鸞には菩薩名は無いよ。。。阿弥陀さんを超えた仏様ということになるのかな?

 そんなことがチラッと頭を掠めたが、今日はそんな御託を並べるために来たのではない。とにかく来たからには見るべきものは見なくては、日ごろは見ること出来ないはず(ホントか?) ということで、階段を上がりは始めた。少し、イヤほんとにすぐに右側に大きなつぼのような石柱が立っている。そこにはなんと名古屋の地名が彫りこまれているではないか。思わず、写真を一枚。
 書かれている地名は、「西区塩町」。いつごろのもか見てこなかったが、かなり時代物だから(といっても明治以降かな?)最近の住居表示の変更で消えている可能性が大きいだろう。



 この記事を書きながら「伊藤満蔵」や「名古屋市西区塩町」で検索したら、いっぱい出てくるんdねすね。江戸末期から明治にかけての豪商だったそうで、その方があっちこっちに寄贈した石の彫り物の一つらしい。

 
 階段を上がっていく、踊り場ないんだよな。今の建築基準法では踊りがが必須なんだが、こんな昔のものは基準なんて無いものなぁ。この階段て、TVの時代物によく出てくるところだと思えるんだが、工事のお蔭でわからない。長い塀があって、最近の建物の無いところというとこうしたところしか残ってないもんなぁ。。

 階段は、かなり長いと膝に来る。何せ重い重いものが上に乗っているので、膝関節には負担がかかるし、持ち上げるのに筋肉も悲鳴を上げるわなぁ。。。 申し越しだ我慢しろ。

 上がりきったところはなんか不気味な雰囲気。普通の人はなんとも思われないかもしれないが、どうも寺が分かれているような感じがするのだ。だから手入れがきちんとできていない。法然さんのお墓のちかくで、これなないだろう. 大きな手者だけではなくて、こうした途中のものもきちんと整備してこそ大遠忌なんだけな。


 
 ここが踊り場、勢至堂は、左に折れたところにある。そして山の上には目下工事中の法然上人廟がある。

 勢至堂に向かう門を入って左に観音菩薩像がある。なんだか、変な気分なのだ。浄土宗に観音菩薩はねぇ。
  

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2008年01月23日

京都08年 日帰り旅 10 知恩院・経蔵

 御影堂の外廊下をひとまわりして、正面に戻って階段を下りた。入れ替わりたくさんの非度が階段を上がっていく。これで、目的の2つ目は終わり、次は特別拝観の2つ目、『経蔵』に向かう。

 経蔵の右手にい小さい池とその上に石の橋がある。ひょっとしてこれが昔々の思い出のところ?
 大学2年のときだったか、学校をサボって(公式にです)京都を友人たちと歩いたことがある。そのときに、どこかの寺の境内にある石の橋で記念撮影をしている。円山公園の奥にある坂本龍馬の銅像を見た後でのことなので、知恩院の中ではないかと思うのだが、何せ40年以上も前の話し、周りが変わりすぎているのだ。似てはいるけどねぇ。。。


納骨堂前の池と石橋


 経蔵の前には、にわか作りの切符売り場がある。600円の拝観料を買い求めるのだが、千円札を出したら、係りの女性に『細かいのありませんか?』といわれた。小銭要れを探したら何とか足りる金額が会ったので、それを出したら、笑顔を返された。どこに言っても笑顔はいいものだ。


今日蔵したから屋根を見上げる


 経蔵の中では、ボランティアの人の解説がある。そのために、解説が終わるまで、その後ろは渋滞である。そのお蔭で、じっくりと壁画を見ることが出来た。
 壁画は平成に入っての修復とのこと。う~~ぅ、かなり酷い手だなぁ。元絵は、狩野派の絵師の作と聞くが、狩野派の絵は知恩院の書院にある障壁画に見るようにかなり繊細であり力強いものがあるのだが、ここの壁画には繊細さは全くといっていいほど感じない。近くで見るものではないのか???

 解説は、私の興味を引くようなものはほとんど無かった。大体、知恩院自体が江戸時代に建てられたもので、私の求める平安末期から鎌倉時代のイメージとは程遠いからだろう。
 半分回ったところに、大きな頭の人形さん(失礼、聖人なのだろうから)がある。なんでもこの経蔵の建立に携わった中国の人だとか。私は、この手のもの苦手なんです。(頭のでかいのは特に)
 
 経蔵の中央は、多くの寺がそうだが、マニ車がある。この知恩院の経蔵のマニ車は、日本最大と解説が言っていた。マニ車を意識して近くで見るのは3つ目だが、確かに大きいかな?善光寺のマニ車よりは大きいのは確かだ。
 このマニ車を回すと、そこに収められたお経を全部読んだことにしてくれるのだが、残念ながら今回はまわすことではきない。人の多いところで、まわして事故でもあったらと言う配慮なのだろう。まぁ、もっとも私としては、回して経を全部読んだなんて信じることも無いしなぁ。

 そんなに大きな建物でもないので、渋滞がなければ数分で見終わるところだろう。

さて、次は勢至堂に向かう。  

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2008年01月22日

京都08年 日帰り旅 9 知恩院・忘れ傘

 御影堂の外、といっても外の回廊に出た。正面右手、回廊のひさしに江戸時代このみえ移動建立の際に、左甚五郎が置き忘れたとまことしやかに言われ続けている「忘れ傘」がある。
 大昔、私が始めてこの知恩院を訪れた小学校の修学旅行のときには、軒下には網なんか無かったと思うんだが、今は鳥が巣を作らないようにと金網が貼り付けてあるので、傘なんてじっくり捜さないとつけるのが困難。写真やら、誰かが説明に使うと思われる竹竿やらで何とかこの辺りにあるという検討は付けられるのだが。まぁ、多くの人が同じように天井を仰ぎ見て探している。


はっきりとした画像の中に忘れ傘が


 これを見たからどおってことは無いんだけど、やっぱり話題になるものは見ておきたいのが人の心理なんでしょうね。

 その先に回ったら出入り口が目に入った。ひょっとしたら御影堂正面に上がって、裏手に下りる際の出入り口かと思い込んで、ならば老いてきた靴を持ってこようと正面に戻って階段を折り靴を手に再度廊下に上がり反対側に回った。
 御影堂の西側になるのだが、ここの回廊からは阿弥陀堂が見える。御影堂に比べるとかなり規模が小さい。つまり法然さんよりも阿弥陀さんのほうが納まる建物が小さいということ。それに、場所もメインの正面ではないし・・・



 阿弥陀堂に廊下から手を合わせて御影堂の裏手に回る。(阿弥陀堂にはいけないのです。通行が止められています。)
 知恩院は『鴬張り』という、歩くと「キー、キー」と鳴く廊下で有名です。お寺で敵の侵入を察知するなんて目的は必要ないと思うのだが、京都の寺は時には城の役目も果たすことろからこんなものが付けられているんどだろう。
 回廊はあまり鳴かないが、御影堂と阿弥陀堂の間は、昔歩いたときに鳴いたように思う。今は歩けないが、御影堂の真裏の廊下を歩くと泣き声を聞くことが出来る。裏手の建物『集会所?』は工事中だが、そこに渡る廊下が『鴬張り』を体験するためだろうか、歩くことが出来るように配慮されている。

 廊下の先には何かが展示されていたが、記憶に残さず帰ってきた。
 この廊下から、ついさっき見つけた出入り口があるのだが、なぜか『関係者以外通行禁止』。ということは、元の正面に戻らねばならないのだ。何のために靴を取りに行ったのかと、こころのなかかで「ブツブツ」
 仕方が無いので、阿弥陀堂の反対側の廊下へ向かって正面に戻ったが、例の忘れ傘では結構たくさんの人が上を見上げていた。誰もが同じ気持ちになるらしい。
  

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2008年01月21日

京都08年 日帰り旅 8 知恩院・御影堂

がんばって石段を上りきった。
 久しぶりですね。こんなにがんばったのは。今日はがんばりの連続。

 上りきったところは、広い広い、なんというのだろうこの場所を。
 そして、御影堂と、その後ろには改修中の建物の多いが見える。改修は、法然上人の800年の大遠忌。三年先のことだが、それに向けての関連施設の大修理が行われているわけだ。東西の本願寺、目下東本願寺が大改修中だが、これは、親鸞聖人の750年の大遠忌。40歳の都市の違いとなくなった年の違いがあるものの、こうした近い大遠忌の法要となる。
 それにしても、金のかかることだろう。



 御影堂の中から拍子木の音が聞こえる。いろんな法要にはつき物とはいえ、この甲高い音は私の耳には本来ご法度。下手をするとパニックになる大人のだが、恐る恐る御影堂に上がってみた。中には結構たくさんの人が中央に座って手を合わせている。何がおかれているのかご存知なのだろうか・
 浄土宗、浄土真宗の多くの本山の寺には御影堂があるが、これが大体が欄の中央に配置されており、一番大きいところが大半。阿弥陀堂もあるが、大体が御影堂の左に存在する。
 阿弥陀様が、真ん中にあるのではなく左にあるということだ。では中央はというと、浄土宗、知恩院の場合は法然上人、本願寺の場合は親鸞聖人のお姿(御影)が鎮座しているのである。これで仏様よりも法然上人、親鸞聖人がメインの州ということになりかねないのだが、どなたもこうしたことには口を挟まないのである。

 知恩院も本願寺も政治がらみで出来た大きな寺である。誰がどういう判断でこうしたことにしたのか、私はそこまでは研究していないがいつも疑問を持っている。

 拍子木のおとは常道集の檀家さんの回忌法要のために行われている度胸とともにされているものだった。何組もの檀家さん家族が集まり座っておられる。麺となる僧侶が回忌法要の方のお俗名を一人ひとり読み上げている。本山での回忌法要に出会ったのは初めてである。
 (名前の読み上げは、熱田神宮などで、誕生、七五三さんなどのときに子供名前が読み上げられるのと全く同じ方式)

 中央の法然上人の三宝に手を合わせて、御影堂の外に出て、裏手の鴬張りの音を聞きに行くことにした。
  

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2008年01月20日

京都08年 日帰り旅 7 知恩院・石段を上がる

 今回の京都日帰り旅行のメインである知恩院三門の特別拝観は、これで終了。無事に下りてきて、ただただほっとしているところだが、さて次はサブイベントの御影堂、勢至堂、経堂の見学と方丈庭園などを見てあるくのだ。
 これらをこなすためには、何らかの形で高い所に上がっていかねばならない。知恩院の三門の後ろには、男坂としての段差のきつい石の階段と緩やかなカイダンノ女坂(知恩院では女人坂という)。からだの調子はまぁ悪くはないし、次に来るとしたらこの石の階段男坂を登るだけの脚力があるのかどうか、そうした問題も先には出てくるので、足がいうことを利く間にのぼっておこうと男坂を登ることにした。

 ここの階段本当に結構きついんだよな。大体ここに来るときは雨にたたられるのが多いけど、10年位前に来たときは、お彼岸でありながら雪になってもおかしくない寒い雨の日だったが、そのときもこの石段を登った。雨の中上るのは結構疲れたよ。
 


 上の写真は、人が途切れそうになったときに撮ったもの。右上の女性は、私よりお年をお召しになっている感じだったが、私よりも後から上り始めて、この状態。
 私は、写真を撮っていたのですよねぇ・・・人が途切れるのを待っていたんです。女性の前の集団が抜けたと思いきや、女性がかまわず入り込んでしまったので、上りきるのを待っていたら、次の塊が・・・・・



 ということで、人のない写真はあきらめ。

 **三門を見たら、上から写真を撮っている野郎がいる。撮影禁止だぞぉ。しかられたんだぞぉ。案の定、監視が飛んできたがな**

 何とか上りきりました。
 腿の筋肉はかなり張ってるよ。でも、まだ大丈夫。

 と、御影堂に向かいます。
 
 **大きい建物は 御影堂です。本堂ではありません。
   

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2008年01月19日

京都08年 日帰り旅 6 知恩院・三門を下りる

仏様を見て、落書きを見た。
 さてさて、三門を降りなければならない。
 階段のところにきて下を見た。うわぁ~~~とんでもない急な階段だ。大丈夫かいな。といっても、誰も手助けしてくれないから、勇気を振り絞って下りなくてはなならない。ここでも右側通行を無視して、左側の手すりに抱きつくようなカッコウで下り始めた。血の気が引くこともなさそうなので、何とか抱きつきながら、一段一段降りていけるが、後の人が困っているだろうなぁとは思うが、気を利かせてくれたのか、誰も降りてこない。
 曲がり角、ここは手すりもロープも無いよ。ロープにはさわらないでくれと書いてある。曲がり角から下のほうがうんと段数が多いのだ。う~~~~。仕方がない。みっともなくてもいいから、左手を手すりに巻きつけて、一段ずつ降りていく。下にはボランティアの女性とバスガイドさんがいる。私を見上げているが、『ええ歳のおっさんが危なっかしいなぁ』と思っているだろう。
 見た目、非常に健康そうな私を見て、『臆病者』と内心思っているやも知れないが・・・

 とうとう後ろから人が降りてきたぞ。女の人が右側を追い越して降りていく。恥ずかしいなんて気持ちは無いよ。ケガ無く降りることが一番皆さんに迷惑をかけないことだろうから。


 何とか、無事に下りきりました。
 下りて、開口一番 「高所恐怖症にはきついわぁ」(関西訛り読んでください) 
 バスガイドさん。「そやわななぁ」
  おそらく見慣れた光景なのだろう。
 それに付け加えて、『お城ではもっときついところあるよ』と、またまたきついことをいう。
 あちこちのお城を見に行きました。血の気が引かない時は、何とか登りも下りもできたけど、出来ないところもあったよな。姫路城なんか5層か何層かあったけど、途中でのぼりを断念。3層くらいでじっと気持ちの落ち着くのを待っていた記憶がよみがえった。
 松本城、犬山城は、ちゃんと上って下りたぞ。

 こうした恐怖はもう二度と味わいたくないと、心に決めた。
 私自身のためもあるけど、他の人の迷惑にもなるから。

 外へ出て、ほっと一息つきました。


下りてから山門を通して西の京都市街を見る
向こうの山は雪模様だ


 さて、この次は、男坂の石段を登らなくては。女坂があるのはわかっているけど、こんな状態で登ることがいつまでできるかわからないから、上れるときに上っておくのだ。  

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2008年01月18日

京都08年 日帰り旅 5 知恩院・三門の中

 必死で上がった割には、写真を取らせてもらえないので、内心『仏仏(ぶつぶつ)』。半分回って、北側に。そこから中に入るt。
 ここは、仏の場。あれっ???TVで見たときは、もっとキンキラキンで、きれいだったぞ。今は、ライトも当たっていないから、なんかくすんで見えるし、それにそれに、、、ここは阿弥陀さんの世界じゃぁないヨォ へぇ????
 知恩院は、法然上人が開祖の浄土宗。当然浄土教の中にあるはず。それなのに、それなのに。なんと西を向いて鎮座しているのは、釈迦無尼仏だ。法然さんは、「南無阿弥陀仏」それだけでいいといっていたはず。それなのにそれなのに。

 実は、法然上人が亡くなってから、弟子たちがいろいろ意見が食い違って、いろんな派ができたんだよな。それで、完全じゃ浄土教ではなく、天台宗の流れが結構多く残っているということか・・・
 この点が、親鸞が浄土宗を離れた理由の一つになるのだろう。

 中で、ボランティア(だと思う)の人の説明がある。なにかかかれたものを丸暗記して、それを反されているという印象だ。その元となる話の出所が何なのかわからない。私がこれまで学んできたことと多少の食い違いがあったりする。
 それと、僧籍の方ではないので、精神的なものの話が無い。最もされたとしても、聞いておられる方がどこまでその話に耐えられるかが問題かもしれない。

 天井や周りに竜や怪獣の絵が描かれている。いつかかれたものかわからない。話を聞いあとでじっくりをまわりのへい、欄間?に描かれている絵を眺めていて、人間の名前、地名が書かれているものがあることに気づいた。なんだろうと考えた見たが、最初は絵を書いた絵師の出身地と名前かと思ったのだが、ぐるっと回ってみていくと所かまわず書き込まれているではないか。ということは、これは落書きだろうと思う棟になった。
 説明員というとか案内人というか、ボランティアの若い女性に声をかけて聞いてみたら、「廃仏毀釈の時に寺が全て解放された時期があり、そのときに書かれた落書きではないか』との見解を。彼女、立命館大学文学部の3回生とのことだった。

 
  

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2008年01月17日

京都08年 日帰り旅 4 知恩院・三門上がる

三門に到着


前回と同じ写真でごめんなさい。


 階段の入り口には人が並んでいる。これまで、三千院の三門の前で見た大行列の光景だが、人の数が違う。こっちのほうが少ないよ。もっともね、三千院で見たときは、紅葉のシーズンだったから、人の数が違うからだろう。
 少ないとはいってもなかなか中には入れない。一人で来ると、話し相手もおらず、こういう待ち時間は非常に退屈をする。周りを眺めてはいるもののすぐに飽きてくる。

 何とか中に入って、お金を払う段になった。ほとんどの人が複数で来ているので、切符売りののお嬢さんが『何名様ですか?』とお聞きになる。私は聞かれる前に『お一人様です』といったら、彼女ケラケラ明るく笑ったものである。この先の階段の上り下りの恐怖を一瞬忘れさせてくれた。感謝感謝

 階段は急ですね。南禅寺の三門は登る機会がたくさんありながら、高所恐怖症を理由に避けてきた。だからこうした階段は、とにかく久しぶりの挑戦である。
 見上げただけで足がすくみそうだが、今日はなぜか血が引くような恐怖は無い。まぁ受付の彼女のお蔭でもあろうが、気持ちとして勇んでで見に行こうとしているからなのだろうか。それでも、上り始めたら、下を見ることは出来ない。もし見たらそれで終わりそうだと思うから。
 右側通行と書かれているが、利き手が左、右手では手すりがもてない、右側通行の警告を無視して上る。しかし、これが正解だった。後から来る人が右側を追い越していくのだ。途中で左に折れるところは苦労をした、手すりが無いのだヨォ。それでもここまできた上らざるを得ないので、必死に。

 何とかかんとか、登りきりました。手摺りの方に行けば、足がすくむだろうと、出来るだけ壁側を歩く。いい見晴らしです。五右衛門が南禅寺の三門で「絶景かな、絶景かな」といった気持ちがよくわかる。写真に残したいとカメラを構えたら、監視のちょっと前のお嬢さんが飛んできて『撮影禁止』を警告を発した。中を取るんじゃぁないよ、外だよ、それでもだめです。あぁぁ。目に焼き付けるだけですねぇ。。。。
  

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2008年01月16日

京都08年 日帰り旅 3 知恩院・三門へ


知恩院三門 本当にでかいなぁ。。全景を取るのにも苦労するよ



 古門に書かれている「成人式」の文字は、翌日の成人の日のためのものなのだろう。今は、そんな若い人は全く通っていない、もう何度も成人式を迎えたような、私も三回迎えている、そんな雰囲気の人が数人同じ方向に歩いているに過ぎない。(多分に特別拝観に向かっているようだ)

 華頂通りの両横は、知恩院宗門の学校といくつかの塔頭(?)が並んでいる。幼稚園があり、その入り口には「勢至丸」の像がある。浄土宗門のお寺が経営する幼稚園や保育園には、像や絵が飾られている。孫の通った幼稚園も教室に飾られていた。(孫は覚えていなかった)地図はこちら
 

その突き当りには門があり、そこからも上がることができたのだが、目下工事中らしく、上がることはできない。
 突き当たる道は平安神宮、青連院から来る神宮道だ。ここを左折すると前方にたくさんの人が見える。やっぱりお休みの日だと実感。左手、山のほうには、親鸞滅後に墓所とし、本願寺化した最初の土地といわれ、本願寺8代、中興の祖といわれる蓮如の誕生の地とも言われる崇泰院がある。ここの石柱には「本願寺旧跡」と書かれている。



 前を通過して、あれ?以前着たときに比べたらずいぶんきれいになったなぁ。そうかぁ。親鸞大遠忌まであと4年だ。そのための改築でもしたのだろうと勝手に想像。

 南を向いてい歩いているのだが、右手には、大きな観光バスが何台も止まっている、それに駐車場に入る乗用車が道路に並んで入城町だ、当然駐車場は満杯。

 三門に到着したのだ。(トップの写真参照)
  

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2008年01月15日

京都08年 日帰り旅 2 知恩院到着まで

 大筋は、前回方ということで、今回からはその道中を少しずつ書きます。

金山の駐車場に車を預けて、JR金山から東海道線の米原行きに乗車。
 連休の中日、結構乗ってますねぇ。まぁ名古屋駅で降車する人が多いとは思うものの、長距離乗りそうな雰囲気の人も多い。名古屋駅までの短い時間で空きそうな雰囲気の席を目で探す。目の前は大きい荷物だけど、新幹線乗り換えの雰囲気は無い。
 名古屋駅到着少し前。席を達人はsukunai.つまり座席があくことところが少ないが、ちょっとはなれたところの人が席を立った、運よくそこに席を取ることができた。これで米原までは寝てもいける。
 
 名古屋駅で、たくさんのてきた。バックパックを背負った女性の一団。席取れなくて、きょろきょろ。結局最後のほうまでたってたなぁ。名古屋、米原間の1時間はきついよなぁ。
  **最近平日にしか直ったことが無い、いつも大垣乗換えをしていたが、休日は直接米原にいける列車が多い**
 天気は、米原まではよかった。にもかかわらず、伊吹山をしっかりと見ることが出来ない。理由は、前の席のお年を召した女性がブラインドをお六したまま、ご友人とおしゃべりに夢中なのだ。少しは、周りにことも考えてくれ。

 米原でJR西日本の新快速に乗り換え。もう先に反対番線に入ってお待ちである。東海側6両の乗客がいっせいに乗り込むので、近いところはもうすぐに座れなくなる。しかし、しかし、西日本の列車は長いのだ。後ろ構えに行けば絶対に座れる。後ろに移動して席を確保。これで山科までも楽に行けるヨォ。

 どの値からだっけ、琵琶湖上空が黒く重くなってきた。西を見たら、山は見えない。これは京都の天気や場そう十思っていたら、安辺りからだったか、雪がちらつきはじめた。おやまぁ。。今日はかさもってないヨォ。雪のままならいいけれど、雨になったっらこまるなぁ。雪はちょっとあられみたいにホームで弾んでいた。

 石やまあ舘ではもうほとんど降っている様子は無い。これで、大阪山を越えればまた天気が変わる可能性が無いとはいえない。トンネルを出ると後者する山科だ。トンネルを出たら降っている様子は無いが、空はちょっと重いなぁ。

 山科で京都市営地下鉄に乗り換え。これで東山までいく。ケア偈でもいいのだが、ちょっと見たい商店街があるので、東山まで行くことにしている。
 京都のこの地下鉄東西線。現在は、JR山陰線(西日本では嵯峨野線という)の二条駅から三条を経由してJR奈良線のろく地蔵までを走っている。途中の蹴上で京阪の京津線に分岐する。(三条と蹴上の間は、京阪線でもあるのだ)

 東山についたのはほぼ11時。ここで降車するのは初めてだっけ?いつもは三条が多いから。地上に出てみたら、やはり空は重いなぁ。いつ泣き出すかわからない。
 駅前の三条通りを三条のほうに少しいくと無並みに剥いて小さい商店街がある。実はこの商店街を歩いてみたかったのだが、あらまぁ。。。日曜日の午前中ということで、シャッターが下りている。これでは商店街の雰囲気全くわからない。ちょいと寂しい。

 モンkを行ってもしょうがないので、その小さい商店街を通ましきったら(アーケードを潜り抜けた)ら、そこにはかわがながれている。白川だ。この川もう少し下ると祇園の町を通り抜けて鴨川になれつく。

 白川に沿って一方通行の通りをあるく。川の向こうに古い門が見える。これが、知恩院の入り口、『古門』である。

  

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2008年01月14日

梅もどき

知恩院の方丈庭園を見てきたが、そこに葉はマック無く赤い実だけを付けた気があった。



梅モドキというそうだ。

見た日は、雪がちらつくサム、冷え込む京都の一日だったが、もうじき梅の季節になる。その前に実だけを見たというのか。。。  

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2008年01月14日

食いモンの恨みは・・・

1月13日 冷え込む京都での話し、

 知恩院の特別拝観で公開されている三門、勢至堂や庭園などを約3時間かけてみて回った。11時からはじめたのでもう2時を過ぎている。当然おなかも空いている。どこかで食べなければと、この先に行き着くところの過程として、八坂神社を通り抜け、銀座の交差点から市場通りの南側を西進。市バスの停留所を過ぎて左側に『石』という店がある。
 このビルに一階は、アクセサリー、宝石を売る、2階が喫茶、40数年前に一度来ているが、そのときと変わったのは、イッカイの売り場がせまっ苦しくなったこと。
 この店の前に着たら、『京ソバ』とかかれているではないか。40年ぶりに入るのもよかろうと、案内に従ってエレベータに乗り込んだ。若いカップルと同乗。男性が行き先のボタンを。難解にいったのかは知らない私。
 ついたところが、京ソバ食べられるところ。
 女性がオーダーを取りにきた。「天ソバ」を注文。しばらくいたら、なんやら後ろから声をかけられた。ふりむいたら、「そばありません。うどんなら・・」という。うどんやったら『おめん』に行けばいい。しかし、歩き疲れているし、面倒やと思ったので、『しゃぁないな』と変更を了解。
 料理をするおじさんが、一人でなんやかんややっている。まずうどんを茹でてお湯を切っている(ここまでもけっこう時間かかっている)、そして、しばらくすると、今度はてんぷらを揚げ始めた。なるほど「揚げたてが食べられるのか・・・」と、内心。
 なんやらおそい、そしたら料理のおじさんが私の前にきた。そしていわく『てんぷら一尾しかありませんね』と。

 いいかげんにしてよ。京ソバを食べに入って『うどん』に変えてくれ、長いこと待たされた挙句に「てんぷらが足りません」?。
 それはないだろうよ。だったら、オーダー受けたときにそんなことを言ってくれ、それなら最初から断って座ることもなかろうよ。とまあ、怒りをあらわにしたら、「そばなら一人前ならあります」。
 ここでぶちきれた。さっきは「ないからうどんや」といった。怒ったら出てくる。もうこれは食べる気もせんようになったので、キャンセルして一階に。

 入り口ではいるとき案内した案内人の男性に苦情を言った。「よく言いつけておきます」、これではねぇ。。。挙句の果てに、「うどん食べるのなら『おめん』に行くよ」といったら、『そうですよねぇ』とのたまったのだ。
 
 なんというお店でござんしょ。
 3階の京ソバは、お店の中特に天井もすすだらけ。きれいな雰囲気もないので、まぁお勧めの店にはできないですわなぁ。

食いモンのウラミは、恐ろしいでっせ
  

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2008年01月14日

空から 神の手

昨日 雪模様の京都にいた。



写真は、知恩院の御影堂の東のちょっと山の上の「山亭」から見た京都市街。西の山々は雪模様である。
空を見るとなにやら怪しげな雲が。

この雲が実は・・・

知恩院めぐりを終えて、八坂神社経由で四条河原町から、錦小路を抜けて西に向かって歩いたが、抜けたところで京都に住む義理の妹と落ち合った。
 会うなり『ものすごいものを手に入れた』という。
      『なんだ』と聞くと『神様の手」だという。
 そして、携帯の画面を見せてくれた。
      「これな、友達が送ってくれてん。神様の手に見えるやろ』
 画面に映るのは、空の雲、
      右手はお金を示すかのごとくの親指と人差し指で〇を
      左手は、下から何かを支えるがごとく。
  どちらかといえば、ホトケが印を結んでいるかの手の図。

残念ながら、撮影者本人の許可を私が得ることが出来ないので掲載は出来ないが、
 ひょっとして名古屋からは見えなかったか?
 どなたか京都に行って、ご覧にならなかったか?

  

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2008年01月14日

京都の思い出 修学院離宮

修学院離宮
 最近は「しゅうがくいん」と読まれるケースが多いが、私は「しゅがくいん」とよく教育を受けている。京都の場合地名でこうした読み方の問題がある。「烏丸(からすま)」しかりである。昨年10月に市バスに乗ったときに車内放送で「しゅうがくいん」といわれたときは、かなりな違和感を覚えたが、観光客向けにはしょうがないのだろうか?

 離宮というからには、管理は宮内庁である。よってここに入るためには宮内庁への届けと許可が必要。今現在は祖素直砂の応募で許可をもらうことが出来る可能性はかなりかなく率で低いとか聞く。私がここに行くことができたのは、大学の研修旅行であったらだ。

 まあとにかくうるさい。入城するための時間が決められているから、門前に集合する時間も厳しい。遅れると入れてもらえない。当時、どのようにして行ったのか覚えていない。昔は、この辺りは家なんてなくて。大体白川通りが、銀閣寺道から北は車の通りなんてなかった、市バスは走っていたのだろうか?

 余分な話はここまでとして、離宮の記憶を書かねば。
 入り口(門)の記憶は、不思議なことに桂離宮はあるが、この修学院はない。しかし、中に入った後の記憶は桂よりも修学院のほうがはっきりと残っている。
 とにかく中は広い。東山の北のほうにあるわけで、山地だ。といっても急な上り坂があるというのではなく、なだらかな本当に見晴らしのいい農地の中に大きな庭が作られえているといった感じだった。つまり、当時は周りには家はたっていなかったのだ。本当に農地が広々と広がっていた。その中に、大きな池があり、その周りを歩くという、いわゆる回遊式の庭園である。

 真夏の日差しの中に、緑の、そうなだなぁ茶畑のようなイメージの背の低い木のようなものが広がっていたという記憶が残っている。庭園の中では有名な松琴亭の大きな市松模様のふすまにはなぜか大きく感激したものである。
 (ただ、この市松模様、ひょっとしたら桂離宮のどこかの亭のふすまと勘違いしているのかもしれない。しかし、私の頭には修学院の山の上の亭と残っている。)
 
 そして、隣雲亭から見下ろす北西の方角は、それはすばらしい広大な景色だった。その中には、竜が水浴びをする池もあるのだ。
 もう43年も前の記憶だが、頭に残るこの雄大な景色はおそらく消えることはないのではないかと思っている。機会があるのならばもう一度行って見たいところである。


桂離宮宮内庁公式HP 
 http://sankan.kunaicho.go.jp/guide/shugakuin.html#top
 離宮内案内のビデオもダウンロードできます。
 ***このビデオを見て、市松模様の記憶の間違いがわかった。
    隣雲亭の感激は障子だったのかもしれないと。
   大きな市松模様は、桂離宮で
    修学院の市松は違った形での市松だ。

**
 この修学院離宮の北には、前に書き込んだ「赤山明神」がある。
 赤山明神を訪れたときには、白川通りのバス停から歩いて上ったのだが、その途中で離宮の入り口を見ている。このときに思ったことは、43年前に離宮に来たときとは、周囲の環境が大きく変わっていることである。こんなに家はなかった、この辺りは全部のうちだった。離宮と農地の境がなく、農家の人は離宮の中に入り組んだ地には入ることが出来るようになっていはと記憶している。

この分岐をまっすぐ行くと修学院離宮、左に折れると赤山明神に行き着く
  

Posted by 生田 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)京都

2008年01月13日

京都08年 日帰り旅 1

1月13日 京都へ青春18切符での日帰り旅行。

今日は雪、霙、氷雨、 冷たかった。

朝7時半に自宅出発。車を金山の駐車場に預けて、金山からJRに。
山科で降りて、地下鉄で東山に。
 そして、歩いて知恩院へ、
 知恩院をいろいろ見ること2時間半

その後、八坂神社、新京極、錦市場を回って、
 京都駅で在来線に乗ったのが18時30分
 金山について食事(夕食)
 家に帰り着いたのが10時30分でした。

写真は90枚ほど撮ったらしい。
 しかし満足いくものはあまりないようで。

今日は、とりあえずの報告として
  明日から少しずつ書くことにします。

  

Posted by 生田 at 22:55Comments(0)TrackBack(0)京都
  
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