2023年05月04日

人工内耳装着手術体験記 その2 手術日 その1手術

 麻酔科医から詳しい説明を受けていざ入院翌日の朝9時から手術開始ということで、8時半ごろに弾性ストッキングを履かせてもらった。これは初めての経験、理由は手術が長時間に及ぶ可能性もあって、同じ姿勢をとり続けることで血栓ができやすく、それが影響して、脳血栓、肺血栓を起こす可能性があるので、それを防止するためのものと説明を受けている。(白いのを着用)
 まぁ、いうなれば飛行機旅行でのエコノミー症候群と同じことですねとドクターに確認したら、その通りですとのことです。

 この直後に家族(相方と息子)が到着した、そして定刻の8時50分に看護師の引率で家族も含めて歩いて手術室に向かう。
 広い病院の中をエレベータで降りて、それから病棟の長い道をくねくね歩いて手術室の入り口に来た。ここで家族とはお別れ、お互い扉が閉まるまで手をを振った。
 入り口のホールに入ると数人の手術看護師が待っていた。ここで病室用から手術室用のものに着替えをした。寝巻きみたいに前が開く全身用のものです。
 看護師数人に取り囲まれて、「ハーレム状態ダァ」って冗談いったり、全く緊張感はなかった。
 そして手術台のある手術室に向かう。病室からも長かったっけど、ここも入り口から手術ベッドまでの長かったことこと。もう手術の始まっている部屋もいくつかあり、その横を通っていく。先導と後に看護師に挟まれての行進、前日の死刑囚の思いの続きで、まるで死刑台に向かうみたいと頭にチラつく。が、決して心配したり、緊張していたのではない。ドクターの人柄から完全に身を任せるという安心感が先に立っている。


 手術台に上がった。と言ってもこの手術台は記憶が薄れてしまっているので、表現が難しいが、ごくありきたりのベッドみたいな感じの上になんだか分厚いマットを敷いていたかと思う、今考えればこれで体を固定したのだろうと。
 ベッドに寝かされて、いろんなものが体に取り付けられる。その都度「〇〇をつけるよ」と説明があるけど聞こえない。それでほとんどを筆記して読ませてもらった。ただドクターは私の病状を知っているだけに、耳元で大きな声で語りかけてくれていた。

 そして点滴で麻酔薬を注入するために、前日夕方に病室まで事前調査に来た麻酔医が手の甲の静脈を探していた。私は極度に血管が細いと言われているが、どうもその通りで打ち込に必要な静脈が見つからず、かなり手の甲を叩いて血管を浮き出させていたが、やっと見つかったようで「今から少しちくっとしますよ」と声がかかって、少々でなかったがちくっとして針が差し込まれた。かなり弄った感じだなぁ。。。さらに説明が「量が多いので手が痺れるかもしれない」と、寝てしまったら痺れもわからないけどなぁ。
 私は覚悟して目を瞑っていたら、トントンされて目に前で指で丸を作って「目を開けていろ」と、これは目が空いていれば、寝たのがわかるからだろうと思う。

 この後しばらくしたら、完全に寝たのだろう、記憶が全く無い。ただ、記憶には内容は残っていないけれど、何かの夢を見続けていたように思う。

 その見ていた夢を破るように、左肩をトントンされた。「終わりましたよ」と。本当に夢破られての目覚めで、一瞬目の前がなんだかわからなかったが、たくさんの顔が私を覗き込んでいたが、執刀医の私の主治医のドクターの顔が見えた。「あっ先生だ」と声を上げた。ドクターが耳の横にきて「無事終わりましたよ、人工内耳も完璧に埋め込まれましたよ」と話してくれた。私は感謝に気持ちをいうとともに「家族が心配ししているから連絡してください」とお願いをした。

 目が覚めた。「生きていた」といいのが正直な気持ちだ。
 体から取り付けられていたものが取り外されれていく。残ったものは酸素マスクと足のマッサージ器具、そのほかの観察用機器のケーブルは皆外されたようだ。ただ、酸素マスクがいつ取り外されたのかは、全く記憶に残っていない。麻酔から覚めたと言っても、脳は完全に目覚めていなかったのかもしれない。
 マッサージ機は、酢術中からつけっぱなしで、病室に来ても3時間以上はつけてたのかな?気持ちよかった。ストッキングは退院して家に帰るまで履き続けてました。






************ 人工内耳装着手術体験記 *************

その1 入院と手術前検査 
その2 入院2日目 手術日 その1手術
その3 入院2日目 手術日 その2 病室で
その3 その4 入院3日目 手術翌日

お断り
イラストはネット検索で
無料のものを拝借しています
  

Posted by 生田 at 16:59Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2023年05月04日

5月4日 木曜日 快晴 無風 みどりの日で 目眩かなり収まる

昨夜は
10時少し過ぎに床についた
割とすんなり寝入った
やはり手術明けで
日常生活にまだ疲れを感じるようだ
昼間のんびりテレビをしていても
目の前にいろいろ動くものが
疲れを誘っているのかもしれない

夜中多分1度だけ起きている
いつもならきつい目眩に襲われるのだが
昨夜の目眩は軽かった
歩く時のふわふわも軽減されている
耳鳴りもそれに比例して半分くらいの静けさに

朝は7時に起き出した
ひんやりした朝だ
起きるときは夜中よりも
めまいの度合いも少なく
歩いて新聞入れに行ったが
階段の脳ぼり落ちも怖くなく
かなり良くなっている感じがする

今日は手術からまる1週間を過ぎたところ
先週の今頃は
全身麻酔の眠りの夢の中だった
時間の経つのは早いなぁと

この時間経過が
ドクターの話のように
目眩や耳鳴りが治まっていくということらしい
1〜2週間で収まる
やっと1週間だ
治まっていくのは確実と思う

こうした経過を
体験記に追加せねば
手術の後のことは
人それぞれだと思うけれど
体験記を読んだ人が
これから人工内耳手術に望むなら
私の症状は
ほんの一例に過ぎないのだと
付け加えておかねば
私の症状が必ず出るものではなく
それぞれの患者で出て来る症状は違うと思う

これは
末期の前立腺癌を宣告されてからも
残された治療法のホルモン療法だけで
12年という年月を経過したことも
奇跡と言われるくらいに
人によって効果は違うということの様だから

朝飯の前に庭に出てショット
とにかく動かないと筋肉が弛緩するばかり
なんとか踏ん張って体を動かしている


昨日開店準備中と書いたアイリス
画像でググったら
ジャーマンアイリスと出てきた
なんでもいいや
咲いて庭に賑わいになれば


こちらもググったら
同じアイリスだけど
ヒメシャガ って出てきた
どうなんだろ?


隣でひっそりと
オオムラサキツユクサ が咲いていた
ツユクサって地味だねぇ
綺麗な青紫なんだけど
ブルー系は地味に見えるなぁ


キンギョソウは
プランターの中で増えてきている


沙羅双樹はまだまだ開花に時間かかります
咲けば白い一日花が毎日咲きます
今年もたくさん咲くと思う


紫蘭は
紫も白も最盛期の様です
玄関脇の彩ですが


今日のヒマワリ
だんだん撮る位置が距離を置く様になってきた
いずれ植木鉢を移動させることになると思う


柿の花の開花です
今までの花は緑色だけだったけど
中央部分が白くなりました
これが秋には紅くなります
甘いのを楽しみに


いつもの西上空です
今朝も綺麗な快晴です
世の中お休み
今日はむりやり祝日になった”みどりの日”
それが空気を澄ませている?
まさかねぇ・・・


今日も
のんびりテレビみたり
体験記を書いたりします
そしてとき風土記動いて
筋肉も鍛えねば

  

Posted by 生田 at 10:47Comments(0)TrackBack(0)今日の日
  
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1泊2日のドライブ旅行
2015北海道・道東の旅
1週間870kmのドライブ旅行
大学OB会と
50年ぶりの鎌倉
OB会の後に鎌倉と横浜に行ってきました
15年年頭 広島宿泊の旅
鞆の浦、竹原、宮島に行きました
14年秋 京都宿泊の旅
久しぶりに新幹線に乗りましたが・・・
13年秋 京都ドライブ旅
京都の紅葉の名所・毘沙門堂に行きました
12年秋 室生寺ドライブ旅
すてきな観音様と再会です
室生寺五重塔
12年秋 京都ドライブ旅
1年ぶりの京都です
三千院
10年秋 平泉ドライブ旅
4泊5日 2000キロの一人旅です
平泉・わんこそば
   
10年夏 室生寺 日帰り旅
素晴らしい観音さんに出会いました
室生寺・五重塔
10年初夏 宇治・長岡 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに黄檗山満福寺・六地蔵・法界寺谷寺・長岡天神
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 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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