2021年04月08日
末期前立腺癌・宣告から10年 その10年前の様子 その3
末期の前立腺癌宣告の日から10周年の日です
もう10年も経つと・・・
旋回は、宣告に至る前の生態検査の様子を書いていました。今回は選考当日の私の様子を書いています。
以下の引用分は、この記事を書いているときに記入したコメントです
先週2日に分けてのCTとRIの検査結果を聞きに行ってきた。予約j間を大幅に遅れて2時間以上待ちでの結果宣告。こういう検査結果を聞くのにこれだけ待たされるといい加減精神的に疲れるねぇ。。。
検査結果は、『癌は大きいものの他への転移は現状ないと思われる』という診断。CTや骨ンシンチの画像を見ながら説明を受けたが、骨シンチでは一か所疑問点があったけど、これは前月地下鉄でひっくり返った時に打ったものかもしれないということで結果保留、そしてCTスキャンの方は、癌の問題以上に私の母羽が患った難病の可能性があるという話が出てきた。
癌の本体のもう一段詳しい検査と前の骨の影の詳細検査のために今週と連休明けにMRIでの検査を行い結果を出す。
セカンドオピニオンを受けたいという申し出でもし、快く受け入れてもらったけど、まだどこで受けるかを決めていないので、これからさがします。
まずは、一安心という結果でした。
癌の治療については、セカンドオピニオンの結果を踏まえて、来月から始める予定です。
前立腺がんの宣告を受けて1月。この間に検査がいくつかあって、転移していないことはわかったものの、この先の治療方針に対してセカンドオピニオンをもらうと担当医師に申し出でした。どこにするか決まったら紹介状を書くという返事をもらった。
それで、今日は、私の友人である外科・胃腸科の医師に相談に行ってきた。久々に会う友人は、快く相談に乗ってくれ(実は、診察で申し込みをしてある)、これまでの経過を詳しく話し、現在検査を受けている病院の名前と病状から、現在の病院でいいだろう、セカンドオピニオンの必要はないとのアドバイスをくれた。
ということで、セカンドオピニオンは撤回することになった。他にもいろいろとアドバイスをしてもらい、たまたま精密検査で見つかった他の病気の可能性についてもたまたまその病院に専門医がいたので、友人の診察の後に心電図を取った上で、その病気についての専門医にいろいろとアドバイスをもらった。
持つべきはやっぱり信頼のおける友人としての医師だということを再認識した。
本来なら、癌の疑いを宣告されたときに相談すべきだったのだが、疑いの宣告を受けたときには頭の中には友人の医師のことは全く出てこないというパニック状態だった。昨日の転移していないという宣告で、多少の落ち着きをもったことで友人に相談しようということになったのだ。
今思えば、最初から相談できていれば、もっともっと安心して検査を受けることができたのではないかと反省をしている。
しかし、今日のアドバイス自体が、私にとってのセカンドオピニオンだったと言えるのではないかと思っている。
*****
これで、ガン宣告10周年の記念投稿は終わりです。
この後の経過については、
「末期・前立腺がん 奇跡の軌跡」と題して18年9月2日から60回に渡って連載しています。私のブログで「奇跡の軌跡」をキーワードに検索すると一蘭をご覧いただけます。
もう10年も経つと・・・
旋回は、宣告に至る前の生態検査の様子を書いていました。今回は選考当日の私の様子を書いています。
以下の引用分は、この記事を書いているときに記入したコメントです
前立腺癌検査の結果 (4月26日)
先週2日に分けてのCTとRIの検査結果を聞きに行ってきた。予約j間を大幅に遅れて2時間以上待ちでの結果宣告。こういう検査結果を聞くのにこれだけ待たされるといい加減精神的に疲れるねぇ。。。
検査結果は、『癌は大きいものの他への転移は現状ないと思われる』という診断。CTや骨ンシンチの画像を見ながら説明を受けたが、骨シンチでは一か所疑問点があったけど、これは前月地下鉄でひっくり返った時に打ったものかもしれないということで結果保留、そしてCTスキャンの方は、癌の問題以上に私の母羽が患った難病の可能性があるという話が出てきた。
癌の本体のもう一段詳しい検査と前の骨の影の詳細検査のために今週と連休明けにMRIでの検査を行い結果を出す。
セカンドオピニオンを受けたいという申し出でもし、快く受け入れてもらったけど、まだどこで受けるかを決めていないので、これからさがします。
まずは、一安心という結果でした。
癌の治療については、セカンドオピニオンの結果を踏まえて、来月から始める予定です。
随分淡々と書いてますね。丸で人ごとのような気がします。
この件の結果を聞いた後、帰り道で買物のしている最中に友人から電話があって、「どうだった?」と聞かれて「大したことない」というようなことを言ったのだろう、于友人kら「本当にがん患者かあ?」と言われてしまった。人ごと見たいですねぇ、私。
ここで、別の病気の可能性が言われているが、それは「サルコイドージス」という難病。母親がこの病で命を落としている。心臓がやられてペースペーカーを入れて半年て逝ってしまった。
前立腺癌・セカンドオピニオン(4月27日)
前立腺がんの宣告を受けて1月。この間に検査がいくつかあって、転移していないことはわかったものの、この先の治療方針に対してセカンドオピニオンをもらうと担当医師に申し出でした。どこにするか決まったら紹介状を書くという返事をもらった。
それで、今日は、私の友人である外科・胃腸科の医師に相談に行ってきた。久々に会う友人は、快く相談に乗ってくれ(実は、診察で申し込みをしてある)、これまでの経過を詳しく話し、現在検査を受けている病院の名前と病状から、現在の病院でいいだろう、セカンドオピニオンの必要はないとのアドバイスをくれた。
ということで、セカンドオピニオンは撤回することになった。他にもいろいろとアドバイスをしてもらい、たまたま精密検査で見つかった他の病気の可能性についてもたまたまその病院に専門医がいたので、友人の診察の後に心電図を取った上で、その病気についての専門医にいろいろとアドバイスをもらった。
持つべきはやっぱり信頼のおける友人としての医師だということを再認識した。
本来なら、癌の疑いを宣告されたときに相談すべきだったのだが、疑いの宣告を受けたときには頭の中には友人の医師のことは全く出てこないというパニック状態だった。昨日の転移していないという宣告で、多少の落ち着きをもったことで友人に相談しようということになったのだ。
今思えば、最初から相談できていれば、もっともっと安心して検査を受けることができたのではないかと反省をしている。
しかし、今日のアドバイス自体が、私にとってのセカンドオピニオンだったと言えるのではないかと思っている。
このセカンドオピニオンをもらったとき、友人の意思は検査データを見て「他に洗濯の余地はない」とはっきりと断言している
つまりは、放射線は照射できない状態、手術も新順シテ分離できる状態でない。残された治療法は”ホルモン療法”ということになったのだ。
ホルモン療法脳有効性は一般に5年と言われている。その5年の間に新しい治療法も出てきているだろうから、それらない期待して生活するようにと言われている。
それが、もう10年も治療法を変えることなく、しかもがん病巣が消滅していくという、奇跡的な患者らしいのだ。
何とも恵まれた人間なのかもしれない私だ。
がん宣告された翌週に、京都旅行を計画していた、計画したときはがんのことなんて知らず似たのだが、癌とわかって子供たちが一緒に行くと言い出して、図らずも私がガンで式が近く、最期の旅行になるかもなんて思ったのかもしれない。
図らずも、原家族(嫁さんと孫除いた) 五人の、私の激励旅行とあいなった。
まぁ そのご10年も元気で生活しているので、ガン患者の扱いはされなくなってしまっテイル。
*****
これで、ガン宣告10周年の記念投稿は終わりです。
この後の経過については、
「末期・前立腺がん 奇跡の軌跡」と題して18年9月2日から60回に渡って連載しています。私のブログで「奇跡の軌跡」をキーワードに検索すると一蘭をご覧いただけます。
2021年04月08日
末期前立腺癌・宣告から10年 その10年前の様子 その2
末期の前立腺癌宣告の日から10周年の日です
もう10年も経つと・・・
旋回は、宣告に至る前の生態検査の様子を書いていました。今回は選考当日の私の様子を書いています。
以下の引用分は、この記事を書いているときに記入したコメントです
2011年4月8日
ガン宣告
先週の金曜日に前立腺がんの検査をした。その結果を今日聞きに行った。
がんの宣告を受けた。
それもなかなりきついガンとのことで、後は転移の有無の検査をしたうえでの対処法を考えるとのこと。ということで、この先2回検査をする。一つはアイソトープでも飲むのかな?その後放射線が体から出るといってたから。
今のところその辺までで、食事の制限もなく… ただ、当面激しい運動がご法度となった。
さて、来週は1泊2日で京都に行く予定なんだけど、これまでのように頑張って歩くことができないよなぁ。どうしよう…・・ しばし思案。
宣告されての気持ち。
宣告されたその時は『へぇ?』という感じ。念を押されてはじめて認識。が~~んというショックはなくて。まぁ、予想されていたことではあるからかもしれない。でもね、一縷の望みをもっていたからねぇ。
何か不思議な気分です。自覚症状がなかっただけに。担当医いわく『前立腺がんは自覚症状をおもちの方はほとんどいません』とのこと。
さてこれから、死ぬまでの間、どのくらいの期間あるか知らないけど、まずは、このがんとうまく付き合っていかねばならないことだけは認識と覚悟をもった。
20110年4が18日
あっけなく終了。
名前を呼ばれて部屋に入った。大きな輪っぱの中を通るのはわかっていたけど。説明してくれるけど、どうでもいいやぁ。上着を抜いて、金属製のものがなければそのままでベッドに寝っ転がる。ズボンだけはバックルなんかついているから図利下ろされて。。。。
寝っ転がってバンザイをしろと言われて、その姿勢でわっぱの中を一度通った。途中で息を止めろと言われて、楽にといわれるまでの10数秒が長く感じられる。
一度通ったところで、造影剤を注射。でっかい注射器でやってくれるんdなけど、ようりょうきいたら100CCもあるんだって。体重増えるやんと言ったら看護師さん笑ってたよ。
造影剤を打つと回音が急激に上がる。そして口の中にもにおいが、、ようは血液中に造影剤が回っていることが分かる
打ってからもう一度わっぱの中を通ったら、「もう終わりです』って。10分かかったのかなぁ?
トイレを我慢させられていたので、部屋から出て即トイレに駆け込む。
この検査の後 4月21日に 骨シンチの撮影を行っている
前立腺がん宣告を受けての転移の有無の検査の第2弾、RI(ラジオアイソトープ)を使った骨の検査。明日の朝10時にRIを注射されるのだけど、それからしばらく(数日らしい)の間私の体から放射能が放出される。行く場所によっては警報が鳴るらしい。
午前中に注射されて、体中にまわるのに3~4時間かかるらしいから、その間は好きに遊んでおいでだって。一旦病院に入って、また出て、そして戻ってくるなんて面倒だよなぁ。。どうやって時間つぶそうか思案中。
それにしても、この体から出る放射能はどのくらいなのだろう?今問題になっている原発の事故での放射能よりもうんと少ないのだろうと思うけど、どっかで引っかかって警報でもなったら、周りからいろんな目で見られそうだよな。
名古屋市内には、そんな警報が鳴るところはないと思うけど。。。
月曜日にやった第1弾とこの第2弾の結果で転移の有無が分かって、この先の処方が決まるわけだ。
月曜日に前立腺がんの転移の有無を検査するための第一弾としてCTスキャンをしたが、今日はRI骨シンチを第二弾としてした。
骨シンチは、癌が転移した骨の部位を注射したRI(ラジオアイソトープ)が集まってくることを利用して、癌転移をしるもののひとつのようです。
今日は、午前中にRIの注射をして、それからRIが体全部に行きわたるまでのタイムラグ(3時間半)立ってからRI検査のわっぱの中を20分かけと通って全身の骨の造影写真を撮った。
注射はカンタンに終わるのでいいけれど、撮影の20分の間はじっと動かないようにとベルトで固定されるので、ちょいときついなぁ。撮影が始まって少ししてから鼻がかゆくなったけど、終わるまでじっと我慢の子。何とか終了。終了したら、もう用はないからさっさと帰れって雰囲気ね。
(この後、病院の不手際が書かれている)
もう10年も経つと・・・
旋回は、宣告に至る前の生態検査の様子を書いていました。今回は選考当日の私の様子を書いています。
以下の引用分は、この記事を書いているときに記入したコメントです
2011年4月8日
実はその10年ま絵の4月8日は雨だったらしい
病院に出かける前に書いたのだろう
そのブログには
非情の雨になるのか?
午前11時半ころ
雨が降り出した
そんなに強くはないけれど
昨日までに開ききった桜は
その花びらをたたかれそう
風がないのがまだ救い
あす、あさっては
お花見で混むだろうに
このまま
弱い雨で過ぎてあげてください
雨が降り出した
そんなに強くはないけれど
昨日までに開ききった桜は
その花びらをたたかれそう
風がないのがまだ救い
あす、あさっては
お花見で混むだろうに
このまま
弱い雨で過ぎてあげてください
どうも診察前に書いたのではないかと思う
当時の大病院は予約していっても2時間愛情待ちなんてザラだった。へたすれば半日待ちなんてことも。
なので待ち時間の間に書いたのかもあしれない・・
ガンのことを書いたのではない
あの年はまだ桜の時期だった
その桜が雨で散らないことを思って硬のだろうが
なんと 私にとって”非常の雨”となるとは
そして診察後に書いたブログ記事
ガン宣告
先週の金曜日に前立腺がんの検査をした。その結果を今日聞きに行った。
がんの宣告を受けた。
それもなかなりきついガンとのことで、後は転移の有無の検査をしたうえでの対処法を考えるとのこと。ということで、この先2回検査をする。一つはアイソトープでも飲むのかな?その後放射線が体から出るといってたから。
今のところその辺までで、食事の制限もなく… ただ、当面激しい運動がご法度となった。
さて、来週は1泊2日で京都に行く予定なんだけど、これまでのように頑張って歩くことができないよなぁ。どうしよう…・・ しばし思案。
宣告されての気持ち。
宣告されたその時は『へぇ?』という感じ。念を押されてはじめて認識。が~~んというショックはなくて。まぁ、予想されていたことではあるからかもしれない。でもね、一縷の望みをもっていたからねぇ。
何か不思議な気分です。自覚症状がなかっただけに。担当医いわく『前立腺がんは自覚症状をおもちの方はほとんどいません』とのこと。
さてこれから、死ぬまでの間、どのくらいの期間あるか知らないけど、まずは、このがんとうまく付き合っていかねばならないことだけは認識と覚悟をもった。
うたって淡々と書いているけど、ひょっとしたらスェン刻された時は”放心状態”だったのかもしれない。後日友人の医師に相談に居合った際には顔面蒼白だったぞと言われた。
とにかく、ガン=死というイメおじがあったはずなのだが、宣告されて速死ぬということは全き思わなかったのは事実、それに「なんで俺ががんにならあん?」と思ったのも事実。
まぁとにかく、このがん宣告が周りに広がって、みんな私が死ぬのが近いと思ったらしい。しかし、そんなことを思ってくれた人たちを何人、私より先に送り出したのだろう?
前立腺癌 CTスキャン検査終了
20110年4が18日
あっけなく終了。
名前を呼ばれて部屋に入った。大きな輪っぱの中を通るのはわかっていたけど。説明してくれるけど、どうでもいいやぁ。上着を抜いて、金属製のものがなければそのままでベッドに寝っ転がる。ズボンだけはバックルなんかついているから図利下ろされて。。。。
寝っ転がってバンザイをしろと言われて、その姿勢でわっぱの中を一度通った。途中で息を止めろと言われて、楽にといわれるまでの10数秒が長く感じられる。
一度通ったところで、造影剤を注射。でっかい注射器でやってくれるんdなけど、ようりょうきいたら100CCもあるんだって。体重増えるやんと言ったら看護師さん笑ってたよ。
造影剤を打つと回音が急激に上がる。そして口の中にもにおいが、、ようは血液中に造影剤が回っていることが分かる
打ってからもう一度わっぱの中を通ったら、「もう終わりです』って。10分かかったのかなぁ?
トイレを我慢させられていたので、部屋から出て即トイレに駆け込む。
今現在のCT撮影はもっと簡単な感じがするね。
箇のとき造影剤を打っているが、その造影剤の注射でトラブル起こして、1ヶ月右手に力が入らなかったという逃げにことがあった。その後にも点滴でトラブルがあって、それ以来私は、この大病院では造影剤による検査はしないことになったらしい。
この検査の後 4月21日に 骨シンチの撮影を行っている
明日から私の体から放射能が・・
前立腺がん宣告を受けての転移の有無の検査の第2弾、RI(ラジオアイソトープ)を使った骨の検査。明日の朝10時にRIを注射されるのだけど、それからしばらく(数日らしい)の間私の体から放射能が放出される。行く場所によっては警報が鳴るらしい。
午前中に注射されて、体中にまわるのに3~4時間かかるらしいから、その間は好きに遊んでおいでだって。一旦病院に入って、また出て、そして戻ってくるなんて面倒だよなぁ。。どうやって時間つぶそうか思案中。
それにしても、この体から出る放射能はどのくらいなのだろう?今問題になっている原発の事故での放射能よりもうんと少ないのだろうと思うけど、どっかで引っかかって警報でもなったら、周りからいろんな目で見られそうだよな。
名古屋市内には、そんな警報が鳴るところはないと思うけど。。。
月曜日にやった第1弾とこの第2弾の結果で転移の有無が分かって、この先の処方が決まるわけだ。
骨シンチの検査は、10年前も現在も変わっていないと思う。ここでは造影剤を今でも打っていると思うえけど。.
前立腺癌検査 第2段 終了
月曜日に前立腺がんの転移の有無を検査するための第一弾としてCTスキャンをしたが、今日はRI骨シンチを第二弾としてした。
骨シンチは、癌が転移した骨の部位を注射したRI(ラジオアイソトープ)が集まってくることを利用して、癌転移をしるもののひとつのようです。
今日は、午前中にRIの注射をして、それからRIが体全部に行きわたるまでのタイムラグ(3時間半)立ってからRI検査のわっぱの中を20分かけと通って全身の骨の造影写真を撮った。
注射はカンタンに終わるのでいいけれど、撮影の20分の間はじっと動かないようにとベルトで固定されるので、ちょいときついなぁ。撮影が始まって少ししてから鼻がかゆくなったけど、終わるまでじっと我慢の子。何とか終了。終了したら、もう用はないからさっさと帰れって雰囲気ね。
(この後、病院の不手際が書かれている)
とにかくこれで、精密検査と言われているものが終了した、画像検査を元に、知了方針が決まります。
次回は
検査結果を聞きます。
2021年04月08日
末期前立腺癌・宣告から10年 その10年前の様子 その1
末期前立腺癌の千石を植えてから
今日でまる10年を経過した
その10年前のブログ記事
それを読むと
生体検査から宣告、精密検査などの経過書かれている
10年のいう時間は癌治療法には長い時間で
相当の治療法の変化があるとは思うが
まぁ検査kら治療方針決定までを知っておけれると
なにかの参考になるかもと思います
経過・その1 (引用部分は、今日書き込んだコメントです)
・前立腺癌検査
金曜日(2011年4月1日)に前立腺がんの疑いで検査を受けた。
検査といっても手術まがいなことが必要で、入院病室から看護師さんに連れられて手術室に向かった。この手術室の入口があまり気持ちのいいものではない。ステンレスのドアが待っている、まるで葬儀場の感じがしないでもない。『雰囲気を暖かくしてよ』って一言言ってみたけど、担当の看護師さんたちはどこ吹く風ですよぉ。
手術台に上がった。この台がこれまたあんまり感じのいいものではなくって・・・{書かないでおきましょう}
手術が始まった。最初は麻酔を打たれたようだが、せいぜいちくちくするくらいだったが、それが終わったら麻酔が効いているからとばかりに、お尻からピストルを打ち込むかのような衝撃。途中から打ち込まれる直前のことが分かるようになったけど、それが何かの意味があるかと言われれば、自分の力で制御できないから全く意味はない。
全部で10発(*実際は12本だったらしい)撃ち込まれた。打ち込まれてこれで開放。途中、かなり体に力が入っていたのだろう(当然だよな痛いもの)「力を抜いて」と数回言われた。終わって、帰りは安静ということで車いすに乗せられた。担当の看護師さんが来るまでしばらく検査担当の看護師さんが付き添っていた。多分、私が青い顔をしていたからではないかと思う。多分に痛さからの緊張と、多分出血でもしたのか貧血を起こしていたのではないかと思う。
ピストルを打ちこまれているような感じの間、後ろに心電図やら何やらの装置が見える。そこに表示されていた脈拍はなんと最低52まで下がったのだ。血圧は133/72位でまずは正常だったが。脈拍は平常時でも遅い方なので心配はないけど、それでもなぁ50近くまでの遅さは自覚としては初めてだな。
車いすで病室に戻った。これから止血剤を2時間かけて点滴する。担当した看護師さんは針のさし方も点滴のスピードもかなり慣れているのだろう。針はいたくなかったし、スピードは予定時間ぴったりだった。(翌日の点滴はそうはいかなかった)
この後、我慢していた排尿。安静ということで尿瓶でしたのだが、かなり血が出てシーツを汚さないようにと敷いたバスタオルが血で汚れたくらいだ。それに、最初の排尿は痛かったなぁ。。
この点滴の間に、体温がものすごく下がってきた。検温では35度2分と男では珍しいとまで言われてしまったくらいに。後から思ったことは、どうも前夜の食事が6時で、それから15時間の絶食で血糖値がかなり落ちていたのではないか。私血糖値が落ちるとものすごく体温下がるんです。
なんとか2時間、じっと我慢の寝たきり。小便もしたくなるけど、これまた尿瓶で、少し血は減っていた。2時間たってやっと終了。これでなんとか自由に動けるようにはなったものの、何か気分がよくない。トイレにいって初めての排尿。真っ赤である。しょうがないよねぇ。担当医も看護師も水をがぶがぶ飲めという。言われたとおりにがぶがぶ飲むからトイレに行くのが1時間おきくらいになっている。3回目くらいで何とか血の量が減ってきて、色が点滴と同じくらいになってきた。
とはいえ、体温上がらず。足の先がものすごく冷たい。といってなんともならないのだが。点滴が終わる少し前に息子が到着。腹がへって我慢できないからとパンを買いに行ってもらった。そのパンを点滴終了後にすぐにぱくついた。まるで子供だ。
それから先は、もう寝ているだけ。昼飯、晩飯と後はトイレに行くときだけおきだして。。。。
時間がたつにつれて血尿は減るものの、それでも血が混じらない時はほとんどない。人によっては出血しないこともあるのだとか。そんなこと言われるとただでさえ貧血気味の私にはあまり精神的にもよくないよなぁ。
夜は、9時消灯。そのまま素直に消すほどガキでもないのだけど、周りが暗くなって静かになると、なんだか眠くなってそのまま気を失ったように。とはいえ水をがぶ飲みしているのでトイレに行く回数が多いこと。周りには迷惑だったかもしれない。
翌朝(3日目)夜中の4時ころに目が覚めてから寝付けなくて、そのまま6時になって。。。だんだん周囲が動き始めたけど、寝不足気味でなかなか動く気にもなれずにいた。朝食は8時。しかしお腹が空きすぎているので、前日買ってもらったパンを1個食事の前に食べる。
8時になって朝食が来た。美味しかった。この2泊3日の間の食事で初めて汁ものが出た。この朝の検温は36度2分。平熱より少し高い。脈拍は56だったか、血圧は132だったと思う。まぁ正常に近いですが、まだ血尿です。夜中より少し増えたかも。
9時になってまた点滴。最初スピードが遅すぎて。。。。トイレに行って戻ったら点滴が止まった。と、そのときは。座ったら少し戻ったが、あまり遅いのでナースコールで看護師さんに来てもらって調節してもらう。早くなったおかげで血管が少々痛い。
この2時間の間、トイレに行く以外は寝ていたのだが、(寝てる方が点滴にはいいといわれたので)だんだん腰が痛くなり、最後はちょっと我慢の限界を超え始めた。寝返りを打つだけ。それでもなんとか我慢して、終了。
息子に荷物を片づけてもらって、帰り支度。忘れ物ないように注意して、病室を出る。廊下で看護師さんに出会い、リストバンド(名前やバーコードの印刷されたもの)を切ってもらって放免された。
今日(記述した日)は、それから丸1日と半分過ぎようとしているけど、血尿はあったりなかったり。水は相変わらずがぶ飲み。おかげで自宅でも夜中1時間ごとにトイレに。昼寝しても途中で夢破れてトイレに。
これがいつまで続くのか・・・・・ 多分、次の外来までかもなぁ。。
*****
今日でまる10年を経過した
その10年前のブログ記事
それを読むと
生体検査から宣告、精密検査などの経過書かれている
10年のいう時間は癌治療法には長い時間で
相当の治療法の変化があるとは思うが
まぁ検査kら治療方針決定までを知っておけれると
なにかの参考になるかもと思います
経過・その1 (引用部分は、今日書き込んだコメントです)
この4月8日にガン宣告を受けたが
その宣告となる検査を4月1日に入院で行っている
それを耐震した3日に掻いたブログを処す介しておこう
これが 前立腺がんの整体検査だということ
もう10年も立つので変わっているかも知れないが
・前立腺癌検査
金曜日(2011年4月1日)に前立腺がんの疑いで検査を受けた。
検査といっても手術まがいなことが必要で、入院病室から看護師さんに連れられて手術室に向かった。この手術室の入口があまり気持ちのいいものではない。ステンレスのドアが待っている、まるで葬儀場の感じがしないでもない。『雰囲気を暖かくしてよ』って一言言ってみたけど、担当の看護師さんたちはどこ吹く風ですよぉ。
ブログには書いていなかったが、記憶では樹種津室には女性がたくさん並んでいた。ここで下半身を晒すというのは、木は透かし鋳物があったと記憶している
手術台に上がった。この台がこれまたあんまり感じのいいものではなくって・・・{書かないでおきましょう}
手術が始まった。最初は麻酔を打たれたようだが、せいぜいちくちくするくらいだったが、それが終わったら麻酔が効いているからとばかりに、お尻からピストルを打ち込むかのような衝撃。途中から打ち込まれる直前のことが分かるようになったけど、それが何かの意味があるかと言われれば、自分の力で制御できないから全く意味はない。
全部で10発(*実際は12本だったらしい)撃ち込まれた。打ち込まれてこれで開放。途中、かなり体に力が入っていたのだろう(当然だよな痛いもの)「力を抜いて」と数回言われた。終わって、帰りは安静ということで車いすに乗せられた。担当の看護師さんが来るまでしばらく検査担当の看護師さんが付き添っていた。多分、私が青い顔をしていたからではないかと思う。多分に痛さからの緊張と、多分出血でもしたのか貧血を起こしていたのではないかと思う。
ピストルを打ちこまれているような感じの間、後ろに心電図やら何やらの装置が見える。そこに表示されていた脈拍はなんと最低52まで下がったのだ。血圧は133/72位でまずは正常だったが。脈拍は平常時でも遅い方なので心配はないけど、それでもなぁ50近くまでの遅さは自覚としては初めてだな。
車いすで病室に戻った。これから止血剤を2時間かけて点滴する。担当した看護師さんは針のさし方も点滴のスピードもかなり慣れているのだろう。針はいたくなかったし、スピードは予定時間ぴったりだった。(翌日の点滴はそうはいかなかった)
この後、我慢していた排尿。安静ということで尿瓶でしたのだが、かなり血が出てシーツを汚さないようにと敷いたバスタオルが血で汚れたくらいだ。それに、最初の排尿は痛かったなぁ。。
この点滴の間に、体温がものすごく下がってきた。検温では35度2分と男では珍しいとまで言われてしまったくらいに。後から思ったことは、どうも前夜の食事が6時で、それから15時間の絶食で血糖値がかなり落ちていたのではないか。私血糖値が落ちるとものすごく体温下がるんです。
なんとか2時間、じっと我慢の寝たきり。小便もしたくなるけど、これまた尿瓶で、少し血は減っていた。2時間たってやっと終了。これでなんとか自由に動けるようにはなったものの、何か気分がよくない。トイレにいって初めての排尿。真っ赤である。しょうがないよねぇ。担当医も看護師も水をがぶがぶ飲めという。言われたとおりにがぶがぶ飲むからトイレに行くのが1時間おきくらいになっている。3回目くらいで何とか血の量が減ってきて、色が点滴と同じくらいになってきた。
とはいえ、体温上がらず。足の先がものすごく冷たい。といってなんともならないのだが。点滴が終わる少し前に息子が到着。腹がへって我慢できないからとパンを買いに行ってもらった。そのパンを点滴終了後にすぐにぱくついた。まるで子供だ。
それから先は、もう寝ているだけ。昼飯、晩飯と後はトイレに行くときだけおきだして。。。。
時間がたつにつれて血尿は減るものの、それでも血が混じらない時はほとんどない。人によっては出血しないこともあるのだとか。そんなこと言われるとただでさえ貧血気味の私にはあまり精神的にもよくないよなぁ。
夜は、9時消灯。そのまま素直に消すほどガキでもないのだけど、周りが暗くなって静かになると、なんだか眠くなってそのまま気を失ったように。とはいえ水をがぶ飲みしているのでトイレに行く回数が多いこと。周りには迷惑だったかもしれない。
翌朝(3日目)夜中の4時ころに目が覚めてから寝付けなくて、そのまま6時になって。。。だんだん周囲が動き始めたけど、寝不足気味でなかなか動く気にもなれずにいた。朝食は8時。しかしお腹が空きすぎているので、前日買ってもらったパンを1個食事の前に食べる。
8時になって朝食が来た。美味しかった。この2泊3日の間の食事で初めて汁ものが出た。この朝の検温は36度2分。平熱より少し高い。脈拍は56だったか、血圧は132だったと思う。まぁ正常に近いですが、まだ血尿です。夜中より少し増えたかも。
9時になってまた点滴。最初スピードが遅すぎて。。。。トイレに行って戻ったら点滴が止まった。と、そのときは。座ったら少し戻ったが、あまり遅いのでナースコールで看護師さんに来てもらって調節してもらう。早くなったおかげで血管が少々痛い。
この2時間の間、トイレに行く以外は寝ていたのだが、(寝てる方が点滴にはいいといわれたので)だんだん腰が痛くなり、最後はちょっと我慢の限界を超え始めた。寝返りを打つだけ。それでもなんとか我慢して、終了。
息子に荷物を片づけてもらって、帰り支度。忘れ物ないように注意して、病室を出る。廊下で看護師さんに出会い、リストバンド(名前やバーコードの印刷されたもの)を切ってもらって放免された。
今日(記述した日)は、それから丸1日と半分過ぎようとしているけど、血尿はあったりなかったり。水は相変わらずがぶ飲み。おかげで自宅でも夜中1時間ごとにトイレに。昼寝しても途中で夢破れてトイレに。
これがいつまで続くのか・・・・・ 多分、次の外来までかもなぁ。。
*****
異常が、生体検査(お尻から針を打ち込んで細胞摂取いて顕微鏡検査する)の手術の前後の様子です。
この入院の日木曜日で、検査が金曜日で息子は仕事を休んで広島から来てくれた。なんだか心強かった記憶がある。
現在はどんな検査をしているのかわからないが、政権で細胞接すの補法は変わらないかもしれない。
この次の記事は
癌宣告される当日の私のブログ記事です
2021年04月08日
4月8日 木曜日 晴 冷たい乾いた風少し 10周年記念日
今日は書きたいことがいっぱい
最初にやはりこれは書かにといけないこと
末期前立腺癌宣告から 10年を経過した
毎年書いていることだけど
1年1年が私にとっての節目
最初はどれだけ生きられるか思ったことなかった
周りがみんな
いのち短いと思ったようで
いろいろ気を使ってくれた
が
10年も経つと
癌で死期が近いなんて
全く思ってもいない
逆に思っている可能性すらある
何にしても
が1お年生きながらえたとはいえ
癌病巣は消えたと言われてるとはいえ
癌から解放されたわけではない
宣告されたときに
主治医に言った言葉
「死ぬまで仲良くお付き合いします」
これが
今でも私の思っていること
癌と闘うのではなく
悪さしないように頼んで
共存すること
余命宣告はそのときなかった
しかし後日担当医に聞いた
「余命どのくらいでした?」
担当は
「知らずにいたら半年くらいだったか」
知ったとはいえ
ここまで癌病巣が消えてくるとは
担当医も思っていなかったようだ
数年して
秒安定ということで病院が変わった
その今の病院の担当医は
「これだけ長く同じ治療法で」
「10年というのは奇跡的だ」
と
現在は
骨シンチ、C画像などの検査結果では
転移もなく順調に経過しているとのこと
他の前立腺癌患者さんの
一つのいい事例となってもらえれば幸いです
****
この後いくつかの過去のブログを
再掲載します
・生体検査の様子
・骨シンチによる転移確認検査
などなど
最初にやはりこれは書かにといけないこと
末期前立腺癌宣告から 10年を経過した
毎年書いていることだけど
1年1年が私にとっての節目
最初はどれだけ生きられるか思ったことなかった
周りがみんな
いのち短いと思ったようで
いろいろ気を使ってくれた
が
10年も経つと
癌で死期が近いなんて
全く思ってもいない
逆に思っている可能性すらある
何にしても
が1お年生きながらえたとはいえ
癌病巣は消えたと言われてるとはいえ
癌から解放されたわけではない
宣告されたときに
主治医に言った言葉
「死ぬまで仲良くお付き合いします」
これが
今でも私の思っていること
癌と闘うのではなく
悪さしないように頼んで
共存すること
余命宣告はそのときなかった
しかし後日担当医に聞いた
「余命どのくらいでした?」
担当は
「知らずにいたら半年くらいだったか」
知ったとはいえ
ここまで癌病巣が消えてくるとは
担当医も思っていなかったようだ
数年して
秒安定ということで病院が変わった
その今の病院の担当医は
「これだけ長く同じ治療法で」
「10年というのは奇跡的だ」
と
現在は
骨シンチ、C画像などの検査結果では
転移もなく順調に経過しているとのこと
他の前立腺癌患者さんの
一つのいい事例となってもらえれば幸いです
****
この後いくつかの過去のブログを
再掲載します
・生体検査の様子
・骨シンチによる転移確認検査
などなど
2021年04月07日
4月7日 水曜日 快晴 ちょっと強風 ヤマザクラ満開
昨夜は8時ごろから雨になったようだ
”ようだ”というのは
私は雨音がわからない
相方が”「雨降ってきたみたい」と
寝る前に窓から外をみた
路面が濡れて雨の姿が
朝7時に起きて新聞入れに
路面は濡れている
新聞はビニール袋に入っている
でも
空は快晴
すごく綺麗な青だ
庭のチェック
咲いているのは
フリージアの赤紫
そして数輪のソメイヨシノ
今はヤマザクラ
今朝は満開で迎えてくれた
昨夜の雨と風邪にも耐え抜いたようで
庭はどんどん影が増えていく
柿の木も歯があ大きくなってきた
快晴の空をバクに
秋にはこのショットに
赤く甘い実がいっぱいつていると
そんなことを思いながら
モミジの葉もかなり茂って
庭の中央に大きな影を作っている
夏は秋の木と紅葉の影で
少しは涼しいくなると
海のシャチは今日も元気です
今日は昼間一人になります
当然の如く木彫りをします
昨日刃物研ぎしたもんな
体のふらつきは
かなりおさまってきました
昨日は運転支障なしでした
”ようだ”というのは
私は雨音がわからない
相方が”「雨降ってきたみたい」と
寝る前に窓から外をみた
路面が濡れて雨の姿が
朝7時に起きて新聞入れに
路面は濡れている
新聞はビニール袋に入っている
でも
空は快晴
すごく綺麗な青だ
庭のチェック
咲いているのは
フリージアの赤紫
そして数輪のソメイヨシノ
今はヤマザクラ
今朝は満開で迎えてくれた
昨夜の雨と風邪にも耐え抜いたようで
庭はどんどん影が増えていく
柿の木も歯があ大きくなってきた
快晴の空をバクに
秋にはこのショットに
赤く甘い実がいっぱいつていると
そんなことを思いながら
モミジの葉もかなり茂って
庭の中央に大きな影を作っている
夏は秋の木と紅葉の影で
少しは涼しいくなると
海のシャチは今日も元気です
今日は昼間一人になります
当然の如く木彫りをします
昨日刃物研ぎしたもんな
体のふらつきは
かなりおさまってきました
昨日は運転支障なしでした
2021年04月06日
掃除と刃物研ぎと買い物と孫の入学式と
今日は午前中
木彫りの部屋の大掃除
まぁ木屑がいっぱい出てきた
1時間半くらいで終わると思ったが
何と2時間半ちかく
おかげで予定していた
刃物研ぎは午後にずれ込んだ
昼飯にピザ焼いて
食べ終えて即
刃物研ぎに
2時間近くかかったなぁ
というもの
坂裏の木にも2が負けて
刃こぼれしていた
それを修正しなければいかんので
かなり研いだ
だから時間がね
刃こぼれが何と3本もあったのだ
どれだけ硬いサクラだと。.。
何とか刃物研ぎを終えて
ちょいとお休みして
車出して
ドライブ
ニトリまで行って
椅子を買ったけど
在庫なくて
また後日いかねば。。。
帰り道で
自称激安スーパーに
明日休みで
売りきりのために値引シールいっぱい
何だか儲けたような気になったが
帰ってきて
晩飯作り
峰葉業さを焼いて
(ぎょうさとラーメンは私の役目)
食べ終わって
これを書いている
私が刃物研ぎしている間に
娘から今日の入学式の報告
なんでも孫は緊張してしまって
朝飯食えなかったとか
幼稚園とは違って
どんな友達と一緒になるのか?
不安だったらしい
それでも
クラスに入って
小さい時からクラブで遊んでいること
同じになったりしたことで
ほっとして喜んで帰ってきたと
701年前の
ワツァ火の入学式
そんなに緊張してたかな?
はるかかなたのあ思い出
霞んで見えないわ
さてさて
ピカピカの1年生は
友だち100人できるかな?
木彫りの部屋の大掃除
まぁ木屑がいっぱい出てきた
1時間半くらいで終わると思ったが
何と2時間半ちかく
おかげで予定していた
刃物研ぎは午後にずれ込んだ
昼飯にピザ焼いて
食べ終えて即
刃物研ぎに
2時間近くかかったなぁ
というもの
坂裏の木にも2が負けて
刃こぼれしていた
それを修正しなければいかんので
かなり研いだ
だから時間がね
刃こぼれが何と3本もあったのだ
どれだけ硬いサクラだと。.。
何とか刃物研ぎを終えて
ちょいとお休みして
車出して
ドライブ
ニトリまで行って
椅子を買ったけど
在庫なくて
また後日いかねば。。。
帰り道で
自称激安スーパーに
明日休みで
売りきりのために値引シールいっぱい
何だか儲けたような気になったが
帰ってきて
晩飯作り
峰葉業さを焼いて
(ぎょうさとラーメンは私の役目)
食べ終わって
これを書いている
私が刃物研ぎしている間に
娘から今日の入学式の報告
なんでも孫は緊張してしまって
朝飯食えなかったとか
幼稚園とは違って
どんな友達と一緒になるのか?
不安だったらしい
それでも
クラスに入って
小さい時からクラブで遊んでいること
同じになったりしたことで
ほっとして喜んで帰ってきたと
701年前の
ワツァ火の入学式
そんなに緊張してたかな?
はるかかなたのあ思い出
霞んで見えないわ
さてさて
ピカピカの1年生は
友だち100人できるかな?
2021年04月06日
4月6日 火曜日 晴(うっすらと雲) 弱風 ちょい寒
昨夜は久々に
ブランデーを飲んで
寝床に潜った
ほぼ即熟睡
目が覚めたのは3時半
4時間半熟睡したようだ
6時半に薬飲んでまた寝床に
7時半に起き出して日常の開始
新聞入れに外に出たら
薄曇りだった
これを書いている今は
晴と言って良いだろう
でも何だかうっすらと
あぁ
今日は孫の入学式だ
今日から1年坊主
蝶ネクタイしてお出かけだろうな
おめでとうと言ってやりたいが
近くにいない
残念
庭のチェック
もうボケは皆無
ソメイヨシノは数輪残している
ヤマザクラが八分咲き
ちいさいけど
かわいい桜です
昨日Instagramにはあげたけど
ブログにはあげなかった
ツルニチソウ
風が強かったので
花が揺れてボケてます
歯医者に行く途中で見かけた
今日は
木彫りはお休みです
午前中は
木彫り部屋の大掃除
そして
時間があれば
ノミ、彫刻刀などを研ぎます
時間がないと午後にずれ込みそう
それが終わったら
買いもに出かけます
行き先はNITORI
椅子を探しに
海のシャチは今日も元気です
木彫りはお休みだけど
お掃除するんで
疲れそう
買い物は運転大丈夫かな?
ブランデーを飲んで
寝床に潜った
ほぼ即熟睡
目が覚めたのは3時半
4時間半熟睡したようだ
6時半に薬飲んでまた寝床に
7時半に起き出して日常の開始
新聞入れに外に出たら
薄曇りだった
これを書いている今は
晴と言って良いだろう
でも何だかうっすらと
あぁ
今日は孫の入学式だ
今日から1年坊主
蝶ネクタイしてお出かけだろうな
おめでとうと言ってやりたいが
近くにいない
残念
庭のチェック
もうボケは皆無
ソメイヨシノは数輪残している
ヤマザクラが八分咲き
ちいさいけど
かわいい桜です
昨日Instagramにはあげたけど
ブログにはあげなかった
ツルニチソウ
風が強かったので
花が揺れてボケてます
歯医者に行く途中で見かけた
今日は
木彫りはお休みです
午前中は
木彫り部屋の大掃除
そして
時間があれば
ノミ、彫刻刀などを研ぎます
時間がないと午後にずれ込みそう
それが終わったら
買いもに出かけます
行き先はNITORI
椅子を探しに
海のシャチは今日も元気です
木彫りはお休みだけど
お掃除するんで
疲れそう
買い物は運転大丈夫かな?
2021年04月05日
秋の展覧会に向けて 18 丸太を彫る 手相を彫る
今日は早起き
朝の記事アップも
いつもより1時間早い
9時15分に木彫りの部屋に行って
即始めた
と言っても
昨日少し湿らせたので
その覆いをとった
どうもやってはいけないkとをしたかも
木肌が
何となくボロボロになっている
予期していなかった
ヒノキなんかと違う結果になっている
それでも
ここまできたら
何とか完成させなければ
よいうことで
色々試している
今日はあ終わって
湿らせるのはやめた
空気乾燥しているから
すぐまた乾燥するだろうともう
硬くなるなぁ
今日の結果
今日は手相を掘り込んだ
私の手相をそのまま
でもないな
1番の吉相の運命線
これは刻んでないからな
でも吉相もってても
当たらんもんですねぇ
当たってたら
今頃
ノーベル賞もらってたかもね
今日の桜チップ
だんだん出なくなる
明日は木彫りはお休み
その代わりに
刃物研ぎをします
しないと綺麗な面が彫れない
そして
久々に部屋の大掃除をします
いつもは
1作品完成するとするんだけど
今回のはいつ完成するかわからん
おそらく後少なくとも2ヶ月はかかりそう
なので
一度桜チップを放り出さないと
(これは今日の終わりにやっておいた)
そんでもって
もっと掃除しやすいように考えて
セッティングするつもり
ダンボール足りるかなぁ?
朝の記事アップも
いつもより1時間早い
9時15分に木彫りの部屋に行って
即始めた
と言っても
昨日少し湿らせたので
その覆いをとった
どうもやってはいけないkとをしたかも
木肌が
何となくボロボロになっている
予期していなかった
ヒノキなんかと違う結果になっている
それでも
ここまできたら
何とか完成させなければ
よいうことで
色々試している
今日はあ終わって
湿らせるのはやめた
空気乾燥しているから
すぐまた乾燥するだろうともう
硬くなるなぁ
今日の結果
今日は手相を掘り込んだ
私の手相をそのまま
でもないな
1番の吉相の運命線
これは刻んでないからな
でも吉相もってても
当たらんもんですねぇ
当たってたら
今頃
ノーベル賞もらってたかもね
今日の桜チップ
だんだん出なくなる
明日は木彫りはお休み
その代わりに
刃物研ぎをします
しないと綺麗な面が彫れない
そして
久々に部屋の大掃除をします
いつもは
1作品完成するとするんだけど
今回のはいつ完成するかわからん
おそらく後少なくとも2ヶ月はかかりそう
なので
一度桜チップを放り出さないと
(これは今日の終わりにやっておいた)
そんでもって
もっと掃除しやすいように考えて
セッティングするつもり
ダンボール足りるかなぁ?
2021年04月05日
4月5日 月曜日 晴 冷たい風 ボケとソメイヨシノ終わりに
昨夜は11時就寝
夜中一度起きたような気がする
朝6時に目が覚めて
そのまま起床
新聞入れに外に出たら
暖かいけど
吹いている西からの風が冷たい
すごくアンバランス
雨上がりにはよくあることだけど
そのまま朝飯作って
新聞読みながら
ドラゴンズが負けた記事読んだり
(根尾くんがまた出してもらえなくなった)
テレビをつけて
BSで朝ドラを見る
昭和20年3月の大阪大空襲
この辺りに名古屋も大空襲があったはず
名古屋城が落ちたんでなかったかな?
我が家は幸い燃えなかったが
私はまだ2歳になっていない
新聞入れた時
一度庭のチェックをした
ソメイヨシノとボケが終焉
昨日の雨と風で
ソメイヨシノはかなり飛ばされている
その時は写真は
撮らずににと思ったが
朝ドラ見た後にカメラ持ち出して
ボケの最後を撮っておこうかと
ボケの花はもう3輪だけになった
他は花弁飛ばされてしまった
この3輪みんな
咲き終えたのを従えている
花房が膨らんでいるのある
大きくなってくれ
そして
まだ数えれば結構な数の
ソメイヨシノ
朝の青空をバックに
もう葉っぱの方が大きくて
雨と風に耐えて残った
これも今日の風で終わるかも
こちらはヤマザクラ
小けどね
これは飛ばされてるなぁ
今日のショットで
ボケの花とソメイヨシノは終わり
(多分)
今朝の体調
朝起きて
体の揺れが少し残っている
もう1週間くらいになるが
頭を動かすと
頭の中で脳味噌が
あちこち転がるような感じで
その度にアタがふらつく
メニエルの症状にこれがあったはず
耳の中で
何かが動いているのかも
ただ
メニエルの顕著な症状
目が回るということはない
ただ体が揺れている感じ
例えていうなら
分厚いウレタンマットの
上を歩いてい感じかな
あんまり気持ちの良いもんでないな
海のシャチは今日も元気です
今日は歯医者に行きます
なので木彫りは午前だけ
記事アップしたら
木彫りの廊下に
夜中一度起きたような気がする
朝6時に目が覚めて
そのまま起床
新聞入れに外に出たら
暖かいけど
吹いている西からの風が冷たい
すごくアンバランス
雨上がりにはよくあることだけど
そのまま朝飯作って
新聞読みながら
ドラゴンズが負けた記事読んだり
(根尾くんがまた出してもらえなくなった)
テレビをつけて
BSで朝ドラを見る
昭和20年3月の大阪大空襲
この辺りに名古屋も大空襲があったはず
名古屋城が落ちたんでなかったかな?
我が家は幸い燃えなかったが
私はまだ2歳になっていない
新聞入れた時
一度庭のチェックをした
ソメイヨシノとボケが終焉
昨日の雨と風で
ソメイヨシノはかなり飛ばされている
その時は写真は
撮らずににと思ったが
朝ドラ見た後にカメラ持ち出して
ボケの最後を撮っておこうかと
ボケの花はもう3輪だけになった
他は花弁飛ばされてしまった
この3輪みんな
咲き終えたのを従えている
花房が膨らんでいるのある
大きくなってくれ
そして
まだ数えれば結構な数の
ソメイヨシノ
朝の青空をバックに
もう葉っぱの方が大きくて
雨と風に耐えて残った
これも今日の風で終わるかも
こちらはヤマザクラ
小けどね
これは飛ばされてるなぁ
今日のショットで
ボケの花とソメイヨシノは終わり
(多分)
今朝の体調
朝起きて
体の揺れが少し残っている
もう1週間くらいになるが
頭を動かすと
頭の中で脳味噌が
あちこち転がるような感じで
その度にアタがふらつく
メニエルの症状にこれがあったはず
耳の中で
何かが動いているのかも
ただ
メニエルの顕著な症状
目が回るということはない
ただ体が揺れている感じ
例えていうなら
分厚いウレタンマットの
上を歩いてい感じかな
あんまり気持ちの良いもんでないな
海のシャチは今日も元気です
今日は歯医者に行きます
なので木彫りは午前だけ
記事アップしたら
木彫りの廊下に
2021年04月04日
秋の展覧会に向けて 17 丸太を彫る 指を切る
昨日は久々に
木彫りの休養日をなった
肩の張りが続いているので
1日休めば少しは楽になるという
そんな考えもあったのだが
たいして軽くあってないな
というのも
気温が寒くなったからだ
寒いとどうしても体が硬くなる
今日は
起きたのが早かったので
木彫りをする時間も早くなった
9時半に木彫りの部屋に移動
寒いから最初は少しファンヒータ
まぁ10分くらいで止めたけど
今日は
午前2時間半
午後2時間
合計4時間半彫った
と言ってもこれまでのように
力一杯叩くことは少なく
小さい木槌でコツコツが多くなった
今日は右手の指をいじっていた
細く長くする作業
ただ端の細く削ればいいってもんでもないで
結構坂目を削るというしんどい仕事
なので
4時間半彫った割に
進んでるとは思えないわなぁ
右が細くなった分
左の太さが際立つ
いずれ左も細くなるはず
今日は小指を短くするので
切り落としたのだが
木屑の中の上の方に丸いのが2個
これが左右の小指を切ったやつ
この作業では
鋸を使ったのだが
危うく自分の人差し指を
切り落とすところだった
どじ丸出し
木彫りの休養日をなった
肩の張りが続いているので
1日休めば少しは楽になるという
そんな考えもあったのだが
たいして軽くあってないな
というのも
気温が寒くなったからだ
寒いとどうしても体が硬くなる
今日は
起きたのが早かったので
木彫りをする時間も早くなった
9時半に木彫りの部屋に移動
寒いから最初は少しファンヒータ
まぁ10分くらいで止めたけど
今日は
午前2時間半
午後2時間
合計4時間半彫った
と言ってもこれまでのように
力一杯叩くことは少なく
小さい木槌でコツコツが多くなった
今日は右手の指をいじっていた
細く長くする作業
ただ端の細く削ればいいってもんでもないで
結構坂目を削るというしんどい仕事
なので
4時間半彫った割に
進んでるとは思えないわなぁ
右が細くなった分
左の太さが際立つ
いずれ左も細くなるはず
今日は小指を短くするので
切り落としたのだが
木屑の中の上の方に丸いのが2個
これが左右の小指を切ったやつ
この作業では
鋸を使ったのだが
危うく自分の人差し指を
切り落とすところだった
どじ丸出し
2021年04月04日
4月4日 日曜日 曇り・パラパラ雨 寒い日になったが・・
昨夜はTVで気に入ったのがなかった
仕方ないので
録画した多量の映画の中で
クリントイーストウッドの
「ハートブレイク・リッジ」というのを
みていた
いい映画だったかな
我が身を置き換えるほどの頑固オヤジ
(と言って戦争に対してではない)
みおえて
他にすることもないので
布団に潜った
10時半くらいかな?
夜中寒くて2度目が覚めた
朝は6時過ぎに起き出して
新聞入れて
メダカに餌やって
腹が減っていたので
朝飯作って
新聞読みながら食べた
腹が膨れたところで
ランタン挿しに庭に
ついでに庭のチェック
ヤマザクラが
やっと開花したと言える華が
小さい華です
ソメイヨシノに比べると
5分の1くらいかな
今は白が開いただけですが
薄いピンクもあるかも
これは開いたけど
ショットの前に散らされている
この先開く予備軍です
結構たくさんあります
ソメイヨシノは
もう終焉に向かっている
名残惜しいというのは
今年はないなぁ
嵐に荒らされたからな
ソメイヨシノとフリージア
木の裾に咲く名残の桜
ニワザクラ
(flowering almond)
ファインダー覗かないで
地面すれすれからのショット
綺麗な花びらなだなぁ
植え替えしたいけど・・・
ボケはもう終わります
最後の綺麗は花
下には終わった華が
終われば今度は実がなるを
半年待ちます
そしてまた蜂蜜漬けにするのだ
ツツジの花が顔を出して
さていいか様子を伺ってます
今はこの2輪だけです
ホオジロが親子で来てますが・・・
海のシャチは今日も元気です
今日は終日の雨予報
薄暗いなぁ
木彫りの部屋に行って
無理しない程度に
彫ってきます
仕方ないので
録画した多量の映画の中で
クリントイーストウッドの
「ハートブレイク・リッジ」というのを
みていた
いい映画だったかな
我が身を置き換えるほどの頑固オヤジ
(と言って戦争に対してではない)
みおえて
他にすることもないので
布団に潜った
10時半くらいかな?
夜中寒くて2度目が覚めた
朝は6時過ぎに起き出して
新聞入れて
メダカに餌やって
腹が減っていたので
朝飯作って
新聞読みながら食べた
腹が膨れたところで
ランタン挿しに庭に
ついでに庭のチェック
ヤマザクラが
やっと開花したと言える華が
小さい華です
ソメイヨシノに比べると
5分の1くらいかな
今は白が開いただけですが
薄いピンクもあるかも
これは開いたけど
ショットの前に散らされている
この先開く予備軍です
結構たくさんあります
ソメイヨシノは
もう終焉に向かっている
名残惜しいというのは
今年はないなぁ
嵐に荒らされたからな
ソメイヨシノとフリージア
木の裾に咲く名残の桜
ニワザクラ
(flowering almond)
ファインダー覗かないで
地面すれすれからのショット
綺麗な花びらなだなぁ
植え替えしたいけど・・・
ボケはもう終わります
最後の綺麗は花
下には終わった華が
終われば今度は実がなるを
半年待ちます
そしてまた蜂蜜漬けにするのだ
ツツジの花が顔を出して
さていいか様子を伺ってます
今はこの2輪だけです
ホオジロが親子で来てますが・・・
海のシャチは今日も元気です
今日は終日の雨予報
薄暗いなぁ
木彫りの部屋に行って
無理しない程度に
彫ってきます
2021年04月03日
久しぶりの木彫りの休養日
今日は
買い物に行く予定だった
なので木彫りはできないと踏んでいた
でも
午後時間があったら
少し彫るかとは思っていた
午前中に
行くかと思ってけど
相方はいかないというし
庭を見ていて
木蓮の枝が伸び始めているので
上に伸びたのを切り取ることにした
木蓮の剪定は
冬の間にやれという記事が多かったが
ただ一つだけ
花が終わったら切ってよしというのがあった
花が終わったばかりなら
花芽を気にすることもないし
とはいえ初めてのことなので
特に長いのだけを切り取って
それで終わりとした
それでも結構切ったなぁ
それとついでに
サクラと喧嘩しそうな
ちょっと大きい枝を切り落としてやった
そんなことしていたら午前は潰れてしまった
木蓮の枝落としで
上を見ていたのだが
何だか体がふらついている
ここ数日に症状だが
軽い目眩に近いものがある
じっと座っていればなんてことないのだが
歩くと真っ直ぐとはいかない
何とか枝落としはできた
昼飯食べたあと
メダカの水槽をいじっていた
まぁ動かなければ何てこないので
やっている途中で相方が
買い物に行こうと
目眩の症状があるからと
今日は相方の運転で出かけた
が
車に乗る前に足をくじいてしまった
(歩いているうちに痛みなくなった)
スーパーについて
車に乗せている杖を使って
店内を歩いた
目的のものはメモしていったので
間違いなく買い終えた
最後にホテイアオイを5個買った
これはメダカの産卵用になるやつ
スーパーで帰る際
エレベータに乗ったのだが
ひどい咳をしている人がいた
この時期咳をする人は来ないでほしいよなぁ
なんて周りはみんな思っていたようだ
エレベーターに乗るのを避けた人もいたくらい
家に帰って
メダカの水槽を洗って
ホテイアオイを入れて置いた
いずれここに
先日窓と引っ越しさせたメダカを
戻してやるつもり
ただ、この先
この水槽をどこにおくか
今の位置だと真夏の直射日光を浴びる
まぁ日除を作ってやるより
しょうがないかと思ってはいるが
部屋に戻って
椅子に座ったら
眠くなってきたので
布団敷いて寝ることに
1時間熟睡
目眩は少し軽くなった
疲れているのかなぁ?
まぁ休んだから少しはわかるだろう
明日も無理はしないで
季節の変わり目
昔から私は
5月の連休が終わるまで苦手な季節なんです
買い物に行く予定だった
なので木彫りはできないと踏んでいた
でも
午後時間があったら
少し彫るかとは思っていた
午前中に
行くかと思ってけど
相方はいかないというし
庭を見ていて
木蓮の枝が伸び始めているので
上に伸びたのを切り取ることにした
木蓮の剪定は
冬の間にやれという記事が多かったが
ただ一つだけ
花が終わったら切ってよしというのがあった
花が終わったばかりなら
花芽を気にすることもないし
とはいえ初めてのことなので
特に長いのだけを切り取って
それで終わりとした
それでも結構切ったなぁ
それとついでに
サクラと喧嘩しそうな
ちょっと大きい枝を切り落としてやった
そんなことしていたら午前は潰れてしまった
木蓮の枝落としで
上を見ていたのだが
何だか体がふらついている
ここ数日に症状だが
軽い目眩に近いものがある
じっと座っていればなんてことないのだが
歩くと真っ直ぐとはいかない
何とか枝落としはできた
昼飯食べたあと
メダカの水槽をいじっていた
まぁ動かなければ何てこないので
やっている途中で相方が
買い物に行こうと
目眩の症状があるからと
今日は相方の運転で出かけた
が
車に乗る前に足をくじいてしまった
(歩いているうちに痛みなくなった)
スーパーについて
車に乗せている杖を使って
店内を歩いた
目的のものはメモしていったので
間違いなく買い終えた
最後にホテイアオイを5個買った
これはメダカの産卵用になるやつ
スーパーで帰る際
エレベータに乗ったのだが
ひどい咳をしている人がいた
この時期咳をする人は来ないでほしいよなぁ
なんて周りはみんな思っていたようだ
エレベーターに乗るのを避けた人もいたくらい
家に帰って
メダカの水槽を洗って
ホテイアオイを入れて置いた
いずれここに
先日窓と引っ越しさせたメダカを
戻してやるつもり
ただ、この先
この水槽をどこにおくか
今の位置だと真夏の直射日光を浴びる
まぁ日除を作ってやるより
しょうがないかと思ってはいるが
部屋に戻って
椅子に座ったら
眠くなってきたので
布団敷いて寝ることに
1時間熟睡
目眩は少し軽くなった
疲れているのかなぁ?
まぁ休んだから少しはわかるだろう
明日も無理はしないで
季節の変わり目
昔から私は
5月の連休が終わるまで苦手な季節なんです