2008年01月13日

京都の思い出 高尾・神護寺

遠い記憶になってしまった。いったのは1965年の夏のこと。やはり、大学の研修旅行であった。

この研修旅行は、1週間という長丁場。奈良駅で集合して、バスに乗り込んで、たくさんのところを見ている。
記憶にあるところは、
 奈良県は、
  室生寺、飛鳥寺、興福寺、法隆寺、薬師寺、唐招提寺、天理博物館、大和文華館、東大寺、
 京都府は、浄瑠璃寺、岩船寺、蟹満寺、平等院、智積院、三十三間堂、知恩院、南禅寺、竜安寺、金閣寺、銀閣寺、詩仙堂、修学院離宮、桂離宮
 宿泊は、奈良は今は廃業してしまった、国立博物館の前にあった『日吉館』。京都は聖護院の宿坊(?)だったように記憶している。

 神護寺へは、もう最後のほうにいったのではなかったか?とにかく暑い日で、駐車場からえっちらおっちら長い階段を上っていき本堂でいろいろ仏像を見せていただいている。
 仏像の記憶は残念ながら頭の中の映像としては残っていない。残っているのは、みんなでカワラケ投げをしたこと。この寺は、今でもカワラケなげができると聞いている。そして、いまでは秋ともなると紅葉の名所として、押すな押すなの人並みでもあるとか。
 **かわらけ って『土器』と書くのだそうな。もう、忘れている。カワラケなげは、中学校のとき、香川県の屋島でもやった。琵琶湖の竹生島でもしたかな?)

 研修旅行での私たちは、男ばかりのグループ(たまたま、神護寺だけだったのかな?そんな記憶)で、観光客もいる時代でもなく、他に人がいないことをいいことに、ワイシャツなど脱ぎ捨てて、アンダーシャツ姿で記念写真を撮ったように思っている。

 旅行などに金をかける時代ではなかった、遠い遠い大昔の懐かしい思い出だ。


 神護寺は、なぜかその後行く機会に恵まれない。一度ドライブに行こうという話が持ち上がったのだが、雨模様ということで、あの階段を雨の中に上がることに抵抗を感じて、止めてしまった。

 足腰の強いうちに、いっておきたいところである。そしてついでに、いまだにいったことの無い、お隣(ちょっと距離はあるが)の栂ノ尾・高山寺にも行ってみたいと思っている。
 

**
神護寺参考HP
 http://homepage2.nifty.com/cub/niwa/jingoji.htm
 http://kaiwai.city.kyoto.jp/search/view_sight.php?ManageCode=1000125&InforKindCode=1  

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2008年01月12日

突然 明日京都に行きます

本当に突然
 子供たちが使った18切符が余ったということで
 明日京都に行きます。

 知恩院で特別拝観しているので見てきます。
 多分、ものすごく込んでいるだろうと思うから
  他はいけないだろうな。
 でも、
  おめん で、うどんだけは食べてこようと思ってる。

写真を撮ってくるだろうから
 あんた記事が書けるな。。。。  

Posted by 生田 at 20:29Comments(0)TrackBack(0)京都

2008年01月12日

京都の思い出 蟹満寺(かにまんじ)

 蟹満寺という寺をどのくらいの方がご存知なのだろうかと思います。

 私がここを訪れたのは、自分の意思ではなく、大学の研修旅行でコースぬ含まれていたからということです。もう40年も前の話なので現在とは環境は全く変わっていると思います。
 京都と奈良を結ぶ通称奈良街道は現在は広い道ですが、当時はそんなに広くはなかったとお思いますし、位置も現在よりも東、JRの線路に近かったのではないかと思います。

 この近辺は、最近では京阪奈の学園都市に近いところでもあるのですが、それとはまぁ関係ないでしょう。

 訪れたときの思いとしては、真夏の暑い日ざしのきつい日でした。(7月の半ば過ぎ)今頭に出てくるのは、がらんとした集権の中にある小さな寺で、なんとなく白っぽい塀があったということだけですが、本堂の中に収められた仏像は、間か黒尚姿できりっと結んだ口で毅然とした釈迦如来です。

 京都に残るには、浄土教時代のもの、真言宗のものと平安時代のものが多いのですが、これは白鳳時代の割くといわれているようです。
 一度しかいったことのない蟹満寺ですが、この仏像の横顔は今でもはっきりと覚えていると思います。(写真を見せられて当てられるかというと自信はありません)

**
この寺は、山村美沙のミス定理小説「鳥獣の寺」 の舞台にもなっています。

**
この寺の位置は、国道163号線を西に行き国道24号線との交差点を右折して4~5キロ北に行ったJR奈良線の東側です。
 参考HP:http://kyoto.jr-central.co.jp/kyoto.nsf/spot/sp_kanimanji  

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2008年01月11日

京都の思い出 浄瑠璃寺

 浄瑠璃寺というと、奈良の大仏殿のすぐ北東にある寺なので、奈良県にあると思われがちな寺である。しかし、平安後期の寺浄土信仰の真っ最中に立てられたもので時代としては奈良ではなく平安、そんなこともあるのか、現在の行政区分でも京都府に位置している。
 といっても、このあたりは京都と奈良の両県が入り組んだところであることは確か。

 この寺にはじめていったのは、これまでにもサンザン出てきている大学の研修旅行である。この寺の一番は九体の阿弥陀仏が並んでいること。「上品」「下品」の語源なっている「上品上生」「上品中生」「上品下生」「中品上生」「中品中生」「中品下生」「下品上生」「下ぼん中生」「下品下生」の印を結んで鎮座している。
 阿弥陀仏はどこのぶつもふくよかな体が、ここもそれにたがわず。大変仏には申し訳ないが、ここの仏も日野の阿弥陀仏や中宮寺の弥勒仏にはかなわないのだ。

 この寺の九対仏の並んだだんの一番右の片隅に「童子像」がある。実は、私はこの童子像が好きなのである。小さい像であるが、大学の研修旅行の際に始めてみて、あのかわいい顔にほれ込んでしまった。
 私が就職し住み着いたのが東大阪だったこともあり、大阪在住のときにも訪れているが、大阪を離れてからはしばし行くことがなかった。しかし、数年前に4年くらい毎年春の桜か、秋の紅葉のときに訪れている。



 昔は、本堂の中を見るのもそんなに細かいことは言われなかったが、今は訪れる人も多く、何をするかわからないということか、ちょっと厳しくなったように思う。大学の研修旅行では、大学が特別許可を取っていたこともあるのだろうが、写真を撮ることが許されていた。

 この寺は、関西では桜や紅葉の季節の見所として有名であり、昔からハイキングコースにも組み込まれているところである。その理由も、この近辺、岩船寺などの近くには野仏がたくさんあるからということでもあるらしい。


 名古屋から車で行くには、名阪国道を伊賀上野で降りて、笠木、木津に抜ける国道163号線を西に向かうと2時間半くらいで行けます。  

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2008年01月10日

京都の思い出 宇治・平等院

平等院は、2回行っている。
 一度は、大学の研修旅行で、もう一度はもう10年位前になるか、家族揃って正月の初詣ということで車で高速を使っていった。

 大学時代に行ったときの記憶は、もうほとんどない。ただ池に映る平等院の建物に美しさを感じたくらいか。2度目のときは、もうそれから30年という時間を経ている。平等院の修復の前である。
 修復の前は、かなり建物も阿弥陀像も荒れていた。見るに忍びなかったといっていいだろう。創建当時はキンキラキンの仏様もあそこまで荒れると気持ち悪く見られるかもしれない。どうしてあそこまで荒らしてしまったのか、そのときは疑問に思ったものだ。


 修復されてからは、行っていない。実は平等院の阿弥陀像の兄弟といわれる阿弥陀に出会い、そちらに通うことになったからだ。
 平等院の阿弥陀像は、定朝の作といわれている。その定朝が作ったのではないかといわれる阿弥陀像が、日野の法界寺にあるのだ。法界寺の阿弥陀像は、平等院よりも保存がよかったのか、きれいである。顔の表情も柔和で、私はこの仏像にほれ込んでしまったのだ。昨春は、孫まで連れて訪れるくらいに。

 平等院へは、いずれ近いうちにまた行きたいとは思っているが、交通の便などを思うとちょっと・・・・  

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2008年01月09日

京都の思い出 伏見3

 寺田屋を出て伏見の中心部を抜けて丹波橋まで歩くことに。
 
 そんな思いであるものの、正直、真夏の暑さはかなりこたえる。やはり、春か秋に来るべきなのだろう。しかし、そうなると今度は人ごみの可能性も出てくる。

 寺田屋を出て少し西に行くとちょっと広い通りに出る。ここを右折して(北に向く)次の信号交差点が、日本の市電発祥の地ということだ。ここから京都市内までチンチン電車が走っていたということらしい。(ひょっとしたら明示村を走っているあの電車かな?)


 写真の左の電柱の袂にある石柱がその位置を示すものだと思った。しかし、いろんなものの跡地がかき消されていく。時代の流れとはいえ、こうしたものにこだわりを持つ人には耐えられないものだろう。
 私などは、あまり歴史にこだわりを持つことはないが、こと自分のものとなると、その形がなくなることにはかなり抵抗を感じる。会社を清算するときなどは、勇気がいったものである。自分がしてきたことの形跡を抹殺するわけだから、涙物だった。今でも、いろんなものが家の中にたまりすぎるので、処分を余儀なくされるが、シュレッダーにかけたりするときは、自分自身を抹殺するように思えてならない。
 (話がそれすぎた)

 この道を右折して歩いていくと、酒造メーカーの記念館があったと思うが、なんとなく入りづらくてやめてしまった。そして、朝食をしていなかったので、腹が空いたことに気づいて、食べるものがあるところを探した。名古屋のように喫茶店がたくさんあるところではなく探しにさがして結局、京阪の伏見桃山駅から西に伸びる商店街の中の外資系のチェーン店(名前を忘れた)に入り込んで、コーヒーとパンの朝食を取った。

 しばしの休息のあとで、以前こ地図でこの辺りを検索したときに気になった「源空寺」という寺を探した。源空は、親鸞の師匠である法然の僧名、なぜここでその名が存在するのかとちょっと気になったのだ。何とか見つけて中に入ってみた。



 小さい寺である。商店街から少しだけ北に位置しているが、それだけのことで静かなたたずまいである。時間があれば、じっくりと診たり、出来ればお話でも聞くといいのだろうが・・・

 さて、ここから北に向かって丹波橋まで。頭の中で描いていたところとはかなり違ったところだ。とにかく日差しが強く、それをさえぎる建物もなく、しかも見るべきものもなく、ただただ丹波橋まで汗をたらたら流して歩き続けた。
 京都は、本当に北へ行くのは「上がる」をここでもいやというほど体験させられた。なんとか近鉄丹波橋にたどり着き、電車に乗ったら、クーラーでかいてきた汗がものすごく冷たく感じられたものだ。

 この3回に分けて書いた伏見散策コースは、お勧めしません。
 お勧めするなら、中書島から伏見桃山の間に去るのがよろしいかと思います。

   

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2008年01月08日

京都の思い出 伏見 3 寺田屋

 月桂冠の記念館をでて、カンカン照りの日陰の全くない道を北に上がっていく。
 
 伏見は、城下町でありながら、きれいな碁盤の目とは言いがたい。縦横の道路整備はされているのだが、なんとなく、直線で歩いていくことが難しい。あっちこっちで突き当たるような印象だ。本当はそうではないのかもしれないが、南の方は突き当りが多いなぁ。こうしたつくりの城下かもあるので、そのタイプなのかもしれない。

 目的地は、「寺田屋」
 明治維新の旧跡なわけだ。どっちかといえば、そうしたものへの興味はあまり持たない私である。京都での維新の旧跡は、「島原の角屋」「壬生寺」「金戒光明寺」「池田屋」などをこれまでに見てきているが、望んで見に行ったわけではない。たまたま、いろいろ行ったついでにということだ。
 角屋は大学の研修旅行の際に、壬生寺は若い人にせがまれて、金戒光明寺は親鸞研究の一環と紅葉を見に行った際に、池田屋は三条通りを歩けばいやでも見つけるのではないかな?

 伏見の町を歩いて、寺田屋の前にきた。あぁ。ここも入るのに待たされることになった。実際伏見の町を歩いて、もう少し時間がかかるだろうという思いが、もろくも裏切られすぐについてしまうのだ。待つ間にほかを見てくればいいものを・・・
 寺田屋の近くには、件の運河もあるので、そっちを見に行ったりしてはいるものの、時間が余る。同じように時間をつぶしていると思われる若い女性もおいでになる。


 中に入りました。小さいところですね。刀のあともあったり。歴史上のもので、伏見に来たら見るものというだけのことで、やはり、私にはこうしたものはあまり興味がない。しかし、好きな人は、わくわくしてみているようです。


  

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2008年01月07日

京都の思い出 伏見 2

 前回の写真は、実は酒造「月桂冠」の記念館の裏側にあたることろ。それがわかっているから、建長寺を訪れ、そのあとで運河(だと思っている)で写真を撮ったのだ。
 何しろ名古屋に早く帰らねばなrないので、宿泊先を早く出た。その早い時間のお蔭で、記念館への入城は、ずいぶん待たされることになってしままった。午前9時前という時間でありながらとにかく暑い。困ったものだと思っていたが、とにかく中へ入ってみたら、入り口のところでお待ちくだされとのこと。助かった。あのまま外でまたされたら、脱水症状を起していただろう。

蔵のように見える建物の右が入り口


 待っている間に、みやげ物の展示を見たり、建物の自体、特に天井、屋根の組み方は昔のものだから、眺めても面白い(というのは、一般の訪問客は思わないのかも知れないが)。すわって、あっちこっちきょろきょろ。こうしたところでなければ、不審者だろう。

 入場料を払って、記念品の酒をもらって。。。
 建物の中の展示を見て歩く。昔の酒造りの行程を見ていくと思えばいい。今も昔も、発酵させて絞っては同じなのだろうが・・・

 長いこと待って、見た割には、岡崎の八丁味噌の見学をしたときよりも感激が少ない。なんででしょうねぇ。。。なんとなく、お高く留まった印象だった。
 (昔、関西の超一流企業のトップに近い人の口癖「酒は月桂冠、ウィスキーは・・・」が、頭をよぎった。あの人いけ好かない人だったから。今だったら完全にセクハラ、パワハラで訴えられることを、部下に命じていたなぁ。。。 泊りがけの忘年会で、目おつけた女子社員を呼びつけて酌をさせようと部下(秘書)に私らの前で命じていたヨォ。そんな思い出がよぎったことが、この中で仕事をしている人たちの態度もお高く映ったのかな?

 そんなに長い時間は居ませんでした。それがまた、辛い思いをすることに。
 
   

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2008年01月06日

京都の思い出 伏見 1

 伏見の町は、昨年(07年)に始めて訪れた。以前から一度入っておかなければいけないと思いつつ、なかなか足が向かず、いつも電車で通過するばかりだったが、昨年一念発起して真夏のくそ暑い日に行ってきた。

 といっても、京都に宿泊していたのに名古屋でトラブル発生で、至急戻らねばならなくなり、非常に短時間の散策であった。

 宿泊したのが、河原町五条。鴨川を渡れば京阪の五条駅である。ここから急行に乗車して中書島まで行く。そしてそこから伏見の町の中を通過して近鉄の丹波橋まで歩いた。

 中書島から北に向かって少し北歩き、わき道にそれて東に向かい、運河に出たところにある「建長寺に」に立ち寄った。


 山門(?)はさすが伏見と思わせる酒樽がおいてある。この構えから中も知れなりのものを期待したのだが、なんとなく裏切られたような・・・・ しかし、これはあくまでも私が興味を持つものがなかったということ。まずは、ご自分の目で確かめるために行ってみてください。
 寺を出てその前の運河の土手に降りていき、写真を撮ったのだが、この時期観光客が来ることはまれなようで運河の清掃、修復かをしていた。ということで、景観はよくなかった。


 まぁ、それでも夏なので柳の木だけはきれですねぇ。。
  (夜は、きれいな幽霊さんが出てきたりはしないかな??)  
タグ :京都伏見

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2008年01月05日

京都の思い出 新京極界隈2

 ここ数年の間に、新京極界隈、というよりも東西は堀川通りと河原町通りの間、南北は二条通りから仏光寺通りまでの、この間の区域をあるいている。これは親鸞研究を始めてからのことで、親鸞ゆかりの所を探すための散歩である。

 親鸞自体の史跡というものは、本来探すのは難しい。何しろ公文書に名前が出てこない人なので、史跡といわれても多くは眉唾のところが多いらしい。それでも、何がしかの物があるのではという思いで歩いたのだが・・・

 数年間、この辺りを歩くための根城にしたのが友人の所有するマンションである。これが、堀川通りにあるので、ここから河原町までを歩いて往復していたのである。結構な距離で時にはこの歳にはきついこともあった。

 これで気づいたのが、三条通りから南のそれぞれの東西のの道は、新京極でぶつかるところは寺もしくは天神さんである。
  六角通り=誓願寺
  蛸薬師通り=永福寺(蛸薬師)
  錦通り=錦天満宮

    **三条通りと御池通りの間にある東西の道、姉小路は寺町通りに突き当たり、寺町通りで少し南にずれて河原町に抜けている。

 このほかにも寺が並んでいるのだが、ひょっとしたら昔はもっと大きな敷地の寺であって、でんと構えて入り口は寺町通りになったのかもしれない。それが新京極通りを作るために「敷地を削られたのだろうか」なんて、思いたくもなるこの界隈である。

 新京極の、若者の店を見ていくだけではなく、それらの間に存在する寺を見ていくと、これまた違った新京極を味わうことが出来るのではないかと思っている。

 ちょっと違った京都を見たい方にお勧めです。

**
新京極通りは市場通りで突き当たる、その突き当りの先には、春長寺という寺で、市場通りに抜ける少し北の通り西側には、ひっそりと「愛染院」がある。じっくりと左右を見ながら、歩いてみてください。
   

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2008年01月04日

京都の思い出 新京極界隈

 とにかく私が生まれてはじめて京都に行ったのは、小学校の修学旅行であろう。冬至の名古屋の小学校の修学旅行の行き先は、奈良と京都が当たり前の時代であった。
 初日の奈良は雨にたたられ、雨の中を奈良駅から、猿沢の池、興福寺の階段で記念写真を撮って、東大寺で大仏さんを見て。。。その後の記憶が消えている。たぶん、また奈良駅まで歩いて戻って国鉄で京都に行ったのだろうと思う。
 
 その京都での夜だと記憶しているのだが、東山三条辺りの旅館から、集団(先生引率の元)で三条通りを西進して、新京極通りを南下して四条まで行ったように記憶している。
 今の新京極通りとは違って、若者の町としてのキンキラキンというイメージはなかったように思う、ただ、なんとなく大須の万松寺辺りの雰囲気と似て、それに暗かったように思う。今では新京極は若者の町、修学旅行生が、三々五々固まって歩いていたりもする。当時は、そんなものではなかった。
 
 京極というのは、京都の端を意味する言葉だそうだが、昔の京都の東の端は、平安京の端なら東大路と思っていたが、どうも東京極通りというのがあって、それが今の寺町通りということらしい。と言うことは新京極の一本西になるので、東京極通りの外の京極ということで『新京極』というらしい。
  新京極は、その後何度となく訪れてはいるが、若者のように遊びを目的とするのではなく、大学時代に見つけた扇屋で扇を求めたりするために行くくらいだった。

 新京極通りは、三条通りで突き当たりになっている。明治になってから無理やり作った通りのようで、三条通りの北にはお寺さんがいっぱいあったのかもしれない。地図を辿るとわかるが、ずっと北の方の寺の南には京都の繁華街の中でありながら、広い立派な墓地が存在するのだ。

 寺町は、もともとあったのではなく、秀吉の都市計画の賜物で、多くの寺が集められたというところなのだろう。現在でもこの筋の東西には寺が多いのは確かだが、三条と四条の間の寺町筋は商店街であって、その中にお寺さんがひっそりとあるという感じがする。しかし、その商店街自体の持ち主がお寺さんということもありうる。
 **名古屋の万松寺商店街、その近辺は今でもかなり残っているが、多くは万松寺の持ち物であると聞く。**

 大学のときに友人たちと訪れたときに、寺町筋を北進して、現在の本能寺へ案内してもらっている。そして、そこに織田信長、森蘭丸なんて、名前が刻まれていとおもう墓所を見た。(今思うと本物かいなという疑問はある。前記した墓地は、これの南、路地を入ったところにある。)

 寺町筋は、三条通りの北と南ではイメージが違うと思う。南は新京極の類似のイメージがあるが、北はどことなく生活に繋がる商店街で、観光としてのイメージが薄れる。
 この三条通り北の寺町通りに、銀座にもある『鳩居堂』がある。やはり、いい物を販売されている。またその北には何軒かの古本屋さんも存在する。
 
**
新京極通・商店街 公式HP
 http://www.shinkyogoku.or.jp/index.html
京都 寺町京極商店街 公式HP
 http://www.kyoto-teramachi.or.jp/index.html

 この商店街の名前を見ると、京極と新京極が区別されていますね。
  

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2008年01月03日

京都の思い出 平安神宮

 平安神宮は、小学校の修学旅行での記憶は残っていない。行ったのか行っていないのかはわからない。

 ただ、赤いてたものの似行った記憶があるのは、中学校くらいのときでhないかと思う。
 平安神宮は、位置的に知恩院の真北にあるので、中学校加工校のときの学校行事で言っている可能性が高い。大学の研修旅行で入っていないと思う。その理由は、平安神宮自体あたらっしい建造物で、国指定の文化財として位置づけられるものがない(と思っている)ので、まず行くことはなかった思われるからだ。

 大阪に就職してから、一人で写真を撮りに東山をよく歩いている。冬至は京阪電車は七条から三条までは地下鉄ではなく路面電車で今の川端通りを走っていた。七条で降りてそこから三十三言動へ行ったり、三条で降りて神宮道から南禅寺裏に上がって疎水にそって銀閣まで歩いたりしているが、変な印神宮には足を運んでいない。
 しかし、3年位前の春に訪れたときには、やはりいつか来たことがあるというそんなものが頭に出てきたが、それがいつなのかはやはり思い出すことは出来なかった。
 
 平安神宮のある岡崎公園は、京都美術館があり、大学のときにここで『ミロのビーナス』を見たと思う。東京の大学に通いながら、東京での展示には訪れず、わざわざ京都の展示で見たのだ。なzぁ、京都を選らんのかは、冬至何かの用で大阪に来ていて、そのついでにといった形で、京都に立ち寄ったという記憶だ。しかし、このときにも平安神宮には足を運ぶことはなかった。
 
 3年前に訪れたときは、2階訪れているが、いずれも一人ではなく、二人であったり、3人であったりしている。若い人と一緒に、梅や、紅葉を見に行ったのだ。ここでも、平安神宮で一番見なければいけない『庭園』を見ることをしていない。このことだけが、今もっと平安神宮を訪れた結果としての後悔である。

 今年の春もしくは秋のシーズンには、ぜひとも訪れて念願を果たしたいと思っている。
  

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2008年01月02日

京都の思い出 知恩院

 京都の思い出は、どのくらい私の頭の中に残っているか、その都度書いていかないとと自分自身でもわからないだろうと思う。何しろよく出かけているからだ。
 といっても、高校までは、修学旅行やら、遠足(バスの日帰り旅行)で行ったくらいだが、それだけでもいろいろなことが頭の中に残っている。

 知恩院に初めていったのは、小学校の修学旅行である。山門からあの段差のかなりある石段を上っていった記憶だ。そして、御影堂の屋根のひさしの「左甚五郎の忘れ傘」の話を、引率の先生だったかと思うが説明してくれたのを覚えている。そして、大きな梵鐘に驚き、とにかく境内の広さにも驚いたことも覚えている。
 
 それから、中学校か高校のときに学校の行事で訪れている。学校行事で来ても、一般の生徒には余り興味がないのではないかと思う。私でも仏教そのものへの興味、好奇心は、まだその頃は生まれていない。(いや、潜在的にこうした行事が残って積み重なっていってはいるらしい)
 高校のときの行事で来たときは、狩野派の襖絵を見せてもらったような記憶だ。ただ、これは大学の修学旅行(研修旅行)で来たときにも見ているので、記憶がダブっているか、いや2回見ているはずだ。御影堂(だったかの記憶)の北東の建物の普段は入れないところにあるものを見せてもらったという記憶だ。
 中学、高校のときはバスツアーなので、境内はガイドさんの案内があったと思うが、御影堂などの案内は知恩院の係りの方がされたとおもう。狩野派の絵は、国宝だか重要文化財といわれても興味のない絵はなんともかんとも記憶には残らないもの。今でも、あの手の絵画は私の好みではないので、すばらしさ自体も不明である。(ただ、文化財としての価値は認めております)

 一番最近の訪問は、紅葉を見に行ったのだが、そのときはなぜか山門の下を見ただけで帰っている。その前に訪れたのは、親鸞研究を始めたばかりの頃で、師匠である法然上人の寺に行かねばならぬという思いで行っている。お彼岸の中日、氷雨の中の、あの階段の上りはきつかったなぁ。そのときは、実は親鸞聖人の墓があったといわれている「崇泰院」をもたずねているが、現時点ではこの場所に親鸞聖人の墓なはい。疎水手、訪れるにhともまばらな庵になっている。
 **「崇泰院」は、知恩院の敷地の中にあるということで、親鸞関連の史跡としての保存のようです。場所は、正面左(北)の駐車場の東側。ただし、最近行っていないので、どんなたたずまいであるかは不明**

 訪れたときは、お年を召された女性の説明を受けた。親鸞の墓のあったところと、蓮如の産湯の井戸などの説明を受け、写真を撮ってきている。親鸞の障害の後にかかわる場所で、親鸞本人の研究には役立つということはないと今では思っている。

 話を知恩院に戻して。
 実際には、とにかく大きな寺であり、多くのものを見るには、それなりにじっくりと計画を立てて、出来れば寺務とお話をした上で見せてもらうのが良いかもしれない。昔は、文化財などを除いて、えっ光フリーな印象だったが、今はかなり軽微が厳しいように思える。殻がいうことを利くうちに、あの石段をもう一度上がって行きたいと思っている。


知恩院 公式HP:http://www.chion-in.or.jp/
崇泰院 参考HP:http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/hi052.html  

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2007年12月31日

京都の思い出 清水寺


 清水は、何度行っているだろう。
  小学校の修学旅行。中学か高校の遠足、大学2年のとき友人4人と学校サボってって東京から、大学の3年のとき大学の修学旅行、それから大阪kに修飾してから何度か、名古屋に引っ越してから何度か。つい最近では2度ほど。

 そして、今回書いている大学1年のときの初めての京都一人旅。
 このときは、竜安寺にいった後出来ているははずなのだが、どこをどう通っていったのか?竜安寺から、また電車に乗ったという記憶はうっすらとあるから、ひょっとしたらまた帷子ノ辻に戻って、大宮に出たのかもしれない。大宮に出れば阪急に乗ることで河原町に出る。あの冬至は、ひょっとして、阪急は大宮から河原町に延びたばかりの頃のようだ。冬至はバスに乗ったという記憶は全くない。
 **いま、当時 撮ったフィルムのベタ焼きを見ているが、
 **貧乏学生にはフィルム代がなかったとみえて、非常に枚数が少ない。
 **竜安寺の手水鉢の後になんと知恩院を一枚取っている。
 **その次に清水の舞台下の柱が写っている。


 河原町から知恩院、清水までは、かなり歩かねばならないが、当時の体力であれば何の問題もなかったであろう。
 とはいえ、嵐山から清水までの行程は、正月の太陽の出ている時間では、足りるはずもなく、清水ではもう暗くなって、露出不足の写真になっている。

 清水で写真を撮った記憶の中に、五条通り(国道一号線)が夕日を反射して浮き出たものがある。今そのフィルムの行方がわからないので掲載できないが、数年前に言った際に同じ場所と思うところから撮影したのがトップの写真。しかし、時間帯と天気それに太陽に位置関係で五条通りの反射は取ることができなかった。トップの写真では五条通りの位置側からにと思います。下の写真(トップと同じ)の矢印が五条通りです。昔と比べるとビルが多くなりすぎて、景観はかなり違います。



 
 この後 河原町まで戻っているのだが、寒いのと腹が空いたので、四条河原町のどこかの喫茶店で休んだことを覚えている。どっちにしても、今現在の河原町の雰囲気とは全く違っているので、いったいどこで休んだのかは全く持って不明だ。

 これを書いているとき、最初写真は見ていなかったのだが、引っ張り出してきて眺めてみると、歩いた行程はなんとなく覚えているようだ。しかし、行った先の記憶が、その後に行った記憶で上書きされているか、消えてしまっている。年のせいなのかなぁ・・・

 やはり、覚えている間に、書き残しておこうと思ったのは、正解だったかも知れない。しかし、今の旅行をしたときに各旅行記のように、リアルタイムの情景をかくことが出来ないのがつらい。  

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2007年12月29日

京都の思い出 吾唯足知 竜安寺

前回の天龍寺の後に大覚寺に行ったが記憶にないと書いた。確かにその通りで、何も覚えていない。しかし、大覚寺にはもう一度行っているのだが、これもほとんど覚えていない。ただ、就職して2月目くらいだったか、会社の先輩の女性に誘い出されて(断れる状態になかった)、京都を引っ張りまわされて、大覚寺の池でボートに乗ったような・・・ あんまりいい記憶じゃぁない。


2:竜安寺
 知る人ぞ知る、枯山水、石庭で有名な寺である。天龍寺、大覚寺のあと、どうも電車(京福電鉄)で行ったという記憶はある。嵐山から電車に乗って、帷子ノ辻(『かたびらのつじ』これが読めなかったんだよなぁ)で乗り換えて、「竜安寺道」で下車。そして北に向かって上っていった。(結構上ったよ)
 【敬服電鉄北野線(帷子ノ辻―北野白梅町館は、仁和寺の辺りは、駅と寺の居はあまりないが、これを過ぎると結構離れることになる。】

 天龍寺に比べると、格段に人が多かった。やはり、昔から参拝者の数が多いことは確かだ。
 人が多いということは、石庭を眺めるにも支障が出る。雪がちらつく天気で、寒いにもかかわらず、石庭に向いた縁側というのか廊下というのかで座り込んで多くの人が見ている。これが、邪魔になるんですね。特に、写真を撮るのには、本当に邪魔になる。それに人の流れが止まるから、そこにたどり着くまでにも渋滞となる。
 40数年前の正月での混雑だったが、おそらく、現在ではもっともっと酷い状態なのかもしれない。

 石庭は、写真でも取り上げられ、ブログでも多く取り上げられているので、もう書く必要はないくらいだと思う。しかし、裏に回ると「吾唯足知」と書かれた手水鉢があることは石庭の紹介に比べたら何十分の一、いやもっと少ない率の紹介しかないのではないかと思う。
 この手水鉢の「吾唯足知」の意味は、記憶によれば、宮本武蔵ゆかり物のとあるが、この記憶は間違っていないだろうか。

 記憶が遠くなっているにもかかわらず、手水鉢のあの印象は、強烈に残っている。しかし、「吾唯足知」の意味をいまだに実践できないでいる私である。  

Posted by 生田 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)京都
  
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