2011年01月04日
いやぁ映画って。。 墨攻
面白い番組がなかなかないので、チャンネルをいじっていたらBS2で映画をやっていた。「墨攻」という原作が日本の小説という、これまた変わった話で、日本が原作なのに中国のお話。
そして、映画は日本、中国、韓国の合作で日本は音楽など担当で、俳優は、香港のアンディ・ラウと韓国のアン・ソンギが対決する主役で、ファン・ビンビンというかわいい女優が色を添えていた。
筋書きは、こちらをお読みいただくとして、いい映画だったということです。
ただ、私の主義に反して人が殺し合いをするのでその点はいいとは言えないけど、趣旨は戦いをしないで、人を死なせないでというところにあるので見いという表現。
人を死なせないために、いろいろ策を練るけど、これは攻撃から身を守る『緊急避難』『正当防衛』ということではあるが。。。。今現在でも、むやみやたらと攻撃を仕掛けるおバカがこの世にはたくさんいるけど、それをやめさせる話などが出てきたりしていた。
しかし、この映画ハッピーエンドで終わらなかったという珍しい映画だと思う。最後の最後に心に思う人を助けにいくのだが、ほんの少しの差で死なせてしまっている。ごく当たり前の映画だと助かるんだけどねぇ。これは助けてほしかったかなぁ。私としては後味が悪い。
この映画は日本で劇場公開されたの?公開されていたら大入りだった?
**
きになったこと。戦略が三国志に出てくる話が結構あったような…・
そして、映画は日本、中国、韓国の合作で日本は音楽など担当で、俳優は、香港のアンディ・ラウと韓国のアン・ソンギが対決する主役で、ファン・ビンビンというかわいい女優が色を添えていた。
筋書きは、こちらをお読みいただくとして、いい映画だったということです。
ただ、私の主義に反して人が殺し合いをするのでその点はいいとは言えないけど、趣旨は戦いをしないで、人を死なせないでというところにあるので見いという表現。
人を死なせないために、いろいろ策を練るけど、これは攻撃から身を守る『緊急避難』『正当防衛』ということではあるが。。。。今現在でも、むやみやたらと攻撃を仕掛けるおバカがこの世にはたくさんいるけど、それをやめさせる話などが出てきたりしていた。
しかし、この映画ハッピーエンドで終わらなかったという珍しい映画だと思う。最後の最後に心に思う人を助けにいくのだが、ほんの少しの差で死なせてしまっている。ごく当たり前の映画だと助かるんだけどねぇ。これは助けてほしかったかなぁ。私としては後味が悪い。
この映画は日本で劇場公開されたの?公開されていたら大入りだった?
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きになったこと。戦略が三国志に出てくる話が結構あったような…・
2011年01月04日
小説「親鸞」 激動篇3
今日が3回目の話で、昨日の続きの行列。
どうも昨日は、キーワードを『ゲドイン』として検索したらしいので、全く関係なかったようだが、今日のを呼んだら、あれ?『ゲドエン』となっている。目が変になのかなぁ?悲しいよ。
で、今日が『ゲドエン』で検索。しかし、新潟や時代的なものに引っかかるものもなく、ただ韓国云々など数件しかない。ということは、これでも引っかかることがないということは五木氏の創作的なもの?どうもこのあたりが全く分からないし、理解もできない。何らかの説明がいずれ出てくるのか?
実は、五木氏の小説は、大昔の『海を見ていたジョニー』を読んで、これは私が読む小説ではないし、畑違いの部類の小説を判断して、作者自体を拒否するようになっているので、どうしてもそういった先入観で読んでいるからかもしれない。
今日の話の中で、親鸞は京ことばを使っているようだが、その行列の集団の言葉は越後訛とある。では越後訛とは???
今回のストーリーの中では越後訛の言葉は出ていない、現在の標準で『いい女だなあ』と書かれているだけ。では、これを越後訛でいうとどうなるのだろう???
私が数年前に、越後訛、いや上越方面の訛を調べようとしたことがある。これ尾は私が書いているものの中に必要だったので、何か書かなくては行けなくて、それで独特の言葉を探したのだ。なぜそんなことをしたのかといえば、今の上越(直江津、高田地域)の人との会話ではほとんど標準語に近い会話となって、いわゆる新潟の『ずうずう』が全くなかったから。私の経験では、青森秋田ではその『ずうずう』に悩まされたが、新潟、岩手では悩むことはなかった。青森秋田は学生で同級生もいたが、やはりかなり鉛はあったが、新潟{新潟市出資い}の女性は全くといっていいほどなかった。
ということで、五木氏が何かそういった言葉を上越(上越市ではなく越後の中の上越地域)で見つけているのなら披露してほしいものと期待をしている。とはいえ、親鸞が流されたのは鎌倉時代、700年も昔の話、言葉は違うでしょうなぁ。それにその時代の古文書は上越地域には現存していないという上越市教育委員会の学芸員の話だけど。
まぁ、この先どういったアレンジをされたのかを見ていくことで…
どうも昨日は、キーワードを『ゲドイン』として検索したらしいので、全く関係なかったようだが、今日のを呼んだら、あれ?『ゲドエン』となっている。目が変になのかなぁ?悲しいよ。
で、今日が『ゲドエン』で検索。しかし、新潟や時代的なものに引っかかるものもなく、ただ韓国云々など数件しかない。ということは、これでも引っかかることがないということは五木氏の創作的なもの?どうもこのあたりが全く分からないし、理解もできない。何らかの説明がいずれ出てくるのか?
実は、五木氏の小説は、大昔の『海を見ていたジョニー』を読んで、これは私が読む小説ではないし、畑違いの部類の小説を判断して、作者自体を拒否するようになっているので、どうしてもそういった先入観で読んでいるからかもしれない。
今日の話の中で、親鸞は京ことばを使っているようだが、その行列の集団の言葉は越後訛とある。では越後訛とは???
今回のストーリーの中では越後訛の言葉は出ていない、現在の標準で『いい女だなあ』と書かれているだけ。では、これを越後訛でいうとどうなるのだろう???
私が数年前に、越後訛、いや上越方面の訛を調べようとしたことがある。これ尾は私が書いているものの中に必要だったので、何か書かなくては行けなくて、それで独特の言葉を探したのだ。なぜそんなことをしたのかといえば、今の上越(直江津、高田地域)の人との会話ではほとんど標準語に近い会話となって、いわゆる新潟の『ずうずう』が全くなかったから。私の経験では、青森秋田ではその『ずうずう』に悩まされたが、新潟、岩手では悩むことはなかった。青森秋田は学生で同級生もいたが、やはりかなり鉛はあったが、新潟{新潟市出資い}の女性は全くといっていいほどなかった。
ということで、五木氏が何かそういった言葉を上越(上越市ではなく越後の中の上越地域)で見つけているのなら披露してほしいものと期待をしている。とはいえ、親鸞が流されたのは鎌倉時代、700年も昔の話、言葉は違うでしょうなぁ。それにその時代の古文書は上越地域には現存していないという上越市教育委員会の学芸員の話だけど。
まぁ、この先どういったアレンジをされたのかを見ていくことで…
タグ :小説「親鸞」
2011年01月04日
世の中まだ正月のようで・・
今日は私の仕事始め。車で実家に行ってきた。(行く必要もないけど、10日も明けておくわけにもいかないので)
車で移動のときに思ったことは、車の走りがすごく少ないこと。10時近くに空港線を北に向かって走ったけど、平常の4分の1もないくらいの車。走りやすいですねぇ。。。
途中で、買い物をしたけど、スーパ^も駐車場はガラガラで、買い物客も少なく。
実家の近くは、車の通りが多いところだけど、やはりここも車は少なく、本当に静か。まだまだ人は動いていないのですねぇ。
近くの行院のスタッフと新年のあいさつをしましたが、レセで忙しいそうですが、診療は明日からということで、仕事が本格的ではないということなのでしょうね。
このくらいいつものんびりしているといいのかもしれないですが。。。
車で移動のときに思ったことは、車の走りがすごく少ないこと。10時近くに空港線を北に向かって走ったけど、平常の4分の1もないくらいの車。走りやすいですねぇ。。。
途中で、買い物をしたけど、スーパ^も駐車場はガラガラで、買い物客も少なく。
実家の近くは、車の通りが多いところだけど、やはりここも車は少なく、本当に静か。まだまだ人は動いていないのですねぇ。
近くの行院のスタッフと新年のあいさつをしましたが、レセで忙しいそうですが、診療は明日からということで、仕事が本格的ではないということなのでしょうね。
このくらいいつものんびりしているといいのかもしれないですが。。。
2011年01月04日
三が日が明けて
今日はもう正月4日。娘は今日から勤めに出て行った。
年末の天気予報は、正月は大荒れといっていなかったかと思う。それが三が日は名古屋については非常に穏やかで、風邪も少なく日差しは暖かかったと思う。
新年早々の天気予報の大外れかな。
今日も南の空はきれいに晴れ渡っている。ものすごくきれいな青空だ。この数日間に工場などから排泄される汚れたものが少なかった、そして車の走りも少なかったからということなのだろか?
こうしたきれいな空気がいつもであるといいのだけどねぇ。。
さて、私もそろそろ動き始めないと。
年末の天気予報は、正月は大荒れといっていなかったかと思う。それが三が日は名古屋については非常に穏やかで、風邪も少なく日差しは暖かかったと思う。
新年早々の天気予報の大外れかな。
今日も南の空はきれいに晴れ渡っている。ものすごくきれいな青空だ。この数日間に工場などから排泄される汚れたものが少なかった、そして車の走りも少なかったからということなのだろか?
こうしたきれいな空気がいつもであるといいのだけどねぇ。。
さて、私もそろそろ動き始めないと。