2011年01月23日
イ・サン 第72回 最後の肖像画
朝鮮国内ではソンヨンの病気を治す医者がいないとばかりに、清から西洋医術の医者を連れてくることにし、テスが連れてくるのだが、ソンヨンは王~イ・サンの肖像画を書いているときにイ・サンの帯を風邪で飛ばされ、それそ探している最終に倒れる。そして、ソンヨンを探しに行ったイ・サンに見つけられ、その腕の中で息を引き取る。
腹の中の子供も連れて行ってしまったぞ。これは、今回ちょっとだけ筋の中に出たけど、、ソンヨンが連れて行ってしまったことを嘆く話はなかったなぁ。。
一方では、新首都の建設が進んで、その準備がたを宣言する王だが。これには大妃が裏でかく乱を狙っているが。それは王も承知で、近々動き出すだろうと。。。
今回は、ソンヨンの弟が顔を出す。それは天主教{キリスト教}の関係から西洋医実でソンヨンを助けられないかという王から意見を求められたものだ。これで、清に石を迎えに行ったのだが。。
(この先、この弟はどういう扱いされるのだ?)
今回は、こういったことで話は終わる。次回は、大妃の絡む老論派がk反旗を翻し、新首都で戦争状態になるらしい。
**
今回、ソンヨンが死んだが、王の周りはdされも喪服来ていなかったなぁ。これまで側室が死んでも喪服来ていたと思うけど。。なぜ???
腹の中の子供も連れて行ってしまったぞ。これは、今回ちょっとだけ筋の中に出たけど、、ソンヨンが連れて行ってしまったことを嘆く話はなかったなぁ。。
一方では、新首都の建設が進んで、その準備がたを宣言する王だが。これには大妃が裏でかく乱を狙っているが。それは王も承知で、近々動き出すだろうと。。。
今回は、ソンヨンの弟が顔を出す。それは天主教{キリスト教}の関係から西洋医実でソンヨンを助けられないかという王から意見を求められたものだ。これで、清に石を迎えに行ったのだが。。
(この先、この弟はどういう扱いされるのだ?)
今回は、こういったことで話は終わる。次回は、大妃の絡む老論派がk反旗を翻し、新首都で戦争状態になるらしい。
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今回、ソンヨンが死んだが、王の周りはdされも喪服来ていなかったなぁ。これまで側室が死んでも喪服来ていたと思うけど。。なぜ???
タグ :イ・サン
2011年01月23日
大河ドラマ『江』 第3.回 信長の秘密
信長が家康に命じて妻・築山と長男・信康の殺害を命じ、家康はそれを飲んで実行する。
この事件を知った江は信長の真意を確かめるべく手紙を何度も出すが、やっと来た返事には、『聞きたければ直接来て聞け』と。それに応じた江は安土に出向く。
そこで、信長が認めている人間と対面する。宣教師・フロイス、秀吉の妻・おね、そして千利休。これには、信長の江の教育という面があるのだろうが。。。
なかなか、つき山事件の信長の真意を聞き出せなかった江だが、琵琶湖の島・竹生島 に出かけたおりに聞き出すが、「そう思ったからしたまで」との返事に、『わからない』と戸惑うばかりで。。
この信長の言葉は、かなり難しいことなのかもしれないけど、つまりは『命令を受けても最終的にそれを決めて実行するのは命令を受けたものだ』ということだと思う。
誰が何を言おうと、最後にそれを実行するのは言われた言葉を埋めた人間である。いやなら拒否すればいいだけのことだから。しかし、一般には強い人間に言われると拒否できないという。しかし、拒否できないと判断するのも、受けた人間ということ。
何かの言葉を受けたら、それなりに覚悟が必要ということなのだろう。戦国の時代には、それなりの覚悟をもって人との付き合いをしなければならなかったのかもしれない。いや、現在でも同じことではないか?人との付き合いというものは、いつの時代でも、自分の吐く言葉、人のはく言葉のやり取りの中で、責任をもって処理をするということ。これは、いつになっても変わらないだろう。
ただ、いまは、責任を持った人が少ないと言えるかもしれない。
この事件を知った江は信長の真意を確かめるべく手紙を何度も出すが、やっと来た返事には、『聞きたければ直接来て聞け』と。それに応じた江は安土に出向く。
そこで、信長が認めている人間と対面する。宣教師・フロイス、秀吉の妻・おね、そして千利休。これには、信長の江の教育という面があるのだろうが。。。
なかなか、つき山事件の信長の真意を聞き出せなかった江だが、琵琶湖の島・竹生島 に出かけたおりに聞き出すが、「そう思ったからしたまで」との返事に、『わからない』と戸惑うばかりで。。
この信長の言葉は、かなり難しいことなのかもしれないけど、つまりは『命令を受けても最終的にそれを決めて実行するのは命令を受けたものだ』ということだと思う。
誰が何を言おうと、最後にそれを実行するのは言われた言葉を埋めた人間である。いやなら拒否すればいいだけのことだから。しかし、一般には強い人間に言われると拒否できないという。しかし、拒否できないと判断するのも、受けた人間ということ。
何かの言葉を受けたら、それなりに覚悟が必要ということなのだろう。戦国の時代には、それなりの覚悟をもって人との付き合いをしなければならなかったのかもしれない。いや、現在でも同じことではないか?人との付き合いというものは、いつの時代でも、自分の吐く言葉、人のはく言葉のやり取りの中で、責任をもって処理をするということ。これは、いつになっても変わらないだろう。
ただ、いまは、責任を持った人が少ないと言えるかもしれない。
2011年01月23日
今日の木彫り 達磨さん」
右側が今日彫ったもの。左は昨年暮れに彫ったもので、背の高さは同じ。ただ、我が家の庭の桜の枝を切ったmのを使っているので、太さが違って、おかげで立体感が違ってしまった。
達磨さん といっても、あのずんぐりの丸いものをイメージしていない。ただ、じっと祈る姿をイメージしたもので、顔はちょっときつくしてある。
実は、昨年暮れに丸いだるまさんに挑戦したけど、失敗してイメージが全く違うものになりそうなので、途中で放り出してしまった。過去放り出したのは2つ。一つは大黒さんで、もう一つが丸いだるまさん。
大黒さんがうまくいかな語ったことが、宝くじが当たらないということなのかも。何時か作らねば。。。
この次は、大きいやつに挑戦しようと思っている。その前に、阿弥陀さんの立像を作らねば。。。