2023年04月07日

仏像を彫る なぜ? その1・仏教との出会い

 今日は、日頃思っていることだけど、なかなか書く機会がなかったことを書こうと思ってます。
 タイトルに書いたように、書くのは”仏像”に関してということです。

 これをお読みになっている方が、どんな目、思いを持って仏像をご覧になっているでしょう。心底信仰の対象として、願い、祈りを込めてご覧になっているかもしれません。私はそういった方からはお叱りを受けるかもしれませんが、信仰心を持って仏像を見るということはありません。というのも仏像は私には信仰の対象ではないからです。つまり、仏像に向かって”祈る”ということも基本的にありません。仏像の前で祈る形を取ることはありますが、それは仏に向かっての祈りではないのです。後で書くことになりますが、多くの場合感謝の気持ちを表すために、気持ちを込めて見ています。
 
 私は美系の学校を卒業しています。その4年の過程で、特に3年生の時に古美術研究というある種の大学の修学旅行で2週間かけて、奈良と京都の多くの博物館、美術館、寺を巡りとにかくたくさんの仏像に接しています。また、中学高校の6年間は、仏教系の学校で浄土教の教えを受け、遠足などはこれまた多くの寺に参拝するという機会をもらっていました。
 
 25年ほど前に親族の法要が多くなり、その度にお経に接する機会も多くなりました。我が家は浄土真宗の檀家で、否応なしに法要では「正信偈」を読むことになるのですが、あの漢字だらけの文章を周りが唱えているのを耳にしながら、字面を眺めていて、ある時”源信”という言葉を聞き取りました。
 その時、「何故お経と言われるものに人の名前、源信=法然の名が出るのだ?」と思ったのです。その当時は、お経がどんなものかという知識はあ全くありませんでした。ましてや中に書かれている内容がなんであるかも全く知らなかったのです。
 しかし、その「何故法然の名前が」という疑問は、私の好奇心に火をつけました。まぁいくら疎いとは言え、歴史の中で必ず出てくる名前であり、しかも中学高校は浄土宗の宗門の学校で、浄土教の教えはしっかりと植え付けられています。しかし、お経が何たるかは教えられていなかった(と記憶してます)
 「正信偈」というのは、浄土真宗の中で重要なものですが、これは親鸞の書いた膨大な教行信証(正確には『顕浄土真実教行証文類』)の最後に書かれているもので、いわば親鸞が阿弥陀如来に帰依している理由が書かれ、多くの人にその素晴らしさを伝えようとしているものと今の私は思っています。
 しかし、何故ここに法然の名が出てきているのか?多くの人は理解しているのだろうかと疑問に思うのですが、要は、日本に浄土教の教えが広がることになる、仏教の歴史の中での過去からの龍樹、天親からはじまって法然までの7人の菩薩、僧(これを七高僧と言います)の名前を列挙しているところがあり、その最後に”源空=法然”が含まれているのです。
 あの漢文の正信偈では、一体何を親鸞が言いたいのかわかりませんでした。正信偈を和文にした「和讃」を読むとある程度理解ができるかと思います。それでも親鸞が本当に何を言いたいのかわからない私です。

 そこで、親鸞という人物像を調べ始めました。
 理由は妙味を持ったということなのですが、もう一つこと共頃から気になっていることも原因の一つで、その気になることとは、小学校の高学年の頃のある日、どこかのお年寄りの女性から「親鸞みたい」と言われたことが心に残っていたのです。
 
 結構たくさんの親鸞に関する本を買い込んで読んだものです。まぁ多くが伝記のようなものでしたが、それらを読んでますますわからなくなって、とうとう親鸞研究行脚をすることになってしまいました。親鸞が立ったところに立ってみようとばかりに。
 まずは、生まれたと言われているところから始まり、承元の法難で流された上越、長く住んだ関東の拠点、茨城県稲田、帰京してから住んだところ、入滅の地などなど、それに加えて浄土真宗十派の本山を7本山見て回ったモノです。
 親鸞研究の経緯などは、書き出せばキリがないということになるので、この辺りで止めることにします。



次回は
仏像を彫る なぜ? その2・親鸞研究を経て円空仏との出会い




********************
仏像は何故彫られたか
仏像を彫る なぜ?

その1・仏教との出会い
その2・親鸞研究を経て円空仏との出会い
その3・官製の仏像の建立
その4・民間の仏像の造像と円空仏

  

Posted by 生田 at 14:24Comments(0)TrackBack(0)趣味の木彫り

2023年04月07日

4月7日 金曜日 雨 ちょいと強い風 天気の?体調不良ぎみ

昨日寝起きの段階から
何だか体調が変
体が重いのだ
肩こり、頭痛、鼻水
加津んに花粉症の流れ
しかし雨で花粉少ないはずなのに
気温が低いから
寒暖差アレルギーが出ているのかも

昼飯の前に睡魔に襲われて
2時間熟睡
これで気持ち良くなるかと思ったけど
根受けが完全に獲れずに

そんなところに孫がやってきた
小さい孫(今日から小学校3年生)
買っていた金魚が死んだからと
我が家の庭に梅に来たのだ
マンション暮らしはお墓が作れないものなぁ

体が重いから
まともな相手をしてやれなかった
雨は上がっていたけど
風が強くなり始めたので
早々に帰っていった

その後も
体重いから
座椅子に座ってボケェとTV見ていた

夜はキムタクの”教場II”を見終えて
11時半まわっていたところで就寝
夜中また頭痛
どうも枕の高さがあっていないようだ

遅く寝た割に
朝は7時に目覚め
寝ていても頭痛いので起き出した
あたから血が下がったのか
頭痛は少しおさまった

新聞入れに外に
今朝も雨だ
それに東風が強い

ドラゴンズが久々に勝った
記事を読みながらの朝飯

今朝はトーストとコージョーだけ

食べ終えて
雨の中ぶーうレンズの長いのをつけて
庭のショット
まともに撮れてない
何とか見られるものだけを
編集した


フリージアは
たくさん開いているけど
こんなバラバラなんで
・・・


ヤマザクラ
まだ今日の風と雨でも落ちないと思う
落ちないで欲しい


ツツジは
数日後に開きそうです



観測用の柿の葉
枝も伸びたし
葉も開いたので
ショットがだんだん後ろからになってきて


今朝の西上空です
少し南の方を撮ってます
重い空だなぁ

今日は終日こんな天気だそうです
体調戻さなくては

昨日できなかった
身辺整理
今日は少しやろうと思ってます



人工内耳装着
手術まで20日
  

Posted by 生田 at 10:00Comments(0)TrackBack(0)今日の日
  
2015大津・京都の旅
1泊2日のドライブ旅行
2015北海道・道東の旅
1週間870kmのドライブ旅行
大学OB会と
50年ぶりの鎌倉
OB会の後に鎌倉と横浜に行ってきました
15年年頭 広島宿泊の旅
鞆の浦、竹原、宮島に行きました
14年秋 京都宿泊の旅
久しぶりに新幹線に乗りましたが・・・
13年秋 京都ドライブ旅
京都の紅葉の名所・毘沙門堂に行きました
12年秋 室生寺ドライブ旅
すてきな観音様と再会です
室生寺五重塔
12年秋 京都ドライブ旅
1年ぶりの京都です
三千院
10年秋 平泉ドライブ旅
4泊5日 2000キロの一人旅です
平泉・わんこそば
   
10年夏 室生寺 日帰り旅
素晴らしい観音さんに出会いました
室生寺・五重塔
10年初夏 宇治・長岡 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに黄檗山満福寺・六地蔵・法界寺谷寺・長岡天神
布袋さん
09年秋京都 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに 紅葉がきれいな京都
南禅寺の紅葉
08年秋京都 日帰り旅
08年11月25日貧乏・一人・日帰り旅の記録です。
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生田
 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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