2007年07月08日
旅の記録 筑波山麓を走る
2005年5月10日 報佛寺から下妻へ 筑波山麓を走る
または、 日本横断 その2
報佛寺の奥さんにお茶はいただいたが、これから予定する長野までの長丁場には少なすぎる量だ。それに最近のこの近くの高速道路の状況も知りたいのでサービスエリアへ飛び込む。
そして案内所に行き、地図をもらい、その地図をみながら「下妻」にはどのようにいけばいいかを聞いてみるが、案内所の女性人2人はご存じないようで、まともな道順として「土浦北インター」で降りて125号線を西に行くことを薦められる。しかし、この道順では山麓から遠いよなぁ。。。。
また、彼女らの進言を無視するコースを取ることになった。(こうして、今回2回女性の進言を無視したことのしっぺ返しを後々になって受けることになろうとは・・・女性は怖い)
お茶を買おうとしたのだが、好みのお茶がない。「爽健康美茶」の大きいのがないのだ。小さいのでは意味がないから、致し方なく「ポカリスウェット」のペットボトルを買った。最近飲んでいないのだが、この暑さの汗かくときにはスポーツドリンクがいいかと思っただけのこと。
しかし、飲んでみて、甘いこと甘いこと。(TVで「『これまでのスポーツ飲料は甘かった』なんてCMをやってたなぁ」なんてことが、頭に出てくる。)しかし、それにしても暑いのだ。かなり汗をかいている。
高速では窓を開け放して走るわけにも行かないので、エアコンをつけて走っているが、暑いよ。前日は桜が咲いていたし、軽井沢ではすごく涼しかったのに。そんなに高低差があるのか。確かに、このあたりは日本の中で一番大きな平野で高地ではないのだろうけれど。
広い広い常磐道を走って、予定のコースで千代田石岡インターで降りる。さてここで地図を見ていない。とにかく西に向かう道に入ったのだが、何を思ったのか、頭の中の地図の記憶でインターを出て右折すると出た。それを実践して右折したのはよかったが、なんと疑問符がつく道路に入ってしまった。方向的には問題ないのだが、通行量が少ない。やはり間違えたようだ。それでも道なりに走っていいたら、正解のとおりの道に出たようだ。県道ナンバーがついている。
(後で、地図を調べたら、右折はいいが、もっと先で三叉路を右に取るのだ、直角に曲がるのではなかった。またもちょっと大回りしたようだ)
天気は、上々のドライブ日和、高速道路以外はこのあたりは杉の木もないので窓を全開にして走ることができる。目の前、もしくは右に筑波山が見えるのだ。当初のとおりのコースで正解だったと。国道ではないから広くはない、それに行き届いた整備でもないので多少問題はあるけれど、流れは大変にいい、気分は快適といっていい。
ただ、私の地図が古いから現在は走っている道と地図が一致しているかどうかは、いまいちわからない。それに、たった一人での長距離運転は、地図を見ることもままならないので道路の案内板が唯一の頼り、それに書かれている都市の方向へ車を向けるしかないのだ。
**
筑波山は、そんなに高い山ではないが、このあたりの地形が非常に平らであり、ちょっとの高さでも非常に高いという印象になるだろう。走りながら、「筑波山の四六のガマ」のガマの油売りの口上や「ガマの混声合唱団」なんていう、今の若者にはあまり縁のない話を思い出したものである。
それにしても、関東平野の中で、どうしてここだけがこんなに高いのだろう。いや、茨城県は、水戸から西の笠間あたりまでは国道50号線を境にして、北側はちょっとした山地になる。
親鸞聖人のゆかりのところは、多くが平地なのだ、こんなことはどの学者も書いてはいないのだが、親鸞が住み着いていた所のなかで唯一といっていいくらい山に近いのが稲田草案=西念寺である。
もっとも、生まれたといわれている京都・日野の法界寺は、確かに山の中だ、それに大谷の廟も山の中だが、これはちょっと横においておこう。
聖人の本廟のある大谷を除いた各地は、三重県津市の専修寺は海岸から中には入っているが標高はそんなに高いところでもなく山にまではまだ距離がある、上越の浄興寺も海岸からは離れているが山にまではまだ距離がある。
**
筑波山の真南あたりに来たときに方向を変える必要が出てきた。標識がそうなっている。しかし、チラッと見た磁石が北西を指すのだ。これは正直心配になって、南西に向かって進んできて、北西に進路を変えるわけだから。しかし、そのまま標識に従って信号を右折した。
これは、後で地図を見てわかったことだが、ここまでの道は南西ではなく全体には西を向いていたことになる。下妻は、高速を下りた千代田石岡インターよりもほんの少し北にあるようだ。だから、この道・国道125号線は北西を向いているのだ。(しかし、走っているときは、新しい案内板によればそちらに行かなくても私が左折した方向で、県道を通っても目的地にいけるようだ。(地図は、新しいものを用意するべきだ・・もしくは、カーナビを付けねば)
知らない道、初めての道は、遠く感じるものである。水戸の報佛寺を出てから2時間はたっていない。予定通りの時間より1時間以上の遅れのままで走っている。もうお昼を回っているのだ。
国道125号線に出てからは、眼にする標識には「下妻」が書かれている、この方向で間違いないことを示してはいるのだが、なぜか方向が微妙にずれているように感じる。どうしてそう感じるのかはわからない。後になって地図を調べても間違っているわけではないが、なんとなく西を向いているのではなく、西南を向いているような感覚に陥っているのだ。
これを書いている今、その理由を考えてみると、朝から太陽の出た状態で走り続けていると、時間と太陽に位置の感覚が狂ってくるのかもしれない。目に入ってくる車の中の陰の位置が大きく変化しないのだ。この日は、最初は正面から太陽の光が入っていた、そのままの状態で真東に向かっていたから日が高くなっても、影は短くなっただけ。それが高速に乗ってからは南を向いているから、それまで真東を向いたのと変わりはあまりない。筑波山麓には一時は、西を向いても影には大きな変化はないのだ。だから、こうして車での移動では、往々にして方向を間違えることがある。
方向のずれに関しては、この先ず~~とたたられる。
その理由は、 いずれ書くことにします。
**次回は、下妻市小島草案跡 **
**
過去の記録
2005年5月9日
名古屋から軽井沢 その1
名古屋から軽井沢 その2
軽井沢から達磨寺
達磨寺から高崎・前橋
前橋から専修寺 R50号線
栃木県真岡市で宿泊
2005年5月10日
栃木県二宮町の朝
朝のお勤め 高田・専修寺
高田・専修寺 その2
稲田・西念寺
水戸市河和田 報佛寺
報佛寺 坊守さんのお話
または、 日本横断 その2
報佛寺の奥さんにお茶はいただいたが、これから予定する長野までの長丁場には少なすぎる量だ。それに最近のこの近くの高速道路の状況も知りたいのでサービスエリアへ飛び込む。
そして案内所に行き、地図をもらい、その地図をみながら「下妻」にはどのようにいけばいいかを聞いてみるが、案内所の女性人2人はご存じないようで、まともな道順として「土浦北インター」で降りて125号線を西に行くことを薦められる。しかし、この道順では山麓から遠いよなぁ。。。。
また、彼女らの進言を無視するコースを取ることになった。(こうして、今回2回女性の進言を無視したことのしっぺ返しを後々になって受けることになろうとは・・・女性は怖い)
お茶を買おうとしたのだが、好みのお茶がない。「爽健康美茶」の大きいのがないのだ。小さいのでは意味がないから、致し方なく「ポカリスウェット」のペットボトルを買った。最近飲んでいないのだが、この暑さの汗かくときにはスポーツドリンクがいいかと思っただけのこと。
しかし、飲んでみて、甘いこと甘いこと。(TVで「『これまでのスポーツ飲料は甘かった』なんてCMをやってたなぁ」なんてことが、頭に出てくる。)しかし、それにしても暑いのだ。かなり汗をかいている。
高速では窓を開け放して走るわけにも行かないので、エアコンをつけて走っているが、暑いよ。前日は桜が咲いていたし、軽井沢ではすごく涼しかったのに。そんなに高低差があるのか。確かに、このあたりは日本の中で一番大きな平野で高地ではないのだろうけれど。
広い広い常磐道を走って、予定のコースで千代田石岡インターで降りる。さてここで地図を見ていない。とにかく西に向かう道に入ったのだが、何を思ったのか、頭の中の地図の記憶でインターを出て右折すると出た。それを実践して右折したのはよかったが、なんと疑問符がつく道路に入ってしまった。方向的には問題ないのだが、通行量が少ない。やはり間違えたようだ。それでも道なりに走っていいたら、正解のとおりの道に出たようだ。県道ナンバーがついている。
(後で、地図を調べたら、右折はいいが、もっと先で三叉路を右に取るのだ、直角に曲がるのではなかった。またもちょっと大回りしたようだ)
天気は、上々のドライブ日和、高速道路以外はこのあたりは杉の木もないので窓を全開にして走ることができる。目の前、もしくは右に筑波山が見えるのだ。当初のとおりのコースで正解だったと。国道ではないから広くはない、それに行き届いた整備でもないので多少問題はあるけれど、流れは大変にいい、気分は快適といっていい。
ただ、私の地図が古いから現在は走っている道と地図が一致しているかどうかは、いまいちわからない。それに、たった一人での長距離運転は、地図を見ることもままならないので道路の案内板が唯一の頼り、それに書かれている都市の方向へ車を向けるしかないのだ。
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筑波山は、そんなに高い山ではないが、このあたりの地形が非常に平らであり、ちょっとの高さでも非常に高いという印象になるだろう。走りながら、「筑波山の四六のガマ」のガマの油売りの口上や「ガマの混声合唱団」なんていう、今の若者にはあまり縁のない話を思い出したものである。
それにしても、関東平野の中で、どうしてここだけがこんなに高いのだろう。いや、茨城県は、水戸から西の笠間あたりまでは国道50号線を境にして、北側はちょっとした山地になる。
親鸞聖人のゆかりのところは、多くが平地なのだ、こんなことはどの学者も書いてはいないのだが、親鸞が住み着いていた所のなかで唯一といっていいくらい山に近いのが稲田草案=西念寺である。
もっとも、生まれたといわれている京都・日野の法界寺は、確かに山の中だ、それに大谷の廟も山の中だが、これはちょっと横においておこう。
聖人の本廟のある大谷を除いた各地は、三重県津市の専修寺は海岸から中には入っているが標高はそんなに高いところでもなく山にまではまだ距離がある、上越の浄興寺も海岸からは離れているが山にまではまだ距離がある。
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筑波山の真南あたりに来たときに方向を変える必要が出てきた。標識がそうなっている。しかし、チラッと見た磁石が北西を指すのだ。これは正直心配になって、南西に向かって進んできて、北西に進路を変えるわけだから。しかし、そのまま標識に従って信号を右折した。
これは、後で地図を見てわかったことだが、ここまでの道は南西ではなく全体には西を向いていたことになる。下妻は、高速を下りた千代田石岡インターよりもほんの少し北にあるようだ。だから、この道・国道125号線は北西を向いているのだ。(しかし、走っているときは、新しい案内板によればそちらに行かなくても私が左折した方向で、県道を通っても目的地にいけるようだ。(地図は、新しいものを用意するべきだ・・もしくは、カーナビを付けねば)
知らない道、初めての道は、遠く感じるものである。水戸の報佛寺を出てから2時間はたっていない。予定通りの時間より1時間以上の遅れのままで走っている。もうお昼を回っているのだ。
国道125号線に出てからは、眼にする標識には「下妻」が書かれている、この方向で間違いないことを示してはいるのだが、なぜか方向が微妙にずれているように感じる。どうしてそう感じるのかはわからない。後になって地図を調べても間違っているわけではないが、なんとなく西を向いているのではなく、西南を向いているような感覚に陥っているのだ。
これを書いている今、その理由を考えてみると、朝から太陽の出た状態で走り続けていると、時間と太陽に位置の感覚が狂ってくるのかもしれない。目に入ってくる車の中の陰の位置が大きく変化しないのだ。この日は、最初は正面から太陽の光が入っていた、そのままの状態で真東に向かっていたから日が高くなっても、影は短くなっただけ。それが高速に乗ってからは南を向いているから、それまで真東を向いたのと変わりはあまりない。筑波山麓には一時は、西を向いても影には大きな変化はないのだ。だから、こうして車での移動では、往々にして方向を間違えることがある。
方向のずれに関しては、この先ず~~とたたられる。
その理由は、 いずれ書くことにします。
**次回は、下妻市小島草案跡 **
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過去の記録
2005年5月9日
名古屋から軽井沢 その1
名古屋から軽井沢 その2
軽井沢から達磨寺
達磨寺から高崎・前橋
前橋から専修寺 R50号線
栃木県真岡市で宿泊
2005年5月10日
栃木県二宮町の朝
朝のお勤め 高田・専修寺
高田・専修寺 その2
稲田・西念寺
水戸市河和田 報佛寺
報佛寺 坊守さんのお話