2010年11月03日

ドラ 何とか勝ったよぉ

 たった今、試合終了。5時間死闘の結果。

 延長11回の表 ひでのり のヒットを谷繁が送って 大島の3塁打で1点。
 これを高橋と岩瀬とつないで守って勝利。

 初めは山本昌のラン症で、昨日と同じようになるのかと思ったけど、何とか挽回してくれた。

 それにしてもブランコの三振はいただけないし、荒木の村がおさまらないと、この次は難しいなぁ。

 まぁ、何とかこれで名古屋ドームに帰ってこれるから、名古屋でがんばって、日本一になって!!  

Posted by 生田 at 23:05Comments(0)TrackBack(0)スポーツ

2010年11月03日

10年秋の平泉への旅 17 平泉・中尊寺その2

 多少薄くなった霧の中の杉木立の参道を登っていく。気持ちはいいねぇ。でもこの杉木立は、私は春にはこれないのだ。この時期に来てよかったのだろうと思うよ。
 霧の中なので、紅葉云々なんて思いのほか。それに杉木立では紅葉も望めないし、なんて思いながらゆっくり登っていく。少し上がったところに最初の(最初に寄ってみたくなった)祠『弁慶堂』と書かれている。参道から左に少し外れて上がった。
 確か、参道の入り口に近くにも『弁慶の墓』と書かれたものがあったが、ここで弁慶は立ち往生したというのか?あれは衣川の合戦だろ?ここではないだろうが、後々供養のために建てたのだろう。由緒書を読むとどうにも江戸時代に再建されたもののようで、最初はいつ作られたかは分からないなんでも義経と弁慶の像があると書かれているが扉が開いてないからわかないよねぇ。。。。
 **この注所ん時もころ間川の戦いの一部のようだけど、衣川館は奥州市という話が**


 このお堂の前ではもう数人の人が右往左往。人のいない写真を撮りたいけど、ここでは無理だった。
  (なんとか撮れているものもあるけどなぁ、いまいち)

 この弁慶堂の横に地蔵さんやら雷神塔なんてのがあるけど、何のことやらわからない。それにどれが地蔵さんなの?

 弁慶堂から参道本筋に戻って暗いくらい杉木立の中をまた昇っていく。本当に歩くことをしてきてよかったと思うし、この先何年か経ってから来る気になっても登って行けるかやぁなんて思う。(観光バスで来ると、この参道=月見坂を上ることはないかもしれない。観光バスの駐車場はもっともっと上で、金色堂に近いところだから。でも、この月見坂は歩いて登りましょう。それなりの雰囲気はあるから)

 暗いところを上ると左に参拝できない何かがある。なんだろう??



 その反対側に「地蔵堂」があるが扉は閉まったまま、前の売店のしまったまま、まだ中尊寺は目覚めていないようだ。
 そして地蔵堂を少し上ったところで右に降りる道、そこに「あまざけ」の看板が。さむい時期で、開いていれば飲みたいけどねぇ。まだ店開いてない。

 また少し上がると反対側にまた扉のしまったままのお堂が。その前ののぼりには「瑠璃光如来」と書かれている。しかし、お堂には『薬師堂』とある。『薬師如来』を「瑠璃光如来」という?
 ここでネット検索。「瑠璃光如来」で検索してみると、『薬師如来』の別な呼び名とある。これは知らなかったなぁ。『阿弥陀如来』を『無量寿光如来』などというのと同じなのだろう。

 ここでちょっとだけ黄色い色の葉を見つけたぞ。



 また少しあがると右に脇道。そこには「奥の細道展」なんて高札が。今だけやっている展示会ではなさそう。いつもいつもやってんだろうなぁ。正直申して、私は俳句はやらないし。、短歌もやらないからこういうのは本当に興味ないんdなよなぁ。
 ただ、今までで画商の関係で写真を撮ったことがあるのは、上越市の直江津海岸にある金刀比羅神社の中の芭蕉の句碑くらいかなぁ。

 この高札を無視してさらに月見坂を上る。
  

Posted by 生田 at 16:54Comments(0)TrackBack(0)旅行など

2010年11月03日

ボケの実と柿の実

今日収穫したボケの実と柿の実です。


ボケの実です
たった一つだけ実をつけてました
多ければボケ酒を作ることができるようだけど


今年はこんな汚い形が多いです。
  

Posted by 生田 at 15:35Comments(0)TrackBack(0)庭の花など

2010年11月03日

怒 憎き鳥たちめ

 昨日柿の収穫をして、鳥たちの食べさしをそのままにして、まだ青いと思ったものを残してきたのだが、今朝になって柿の木を見たら、まだ青い中で一番赤いやつをつついているではないか。昨日の食べさしは完食している。いつの間に食べたのだろう?

 こんな故寿ていると、収穫の個数がもっと減ってしまうことになる。なんとか対策は・・

 ないんだよなぁ。コッチが起きる前に来るやつは何とも処理できないんだな。

 本当に、にっくき 鳥たちだ。  

Posted by 生田 at 12:27Comments(2)TrackBack(0)今日の日

2010年11月03日

10年秋の平泉への旅 16 平泉・中尊寺その1

 旅行2日目 キリ

 前日820キロのロングドライブをして名古屋から一関に到着し、一関の東北自動車道インターの近くのホテルに宿泊した。あれだけ走ったのだから、それなりの疲れがあるかと思いきや、それがそうでもないのだなぁ。。。かなり疲れたという感じがするはずなのだが、前々日の睡眠不足をも補うことない眠りでも、さほどの疲れを感じていないのは、まだまだ5泊6日の旅行の2日目という緊張感の中だからだろうか?

 目が覚めたのが6時くらい。いつもとそんなに変わるわけではない目覚めだ。気になるのは天気。下降気味という予想だったので余計に気になる。カーテンを開けて外を見ると、ん??外はグレーだ。まだ朝早い時間でモヤでも降りているのだろうという感じで思ってたのだ。
 
 このホテルの宿泊料金には朝食が含まれている。バイキングで食事提供開始は6時半。珍しく早い時間だ。大体いつもこのくらいに朝食をとっているからちょうどいいとは思う。
 荷物をまとめるだけまとめてレストランに行く。料理は、ん~~~、まぁ料金からいってこんなもんかぁ。まずくはないが、おいしいとは言えない部類だな。私の味付けと違うから思うことではない。

 日曜日の朝なので、見るテレビもないから、食事の後は荷物を正確にまとめて、点検。忘れ物のないことを確認してフロントに降りる。余分なものは使ってないからすんなりと関所を通りぬけて車に乗る。
 うわぁ、外は冷え込んでいるし、モヤなんてものではない。完全に一関の街は霧の中なのだ。

 7時45分にホテルの駐車場から車を出す。今日の行き先は平泉町中尊寺。車はその第1駐車場にナビをセット。あぁ。ガスを入れてやらないとどこでガス欠になるか分からない。国道に出てすぐのスタンドは反対側なので、そのまま直進したら国道4号線(この国道初めてだぞ)との交差点の左前方にスタンドが。左折するところだっけど、直進してスタンドに飛び込んだ。
 ガスを満タンに。38リッター入ったよ。820キロで38リッターということは、リッター辺り21.6キロだよな。ん???プリウスってこんなものか?我が家のフィットは1300だけど、これよりもうんとうんと伸びるぞよ。高速だけなら25位いくぞ。ハイブリッドって大したことはないなぁという感想。

 満タンにして国道4号に戻るのだが、戻り方がわからない、Uターンできないらしくてスタンドの女性が国道に出る道を教えてくれた。その指示に従って国道の下をくぐったところまでは良かった。(よくない、国道の下に入ろうとしたら突っ込んできた地元の車。東北は恐ろしい)
 ナビがその道を知っているらしく次の案内を出したのだが、ナビを見ていることができないほどの裏の細い道で、右折の案内を知らずに直進したら、一瞬ナビがパニックになった。すぐに立ち直ったが、今度はとんでもないほうに誘導し始めた。途中まで指示に従ったがどうにもおかしいので無視して、一旦戻って私の勘を頼りに国道に戻った。
 霧が深い。国道を走っていたら地元の車が車間撮らずにきたので、譲ってやるために止まったら、なんやら怒ったような。。。。エチケットの表し方が違うのか??
 そいつの車の後をかなり遅れてついて行ったら、平泉に入る辺りで飛んでおない深い霧に突っ込んでしまった。前の車が見えないほど。お先真っ暗ではなくてお先真っ白なのだ。

 そういえば、何年か前に長いドライブの途中に霧のかなで変なところに出たという小説を書いたことがある。なんかそのシーンに似ているなぁと思ったが、その小説では三途の川のほとりに来ていたのだが、今は現実の話で三途の川はないよぉ。(後で知ったけど、近くに北上川が流れていた)

 しばらくはしたら、キリはうすくはなったけど、どこを走っているかは分からない。しょうがないのでナビの指示する通りに走ったら、どうも私の勘では遠まわりをしている感じなのだ。国道が新しくなって(つまりバイパスができて)そっちに誘導している。そして途中から街の中に誘導しているのだが、そんなことなら最初から旧道を走らせてくれたほうがどれだけ近かったことか。それに東北線の踏切越えることもなかっただろうに。(文明の利器の勇み足)

 何とか待ちの中を右往左往てT字路に来て、ナビが右折の案内。右折したら、そこが中尊寺の参道の入り口だったのだ。
 信号を左折して、そして駐車場に車を入れる。駐車場の関署で500円払って。(払ったぞちゃんと払ったぞ)
 
 駐車場はガラガラ。私の車が4台目くらいだったかぁ。入口に本当に近いところに駐車。周りの位置を確認して、市が悪いと思ったのでちょいと車を移動させたら、駐車場のおっちゃんが飛んできた。
 なんだ??と思ったら、「駐車料金払ったか?」と聞きおる。今入ったばかりで、払ってきただろが。そういってやったら『領収書見せろ』って。ものすごく失礼ややつだ。見せてやったら謝ってはいたが、名誉毀損ものだぞよ。あぁ~あ、朝から嫌な日だなぁ。。。

 さて、やっと念願の中尊寺に来た。来たからにはそれだけのものを得て帰らねばならない。しかし、このキリ、かなり薄くはなったけど、まだまだ完全に晴れやらないし、霧が晴れたらどんな天気になるのやら。予報は雨模様なのだが。。。。
 まずは、参道の一番下に足を運んだ。そして参道を見上げる(本当に見上げるんです。坂になっているんです。)後ろにはでっかい建物があり、右手に案内書があって・・・・なんかでっかい葬儀場を頭に描いてしまった。自分で書いた小説の三途の川の先のイメージなんだよなぁ。そういえばナビが誘導した新しい国道では大きな川を渡ったぞ。まさかあれが三途の川だったのか??(北上川なんて知らないもんン・・・・)


 それに入口に菊の花を生けた大きなものがあるしなぁ。本当に葬儀場をイメージするぞ、あれでは。
 この写真で平泉の切りの程度がわからないでしょうか?右の建物は、ほんの少し離れているだけなのです。それが霞んでますよねぇ。。



 とまぁ、そんなことを頭に描いたものの、この先の浄土=阿弥陀さんのいるところに行かねばらないのだ。入口の石の阿弥陀さん?の写真を撮って参道(これを「月見坂」というのだそうです)を登り始める。


 登り始めて思ったことは、週に3回実家に行くときに名駅から実家までを往復してきたことが、ここで大きく役に立っていることが分かった。おそらく昔のまま車で何もかもを処理していたら、この中尊寺をこれから2時間半もかけて歩くなってできなかったと思う。
  

Posted by 生田 at 10:36Comments(0)TrackBack(0)旅行など

2010年11月03日

10年秋の平泉への旅 15 宮城蔵王PA~一関IC~ホテル

 土地の車の圧迫という恐ろしい思いをしながら仙台近辺を通過。そして安達太良から50分走って『宮城蔵王PA』に休憩のために立ち寄った。

 時刻は15時40分。 この時間で、ここでももうかなり薄暗く感じる。気持ちが焦る。
 『蔵王』という名前で飛び込んだのだが、『蔵王』には『宮城蔵王』と『山形蔵王』があるらしい。樹氷で有名なのはどっち??私にはわからないこと。多分位置的には山形かなぁ???

 蔵王という名前で高い山を想像し、近ければ紅葉を見ることができるという期待があったのだが、とにかく薄暗くて・・・そうかぁ。山がもう逆光になっているのだ。これは写真を見てわかった。左の遠くに太陽があり、山は完全に逆行になっているから色がわからないのだ。もっと早い時間でないと山の色はわからないあみたいだなぁ。


 写真を見てわかるとおりの逆行です。東を見ればそうでもないかもしれないけど、見る山々が反対側の西なんですねぇ。。(これも日本の壁)


 宮城蔵王を後に三本木PAを目指す。

 こう薄暗く感じると本当に気が焦る。いくらホテルを予約して安心とはいうものの、知らない土地は迷うことも考えられる。だから、次へ次へを気持ちが焦っていく。

 ここから次の休憩地三本木までは何がどうしたのかの記憶はかなり遠い。
 そうだ、平泉から帰路に通るはずの山形道への乗り換えの村田JCを通っているが、ナビの表示がなんとなく変だったように思う。何が変というと、各拠点までの走行距離表示が・・・(ん?郡山と頭の中が混乱しているかな?)
 とにかくだんだん薄暗くなってくるんで、気持ちが焦っているだけ。心細くもなってくるねぇ。。
 

中央右のプリウスが綿の借りたもの

 三本木PAでの写真を見ると空はまだ明るいのだ。それが薄暗く感じるのは、やはり周りの景色が黒っぽくなってきているからだろう。走るときは空ではなく、地上にあるものを見ているから、日が低くなって影が多くなるものを見ていると薄暗いイメージを持つようになっているのだろうと思う。
 しかし、三本木PAでは16時半。この先は休憩なしに一関まで走っているが、一関に着く前にはもう真っ暗だから、やはり名古屋よりも日の入りの時刻が早いのがわかる。それは覚悟の上の長距離ドライブだったのだが。
 16時半ということはすでに11時間を超え12時間に近くなろうとしている。疲れは出ていないのが救いだ。それに睡眠不足の割には、睡魔も近くに来なかったし。


 さて、三本木で最後の休憩をとった。暗くなってきている東北自動車道をひたすら北に向かって走る。ヘッドライトは確か蔵王を過ぎたあたりでつけているはずだ。この辺りのやつだ、ヘッドの点灯が遅いぞ。

 三本木を出てどのくらい走っただろうか?もう完全に暗くなったころに、進行方向右手に大きな満月が見えてきた。そうか、北に向かうから月の出が右手になるのは当然だよな。それにしてもかなりでかい月だ。こんなでかい月を見たのは初めてかもしれない。もしくは大昔子供の頃、空気のきれいだったころに見たことがあるかもしれない。
 中秋の名月といわれる絵を見ると月見団子の後ろに大きな黄色い月が描かれているが、その大きな黄色い月が今出ているのだ。
 この月は、一関の近くまで一緒に走ってくれてのだ。

 岩手県の平泉という土地、中尊寺の阿弥陀さんが大きな満月で出迎えてくれたのかもしれない。(浄土へのお迎えでなくてよかったが)
 実は、車を止めて写真を撮っておけばよかったのだろうが、もう止めるPA、SAはなかったのではないかと思う。残念だなぁ。。。。

 
 今回の旅行では、かなりな数のシャッターチャンスを逃がしている。それは、運転中という宿命がさせているのだ。誰か隣に乗っていれば、走りながらでもシャッターを切ってもらえるのだが。一人旅はそうはいかないかさしい現実。
 ビデオでも持っているといいのかもしれないなぁ、と走りながら何度思ったことか。といって、私あはビデオという選択肢は過去全くなかった。おそらくこれからもビデオ撮影という選択はしないだろうなぁ。。。あるとすれば息子のビデオを借りることかな?


 さて、高速最後の一関インターに到着。17時10分だ。高速だけで12時間以上を走りぬけてきた。もう真っ暗中をホテルを探して。。。。
 インターのランプを抜け、料金所の手前で位置は大体見当がついたが、そのホテルへの入口がわからず、右往左往。5分ほど国道を行ったり来たり。知らない街は怖い。

 右往左往してやっとホテルの入口に。緊張が多少ほぐれたが、まだ宿泊カードに記入していない。完全に寝るところの確保はできていないのだ。
 といいつつ、宿泊カードも記入して、荷物をおろして部屋に入って。これで、取り合えす今日のドライブは終了。後は晩飯だぁ。
  

Posted by 生田 at 08:12Comments(0)TrackBack(0)旅行など
  
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生田
生田
 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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