2010年11月14日

イ・サン 第64回 悲しき暗殺者

 どうもタイトルが毎度一つ先になって。 困るなぁ。でも今回は兆候としてみるべきかもなぁ。

 ホン・グギョンと大妃との取引が表にで初めてそれを断念すると腹を決めたように思えるホン・グギョンだが、王妃からの叱責と取引を王=イ・サンにばらすという宣言で、ホン・グギョンは王妃暗殺を決める。
 まぁ、それまでにも王妃の実家を捜索させたり、何かと王妃の弱みをでっちあげようとしてるが、その行動、命令で部下たちもなんか変と気づいて。。。
 逆にテスは、王妃からホン・グギョンの行動を調べるように依頼されるし。。。。王妃とホン・グギョンの葛藤は深いところに来てしまっている。それが王妃暗殺よいうホン・グギョンの気持ちになったのだが。
 
 王が行幸に出るといい、王妃とソンヨン(ソン尚宮)を伴うことにした。そしてその警備をホン・グギョン率いる宿衛所に任せることになった。これを利用しようとするホン・グギョンだが。
 ちょっと筋書きがあちこちに飛んで、毒殺、銃殺などいろいろ取り揃えているのだが、こんなにたくさんの人間をかませたら、すぐにばれてしまうだろうに。悪をして目が見えなくなると、こういうものなのだろうが、それにしても筋があまりにも粗い。
 大体が、王や王妃が食べる食事などには毒見役はいないのか?それにだれが作った川ならない食事を、簡単に持って運ぶ人間が入れ替わったり、王族に対しての警備が全くなされていないではないか。警備というのはなにも武器など防寒なら守るだけではなく、口にする者などにも気を配らないとか行かんのになぁ。。。
 ドラマを面白くしようとしているんドアろうが、ちょっとばかし日本の筋書きとは違うよな。確か、このドラマのどこかに、毒見役の話があったように思うけどなぁ。
 しかし、ほかの韓国歴史ドラマでも、王が毒殺されるというのがある。平日の午後4時からBS日テレでやっている「王と私」でも王が飲み物に入れられた毒で殺されている。どうして、毒見役がいなあいのだろうと・・・・ (いたらドラマの筋書きが面倒になるのは多彩かだけどねぇ。)

 さて、ソンヨンだが、どうも体調を崩していて、王や王妃が心配をするのだが、行幸先で倒れてい。。。 なんとなく懐妊の兆候ですかなぁ。  

Posted by 生田 at 22:22Comments(0)TrackBack(0)TVなど

2010年11月14日

龍馬伝 第46回 土佐の大勝負

 龍馬が土佐に帰った。鉄砲1000兆という土産を持って。そして土佐藩の音の山内容堂に会見を求める。
 抵抗していた容堂に、後藤象二郎が『今の世の流れを作ったのは龍馬にございます』と。その言葉に容堂は『なぜそれを隠しておったのか』と後藤に迫った。後藤は『龍馬が妬ましかった』と心の底を吐露する。

 これで、容堂は腹を決めた。龍馬に会い、龍馬の八策を読んだのだろう。そして結果的に「大政奉還」の建白書を書いたのだ。
 容堂としても覚悟の建白書である。徳川の威信が残っていれば、藩が取り潰され、お家断絶という憂き目になるやもしれぬからだ。その覚悟は後藤の「大殿の覚悟での建白書ならばハン氏はみなし互いでしょう』の言葉に腹を決めたようである。

 坂本龍馬という、土佐藩の一介の下士、しかも脱藩した侍の成し遂げた大仕事なのだ。これから先は、歴史上の事実として『らい性本館』は実現の方向に行く。

 ただ、これは龍馬の命を短くしただろう。世の流れを作ったものに対して、それによって消えざるを得なくなれう権力者からの反発は大きいものだ。(ドラマでは、この先のことはあと2回に・・・)
 こうした世の大きな流れを作るときは、命をかけなくてはならないこともあるだろう。今では命はともかくとしても、人生、生活をかけざるを得ないこともあると思う。
 それだけの覚悟があるか否かで、その人物の記憶が決まるのではないか。

 いつの時代でもそう思うけど、激動の時期は、それなりに覚悟をもった人間が必要となるのかもしれない。
 では、今の日本は?
 私は、ある面で激動の時代と思っている。いつ破綻するか分からない日本の財政事情からいって、この問題を解決できる人間は、それなりの覚悟をもった人間でなければできないのではないかと思っている。
 覚悟をもった、腹の太い政治家が出てくることを望んで。。。  

Posted by 生田 at 19:02Comments(0)TrackBack(0)今日の日

2010年11月14日

縁日 八事・興正寺

 昨日13日の話。
 八事の興正寺の縁日は毎月5日と13日。
 なぜか毎月行くようになってしまって。興正寺が『ぽっくり』を願う寺らしいが、まだそんな気にはなれない私だけど、何のかんの行くと面白いものを見つけたりするので、毎月行くようになってしまった。
 ただ、いつもは5日に行くのだが、今月は5日は実家いに行く日で交渉時には行けず、珍しく13日・昨日行くことになった。
 
 はぁ・・・5日に比べるときている人が半分くらいって感じがしたなぁ。同じ縁日だけど、日によって何か違いがあるのだろうか?私はわかりません。
 そのせいか、中の店もいつもあるとk炉がないものも。へぇ・・・

 そうそう、交渉時は、中に入ると最近手を入れて『無量橋』なんて橋があって、その下を人工のせせらぎができている。前から工事はしていたけど。そのせせらぎの横に新しい駐車場ができているよ。ここも金取るのだろうか??

 中は、これといって珍しいんのもなく、本堂の前は相変わらずスピーカーで何やら堂さんのいう言葉でうるさくて。まぁ、来たからには本堂の阿弥陀さんに手を合わせて。(真言宗で、阿弥陀さんというのもなぁ。。信号ン州では阿弥陀さんは隅っこにいるんですよねぇ。京都の東寺に行くとね)

 他で買うのと高いか安いかはぎりぎりの選択だけど、毎月買うものを買ってAEON八事にいって、買い物をして。(昼のラーメンや卵や・・・)
 そうそう、その途中で、八勝館の前で色づいた木を一枚。(興正寺の中も色づき始めてます)


 そして、10分で1000円の床屋さんがあるので、ためしにと入ってみた。はい、びっくり、きちんと10分で仕上げてくれたよ。髪の毛伐採りで、頭軽くなって、面長に見える。

 AEONから自宅まで歩くことに。前にも歩いているけど。約40分かかる。
 ただ、途中で歩く道を間違えたと思った。Franteの前を通り過ぎてバス通りを歩いてしまったが、そちらに折れないで小学校のある方に行ったほうが、木の色づきが多かったようだ。
 だから、写真は、いいのなし。

 音聞山の交差点の近くで、写真の置物を見つけた。
 面白い置物だけど、どこのものだろう?ただ、面白いと思うけど、私はそんなに好きではないなぁ。こんなの庭にあったら、気持ち悪い。なぜかわからない私自身。
 
 この置物は食べ物屋さんのものらしいけど、お休みか開店前かだろうなぁ。何の店か記憶に残っていない。(残すように注意をしていなかったから)  
タグ :興正寺縁日

Posted by 生田 at 15:28Comments(0)TrackBack(0)今日の日

2010年11月14日

10年秋の旅 40 上越市・えしんの里

 平泉までのドライブ旅行の4日目。前日は、雨だった。そしてこの日も雨。おかげで新潟市辺りから上越までをのんびり開眼にそって、佐渡島を見ながら走るということは完全にあきらめなければならなくなった。その結果が、宿泊は何と妙高市。(上越市の南隣りの市)

 朝、6時半に起床。大体いつもと同じ時間。外を見ると雨、といっても小雨だが、雨には変わりない。どうしようかと思案。実は、この日は「えしんの里」に行く予定なのだが、休刊日と昨夜ホテルの女性に教えられた・ということは資料館には入ることができないのだ。何という資料があるわけではない、別室に親鸞関連の国宝などのコピーがあるといったところかな。
 4年前に来た時に、完成直後のえしんの里を見ているので、まぁ今回はしょうがないなぁと諦めるよりない。しかし、その横にある(本来こちらが主体なんだけど)西本願寺が管理する、恵信尼廟所といわれている五輪塔などのあるところは自由に見ることができるはずなので、えしんの里の駐車場に車を置いて見に行こう(お参りに行こう)。

 食事は、同じホテルチェーンなので大体が同じメニュー。朝食を済ませて8時にホテルを出る。なぜか車を発進させたのが8時7分となっている。荷物まとめてたのかな??いや、ナビのセットを迷ったのだろう。
 ナビのセットはした。案内開始したら、ん??逆方向に走れと指示。私の知る道とは違うようだが、この際指示に従って進んでみた。結局同じところに出たけど、裏道を走らなかっただけのことだ。
 このナビの支持する道を走っていたら、「かんずり」という上越地方特産のからし(唐辛子を熟成したもの)のメーカーの前を通った。妙高市(旧・新井市)にあるのは知っていたが、1本裏側にあったとは気づいていなかった。

 そして、もう何度となく来ている恵信尼さんの廟所。「えしんの里」として整備されてからは2度目。(建築中にも来たことがある) 広い広い田んぼの中にきれいな建物が遠くにみえる。そんなイメージを描いてください。
 県道からえしんの里に向けて右折すると、山に向かっていくことになる。(この山の上の方には山寺薬師や名水がある)。進行方向右手には水力発電所が見えるのだ。
 この辺りは上越の平野の一番見ない見辺りに位置している(ここから南はだんだん急になり山地になる)のだけど、そんな平野に発電所があるなんてねぇ。。


中ほどに見える白い建物が水力発電所。
背景の山からパイプが出ていて、そこを水が落ちてくている。


 写真のような雨模様なのだ。少し進むと左に「えしんの里」の立花で切れいた建物がある。その建て美濃の北側に広い駐車場がある。おそらく浄土真宗の関連のバスツアーなどの団体さんがバスできたときのことを考えているようだ。


休館日の「えしんの里」資料館

 その広い駐車場には車は一台も止まっていない。一番隅っこに車を止めて、五輪塔の方に歩いていく。雨は小雨だが降り続いている。そのおかげで外は暗く感じる。
 天気が良ければ、ここから妙高がきれいに見えるはずなんだけどなぁ。。。

 雨の中、何度撮っても同じだけど、またカメラに収めてきた。


 写真中央が五輪塔で、左が親鸞必(だと思う)名号、右は多分「恵信尼消息」ではないかと思ったが。。
 この左広報に天気が良ければ妙高があるのだと思う。

写真を取っている場所から右に120度くらい体を振ると下のような景色になるのだが、ここに高架橋が映っているが、それは数年後に開通する『北陸新幹線」の高架橋で、右手が長野方面で、長野県の飯山辺りで潜ったものが、トップの写真の変電所の方に出てきて、このえしんの里をかすめて、目下建設中の『上越駅(駅名はどうなるか?』に向かって進んでいく。


 いずれは、通るたびにうるさくなるんだろうなぁ。。。この静かなところが。。


 雨で、周りをゆっくりと見ることもかなわず、早々に切り上げて、春日山のふもとの「埋蔵ブリ文化センター」に向かうことにした。

 まだほかにも何枚か撮ったけど、  

Posted by 生田 at 09:38Comments(0)TrackBack(0)今日の日
  
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 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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