2010年11月21日
イ・サン 第66回 絶望の涙
ホン・グギョンの王妃暗殺計画は、突然の王の出現で『王暗殺』になってしまった。しかし、その前に思いとどまるかのように暗殺指令を取り消す指令を出す。これで毒入りの食事は避けられたが、毒見役の不正を見抜かれ、さらにはその毒見役の脱出も失敗に終わり暗殺計画が露見する。そしてさらには銃殺体も取り押さえられてしまう。
こうしたホン・グギョンの案咲く計画が露見しても、王=イ・サンはそれを信じようはしない。誰かが貶めようとしているのだろうとさえ言うのだが、ホン・グギョン本人が直接王に話すのだが、それでも……(困った王様だ)
とはいうものの、王妃暗殺が事実だったということでその背景の調査をホン・グギョンの宿敵チャン・テウに命ずる。当然いろいろと暴き出されて、ホン・グギョンは救いようがない立場になる。
刑量宣告の前の日に、王は牢屋でホン・グギョンに会い中心を断罪しなければならない立場を嘆く。
一方で、テスの伯父タルホが暗殺事件の宴の際に、ホン・グギョンから『指令取り消し』の伝言を頼まれたことをテスに話す。これでテスは走りに走る。しかしドラマはどこに走っているのか明かさない。
そして、先刻の日、チャン・テウに宣旨を読ませるのだが… ここで、今週は終わり。
なんでござんしょうね。暗殺しようとしたり、中止しようとしたり。それに毒見役が、先週も書いたようにいい加減だし。これほど朝鮮王朝の王さまは危険にさらされていたのだろうか?わからない国です。
それにしてもソンヨンが行幸についていってめまいして、そのソンヨンが暗殺されかかった王を慰める?ん? その場所どこ? それに、いつの間に行幸から帰ったのだろう???この辺り飛んでるよなぁ。
ソンヨンのめまいは何だったんでしょうねぇ。。。
こうしたホン・グギョンの案咲く計画が露見しても、王=イ・サンはそれを信じようはしない。誰かが貶めようとしているのだろうとさえ言うのだが、ホン・グギョン本人が直接王に話すのだが、それでも……(困った王様だ)
とはいうものの、王妃暗殺が事実だったということでその背景の調査をホン・グギョンの宿敵チャン・テウに命ずる。当然いろいろと暴き出されて、ホン・グギョンは救いようがない立場になる。
刑量宣告の前の日に、王は牢屋でホン・グギョンに会い中心を断罪しなければならない立場を嘆く。
一方で、テスの伯父タルホが暗殺事件の宴の際に、ホン・グギョンから『指令取り消し』の伝言を頼まれたことをテスに話す。これでテスは走りに走る。しかしドラマはどこに走っているのか明かさない。
そして、先刻の日、チャン・テウに宣旨を読ませるのだが… ここで、今週は終わり。
なんでござんしょうね。暗殺しようとしたり、中止しようとしたり。それに毒見役が、先週も書いたようにいい加減だし。これほど朝鮮王朝の王さまは危険にさらされていたのだろうか?わからない国です。
それにしてもソンヨンが行幸についていってめまいして、そのソンヨンが暗殺されかかった王を慰める?ん? その場所どこ? それに、いつの間に行幸から帰ったのだろう???この辺り飛んでるよなぁ。
ソンヨンのめまいは何だったんでしょうねぇ。。。
2010年11月21日
龍馬伝 第47回 大政奉還
土佐藩の大殿・山内容堂の大政奉還建白書を持って京都に行った後藤象二郎が、建白書をにじょうじょうの徳川慶喜に届ける。慶喜は怒るが、それに対して永井玄蕃頭が「容堂公は時勢を読むに長けている」と慶喜を諭す。そして、龍馬は、この永井玄蕃頭に直接会い、『徳川存続のための最後の手段』とさらに訴える。
慶喜は、龍馬との会談でhらを固めた永井玄蕃頭の意見によって最強のハンの重役を集めて意見を聞くが、すべてが藩侯ではないために意見を聞くことができない。ただ、土佐藩後藤象二郎を除いて。ただ、どのはんも反対意見すらいえないでいた。(時勢と判断していたのだろうか?)
そんな中、龍馬は何もすることがないと、成り行きを眺めていたのだが。。。そこに勝海舟が現れる。勝は龍馬にいう。「幕府をなくすことは難しい」と。それは、なくすことが、幕府にいる人間が色=仕事を失うことになり大変ことだと。これに対して、みんなが同じように、同じ身分となって仕事をすればいいと返すが・・
**
実は、これが本当に大問題なことに龍馬は気付いていなかったのかもしれない。何かにつけ大きく世の中がわかると、それに伴ってこれまでの仕事がなくなり、新しい仕事が生まれることが多い。現実問題として、これをどのくらいの人が理解できているかは、現在においても疑問を感じる。
私自身もある程度理解していたつもりだったが、どこかに驕ったものがあったのだと思うが、世の変化に対応することができなくつらい思いをした経験を持ている。
逆に、時代の変化を先取りした場合、その先鋒にいると時代の動きに乗り遅れた人から恨み、ねたみを買うことにもなる。そして、これによってかなりひどい目にあったことも経験している。
**
龍馬は、時代の先鋒にいた。そしてその時代を動かした人間となった。後日徳川慶喜は大政奉還を宣言し、朝廷に実験を貸し、徳川幕府は消滅した。
これには、勝海舟が龍馬を『たった一人で時代を動かした』とほめるが、龍馬はみんなでしたことと返している。
そんなところに、新撰組が龍馬を切ろうとしてきたが、勝がそれを阻止する。そして龍馬は近藤勇に『もう人切りはやめよう、一緒に新しい世の中を作ろう』と諭すのだが。金堂は刀をひいてその場を去る。
この場面に「ええじゃないか」踊りがある。時代の変革期というものは、なぜか世に不思議なものが流れる。私は、今のテレビのお笑いが多いことは、今の日本の時代の変革期と思っている部分がある。暗い、経済的に低迷する世の中はいつも漫才ブームが起きたりするのだが、今はその中にあるように思っている。株価がいくら戻って行こうとも、テレビの番組にこうしたものが続く限り、本当の意味で日本の世の中が変わったということではないと思う。
替わったと結論できるのは、こうしたブームが終焉を迎えたときだろう。
今のテレビ業界が、いまだに過去の流れを引っ張っているから、つまりは視聴率至上主義をひっぱっているかぎり、今の収益性の悪い時代にはギャラの安いものしか使うことができないわけで、これはひいては経済界が低迷していることを示しているように思う。
経済の低迷が改善されれば、違った意味での新しい形式の番組を作ることも可能になるのだろうが、今の状態では難しいのではないか。
話はそれてしまったけど、龍馬は、今回のドラマの冒頭で「ええじゃないか」を何事といっていた。時代を動かしていることは自覚していても、歴史の中での過去の事例を見ていないような気がする。
そして、それが、自分の身に危険が迫っていることは覚悟しているとはいえ、本当に意味で危険になってくる要因を分析できていなかったのではないか。
毎度書くけど、今の日本は、変革期だと思う。政治にしても経済にしても、芸能関係の世界にしても、また学術研究の分野でも然りで。しかし、そうした時代にありながら、龍馬のように世をう互角人物に出会っていない。
出てきてほしいのだが・・・・・・・
慶喜は、龍馬との会談でhらを固めた永井玄蕃頭の意見によって最強のハンの重役を集めて意見を聞くが、すべてが藩侯ではないために意見を聞くことができない。ただ、土佐藩後藤象二郎を除いて。ただ、どのはんも反対意見すらいえないでいた。(時勢と判断していたのだろうか?)
そんな中、龍馬は何もすることがないと、成り行きを眺めていたのだが。。。そこに勝海舟が現れる。勝は龍馬にいう。「幕府をなくすことは難しい」と。それは、なくすことが、幕府にいる人間が色=仕事を失うことになり大変ことだと。これに対して、みんなが同じように、同じ身分となって仕事をすればいいと返すが・・
**
実は、これが本当に大問題なことに龍馬は気付いていなかったのかもしれない。何かにつけ大きく世の中がわかると、それに伴ってこれまでの仕事がなくなり、新しい仕事が生まれることが多い。現実問題として、これをどのくらいの人が理解できているかは、現在においても疑問を感じる。
私自身もある程度理解していたつもりだったが、どこかに驕ったものがあったのだと思うが、世の変化に対応することができなくつらい思いをした経験を持ている。
逆に、時代の変化を先取りした場合、その先鋒にいると時代の動きに乗り遅れた人から恨み、ねたみを買うことにもなる。そして、これによってかなりひどい目にあったことも経験している。
**
龍馬は、時代の先鋒にいた。そしてその時代を動かした人間となった。後日徳川慶喜は大政奉還を宣言し、朝廷に実験を貸し、徳川幕府は消滅した。
これには、勝海舟が龍馬を『たった一人で時代を動かした』とほめるが、龍馬はみんなでしたことと返している。
そんなところに、新撰組が龍馬を切ろうとしてきたが、勝がそれを阻止する。そして龍馬は近藤勇に『もう人切りはやめよう、一緒に新しい世の中を作ろう』と諭すのだが。金堂は刀をひいてその場を去る。
この場面に「ええじゃないか」踊りがある。時代の変革期というものは、なぜか世に不思議なものが流れる。私は、今のテレビのお笑いが多いことは、今の日本の時代の変革期と思っている部分がある。暗い、経済的に低迷する世の中はいつも漫才ブームが起きたりするのだが、今はその中にあるように思っている。株価がいくら戻って行こうとも、テレビの番組にこうしたものが続く限り、本当の意味で日本の世の中が変わったということではないと思う。
替わったと結論できるのは、こうしたブームが終焉を迎えたときだろう。
今のテレビ業界が、いまだに過去の流れを引っ張っているから、つまりは視聴率至上主義をひっぱっているかぎり、今の収益性の悪い時代にはギャラの安いものしか使うことができないわけで、これはひいては経済界が低迷していることを示しているように思う。
経済の低迷が改善されれば、違った意味での新しい形式の番組を作ることも可能になるのだろうが、今の状態では難しいのではないか。
話はそれてしまったけど、龍馬は、今回のドラマの冒頭で「ええじゃないか」を何事といっていた。時代を動かしていることは自覚していても、歴史の中での過去の事例を見ていないような気がする。
そして、それが、自分の身に危険が迫っていることは覚悟しているとはいえ、本当に意味で危険になってくる要因を分析できていなかったのではないか。
毎度書くけど、今の日本は、変革期だと思う。政治にしても経済にしても、芸能関係の世界にしても、また学術研究の分野でも然りで。しかし、そうした時代にありながら、龍馬のように世をう互角人物に出会っていない。
出てきてほしいのだが・・・・・・・
2010年11月21日
2010年11月21日
みどりが丘公園 1
今日は毎月恒例の墓参り。昨月は旅行に引っかかったので、いけなかったけど、代わりに中尊寺の金色堂で・・)。
墓参りを終えてから紅葉を求めて自宅まで歩いた。所要時間2時間40分。(来週はこれの倍は歩くんだよなぁ)
我が家のお墓は、緑区のみどりが丘公園の墓地。距離にして5.5キロほど。大した距離ではないけど写真を撮りながらだから、結構時間がかかる。
まずは、公園の墓地の中から。
2つの白いものは墓石の頭です。
コスモスも咲いてます。(これは自生ではなく植えられたもの)
墓参りを終えてから紅葉を求めて自宅まで歩いた。所要時間2時間40分。(来週はこれの倍は歩くんだよなぁ)
我が家のお墓は、緑区のみどりが丘公園の墓地。距離にして5.5キロほど。大した距離ではないけど写真を撮りながらだから、結構時間がかかる。
まずは、公園の墓地の中から。
2つの白いものは墓石の頭です。
コスモスも咲いてます。(これは自生ではなく植えられたもの)
2010年11月21日
10年秋の旅 52 金沢・兼六園 1
ひがし茶屋街を後にして、兼六園に向かった。金沢の街中を走るのはとにかく初めて。過去に金沢を通過したことはあるが、その時は能登に行くときで北陸自動車道の金沢西ICで降りて高速にそって国道を走ったくらい。だから街中は昨夜ホテルまで走った時が初めて。
とにかく城下町というものは、碁盤の目になっているという、いや、城下町だけではなく、大きな都市は碁盤の目になっているという生活に慣れ親しんできた。(実は東京に5年いたので、碁盤の目でないことは重々知っている)
名古屋での生活が長いから、道は碁盤の目、東西南北もわかりやすい。京都もしかり。大阪もしかり。こんな習慣から、この金沢の道の入り組んでいることにはほとほとあきれるくらい。大体ホテルからひがし茶屋街に行くのにもかなり道が曲がっていたように思う。
で、兼六園に向かったのはいいが、これもまた道がまっすぐでないのだなぁ。。今思い出してもどこをどう走ったのかさえ、地図の上にかけといわれてもわからない。
それでもナビのおかげで兼六園下の石川県立の駐車場にまで来た。駐車場の看板見つけて飛び込んだら、そこは観光バス専用駐車場だった(らしい)。入口のおっさんが怖い顔して、出て行けと手を振る。初めての人間だから大目に見て、親切に教えるべきだろう。(カチン!!) しょうがない、外に出たはいいが、どこが入口は教えてくれていないからわからない。近くを一回りしてしまった。それで何とか入ったのだが・・・・
何とか車を置いて、兼六園に向かうのだが、駐車場のある交差点手複雑な形してるなぁ。。そんなのを横目に交差点信号を渡ったら、おやまぁ、きつい上り坂 ですわ。1時間も歩きっぱなしできた後にはちょっときついなぁ。登りながら店の前を掃除していた男性に愚痴ってみたら『あと少しの辛抱だよ』って。 何とか頑張って登り切りました。ここで迷ったんだよねぇ。右の橋を渡るとお城、左に行くと兼六園。おバカな私は、左を選んでしまったのだ。広い兼六園を先に見るって。。。(後で、ひどい目にあう)
金沢城への入口です。目下工事中なので無粋なものが後ろに
兼六園の入口の一つ。この右に関所(料金所)がある
兼六園に入るのを選択してしまったので、お城を背中に入場料を払うべく料金所へ。おぉ、なんと『65歳以上は無料』と書かれているではないか。名古屋市 以外で『65歳以上無料』は昨年東京の国立科学博物館以来。(名古屋の市立博物館の企画展など高齢者からもまともに入場料を取りおる。)
ただし。年齢証明するものが必要で、さすが名古屋の敬老手帳、敬老パスは通用しなかった。運転免許証で無料と相成りました。
さて、中に入るのですが、私の前にどうもチャイニーズの団体が入りこんだようで、ちょっとうるさい。どこに行ってもチャイニーズがいるなぁ。。。。(私、アレルギー)
きれいに刈り揃えられてますねぇ。さすがです。
しかし、紅いものはほとんどないですね。
さて、これで三名園といわれる庭を全部見ることになったぞ。水戸の偕楽園は親鸞研究で茨城県に行ったときに、岡山の後楽園は大学時代に友人のところを訪ねた折に、そして今回は兼六園に。
このほか名園としては、熊本の水前寺公園、高松の栗林公園、などなど・・・長く生きていいれば、いろいろ行くもんなぁ。。。
さて、これから中を歩き回ります。
とにかく城下町というものは、碁盤の目になっているという、いや、城下町だけではなく、大きな都市は碁盤の目になっているという生活に慣れ親しんできた。(実は東京に5年いたので、碁盤の目でないことは重々知っている)
名古屋での生活が長いから、道は碁盤の目、東西南北もわかりやすい。京都もしかり。大阪もしかり。こんな習慣から、この金沢の道の入り組んでいることにはほとほとあきれるくらい。大体ホテルからひがし茶屋街に行くのにもかなり道が曲がっていたように思う。
で、兼六園に向かったのはいいが、これもまた道がまっすぐでないのだなぁ。。今思い出してもどこをどう走ったのかさえ、地図の上にかけといわれてもわからない。
それでもナビのおかげで兼六園下の石川県立の駐車場にまで来た。駐車場の看板見つけて飛び込んだら、そこは観光バス専用駐車場だった(らしい)。入口のおっさんが怖い顔して、出て行けと手を振る。初めての人間だから大目に見て、親切に教えるべきだろう。(カチン!!) しょうがない、外に出たはいいが、どこが入口は教えてくれていないからわからない。近くを一回りしてしまった。それで何とか入ったのだが・・・・
***
ここの駐車場ものすごく高いから、近くにコインパーキングがあるので、そこに入れたほうがうんと安いです。ほんと、馬鹿みたいに、観光客の足も元を見て、知らぬが仏で飛び込んできた観光客から金を取りおる。
これが、自治体運営の団体のすることかとあきれる。
***
何とか車を置いて、兼六園に向かうのだが、駐車場のある交差点手複雑な形してるなぁ。。そんなのを横目に交差点信号を渡ったら、おやまぁ、きつい上り坂 ですわ。1時間も歩きっぱなしできた後にはちょっときついなぁ。登りながら店の前を掃除していた男性に愚痴ってみたら『あと少しの辛抱だよ』って。 何とか頑張って登り切りました。ここで迷ったんだよねぇ。右の橋を渡るとお城、左に行くと兼六園。おバカな私は、左を選んでしまったのだ。広い兼六園を先に見るって。。。(後で、ひどい目にあう)
金沢城への入口です。目下工事中なので無粋なものが後ろに
兼六園の入口の一つ。この右に関所(料金所)がある
兼六園に入るのを選択してしまったので、お城を背中に入場料を払うべく料金所へ。おぉ、なんと『65歳以上は無料』と書かれているではないか。名古屋市 以外で『65歳以上無料』は昨年東京の国立科学博物館以来。(名古屋の市立博物館の企画展など高齢者からもまともに入場料を取りおる。)
ただし。年齢証明するものが必要で、さすが名古屋の敬老手帳、敬老パスは通用しなかった。運転免許証で無料と相成りました。
さて、中に入るのですが、私の前にどうもチャイニーズの団体が入りこんだようで、ちょっとうるさい。どこに行ってもチャイニーズがいるなぁ。。。。(私、アレルギー)
きれいに刈り揃えられてますねぇ。さすがです。
しかし、紅いものはほとんどないですね。
さて、これで三名園といわれる庭を全部見ることになったぞ。水戸の偕楽園は親鸞研究で茨城県に行ったときに、岡山の後楽園は大学時代に友人のところを訪ねた折に、そして今回は兼六園に。
このほか名園としては、熊本の水前寺公園、高松の栗林公園、などなど・・・長く生きていいれば、いろいろ行くもんなぁ。。。
さて、これから中を歩き回ります。
2010年11月21日
10年秋の旅 51 金沢の東茶屋街 4
東花街のメインの通りの真ん中で写真を撮っていたけど、一番西に移動。ここには柳の木があるので、なんとなく気持ちが落ち着く。
柳の木は命のあるもの、ただ単なる街並みは命を削って造られたもの、そんな違いで、いのを削った中に命があると、何となくほっとする。
実は、私は、子供のころ近くに大きな柳の木があったので、そんな記憶が気持ちを鎮めてくれるのだろうか?
角度を変えるとこんな感じもなります
ここまで人のいない風景を撮り続けていると、なんとなく人恋しくなってくるもので、人が通らないかなどと思ったりもするけど、通れば通ったで、その風景になじむ人を望んだり、私自身勝手だなぁと思いつつも人を待っていたことも。
しかし、残念ながら私のイメージに合う人は通ることなく、時間がたつばかりで、とうとうあきらめた。(だkれかモデルになる人を連れてくればいいようなものだけどね。今更私についてきてくれる人もいないでしょうなぁ)
さて、メインの通りの周辺はどうかと、移動してみた。移動してみたのだが、どうにもメインの通りに比べると見劣りがする。道も狭いし。
むかし、昔、この街にたくさんの人が訪れても、やはりメインストリートを歩くのと、裏道を歩くのとでは、それなりの違いがあったのではないだろうか。しかし、今この街並みの保存で、実際に生活されている人たちは、窮屈な思いをされてはいないのだろうか?
観光地の多くが、人が来て経済的に何かを残してくれればいいのだが、私のようになんら経済的なものをのそしていかないのもいるわけで、それでいて、文句を言うとなると、迷惑千万だろうなぁと、私自身が思っている。(反省しきりですが、買い物をするところがこの時間帯はないですよ)
さて、これで二つ目の願望「茶屋街」を見終わった。これからこの街を出るに際して、どこから出て行こうか。間がる以前に、車を置いた駐車場に誓う方に体が動いていく。そして車で通った道の一本手前の交差点(小さい)で、なんとなくそのまま直進するのではなく、右折したくなった。なぜかわからない。本当になんとなくこの道を歩いてみたいと思ったのだ。
右折して、歩いて行くにしても、何があるわけでもなく、つまらないなぁと思いつつ歩いて行ったら、左側に著ときれいな店があり、数人の女性が店の周りを掃除されている。時刻はまだ9時少し前だ。
何の店かと思ったら、金箔で装飾をされたものがたくさん並んでいる、そして店の名前に『作田金箔製造」と書かれている。
総s字をしている女性と目があったら、中に招き入れられた。どうも開店準備をされていたようで、そのためのお掃除のようだ。店の中をざっと見た、2回も見てくれとのことで2階に上がってみたのだが。。。。
実は、私はキンキラキンが大の苦手。とにかくド派手に装飾して物が苦手な人間。2階には木朴で装飾された屏風が並んでいるのだ。。もう、ほとんど瞬時といっていいくらいに逃げるように階段を下りた。
階段を下りで、出るところに油取り紙を売っていた。油取り紙は京都に行けば『ようじや』で土産に買うくらいかな?今回も買って帰ろうといくつかの油取り紙を買った。一つだけその中に金箔入りを入れて。。。。
しかし、この金箔の会社、表通りには面していないので、ただ車で走っているだけでは見つけられないところ。あの交差点で右折してみたいと思わない限り出会うことはなかったのだが、なぜまたこっちに来たくなったものやら。。。。(これもご縁ですかぁ)
油取り紙を買って店を出て。少しまた同じ方向に歩いて次の交差点で左折して本通りに出た。そして左折して駐車場のある方に歩いていく。
あらぁ・・・こんな近くに駐車場がるよ。ここに止めれば茶屋街は近かった。でもなぁ。観光バスがその駐車場に入って行く。もうじき茶屋街はにとでごった返すのだろうか????
橋を渡る。橋といっても行くときの橋ではなく本鳥居にあるコンクリートのでかい橋。行くときに渡った『うえmの橋』は遠くに見える。
車に戻って、ナビの行き先を『兼六園』にセット、そして出発。時刻は9時ちょうどだ。
柳の木は命のあるもの、ただ単なる街並みは命を削って造られたもの、そんな違いで、いのを削った中に命があると、何となくほっとする。
実は、私は、子供のころ近くに大きな柳の木があったので、そんな記憶が気持ちを鎮めてくれるのだろうか?
角度を変えるとこんな感じもなります
ここまで人のいない風景を撮り続けていると、なんとなく人恋しくなってくるもので、人が通らないかなどと思ったりもするけど、通れば通ったで、その風景になじむ人を望んだり、私自身勝手だなぁと思いつつも人を待っていたことも。
しかし、残念ながら私のイメージに合う人は通ることなく、時間がたつばかりで、とうとうあきらめた。(だkれかモデルになる人を連れてくればいいようなものだけどね。今更私についてきてくれる人もいないでしょうなぁ)
さて、メインの通りの周辺はどうかと、移動してみた。移動してみたのだが、どうにもメインの通りに比べると見劣りがする。道も狭いし。
むかし、昔、この街にたくさんの人が訪れても、やはりメインストリートを歩くのと、裏道を歩くのとでは、それなりの違いがあったのではないだろうか。しかし、今この街並みの保存で、実際に生活されている人たちは、窮屈な思いをされてはいないのだろうか?
観光地の多くが、人が来て経済的に何かを残してくれればいいのだが、私のようになんら経済的なものをのそしていかないのもいるわけで、それでいて、文句を言うとなると、迷惑千万だろうなぁと、私自身が思っている。(反省しきりですが、買い物をするところがこの時間帯はないですよ)
さて、これで二つ目の願望「茶屋街」を見終わった。これからこの街を出るに際して、どこから出て行こうか。間がる以前に、車を置いた駐車場に誓う方に体が動いていく。そして車で通った道の一本手前の交差点(小さい)で、なんとなくそのまま直進するのではなく、右折したくなった。なぜかわからない。本当になんとなくこの道を歩いてみたいと思ったのだ。
右折して、歩いて行くにしても、何があるわけでもなく、つまらないなぁと思いつつ歩いて行ったら、左側に著ときれいな店があり、数人の女性が店の周りを掃除されている。時刻はまだ9時少し前だ。
何の店かと思ったら、金箔で装飾をされたものがたくさん並んでいる、そして店の名前に『作田金箔製造」と書かれている。
総s字をしている女性と目があったら、中に招き入れられた。どうも開店準備をされていたようで、そのためのお掃除のようだ。店の中をざっと見た、2回も見てくれとのことで2階に上がってみたのだが。。。。
実は、私はキンキラキンが大の苦手。とにかくド派手に装飾して物が苦手な人間。2階には木朴で装飾された屏風が並んでいるのだ。。もう、ほとんど瞬時といっていいくらいに逃げるように階段を下りた。
階段を下りで、出るところに油取り紙を売っていた。油取り紙は京都に行けば『ようじや』で土産に買うくらいかな?今回も買って帰ろうといくつかの油取り紙を買った。一つだけその中に金箔入りを入れて。。。。
しかし、この金箔の会社、表通りには面していないので、ただ車で走っているだけでは見つけられないところ。あの交差点で右折してみたいと思わない限り出会うことはなかったのだが、なぜまたこっちに来たくなったものやら。。。。(これもご縁ですかぁ)
油取り紙を買って店を出て。少しまた同じ方向に歩いて次の交差点で左折して本通りに出た。そして左折して駐車場のある方に歩いていく。
あらぁ・・・こんな近くに駐車場がるよ。ここに止めれば茶屋街は近かった。でもなぁ。観光バスがその駐車場に入って行く。もうじき茶屋街はにとでごった返すのだろうか????
橋を渡る。橋といっても行くときの橋ではなく本鳥居にあるコンクリートのでかい橋。行くときに渡った『うえmの橋』は遠くに見える。
車に戻って、ナビの行き先を『兼六園』にセット、そして出発。時刻は9時ちょうどだ。