2010年11月04日

ヒルズウォーク徳重にいってきた

 今日の夕飯後に、昨日ぷれオーぷんした『ヒルズウォーク徳重』にいってきた。

 この店は、ユニーの新しい形態の店で、食料品の核となるのが『ラ・フーズコア』というちょっと高級イメージのスーパーと専門店を組み合わせた店。そして来年3月に開通する地下鉄桜通り線(私の名付けでは談合線)の終点・徳重の上にできたショッピングモール。

 ユニー系のショッピングモールは、専門店もオープンの店ヶこれまでほとんどで、名古屋空港の店で初めてイオンなどと同じ方法を取ったが、個の徳重もkな時方法を取ったようだ。ただし、店の規模はそんなには大きくない。
 
 入ってみて面白いと思ったのは、これまでのショッピングモールのトイレの位置が、ほとんどが店の周辺に位置しているが、この店は店の中央にあるという珍しいケース。ただし、これは店の規模がそんなに大きくないということからできたのだろうが、ちょっとトイレの規模としては小さくはないかと思う。
 店内の通路だが、店の構成と合わせて内部に通路を設けるという方法を取っている。便利なようで方向音痴には迷いそうな感じがしないでもない。

 専門店の数は店の規模からすると多いかとは思うけど、ターゲット年齢が結構若いようで、おじさん、おばさんにはちょっと敷居が高いかもしれない。というよりも、買うものが少ないという方がいいかな。

 車で出かけた時のことを考えると、この店のためだけではないが、徳重の交差点の北側に一つ信号が追加されいる。これは、緑区役所の支所や図書館を利用した際にも利用することなので、必要なことではあるが、この先この辺りの交通量がおそらく数年後には、個の徳重から南に延びる道が刈谷市の方にもびりことを考えると、渋滞することになる可能性が大きいのではないかと心配する。
 (そのころには、私の生活基盤ではないかもしれないから、どうでもいいことだけど)

 一番気になったのは、核となる食料品を扱う『ラ・フーズコア』の規模だ。店の大きさから行くともっと大きくてもよかったかと思うが、すぐ近くにAPITA徳重があるので、この規模にしたのだろうか?

 規模を抑えても、APITAはいろんな意味で影響を受けるだろう。この先APITA徳重をどう処理するのか、見させてもらおう。。。

 **APITA徳重は、駅前にあったAPITAとは形態が異なり、ショッピングセンター方式の第1号店。ということで、かなり年数も経過しちぇ老朽化しているからいずれは取り壊すことになるかもしれないが。周辺の環境から行くと車を使うこの近くの生活環境から行くとAPITAの方がその対応がされているとは思う。
 本当にどう処理するんだろ?  

Posted by 生田 at 22:54Comments(0)TrackBack(0)今日の日

2010年11月04日

なんとも不思議な夢を見た

 今朝のこと、夜中に寒くて2回も目が覚めて、そのおかげで3度目の寝床の中で夢を見た。なんとも不思議な夢で。。。。。

 大筋は、誰から私に落語をやってくれという依頼があって、私はなぜかそれを受け入れて、多くの人の前で落語を話すことになったのだ。その場所たるや大きな会議室みたいなところで、皆さん机尾を前に座っている。まるでセミナー会場のよう。
 ここで私の番が来て席について話し始めたのだけど、落語の前に持ち前の持論をぶったらしいのだが、なんとここで警察の人間と思しき人間が来て、箒を私に見せていろいろ突っ込んだ話を聞こうとする。
 こんなことするから当たり前に人は誰もいなくなってしまった。警察とはどうなったのか夢の記憶が欠けているが、そのあと人を探してあちこちに。車で動くのだが、駐車場がわからなかったり、バスの時間がどうのと、夢独特の支離滅裂さ。

 結果はどうなったkはわからない。バス停で夢が破れたから・・・・ 目が覚めたのは、朝の9時少し前だった。


 それにしても今朝は冷え込んだなぁ。。とにかく布団の中で足が冷えて冷えて、痛いくらいだった。それをこらえていたので、変な夢を見ることになったのかな?
 また、覚えているのも変な話だ。正夢をよく見る私、こんなことをどこかで五日経験するんだろうか?でもなぁ、落語と警察はなぁ。。。。。  
タグ :正夢

Posted by 生田 at 15:42Comments(2)TrackBack(0)今日の日

2010年11月04日

地デジ 三重テレビが全く映らなくなった

今年の初めに地デジに切り替わった。当初は周辺に空き地があって、三重テレビの地デジもきれいに映っていたが、家が経ってからというものは打つっらり映らなかった理だったが、このひと月の間に全く映らなくなった。(ちなみにアナログ放送はいまだにきれいに映っている)

 映らなくなったというのは、過去には今やている放送のリストを見ると三重テレビ地デジもリストに上がっていたのだが、ここのところはそのリストから番組名が消えてしまった。

 なぜだろう?????

 もともとわがやは、三重テレビが映るのがおかしいと総務省の電波検査の人間がいっていた。確かにエリア外だったのだが、なせ映らなくなったのだろう???

 アナログから地デジに変わって映らなくなるというのは、機能的な高野といわれてもしょうがないと思うけどねぇ。。

 いらんことをするからこういうことになるんだけどね。余分な金かけて、国民に余分社出費をさせて、これで買い替え運動もして、企業の景気が良くなるようにという配慮かもしれないが、金を使わせれば景気が良くなるのかなぁ?


******
 どうも、地デジの電波状況が変わったとみるべきかもしれない。これまでの電波の強さよりも弱くなっている。これはアナログの方もしかりで、アナログ放送への電波の出し方も、来年に向けて違った電波の出し方をしている気がする。
 というのは、アナログ放送を見ているにもかかわらず、画面サイズが、画面情報を見て地デジサイズに自動変換されるようになったから。ひょっとしたら、アナログの受信機だと違うのかもしれないが、そういった点からも送信電波が変わった可能性を感じるが、どうなのかぁ?

 電波は、過去に比べて弱いとはいうものの、ほんの少しなんだけどなぁ。。。
 とうとう、三重テレビの地デジは我が家のチャンネルから消えてしまった。(10月に入ってからだよ見えなくなったの。)  

Posted by 生田 at 15:31Comments(0)TrackBack(0)

2010年11月04日

10年秋の平泉への旅 20 平泉・中尊寺その5

 峠のようなところを過ぎるとこの参道=月見坂は少し下りになる。そして少し広い場所があり、右手に阿弥陀堂、左手に金色堂に入るための入場券を買う場所兼宝物殿(讃衡蔵)があり、その讃衡蔵の左手奥に金色堂がある。


右の大木の陰に讃衡蔵があります。
この写真は、帰り道で撮ったもの。
しかし、観光客の数は変わっていない。


 中尊寺は、駐車場が有料だが、境内にはること自体は無料だ。しかし、金色堂を見るためには讃衡蔵で入場券を買わねばならない。拝観料は800円(大人)とちょっと高めだが、確か薬師寺が新しくなったとやはり800円を取っていたと思うから、こういう文化遺産のところは高めに設定されているのかもしれない。

 阿弥陀堂の写真を撮って、反対側の讃衡蔵の入場券売り場に行く。まだすいている。まだ9時を少し回ったところだから、観光客が到着するまでには少し時間があるかと思うが。。。実はたまたまその時すいていただけで、すでに観光バスで団体が金色堂に入っていたのだ。)
 入場券を買う時に売り場の女性と少しだけ会話を。(何を話したかの記憶はない。)そして、讃衡蔵の中に入る。撮影禁止なので、カメラをバックパックに入れる。(そんなことせんでもいいと言われたけど)
 
 中の仏像は、阿弥陀如来と薬師如来の2体はまずまずの大きさで、平安後期の様式かと思うが、平等院や法界寺の阿弥陀像を見てきている私には、ちょっと小さく、大変失礼だけどちょっと腕が落ちるかな?と思われた。
 後は、大きい仏様がない。どうもこの中尊寺の仏様たちはこじんまりとしたつくりで統一されているのではないかとすら思う。ということで、圧倒される印象がないのです。

 一回り見せてもらいましたが、特に印象にのこているもがんないのです。それはそうかもしれない。これから金色堂の阿弥陀様を見ようという前だから、そちらへの期待でその前に見る仏像の印象が消されてしまっているのかもしれない。

 讃衡蔵の出口のところで中尊寺の写真集を買った。その時の係りの女性が、入場券を買った時の女性だったのだ。お互い『あら?』といった感じで、「これもご縁ですねぇ」と話すと『そうですねぇ』と返されて。
 私『こういうご縁は、私が若ければ、それないになるかもしれないですが。年なので残念ですね。』
 彼女『そういうことも』
 私『私の代わりに、息子のお嫁さんに。まだおひとりかな?』
 彼女『そうなんです。よろしくぅ』
なんて言う会話をした。人それぞれいろんなご縁というものがあるのだろうが、こうしてところで同じ人から2度何かを買うということも珍しいものだ。本当に、これもご縁でしょう。

 どのくらいの時間をかけたか覚えていない。この日は寒くてなかなか暖かくならなかった。歩いても汗をかかないし、そこに寒いときてトイレに行きたくなった。トイレはこの讃衡蔵の出口にある売店の右の階段を降りたところ。きれいなんですが……


 トイレを出たあら、外は雨が少し降っていたよ。天気予報が当たった??そして、階段を上ろうとしたら、階段にバッタが一匹。なんでこんなところにいるんだろ??

 讃衡蔵を出て広いところに、金色堂の反対側、阿弥陀堂の左に少し色づいている木が。これが完全に色づいていたら、本当にきれいな写真になっただろうと残念な気持ちです。
 
  

Posted by 生田 at 13:13Comments(0)TrackBack(0)旅行など

2010年11月04日

10年秋の平泉への旅 19 平泉・中尊寺その4

 本堂を後にまた坂を上って行く。といっても、もう急な登りではなく平坦に近い。
 (今になって月見坂の意味が不思議に思えて。。 これだけの杉木立の中では空を見上げてもそんなに広い空が見えるわけではない。前夜のような満月が出たとして、この坂から見るのだろうか?もっとも、昔=800年くらい前は杉の木もこんなに大きくはなっていないだろうから、もっと広い空だったかもしれないけどね。月見坂は東西に延びているから、満月は坂から見えるのかなぁ?前夜見たかった。)

 左側に本堂に比べてれば小さいが、これまでの他のお堂に比べると大きなお堂がある。不動堂のようだ。階段の代わりにスロープがつけられているが、いつ頃つけたのか、なんとなく新しいような気がする。


 やっと、中尊寺はお目ざめになられてようで、本堂以外で扉が初めて開いている。

 中尊寺の仏様たちは、どうも大きさに関して大ききはないように思える。お堂中の須弥壇こじんまりとしているものが多く、その中に収まるのでどうしても小さいものにならざるを得ないようだ。
 大きければいいというものでもないが、拝謁するのにお顔が遠くてはっきりしないので残念に思える。(それに写真では遠くて小さくてフラッシュも届かないのだよ。なので写真は没)
 
 腹の中で、そんな罰当たりなことをぶつぶつ言いながら外に出た、とそこでお地蔵さんに出会った。(お地蔵さんだと思うけど・・)
 本当はこういう石仏をとるときは、三脚立てて絞り込んで時間をかけて撮るものなんだけど、そこまで芸術写真を撮ろうというわけでもないしなぁ。。。
 もう少し、コケなんかのコントラストが面白いとそんなこと考えたかな?

 この不動堂の月見坂の反対側に峯薬師堂がある。ここもやとお目ざめになったところのようで、売店の女性がお堂の前の掃除をなさっている。お堂の扉が開いているので、お堂の階段を上ってできるだけ仏様に近いところまで足を入れて写真を取ってきた。やはり仏さんとの間が近くある程度フラッシュの光も届いていたので、編集はしやすかった。しかし、白毫が反射で光るのはいただけないなぁと、今になって反省。


 ここで時間を見ていないけど、あちこちのお堂の前の売店が開いていることに気付いた。ということは、中尊寺の目覚めは9時ということかなぁ。お堂の扉もあいているよ。


 この先金色堂までの間にいくつかのお堂をとっているけど、なんかいまいちな写真ばかりで私自身のカメラの腕前に自信喪失状態。
 下の写真は、金色堂に向かって少し登って行く途中のもの、緑一色なんだけど、これが2週間すらい先には真っ赤になるとお堂の前の売店の女性が話されていた。


 この月見坂では、紅葉の季節で天気がいい時ならば、これまで見てきた京都の素晴らしい紅葉より以上の景色が見えるかもしれないなぁと想像して、悔しい思いをしている。(遠いところに少し赤いものが見えるかな?)

 本当はこの日でも太陽さえ出ていれば、緑そのものがもっときれいに生えているのではないかとも思う。なんにしても悔しい。

 売店の女性(美形でいらっしゃったよ)と話を交わしたのだが、今年の状態だとあと10日から2週間先くらいに最盛期になるんではとのことだった。でも、そんな時期になるととてもではないけど写真なんて撮ってられないくらいの人が押し寄せるんだそうです。
 そんな人ばかりの頃がよかったのか、紅いものが見えなくても人がいない時の方が良かったのか・・・・・人それぞれ悩むでしょうねぇ。

 ほんの少しですが、紅いものがあったという証明をしておきます。

  

Posted by 生田 at 11:09Comments(0)TrackBack(0)旅行など

2010年11月04日

10年秋の平泉への旅 18 平泉・中尊寺その3

 『奥の細道展』の高札を無視してさらに月見坂を上る。
 
 左側にわりと新しく感じるお堂がある。『観音堂』と書かれているがここも扉は閉ざされている。本当にまだ中尊寺の目覚めの時間にはなっていないようだ。


 観音堂の反対側には、菊の花の展示館が。正直申して、私はこういうものが苦手なんです。まだ菊人形でないだけましなのだが、菊人形なら逃げたくなるところだ。とにかくこういう人工的に形を作った花というのがダメで、だから生け花なんてもう苦手の苦手。(これで苦杯をなめ、人生棒に振ったくらいだけどなぁ)


 さて、この菊の少し奥にある『中尊寺』の看板のところに来た。実は、案内パンフレットみたいなものは全く持たないできているので、どこに何があるなんてことはわからない。実はここが『本堂』なのだそうだが、『本堂』なんていうことを気にしないで門をくぐってしまったのだ。
 どうも反対側に掲げられている『陸奥教区宗務所』と書かれているのを、修行道場のように誤解をしたらしいのだ。それよりも、私の頭の中には、金色堂がメインのお堂で、それが本堂とばかり思い込んでいたことも誤解の原因だろう。


 まぁ、中尊寺に来て、初めて扉の開いているところ。お堂の正面から階段を上がって行くと須弥壇=仏壇がある。真ん中に鎮座されているのは阿弥陀如来とのこと。今回の旅は『阿弥陀如来』に会う旅である。何とかお顔をと思ったが、奥には入ることができない。それでもなんとか・・・・近くにお坊さんがおいでになるので、『撮影禁止』と書かれていないから写真を撮っていいかと尋ねたら、撮っていいとのこと。うれしいです。早速望遠レンズに取り換えて、一番のアップで撮らせてもらったのだが…フラッシュの光が届いていない。(おれはいずれ画像ソフトでいじらせてもらわねば。。。。)


本堂いの御本尊 阿弥陀如来です。
画像ソフトでここまでにすることができました。


 今回の旅は、何度も書くように『阿弥陀如来』に会う旅。紅葉を見に来たのではないがやはり周りの紅葉の具合が気にはなる。まだ完全に早いみたいでまぁほとんどが青々としているが、時折紅いのが目に入る。そうすると必ずレンズを向けるのだが、帰ってきて拡大してみるとどれもこれもいろなんて目立たない。太陽が出ていればもう少し赤が生えるのだろうが、何せまだ霧が晴れていない。このまま雨になってもおかしくない天気なのだ。

 お堂から外に出た。
 しっかりとした三脚をつけたカメラで撮影している男女がいる。プロのカメラマンらしく見えるが、なんとなくいまいちいい写真を撮るように見えないのはなぜ?正直邪魔な存在なのだ。私が撮りたいスポットに三脚を据えたりしているから。この周辺で三脚がいるのかなぁ?これだけ湿気で画像が薄くなるから、絞り込んで時間をかけてか?わからん。。。。。
 この周辺では紅い色になっているところがほとんどない。だから少しでも紅いところを見つけるとそちらにカメラを向けたくはなるのだが。ひょっとして同じこと考えてるのか?それにしても私の一眼レフを見て、「なんだ、このおっさん・・」といた表情のときは嫌な感じがしたなぁ。
 本堂正面の屋根の金色の部分がきれいな模様だった。




 この本堂のあるエリアの売店というか、おみくじなどを扱う建物の横、後ろに回った。石の五輪塔などがいくつかあるので、それをカメラに収めたが、あまり多くの人がこちらに足を向けていることはなさそうだなぁ。。
 しかし、こういった五輪塔に目を向けるというのは、写真を撮る人間か、五輪塔の由来にこだわりを持つ人間かってとこかな?今回の私は、ここでは写真を撮る人間でしたが…

  

Posted by 生田 at 09:16Comments(0)TrackBack(0)旅行など
  
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1泊2日のドライブ旅行
2015北海道・道東の旅
1週間870kmのドライブ旅行
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OB会の後に鎌倉と横浜に行ってきました
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14年秋 京都宿泊の旅
久しぶりに新幹線に乗りましたが・・・
13年秋 京都ドライブ旅
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12年秋 京都ドライブ旅
1年ぶりの京都です
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平泉・わんこそば
   
10年夏 室生寺 日帰り旅
素晴らしい観音さんに出会いました
室生寺・五重塔
10年初夏 宇治・長岡 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに黄檗山満福寺・六地蔵・法界寺谷寺・長岡天神
布袋さん
09年秋京都 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに 紅葉がきれいな京都
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08年11月25日貧乏・一人・日帰り旅の記録です。
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生田
 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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