2010年11月15日
バスが間引きした??
今日の朝はいつものようにバスと地下鉄で実家に移動。ところがいつもと同じではない。いつも乗るバスが来ないのだ。次のバスまでとうとう来なかった。まさか間引きしたわけではないと思うが・・・・ しかも、野並車庫で大渋滞。おかげで地下鉄はいつもの2本後に。
この原因は、野並車庫近辺の地下鉄工事にある。地下鉄桜通線(私の名付けでは談合線)の『鳴子来た駅』の完成マジからしくて、上部道路の舗装を始めるかららしい。
それにしてもなぁ。通勤ラッシュ時間、バスレーンの時間くらいは、工事を止めてもいいのではないのか?もしくは、バス全容に通すレーンを考えるとかねぇ。
もうじき終わると思うけど、まだ一月くらいはこの状態が続きそうかなぁ。経路を変えないと遅れることで困ることもあるかも。と言って、もうじき他の路線でも道路工事が始まるらしいし。
困ったことです。本当はこのために、相生山緑地の中を通る道路を造っていたはずなのに、ホタルがドウコウで止められてしまって。他の地域の人間には影響内かもしれないが、生活している人間には大変だと思うよ。渋滞で排気ガスはいっぱい出るし。いいことないと思うけどなぁ。。。
ホタルは、陸生なので、水性のホタルとは扱いがちがいことを理解できると変ると思うけど。(こんなこと書くとまたおしかりを受けるかもしれないが・・・)
この原因は、野並車庫近辺の地下鉄工事にある。地下鉄桜通線(私の名付けでは談合線)の『鳴子来た駅』の完成マジからしくて、上部道路の舗装を始めるかららしい。
それにしてもなぁ。通勤ラッシュ時間、バスレーンの時間くらいは、工事を止めてもいいのではないのか?もしくは、バス全容に通すレーンを考えるとかねぇ。
もうじき終わると思うけど、まだ一月くらいはこの状態が続きそうかなぁ。経路を変えないと遅れることで困ることもあるかも。と言って、もうじき他の路線でも道路工事が始まるらしいし。
困ったことです。本当はこのために、相生山緑地の中を通る道路を造っていたはずなのに、ホタルがドウコウで止められてしまって。他の地域の人間には影響内かもしれないが、生活している人間には大変だと思うよ。渋滞で排気ガスはいっぱい出るし。いいことないと思うけどなぁ。。。
ホタルは、陸生なので、水性のホタルとは扱いがちがいことを理解できると変ると思うけど。(こんなこと書くとまたおしかりを受けるかもしれないが・・・)
2010年11月15日
10年秋の旅 42 親鸞聖人上陸記念堂
埋蔵文化財センターでは、思いがけない記念撮影をして。。。 姫がいないことをいまだに悔やむよぉ。
まだ雨はあがらない。冷たい雨が降っている。
車を発進。セットしてあるナビの行き先は、えしんの里でセットしたままの「親鸞聖人上陸記念堂」。横道にそれているので、ナビがどうするかと楽しみしていた。案内が始まった。なんと、私の思っている通りの案内をしている。センターから春日山の交差点に出て左折して北国街道に入って、国道8号線を渡って、さらに北陸線の踏切も渡って…そして、一番面倒な交差点での左折も間違いなく指示をして、そして居多神社に突き当たって右折して。。。。。。へz。こんな裏道知ってんだぁと思いながら走る。
もう、何度この道を走ったことか。常得るに来るだけでも6回目。そして時には3日ほど宿泊して走りまわったりして、その度にこの記念堂には足を運んでいる。だから裏道も自然と覚えてしまったりするンdなよなぁ。
今日は、冷たい雨だ。初めてこの記念堂に来たのはもう12年以上前になる。長野オリンピックの年の4月2日だったか。前の日はこちらは雪だったようで、きたその日も氷雨が降る寒い日だった。そんなことをもいださせる冷たい案だ。
今の記念堂周辺は、12年前とはかなり違っているように思う。あの当時は、今のように整備されていなかったかと。今回は私の前に先客の観光バスが。どこかの信者集団の参拝ツアーかな。私と入れ替わりにどっと出て行った。
この石碑には「念仏発祥の地」と刻まれている。これをどう受け止めるかは、訪れた人の親鸞に対する気持ちで変わるだろうと思っている。
この写真の石碑の右側の背景には荒れた日本海がうっすらと写っている。この日は、寒くて、風が強く、海からしぶきが飛んできているかと思うくらいだった。
私は、4年ぶりに来たのだが、いつもと同じように石碑やら銅像の前で写真を取りながら一番奥の『見真堂』に足を運んだ。 ここには、親鸞の銅像がおかれている。銅像を拝むわけではないが、やはり顔だけでも見させてもらおうと毎度足を運んでいる。
写真左は、外に立っている親鸞の旅姿。右は見真堂内の座像。見真堂内のは、もともと真っ黒なので、フラッシュをたいてもこのくらいにしか写らないのです。
見真堂を出て、記念堂に足を運ぶ。トイレを拝借するつもりで入ったのだが、トイレから出てきたら、おもりをされている女性が上がってお茶を飲んで行けとおっしゃる。
これは毎度のことで、どなたかがおられればいつもお茶をいただくことができる。実は、12年前には、ここでこの上陸記念堂を運営されている林正寺の先代の坊守さんとお会いしたのだ。もう80歳を超えられていたという話だが、本当にかわいいオバァチャマで、親鸞への思い入れを得々とお話下すった。そのオバァチャマは4年前にお亡くなりになってしまった。
そんなお話を今回のおもりをされている女性と交わして、お茶をいただいた。
天気が良ければ、この後はいつものように海岸に降りて、海を眺めるのだが、この寒さで雨ではそんな気にもならず。記念堂を出てからは、隣(すぐ近く)にある五智国分寺に車を向けた。
***
天気のいい時で、運が良ければここから佐渡を見ることもできるそうです。
今回で7回目、この場所に来るだけならこれの倍以上来ているけど、運が悪いのでしょうね。佐渡は見ていません。
私のブログのトップ(最上段)にある写真は、この居多ヶ浜から見た日本海の夕日です。
林正寺の住職が、よくこれだけうまくとれましたとおっしゃってました。
まだ雨はあがらない。冷たい雨が降っている。
車を発進。セットしてあるナビの行き先は、えしんの里でセットしたままの「親鸞聖人上陸記念堂」。横道にそれているので、ナビがどうするかと楽しみしていた。案内が始まった。なんと、私の思っている通りの案内をしている。センターから春日山の交差点に出て左折して北国街道に入って、国道8号線を渡って、さらに北陸線の踏切も渡って…そして、一番面倒な交差点での左折も間違いなく指示をして、そして居多神社に突き当たって右折して。。。。。。へz。こんな裏道知ってんだぁと思いながら走る。
もう、何度この道を走ったことか。常得るに来るだけでも6回目。そして時には3日ほど宿泊して走りまわったりして、その度にこの記念堂には足を運んでいる。だから裏道も自然と覚えてしまったりするンdなよなぁ。
今日は、冷たい雨だ。初めてこの記念堂に来たのはもう12年以上前になる。長野オリンピックの年の4月2日だったか。前の日はこちらは雪だったようで、きたその日も氷雨が降る寒い日だった。そんなことをもいださせる冷たい案だ。
今の記念堂周辺は、12年前とはかなり違っているように思う。あの当時は、今のように整備されていなかったかと。今回は私の前に先客の観光バスが。どこかの信者集団の参拝ツアーかな。私と入れ替わりにどっと出て行った。
この石碑には「念仏発祥の地」と刻まれている。これをどう受け止めるかは、訪れた人の親鸞に対する気持ちで変わるだろうと思っている。
この写真の石碑の右側の背景には荒れた日本海がうっすらと写っている。この日は、寒くて、風が強く、海からしぶきが飛んできているかと思うくらいだった。
私は、4年ぶりに来たのだが、いつもと同じように石碑やら銅像の前で写真を取りながら一番奥の『見真堂』に足を運んだ。 ここには、親鸞の銅像がおかれている。銅像を拝むわけではないが、やはり顔だけでも見させてもらおうと毎度足を運んでいる。
写真左は、外に立っている親鸞の旅姿。右は見真堂内の座像。見真堂内のは、もともと真っ黒なので、フラッシュをたいてもこのくらいにしか写らないのです。
見真堂を出て、記念堂に足を運ぶ。トイレを拝借するつもりで入ったのだが、トイレから出てきたら、おもりをされている女性が上がってお茶を飲んで行けとおっしゃる。
これは毎度のことで、どなたかがおられればいつもお茶をいただくことができる。実は、12年前には、ここでこの上陸記念堂を運営されている林正寺の先代の坊守さんとお会いしたのだ。もう80歳を超えられていたという話だが、本当にかわいいオバァチャマで、親鸞への思い入れを得々とお話下すった。そのオバァチャマは4年前にお亡くなりになってしまった。
そんなお話を今回のおもりをされている女性と交わして、お茶をいただいた。
天気が良ければ、この後はいつものように海岸に降りて、海を眺めるのだが、この寒さで雨ではそんな気にもならず。記念堂を出てからは、隣(すぐ近く)にある五智国分寺に車を向けた。
***
天気のいい時で、運が良ければここから佐渡を見ることもできるそうです。
今回で7回目、この場所に来るだけならこれの倍以上来ているけど、運が悪いのでしょうね。佐渡は見ていません。
私のブログのトップ(最上段)にある写真は、この居多ヶ浜から見た日本海の夕日です。
林正寺の住職が、よくこれだけうまくとれましたとおっしゃってました。
2010年11月15日
10年秋の旅 41 上越市埋蔵文化財センター
えしんの里を後にする。行き先は、親鸞聖人上陸記念堂。ここは、ナビなしでも行けるところだけど、ナビに案内させてみた。
でもなぁ。どうもいまいちわけのわからないところを指示してくれて、結局また迷うことに。しょうがないからいつものように、自分で走る道に戻って。
道なりに走って国道292号線に出た。おぉ。今まで気づかなかったけど、紅い古い郵便ポストとその後ろにJR信越線の『脇野田』駅があるではないか。
この写真では、かなり辺鄙なひなびた駅ですよね。実は、この脇野田駅は、いずれ飛んでもなく変貌することになるのです。というのは、北陸新幹線の『上越』駅(駅名は未定らしい)がここにできるのです。そして在来線との乗り換え駅になるのです。
おそらく数年後には、この界隈は見違えることになると思います。(ただ、すぐにはならないかもね。・・・何せ、ローカル新幹線駅だから。)
写真を取って国道に戻って、その先花火に案内させた。というのはこの先はなりが得てもそんなに迷うところではないから。
国道を北上してどこに案内するか楽しみにしていたら、ちょっと広い交差点(左右が広い)で左折した。あぁ。。街中を敬遠して上越市の山麓線に案内するようだ。
しばらく行くと信越線の踏切があり、ここで一時停止して左右確認で、左に工事中の北陸新幹線『上越駅』を見つけた。
このしゃしんは、ほぼ真南を向いて撮ったもの、天気が良ければ妙高が写っているはず。工事は、もうここまで来たのかと。(いや、やっとここまで来たのかな?4年前はなかった。
さて、この写真で、高架橋は右に伸びている。この方向で伸びていくと、糸魚川に買うまでに山の中を通らねばならないが、どこからもぐりこむのかと考えたら、ひょっとしたら日本の『スキー発祥の地』金谷山ではないかと思っ。
そんな思いを残して西に進むと上信越道の越後高田ICからの出口と合流して、山麓線にナビは案内した。ここからはまっすぐ北上すると親鸞聖人上陸の問いといわれている居多ヶ浜に方に行ける。
山麓線の交通量が増えたなぁ。。。土岐の流れは、のんびりとしていた土地をものんびりをハス図していまう方向に持っていっている。
教育大の前を通過して左折。(ナビを無視)そして、北国街道に入った。この北国街道は、昔々、加賀の殿様が参勤交代で通った道だとか…
させるしてから道なりに走って北陸自動車道の興をくぐり、春日山の交差点で左折。どこ肉かって?たいとるの「上越市埋蔵文化財センター」にいくのだ。
延伸の里が休館日だったので、時間もあるから、何や手展示会をしているというから行ってみるかと。そんな理由で。
ここは2回目。前は、教育委員会の女性から進め、いや頼まれたような感じでいってきた。そして高速道路県セルで出土したかなり古い遺物を見て帰った記憶が残っている。ここの駐車場、わかりづらいのは変わっていないなぁ。また、幼稚園の方に入りかけたぞ。
センターの駐車場に車を入れて、センターに入ると、ん??前は真っ暗だったのに、今回は受付に女性がいるし、中は明るいし。。。。。
どうも、昨年の「天地人」での人気をののまま引きつづ今日という考えかな?ドラマなどの話を主体に展示会をしているといった感じだ。おかげて、埋蔵文化財はどこに展示されちぇいるのやら?
左から 直江兼続 上杉謙信 上杉勝頼 だったかと思う鎧のレプリカ。こんな写真を取っていたら、カネツグの鎧を着た武者が現れた。いつもは外を歩いているらしいけど真似なので中を歩いているんだとか。他に客がいないから私をターゲットに。。。。
まぁ、春日山への興味はそんなにない私なので、ざっと見てい進んでいたら、女性が2人いるところに来た。そこで陣羽織を着て記念撮影をしろとのこと。
陣羽織を着て手蔵他のが2たりのうちの一人の女性。彼女に聞いてみた。「陣羽織来て殿になるのはいいけど姫は?」と。彼女からの返事「姫は有料です」と・・・・・・・
有料でもいいから一緒に撮ってくれるとよかったのにねぇ。。。
直江兼続を脇にした私、・上杉景勝です。
私の顔は、公序良俗に反するのでモザイクを
記念撮影して、しばらくして、センターを後に。
このセンターの左奥(西)に上杉謙信の居城のあった春日山があります。
でもなぁ。どうもいまいちわけのわからないところを指示してくれて、結局また迷うことに。しょうがないからいつものように、自分で走る道に戻って。
道なりに走って国道292号線に出た。おぉ。今まで気づかなかったけど、紅い古い郵便ポストとその後ろにJR信越線の『脇野田』駅があるではないか。
この写真では、かなり辺鄙なひなびた駅ですよね。実は、この脇野田駅は、いずれ飛んでもなく変貌することになるのです。というのは、北陸新幹線の『上越』駅(駅名は未定らしい)がここにできるのです。そして在来線との乗り換え駅になるのです。
おそらく数年後には、この界隈は見違えることになると思います。(ただ、すぐにはならないかもね。・・・何せ、ローカル新幹線駅だから。)
写真を取って国道に戻って、その先花火に案内させた。というのはこの先はなりが得てもそんなに迷うところではないから。
国道を北上してどこに案内するか楽しみにしていたら、ちょっと広い交差点(左右が広い)で左折した。あぁ。。街中を敬遠して上越市の山麓線に案内するようだ。
しばらく行くと信越線の踏切があり、ここで一時停止して左右確認で、左に工事中の北陸新幹線『上越駅』を見つけた。
このしゃしんは、ほぼ真南を向いて撮ったもの、天気が良ければ妙高が写っているはず。工事は、もうここまで来たのかと。(いや、やっとここまで来たのかな?4年前はなかった。
さて、この写真で、高架橋は右に伸びている。この方向で伸びていくと、糸魚川に買うまでに山の中を通らねばならないが、どこからもぐりこむのかと考えたら、ひょっとしたら日本の『スキー発祥の地』金谷山ではないかと思っ。
そんな思いを残して西に進むと上信越道の越後高田ICからの出口と合流して、山麓線にナビは案内した。ここからはまっすぐ北上すると親鸞聖人上陸の問いといわれている居多ヶ浜に方に行ける。
山麓線の交通量が増えたなぁ。。。土岐の流れは、のんびりとしていた土地をものんびりをハス図していまう方向に持っていっている。
教育大の前を通過して左折。(ナビを無視)そして、北国街道に入った。この北国街道は、昔々、加賀の殿様が参勤交代で通った道だとか…
させるしてから道なりに走って北陸自動車道の興をくぐり、春日山の交差点で左折。どこ肉かって?たいとるの「上越市埋蔵文化財センター」にいくのだ。
延伸の里が休館日だったので、時間もあるから、何や手展示会をしているというから行ってみるかと。そんな理由で。
ここは2回目。前は、教育委員会の女性から進め、いや頼まれたような感じでいってきた。そして高速道路県セルで出土したかなり古い遺物を見て帰った記憶が残っている。ここの駐車場、わかりづらいのは変わっていないなぁ。また、幼稚園の方に入りかけたぞ。
センターの駐車場に車を入れて、センターに入ると、ん??前は真っ暗だったのに、今回は受付に女性がいるし、中は明るいし。。。。。
どうも、昨年の「天地人」での人気をののまま引きつづ今日という考えかな?ドラマなどの話を主体に展示会をしているといった感じだ。おかげて、埋蔵文化財はどこに展示されちぇいるのやら?
左から 直江兼続 上杉謙信 上杉勝頼 だったかと思う鎧のレプリカ。こんな写真を取っていたら、カネツグの鎧を着た武者が現れた。いつもは外を歩いているらしいけど真似なので中を歩いているんだとか。他に客がいないから私をターゲットに。。。。
まぁ、春日山への興味はそんなにない私なので、ざっと見てい進んでいたら、女性が2人いるところに来た。そこで陣羽織を着て記念撮影をしろとのこと。
陣羽織を着て手蔵他のが2たりのうちの一人の女性。彼女に聞いてみた。「陣羽織来て殿になるのはいいけど姫は?」と。彼女からの返事「姫は有料です」と・・・・・・・
有料でもいいから一緒に撮ってくれるとよかったのにねぇ。。。
直江兼続を脇にした私、・上杉景勝です。
私の顔は、公序良俗に反するのでモザイクを
記念撮影して、しばらくして、センターを後に。
このセンターの左奥(西)に上杉謙信の居城のあった春日山があります。