2007年07月14日
旅の記録 本州横断と日本海の夕日
2005年5月10日 本州横断の終りと日本海の夕日
または、 日本横断 その8 (終) しかし、旅はまだ続く
上越海岸・居多ヶ浜 に着き、車を海水浴場の駐車場の東よりに止めた。いったん車から外に出たが、佐渡の方角が知りたい。駐車中の車の人に聞きたいのだが、どうも聞くには不向きな車ばかり(二人連れ)のようだ。
周りを見ると西のほうでサーフィンをしている。この寒いのにと思うのは素人の私だからだろう。その近くに数人の男性がそれを眺めているので、車をその近くに移動させた。
そして、砂地の上を彼らのほうに歩いていく。まだ若い3人連れだ。雰囲気は学生だが、後姿ではわからない。近くまで寄って「つかぬ事を聞きますが、佐渡はどっちの方角ですか」と声をかける。
彼らは、ほとんどいっせいにといっていいくらいに、海岸線に直角の方を指をさす。つまりこちらが北なのである。上越の居多ヶ浜の真北に佐渡があるのだ。このことは以前からわかってはいたが、毎度水平線さえ見えないから真偽を図りかねていたのだ。
彼らの指差すほうには島影は見えない。「へぇ。こちらですか?うっすらとでも見えないですか?」ときいてみたが「うっすらともないですね」と笑いながらの答えだ。「3回目の上越だけれど毎度雨で、見たことないんですよ」というと、「お気の毒に」とこれまた半分笑いながら言われてしまった。
この3人学生ではないとのこと。長野県の小布施の若者とのことだ。結構外は寒いのに、Tシャツの人もいるのだ。私は、数時間前に走って来た関東が汗をたっぷりかくほど暑かっただけにここでは真冬に感じられる。
彼らと一緒に海を見た。西のほうに夕焼けとまでは行かないが、雲の隙間から太陽の光が漏れている。水平線と雲の間に青空も見える。ということは、我慢して待っていると夕日が沈むところを見る念願がかなうかもしれないのだ。車の中で、日が沈むまで待つことにした。
今夜の宿は、黒姫・野尻湖パーキングエリアから電話で予約を済ませてある。ねぐらの確保ができているので、安心して外で時間をつぶすことができるのだ。
どのくらい待っただろうか。おそらく30分以上待ったと感覚的に思う。なぜか記録をとっていないなのだ。6時半を回ってもまだ太陽が見えない。なかなか落ちてこないのだ。我慢、我慢。待ちました。しかし、ちょっと業を煮やしたので、まだ時間もあると思って一旦「親鸞聖人上陸記念堂」の見晴台に移動。そこからこの海の状態を写真に収める。
数枚とったところで太陽が顔を出し始めた。すぐに海岸へ取って返した。太陽はだんだん水平線に近くなる。水平線に近くなればなるほど暗くもなってくる。写真を何枚か撮った。
これで、かねてからの念願だった日本海に沈む夕日を見、写真収めるというとりあえずの念願はかなった。旅行の行程をあえて変えてまで、そして長野は区をあえて変えてまで、上越海岸に来た甲斐があった。
もっとももっと晴れた空の夕日を見たかったが、明日という日にもう一度期待をしておくことにした。
日は沈み、周りは暗くなった。今日の宿泊先は、信越線高田駅前のホテルだ。昨日とは違って、ちょっといいホテルであることは前回の上越訪問の際に見てあることだが。
海岸線を東に行く。水族館のところの信号で右折。もう、このあたりは地図は要らない。大体見当はついている。そのまままっすぐ行けば高田公園の方面に行く、そしてその信号を右折すると高田駅に向かう。
このホテル、立地条件は最高だろう。高田駅前にある。できて10年ほどのことらしい。まあ見た感じはきれいなホテルだ。しかし、ちょっと問題がないわけではない。駐車場が外なのだ。第1・第2と歩いていかねばならないのだ。設計の失敗か、それだけのスペースが取れる環境ではないようだ。
前回は、南警察署の前の安いところに宿泊した。今回は、この上越だけはちょっと贅沢したい気もあり、このホテルにしたのだが。
今日も朝ホテルを出てから、このホテルにたどり着くまでにちょうど12時間ではないか。その大半を運転、ドライブに費やしたということか。外に出ておいしいものを食べようかとも思ったが、あくる日に取っておこうと思いホテルのレストランで簡単に済ませてしまった。その時は、体調を崩して翌日は食事ができなくなるなんていうことは全く思ってもいなかったのだ。
食事を終えてJR高田駅にいってみた。夜の高田駅は、前回来たときに収めてはあるものの、駅舎には入っていないのだ。出札口、待合室などを見ることにした。数人の学生と思しき若者が待合室にいた。他には通勤の帰りかと思う人も、旅行者と思われ人はいない。
改札に駅員が居る。私は数年後に北陸新幹線が通ることを知っているので、「新幹線が通ったら、ここから先長野方面の在来線はどうなるんですか?長野の軽井沢から向こうが廃線になったみたいになるんですか?」と聞いてみたら、難やらいやな顔をされて「まだ一切そうしてことは決まっていません」とつっけんどんに答えられてしまった。
ホテルに戻る。駅から1本東の通り(これが後になって北国街道とわかる)まできたら、カンカンとゆっくりした鐘の音を鳴らしながら赤い車が通っていく(車全体を見たわけではない)。ホテルで聞いたら、これは消防署の「火の用心」の巡回とのことだ。土地土地で、それぞれ色々なことをするものだと感心した。
ホテルに戻り、これを書き始めたのだが、腰がだんだん痛くなってきた。そして、この夜は、殆んど眠れなくなるという大変なことになってしまうのだ。
**次回からは、上越の滞在記を連載します。**
**
過去の記録
2005年5月9日
名古屋から軽井沢 その1
名古屋から軽井沢 その2
軽井沢から達磨寺
達磨寺から高崎・前橋
前橋から専修寺 R50号線
栃木県真岡市で宿泊
2005年5月10日
栃木県二宮町の朝
朝のお勤め 高田・専修寺
高田・専修寺 その2
稲田・西念寺
水戸市河和田 報佛寺
報佛寺 坊守さんのお話
筑波山麓を走る
下妻市 小島草庵後
下妻から長野に
関越・花園~上信越・佐久
佐久~黒姫野尻湖PA
妙高を越え日本海へ
または、 日本横断 その8 (終) しかし、旅はまだ続く
上越海岸・居多ヶ浜 に着き、車を海水浴場の駐車場の東よりに止めた。いったん車から外に出たが、佐渡の方角が知りたい。駐車中の車の人に聞きたいのだが、どうも聞くには不向きな車ばかり(二人連れ)のようだ。
周りを見ると西のほうでサーフィンをしている。この寒いのにと思うのは素人の私だからだろう。その近くに数人の男性がそれを眺めているので、車をその近くに移動させた。
そして、砂地の上を彼らのほうに歩いていく。まだ若い3人連れだ。雰囲気は学生だが、後姿ではわからない。近くまで寄って「つかぬ事を聞きますが、佐渡はどっちの方角ですか」と声をかける。
彼らは、ほとんどいっせいにといっていいくらいに、海岸線に直角の方を指をさす。つまりこちらが北なのである。上越の居多ヶ浜の真北に佐渡があるのだ。このことは以前からわかってはいたが、毎度水平線さえ見えないから真偽を図りかねていたのだ。
彼らの指差すほうには島影は見えない。「へぇ。こちらですか?うっすらとでも見えないですか?」ときいてみたが「うっすらともないですね」と笑いながらの答えだ。「3回目の上越だけれど毎度雨で、見たことないんですよ」というと、「お気の毒に」とこれまた半分笑いながら言われてしまった。
この3人学生ではないとのこと。長野県の小布施の若者とのことだ。結構外は寒いのに、Tシャツの人もいるのだ。私は、数時間前に走って来た関東が汗をたっぷりかくほど暑かっただけにここでは真冬に感じられる。
彼らと一緒に海を見た。西のほうに夕焼けとまでは行かないが、雲の隙間から太陽の光が漏れている。水平線と雲の間に青空も見える。ということは、我慢して待っていると夕日が沈むところを見る念願がかなうかもしれないのだ。車の中で、日が沈むまで待つことにした。
今夜の宿は、黒姫・野尻湖パーキングエリアから電話で予約を済ませてある。ねぐらの確保ができているので、安心して外で時間をつぶすことができるのだ。
どのくらい待っただろうか。おそらく30分以上待ったと感覚的に思う。なぜか記録をとっていないなのだ。6時半を回ってもまだ太陽が見えない。なかなか落ちてこないのだ。我慢、我慢。待ちました。しかし、ちょっと業を煮やしたので、まだ時間もあると思って一旦「親鸞聖人上陸記念堂」の見晴台に移動。そこからこの海の状態を写真に収める。
数枚とったところで太陽が顔を出し始めた。すぐに海岸へ取って返した。太陽はだんだん水平線に近くなる。水平線に近くなればなるほど暗くもなってくる。写真を何枚か撮った。
この写真が、BLOGトップを飾っている夕日の写真の原画です。
これで、かねてからの念願だった日本海に沈む夕日を見、写真収めるというとりあえずの念願はかなった。旅行の行程をあえて変えてまで、そして長野は区をあえて変えてまで、上越海岸に来た甲斐があった。
もっとももっと晴れた空の夕日を見たかったが、明日という日にもう一度期待をしておくことにした。
日は沈み、周りは暗くなった。今日の宿泊先は、信越線高田駅前のホテルだ。昨日とは違って、ちょっといいホテルであることは前回の上越訪問の際に見てあることだが。
海岸線を東に行く。水族館のところの信号で右折。もう、このあたりは地図は要らない。大体見当はついている。そのまままっすぐ行けば高田公園の方面に行く、そしてその信号を右折すると高田駅に向かう。
このホテル、立地条件は最高だろう。高田駅前にある。できて10年ほどのことらしい。まあ見た感じはきれいなホテルだ。しかし、ちょっと問題がないわけではない。駐車場が外なのだ。第1・第2と歩いていかねばならないのだ。設計の失敗か、それだけのスペースが取れる環境ではないようだ。
前回は、南警察署の前の安いところに宿泊した。今回は、この上越だけはちょっと贅沢したい気もあり、このホテルにしたのだが。
今日も朝ホテルを出てから、このホテルにたどり着くまでにちょうど12時間ではないか。その大半を運転、ドライブに費やしたということか。外に出ておいしいものを食べようかとも思ったが、あくる日に取っておこうと思いホテルのレストランで簡単に済ませてしまった。その時は、体調を崩して翌日は食事ができなくなるなんていうことは全く思ってもいなかったのだ。
食事を終えてJR高田駅にいってみた。夜の高田駅は、前回来たときに収めてはあるものの、駅舎には入っていないのだ。出札口、待合室などを見ることにした。数人の学生と思しき若者が待合室にいた。他には通勤の帰りかと思う人も、旅行者と思われ人はいない。
改札に駅員が居る。私は数年後に北陸新幹線が通ることを知っているので、「新幹線が通ったら、ここから先長野方面の在来線はどうなるんですか?長野の軽井沢から向こうが廃線になったみたいになるんですか?」と聞いてみたら、難やらいやな顔をされて「まだ一切そうしてことは決まっていません」とつっけんどんに答えられてしまった。
ホテルに戻る。駅から1本東の通り(これが後になって北国街道とわかる)まできたら、カンカンとゆっくりした鐘の音を鳴らしながら赤い車が通っていく(車全体を見たわけではない)。ホテルで聞いたら、これは消防署の「火の用心」の巡回とのことだ。土地土地で、それぞれ色々なことをするものだと感心した。
ホテルに戻り、これを書き始めたのだが、腰がだんだん痛くなってきた。そして、この夜は、殆んど眠れなくなるという大変なことになってしまうのだ。
**次回からは、上越の滞在記を連載します。**
**
過去の記録
2005年5月9日
名古屋から軽井沢 その1
名古屋から軽井沢 その2
軽井沢から達磨寺
達磨寺から高崎・前橋
前橋から専修寺 R50号線
栃木県真岡市で宿泊
2005年5月10日
栃木県二宮町の朝
朝のお勤め 高田・専修寺
高田・専修寺 その2
稲田・西念寺
水戸市河和田 報佛寺
報佛寺 坊守さんのお話
筑波山麓を走る
下妻市 小島草庵後
下妻から長野に
関越・花園~上信越・佐久
佐久~黒姫野尻湖PA
妙高を越え日本海へ
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この記事へのコメント
素晴らしい経験を沢山されているのですね。
楽しく読ませて貰いました。
私は、上越在住です、ガソリンの高騰などももありますが、是非又お越しください。
北信越地区の素晴らしい所をいくつか紹介させてください。
上越市の桑取地区のゆったり村。温泉が最高です。
妙高 笹ヶ峰地区の 晴れた日の乙見湖。
妙高 池の平地区の いもり池。
紅葉の燕温泉。
少し遠いですが 同じく紅葉の戸隠。
あと、高田本町通り商店街、勤めていますので。
これからも読ませてください。あまり外に出ることが少ない私ですが、楽しみにして、参考にさせてもらいます。
それと事故には注意してください。それでは。
楽しく読ませて貰いました。
私は、上越在住です、ガソリンの高騰などももありますが、是非又お越しください。
北信越地区の素晴らしい所をいくつか紹介させてください。
上越市の桑取地区のゆったり村。温泉が最高です。
妙高 笹ヶ峰地区の 晴れた日の乙見湖。
妙高 池の平地区の いもり池。
紅葉の燕温泉。
少し遠いですが 同じく紅葉の戸隠。
あと、高田本町通り商店街、勤めていますので。
これからも読ませてください。あまり外に出ることが少ない私ですが、楽しみにして、参考にさせてもらいます。
それと事故には注意してください。それでは。
Posted by 高田在住K at 2008年11月19日 00:50
コメントありがとうございました。
今年生きたいと思っていたのですが、家庭の事情でいけなくなりました。それにもう雪ですものね。
来年の4月にお邪魔しようと思っています。
高田商店街のどこでしょう?何度も歩いていますが・・・・
お蕎麦のおいしい店があったのに、見つけられなくなってしまって。
今年生きたいと思っていたのですが、家庭の事情でいけなくなりました。それにもう雪ですものね。
来年の4月にお邪魔しようと思っています。
高田商店街のどこでしょう?何度も歩いていますが・・・・
お蕎麦のおいしい店があったのに、見つけられなくなってしまって。
Posted by 生田 at 2008年11月19日 18:35