2016年10月21日

仏さんに惚れ込んで。。。18 広隆寺 弥勒菩薩

 広隆寺の弥勒菩薩といえば、いらない人がいないくらいに有名で、何せ国宝指定第1号ということになってるよなぁ。
 広隆寺は訪れたのは1度、ひょっとしたら2度かも。大学の古美研(古美術研究旅行)で広隆寺に行ったという記憶が全く残っていない。なので行ったかどうかもわからないくらいだ。古い写真のネガを引っ張り出して探せばわかるかも知れないけど、そこまでして書くことでもあるまい。

 2回目に行ったのは、20数年前かな?息子が京都の某大学に行っていた時だったかと思う。白梅町から電車に乗って帷子ノ辻で乗り換えて太秦広隆寺まで行った。そして停留所のすぐ前(北側)に広隆寺があった。(あの門の前の道って三条通りなんですねぇ、知ってました?)
 境内は広かったなぁ。。。ただただだだっ広く思っただけ。建物の記憶は全くない、あちこちぶらついて、八角堂みたいなのがあったのはなんとなく記憶しているけど、他はなぁ。。
 まぁ、広隆寺に来るのはお目当は一つでしょうね。弥勒さんですよね。

 霊宝館にあったと思う。霊宝館の中はたくさんの仏像があったよ。拝観者の多くが弥勒菩薩の前にたむろ。そんなに見たいんかいな。。。
 実は、私はこの弥勒菩薩に魅力を感じない人なのです。なぜ国宝になったのか?重要文化財程度でも構わない、それが国宝第1号とは。。。このシリーズの最初にかいたように、私は生まれて初めて仏さんに惚れたのは中宮寺の”半跏思惟像”で、この仏さんは今でこそ”半跏思惟像”って呼んでいるけど、昔は”弥勒菩薩”って行ってたよ。こちらも国宝だけど、指定番号は23番で、なんでこんなに番号が違うの?国宝指定日は同じ1951/06/09なんですよ。。ということは、ただ単純に番号をつけるときに違ったということのようですが、おそらく誰かの好みで広隆寺が先になったんでしょうね。。。
 そんなことはともかく、とにかく同じ弥勒(半跏思惟像)ならやっぱり中宮寺だわなぁ。。でも、これはあくまでもCMなみに個人の感想です。

 弥勒菩薩(中宮寺は如意輪観音らしいが)は、仏教の世界でシャカがなくなって仏法が途絶えたところで、苦しむ衆生を救うために現れる菩薩で、悟り開いたので弥勒如来とも名乗っている。な¥まぁなあ外こと衆生を救うためにお考えになっているので、それが”思惟”。その考える姿が、椅子に座って右足を組んでいるというこれは”半跏”。
 半跏思惟像はたくさんあるねぇ。。今年(2016年)は韓国の半跏思惟像と並んだりして話題兄もなった。

 そんな国宝なんですが、私はなぜか苦手なんです。たぶんに反主流派の私ですから、意地でも国宝第1号には気が向かないのかも知れない。
 で、霊宝館に入ってたくさんの仏像を見たのですが、今はどうなっているかわからないけど、
私の記憶の中にある霊宝館の仏像の配置では、弥勒を見ている立ち位置で背中側にある大きな仏像に私はミリョクを感じたのだ。記憶では阿弥陀如来だったかと思うのだが結構大きかったなぁ。。。その当時は、まだ阿弥陀大好きではなかったので、記憶にとどめるのが薄いのかも知れない。

 広隆寺においでになり霊宝館に起きになったら、是非一度弥勒菩薩の反対側に目を向けて見てください。私の行っているのが間違ってなければ、私の好みが理解できるかと思います。
  

Posted by 生田 at 15:58Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰

2016年10月21日

久しぶりの揺れです

 地震です
 午後2時7分ごろに だけど、私のところで揺れたのは結構遅かったよ
 とはいうものの 座椅子にひっくり返っていたので最初気づかず
 かなが地震だいうので天井を見て照明器具が揺れているので確認
 それで気づいたわけだけど、長かったなぁ。。。。
 なんでも名古屋で震度2。
 震源は鳥取県の真ん中あたり?震度6弱だと

 それから震源近くは余震が続いているね
 当分続くのかな?

 なんだかだんだん揺れるところが近くなって来たなぁ。。。。
 この辺り、名古屋近辺は本当の揺れはいつ??
 待つ身は辛い
 来て欲しくないけど、いつか来るんだよなぁ。。。。

   
タグ :地震

Posted by 生田 at 14:49Comments(0)TrackBack(0)今日の日

2016年10月20日

2016年9月 高山・平湯・上高地の旅 10 明神池 父の思い出

 上高地の明神池にやって来ている。雨の中を大正池から河童橋まで歩き、そこで雨が上がっていなかったら諦めたと思う明神池。雨が上がっても、河童橋と明神池を往復するのは結構私にとっては冒険なのだ。何せ日頃歩くことが少ない、だから往復3時間あまりの歩きができるのか?本当に冒険なのだが、雨が上がったことは、どうしても行かねばならない。前にも書いたけど、雨が上がったのは「おいで」といっているのだ。それに応えねば。。。

 なぜそんなにこだわるのか?実は、私の実の父親の思い出の場所なのだ。私は実の父親は写真でしか知らない。その写真の一枚に明神池と思われる池をバックに撮ったものを見た記憶がある。それを見たのは中学くらいだからもうかれこれ60年になるが、あの写真は忘れることはできないのだ。私にしてみれば宝物なのだから。その写真は、母親が保管していた。再婚してからは表に出ることはなく、今は家内が保管していると思う。私は養父がなくなるまで実父のことは話すこともなかったし、話すことはできなかった。数年前に養父が亡くなってやっと大ぴらに話すことできるようになった。
 それからは、母親方の伯父からは実父の使っていた実父のサイン入りの英語の辞書をもらったり、実父方の叔父からもそれなりのアクションが多くなった。そして、私の頭の中にはいつかあの写真の場所に行くのだという思いが募っていたのだ。
 やっと念願叶った上高地だが、雨男のおかげで断念寸前だったのだが、それが雨は上がり太陽も顔を出すこともあるような天気になったのは、父親が「せっかく来たのだからよって行け」と誘っていると思えたのだ。これにはやはり私としては応えねばならないだろう。
 応えるために強行。家内は大丈夫かという顔をしているが、私は頑張るといってやって来た。

 確かにここまではきつかった。それでもやって来たという達成感があり、気持ちのいいものだ。

 穂高神社奥宮の関所を通って、池に向かった。しかし、もう90年にもなろう昔と景色はかなり変わっているだろう。同じ場所を探すなんて難しいと思いながら、池の周りをあちこち歩いた。そして、多分ここではないかという場所に来た。 


 上の池の俯瞰写真に示すように、私の撮影したのは池の中央あたりだが、父は右のほう移動した、角度で言えば30度くらい移動したあたりではないかと思うのだ。残念ながらそちらには行けないので確認のしようがない。記憶ではもう少し高いところから撮っていたともうが、今日は雨上がりで水かさが多いかの知れない、水の中の枯れ木はもっと多かったと思うが、90年近くも前の通りではないだろうし。。。。。
 とにかく、私は、この場所に来て感無量である。やっと実父と思い出として共有できるものを持つことができたと。

 そして、ここでこのあと私としては新たな思い出を持つことになった。   

Posted by 生田 at 17:07Comments(0)TrackBack(0)旅行など

2016年10月20日

予防接種の副反応?

 昨日インフルエンザの予防接種をして来た。帰りにバスに乗ったら、エアコンがめちゃきつくて寒気を感じるほどだった。家に帰った頃からかだらが重いだるい。昼食後に1時間ほど寝た。起きても体がだるい、汗を掻く、気落ちの悪い汗だ。

 それからもかなり汗を掻いた。シャツを着替えた。夕食後結構な汗を掻いた。これは癌治療のホルモン剤に副作用のホットフラッシュもあるのだろうが、いつもと違う汗だ。ケッコアセを書き続けて、夜8時頃になって落ち着いて来た。
 11時に風呂に入った(インフルエンザ予防接種の日の入浴は許可されている)が、これでさっぱりしたようで何とか治った。

 副反応(副作用と同義語カナ?)があるとは聞いてはいたが、毎年打って来てもこんなことは初めてだと思う。やはり体調がイマイチ万全でなかったのかも。まぁもっとひどい症状になっていれば、医師に電話して確認し対処するだけだったけど。

 何にしても、予防接種を打つときは体調を万全にしてからどうぞ。  
タグ :予防接種

Posted by 生田 at 09:34Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2016年10月19日

2016年9月 高山・平湯・上高地の旅 10 明神池

 河童橋でお昼、休憩を兼ねての昼食。そんなにたくさんの時間を使ってはいなかったもののそれなりに体を休めることはできた。雨は上がった。あのまま雨が降っていたら、この先の奥にある明神池に行くことは諦めただろう。何せ明神池までは片道1時間以上、それに明神池までは登り、少し上り下りもあると聞く。雨の中を行けば、帰りがどうなるか想像できない。下手して時間がかかるとシャトルバスの最終に間に合わないなんてことになりかねない。
 それが雨は上がったのだ。いかにも「おいで」と言っているかのように。確かに太陽は顔を出してはいない。でも山の頭の霞は上がって行く。雨になならないと判断した。降りてくれば断念だけど、上がる速さから行けば、決行だ。

 もう迷うことなく、歩き始めた。カメラはあまり使わない予定、ショットしている時間がもったいないのだ。とにかく出来るだけの早歩きで、と言って帰りにバテても行けないかあらそれなりに感がながら。しかし、私は日頃歩いていないから、結構きつい行程になるのは覚悟している。
 キャンプ場を通り抜け、ひたすら東に歩く。すれ違うのは、多くが山歩きの姿。ひょっとしたら朝早く上を立って降りてくる人たちなのかも知れない。ツアーというか何時が多いなぁ。。
 でもな、すれ違いざまに挨拶を普通すつけど、本当に山歩きをしている人は挨拶を返してくれるけど、返してくれないほとの多いこと。もうそんなエチケットは無くなったのか?ツアーならガイドが説明しておけばいいものをと思ったりもする。
 かなりたくさんの人とすれ違ったけど。。。。。

 約1時間半かけて明神池の手前、宿泊所などのあるところまできた。ここから明神池には橋を渡らねばならない。奥宮の木の碑の前でここにきたことのとにかくのアリバイのための写真を撮った。そしての日の後ろに向かって進んで橋=明神橋を渡る。

  

 明神橋を渡ってしばらく梓川に沿って下ると、右手に明神池という案内板に出会った。それに従って奥に入って行く。そして突き当たりに。。。。ん??神社ダァ??しかも、明神池に春には、拝観料ダァ???正直「ウッソォ」と言ったものだ。
 
(写真は、神社の前で監視している犬、狛犬さんです。撮ってきました。)

 明神池は、御神体なの??池は神社=穂高神社の奥宮なんですねぇ。なので、池穂高神社ノア持ち物、財産のようです。何もこんなこと路でカネにまつわる話になろうとは。。。。

 とりあえず本殿?に向かってお祈りして、左手の関所で金払って中に入りました。

 さて、次回は、なぜ私がちょいと無理をして明神池まで来たを書くことにします。  

Posted by 生田 at 17:15Comments(0)TrackBack(0)旅行など

2016年10月19日

内科の定期検診

 おとといは歯医者に行って来た、昨日は皮膚科に行って来た、今日は内科の診察を受けて来た。
 とはいうものの、今日は診察なし、ただただ問診だけ。担当医とはツーカーの仲で、私の体調は大体掴んでくれているから、聴診器を当てるなんてことは必要なくって。
 秋の花粉症かなぁということで、目薬を処方してくれた。いつもはこれまたツーカーの眼科でもらうんだけど、この際面倒だから処方を受けた。
 
 何にしても医者に友人がいるということは、本当に助かる。面倒なことを色々聞かれなくてすむからな。でも、毎月ちゃんと通って薬を切らさないよにと思ってくれているから安心していられるんだな。友人も出ないとしゃっちょこばって、建前だけで処理してくれるから、こっちの思ったことの理解がなかなかしてもらえないことが多いな。
 できるだ、昵懇の医者さんを見つけましょう。

 それから、今日は、インフルエンザの予防接種もして来た。これをやっておけばちょっと安心ね。料金が上がったね。昨年は1000円だったけど、今年は1500円。私は非課税の人間だから無料でできるけど、今日は証明書を持って行くのを忘れた。だからちゃんと払って来たよ。
 注射の前に体温測った。36.2、普通の人ならあたり前の体温だけど、私にとっては約1度近く高いんだな。なんでだろ????ひょっとして夕べのアルコールがまだ燃えているのかな?  

Posted by 生田 at 13:51Comments(2)TrackBack(0)自分の健康

2016年10月18日

2016年9月 高山・平湯・上高地の旅 9 大正池〜河童橋 3

 ウェストン碑を通り過ぎると河童橋まではこれまで歩いてきた半分くらい、つまりは3分の1になった。とはいえ来たことがないからどのくらいあるのかさっぱり見当がついていない。写真を撮りながら雨の中だったことで、歩いた距離の割には時間がかかっている。写真の撮影時間から見ると1時間半かかっている。日頃あるかな私にはきついはずなのだが、あんまり疲れているって感じはない、これはひょっとしたら気が張っているだけだったのかも。

 田代橋から河童橋へは梓川=大正池の北岸を歩いているが、南側に比べると車の通ることができる道を歩くので結構周りの見晴らしのいい。しかし、何せまだ雨が上がっただけというところで、山々は恥ずかしいのかなんか知らないが顔を出してはくれないのだ。誰か虐めたんと違うか????なんて、思いもしたくなる。
 という状況なので、左の写真(これ焼岳の方を向いていると思うんだけど)のように、低いところだけで、高いところは靄の中。我慢、我慢。
 
 この先、写真を見ても何も写していない。というくらいつまらんかったなぁ。。。右側に梓川の流れは見えるものの、何せ濁流で水かさも多く流れも早いし、山は頭隠しているから、川面に映る綺麗な山々なんてショットは望むべくもない。

 しょうがないから先に進んで行くと、濁流の向こうに橋が見えた。おぉおぉテレビで何度も見た河童橋だよ。何の変哲も無いんだどよなぁ。。。テレビの時はそれなりに見えるのになぜ?そうかぁ、バックの山が見えないからつまんないものになっているんだ。



 明るくないですねぇ。。。。くらいです。太陽はまだ完全に顔だしてません。ここにたどり着いたのが11時半少し前です。約2時間かけて歩いてきたんですねぇ。。。よく頑張りました。我ながら褒めてやらねば。。

 昼ということで、朝食も結構早かったからここで何かを食べようと河童橋のたもと、北側の店がたくさんある中の一つに入って昼食です。食べたのは、カツカレー。朝食をお代わりするくらいに食べたのに、2時間歩いたことでお腹が空いたのか、空気は湿っている割には美味しいので腹一杯食べたいと体が駄々をこねてました。
 昼食をとるとことは、ここで休憩したということ。この先どうする???何てことは考えてません。もう明神池まで行く気満々なのです。家内もちょいとびっくりしてました。下手すると往復4時間になりそう。最終のシャトルバスには絶対乗らねばならないから、こんな冒険するの?って顔してました。
 写真の撮影時間を見ると、そんなに長い時間休んでなかったようです。11時45分頃には店を出て歩き始めています。
 右の写真は、河童橋です。そばまで来て思ったことは、あれまぁ新くらいではないか?観光客多いのにいつ架け替えしたんでやんしょ。そんなことはどうでもいい。せっかく来たのに、あの綺麗な上高地の雰囲気を味わわせてもらねいんだなぁ。。


 対岸に渡って明神池に向かいます。この先明神池までは、写真はほとんど撮ってません。撮っている時間がないといったのが正直なところです。それに、景色はまたどんなでもなくなりましたし。。
 まぁ、何とか雨は上がりました。途中陽がさすこともありました。陽がさすようになったのは、とでまた書くことになるでしょう・・・・・


   

Posted by 生田 at 15:56Comments(0)TrackBack(0)旅行など

2016年10月18日

仏さんに惚れ込んで。。。17 高徳院・阿弥陀如来(鎌倉大仏)

 シリーズのこれまでは、名古屋以西、多くが奈良、京都の仏像を書いてきた。まぁ当然と言えば当然で、訪れる機会の多いところだから、それに国宝を言われる仏像が目白押しなんで、書く機会も多くなる。
 
 今回は、ちょいと東に目を向けて、鎌倉。鎌倉といえば言わずと知れた鎌倉の大仏さんである。
 鎌倉の大仏さんは、阿弥陀如来なのだ。奈良の東大の大仏さんが盧舎那仏だったのだが、これか造像の時代が違い、施主の思いが違うからだと思う。
 奈良の大仏さんは、当時はまぁ仏教の基本的な考えの造像で多くの衆生を救いということからかな?鎌倉の大仏さんは、鎌倉時代の造像、寺伝によれば作者はわからないそうだが、多分に当時の仏教の流行の阿弥陀信仰の流れからではないかって思う。わた日はが買う者ではないから、いい加減なことを書いているだろうけど、ご容赦を。

 この阿弥陀さんは、南南西を向いてお座りになっている。阿弥陀如来というのは西にある浄土の如来さんで、室町、安土桃山、江戸時期のお寺では、特に浄土宗や浄土真宗の寺では多くが西から東向いてお座りになっているか、前に描いた2宗派は立ち姿の来迎像が多いと思う。
 鎌倉時代となると、まだ浄土教のお寺というのはそんなに多くはなかっただろうから、一般の寺院のような南向きなのかもしれない。とはいえ、多くの仏像の坐像は南向きかな?

 昨年久々、そう50年ぶりに訪れた。久々なのだ。東京に住んでいる頃は、4度行っている。浪人の時、大学のとき3度。つまりは、今の名古屋から京都、奈良に行くのと同じ感覚で、東京のことイコール鎌倉となってしまうから、行く回数も多く、記憶に残ることも多くなる。
 大学までに訪れた時には、まだ空気もそんなに汚れていなかったから、まだ綺麗なお身体をされていたと思う。しかし、昨年訪れた時は、酸性雨にやられて、見るも無残なお姿だった。できれば、屋根があってその下ならばこんなにはならないだろうなぁ、と正直かわいそうに思えたものです。
 でも外にあるから、鎌倉の大仏さんなのかもなぁ。。。なんていう気持ちもある。

 与謝野晶子が「かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は美男におわす夏木立かな」という歌を残しているが、何を勘違いしたのでしょうねえ。大仏さん=釈迦牟尼と思い込んでいたのだろうか?まぁ、それは置いといても、いい顔されてるんです。奈良の大仏さんは硬いお顔なんですが、こちらは憂いを含んで衆生を見守っているって感じです。

見守られている、私です。

真は、昨年私が撮ったものです。

  

Posted by 生田 at 13:19Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰

2016年10月18日

秋眠暁を覚えず

タイトル間違いではないですヨォ。。。

昨夜11時にアルコールを少し
睡眠薬がわりに飲んで
そのまま就寝

夜中にトイレに行ったことは覚えているが
夢うつつだったようで
寝床に戻ったらそのまま熟睡

あさ 起こされた
時計を見たら
何と9時半を回っているではないかぁ。。。
10時間半も寝たぁ?

今10時半近くになっているけど
未だに体は完全に目覚めていない
春先ならわかるけど
この時期になってこの眠気
歳のせいと言いたくはない

ひょっとしたら
秋の花粉症なのかも
半月前に行った
上高地へのドライブ旅行で
行き帰り天敵の”ススキ”が
あちこちにあった

昔、坊主山(奈良県の曽爾高原を私はこう呼んでいる)に行った
あくる日から完全に花粉症の様相
たまたまかかった医者が理解できなかった
いつものアレルギーの医者に見てもらたら
ススキのアレルギーだとか

それからは
ススキのある時期はドライブを避けているんだけど
この時期完全に避けることは無理だもんなぁ

それにしても
体がシャキッとしない
困ったことだ

まだ瞼が降りてくる


坊主山という理由
曽爾高原はススキがいっぱいの高原です
花札でススキは”坊主”と言われます
そこで私は曽爾高原を”坊主山”と呼んでいます

  

Posted by 生田 at 10:29Comments(0)TrackBack(0)今日の日

2016年10月17日

仏さんに惚れ込んで。。。16 法隆寺夢殿 救世観音

 法隆寺は、聖徳太子開山?ということで、日本の仏教の原点的な存在で、とにかくたくさんの国宝やら重要文化財がある。ただ、それを見る人によっては好みがあるだろうから全てが好きになるものでもない。信仰の対象としてどのくらいの人が見ているかわからないが、一体法隆寺の仏像の中でどれが一番好かれているだろう?
 日本で一番好まれている仏像といえば興福寺の阿修羅だけど、あれはどちらかというとマスコミに乗っかる機会が多いこともあるような気がする。テレビなどに出てくる機会が多ければ多いほど一般の人には好かれる、好きにならねばならないように思われるもの。
 よく「癒される」なんてのをテレビでやっていると、誰も彼もが癒されなくてはいかんような雰囲気があるけど、私はそんなのを見ると余計にイラついて癒しどころではないのだ。阿修羅の話は”興福寺八部衆の沙羯羅”のところで書いたように、私は阿修羅よりも沙羯羅の方が好みなのだ。
 
前に 法隆寺は、百済観音を書いている。とにかく法隆寺では一番好きな仏像で、その次は?となると難しい。あまりにたくさんあるから、記憶を辿るだけでも大変なのだが、やはり百済観音に次いで頭に出てくるのは夢殿の救世観音だ。
 夢殿に行っても救世観音はいつも見ることができるわけではなかったと思う。毎年2回だったかな?この2016年の秋は秋の公開(10月22日から11月22日)として特別開帳される。そんな機会の少ないはずの救世観音に私は3度もお会いしているのだ。多分に秋や春に行く機会が多かったことで、特別開帳に重なったからだと思う。

 救世観音は、明治まで秘仏中の秘仏として公開されることはなかったことで、公開されるようになって人はあの金箔の剥がれていない姿には感激したのではないか?作られた当時の姿を止める仏像の少ない中で、ひときわ目立つ存在だと思う。
 大きさはそんなに百済観音のように大きくなく、確か記憶では聖徳太子の身長に合わせたということではなかったか?開帳されてもいつも遠くでしか見られないから細かいことはわからないにしても、金箔は綺麗だよなぁ。。ちょっと色変わってはいるけど。
 お顔は、アルカイックスマイルそのもの、硬いですね。致し方ないのですが、やはり仏さんは柔らかい表情がいいなぁなんて思うのは贅沢かな?しかし、お姿は綺麗ですね。。左右まったくの対象、宝珠を持った手が違うくらいかな?すばらしいい形だと思います。

 実は、私は救世観音が本当に江戸時代に開帳されなかったのか?と疑問を持っているのです。なぜかというと、円空仏を掘り始め、いろいろな円空仏の写真を見て行くうちに、円空さんが法隆寺を訪れた後で作風がまったくと言っていいくらいに変わっているのです。あの衣が左右にギザギザで開いた状態は、嫌でも救世観音の衣の状態を思い起こさせるのです。
 円空さんが、法隆寺でヒントを得たことは多くの人、学者さんも認めている事実のようですが、逆に救世観音の絶対秘仏についての言及がないのですね。
 まぁ昔のことはわからないけど、明治に頃フェノロサが開帳を望んで開いてもらったときに、グゼン観音を包んでいた布は、昔のままだったのだろうか?飛鳥時代に布がそのまま明治まで何の変化もなく救世観音を包んでいた?どうにも疑問だなぁ。。今ならその布を科学的に分析するだろうけど、明治の時はできなかったのか?この辺り、どこかで明らかにしてほしいなんて思ったりもする。
 まぁ、してもしなくても絶対秘仏がいつからだなんてことは関係なく、素晴らしい仏像であることには変わりはないです。  

Posted by 生田 at 16:29Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰

2016年10月17日

観音さんのお帰り

 昨日、展覧会は終了。搬出のために出かけて、受け取って来た。
 ちょっとしたお知り合い出会って、「よくできているけど、何か賞を?」と聞かれた。「でもこの展覧会、仏像は審査対象外だったんで、賞はもらってないんです」と答えた。
 まぁ、しょうがもらえればいうことはないけど、それ以上に生きた証を残すための種ピンだから、なんていうと負け惜しみなりそう。もう一つ「仏像は美術展にはふさわしくない」という考えを聞かされたけど、これは理解しがたいなぁ。。。岡倉天心は一体何をしたのか?彼が仏像を美術品にしたのだが。。。

 そんなことはともかく、十一面観音がお帰りになりました。この10日間さみしい思いのもう1体の観音さんと久しぶりに並んで、いつもの我が家に戻りました。  
タグ :木彫り

Posted by 生田 at 09:48Comments(0)TrackBack(0)趣味の木彫り

2016年10月17日

仏さんに惚れ込んで。。。15 東大寺 盧舎那仏(大仏さん)

 おそらく東大寺に行ったことのない人は、いないと思えるくらいに有名なてあだけど、本当に皆さんが行っているんだろうかと思うときもある。
 名古屋で生まれ育つと、私の年齢(60代から上)は多分に修学旅行で奈良・京都に行っているかと思う。そして私の歩いたコースを多くが歩くともうけど、奈良駅(昔国鉄。今JR)で降りて一直線で東に行く(結構な距離あるけど)と猿沢池で、階段上がって興福寺見て、奈良国立博物館の裏手(飛び火野カナ?)を通って、天理に向かう道あたりで左に折れて北に向かうと東大寺に至る。小学校の児童にはちょいときついコースなんだけどね、昔は食糧事情もよくなかったから体力的にも大変だたよな。(今思い出したけど、私の修学旅行は”お米”を持って行ったかと遠い記憶)
 東大寺も広い寺だから、この中歩くだけでも大変なんだですね。とにかく大仏殿に到着して、みあげたあの盧舎那仏。盧舎那仏って、ほとんどの人は言わない。大体”大仏さん”と行ってしまう。日本で最大の仏像と言われているから大仏の愛称なんだろう。あちこちで大仏さんを見ているからその印象の比較でもやっぱりでかい。。。。

 東大寺は、このシリーズでは前に戒壇堂(昔は戒壇院と言っていた)の四天王、三月堂(法華堂)の不空羂索観音についてかいたが、やっぱり大仏さん=盧舎那仏を外すわけにはいかない。
 と言って、そんなに好きと思ってはいない。とはいえ嫌いでは絶対にない。初めて訪れた時は、ただただでかくて、ただ見上げるだけ。仏さんの印象は全く残っていない。残ったのは柱の穴くらいかなぁ。。。。でも、よく歩かされたよ、そのあと若草山にも生かされているんだよ。雨で登らなかったと記憶しているけど。
  
 大仏さん=盧舎那仏には、その後何度もお会いしています。中学の時、大学の時、大阪に住むようになっても、そして名古屋に戻って来てからの数回行っている。大仏さんの顔を見るたびに、印象が変わる。多分、その時その時の心の持ちようや、仏像に関する知識の変化、歴史上に出てくる知識の変化などで、想いが変わるのだと思う。でも、やっぱり私自身の心の持ちようが印象のわかる素だと思っている。
 大仏さんは、結構硬い顔をしていると思う。今のは江戸時代に修復された顔で時代を反映しているのかもしれないが、開眼当時の顔はどんなだったろうと、思いをはせるだけだ。あの平のバカ息子=重衡が変なこと考えなかったらこんなことにはなっていないだろうともうけど残念ねぇ。

 しかし、人はなぜこの大仏を見に行くのだ?盧舎那仏への信仰なんてとても考えられない。では?美術品を見る?歴史を見る?いろいろだろうなぁ。。。。。美術品として見るのなら周囲にある多聞天、広目天の方が良かったりしないか?あれもでかいけど。でも、真ん中に座る大仏さんは別物だよねぇ。。
 
 そうそう、大仏殿の内部の撮影は、三脚を立てない限り撮影可能なんだって。。  

Posted by 生田 at 09:36Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰
  
2015大津・京都の旅
1泊2日のドライブ旅行
2015北海道・道東の旅
1週間870kmのドライブ旅行
大学OB会と
50年ぶりの鎌倉
OB会の後に鎌倉と横浜に行ってきました
15年年頭 広島宿泊の旅
鞆の浦、竹原、宮島に行きました
14年秋 京都宿泊の旅
久しぶりに新幹線に乗りましたが・・・
13年秋 京都ドライブ旅
京都の紅葉の名所・毘沙門堂に行きました
12年秋 室生寺ドライブ旅
すてきな観音様と再会です
室生寺五重塔
12年秋 京都ドライブ旅
1年ぶりの京都です
三千院
10年秋 平泉ドライブ旅
4泊5日 2000キロの一人旅です
平泉・わんこそば
   
10年夏 室生寺 日帰り旅
素晴らしい観音さんに出会いました
室生寺・五重塔
10年初夏 宇治・長岡 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに黄檗山満福寺・六地蔵・法界寺谷寺・長岡天神
布袋さん
09年秋京都 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに 紅葉がきれいな京都
南禅寺の紅葉
08年秋京都 日帰り旅
08年11月25日貧乏・一人・日帰り旅の記録です。
鳳凰堂を望む
観光シーズン 京都の歩き方
京都市・地下鉄 東西線沿線
09年浅草と川越
浅草観音
07年信州の旅
上田城内
アクセスカウンタ
プロフィール
生田
生田
 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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