2012年12月02日
王女の男 第22回 哀しき友情
シン・ミョンは、セリョンを利用してスンユをおびき出そうとするが、スンユは矢を放つがそれがシン・ミョンに刺さった。(でもなぁ、それなのに何の傷もないようにその後活躍するんだぜ、いくらなんでも変すぎる)その間にスンユはセリョンを連れて逃げ出したが・・・・
この時シン・ミョンの配下とチョンジョンがもみ合った時に謀反の檄文が見つかってしまう。そのためにチョン・ジョンは処刑されることに決まる。そしてその処刑を利用してスンユをおびき出そうとするが、敬恵王女がスンユに走らせるなと…
そのために、チョン・ジョンが処刑された。そして前王・端宗(魯山君)も賜杯を受けて命を絶つことになってしまった。
しょうがない筋書きだけど、いくらなんでもけがの程度や、警備の程度が相変わらず納得がいかんわなぁ。だいたいが、敬恵王女なんて監視されていておかしくはなく、そんな監視の中にスンユがのんびりを射ることができたり、セリョンだって監視されていてもいいはずでそのセリョンとスンユがねぇ。。。。
スンユは、チョン・ジョンの処刑を受けて父・キム・ジョンソゆかりの地で体制を整え直すことになったのだが、セリョンが世祖(=首陽)の娘であることがばれて、仲間がともにいくことを拒み始めた。
このドラマももう直終わりだけど、最後は前見た首陽大君主役のドラマでのように、首陽は気がくるって死ぬんだろうなぁ。だけど、そのあとをだれが継ぐんだったっけ????忘れた。
この時シン・ミョンの配下とチョンジョンがもみ合った時に謀反の檄文が見つかってしまう。そのためにチョン・ジョンは処刑されることに決まる。そしてその処刑を利用してスンユをおびき出そうとするが、敬恵王女がスンユに走らせるなと…
そのために、チョン・ジョンが処刑された。そして前王・端宗(魯山君)も賜杯を受けて命を絶つことになってしまった。
しょうがない筋書きだけど、いくらなんでもけがの程度や、警備の程度が相変わらず納得がいかんわなぁ。だいたいが、敬恵王女なんて監視されていておかしくはなく、そんな監視の中にスンユがのんびりを射ることができたり、セリョンだって監視されていてもいいはずでそのセリョンとスンユがねぇ。。。。
スンユは、チョン・ジョンの処刑を受けて父・キム・ジョンソゆかりの地で体制を整え直すことになったのだが、セリョンが世祖(=首陽)の娘であることがばれて、仲間がともにいくことを拒み始めた。
このドラマももう直終わりだけど、最後は前見た首陽大君主役のドラマでのように、首陽は気がくるって死ぬんだろうなぁ。だけど、そのあとをだれが継ぐんだったっけ????忘れた。
タグ :王女の男
2012年12月02日
平清盛 第47回 宿命の敗北
とうとうというかやっというか、頼朝(岡田将生)が兵を上げた。ドラマではなんとなく頼りない風貌だけどねぇ。しかし、上総なんとかいう対象が来た時は、毅然とした態度で接してなるほど・・・・
それで、頼朝は鎌倉を目指すと宣言。それは、かまくらが3方を山で囲まれ攻めにくいという理由からということだ。確かにこれは先々それなりの効果を生むのだが、それは頼朝の生きた時代ではなくかなり先になるかな・・・
平泉にいた義経(神木隆之介)が藤原秀衡(京本政樹)を説得して兵を預かり、頼朝の軍に合流。過去に一度もあったことのない兄弟の対面を果たし、そして即、富士川の合戦となった。
富士川の合戦は、史実として頼朝の勝ちはわかっているが、このドラマのように平家軍は2000人くらいの兵力で源氏は2万と・・・それに平家の総大将となった清盛の孫・維盛(井之脇海)は兵の四季を立掛けるためと称して遊び女を陣に呼び入れて、なんてことはどこから出てきた事実なんだ?
この遊び女との遊びの最中に頼朝軍が近くまで来て、鳥の騒ぐのを聞いて攻め入られたと思って敗走。このままおめおめと福原に帰ってしまった。
これにはかなり怒った清盛で、おつきの将・伊藤忠清(藤本隆宏)を叱責する。これに対して伊藤忠清は死をもって償うが、その前に行っておきたいことがあるとこの時点での平家を痛烈に批判し『今や、平家は武士に非ず』という。
***
先日私は京都で祇王寺に行ってきた。紅葉の名所でもあるのでかなりは人が来ていたが、ここで暮らした祇王などを清盛はかなりかわいがったのだが、私はこの祇王などをめでてていた時にはすでに頭は半分以上狂っていた(表現は悪いが)と思っている。
次回は、また福原に都をという話になるのだが、だいたいそんなことをまともな頭で考えられるはずがないからだ。遷都をすればそれだけ金がかかる、その金のでどこを考えれば、金を出すところが清盛に反発することが理解できていないのだから。
**
さて、ドラマに戻るが、どうにも役の年齢がめちゃくちゃで、毎度書いているけど役者がかわいそうだ。特にフカキョンあたりは、かなり都市の言った孫がいるというのに、その孫と同じくらいの年齢にしか見えないのだ。之ではかの役者としての技量を壊してい待っているといわれてもしょうがないんだろう。
あと3回になり、もう撮影は撮り終えてしまっているからどうにもならないが、あまりにもひどいと、私は嘆いている。
それで、頼朝は鎌倉を目指すと宣言。それは、かまくらが3方を山で囲まれ攻めにくいという理由からということだ。確かにこれは先々それなりの効果を生むのだが、それは頼朝の生きた時代ではなくかなり先になるかな・・・
平泉にいた義経(神木隆之介)が藤原秀衡(京本政樹)を説得して兵を預かり、頼朝の軍に合流。過去に一度もあったことのない兄弟の対面を果たし、そして即、富士川の合戦となった。
富士川の合戦は、史実として頼朝の勝ちはわかっているが、このドラマのように平家軍は2000人くらいの兵力で源氏は2万と・・・それに平家の総大将となった清盛の孫・維盛(井之脇海)は兵の四季を立掛けるためと称して遊び女を陣に呼び入れて、なんてことはどこから出てきた事実なんだ?
この遊び女との遊びの最中に頼朝軍が近くまで来て、鳥の騒ぐのを聞いて攻め入られたと思って敗走。このままおめおめと福原に帰ってしまった。
これにはかなり怒った清盛で、おつきの将・伊藤忠清(藤本隆宏)を叱責する。これに対して伊藤忠清は死をもって償うが、その前に行っておきたいことがあるとこの時点での平家を痛烈に批判し『今や、平家は武士に非ず』という。
***
先日私は京都で祇王寺に行ってきた。紅葉の名所でもあるのでかなりは人が来ていたが、ここで暮らした祇王などを清盛はかなりかわいがったのだが、私はこの祇王などをめでてていた時にはすでに頭は半分以上狂っていた(表現は悪いが)と思っている。
次回は、また福原に都をという話になるのだが、だいたいそんなことをまともな頭で考えられるはずがないからだ。遷都をすればそれだけ金がかかる、その金のでどこを考えれば、金を出すところが清盛に反発することが理解できていないのだから。
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さて、ドラマに戻るが、どうにも役の年齢がめちゃくちゃで、毎度書いているけど役者がかわいそうだ。特にフカキョンあたりは、かなり都市の言った孫がいるというのに、その孫と同じくらいの年齢にしか見えないのだ。之ではかの役者としての技量を壊してい待っているといわれてもしょうがないんだろう。
あと3回になり、もう撮影は撮り終えてしまっているからどうにもならないが、あまりにもひどいと、私は嘆いている。
タグ :平清盛
2012年12月02日
京都の秋 その3 三井寺到着 2012年
コーヒーを飲んで温まって車に戻る。朝早く食事をしたので、おなかが鳴りだしている。まだ8時だというのに。(やっぱり、体が壊れているんだ。どこかに穴が開いて食べたものが体中に回っている感じ。これでは体重が増えるわけだよねぇ。)
土山SAを出て本線に戻る。交通量が増えている。みんなどこへ行く?京都の紅葉見物かぁ?私らのために遠慮してほしい、なんて無理なことを頭に描いたり。
途中霧にまかれた。これは別に番外編として。
好きではない栗東のJCで名神に合流。さらに交通量が増える。車線も増えるけど半端な交通量ではないからなぁ。それでもまだこのあたりはいい方なのかな?
今回の最初の行先は、大津市の三井寺(本当の名前は園城寺)。ということで大津SAに入ってトイレ休憩して(する必要ないけど、この先の交通状況分かんないから行けるところで言っておく)このSAから高速を降りる。
最近のSAにはETC専用の出口のあることが増えているが、このSAは昔から、作られた当初からSAから外に出る設計になっている。(目下大津SAは改修工事中です。)
ナビの指示に従って大津市内に入る。実は大津市内の道はほとんど不案内。何度か走ってはいるけど、何せ碁盤の目には程遠い街で過去に迷ったこともある。まぁ、こうしたことのためにナビを買ったんだけどね。ナビのおかげで何とか走ることができる。(しかし、逆に道を覚えないし、どこにいるかも覚えないという欠点がある。)
ナビは、県庁の前を通り市役所の前を通りどうも浜大津のあたりを通ったんではないか?だんだん山の方に上がっていく?。(浜大津なのになんで登る?)
今これを書いていても、どこをどう通ったのか記憶が薄い。これまでは旅行の前に地図を調べまくって道を頭に叩き込んだから、周りの施設なんかが頭に入っていたけど、ナビ任せで調べないことで周辺の施設を全く覚えていないからこういうことになる。
何とか三井寺の駐車場に到着。まだ止まっている車は数台。そうだよなぁ、まだ9時だもんなぁ。駐車場の係が飛んできて駐車料を払わされる。(500円也)
駐車場横で見つけた
土山SAを出て本線に戻る。交通量が増えている。みんなどこへ行く?京都の紅葉見物かぁ?私らのために遠慮してほしい、なんて無理なことを頭に描いたり。
途中霧にまかれた。これは別に番外編として。
好きではない栗東のJCで名神に合流。さらに交通量が増える。車線も増えるけど半端な交通量ではないからなぁ。それでもまだこのあたりはいい方なのかな?
今回の最初の行先は、大津市の三井寺(本当の名前は園城寺)。ということで大津SAに入ってトイレ休憩して(する必要ないけど、この先の交通状況分かんないから行けるところで言っておく)このSAから高速を降りる。
最近のSAにはETC専用の出口のあることが増えているが、このSAは昔から、作られた当初からSAから外に出る設計になっている。(目下大津SAは改修工事中です。)
ナビの指示に従って大津市内に入る。実は大津市内の道はほとんど不案内。何度か走ってはいるけど、何せ碁盤の目には程遠い街で過去に迷ったこともある。まぁ、こうしたことのためにナビを買ったんだけどね。ナビのおかげで何とか走ることができる。(しかし、逆に道を覚えないし、どこにいるかも覚えないという欠点がある。)
ナビは、県庁の前を通り市役所の前を通りどうも浜大津のあたりを通ったんではないか?だんだん山の方に上がっていく?。(浜大津なのになんで登る?)
今これを書いていても、どこをどう通ったのか記憶が薄い。これまでは旅行の前に地図を調べまくって道を頭に叩き込んだから、周りの施設なんかが頭に入っていたけど、ナビ任せで調べないことで周辺の施設を全く覚えていないからこういうことになる。
何とか三井寺の駐車場に到着。まだ止まっている車は数台。そうだよなぁ、まだ9時だもんなぁ。駐車場の係が飛んできて駐車料を払わされる。(500円也)
駐車場横で見つけた
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2012年 京都紅葉 二泊三日の旅
1日目
その1 出発 ■ その2 土山SA ■ 番外 新名神の霧
その3 三井寺到着 ■ その4 三井寺1 ■ 三井寺2
その6 三井寺3 ■ その7 比叡山へ ■ その8 延暦寺 1
その9 延暦寺2 おめん ■ その10 詩仙堂
その11 修学院・赤山明神 ■ 番外 その2
2日目
その12 大原三千院 1 ■ その13 大原三千院 2
その14 大原三千院 3 ■ その15 三千院から法界寺に
その16 法界寺・誕生院 ■ その17 小野・勧修寺
その18 伏見・寺田屋
3日目
その19 嵯峨野1 ■ その20 嵯峨野2 ■ その21 嵯峨野3
その22 祇王寺 ■ その23 二尊院
その24 帰路・嵯峨野~栗東 ■ その25 帰路・1号線・あいの土山
最終回 帰路・関宿・帰宅
2012年 京都紅葉 二泊三日の旅
1日目
その1 出発 ■ その2 土山SA ■ 番外 新名神の霧
その3 三井寺到着 ■ その4 三井寺1 ■ 三井寺2
その6 三井寺3 ■ その7 比叡山へ ■ その8 延暦寺 1
その9 延暦寺2 おめん ■ その10 詩仙堂
その11 修学院・赤山明神 ■ 番外 その2
2日目
その12 大原三千院 1 ■ その13 大原三千院 2
その14 大原三千院 3 ■ その15 三千院から法界寺に
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その18 伏見・寺田屋
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その22 祇王寺 ■ その23 二尊院
その24 帰路・嵯峨野~栗東 ■ その25 帰路・1号線・あいの土山
最終回 帰路・関宿・帰宅
2012年12月02日
京都の秋 2012年 番外(新名神の霧)
京都へ向かう途中、新名神の土山SAで小休止を取ったが、とにかくこの日の朝は寒かった。前に書いたようにSAのお休みどころのテーブルは霜で真っ白だった。
小休止を終えて本線に戻りひたすら京都に向かって走り始めたのだが、しばらくすると目の前がかすみ始めた。霧だ。おやおや、寒いわけだ。。
どのくらいは知ったか、霧はいったん晴れた。腫れたところで標識の「霧に注意」を見つけた。なんだよぉ。霧が出る前にほしかったなぁ。なんて文句を言いながら走っていく。
そしたら、また高くなってきたのか、前よりも濃い霧が目の前に。速度を落としたよね。それにライトも付けて。しかし、速度も落とさずライトも付けない車が多いね。怖さを知らないんドアろう。。。
そういえば10数年前に仕事で八王子に行った帰りに富士の裾野を東名で走った。その時とんでもない霧に見舞われて、前方50メートの視界はなかったと思う。おそらく20メートルくらいではなかった。あのときは恐ろしかった。高速でなければそう思わないのだろうが、高速で後ろから突っ込まれるのが恐ろしいんだよねぇ。。。
新名神は、どうも霧が出ることが多いようだ。気を付けて走行ください。
小休止を終えて本線に戻りひたすら京都に向かって走り始めたのだが、しばらくすると目の前がかすみ始めた。霧だ。おやおや、寒いわけだ。。
どのくらいは知ったか、霧はいったん晴れた。腫れたところで標識の「霧に注意」を見つけた。なんだよぉ。霧が出る前にほしかったなぁ。なんて文句を言いながら走っていく。
そしたら、また高くなってきたのか、前よりも濃い霧が目の前に。速度を落としたよね。それにライトも付けて。しかし、速度も落とさずライトも付けない車が多いね。怖さを知らないんドアろう。。。
そういえば10数年前に仕事で八王子に行った帰りに富士の裾野を東名で走った。その時とんでもない霧に見舞われて、前方50メートの視界はなかったと思う。おそらく20メートルくらいではなかった。あのときは恐ろしかった。高速でなければそう思わないのだろうが、高速で後ろから突っ込まれるのが恐ろしいんだよねぇ。。。
新名神は、どうも霧が出ることが多いようだ。気を付けて走行ください。
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1日目
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最終回 帰路・関宿・帰宅