2007年07月20日

ミッドランドスクェア

 昨日 珍しく名古屋駅前に行く。

 鉄道忘れ物即売 の会場に行ったら
  私より年を召した人が多かったなぁ。。。

  私は、
   「ひょっとして私のおとしものが売られていないか」
  と思っていっただけのこと。

ついでに、
 ウワサの(もう70日過ぎたカナ) のミッドランドスクェアに
 
 トヨタさんの傲慢さが出てますね。
  ショールームといいながら展示台数4台
  レクサスたるや2台。
   それに、カタログないって言ってたよ。
 
 2階の展示は、「少ないねぇ」って受付のお嬢さんに言ったら
  申し訳なさそうに 「よく言われます」 って。

 何をお考えの展示台数なんだろう?
  もっとも、あの場所代の高いところに
  広い展示ルームを作ることは無駄なんだろうなぁ。


確かに、きれいな建物です。
  天井も高く、お店も立派です。
  そのように構えておいでです。
   しかし、なんとなく冷たさを感じた。
  
 地下街との境界は、
  あまりにもその違いから
  地下街から入るときに
   異次元の空間に入るような錯角さえ感じる。
  
 年間1兆円以上の利益を上げているのなら
  周辺の環境整備にも気を使ってよかったのではないか?
  今の状態では、
   「トヨタだけが勝っているんだよ」
  と自慢しているようにも、見えるだろう。

  
   

Posted by 生田 at 17:10Comments(0)TrackBack(0)社会性

2007年07月20日

旅の記録 上越2日目 その6 五智国分寺

2005年5月11日 3日目 (上越2日目) 
   五智国分寺   地図

 春日山を下りて再度居多ヶ浜に向かう。今度は海岸そのものよりも国分寺と記念堂に行くためだ。春日山町の交差点を左折。とここで、あら・・・ここはこれまでにも走ったことのある北国街道では。なんだなんだ といったところだ。この道は北国街道として知られるだけあり、昔は松並木があったのだろう。8号線との交差点の手前には何本かの太い松が道の両側に見受けられる。この道は山麓線よりも少し海よりに位置する道路だ。といっても北上するときではなく、8号線を超え東にカーブしてからのことだが。

 もう何度も走っているなれた道だ。一気に国分寺に向かう。ここを訪れるのは3回目。最初は雨の中、家内を車に残して私一人で境内に入った。その当時は親鸞のこともさほど知るわけではなく、国分寺も何があるのやらといって程度の知識だった。2回目は、多少なりとも知識は持ったが、この日も雨で親鸞の資料への期待もなく境内に入ったら、O さんという面白い人に出会っていろいろ彼の親鸞への思いを聞いたものだ。そして彼が作っていた流罪小屋などを眺めてこれはないだろうなどと思っていたものだ。
 
 山門の南にある駐車場に車を置いた。山門にむけて写真を撮ろうとしたが、なんやら売店と思しきところの女性がうろうろして写真には不向きだ。ということで、とりあえず写真はなし。この正面から入るのは、最初のとき以来で、そのときは何があったのかまったく記憶にないといってもいいだろう。三重塔があるはずなのだが、2回の訪問での記憶がないのは、2回とも雨だったせいだろうか。今回は雨の心配がないので、ゆっくりと見ることができる。(このために、本来のコースを逆にしたのだから晴れてくれないと困るよな)

 三重塔は何故か感激を覚えない。あちこちで見る塔には、感激を覚えるものと、そうでないものがある。ここの塔はその覚えないほうも部類である。理由はわからない。ひょっとしたら本堂が再建されてきれいになりすぎて、境内が趣をなくしてしまったからかもしれない。聖人の銅像も、ここではなんとなく白々しさすら感じる。

 境内は、今日は人が多い。これまでは人がいたためしがない。やはり雨が降るときは誰も来ないのだろうか?年齢的には、いろいろだ。私の歳の前後という印象が多いのは、退役されてその後に夫婦でご旅行といった人が多いのは確かだ。それに引き換え私は最近一人での旅行。見捨てられている・・・・
 境内の右奥に保育園がある。ここの子供らが先生に引率されて出てきたりしている。一瞬孫のことが頭をよぎる。子供たちは、流人小屋の横を毎日通っているのだろうが、彼らはその記憶をいつまで持つだろう、そしてその思うが大人になってどう影響するのだろう。親鸞という人の記憶がどう残っていくのだろうか。

 O さんの流人小屋は完成しているようだ。作者本人はいかがされているかとお部屋をのぞく。座っておいでだが、どうも雰囲気が違う。一回り丸くなっておられる。それにあの毒気を含んだ印象がないのだ。つまりは覇気が感じられなくなっている。
 「お久しぶり」と声をかける。覚えていらっしゃったようだ。いろいろ話をする。私の今回の上越訪問の目的を話して、彼の考えを聞いてみる。彼は、どうも北国街道を思い浮かべているようだ。話の中で、加賀百万石の参勤交代が、この北国街道に沿って江戸に向かったということを話してくれた。
 しかし、この北国街道はいつごろからの道なのだろう。江戸時代の街道制定で確定したことはわかりきったことだが、平安、鎌倉のときはどうだったのだろう。謙信はどこを越えて千曲川の川中島へ向かったのか。

 謙信は女性との交わりを持たず、子供がいなかった。法然もそうだった。この二人はいろんな意味で清廉潔白な人として名を馳せている人物である。それに引き替え親鸞は多くの子供を残し、さらには現代までその子孫が存在し、多くの問題を起こしている。これは、親鸞本人は、思いもしていなかったことではあろうが。。。。

 O さんは、目下竹とんぼ作りを来る人に奨励しているようだ。私には前回は、彼の書いた本を数冊持って帰れと申されたが、今回は「竹とんぼの材料とカッターナイフを持って返れ」とのこと。いつかはやってみようと思っていたのでありがたくいただいて帰ってきた。
 彼とのはなしは30分以上もしていたのだろうか。この間に何人かの人が部屋をのぞいては通り過ぎていかれる。もうそろそろと腰を上げたときに、その入れ替わりに一組のご夫婦が部屋に向かってこられた。前橋からこられたとのこと。ひょっとしたら、退役された記念旅行かなと思うのだが。

 本堂の如来像に手を合わせ、境内を出る方向に歩いていく。左に売店がある。どうもくるときにうろうろされていたのはここの女主人のようだ。それにしても、境内の山門直後にこうした売店(うどんなども食べられる)を設けるなど、やはりこの寺の格式の軽さを思ってしまう。
 本当は、五智国分寺として、聖武天皇の国分寺建築の流れからは相当時代を後にして、消滅・再建築ということがあったにしても、やはり格式としては国分寺のままであってほしいというのは、旅行者のわがままだろうか。

**次回は、親鸞聖人上陸記念堂**

過去の記録
2005年5月9日2005年5月10日
 名古屋から軽井沢 その1 栃木県二宮町の朝
 名古屋から軽井沢 その2 朝のお勤め 高田・専修寺
 軽井沢から達磨寺 高田・専修寺 その2
 達磨寺から高崎・前橋 稲田・西念寺
 前橋から専修寺 R50号線 水戸市河和田 報佛寺
 栃木県真岡市で宿泊 報佛寺 坊守さんのお話
 筑波山麓を走る
 下妻市 小島草庵後
 下妻から長野に
 関越・花園~上信越・佐久
 佐久~黒姫野尻湖PA
 妙高を越え日本海へ
 日本海の夕日


2005年5月11日
 上越2日目 その1
 上越2日目 フェリー乗船場
 上越2日目 市役所
 上越市埋蔵文化財センター
 上越 春日山城址
  

Posted by 生田 at 00:15Comments(6)TrackBack(0)旅行など
  
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1泊2日のドライブ旅行
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 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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